聖餅箱の修理

季報東慶寺 2014 年冬号 Vol.14
発行 松岡山 東慶寺
〒 247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内 1367
電 話 0 4 6 7 - 3 3 - 5 1 0 0 FA X 0 4 6 7 - 2 2 - 7 8 1 5
JR 横須賀線 北鎌倉駅 徒歩4分
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室瀬和美
その南蛮漆器の中でも東慶寺に
遺る聖餅箱は、寺宝として国内に
安時代から、時代時代の蒔絵の優品
で も 中 心 的 存 在 で あ る。 古 く は 平
る日本に於いて、蒔絵技法はその中
きな木地亀裂が生じ、それが塗膜
収縮、ゆがみ等により身底部に大
る。具体的には、乾燥による木地
本作品は、経年の劣化に加えて
塗膜表面の汚れと損傷が進んでい
その長い歴史の中でも、安土桃山
時代にはユニークな蒔絵表現が目立
いう現状である。そこで今回、保
その周辺塗膜の浮きも目立つ、と
地・ 下 地 が 露 出 し た 状 態 と な り、
使用する書見台、聖餅箱、聖龕等の
終えて帰国するまでの間に、儀式に
教師が蒔絵に魅了され、在任期間を
ト教の布教のために日本を訪れた宣
もうひとつが、南蛮人との交流に
より生まれた漆器類である。キリス
多く用いられた。
ングは原則として、水を柔らかい
付け仮止めしておいた。クリーニ
所はあらかじめ雁皮紙に弱い糊を
貝の浮きなど、剥落危険のある箇
業から開始。その際、塗膜剥離や
膜汚れを除去するクリーニング作
録を取ることを行った。そして塗
作業に取りかかる前に、作品の
移 動 に よ る 環 境 の 変 化 に 慣 ら し、
)。この際、
剥離塗膜及び貝の部分には十分注
2
東慶寺伝来蒔絵聖餅箱の修理
現時点で、世界最古である。有史以
伝来した、数少ない貴重な漆工品
州から里帰りしている。
降も法隆寺・東大寺などに残る宝物
のひとつである。
日本で最古の漆器は九千年前、縄
文時代早期前半にまで遡る。これは
をはじめとして、千三百年を超えて
漆工技法は連綿と続き現在に至って
が、多くは修理を重ねながら現代に
を含めて貫通していること。また
いる。数多くの漆工技法表現を伝え
伝わっている。
つ。そのひとつは、いわゆる高台寺
存修理を施すこととなった。
螺鈿の貝が剥離し、さらには剥落
蒔絵と称する、秋草を題材に平蒔絵
祭具を蒔絵で作らせ、持ち帰ったの
木綿布に少量含ませながら丁寧に
して欠失した貝も多く見られ、木
を主たる技法とし、黒漆塗の空間を
生かした漆工品類。これらは、伏見
である。その注文は次第に洋櫃・書
城をはじめとする建造物の内装にも
箪笥などの調度にまで広がり、欧州
汚れを拭き取る(写真
写真撮影を伴った現状の詳細な記
へと渡った。現在はそれらを総称し
て南蛮漆器と呼び、近年、多くが欧
1
)。 曲 面 塗 膜 の 場
適度な圧力を加えながら接着を
行 っ た( 写 真
(新潮社図書編集室/
)が進め
年
2014
月)
。
10
紫綬褒章受章。近著に
『室瀬和美作品集』
動も行う。 2008
年重要無形文化財「蒔
絵 」 保 持 者( 人 間 国 宝 ) 認 定。 同 年、
動とともに国内外での文化財の修復活
学 院 美 術 研 究 科 漆 芸 専 攻 修 了。 創 作 活
年東京生まれ。漆芸作家。
(公社)
1950
日 本 工 芸 会 副 理 事 長。 東 京 藝 術 大 学 大
室瀬和美(むろせ・かずみ)
か、楽しみである。
