スポーツの潜在力を 経営に活かす - EY総合研究所

特集
スポーツの潜在力を
経営に活かす
EY 総合研究所
未来社会・産業研究部 主席研究員 小川 高志
企画・業務管理部 副部長 笹渕 拓郎
2
EY Institute
2015 年のスポーツ界は、ラグビー W 杯イングランド大会における日本代表の歴
史的活躍という新しいシーンが加わり、世代を超えてスポーツへの関心が盛り上がっ
た。そして、今年は、2016 年リオ五輪の開催の年であり、ラグビー W 杯 2019 日
本大会、2020 年東京五輪等、日本でのメガスポーツイベントへの取り組みが本格化
する年である。これを契機に、「スポーツの価値」を活かして経済の活性化に取り組
みたい。
「スポーツの価値」には、
「スポーツそのものの価値(value of sport)」と「スポー
ツを通じて生み出される価値(value through sport)」の両面がある。「スポーツそ
のものの価値」とは、スポーツの実施を通じた心身の発達を指し、わが国においては、
長い間、「スポーツそのものの価値」が重視されてきた。他方、「スポーツを通じて生
み出される価値」には、スポーツの実践による健康経営の構築、スポーツ観戦によっ
て生じる感動や人々の絆による経済効果などが挙げられるが、これらの多様な価値は
これまで十分利用されておらず、こうした「スポーツの潜在力」を、今後、経営に活
用していくことが期待される。
スポーツの価値や潜在力を活かすための具体的な取り組みに当たっては、スポーツ
のステークホルダー間の関係強化が重要だ。すなわち、スポーツのステークホルダー
は「スポーツをする人」、
「見る人」、「支える人」の三者で構成され、「支える人」と
しての企業による支援も「企業の社会的責任」(CSR)の観点から側面的な支援にと
どまっていたものが多かったが、スポーツの潜在力に注目することで、スポーツがビ
あらわ
ジネス活性化に直接効果があることに気づく企業が顕れてきている。
本特集では、多様なスポーツの潜在力を取り上げ、それを活かした形でのビジネス・
経済活性化の方向を提示することとしたい。
スポーツの価値をとりまくステークホルダーの輪
する人
見る人
スポーツの価値
スポーツ
そのものの
価値
スポーツを通じて
生み出される
価値
支える人
出典:EY 総合研究所作成
EY 総研インサイト Vol.5 January 2016
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特集
スポーツの潜在力を
経営に活かす
はじめに
今、スポーツに関する領域は、その健康面への効果、
スポーツイベントの拡大・巨大化、スポーツビジネス
Ⅰ章
スポーツを通じて
健 康 経 営、 健 康
社会の実現を
の発展と多方面に広がっているが、その中心にあるの
は間違いなく「スポーツをする人」であるということ
である。まずは「スポーツをすること」の意味合いか
ら、特に健康寿命や社会保障費という文脈からも語ら
れることの多い健康面に及ぼすその影響について整理
を行い、そこから見えてくる個人の健康、経営への影
響、健康な社会の実現に向けて、スポーツの持つ潜在
力について考えてみたい。
身体運動の不足
生活習慣病の増加が、日本全体の大きな課題となっ
てから久しい。その要因はさまざまあるが、主要なも
のの筆頭に身体活動量の減少が挙げられる。身体活動
(Physical
Activity)は、身体を動かし、活動させ
ることで、安静状態よりも多くのエネルギーを消費す
ることであり、スポーツは、その中で特に健康・体力
の維持増進や余暇、競技として計画的・意図的に行わ
れるものになる。
国際的にみても、身体活動量が多い者が不活発な者
と比較して、循環器疾患や悪性腫瘍、2 型糖尿病など
の NCDs*1 発症リスクが低いことも多くの疫学研究
にて明らかになっており、世界保健機関(WHO)の
公表においても、全世界の死亡に対する危険因子の第
4 位として、身体活動の不足を挙げている *2。わが国
における健康をめぐる現状をみても、同じ状況ないし
は高齢化社会の進展度合いから、さらに深刻な状況に
あるといえる。医療費に占める割合(30% 以上)と
死亡割合(50% 以上)や、介護が必要となった主な
