Page 1 北海道教育大学学術リポジトリ hue磐北海道教育大学

Title
漢文テキストを演劇化する単元の提案 : 言語活動を通して古典への意欲
喚起を図る
Author(s)
大村, 勅夫
Citation
北海道教育大学大学院高度教職実践専攻研究紀要 : 教職大学院研究紀要
, 5: 57-64
Issue Date
2015-03
URL
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/7664
Rights
Hokkaido University of Education
北海道教育大学大学院高度教職実践専攻研究紀要 第5号
漢文テキストを演劇化する単元の提案
言語活動を通して古典への意欲喚起を図る
大 村 勅 夫*
1 研究の背景
国立教育政策研究所(2006)による「平成17年度高等学校教育課程実施状況調査」の結果に、高校
国語の指導について非常に注目すべきものがある。それは、国語総合そのものを「大切・どちらかと
いえば大切」な科目と回答しているものが86.4%と全教科・科目の中でトップに位置するのにも関わ
らず、漢文への関心・意欲・態度についての生徒の実態は、「漢文が好きだ」に対しては71.2%の否
定的な回答となっているものである(注1)。すなわち、国語そのものへの価値を高く認識しながらも、
漢文を肯定的に捉えている者が3割に満たないものとなっているのである。このことの理由は様々に
考えられるが、一つには、高校での漢文の指導が、訓話注釈的な指導や文法的な指導に偏っているこ
と、
一つには、論語に代表されるような教訓的な要素が前面に押し出されていること、などが挙げら
れるだろう。
特に、訓話注釈的な講義形式によっての漢文指導に対する警鐘は枚挙に暇がないほどである。小林
国雄(1981)は、「入門期の指導」「課題学習の導入」など漢文指導法のポイントをいくつもあげるが、
その前提として「とかく授業は教師の一方的な訓話注釈に終わりがちである。もとより正しい解釈は
大切であるが、訓話注釈のみでは生徒に興味を持たせることは難しい」と述べる(注2)
。佐野泰臣
(1994)は、漢文教材の指導方法、指導形態の課題の筆頭として「漢文授業では旧態依然とした板書
による講義式の方法が多く、それが生徒たちの意欲を失わせることになっているのではないか」と述
べる(注3)。加藤邦夫(2010)は、「教師は、読みを教え、意味調べをさせ、説明していく。意味や文
法、口語訳、加えて教師による時代背景や作品解説……
。しかしそのような授業では、生徒の主体的
な授業参加は保障されない」ため、古典が生徒にとって魅力的なものとならないと述べる
(注4)。訓
話注釈的な講義のみの指導が生徒の意欲を減退させた状況が何十年も変わらないままであることがわ
かる。
このことを払拭するためにどのような手段をとるべきか。大平浩哉(1997)は、「古典そのものを
楽しむことは、非常に難しいかも知れないが、古典を学ぶ過程を楽しむことは可能であるということ。
そして私たちは、生徒が古典を学習するプロセスにおいて、楽しさが味わえるように指導の仕方を工
夫することが大切である、ということ」と述べる
(注5)
。すなわち、漢文への興味を喚起するために
は、その学ぶ過程を楽しめるように指導の仕方に工夫をしなければならない。それには、いくつかの
方法がある。大矢武師(1977)は、文部省および開催県教委主催の高等学校指導者要請講座に持ち寄
られたリポートから工夫された漢文指導法などをあげている(注6)。「教師自身が漢文に親しみをも
ち、漢文を指導することが楽しいという態度で指導する」「好きな詩を選んで翻訳詩を作らせたり、
その情景を絵に措かせる」「古文や現代文学との関連を図るようにする」などである。その他にも、
*北海道教育大学教職大学院(大学院教育学研究科高度教職実践専攻)専門職学位課程(北海道旭川東高等学校)
57
大 村 勅 人
文章そのものの持つ魅力に耽溺させることや、返り点などの訓読法の作業的な面に注目させることな
どのようにいくつもの方法が考えられるだろう。本研究では、言語活動を取り入れた単元展開をする