報が何を我々に語ってくれるの
通じて見えてくる四百年前の情
で も あ る。 し た が っ て、 作 業 を
の隅から隅まで調査できる機会
う。 修 理 作 業 と い う の は、 作 品
以 上 が 修 理 の 途 中 経 過 で あ り、
今後も完了まで様々な作業を行
られているところである。
姿 に 戻 す 作 業( 写 真
に よ る 充 填 を 行 い、 形 状 を 元 の
と麻繊維及び木粉を混和した材
刻 苧( こ く そ ) と よ ば れ る 麦 漆
そ し て 現 在 は、 身 底 部 の 亀 裂
部 及 び 打 損 に よ る 塗 膜 欠 失 部 に、
がすべて完了した。
次 施 し、 剥 離 塗 膜 や 螺 鈿 の 接 着
え 型 も 作 り、 こ れ ら の 作 業 を 順
合 は、 器 物 の 曲 面 に 合 わ せ た 押
4
意して行う。水で除去できない汚
れについては、アルコールを加え
た水で様子を見ながら、同様の作
業を行った。
次 は 剥 離 し た 螺 鈿 接 着 で あ る。
一箇所、剥落した貝が続飯で仮止
)、 膠 で 接 着 し て 元
)。
膜の接着作業に取りかかった。そ
のために、亀裂の接着用漆と同様
の麦漆を若干希釈して含浸しやす
い固さにし、塗膜下に染み込ませ
た。その際、はみ出した麦漆は丁
寧 に 拭 き 取 り、 塗 膜 表 面 に は 一
切 残 ら な い よ う に し た 後、 専 用
に 作 っ た パ ッ ド を 当 て、 小 さ な
ク ラ ン プ やひ ご の 弾 力 を 利 用 し、
4
5
めされていたため、その貝を一旦
外 し( 写 真
接着を行った(写真
けて充填し、亀裂をふさぎながら
着力の強い漆を亀裂部に数回に分
麦粉を練り込んだ麦漆と称する接
その後、木地亀裂部には、生漆
(きうるし)と固く水練りした小
称する処置をし、安定させた。
の錆漆を施す際錆(きわさび)と
が終了した後は、貝の際に極少量
する作業を順次行った。貝の接着
いる隙間から膠を含浸させ、圧着
の位置に戻した。他の貝は浮いて
2
その亀裂接着が十分に乾固して
から、処置周辺の塗膜及び剥離塗
3
5
聖餅箱の修理 室瀬 和 美
1
3
冬号 インフ ォ メ ー シ ョ ン
時
分開門
日(土)から
月
日(日)まで
時半
日(火)~
月
日(日)
年 東慶寺仏像展
2015
月
時半~
29
観梅茶店
月
講 師 中 野 幸 一 先 生( 早 稲 田 大 学 名 誉
教授・文学博士)
3
今 年 の 注 目 は、 か つ て 国 宝 に 指 定 さ れ、
随所に取り入れられた仏像です。
も非常に優れており、鎌倉特有の技法が
が見えてきます。仏像彫刻という視点で
たどってみると、歴史に翻弄されたお姿
られている聖観音様ですが、その来歴を
国の重要文化財に指定され、東慶寺に祀
あった「聖観音菩薩立像」です。現在は
性 を 語 る 際 に 扱 わ れ て き た 題 材『 初 音 』
日(日)まで
円(税込、入山料別途)
500
※重要文化財「初音蒔絵火取母」展示中
です。境内の梅も見頃となります。仏様
仏像を一堂に展観する年に一度の特別展
「 水 月 観 音 菩 薩 半 跏 像 」 な ど、 東 慶 寺 の
本号巻頭特集の重要文化財「聖餅箱」は
と梅の花、心ゆくまでお楽しみください。
月曜休館(祝祭日は開館)
入館料
月
東慶寺伝来蒔絵展
お申込みは東慶寺まで。
鎌倉尼五山第一位の太平寺のご本尊で
松岡宝蔵にて 会期中無休
円(税込、入山料別途)
500
立礼茶室・白蓮舎にて 不定休有
