い~な 診療所 あまみ 中 中 央 事務局 研究所 しらさぎ つなぐの さくら 大阪+知的障害+地域+おもろい=創造 知の知の知の知 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 社会政策研究所情報誌通算 2328 号 2015.2.18 発行 ============================================================================== 婚活、出産で年金維持? 厚労省漫画、ネットで炎上 産経新聞 2015 年 2 月 17 日 公的年金制度を理解してもらおうと、厚生労働省がインターネット上で公開している漫 画が、若者を中心に批判を浴びて“炎上”している。年金制度を維持させるために、登場 人物が婚活や出産を勧める表現が、独身女性への当てこすりと受け取られたためだ。 漫画のタイトルは「いっしょに検証!公的年金」で、現在11話まで公開されている。 講師役の女性が、ある5人家族に年金制度の仕組みや意義を解説しながら話が進んでいく。 批判を浴びているのは第11話。少子高齢化が将来の年金給付に影響を与えると知った 25歳の地方公務員の姉が「あんたが結婚してたくさん子どもを産めばいいのよ」と19 歳の大学生の妹に提案。最後は、講師役の女性が姉を婚活パーティーに誘う場面が描かれ る。 厚労省の担当者は「全体を読めば、女性をやゆする意図はないことは理解してもらえる と思う」とし、特別な対応をとる予定はないとしている 臨床宗教師が癒やす 人の苦しみ 共に向き合う 北陸中日新聞 2015 年 2 月 16 日 3・11機に活動 信仰問わず心のケア 大学の育成講座から現場へ 東北大の臨床宗教師育成講座の風景。受講者は福祉機関など での実習後、感想を語り合った=2014年11月、仙台市 で 東日本大震災を契機に、 「臨床宗教師」と呼ばれる 宗教者が各地で活動を始めている。布教や伝道を目 的とせず、大災害の遺族や被災者らの心のケアを実 践する専門家だ。東北大(仙台市)を中心に養成が 進められてきた。東北の被災者らの悲嘆は癒えない どころか、生活が落ち着くにつれて逆に深まってい る。冠婚葬祭中心の宗教界が、社会との関わりを取 り戻せるかどうかも問われている。 (林啓太) 東北大が、僧侶や神職、神父、牧師ら宗教者を対象に、臨床宗教師を育成する「実践宗 教学寄付講座」を開講したのは、震災1年後の2012年度だ。日本では、心のケアは主 に医師や心理療法士に任され、宗教者が関わることは少なかった。講座を担当する鈴木岩 弓(いわゆみ)教授(宗教民俗学)は「宗教者が、被災者や遺族の苦しみを癒やすことに 貢献できるかどうかという問いに答えようとするものだ」と説く。 講座は3カ月単位で、「グリーフ(悲しみ)ケア」「精神保健」などの講義や、被災地の 追悼巡礼、医療施設での実習などがおこなわれる。教えるのは大学教員ばかりでなく、被 災者支援に携わってきた僧侶らも講師に招いた。14年12月までに計6回開かれ、約1 00人が修了証を手にした。 臨床宗教師の「原形」は、仏教や神道、キリスト教、新宗教の団体でつくる宮城県宗教 法人連絡協議会の有志が11年5月に設立した「心の相談室」だ。 仮設住宅などで被災者の悩みに耳を傾けた。所属する寺が津波で流され、親族の法要が できない人たちも大勢やって来た。 相談室の室長補佐で、牧師や神父らでつくる「東北ヘルプ」事務局長の川上直哉さん(4 1)は「大震災の前から、医療者の一部から『宗教者も患者らの心のケアを担うべきでは ないか』との要望があった。震災で被災者の命が懸かった状況に直面し、宗教者がもっと 社会で貢献していけるようにする必要があると考えた」と振り返る。自身の研究室で相談 室の事務局を務めた鈴木教授は「宗教者が別の宗教の信者の慰霊や心のケアにどう携わる べきか。