原因(30% 以上)をみても、生活習慣病が個人の健
康や生活、国の財政へ多大な影響をあたえていること
は明らかであり(<図 1 >参照)、身体活動の増加が
世界および日本の個人・社会における喫緊の課題であ
る。
4
EY Institute
Feature
スポーツの位置付け
スポーツを、身体活動の概念に内包されたものとし
性が、「健康」という切り口からも、これまで以上に
てみた上で、いったんスポーツの位置付けについて考
高まっていることは、15 年 10 月に発足したスポー
えてみたい。
ツ庁の初代長官が、元トップアスリートであり、大学
スポーツの起源や、その語源など諸説あるものの、
教授として健康とスポーツを専門分野にしているのも
近現代におけるスポーツの概念確立は、英国に端を発
決して偶然ではないであろう。
している。長らくはアマチュアリズムの精神のもとで、
スポーツは、前述の WHO の勧告における身体不
スポーツの身体活動の表現としての形を作り、オリン
活動を是正する重要な鍵となる。一定強度の運動を定
ピック等の世界的な競技会も発展した。次に欧州で発
期的かつ継続するには、習慣化が必要であり、行動の
祥したものを、米国流にアレンジ・発展したスポーツ
習慣化は、行動変容ステージにおける変容プロセス *3
(野球、アメリカンフットボール等)や、米国にて新
で捉えると理解しやすい(<図 3 >参照)。スポーツ
種のスポーツ(バスケットボール、バレーボール等)
実施の習慣化に向けてステージを移行していく際に、
が生まれ、プロ化、スポーツ科学の新興、スポーツイ
意識の高揚、感情的経験、コミットメント、刺激の統
ベントの商業化など、アメリカナイゼーションの波が
制等のプロセスにおいてスポーツの持つ効果が活用で
スポーツ全体にも波及した。英国で発祥したスポーツ
き、またステージの逆戻りに対しても抑制が期待でき
を便宜上「第Ⅰ期」、米国を中心とした発展を「第Ⅱ期」
る。また、近年の研究では、低強度での有酸素運動だ
と呼ぶならば、今はスポーツの競技性以外の価値をよ
けでなく、骨格筋を中心に筋力増強を目的とした高負
り高め、健康社会・健康経営実現に向け、その価値を
荷トレーニングも、高齢者の健康寿命延伸には有効で
活用・確立していくことで、スポーツが真に社会や文
あることがわかってきており、その面からもスポーツ
化の一部となるべく「第Ⅲ期」に差し掛かっていると
の重要性は注目されてきている。
いえる(<図 2 >参照)。第Ⅲ期の発展と定着の必要
図 1 生活習慣病が医療費に占める割合、死亡割合、介護が必要になった要因に占める割合
傷病分類別にみた医科診療医療費
死因簡単分類別にみた死亡数
介護が必要になった主な原因の構成割合
悪性新生物,
11.8%
高血圧性
疾患 , 6.6%
心疾患 ,
6.2%
その他 ,
65.1%
その他,
44.7%
脳血管疾患
(脳卒中)
,
18.5%
悪性新生物,
28.8%
脳血管疾患,
6.2%
糖尿病,
4.2%
脳血管
疾患,
9.3%
高血圧性
疾患, 0.6%
高血圧性
疾患 , 6.6%
高血圧性
疾患 , 6.6%
脳血管
疾患,
9.3%
呼吸器
疾患,
2.4%
その他,
69.5%
高血圧性
疾患 , 0.6%
糖尿病,
1.1%
出典:厚生労働省『平成 25 年度国民医療費』『平成 25 年人口動態統計』『平成 25 年国民生活基礎調査の概況』より EY 総合研究所作成
(注)介護については、要介護度別の要支援者と要介護者の総数での原因割合で示す。
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スポーツの潜在力を経営に活かす
図 2 近現代スポーツの発展イメージ
予測
ヨーロッパ・みんなの
スポーツ憲章
(欧州、1975年)
スポーツ振興基本計画
(日本、2000年)
スポーツ振興法
(日本、1961年)
スポーツ庁発足
(2015年)
スポーツ基本計画
(日本、2012年)
第Ⅲ期
スポーツ基本法
(日本、2011年)
(健康、多様化)
生涯スポーツ
バレーボール誕生
(米国、1895年)
(スポーツ科学の発展、スポートロジー)
バスケットボール誕生
(米国、1891年)
五輪憲章のアマチュア
規定削除(1974年)
野球、MLB設立
(米国、1876年代)