時より
入館料
日(土)
「東慶寺伝来蒔絵展」
記念講演会
月
に四弘誓願が唱えられ、その後は「暁の
東慶寺「書院」にて参加無料(入山料別途)
で新年を祝います。
専 門 の 中 野 幸 一 先 生 の 講 演 会 は、「 源 氏
新年を迎えた東慶寺にて、平安文学がご
花の寺としても知られる東慶寺。境内に
物 語『 初 音 』 の 巻 」 を 中 心 に、『 初 音 』
『 初 音 』 の 巻 は、 源 氏 三 十 歳 の 時 に 完 成
咲く四季折々の花の写真を配したカレン
した六条院で初めて迎えるお正月の情景
の意義や新春の祝儀性についてです。
版に
A5
ダーは、毎年売り切れるほどご好評いた
東慶寺カレンダー
2015
3
の巻のお話しをしていただきます。
が描かれています。古くより新春の祝儀
加え、卓上サイズも新登場。ご購入はど
だいております。今年は定番の
2
除夜の鐘
月
日(水) 深夜0時の時報とともに住職が鐘を撞
き、続いて参拝者の皆さまにもひとつず
1
鐘」として並んだ方全員が鐘を撞き、皆
つ撞いていただきます。一〇八回目の後
3
修理継続中のため展示されておりません。
新春の東慶寺ギャラリー展覧会
詳細はホームページをご覧下さい
月
日 (土) 〜
月
日 (火) 〜
日 (土) 〜
月
月
日 (日)
東慶寺 フォトギャラリー写真展
月
小坂あい子 人形展
「日 本 の ” い ろ ”
月
日 (火)
日 (日)
」
vol.5
デザインを日々の生活に
月
日 (金) 〜
月
日 (日)
「草 木 染 め の 作 務 衣」 展
鎌倉作務衣堂
8
3
15
29
14
2
3
3
3
1
うぞお早目に。
外商品あり)。定価 3000 円
24
45
円(税込)
540
の特典も付いています(現金払いのみ、一部対象
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7
20
2
定価 各
一年間何度でもお入りいただけるパスポートです。
1
23
年間パスポート
2015
「ショップまつがおか」でのお買い物にて割引き
2
3
3
31
1
入山および宝蔵入館の際にご提示いただくと、
15
2
9
14
17
12
です。
く れ た も の で、 愛 ら し く、 上 等 な 品
祖父岩波茂雄が私の初節句に贈って
の 絵 葉 書 の 中 の 一 枚 で す。 お 雛 様 は
林勇が描き送ってくれた百二十一枚
こ れ は 五 十 年 近 く 前、 ア メ リ カ に
暮 ら し て い た 私 達 夫 婦 に、 父 冬 青 小
しても、まだ未発表のものが沢山あ
「絵は美沙子にやろう」と
父 は、
いってくれました。五十回展覧会を
感謝しております。
開いていただけることになり、深く
母も眠る東慶寺の宝蔵で来年四月に
今後どれだけのことが私にできる
でしょう。次に父に会った時、父は
り、四月の展覧会にもその中の何点
かを出品したいと思っております。
ら 絵 を 描 き 始 め、 一 生 独 学 で 修 業 し
小林 勇 長女
私 に 何 と 言 っ て く れ る で し ょ う か。
年 長野県生まれ
1903
小林 勇
見 る 鏡、 人 生 の 最 も 大 事 な 修 練 道 だ
年 死去 享年
1981
)
歳 東慶寺に眠る
78
度々個展を開く 著書「遠いあし音」でエッ
セイスト・クラブ賞を受賞
年以来 文春画廊・吉井画廊などにて
1959
年 岩波書店代表取締役専務 後に会長
1949
年 岩波書店に入社
1920
す。 父 は と も か く、 か く こ と が 好 き