効果的な話し方や聴き方が求められた」と指摘する。 相談室は、特定の宗教によらず、被災者らに寄り添う宗教者の育成を目指した。名付け て「臨床宗教師」 。実際の育成プログラムは、鈴木教授のいる東北大が引き受けた。寄付講 座となったのは、宗教界の支援があったからだ。世界宗教者平和会議日本委員会など宗教 団体の募金で運営費を賄った。 臨床宗教師を育成する取り組みは、他大学にも広がっている。14年度には浄土真宗系 の龍谷大(京都市)と曹洞宗系の鶴見大(横浜市)が育成講座を開講した。15年度には、 真言宗系の種智院大(京都市)でも開講する計画だ。 東北大の講座の修了者らが地域ごとに連携する動きも目立ってきた。14年4月以降、 「臨床宗教師会」が、関西と北海道東北、九州の3地域で結成された。4月には、関東と 中部でも立ち上がる予定だ。 仮設の被災者・重病患者・お年寄りにも… 冠婚葬祭中心の宗教界「社会問題の解決を」 東北大の育成講座の修了者に話を聞いた。 宮城県栗原市の曹洞宗城皇寺住職の氏家栄宏(えいこう)さん(46)は、沿岸部の仮 設住宅などを巡回している。 「たとえ上手に話を聴けなくても、そばにいるだけで被災者は 癒やされるのだと講座で教えられた。修了した後は当初の気負いがなくなり自然な気持ち で接することができるようになった」 寝たきりの男性(手前)の心のケアに取り組む臨床宗教師の 高橋悦堂さん=宮城県名取市で 栗原市の曹洞宗普門寺副住職の高橋悦堂(えつど う)さん(35)は重病の患者と向き合う。頸椎(け いつい)損傷で20年近く寝たきりの宮城県名取市 の男性(48)を月に1回程度訪問している。 男性が「走り回ったりする自分を今でも夢に見 る」とつぶやくと、「何でこうなるのか。人という ものの運命は本当に分からない」と声をかける。 高橋さんは「話に耳を傾けても、苦しみの原因を 消してあげられるわけではない。非力を思い知らされてばかり」と打ち明けるが、男性は 「私の愚痴を否定せず、受け止めてくれるのがいい」と感謝する。高橋さんが提携する岡 部医院(名取市)の佐藤隆裕院長も「医療者は医療的な問題にしか対応できず、痛みを和 らげる処置に限界がある。臨床宗教師が医療の現場に加われば、患者を癒やす体制の強化 につながる」と評価する。 特別養護老人ホームの利用者の話に耳を傾ける天野和公さん =仙台市で 仙台市の尼僧・天野和公(わこう)さん(36) のフィールドは老人介護の現場だ。 1月から週2回、心のケア中心のスタッフとして 市内の特別養護老人ホームに通う。 「『生きているの がつらい』 『自殺したい』と訴えるお年寄りもいて返 す言葉に詰まった」 。特定宗派に所属しない寺院「み んなの寺」を市内で運営してきたが、 「檀家(だんか)や寺に来た人だけでなく、外部の人 の苦しみにも向き合うことの大切さに思いが至った」と手応えを感じている。 死者・行方不明者、震災関連死が2万人を超えた東日本大震災からまもなく4年。衣食 住の問題解決に手いっぱいだった震災直後と比べると、余裕がでた分、親族や友人を亡く した悲しみがかえって強くなっている面もある。 鈴木教授は「宗教者が公共の場で活動する本格的な試みは始まったばかり。宗教的な中 立の観点から臨床宗教師の受け入れに慎重な病院もあるなど、浸透するには課題もある。 現場で直面した問題を共有し、知恵を出し合って解決することが、活動を広める上で不可 欠だ」と唱える。 宗教学者の島田裕巳氏は「臨床宗教師の活動が特に影響を与えるのは日本人の7割近く が信仰するとされる仏教の在り方だ」とみる。 「少子高齢化などが深刻化する中、癒やしを求める人は増えているが、 (葬儀や法要に依 存した) 『葬式仏教』が主流であり、苦しむ生者を慰める活動は停滞している。仏教は宗派 の組織力が健在だ。