第Ⅱ期
アメリカンフットボール誕生
(米国、1860~70年代)
第23回オリンピック
(ロサンゼルス、1984年)
(新しいスポーツの誕生、
スポーツイベントの商業化・プロスポーツの興隆)
サッカー、ラグビー、
テニス等の誕生
第1回オリンピック
(アテネ、1896年)
第Ⅰ期
(アマチュアリズム、近代オリンピックの発展)
現在
17~18世紀頃
出典:EY 総合研究所作成
図 3 行動変容ステージにおける有効な変容プロセス
無関心期
関心期
プロセス
• 意識の高揚
• 感情的経験
• 環境の再評価
準備期
実行期
• コミットメント
• 自己の再評価
•
•
•
•
維持期
強化マネジメント
行動置換
援助関係の利用
刺激の統制
無関心期: 6 カ月以内に行動を変えようとは思っていない
関心期: 6 カ月以内に行動を変えようと思っている
準備期: 1 カ月以内に行動を変えようと思っている
実行期: 行動を変えて 6 カ月未満である
維持期: 行動を変えて 6 カ月以上である
出典:EY 総合研究所『セルフメディケーション産業化への期待~生活者アンケート結果と 4 つの提言~』より
6
EY Institute
Feature
健康経営、健康社会とは
健康日本 21(第 2 次)*4 において、「健康寿命の
健康経営銘柄に設定された各社の主な取り組みをみ
延伸と健康格差の縮小」を目的として、それを実現す
ても、22 社中 16 社にて、トップダウンで進める戦
べく幾つかの方策が基本的な方向として明示されてい
略構想・方策において、「スポーツ」「運動」という
る。「生活習慣の改善(リスクファクターの低減)」は、
キーワードに触れており、健康経営を実現するための
比較的個人による対応の割合が高いといえるが、それ
スポーツの価値が、健康経営を戦略的に取り組む企業
らを支え、推進するための「健康を支え、守るための
でも認められている証拠である。
社会環境の整備」も大きな柱の一つとして定めている。
また、健康な社会の実現に向けたスポーツを基軸と
環境面の整備は、企業・ビジネスの場において、昨今
した取り組みもみていきたい。文部科学省が 20 年近
注目を集めている「健康経営」が重要なキーワードの
く前から推進してきている総合型地域スポーツクラブ
一つになるといえる。
もその一つであり、地域住民が主体的にスポーツを通
NPO 法人健康経営研究会によると、健康経営
*5
じて参加する地域コミュニティとして、多種目・多世
は、「利益を創出するための経営管理と、生産性や創
代・多志向という三つの多様性を実現することで、生
造性向上の源である働く人の心身の健康の両立を目指
涯スポーツ環境の拠点として位置付けられている。平
して、経営の視点から投資を行い(健康投資)
、企業内
成 14 年度には、全国でのクラブ数は 541 だったが、
事業として起業しその利益を創出すること」とある 。
平成 26 年度には 3,512 にのぼり、全国の市区町村
経営管理と従業員の健康とを、投資先としてトレード
の 80.1% に総合型地域スポーツクラブが設置される
オフの関係であると従来は考えられがちであったもの
までに普及し、国民のスポーツ実施率の向上に寄与し
を、互いに相乗効果のあるものとして両立させ、実践
ている。ただし、その認知度は必ずしも高いとは言え
*6
するのが「健康経営」といえる。経済産業省と東京証
ず、また地域差も大きく(人口 1,000 人未満の 21
券取引所が共同で 15 年 3 月に発表した、「健康経営
自治体中 20 自治体では設置されていない)、まだ課
銘柄」(33 業種から 22 社を選定)*7 も、健康経営
題も多いというのが現状である。
が業績向上、株価向上にも寄与するとともに、“国民
これまで行政サービスとして行われてきたスポーツ
の健康寿命の延伸”に対する取り組みの一環として注
施設の運営やイベント実施についても、行政と民間企
目されている。
業が事業提携することで、サービスメニューの拡大や、
就労年齢が上がっていくにともない、今後社員の高
サービス品質の向上をはかる事例も増えてきている。
齢化も進んでいく中、健康経営において体力チェック
また、民間企業が運動習慣の定着や、介護予防を主目
等のアセスメント、運動指導による身体活動量の増加・
