九 重 か らここ の え へ KO KO NO E F reePa p er 2016.3 特集 「平均的集落 」 九重町松木後辻 九重町には130を超える集落があります。 大きなところ、小さなところ、さまざまですが、 今回は世帯数と人口、どちらも平均になる集落 ( 平均的集落 ) に注目しました。 小さな手仕事 梅 木 教 義さん / 甲 斐 美 穂さん コーヒーの時間 廣 畑 颯さん / 戸 髙 朋 子さん・晋 輔さん 山のうえで「いただきます」 取 材 協 力:小 野 澄 枝さん / 内 野 里 美さん 登った 山:一 目 山( ひとめ やま・いちもくさん ) 1 04 小さな 手 仕 事 small and great job 話し手:竹 箸 梅 木 教 義さん、箸 袋 甲 斐 美 穂さん 文 章:日野 梓 / 撮 影:N a o k i 、R y o 職 人の 手 が 生 み 出 す もの 竹 箸 梅 木 教 義 さ ん( 東 飯 田 ) 「箸は正確に持ちなさい、 箸を持ったら背筋はしゃんとしなさい」 無心で竹と向き合う。 「何も考えない、無ですね」 竹箸を作り初めてから十 数年、ぐーっとひとつの事に 集中するのは根本に「好き」 見単調で同じ作業の繰り返 が無いと出来ない事だ。一 しだが、竹は生き物で、い えて最終的に同じにするのだ。 幼い頃、 家 族で囲む 食 卓で父は私 達 兄 妹に 何 時もうるさく言ったものでした。 竹箸を作っている梅木さんを取材すると決まった 時、頭に浮かんだのはそんな幼き日の記憶だった。 にはちゃんと手入れした道具が必ずいる」 「腕が良いだけではダメ、いいものを作る為 はない。その違いを見極め微妙な調整を加 梅木さんもきっと背筋のしゃんとした方なのだろうと。 つも同じ様に形や質感が揃っているわけで 初めてお会いした梅木教義 の ( りよし さ ) んは、 一見小柄で温厚、簡単に言うと田舎の愛すべきお した。 竹 箸 作りの作 業を 拝 見する為の部 屋に 置 麗な手さばき、整えられた道具一式。最 道具をしまうまで。無駄の無い動き、綺 竹 箸 作りの一連の流れ、 道 具を 用 意して 考えただけで頭が複雑になってしまう。 かれた道具一式の前に静かに正座する梅木さん。 後の道具が仕舞われた時、私はまるで茶 その道具をメンテナンスする道具も必要と なれば…道具の道具の道具!ということだ。 青 竹の香りがほのかに 香る。 本 業のクリーニング じいちゃん。しかし、私はその内に隠れた強い職 店と釣具屋の仕事の合間に行う竹箸作り。 な気分でいました。 「大変おいしゅうござ 人 気 質に 最 初のうちは 気 付く 事が 出 来ませんで 普段は静かに独りで 日 〜 時間、集中し て作業を行うのだから、今日みたいにギャラリー うな。背筋がしゃんとした瞬間 でした。 いまし た 」そんな 言 葉を 言ってしまいそ 4 梅木さんが竹と向き合う時、何を想うのだろう。 の少しの縮みも感覚的に分かってしまうのだ。 うちだ。 長きに 渡って竹を 見つめていると、ほん させて「枯らす」。枯らして竹が縮むのも計算の なった、そう感じました。 に馴染んで行くということ。箸の持ち方が綺麗に になって気づいた事は、吸い付くように自分の手 梅 木さんの竹 箸で毎 日ご飯を 食べるよう 室に正座してお抹茶をいただいた時の様 自ら竹を切り出し、厚みと長さが一番ちょうど良 が多いのはいささか困りものだろう。 3 い竹の節だけ 切り取り、 程よく 水 分を 抜き 乾 燥 1 小 さ な 心 遣 いの 記 憶 箸袋 小松別荘 甲斐 美穂さん (飯田) 「あのひとに ま た 会いたい、 進められる。沢山のちぎった色紙の山の中から「こ の場所で、誰にも邪魔されず、ただ淡々と作業が まるできらきら光る色紙の海のようだ。 れだわ」と思う色や柄を選び取る。 甲斐さんの細い指先は繊細な仕事をする。けれ ど、人一倍の集中力と根気がいる。殆ど気付かれな 「夫(小松別荘の主)のお料理を喜んでくださるお 私たちはそのモノをより大 切にするだろう い脇役な存在の箸袋に気持ちを込めて丁寧に作る。 箸袋でした。飽き性な私ですが、これだけは続け それが 、 人の手によって作られたモノならなおさら あの場 所へま た 行き たい」 旅の終わりにこんなことを思ったことはないだろ うか?