臨床宗教師を育成すれば、社会問題の解決や緩和に貢献できる可能性 は高い。道元や親鸞ら宗派の始祖は、生者の苦しみにも向き合ってきた。始祖らの思想に 立ち返れるかどうかが問われている」 3・11以降、宗教がメディアに登場する機会が増えた。特報面では、原発関連という ことになろうか。各地の脱原発運動には、宗教者が多く関わる。全日本仏教会は「脱原発 依存」を宣言した。脱原発も復興も光明が見えない。戦争の足音も聞こえる。生者の苦し みが深まる今、 「臨床宗教」への期待は大きい。 (圭) 未完の論文ーある社会学者の死1「最後の講義」 中日新聞 2015 年 2 月 10 日 絶望しない姿 教えた 教壇のわき。電動車いすに座った名古屋市立大教授の石川洋明は、くぐもった声で、学 生の発表に口を挟んだ。 「全然聞こえない。もう一度、大きな声で言って」 教室の学生たちは顔を見合わせた。マイクを使った発表は、十分に聞き取りやすかった からだ。 昨年6月27日、人文社会学部の2限目「社会問題論1」での光景だ。4年の今枝麻里 (22)は「耳も滑舌も、どんどん悪くなっていました。何度もせき込み、苦しそうでし た。あの状態で講義を続けられたことに、鬼気迫るものを感じました」と、最後となった 石川の講義を振り返る。 がんが見つかる前年の石川 時は6年さかのぼる。虐待、依存症などの病理を研究する社会学 者・石川に、2008年2月、名古屋市立大病院で前立腺がんが見 つかった。既に終末期。ホルモン療法で数年間、進行を食い止めた が、次第に効かなくなった。 そして12年9月、夫の病を苦にした重度そううつ病の妻=当時 (51)=が、小学校6年の長男=同(12)=を殺害した。執行 猶予付き有罪判決を受けた妻はその後、自殺した。二つの悲劇の間 に、石川は車いすの身になり、余命半年の宣告を受けた。妻の死の 直後、前立腺がんの勢いを示すPSA値はどんどん上昇し、914 6に達した。主治医の郡健二郎(66)=学長、泌尿器科教授=は「今まで見たことのな い数値」という。生きているのが不思議な状態で、石川は講義を続けた。 準備にも手間をかけた。学生のコメントをすべてパソコンに打ち込み、翌週に教室のス クリーンに映して一つ一つ批評する。本音でズケズケが石川流で「君は本当に文献を読ん で書いたのか」と、厳しくしかることもしばしば。 「講義は学生のもの」と議論や研究発表 を重視した。 「余命を考えれば、休講にすべきだったと思う。でも彼の執念をだれも止められなかっ た」と親友の人文社会学部教授・吉田一彦(59) 。 石川が最後の講義をした 203 教室。最前列に置いた パソコンを車いすで操作し、スクリーンに映していた =名古屋市瑞穂区の名古屋市立大で 最後の講義の約4時間後、石川は急に手足 を動かせなくなり、緊急入院。救急車を拒み、 大学医務室の看護師(59)に付き添われて、 病院までの約800メートルを車いすでゆっ くり進んだ。通い慣れた風景をかみしめるよ うに。 翌28日には、吉田が差し入れたパジャマ の色にケチをつけるなど「本音ズケズケ」健 在を思わせたが、30日早朝、容体が急変。55年の人生の幕を閉じた。 (敬称略) 打ちのめされ、絶望してもおかしくない悲劇が重なる中で、石川は気力を奮い立たせた。 愛する妻子を守れなかったことへの償いの思いを込め、事件の再発を防ぐための研究に情 熱を注いだ。石川の終末期から、人生、仕事、家族の意味を見つめたい。 未完の論文ーある社会学者の死2「衝撃の日」 中日新聞 2015 年 2 月 11 日 その日、名古屋市立大教授の石川洋明は仕事を終え、午後7時すぎに名古屋市天白区の 団地内の自宅に帰った。目に飛び込んできたのが、妻=当時(51)=の異変。台所で包丁を首 に当て、自殺を図ろうとしていた。慌てて包丁を取り上げ、119 番した。子ども部屋では、 息絶えた小学校 6 年の長男=当時(12)=が寝かされ、顔にハンカチがかぶされていた。