的とした事業化も増えてきており、民間のスポーツク
定着を目指す取り組みは、ますます重要になる。それ
ラブでも生活習慣病、運動行動定着、介護予防をキー
ら活動への従業員(その家族も含め)と経営者のエン
ワードにしたサービスを数多く展開してきている。
ゲージメントを強化するための媒体として、「スポー
ツ」は強力な武器になるといえる。以下はその一例で
ある。
• ウオーキングなどに代表される低強度運動
⇒ 運動指導・実施に向けた障壁の少なさ
• 球技スポーツ等の「余暇×競技性」のミックス
⇒“楽しさ”による参加率・継続性の強化
• 時間・距離・スコアなどの個人ごとにあった目標設定
⇒ モチベーションの維持
• 社内運動会などの全体参加型イベント
⇒ 社内コミュニケーションの醸成、メンタルヘルス
EY 総研インサイト Vol.5 January 2016
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スポーツの潜在力を経営に活かす
スポーツを通じた健康経営、健康社会の実現に向けて
テクノロジーを活用してスポーツ実施率の向上、
運動行動の定着を
個人の健康、健康経営や健康な社会を創りだしてい
IoT(Internet
くことに対して、スポーツの持つ役割は大きいものの、
働数は、年々増加しており、ヘルスケアの領域でも身
その潜在力をまだ活かしきれていないのが、先に述べ
体活動の記録を行う装置、リストバンドやセンサー付
たスポーツの「第Ⅲ期」の転換点と言える今の状況で
き衣類などが身の回りでも増えてきている。利用環境
ある。それらの課題を踏まえ、スポーツを通じた健康
が整備・普及してくることで、健康に関するデータを
経営、健康社会の実現に向け、以下の通り、三つの提
蓄積・分析するという面(A)と、スポーツ・運動を
言を考えてみたい。
of Things)でつながる機器の稼
より楽しく、継続して行うための仕掛けという面(B)
の、両面からスポーツ実施率の向上を図ることが可能
地域コミュニティ、民間企業による事業の積極
活用と連携を
となる。
(A)個人の健康データを収集・蓄積が可能となること
企業の視点としては、従業員の健康管理において、
で、健康保険組合や自治体、国による本格的なデー
生活習慣病予防の取り組みにおける運動指導や運動機
タヘルス事業が可能になる。具体的には、レセプ
会の増大は、内部リソースだけに頼るには限界があり、
ト(診療報酬明細書)等の医療情報からの健康診
また必ずしもその必要はない。運動指導では、専門ノ
断などの情報に加え、健康・運動指導の結果であ
ウハウを有する民間企業(スポーツクラブ等)との連
るスポーツ実施や身体活動全般に係る記録(歩数
携や委託により、スポーツや運動自体の科学的・テク
や加速度計による身体活動量、心拍数、血圧、体
ニカルな部分を補いつつ、スポーツ実施の機会の増大
重、休息時間等)など、個人の健康データを分析
については、企業の所属する地域コミュニティへの参
し、指導内容の見直しという PDCA サイクルを
加や行政サービスとの連動を、積極的に推し進めても
回していけるようになる。NDB(レセプト情報・
よいであろう。
特定健診等情報データベース)の基盤整備が進み、
地域に根差した企業としての位置付けを確認し、ま
そこに健康データを取り込んでいくことで、社会
た、その企業の持つノウハウや技術を地域コミュニ
保障費(医療費等)の適正化の方向にシフトして
ティに展開することで、地域コミュニティのさらなる
いくことも期待したい。
活動促進やイベントの多様化促進などの社会への貢献
にもなる。さらに、地域とのつながりを強めること
「楽しさ」をベースとした運動行動の定着の仕掛
(B)
は、そこに働き、住む従業員の心理面に良い影響を与
けとして、昨今 IoT 等のテクノロジー技術を応
えるであろう。例えば、凸版印刷では健康経営宣言 *8
用・活用することで、ゲーム性をもたせた運動指
の中の具体的な取り組みにおいて、「関連事業を通じ
導が行え、また物理的・時間的な境界を越えたコ
た、社会への貢献」も挙げており、横浜市で実施して
ミュニケーションを保ちつつ、行動の継続性支援
いる「よこはまウォーキングポイント事業」などにお
が可能となる。モバイル機器で普及しつつあるラ
いて、会社が培ってきた印刷テクノロジーを活かした