旅の記憶にずっと残るのは、その土地で出会っ あるお客様は若女将の手作りだと知ると箸袋を 持ち帰りたいと言ってくれたりと、小松別荘に泊ま てこれました」 るお客様はとても喜んでくれるのだ。 今回、BASAREの取材が決まった時いちばん 喜んでくれたのは、美穂さんのその姿をずっと見て そこに込められた想いに気づいたとき 客様の為に自分も何か出来ないか?と考えたのが た人の温かさや笑顔、小さな心遣いだったりする。 小松別荘の若女将はまさにその言葉通り、 「また 会いたい」と思わせてくれる魅力を持った人だ。 きた従業員だった。インタビュー中、共に助け合いこ 大切なお客様からの褒め言葉や嬉しそうな反応 を見てまた頑張れる。 甲斐美穂さん。 初めて会う人も、甲斐さんの笑顔に緊張した心 がゆっくりと溶けていくのを感じるだろう。 に手作りなのである。箸袋の片隅にちぎり絵のよう こまできた従業員のことを、常に想い語る美穂さん。 甲斐さんの人となりがわかるのが、宿のお料理を 食べる時の箸を入れる〝 箸袋 〟 だ。一つ一つ丁寧 にお気に入りの色紙を散りばめる。 すぐに感じ取ることが出来た。 そんな美穂さんが、みんなから愛されていることは、 一つとして同じものはない。 いつも箸袋作りの作業場と決めているお気に入り 慢であり、誇りなのだ。小さな手仕 従業員にとって「若女将の箸袋」は、 ひとりでも多くの方に伝えたい宿の自 事に込められた大きな想い。 またひとつ大切なことに気付かされ た出会いだった。 小 さなもの は 愛 おしい 充実させるための決まった行動 人にはそれぞれ自分の時間を 人が集まる空間をつくりたい 自分と自分のまわりの人たちの 時間を豊かにしている 廣畑 颯 さん 人に出会うことができました。 Hayate 「 両 親が一息ついている 姿を 見 て、コーヒーってそんなにいいも のなのかな?と 思ったのが 最 初 を 始めると、どんどんコーヒー です」そんな彼もカフェでバイト の世界に魅了されていきました。 岡山県出身の廣畑颯さんは昨 年十月に九重町の地域おこし協 力 隊に着 任したばかり。 高 校二 年の時、同世代の協力隊員に出 会い、まちづくりに興 味を 持ち 大 学に進 学。しかし、もの足り ちづくりの現 場(九重 町 )に身 なさを感じて大学を休学し、ま を移しました。 なぜ九重町に?の質問に、 「自 然 が豊かで都 会とのアクセスも 抜 群。 住んでいると 気 づかない ことを、そとから 来た僕たちだ から 伝えることができる 部 分っ てあると思うんです」 緒の廣畑さんは続けて語る。 1人でコーヒーを飲む時 間は、 まちづくりに関わる本といつも一 れているから、 ま ずは 僕の淹れ 「でも、一人でできることは限ら C OF F EE 撮影:N a o k i ・ GD H AYAT E + ーの時間 今回は、「コーヒーを淹れること」で、 (ルーティン)があります。 (野上) コーヒーをきっかけに たコーヒーで皆さんが会 話を楽 かが広がる気がするんです」 しんでもらいたい、 そこから 何 確 か に、 コ ー ヒ ー の 醸 し 出 す和みの空 間は、 人の心をひら アイディアを生む。いつからか、 かせ、 おしゃべりにさ せ、 良い コーヒ ーをきっかけに、 人が集 ようになっていた廣畑さん。 まる 空 間をつくりたいと 考える コーヒ ーの香りに包まれなが らまちづくりを語り合う。 今あ ドすることで、 新しい味のコー る 資 源に 彼の熱い思いを ブレン るのが今から待ち遠しい。 ヒー( 未 来の九重 )ができあが 4 (野 上 ) 戸髙 朋子 さん ・ 晋 輔 さん Tomoko & S h i n s u k e コーヒーを楽しむ人が 木をふんだんに使った自 宅は 二人のハンドメイド、カフェの雰 囲気すら漂う空間。そこに自家 焙 煎の芳ばしい香りが立ち込め ています。 戸 髙 朋 子さん晋 輔さ ようなカトラリーから 大きな家 んは、 木を 材 料に、スプーンの + 具まで作る職人さん夫婦。戸髙 文 章 : N ao hi r o C OF F E E 家のコーヒ ーの始まりは奥さん 保 存 用の大きなビンには、 様々 コーヒー T OD A K A の朋子さんからでした。 