ことを提案したい。特に、意欲喚起を図る言語活動として演劇化を取り入れた単元を提案する。
2 研究の目的と方法
本研究の目的は、この古典に親しむ態度の育成や古典学習への関心・意欲の喚起をねらいとした単
元について考察し、提案するものである。なかでも特に漢文について意欲を喚起するために、言語活
動として漢文の演劇化を取り入れた単元についてのものである。
本研究の方法としては、稿者の学校現場での実践をもとに、その実践時の学習者の状況およびアン
ケートの分析によって検証する。
3 先行研究
演劇化の授業に関する先行研究として、まず、町田守弘によるものをあげる。町田(2005a)「演劇
で目指す声の復権」は、国語科の授業において演劇単元を設定することによって国語科授業が活性化
され、「自然と他者と関わることばが発せられる」および「戯曲は読むだけではなく、演劇として上
演することによって、新たな内容が明らかにされる」とする(注7)。演劇を取り入れることによって
主体性や読解の広がりや深まりを獲得できるのである。次に、町田(2005b)「中学生と演劇を楽しむ」
をあげる。ここにおいて演劇化に適した教材の条件を述べられている。一点目は、教材の長さに関す
ることである。配当時間数などの考慮からあまり長い文章では無理がある。二点目は、教材の内容で
ある。難解でなく、生徒が関心を持つことができ、登場人物の規模が小さいものである(注8)
。とこ
ろで、教科書教材として収録される漢文にはいくつかの特長がある。それは一つに、その短さである。
これはやはり、現代日本文と異なり、読み進める上でステップがあることによる。二つに、その分か
りやすさである。これも読み進める上でのステップによるものであるが、そのため、登場人物は限ら
れ、読みやすく、生徒にもできる限り関心が持てるような内容が取り扱われている。これらの特長は、
まさに町田の述べる教材条件を備えており、漢文が演劇化をするために適したものであることが言え
よう。
2つめに、大村はま(1982)「単元学習の生成」をあげる。この中の2つの実践記録「(2)クラーク
先生」「(3)物語の鑑賞」はそれぞれ演劇化およびその発表会を行ったものである。大村はまは、「この
学習で、主体的に、積極的に読ませることを一つ覚えた。読みなさいと言ったり、細かい問いのたた
みかけではできないような熱心な読み手にさせることを覚えた」「繰り返し読ませたければ「繰り返
し読みなさい」、よく味わわせたければ「よく味わいなさい」と、させたいことをそのまま指示に言
い換えずに、しぜんに所期の目的を達したい(中略)その初歩の一歩であった」と述べる
(注9)
。教
師からの直接的な指導や声かけによって生徒に解釈行為をさせるのではなく、生徒の主体的な解釈が
演劇化によってなされていくのである。
3つめに、浅田孝紀(2008)「語用論導入による会話の意識化」をあげる。メタ言語的認識を深め
るために、生徒に会話台本を創作させ、それを演示させたものである。浅田は、「演じることでより
実感的に体得できる効果もある」「演示の間は、教室中が笑いに包まれた」と述べる(注10)
的観点を学ばせ、それを意識して表現をさせている。この語用に関するメタ認知の保持は表現にとっ
58
。語用論
漢文テキストを演劇化する単元の提案
て非常に有効なものであり、同時に、解釈にとっても大きな手段となることは間違いない。つまり、
演示によって意欲を高め、かつ、表現および解釈の手段を体得させているのである。
4つめの先行研究として、滑川道夫(1970)「朗読教育における鑑賞的機能と表現的機能」をあげる。
滑川は、朗読を「読み手の主体的・表現的な音読であるが、深く読みぬいた解釈の表現」とする
(注11)
。
そして、教育としての朗読には2つの指導と4つの機能があり、そのうちの指導の1つに「読解を深
化させるための朗読指導」、機能の1つに「理解機能(わかるための朗読)」があるとしている。つま
り、朗読とは、深化された理解によるものであり、同時に、理解を深めるはたらきを持つのである。
ただし、朗読での理解は主として心情に関するものである。より厳密に言えば、そのテキストに善か