ンニングアプリ等では、自己の活動記録だけでな
ソリューションを提供している、という先進的事例も
くソーシャルネットワーキング機能として、友人
出てきている。
や仲間との記録・情報のシェアを行うことや、自
分が走りだすその瞬間に、世界のどこかで同時に
走っているユーザー同士をつないだり、声援を送
り合ったり、といったスポーツ実施をサポートす
るさまざまな仕掛けが行動習慣化に一役買ってい
る。
8
EY Institute
Feature
生涯スポーツ化のためのスポーツ実施種目と
環境の多様化
スポーツは体育・教育の文脈で語られることが多く、
も 10 代のうちからスポーツ実施が可能になる地域コ
学業期の終了とともにスポーツ実施率は低下する傾向
ミュニティを整備し、そのサポート・運営自体にも関
にあり、生涯スポーツ化における大きな課題となって
与してもらうことで、20 代以降の年代のスポーツ実
いる。笹川スポーツ財団の調査によると、運動・スポー
施の環境が作られていくであろう。
ツの実施状況が低いレベル(全く運動・スポーツを実
二つ目は、スポーツ実施の多種目化である。日本で
施しなかった、または、週 2 回未満)の合計が、10
は単一種目のみを行う傾向が特に強いが、多種目化を
代では 29.6% なのに対し、20 ~ 50 代ではそれぞ
推進することで、スポーツの実施できる時期・地域の
れ 57.0%、63.1%、55.9%、55.1% と半数以上となっ
解消や、スポーツの向き不向きの調整などのメリット
ており、60 代と 70 代では 40% 前後となっている(<
とともに、20 代の壁を越える際に単一種目より多く
図 4 >参照)。ここからも 20 代からの壁が存在して
の選択肢が個人にあることが、急激なスポーツ実施割
いることが明らかであり、これらを克服していくには、
合の低下防止になりえる。多種目のスポーツ実施につ
二つの面からの取り組みが必要であると考える。
いては、欧米、特に米国での学校やコミュニティスポー
一つ目は、10 代におけるスポーツ実施の中心が、
ツでも広く浸透しているシーズン制(例えば、春から
学校体育と部活動に偏っている点の是正が必要であろ
夏に野球を、秋にアメリカンフットボールを、冬から
う。実施の場が学校に限定される際、例えば部活動に
春にバスケットボールやアイスホッケーを、などのよ
ない種目を選択できない、という 10 代時点での問題
うに)を参考に、日本に合った形で検討・導入するこ
もある。さらに、学校を卒業するとともにスポーツ
とで、各競技に触れる機会を増やし、競技人口の裾野
も卒業となることが大きな問題である。そのために
拡大にも寄与できるであろう。
図 4 年代別の運動・スポーツ実施状況
※ 1 Non-Communicable Diseases、非感染性疾患。脳卒中や悪性
腫瘍、循環器疾患、高血圧、動脈硬化など、その発症や進行に
食生活や運動、喫煙、飲酒などの生活習慣が深く関連するとさ
れる疾病の総称で、日本では一般的に「生活習慣病」と総称さ
れる。国際的には、非感染性疾患(NCDs)や慢性疾患(Chronic
Diseases)と呼ばれる。
※ 2 World Health Organization. Global recommendations on
実施しない
13.0%
10代
16.6%
15.9%
20代
70.4%
27.2%
60代
0%
20%
physical activity for health. 2010
44.1%
23.2%
44.9%
13.3%
34.4%
70代
36.9%
30.6%
31.9%
50代
43.0%
40.1%
25.3%
40代
週2回以上
41.1%
23.0%
30代
週2回未満
59.5%
9.6%
40%
56.0%
60%
80%
100%
出典: 笹川スポーツ財団『スポーツライフ・データ 2014』『青少年
のスポーツライフ・データ 2013』より EY 総合研究所作成
(注) 10 代についてのみ「青少年のスポーツライフ・データ
2013」のデータを基にした。
すそ の
※ 3 Transtheoretical model、汎理論的モデルにおける概念。米
国心理学者 Prochaska らが提唱し、対象者の関心の程度や実