自 家 焙 煎への疑 問をありったけ な種類の生豆のストックが。 うかがってみました。 なぜ自家焙煎を? いっぱい飲みたくて」 「 有 名 な 豆のコ ーヒ ー を おなか 自家焙煎って高くつくのでは? 店で買う豆代と同じくらいです」 「いえ、生豆と道具のコストは、お 正直、手間じゃないですか? 「煎るのは五日に一度、一五分くら る音や香りを楽しんでいます」 い。煎りや挽きの時間は豆の弾け 自家焙煎の良いところは? 「実は安くてうまくて安全なんで 頂いたコーヒーは格 別。 自 家 焙 す」 煎のハードルが下がった気がして、 る皆がそう思いました。 「 自 分 もしてみたい」 。 そこにい 新聞やインテリア雑誌を読みな がら過ぎてゆく戸髙家のコーヒー の時間は日常に溶け込んでいく。 「カフェって魔法の言葉だね、そ 九重にコーヒーを楽しむ人が増 れだけで人が近寄りやすくなる。 気にする力があると思う」と語っ えるといい、コーヒーには町を元 てくれた 朋 子 さ ん。一杯のコ ー る力。活用しない手はないようだ。 ヒ ー がもつ、 人とひとをつなげ 5 増えるといい 平 均 的 集 落 Ushirotsuji 1/134 Kokonoe 特集 大 分 県 玖 珠郡 九重町 松木 後 辻 世帯数 19 戸 人口 50 人 (2016 年 3 月時点) 主な産業 農業 そこには 、 まちの 魅 力の 最 大 公 約 数 がつまっていました ま ちの 暮 ら し は 、一人 ひ と りの 住 民 、 家 族 、 集 落 、 地 区 と 徐々に 単 位 を 広 げて 成 り 立って いま す 。 そ れ ぞ れの 単 位に は 、 日々の 暮 ら しで 大 切 にしていき たいこ とや 不 安 な ど 、いろいろ な 思 いが 積み 重 なっていま す 。 そ ん な 思いは 、 み ん なで 共 有 するこ とが 大 事 じゃないかと 思いま す 。 共 有 す る こ と で 、 楽 しいこ と は よ り 大 き く 、 不 安 なこ と は よ り 小 さ く な り 解 決のヒントが 見つかるこ と も あるかも し れ ません 。 集 落 ( 行 政 区 ) もいろいろ なこ と や 思いが 交 差 し 、 共 有 で き る 場 所 で す。 九 重 町に は 13 0を 超 える 集 落が あ り ま すが 、 今 回 は 世 帯 数 と 人 口 、 ど ち ら も 平 均に なる 集 落 平 ( 均 的集落 に ) 注 目し ました 。 平 均 的 集 落 を 見るこ と は 、 よ り 多 くの 人に 共 感 して も ら える ま ちの 魅 力 を 発 見 するこ とで あ り 、 ま ちの 未 来へのヒントが ある と 考 え たか らで す 。 今 回は 、 そのひとつ、 後 辻 を 訪 れ ま し た 。 6 プルパイ、近所のみなさんによると、とってもお 佐 藤さんの写 真は、 後 辻のがんばりにもきっ と貢献しているはずです。 それが後辻のいいところ」 「ここの人たちはみんながんばるよね。 いしかった そうで、ぜひもう一度 食べたいとの声 所に 出 くわし ました。木 立の 中の 刈 り そろえら 以 前 はアップルパイも 作っていました。このアッ を聞きました。 れた草の上にはベンチや椅 子があり、そのわきに 後辻は竜門の滝からクルマで 分ほど行ったとこ 土手の草がきれいに刈り込まれていて、集落全体 ろにあります。まず印 象 的なのが、 道 路わきの 佐藤さんは「地元の写真家」としても有名で す。 家( 写 真 館?)におじゃますると 家じゅう がまるで箱庭のように手入れされていることです。 サイズの写 真 が部屋の壁や天井(!)に約100枚、それが 年 八(ゆうや)さん。 年ほど 前から手 入れを 始め、 は 手 作 りのブランコ( 写 真 )。ここの主が藤 原 祐 さらに、集 落 内を 回っていると、公 園のような場 ひと りの人が 、 に写 真が飾られていました。 A (注) あるいは小さなお 店一軒が 地 域 を 変 えることはある 部 屋 + αなので全 部で5 0 0 枚というところ。 草 刈りも欠かさず、彼 岸 花も植えています。今は 回ペースの と 佐 藤 さ ん。 