ヒグマの足跡 (「熊のことは熊に訊け」より) これは、岩井基樹が撮った春先(3月)の典型的なヒグマの足跡である。 前掌幅が196 5㎜ これは特殊なケースだが面白いヒグマの足跡だ。この下の写真は、春先の跡うっすらとア スファルト道路に雪が積もったときのもので、判りやすい。 これは追い払いを何度か行い観察三年目に入った推定6歳のオス若グマの足跡である。前 掌幅は秋以降さらに増えて16cm。道の傾斜は5∼7度の緩やかな下り勾配である。 さて、この下の足跡列と上に示した足跡列と比べてもらいたい。ずいぶん違う印象だと思 う。 まず、前足と後ろ足は別々の位置に置かれている。そして、これはむしろ珍しいケースだ が、足跡列が一直線に並んでいるのがはっきり判る。 これは、起伏のない安定した地面を、何も考えず無目的にボオーッと歩いたときのヒグマ の足跡だが、若干の傾斜のためサイクルが多少長くなっている。 よく、「足跡列が一直線場に乗っているのはキツネ」などといわれるが、キツネだってい ろいろ。ヒグマも地面や心理の状態でさまざまな足跡列を残す。 写真上から1&3個目の扁平足の人のような足跡がこのヒグマの後ろ足。左右については 雪の崩れ方を見れば自明だろう。2&4個目の前足だ。 少し判りにくいが、いちばん下の足跡のさらにうっすらと丸い窪みが見える。これを私は 「前足のかかと」と呼んでいるが、このかかとの跡は小指側につく。なので、最後列の足 跡は右前足跡ということになる。 前足のかかとの他に、この写真には面白いことがいくつか残されている。 一つは、ツメの長さ。前足のツメは肉球の長さ以上に長く、それに対して後ろ足のツメは 短い。これはヒグマ全体の特徴だ。 ヒグマは、がに股のイメージがあるらしいが、前脚も後ろ脚も基本的には内股である。が に股が強そうに思えるのは単なる錯覚で、人は大殿筋、大腿四頭筋あたりが発達したス ポーツ選手だどは、どちらかといえば内股だ。ヒグマの内股は、しなやかな芸者というよ りは、極限まで鍛え上げたスポーツ選手のそれである。実際、ヒグマを解体してみると、 毛皮と皮下脂肪の内側に隠された強靭な筋肉にただ驚かされる。 それから、この若グマが微妙にビッコを引いているのが判るだろうか。このカットだけで なく、延々この歩調で歩いている。実は、このクマの場合、それが個体識別の一つの材料 になっている。時期は定かでないのだが、二年ほど前、何かがあってこのクマは右後ろ足 に怪我をした。それ以来、何となくこんな歩き方になっているのだ。足跡一つ一つの進行 方向に対する角度を見ると、3番目の右後ろ足だけが進行方向に向いている。後遺症とい うほどでもないとは思うが、ちょっとした癖になってしまったのだろう。 この足跡を残した若グマは、この直後、正面からやはりボーッと近づいて来る私に気がつ いて、立ち止まったあと、慌てて斜面を駆け下り、そのまま対岸のトドマツ林へ一目散に 逃げ去った。冬眠あけ直後に追い払いの効果が確かめられた一幕だったが、足跡を見てい ると、そんなヒグマの行動や心理の一部始終が手に取るように判ることもある。
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