睡眠 薬で長男を眠らせ、金属バッドで殴り、首を絞めての犯行だった。2012 年9月 14 日のこ とだ。 「夫が死に神に見えた」 妻は、長男の出産直後にうつ病を発症。治療を続けながら、家事、育児に励んできた。 長男と一緒に「サルちゃん踊り」というダンスを考え、中日ドラゴンズが勝った日には 一緒に踊るなど、愛情豊かな母親だった。長男も勉強好きで、優秀な成績だった。 しかし、末期がんの夫がやせ細り、あごの骨が壊死(え し)して歯が抜けていく姿に、妻は夫の死を間近に感じ、 病状が悪化した。事件前の数カ月間は床に伏すことが多か った。 裁判での石川の証言に、妻の追い詰められていた状態が うかがえる。 事件の 11 日前には「死にたい、電話ください」とメール。 石川が慌てて家に帰ると、妻は主治医から入院を勧められ たことを明かした。しかし、石川の体調では長男の世話や 家事を独りで担うのは大変で「入院は難しいね」という結 論になった。このとき、一家心中を持ち掛ける妻を石川は 懸命に止めた。 ゼミ生たちから誕生日ケーキを贈られ、笑顔の石川。がん治療の影響 により半年で 10 キロやせた=2012 年1月、名古屋市立大で 事件後、警察の取り調べに、妻は「やせて、マスクをし ている夫が死に神に見えて、怖かった」と供述した。裁判では「息子に死に神が乗り移っ たので、追い出そうと思った」とも語っている。 一家は、引っ越しを控えていた。 「母子家庭になってから借家のままでは不安」という妻 の希望で、近くの中古マンションを購入したのだ。事件の2日前、内装業者との打ち合わ せがあり、妻は「片付けなきゃ」と焦って不安定になった。掃除を引き受けた石川も、貧 血から途中で動けなくなった。その姿に「ごめんね、ごめんね」と、妻は取りつかれたよ うに繰り返した。 石川は、精神分析や臨床心理学にも詳しい社会学者。がん発症後は、学内で定期的にカ ウンセリングを受けており「事件前は、奥さんの病気への対処が、話の中心でした。いつ も自身の病状よりご家族のことを気に掛けていました」と、精神科教授の明智龍男(50)。 危機的状況は十分に感じていたはずだが、結果的に対応が遅れてしまった。(敬称略) 未完の論文ーある社会学者の死3「治療的関係」 中日新聞 2015 年 2 月 12 日 「妻子を守る」に限界 石川洋明は東京大卒。プライドが高く、一本気な面がある。喫茶店員の接客態度に文句 を付けたり、宴席でイッキ飲みをする学生グループに説教したり、といったエピソードに は事欠かない。新婚当時は、人前で妻を怒鳴りつけることもあった、と古い知人は話す。 だが、長男が生まれ、妻がうつ病を発症してからは「妻子を守ること」が指針になった。 「治療的関係とおっしゃっていました」と、石川の指導を受けた大学院生は解説する。 妻は子どものころ、愛情の薄い家庭で育ち、心の傷を抱えていた。「機能不全家庭で育っ た子たちが成人後にかかえる生きにくさ」は、社会学者・石川の研究領域。「人と親密な関 係を築くことにハンディキャップを背負っているから、しっかりと抱えられる経験が必要」 と、母親のような立場で接した。家事、育児を手伝い、感情が不安定な妻の怒りを反論せ ずに受け止めた。一時的に全面依存させて、自立した大人への「育て直し」を図る考えだ。 その関係は、石川が健康な間は功を奏していたが、がん発症後は逆に「頼りの夫がいな くなる」という恐怖が妻の病気を悪化させ、「みんなで死ぬこと」へと傾斜させたようだ。 重病の身で、仕事を抱え、医療者でもない石川が、できることには限度があった。 事件後、学内のカウンセリングで石川は「がんが余分だった」と、計画が狂ったことを 悔やみ、涙を流した。その後、学外の精神科関係者から「抱え込みすぎだったと思います」 と指摘され、深く反省した。 