写 真 歴 は 藤 原 さんちの休 憩 場 所になっていますが、「 地 元 植 樹したケヤキとエンジュがアーチ状になる さっそく後辻探検を開始。 す。後辻集会所にも佐藤さんの写真がたくさん の際の写 真 係としても 重 宝 な 存 在になっていま ずれはイベントもやってみたいと話していました。 の人の憩いの場になればいいなあ」 と藤原さん。 い 30 1 ト、たちまち人気スポットになりました。フレッ 発見につながっていると思います。それが、よく 佐藤さんの写真を見ることは、集落の魅力の再 地域を変えることはある 」 佐藤さんの写真館、藤原さんちの公園は、そん (注) シュで甘みも程よい佐 藤さんのリンゴには数 多く な存在だと思います。 ベンチや椅子は同じ方向を向いていますが、 形や色が不揃いで、それがかえっておしゃれ。 手 入 れされた 集 落にも 通じているのではないか 地元の写真家・佐藤 信義さん と。佐藤さんは、こう話します。 気付くことがあります。後辻の人たちにとって、 2 ある人がこんなことを言っていました。 「ひとりの人が、あるいは小さなお店一軒が 後が完 成 予 定だそうです。 ヶ月に 農 作 業 をしている 男 性がいたので声 をかけて みました。その方がリンゴ農家の佐藤信義さん。 来 事 も、いい写 真になると、 その 良 さに改めて 飾られていました。 普 段 見 慣 れている 風 景や 出 風 景を 撮ったものが多く「 青 空が一番 好きだね」 もともと作っていた梨に加え、リンゴづくりを始 年 前。 現 在は 年 、 集 落の 行 事 な ど 6 3 アールほどの栽 培 2 4 どで余ったリンゴは、 妻のスズ子さんがジャムに。 規模です。 年ほど前からはリンゴ狩りもスター めたのは約 15 のリピーターがいるようです。 また、 規 格 外 な 7 3 佐藤さんは梨も作っています。作業中の畑におじゃます ると、なんと薪ストーブが。傍らにはコーヒーセット(イ ンスタントじゃない!) 。コンテナがイスとテーブル代わり。 (注)「実践 ! 仕事論」 小山 薫堂・唐池 恒二(講談社)より 公園の主・藤原祐八さん・節子さん夫婦。 10 20 みんなでつくる 平 均 以 上 集 落 後辻では ヶ月に 回、「組寄り(常会)」が あります。ここにもおじゃましました。 代の 人が参 加。 最 初はお茶のみのつもりで そうです。「とっても 楽しかったです。 また 開き し たが、いつの 間にか 本 格 的 な 食 事 会になった 女性約 代から これからは、いろいろ な 面で女 性の力が必 要 だといわれています。 後 辻は、 昨 年 初めて女 性 に巻き込まれることも防げます。 参加というのがミソで、このことで高齢者が犯罪 まわりに「 元 気ですよ」と 伝える仕 組み。 全 戸 ピンク色の「みんなの旗」を朝から夕方まで掲げ、 田 地 区で取 り 組 まれているもので、 集 落 全 戸で 高齢者などの見守りを目的に、後辻のある東飯 ることが決まりました。この運動は、一人暮らし うです。この日は「みんなの旗 」 運 動に参 加す まず驚いたのが、 子 ど もが参 加していたこと ( 写 真 上 )。 時々大 人についてくることがある そ 1 たいね」という声も聞きました。 でいつも出るの 後 辻のイベント が、 野 上 ナ ツ 子さんと坂本礼 子さんの漬物で しばし主役にな の おいしさから ります。 野上 ナツ子さん 後辻はイベントもたくさんです。年間で 回程度。そのうち毎年 月 にあるのが、どんど焼きと新年会です。どんど焼きのやぐらは約 メー イベントの名わき役 さくしてきたそうです。お年寄りも参加しやすいように家まで迎えに行 トル。以前はもっと大きかったそうですが、負担がかからないようにと小 程を、遠方に住んでいる出身者も帰って来やすいようにあえて土曜日に。 くほか、小正月(こしょうがつ)の行事のため平日になることも多い日 出身者と旧交を深めることは、ふるさとの良さを改めて感じる機会にな るだけでなく、たとえば集落に残った高齢の親の緊急の際、遠方に住ん でいる家族にスムーズに連絡を取れたりできます。 均的集落かもしれませんが、「みんなの旗」のような日常的なひと工夫 これから心配ごとが増えていくだろう集落にとって、出身者とのつな がりは心 強いはず。