セロトニン神経の性差と生殖制御における役割

人間科学研究 Vol.28, No.1(2015)
博士論文要旨
セロトニン神経の性差と生殖制御における役割
Sex difference in serotonergic neurons and the role of serotonin on reproduction
伊藤 広幸(Hiroyuki Ito)
指導:山内 兄人
緒言
の大縫線核(RMg)のセロトニン免疫陽性細胞数を計測し
本研究は、
セロトニン神経の性差および発達を明らかにす
比較した結果、雌においてはDR, MR, RMgのいずれの部位
るとともに、セロトニン神経系の生殖制御における役割を探
においても免疫陽性細胞数はPCPA投与にかかわらず生理
るために脳内エストロゲン受容体との関係について、ラット
食塩水投与群(対照群)と差異はなかった。一方、雄では、
を用いて検討したものである。
PCPA投与群のDRおよびMRのセロトニン免疫陽性細胞数
セロトニンは、アミノ酸のL-トリプトファンから生合成さ
は対照群に比べ有意に少なかった(図1)
。雄のRMgにおい
れるインドールアミンであり、哺乳類の脳においては神経伝
てはPCPA投与群と対照群に差は見られなかった。
達物質として神経細胞から分泌され、本能行動、情動、生殖
これらの結果より、DRとMRのPCPAに対する反応性に
など多くの機能の制御にかかわっている。セロトニンを神経
性差があること、しかし、延髄のRMg ではPCPAに対する
伝達物質とするセロトニン神経の細胞体は中脳から延髄に
反応性に雌雄差がないことが示された。これは、PCPAに対
かけて存在する縫線核に多数あり、脳や脊髄の広範囲に神経
する反応性が縫線核によって異なることも示すものである。
投射している。セロトニン神経の機能には性差があることが
このようなPCPAに対する反応性の違いはセロトニン合成
知られており、
脳内セロトニン量にも性差が報告されている。 の酵素の性差や部位差に起因する可能性がある。
セロトニン合成阻害剤のパラクロロフェニルアラニン
(PCPA)はトリプトファン水酸化酵素を阻害する作用があ
り、セロトニンの機能を解析する際によく用いられる。
ラットにおいてはPCPA投与が雄における雌型性行動で
あるロードーシス行動を促進すること、雌における雄型性行
動を亢進させることなどから、セロトニン神経は性行動の性
差形成にも関与していると考えられる。生殖機能の多くの中
枢がある視床下部では、ラットにおいてセロトニン神経線維
の量に性差があるとされている。
脳内セロトニン神経細胞体の半数以上は中脳縫線核にあ
り、前脳に神経投射をしている。一方、延髄縫線核のセロト
DR
MR
図1.Mean numbers of 5-HT-ir cells per 1mm3 (density) in the
dorsal raphe nucleus (DR) and median raphe nucleus
(MR) in the saline or PCPA-treated female and male
groups. Bar on the top of each column shows SEM.
*p<0.05 vs. saline treated group
ニン神経細胞は脊髄方向に神経投射をしている。
セロトニン神経系の発達、セロトニン神経の機能、特に生
実験2:縫線核セロトニン神経の生後発達
殖機能制御における働き、雌生殖機能制御の重要なファク
セロトニン神経の性差や機能における性差を考えるには
ターであるエストロゲンとその受容体について、以下の3つ
縫線核の生後発達を知る必要がある。そのため、前脳の生
の実験を行い知見を得た。本研究はすべて早稲田大学実験
殖機能制御に関わる多くの神経核に神経投射をするDRと
動物指針(承認番号08J003, 08J012, 09J006, 2013-A097) に
MR のセロトニン免疫陽性細胞数の変化を5、15、30日齢
従い行った。
および成体の雄ラットにおいて調べた。
DRの背外側(lDR)、 背内側(dDR)
、腹内側(vDR)
、
実験1:縫線核セロトニン神経の性差と部位差
MRの一定面積内のセロトニン免疫陽性細胞数を計測した
中脳と延髄の縫線核におけるセロトニン神経そのものに
結果、5日齢ではDRの面積は成体より小さく、dDRのセロ
着目し、その性差と部位差を明らかにした。雌雄ラットの生
トニン免疫陽性細胞数は他の部位より多い傾向にあった。15
殖腺除去1週間後、100 mg/kg BW PCPAまたは生理食塩
日齢ではDR面積が成体と同程度になり、lDRのセロトニン
水を4日連続腹腔内投与し、最終投与の1日後に灌流固定し
免疫陽性細胞数が有意に他の領域より多くなった。一方
脳を摘出した。その後、凍結切片を作成し免疫組織化学染
MRのセロトニン免疫陽性細胞数は5日齢から成熟ラット
色を行った。
と違いはなかった。
中脳の背側縫線核(DR)
、正中縫線核(MR)、および延髄
これらの結果は、DRの面積が出生5日から15日の間に
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急増し、lDRのセロトニン神経発現細胞がその時期に急激
結語
に増えることを示している。一方、MRは5日齢の早期に
実験1において、生殖腺除去雌雄ラットにおけるセロト