昨年 3 月、名古屋市立大の卒業記念パーティーに車いすで参加した石川。 あごの骨は壊死し、肝臓への転移で余命半年の宣告を受けていた=名古屋市 内で 裁判では、妻の処罰を望まず、再び一緒に暮らすことを希望し た。面会のために頻繁に車いすで拘置所を訪れた。自殺願望を抱 えた妻を支えることが、事件を防げなかった彼の償いだった。 石川の友人で、妻の弁護人を務めた弁護士川上明彦(60)は「状 態は明らかに終末期だけど、気力が満ちて、この人はずっと死な ないんじゃないかと思えるほどだった」と振り返る。 川上も、面会に通って妻を励まし、人生を考える本を差し入れ たりもした。だが、わが子をあやめた罪悪感と夫への依存を抱え た妻は、人生のやり直しを考えることはできなかった。 名古屋地裁で「懲役3年、執行猶予5年」の有罪判決を受け、精神科病院に入院した妻 は、判決から5ヵ月後の 14 年5月 20 日、院内で首をつり、53 歳の人生を自ら閉じた。 「ぼくのやり方が間違っていたのだろうか」 。数日後、憔悴(しょうすい)しきった石川 は、涙を浮かべ、院生に漏らした。 (敬称略) 未完の論文ーある社会学者の死4「伝えること」 中日新聞 2015 年 2 月 13 日 「時間がほしい」切に 児童虐待が社会問題として注目されだした当時の1996年8月、石川洋明は中日新聞 のインタビューで「事実を明らかにすることが重要」として、次のように答えている。 「事実にも2通りあると思っています。一つは、どのぐらいの頻度で問題が起きている かを客観的に示すこと。もう一つは、多くの人が共感できる真実、つまり当事者の体験や 言葉を伝えていくこと。 (中略)つらい立場の人を本当に支えられるのは、市民の輪なので す。そのためにもマスコミや研究者の責任は重大です」 それから16年後、自身の家庭で妻が長男を道連れに無理心中を図った事件について、 石川は体験を論文にまとめることを考えた。「このままじゃ、息子が浮かばれない」と事件 当初から執筆への意欲を示し、妻の自殺後は「妻子が浮かばれない」に変わった。「あと5 年、時間がほしい」とも。 警察庁の統計によれば、2004〜13年の 10年間に全国で発生した無理心中事件(未遂 を含む)で検挙された人は378人で、うち実 母が284人と75.1%を占めている(グラ フ参照) 。児童虐待関係の事件全体では検挙者 の71%が男性であるのと好対照だ。 石川は、この「心の闇」に踏み込もうとした ようだ。 裁判での石川の供述によれば、もともとの妻 は「ユーモアセンスがあり、快活。長男を心か ら愛していたが、時々キレることもあった」。 こうした女性は決して珍しい存在ではない。しかし、夫の死期が迫り、精神的に追い込ま れる中で、死に傾いていった。 事件は計画性がある無理心中を思わせる一方で、 「死に神が息子に乗り移った」という妄 想のようなものもあった。金属バットで何度もたたいたという犯行は「一緒に天国に行く」 という動機では説明しにくい。うつ病が自殺につながることはよく知られているが、母親 の場合はどんなふうに危険性が高まるのか、妄想がどう作用するのか。そして、石川は何 に失敗したのか。 現代の核家族に起きる無理心中に関する研究が乏しい中、この論文が完成すれば注目を 集めたはずだった。 同僚の親友・吉田一彦(59)は「何度も何度も書き直して、結局まとまらなかったよ うです。奥さんへの思いが強すぎたのでしょうね」 。 体力的にも限界だった。 「固いものを食べると激痛が走るので、栄養補給に苦労されてい ました。家に帰ると疲れ果てて倒れ込んでしまうことも多かったようです」と大学院生。 未完の原稿は石川のパソコンの中に眠っている。(敬称略) 未完の論文ーある社会学者の死5「残したもの」 中日新聞 2015 年 2 月 14 日 生きること一番偉い 石川洋明の壮絶な終末期は、同僚や教え子たちに強い印象を残した。 