れている人物あるいはその動作の主体となる人物についてだけのものとなってしまいがちである。例
えば、記述が無ければ、朗読によってその人物の心情が必ず追えるとは限らない。特に、古典文学は、
当時の常識をもとに善かれており、それによる省略がなされていることもしばしばである。従って、
当時と現代の常識とが異なる場合、単なる朗読ではその場にいる全ての登場人物の心情が把握できず、
限られたものとなる。あるいは、よりアレンジ演出がなされた群読では、このことは大きく解消され
るが、そこには同時性が不足している。心情は決して人物順に変化していくものではない。そのため、
登場人物それぞれの即時的な心情を補った朗読としての演劇化である。
これらの先行研究から、演劇化が意欲喚起や主体的なテキスト解釈に有効であることがわかる。た
だし、いずれも漢文テキストの演劇化については言及されていない。本研究ではこのことに着目し、
漢文教育実践にもとづき考察・検証した点に国語教育学的意義があると考えている。
3 単元内容と実践概要
(1)研究の対象
研究の対象は、高等学校普通研究の対象は高等学校普通科第3学年理系の1クラス計45人である。
そのほとんどが4年制大学へ進学する。生徒は勤勉で、学習への興味も決して低くはなく、先述した
国研のデータと同様に、国語への価値認識も低くはない。ただし、理系ということもあり、国語に対
する苦手意識は他教科のものよりも高い。漢文については2年間で、訓読などの基礎知識を学び、こ
れまでに十数編の漢文教材を読んできた。しかし、苦手意識もあることから、漢文学習への意欲は高
いものとはいえない。そのため、漢文を扱う授業では、特に意欲喚起に関する、工夫や改善が常に必
要である。
(2)単元の内容
以上を踏まえ、単元「漢文を演劇化しよう」を「古典B」で実践した。この単元では、漢文の演劇
化は、内容解釈を深めるための手段としての言語活動である。演劇化は、内容理解を図られる言語活
動でもあり、解釈の深まりが表出する言語活動でもあるが、それ以上に、演示に向けてグループで解
釈を深化していく活動である。登場人物それぞれの動きや心情、あるいは配置などを考慮しながら台
本が善かれなければならない。同時に、演者それぞれの解釈がぶつかり合いながら主体的に構成され
ていくものである。
(3)単元の目標
高等学校学習指導要領「国語総合」内容C読むことの指導事項り「文章に措かれた人物、情景、心
59
大 村 勅 人
情などを表現に即して読み味わうこと。」および、「古典B」の指導事項り「古典を読んで、人間、社
会、自然などに対する思想や感情を的確にとらえ、ものの見方、感じ方、考え方を豊かにすること」
に準拠して次の2つを設定した。
・古典の内容を主体的に読み取る力を身につける。
・古典への関心および解釈への態度を養う。
(4)付けたい力・育てたい力
・漢文を解釈しようとする態度
・字義や内容を踏まえて解釈を深める力
(5)主な教材
今回の実践においては、「人面桃花」(平成24年度版『古典B 漢文編』数研出版)を使用した(表
1)。
「人面桃花」は、教科書に採択されることも多く、ほぼ定番教材とも言えるだろう。また、漢詩が
挿入されており、その前後の文章を読むことで漢詩が効果的に解釈される教材である。さらには、現
在でも京劇などで演じられたり、映画や歌曲のモチーフに用いられたり、といった表現活動がなされ
ているように、読み手に情感を喚起させ、心情豊かで生き生きとした文章であるということが選定理
由である。また、若者の恋愛、かつ、受験生の恋愛といった学習者にとって想起しやすい状況やドラ
マチックな展開を持つ文章であることも選定理由である。
博陵雀護、姿質甚美、而孤潔寡合。挙進
士下第。清明日、独遊都城南、得居人荘。
一畝之宮而花木叢革、寂若無人。抑門久之。
有女子自門隙窺之、問日、﹁誰耶。﹂以姓字
対日、﹁尋春独行、酒渇求飲。﹂女人、以杯
水至、開門設林命坐、独借小桃斜何件立而
意属殊厚。妖姿媚態、綽有余研。雀以言挑
之、不対。目注者久之。荏辞去、送至門、
如不勝情両人。雀亦幡紛而帰。嗣後絶不復
至。