そんな取り 組みを 見ていると、 後 辻は見た目は平 や、集落内外とのつながりを増やすことで、実は平均以上集落になって いるのではないかと思いました。 伝 えられ て おり、 付 近 に は 江 戸 時 代 のものと思 わ れる 石畳の道が 残っています。 にわとり汁。各家庭で少しずつ味が 違うそうです。昔は正月やお祭りな ど人が集まるときのごちそうでした。 「筑前煮」や「がめ煮」よりつ ゆ だくなのが「にわとり汁」だそう。 後辻の奥まったところに地元の人し か知らない遊び場所を発見。夏、地 元の子どもたちは、ここで滝滑りを 楽しんだそうです。全長約 30 メート ル。ミニミニ竜門の滝といった趣です。 後辻全体が眺めの良い場所です。 真正面に見えるのが宝山。 絶好の夕焼けスポットです。 後 辻 の 山 奥 に鍛 冶 原( かじ Gift 町という遊 郭 の 存 在も言 い 後辻のうれしい日常 食 後 辻のひ みつの遊び 場 後辻の夕焼けスポット き役ですが、そ 酢漬け。醤油と 酢と梅干を使っ た大根漬けは、 うまみさわやか な名品です。 7 す。まさに名わ 坂本 礼子さん 1 だけの「 組 寄り 」をしました。 70 糠漬け、高菜漬け、白菜。 特に高菜漬けは味、色 合いとも絶品と評判。 1 6 20 後 辻のむかし Play 後 辻 の イチ 押し!!情 報 Food Spot 15 きば る ) という場 所 が あり ました。これ は か つ ての 精 くの 人 が 行 き交うにぎ や か 錬 所 の 名 残りで、 当 時 は 多 な 場 所 だった そうで す。 柳 8 すぐ そ ばにある 本 物のまちの 魅 力 今 回の取 材で、ある住 民の方から「 何もない ところと 思っていたけど、 考えてみるといいもの がたくさんあるなあ」という声を聞きました。 九 重 町は、たくさんの魅 力があるのに、 そのこ とに気づいていない人が多いとよく 言 われます。 後 辻 の お 土 産 ・ ナシ 青 空 を 果 実に 詰め 込 ん で 故佐々木静夫さんの呼びかけにより 軒の農家が ヘクタールの規模 後辻でナシの生産が始まったのが終戦後すぐ。それが大きく羽ばた くきっかけとなったのが、1975年の豊水園ブランドのスタートです。 歳、写真)によると、園の名前はナシの品種から。現在 できるし、その積み重ねこそが、 借り 物でない、 ます。その魅 力は、 他の集 落でも見 出すことが 大 公 約 数( 共 通 点が多いという意 味 )と もいえ ただ、高齢化や後継者不足などで、農家数は減っており、現在豊 水園に参加しているのは 軒(藤原光明さん、淺岡晴一さん、佐々木 由になってしまいましたが、 ナシづくりを支えに奇跡的に復活しました。 役で、家族曰く「ナシの生き字引」 。昨年は軽い脳梗塞から体が不自 重町を代表するナシ園のひとつになりました。ナガ子さんは今でも現 大変だった」と話します。しかし、参加農家の努力が実り、今や九 のナシ園はもともと放牧地だったそうで、「最初は石取りや草刈りが 子さん( 家が参加する形になっています。当時を知る佐々木農園の佐々木ナガ で参加。豊水園は一つの経営体ではなく、その名のもとに独立した農 14 本物のまちの魅力です。 平均的集落の後辻の魅力は、九重町の魅力の最 18 洋介さん)で経営規模は ヘクタール。それでも毎年多くのお客さん 3 とによって、 地 域 が 豊 かにな り、 豊 かになった これからは「 与え合うこと 」も大 事です。 自 分の持っている 時 間や力 を 地 域に「 与える 」こ が訪れます。 なさんにもたくさん食べてほしいとのこと。実はナシづくりは 年仕事。 1 な被害が出るなど苦労が絶えませんが作業の手を休め、ふっと家族 「冬も家族総出で剪定作業に追われます。昨年は台風に襲われ大き ちゃんたちの漬物は、まさにこの「与え合うこと」 うれしいですね」 の働いている 姿 を 見ること。 それも 藤 原 さんの 公 園、 それにイベントのと きのおば 地 域がより 豊かになること。 佐 藤さんの写 真や 地 域からまた与えられ、 結 果 的に個 人の生 活や 佐々木さん家族は、「やっぱりお客さんからおいしいと言われるとう れしいですね。これからもていねいにつくっていきたいです」 。