2015年02月15日 広岡 正章 わたしのためにお祈りくださってありがとうございます。 父はすい臓がんを一年半前に告知され それから2月4日、先週80歳の生涯をおえまし た。 一年半, 期間は短いようで 神様がそのなかで十分に備える時間を与えてくださったことを 感謝したいと思います。 みなさまに祈っていただいて、父も最期の最期まで平安の中で 守られたことを感謝いたします。 父の生まれた私の田舎は群馬県の安中市というところでございます。 最近では世界遺産 になった富岡製紙工場から車で15分位のところにあり、また、少し前には新島 襄(に いじま じょう)の奥さん(八重)さんをテーマにしたNHK大河ドラマがありましたが、 その新島 襄(にいじま じょう)が生まれた町でもあります。群馬は田舎ですけれども脚 光を浴びています。最近では、ゆるキャラの ぐんまちゃんが ナンバーワンになったと いう町です。 ほんとに田舎の町の 百姓家 の倅に生まれた父。日本の田舎というと、八百万の神、 仏壇から、神棚から、群馬ですから天狗からだるまから狐まで・・ 。そのすべてが家に あるというそんな中で父は育ちました。 その中にあって、父は心の中で「先祖を大切にする、家族を大切にする、」という思い、 そういう意味で、それまでの80年に近い歩みのなかで、そういう神仏を祭ってきた。父 に言わせるとそれはあくまでも家族のため、本当はそれを信じていないんだというのが 父の本音だったようです。 1年半前、すい臓がんということを告知されて、誰が考えてもすい臓のがんということな ら、そう長くもたないということはわかることですし、父もそれを覚悟していました。 その中で すごく神様に取り扱われ、心を 探られたのだと思います。 八百万の神は家の隅々に満ちているわけですけれども、なんでこんなことやってるんだろ とは感じていたようです。 ひとつの例としては、お盆には、仏壇のなかに(いるはずなのに)なんだか知らないけ れど 「お墓に迎えにいかなくてはいけない」そして なすびの背中にのって来てまた期間が過 ぎたら、また送りに行かなくてはならない、なんじゃこれ?と、父の心の中でずっと考え ていたことのようです。 それで あの すい臓がんとの戦いの中で、心が、死というものに真剣に向き合って、わ たしの姉が先に救われてクリスチャンでしたが、「このまま死んじゃったらお父さん、も う二度と会えないのよ 」、 「まことの神様を信じたら死んだ後もまた天国で会えるの よ」 それが、父には響いた言葉のようで、そしてそこから神様(を求めたようです) 家のそばに教会が、それは私が子供の頃にはそこにはなかったのですが、7年前位に 移ってきました。その安中聖書教会に、連れてってくれと 父はわたしの家内に言って、 そこで牧師先生に 疑問をぶつけて、そこで「まことの神さまを一番にすることが大切な のよ」というのを牧師先生が 教えてくれて(それがマタイの福音書の6章の25節でし た) 「だから、私はあなた方に言います。自分の命のことで、何を食べようか、何を飲もうか と心配したり、また、体のことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。命は食 べ物より大切なもの、体は着物より大切なものではありませんか空の鳥を見なさい。種 蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなた方の天の父 がこれを養っていて下さるのです。あなた方は、鳥よりも、もっと優れたものではありま せんか −−33節、だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれ ば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 父はまず何を一番にしたらよいかということを先生に示されて、「ああ そうなんだ、ま ことの神を一番にすればよいんだと なんだ、そういうことだったのか。わたしは 仏 壇のことだとかお墓のことだとか いろんなことに 心を奪われていたんだけれど そ うなのか、これはもう心配しなくていいんだ。おれは まことの神様を まず第一にして 信じればよいんだ」ということで、それでものすごく肩の荷がおりて、心に平安が来たと 言っていました。 ローマ書(8;28)にありますけれど、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に 従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを」 神様が約束してくださっています。 父の1年半の闘病生活の間、最初の頃はすごく元気だったのですけれど、途中から痩せて また黄疸が出て、そういう症状があったんですけれど、そういうひとつひとつの歩みをみ ていると神様が一番最善のことをしてくださったということを信じて、感謝しています。 父を時々訪ねていくと、「ああ俺はもう死は怖くない。平安だ。神様が最善をしてくれ る、一番いいことを俺にしてくれる」といつも言っていて、平安に満たされていました さきほどもジョセフのメッセージのなかでありましたけれど、聖書のメインメッセージ といいますか、「神を知らないことが罪である」と。 そのことを父は79年にわたって その、まことの神を知りませんでしたけれど、ほんと 最期の1年半のときに まことの神を知ることができて、その罪から解放されて平安をい ただいて天に召されました。 田舎の小さな教会でしたけれども、葬儀には140人∼150人の方、お年寄りを中心 として (まあ当然ですけれども)来てくださいまして、教会でのキリスト教による司 式、葬儀を体験してくださり、また福音のメッセージにも触れていただくことができ、本 当に父は、最期によい証ができたんじゃないかなと思っています。 それとあともう一つ、これも不思議なことで、話が長くなってすみません。わたしには 甥っ子がいるんですけれども、今年28になったばかりなんですけれども、彼は自分で言 うと、 放蕩息子のような生活だと、実際はちゃんとまじめに働いているんですけれど も、神様の目からみたら、放蕩息子のような歩みをしたと自分で悔い改めをしたのです けれども、たまたま 父がなくなった2月4日が彼の28歳の誕生日であって、ひとつ不 思議だなと思ったのですけれど、彼が葬儀に出てくれて、 父がどういった過程を経て、 神様を信じたかということを聞いてから、悔い改めを感じたようでして、それで、葬儀が 終わって火葬をして、そして納骨まで全部すませたんですけど、そのあとに家族で親族だ けで集まって話をして、そのとき牧師先生もいらっしゃったんですけど、彼が自分で語り だして、先生と自分の過去についての話あったらしいんですけれども、最後に牧師先生が 「家族の前であなた、今しゃべったことを話しなさい」といって、自分がどうであったと いうその悔い改めを、自分の生涯を語り、そして神様の目から離れていたこと 悔い改め なければいけないということを祈り、彼が神様を信じて従うという決断をしました。 本当に父はクリスチャンとしての短い期間でしたけども、最後の最後に、「ひとつぶの麦 が死ななければ」と、ヨハネの福音書のなかにもにありますけれども、父が残してくれた といいますか、その、身をもって証をしてくれた、自分の父親を褒めちゃいけませんけれ ども、なんかそういうふうに思います。 第一コリントの15章の58節 「(ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわ ざに励みなさい。)あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことをしって いるのですから。」 本当に救いのために祈りあい、祈り続けるということが、それが無駄ではないというこ とを信じてこれからも励ましあって歩んでいけたらよいなと思います。 お祈りというのは力があると 確信しています。ありがとうございました。
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