又突日、﹁君殺吾女。﹂
及来歳清明日、忽思之、情不可抑。蓮往
尋之、門聴如故、而巳鎖扁之。因題詩於左
扉日、
去年今日此門中
人面桃花相映紅
人面祇今何処去
﹁是也。﹂
桃花依旧笑春風
舌邪。﹂
後数日、偶至都城南、復往尋之。聞其中
有笑声、細門間之。有老父出目、﹁君非巻
驚起、英知所答。老父日、﹁吾女算年知書、
又特大突。雀亦感働、請人
未達人。自去年以来、常恍惚若有所失。比
日与之出。及帰、見左扉有字、読之入門而
病。遂絶食数日而死。吾老臭。此女所以不
嫁者、将求君子以託吾身。今不幸両端。得
非君殺之耶。﹂
而祝日、﹁某在斯、某在斯。﹂須東関目、半
突之、尚候然在林。雀挙其首、枕其股、突
日復活臭。父大書、遂以女帰之。
護
60
漢文テキストを演劇化する単元の提案
博陵の雀護、姿質甚だ美なるも、孤潔にして合ふもの寡なし。進士に挙
げらるるも下第す。清明日、独り都城の南に遊び、居人の荘を得たり。一
畝の宮にして花木叢草し、寂として人無きが若し。門を細くこと之を久し
くす。女子有り門際より之を窺ひ、問ひて日はく、﹁誰ぞや。﹂と。姓字を
以て対へて日はく、﹁春を尋ねて独り行き、酒渇して飲むを求む。﹂と。女
人りて、杯水を以て、門を開き淋を設けて坐を命じ、独り小桃の斜何に借
りて倖立し意属殊に厚し。妖姿媚態、綽として余所有り。雀言を以て之に
挑むも対へず。目性する者之を久しくす。雀辞去するや、送りて門に至り、
情に勝へざるがごとくして入る。雀も亦臆扮して帰る。嗣後絶えて復た至
らず。
て日はく、
来歳清明の日に及び、忽ち之を思ひ、情抑ふべからず。蓮ちに往きて之
を尋ぬれば、門謄故のごとくなるも、己に之を鎖扁せり。詩を左扉に題し
桃花は旧に依りて春風に笑む
去年の今日此門の中
人面桃花相映じて紅なり
人面は祇だ今何れの処にか去る
後数日、偶都城の南に至り、復た往きて之を尋ぬ。其の中に笑声有るを
聞き、門を如きて之を問ふ。老父有り出でて日はく、﹁君は雀護に非ずや。﹂
と。日はく、﹁是也。﹂と。又果して日はく、﹁君吾が女を殺せり。﹂と。護
驚き起ちて、答ふる所を知る美し。老父日はく、﹁吾が女は算年にして書
を知り、未だ人に適かず。去年より以来、常に恍惚として失ふ所有るがご
とし。比日之と出づ。帰るに及び、左扉に字有るを見、之を読み、門に入
りて痛む。遂に食を絶つこと数日にして死せり。吾老いたり。此の女の嫁
がざりし所以の者は、将に君子を求めて以て吾が身を託せんとすればな
り。今不幸にして鎖す。君之を殺すに非ざるや。﹂ 又特に大いに果す。雀
も亦感働し、請ひ入りて之に突すれば、尚條然として林に在り。雀其の首
を挙げ、其の股に枕せしめ、果して視りて日はく、﹁某斯に在り、某斯に
在り。﹂ と。須央にして目を開き、半日にして復た活きたり。父大いに喜
び、遂に女を以て之に帰がしむ。
表1 「人面桃花」原文および書き下し文
(6)言語活動のポイント
この単元において、様々な言語活動が考えられる。例えば、グループワークやグループでの批評な
どである。重点的なものとしては以下の3つとした。
・漢詩を朗読する
・漢文を演劇化する
・相互評価を行う
(7)単元計画(全9時間)とねらい
単元計画およびねらいは次のとおりである。
第1次 本文前半解釈および文中の漢詩朗読(3時間)
第2次 本文全文解釈および演劇化(6時間)
(8)評価の観点・方法
・「人面桃花」本文を訓読できる。(記述の分析)(知識・理解)
61
大 村 勅 大
「人面桃花」の登場人物の心情をとらえている。(記述・行動の分析)(読むこと)
・相互評価によって「人面桃花」の解釈を深めようとしている。(記述の分析)(関心・意欲・態度)
(9)学習指導の実際
第1次において、まず、「人面桃花」前半の解釈を行わせ、その解釈から本文に出てくる漢詩に適
切な朗読を考察させた。その際には、どうしてそれを適切としたかの根拠・理由を明確にすることを
強く指導した。次に、実際にペアリーディングさせ、その振り返りと改善をさせた。ただし、ペアリー
ディングの前に、どうしてそのような詠み方にするのかの根拠や理由を相互に説明させた。また、朗
読が上手であるかどうかに関してはこの単元では問題にしないこと、あくまでも、どこを・どのよう