地元のみ 10 です。 与 え 合い、いろいろ な 人 とつな が り を 築 き、 喜びや不安を共有しながら、平均以上の暮らし 落やまちの未来へのヒントになるはずです。 をつくること。これは過 疎 化や高 齢 化に悩む集 9 84 山 のうえ で 「 いただきます 」 On the top of the mountain "I TA DA KI MA SU !! " 今回の山のうえはここ 今回の山 難易度 絶景度 ★ ★★★ 山の名前:一目山(ひとめやま)(いちもくさん) 場 所:スキー場手前(八丁原登山口) 標 高: 1,287m 歩行時間: 20 分 ( 片道 ) ポイント:子どもから登山初心者の方まで楽しめます。 取材協力:小野 澄枝さん&内野 里美さん(東飯田) 撮影:Naoki・Ryo 青空チーズフォンデュ 挽きたて淹れたてコーヒー 珈琲豆はミルで!丁寧にゴリゴリ♪ 淹れたての珈琲は幸せ。 とろとろチーズのホットサンド 空 の 下で、 チーズフォンデュ♪ 贅沢な 時間を、 ありがとー。 絶 景を眺 めながら、 気 長に待 てば 、 はい 出 来 上がり♪ トロトロチーズたっぷりの ホットサンド。 山への興 味は 人それぞれ 私たちの身近に存 在する山は 、 日常を格 別に変えてくれる贅 沢な場 所 。 そのことに気づいたとき、 私たちの心はまた少し満たされる。 いただきまーす!! B A S A R E 的 、 山へのいりぐちは 山のうえの格 別を味 わうとこから ここのえの山のうえ、 あした晴 れたら行ってみよう。 格別 ! インスタントラーメン 山 のうえのラーメンって、 なん でこんなに お いしいんだろう。 特に、 味噌ラーメン♪ 《山のうえで「いただきます」の心得》 ゴミは出さない(持ち帰る&スープは捨てない) ガスバーナーは平らな場 所で使用する! ※火の取り扱いには十分ご注意ください。 ※ガスバーナーの使用ができない場所もあります。 思う存分、山のうえの格別を味わう! 装備 / 道具 / 山の状況など、山のことならなんでもOKの問い合わせ先 長者原ビジターセンター Tel : 0973-79-2154 11 定番!!豚汁&塩にぎり 具だくさんの豚汁には、 やっぱりシンプルな 塩にぎりで決まり! 「BASARE」を一緒に作りませんか? 取 材や記事づくりを通じて、九 重 の 良さを再 発 見してみません か 。 九重からここのえへ facebook ページはじめました! basare 情報誌 | 検索 発行日:2016 年 3 月 25 日 発行人:九重町公民館 BASARE プロジェクト 本書は、無料で配布しております。本書へのお問い合わせは下記まで。 BASARE のバックナンバーは九重町 HP からご覧いただけます。 九重文化センター 大分県玖珠郡九重町 TEL: 0973-76-3888 Mail:bunka@ to wn.k o k o no e .l g.jp Facebook ページ:https://www.facebook.com/basare.kokonoe/ 本書の一部または全部を無断で複写、複製することを禁じます。 Printed in Japan © Kokonoe Town. 「九重からここのえへ、 しあわせのおすそわけ」を テーマに、ふだん着姿のたくさ んのいいもの・いい人を町の 人が発見し、まちの人へ伝える フリーペーパーです。 *バサレとは、大分の方言で 「たくさん」という意味です。 仕事、学校、家事、趣味、余暇 一日の使い方 は 人 そ れ ぞ れ 使った 時 間を 、 自 分にとって必 要だったと 思えることはしあわせ 自 分の時 間をし あ わせに する 過ごし 方 「 好き 」をいのちきの足しにしてみる コーヒーを 囲み 、 皆との会 話 を 楽し む 暮 らしている 集 落をも う一度ふり 返る いつもと 違 うことに 挑 戦してみる お 届 けし たい し あ わせな 時 間のお すそ わ け B A S A R E の時 間 ど うぞ めし あ が れ KOKONOE F r eePap er 2016.3 04 12
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