成体と同程度に発達している可能性を示している。
ニン合成阻害剤であるPCPAに対する反応性をセロトニン
発現細胞数により調べたが、DRとMRの反応性が雌雄で異
実験3:セロトニン神経による視床下部エストロゲン受容
体発現の調節
なることが明らかになった。DRは雌生殖機能の排卵、
性行
動、妊娠制御に影響力を持つことが知られており、一方、
生殖機能の制御に関係している視床下部の神経核には
MRは雄の性行動に影響がある。このようなセロトニンの
ERαが豊富に見られる。ERαの発現はエストロゲンなど
働きの違いの根底に、縫線核のセロトニン神経そのものの
のステロイドホルモンが直接神経細胞に作用して調節をし
性差が反映されているのであろうと考えられる。
ていることはよく知られている。
一方、この実験では、延髄のRMgにはPCPAに対する反
雌ラットの排卵前日に分泌される大量のエストロゲンは
応性に性差はなかった。延髄の縫線核は脊髄にセロトニン
視索前野前腹側脳室周囲核(AVPV)など、視索前野に働い
神経を投射しており、その機能に雌雄差がないのかもしれ
て排卵を引き起こすとともに発情状態を誘起し、発情した
雌は雄のマウント行動によりロードーシス行動を発現する
ようになる。エストロゲンはロードーシス促進センターで
ある視床下部腹内側部(VMN)に作用し、抑制センターであ
る外側中隔(LS)の抑制力を解除することで、発情状態を生
じさせると考えられている。このような生殖機能に関わる
ほとんどの部位にエストロゲン受容体(ER)が存在する。雌
ラットの脳内では性周期にそってERmRNAの発現が変
化することが報告されている。
生殖制御に関わる視床下部のエストロゲン受容体α(ER
α)の発現に対するセロトニン神経の影響を見るため、卵
巣除去ラットにPCPAを投与して、AVPV、VMNの腹外側
部(vlVMN)
、弓状核(ARCN)におけるERα免疫陽性細
胞数を測定した。また、DRを高周波破壊したのちに、同じ
ないが、その点は科学的な解析が必要である。
実験2では、生後5日から30日までの縫線核セロトニン
神経の発達を検討したが、DRとMRでは異なった発達パ
ターンが見られた。DRの面積は5日から15日にかけて急激
に増加するが、MRは5日にすでに成体と同じ程度であっ
た。セロトニン神経細胞密度もDRの三つの区域の中でlDR
では5日から15日に急激に増加が見られたが、dDR、vDR
ではそのような増加は見られなかった。lDRは成体におい
て、他の領域より明瞭なセロトニン神経細胞のクラスター
が見られ、生殖に関係する前脳の部位への投射もほかの部
位より多いことなどを考えると、lDRはその機能の発達の
反映として、異なった生後発達があるのだろう。MRは面
積と同様、セロトニン神経細胞密度の変化は5から30日、
くAVPV、vlVMN、ARCNにおけるERα免疫陽性細胞数
さらに成体に至るまであまり変わりがなく、5日ですでに
を測定した。
機能的にも成体に近いものがある可能性がある。生体にお
AVPVにおけるERα免疫陽性細胞数はPCPA投与群にお
ける前脳への投射も両側に同じ程度の投射があることな
いて生理食塩水群よりも有意に高かった。一方で、vlVMN
ど、DRとは異なっていることも考慮すべきであろう。
とARCNでは差がなかった(図2)
。またDRを高周波破壊
実験3では、雌ラットにおいて、視床下部の中で、特に
し同様にERα免疫陽性細胞数を計測すると、PCPA投与と
視索前野前腹側脳室周囲核(AVPV)のERα発現を背側縫
同様にAVPVでのみ対照群よりも有意に高かった。
この結果
線核からのセロトニン神経が抑制していることが明らかに
から、AVPVにおいてはDRのセロトニン神経系がERα発現
なった。vlVMNやARCNではそのような働きは見られな
を抑制していることが世界で初めて示された。
かった。AVPVは排卵機構においてエストロゲンが作用す
る部位として知られているが、今回示されたAVPVのERα
発現抑制が排卵調節にどのように関与するのか今後の実験
が必要である。
本研究で得られたいくつかのセロトニン神経の性質や働
きは、セロトニン神経による生殖機能制御や性差形成のメ
カニズムを解明する基盤となると考えられると同時に、ホ
ルモン感受性の高い乳がんなどの原理解明、さらにはセロ
図2.Representative photomicrographs showing ERα-ir cells in
the AVPV, vlVMN, and ARCN in saline- or PCPA-treated
female rats. Scale bars indicate 200 µm. (A)
Mean numbers of ERα-ir cells per mm3 (density) in the
AVPV, vlVMN, and ARCN in female rats. Error bars on
the top of each column show ± SEM. *p < 0.05 vs. salinetreated group.(B)
トニン神経系の障害により生じる病気に対する薬物の開
発、また男女への投与の違いなどを考える時に重要なもの
となるものである。
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