に・なぜが大切であることを明示した。
第2次では、グループ分けをし、それぞれのグループで全文を解釈させ、それを演劇化させた。学
習者には、観点として、決して演技の上手下手ではなく、人物それぞれが場面毎にどのような振る舞
いをするか、そして、その根拠を明確にすることを提示した。特に、磋護の心情の移り変わり、中で
も老父から女の死に関して話を聞いたときの心情について考察させた。これは、「芙」の字義や全体
の文脈把握を必要とするところだからである。なお、台本の作成と提出も行わせた。また、演示の際
には相互評価させた。自グループとの違いを見出させ、そのことについて考察させた。
学習者は、それぞれに様々な演示を行った。そのほとんどが本文から荏護の心情の移り変わりを解
釈し、単に涙を流すのではなく、大きく泣き叫ぶ演技を試みていた。また、その他の登場人物、すな
わち、女と老父についても心情解釈を試み、演示していた。特筆すべきは、この女と磋護の出会いの
シーンについての演示である。教科書本文には挿絵がついており、女は桃の木にしなだれかかるよう
にいるが、彼らはそれと異なる演示をしていた。それは大きく2パターンある。1つは、桃の木の後
ろに半身を隠すもの、もう1つは、荏護を背後からそっと見つめるものである。それぞれの根拠を尋
ねると、前者については、本文に「倍小桃斜村」とあり、挿絵もあるが、しなだれかかる様子である
と、あまりに艶めかしく、後半で荏護への想いのあまりに死んでしまうものとイメージが異なるとい
うものであった。また、「妖姿媚態」とはあるが、それは荏護からの見え方であり、疑問を感じると
いうものであった。後者については、桃の木のこともあるが、それ以上に、当時の背景から考え、女
性が男性の前に姿をはっきりと現すことは不自然であり、とはいえ同時に、この女もまた荏護に惹か
れていることが後半からわかるため、荏護を見つめずにはいられない、では、それは後ろ姿なのでは
ないか、とのものであった。いずれも、女の心情を時代背景や位置関係などとも関連させて考察した
ものであった。発間外のところまでを主体的に解釈しようという態度があらわれた顕著な例である。
ところで、「人面桃花」は、その結末は、「父大書遂以女帰之」となっている。すなわち、荏護と女
の心情や行動が明示されていない。ここは様々な解釈の余地が有り得るところである。演示の多くは、
荏護と女が手を取り合い、抱き合う様子などがなされていた。しかし、あるグループは、生き返った
女が大喜びをして荏護に抱き付きにいった。このグループによると、荏護への想いが叶わず、絶望の
あまり死んでいった女であるから、その反動は大きく、荏護の働突・絶叫に相対するものとなるので
はないか、というものであった。この解釈は授業者の予想を超えていたため、急遽、学習者にも問い
掛けた。その結果内容は、半数余りが演じたグループの解釈に賛同するものであった。これもまた、
解釈への主体的な態度があらわれたものととらえる。
62
漢文テキストを演劇化する単元の提案
4 考察と課題
実践後アンケート(「「人面桃花」を演劇化した授業を通して、学んだことや感じたことを教えてく
ださい。」)の回答例をいくつかあげる。
学習者A
漢文での感情表現がよく理解できた。漢詩は読み方など難しいと思った。荏護は次の年に科挙
に受かっていたのか気になる。
学習者B
漢文でこんなに心情変化を気にして読んだことがなかったけどとても大切だと思った。文には
ない場面を想像することもこれからは積極的にやろうと思った。
学習者C
話を理解するのに大いに役に立ち感銘を受けた。ストーリーの流れを読みとり、訳すという作
業を通して得られたものはこの上なく大きかった。ただ読んで訳すという授業ではなかったので
話の中身が鮮明に私の脳裏に焼きつけられたところである。
学習者A∼Cのいずれもが、演劇化によって、解釈の深まりや漢文解釈に向けての意欲や態度を獲
得したことがわかる。さらに、学習者AおよびBの回答からは、本文の解釈ばかりでなく、本文を延
長した考えをしていることがわかる。すなわち、学習指導要領国語のいうところの「想像力」の伸長