で し た。 文 も 絵 も、 六 十 近 く な っ て
始 め た 書 も、 自 分 の 足 で、 一 歩 一 歩
26
) ~日 日
(
冬青 小林勇展
月 日 水
(
松岡宝蔵にて
1
進んでゆきました。
そ う い う 父 を「 勇 さ ん は 器 用 だ 」
と い う 方 も い ま し た が、 父 は 努 力 の
人だったと思います。 4
父 は 随 筆 も く さ ん 書 き ま し た。 若
い頃は小説家になりたかったようで
と言って取り組んでいました。
と を 忘 れ る こ と が な く、 絵 は 自 分 を
描きはじめるとじきに一日も絵のこ
ました。
た わ ら、 三 十 九 才( 昭 和 十 七 年 ) か
父 は 十 七 才 で 岩 波 書 店 に 入 店 し、
懸 命 に 働 き ま し た。 忙 し い 仕 事 の か
五十一回目の展覧会は、菩提寺で
あり岩波書店に縁深い先生方、祖父
七千人の方が観て下さいました。
展覧会は、合わせて五十回目となり、
田市の本間美術館で開催して頂いた
展覧会を開いており、今秋山形県酒
没後私はあちこちで展覧会を開い
ていただきました。父は生前十四回
五十一回目の冬青 小林勇展 小松美沙子
五十一回目の冬 青 小 林 勇 展 小 松 美 沙 子
写真家 十文字美信のひとこと
過なく無事務めてきました。新しい
編集後記
として世界に発信しました。今、
ZEN
世界中の人が禅に注目しているよう
なって釈宗演は鈴木大拙と共に禅を
闘い東慶寺を守りました。明治に
世天秀尼は寺法を守るために大名と
救済のために東慶寺を創建し、二十
たいと思います。開山覚山尼は女人
恥じないようにお寺を守ってもらい
寺らしさを守り、先達の和尚たちに
焦りますが、まずは今まで通り東慶
職に就くとあれもこれもと気ばかり
の方々に支えられながらこの一年大
新米の住職は、檀家さんはじめ大勢
東慶寺はまず住職が代わりました。
か。
まいかがお過ごしでしたでしょう
まもなく 2014
年も終わりを迎えよ
うとしていますが、今年一年間皆さ
東 慶 寺 の 冬 と 言 え ば「 雪 景 色 」
と「 梅 」で し ょ う か 。 ホ ー ム ペ ー
ジに開設しているフォトギャラ
リ ー へ の 投 稿 も、 個 性 あ ふ れ る
雪 の 写 真、 梅 の 写 真 で い っ ぱ い
で す。 そ の ほ か に 春 を 感 じ さ せ
る お 花 の 写 真 も ち ら ほ ら と。 季
節の移り変わりが楽しめる東慶
寺のフォトギャラリーです。
「 白 梅 」 撮 影 吉 村 寛 子
青 空 と 白 梅 が 美 し い。 な ん で も
な い 写 真 に 見 え ま す が、 吉 村 さ
ん の セ ン ス が 光 っ て い ま す。 風
景を切り取るフレーミング感覚
が 優 れ て い ま す。 画 面 上 か ら 下
がっている蕾の入り方がとても
良 い。 奥 の 白 い ボ ケ を ぼ ん や り
入れたことで奥行き感が増しま
し た 。( 選 評 十 文 字 美 信 )
ですが、東慶寺では禅と共に歩んで
きた茶道・香道・挿し花など日本文
化と禅との関係も体感していただき
たいと思っています。まず東慶寺の
境内に立ち、この気を感じ、言葉で
はなく体で感じてみてください。お
友達との散策も良いでしょうが、た
まには一人で静かに東慶寺の気を感
じて、
「今この時」を大事に感じて
いただければ幸いです。あくる年も
皆様の心に平安が訪れますようにお
祈りしております。
(米)