昨年春に名古屋市立大を退官した名誉教授・山田明(66)は、石川の妻が長男を殺害した事 件直後、一部の新聞が石川の肩書・専攻まで載せたことに腹を立て、新聞社に抗議した。 それをきっかけに石川との距離が近くなり、つらい思いを聞いて一緒に泣いたこともある。 「前は、自己主張の強い彼に反発を感じていたが、リハビリに励み、奇跡的に職場復帰を 果たした姿に感動した」と振り返る。 ゼミ生の北川靖大(22)は、事件後の講義で、石川が「妻子を守ってやれなかった」と涙を 流す姿に感銘を受けた。ゼミに入って最初の作文で「学び」についての思いをまとめたら、 ひと言「ダサイ」と切り捨てられた。当たり前の正論を持ち出すのは恥ずかしいことだと 教わり「一年後に、よく書けるようになったと初めてほめられました」と笑った。 主治医で学長の郡健二郎(66)も「生涯忘れられない患者」だという。納得するまで自分で 調べ、治療法を選択する姿は6年間、ずっと変わらなかった。毎月のカウンセリングを担 当した精神科教授の明智龍男(50)は「いつごろからか、こちらが人生を教えてもらっている 感じがして、自然に『石川先生』と呼んでいました」。 上段に石川、下段に妻子。一家3人の遺骨に手を合わせるアリス=愛知県日進市のカトリック平針教会で 愛知県日進市にあるカトリック平針教会の霊安室に、 石川と妻子の遺骨が一時保管されている。同教会では、 長男、妻、石川の順で2年間3度、葬儀が営まれた。 石川から「アリス」(仮名)と呼ばれていた大学院生(33) は、これまで2度訪れ、遺骨に手を合わせた。 アリスは、社会人になった後、人間関係に悩みを抱え、 自殺も考えたが思いとどまり、2013 年春に入学した。妻 に似た弱さを抱えたアリスに対し、石川は修士論文の指 導を手取り足取り続けた。読むべき本を指示し、考えの 足りなさをたしなめ、生き方全般にもアドバイスを重ね た。妻を抱え込んだのと同じように。 しかし、約一年後の妻の死後はがらりと変わった。 「子犬のように何でも言うことを聞くな、人形じゃな いんだ、と怒られるようになりました。母親から父親に 変わったような感じで。きっと反省されたんだと思います」 その切り替えがあったから、石川の死を受け止め、前を向くことができたという。今、ア リスが中心になって追悼文集づくりを進めている。つらくなると思い出すのは石川の言葉。 「生きていくということは、大変なことだから、時々悪いこと(依存症や自傷など)も するでしょう。清廉潔白に生きて自殺するより、悪いことしながらでも生きてることがず っと偉いこと、いちばん偉いことだよ」(敬称略)(この連載は編集委員・安藤明夫が担当 しました) 児童養護施設の巣立ち祝う エールを贈るコンサート 東京新聞 2015 年 2 月 17 日 自らも施設で育った渡井隆行さん(左)らの演奏に聞き入る子どもたち=高崎市で 今春の高校卒業に伴って児童養護施設を巣 立つ子どもたちを祝福するイベント「エールを 贈るコンサート」が十五日、高崎市の新島学園 短大で開かれた。 主催は、NPO法人オレンジリボン・子育て 支援団体「Mother of Pearl」 (高崎市)。大勢で卒園を祝おうと、四年前か ら県内の各施設に呼び掛けて開いている。今年 は六施設から卒園予定の十六人が参加し、施設 職員やボランティアら百三十人が駆け付けた。 みどり市出身のお笑いコンビ「アンカンミンカン」も、一昨年からトークで会場を沸かせ ている。 児童養護施設を退所した人を支援する東京都内のNPO法人「日向(ひなた)ぼっこ」 の理事長で、自らも施設で育った渡井隆行さんはボーカルグループ「VOXRAY」で出 演。 「僕は卒園する時、自由を感じた。皆さんも羽ばたいて」と呼び掛けた。 四月から寮に移り、美容師として働き始める女性(18)は「施設での生活はとても楽 しかった。