といえるだろう。学習者Cの回答からは、単に口語訳をなそうとすること以上に演劇化が効果的であっ
たことがわかる。大仰な表現ではあるが、訓話注釈的な講義のみでは得られなかった意欲があらわれ
たことがはっきりととらえられる。
回答数は42人、そのうち、演劇化によって漢文を読む力の高まりを感じた者が17人、漢文への意欲
や態度の向上を感じた者が16人であった。ただし、演じること自体に対しての消極的な回答をしてい
る者も2人いた。
これらの回答および実践から、演劇化が、単なる訳出以上に漢文解釈のために有効であること、そ
の解釈も本文をさらに発展した読み取りへと深まりを見せていること、漢文を深く読もうとする態度
の滴養へと効果があることなどがわかる。漢文を演劇化することによる解釈の深化および意欲の喚起
の有効性がとらえられる。
課題として次の2つをあげる。まず、町田は演劇化による身体的な理解をその特長の一つに挙げて
いるが、本研究では、このことについては明らかにすることは出来なかった。しかし、実践を通して
の実感としてはこのことは強く感じられる。今後、心理学の分野とも関わって考察を加えてみたい。
次に、演劇化によって本文内容や人物への共感的理解は深まったが、批判的思考へとつなげるところ
まではできなかった。より主体的に読むことができるために、その文章に何があるとより魅力的なも
のになるか、何をどう変えるとより良いものになるか、などの批判的な観点を持たせることをしたい。
いずれも今後の大きな課題としたい。
63
大 村 勅 ま
く註〉
(1)国立教育政策研究所 2006、「平成17年度高等学校教育課程実施状況調査」
(2)小林囲雄
1981、「漢文教育の方法と問題」『高等学校国語科教育の実践』大修館書店 p.158
(3)佐野泰臣
1984、『漢文の教え方』右文書院 p.3
(4)加藤郁夫
2010、「これからの古典教育のために」『日本語の力を鍛える「古典」の授業』明治図書 p.99
(5)大平浩哉
1997、「古典を学ぶ過程を楽しむ」『国語教育改革論』愛育社 p.266
(6)大矢武師
1977、「古典(古文・漢文)を興味深く学習させるために」『高校国語教育の理論と方法』明治図書
p.131
(7)町田守弘
2005a、「演劇で目指す声の復権」『声の復権と国語教育の活性化』明治図書 p.46、50
(8)町田守弘
2005b、「中学生と演劇を楽しむ」『声の復権と国語教育の活性化』明治図書 pp.117−118
(9)大村はま
1982、「単元学習の生成」『大村はま国語教室1』筑摩書房 p.40、42、43
㈹ 浅田孝紀
2008、「語用論導入による会話の意識化」『新しい時代のリテラシー教育』東洋館出版社 p.354
帥 滑川道夫
1970、「朗読教育における鑑賞的機能と表現的機能」『読解読書指導論』東京堂出版 p.62、79、81、
84
【参考文献】
ジュラルデイン・B・シックス1978、『子供のための劇教育』玉川大学山版部
J・ニーランズ 渡部淳 2009、『教育方法としてのドラマ』晩成書房
加藤郁夫 2010、『日本語の力を鍛える「古典」の授業』明治図書
小林囲雄1981、『高等学校国語科教育の実践』大修館書店
国立教育政策研究所 2006、「平成17年度高等学校教育課程実施状況調査」
町田守弘 2001、
『国語教育の戟略』東洋館出版社
町田守弘 2005、
『国語科授業構想の展開』三省堂
町田守弘 2005、
『声の復権と国語教育の活性化』明治図書
町田守弘 2009、
『国語科の教材・授業開発論』東洋館出版社
小原国芳1923、
『学校劇論』イデア書房
大村はま1982、
『大村はま国語教室 1』筑摩書房
大村はま1991、
『大村はま国語教室 3』筑摩書房
桑原隆編 2008、
『新しい時代のリテラシー教育』東洋館出版社
滑川道夫1970、
『読解読書指導論』東京堂出版
大平浩哉1997、
『国語教育改革論』愛育社
大夫武師1977、
『高校国語教育の理論と方法』明治図書
佐野泰臣1994、
『漢文の教え方』右文書院
田近淘一編1996、『読みのおもしろさを引きだす文学の授業』国土社
64