一人でやっていけるか不安だけど、いろいろな人の髪を切るのが楽しみ」と話 した。 児童養護施設は保護者がいなかったり、虐待を受けたりした子どもたちが暮らし、原則 十八歳で退所する。 (伊藤弘喜) 障害者手作りのお菓子など販売/高松市役所 四国新聞 2015 年 2 月 17 日 丹精込めて作ったお菓子や手芸品などが並ぶ「高松ふれあいの店」=高松市役所 香川県高松市内の小規模作業所に通う障害者らの手作りの品を集め た「高松ふれあいの店」 (同実行委主催)が16日、高松市役所1階市 民ホールで始まった。各施設で丹精込めて作ったパンやお菓子、手芸 品などが販売され、来庁者でにぎわっている。19日まで。 ふれあいの店は、障害者の社会参加の場をつくろうと、2001年度から毎年開催。今 回は市内の13施設が参加した。 ワゴンの上には、パウンドケーキやクッキー、野菜をたっぷり使った弁当などがずらり。 布バッグやニットの手袋のほか、ひなまつりにちなんだ焼き物のひな飾りもあり、来庁者 がお薦めなどを聞きながら次々に買い求めていた。 会場では、高松ボランティア協会が昨年募集した詩集絵本の応募作品も展示。障害者が つづった詩とその詩に合わせて描かれた絵を見ることができる。 Listening:少年院教育に新課程 法務省方針、障害特性を配慮 毎日新聞 2015 年 02 月 17 日 非行少年に占める知的障害や発達障害の割合が高まり、一般少年院や医療少年院では個 人の発達や障害の特性を踏まえた配慮が十分できないとして、法務省は新たな課程を設け る方針を決めた。障害がある少年向けの処遇課程の改編は、現行制度の大枠ができた19 77年以来。医療少年院の人員に限界があるため、全国20程度の一般少年院に新課程を 置き、社会復帰を支援する。 非行少年の処遇課程は年齢や非行の傾向、心身の故障の状況などにより分類されている。 少年院では一般的に教科教育、生活指導、職業訓練などが行われ、医療少年院には身体や 精神に疾患がある少年を処遇する「医療措置課程」と、知的障害や発達障害など情緒面に 問題がある少年を受け入れる「特殊教育課程」が置かれている。 法務省によると、89年と2013年に医療少年院に収容された少年は、それぞれ37 2人と293人。うち身体疾患の占める割合は33%から7%に減少し、知的障害は30% から42%へ、情緒面に問題を抱える少年は22%から42%へと増加した。暴走族が絡 むような暴力事件が減る一方、障害の認知が進み、かつては一般少年院に収容されていた 少年が医療少年院に入るようになった可能性がある。 法務省によると、知的障害や発達障害がある場合でも状況に応じて一般少年院に入るこ とがあるが、近年は医療少年院と一般少年院のどちらに入所させるか判断が難しいケース も増加しているという。 新教育課程は今年6月にスタート予定で、一般と特殊教育の境界線上にいる少年を受け 入れる。こうした少年は自己評価が低い傾向があるため、社会貢献活動を通じて自信をつ けさせる教育内容も検討している。 発達障害者の支援に取り組み、少年矯正制度の見直しを議論した有識 者会議の委員も務めた「日本発達障害ネットワーク」の市川宏伸理事長 (70)は「かつては発達障害という概念がなく、少年院側も非行少年 を集団に適応させることばかり考えていた。障害の特性を考え、個々に 見合った処遇に切り替えるのは当然の流れだ」と指摘している。 【和田武 士、伊藤一郎】 月刊情報誌「太陽の子」、隔月本人新聞「青空新聞」、社内誌「つなぐちゃんベクトル」、ネット情報「たまにブログ」も 大阪市天王寺区生玉前町 5-33 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 社会政策研究所発行
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