行の状況に応じて行動変容ステージを分類し、そのステージに
よって効果的な変容プロセスがあることを示したもの。多くの
健康・栄養問題や食行動・ライフスタイルの行動評価や獲得に
対して有用と考えられている。
※ 4 健康増進法に基づき策定された「国民の健康の増進の総合的な
推進を図るための基本的な方針」を平成 24 年に全部改正され
たもの。またその方針に基づき進められている「二十一世紀に
おける第二次国民健康づくり運動」のこと。国民の健康の増進
の推進に関する基本的な方向その目標に関する事項等を定めて
いる。http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/
kenkou_iryou/kenkou/kenkounippon21.html
※ 5 「健康経営」は、NPO 法人健康経営研究会の登録商標です。
※ 6 岡田邦夫(NPO 法人健康経営研究会理事長) 「健康経営」推
進ガイドブック 経団連出版 2015 年 9 月
※ 7 http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/
healthcare/kenko_meigara.html
※ 8 2015 年 11 月 4 日 凸版印刷ニュースリリース「凸版印刷、
新たに『健康経営宣言』を制定し、健康経営を推進」http://
www.toppan.co.jp/news/2015/11/newsrelease151104.
html
EY 総研インサイト Vol.5 January 2016
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特集
スポーツの潜在力を
経営に活かす
メガスポーツイベントにみるスポーツホスピタリティ
市場の大きさ
15 年のスポーツシーンの中で、特に衝撃を与えた
のは、ラグビー W 杯 2015 イングランド大会におけ
Ⅱ章
スポーツホスピ
タリティ市場の
形成を
る日本代表の歴史的な活躍で、特に南アフリカ戦ラス
トワンプレーでの逆転トライは、日本だけでなく世界
中に衝撃を与えた。その結果、連日、ラグビーの話題
がテレビをにぎわせることとなり、世代を超えてラグ
ビー人気が復活しつつある。
EY 総合研究所では、15 年 9 月現在の情報に基づ
き、「ラグビーワールドカップ 2019 日本大会開催に
よる経済効果」の試算として、同効果が約 4,200 億
円に達すると発表した。これは、スタジアム等インフ
ラ整備、大会運営費、観客の支出による需要増加額に、
サプライチェーンを通じた生産誘発効果(間接効果)、
雇用増加を通じた生産誘発効果(波及効果)を加えた
ものである。また、イングランド大会との比較のため、
日本人観客による支出を除いた場合の経済効果は、約
3,200 億円となる<表 1 >。多くの経済効果分析で
は、インフラ投資による効果が中心となるが、ラグビー
W 杯の経済効果で特に注目すべきは、観客による支
出(スポーツホスピタリティ市場)である。イングラ
ンド大会等でのホスピタリティ水準が日本でも実現さ
れると仮定して計算しているが、開催国観客による支
表 1 ラグビー W 杯による経済効果
(開催国観客による支出を除く)
2015
2019
イングランド大会
(最大値)
日本大会
(見通し)
インフラ投資額
127 億円
240 億円
海外からの観客に
よるチケット売上に
対する運営費等
102 億円
62 億円
海外からの観客に
よる支出総額
1,332 億円
1,120 億円
小計(需要増加額)
1,560 億円
1,422 億円
間接・波及効果
1,745 億円
3,305 億円
1,818 億円
3,240 億円
経済効果
出典: EY "The economic impact of Rugby World Cup 2015"
および EY 総合研究所「ラグビーワールドカップ 2019 日本
大会開催による経済効果」より EY 総合研究所作成
(注) イングランド大会の試算との比較のため、開催国観客による
支出を除く。150 円/ポンド(2014 年購買力平価)で換算
10
EY Institute
Feature
出を除いても、需要増加額のうちの約 8 割を占めて
海外のスポーツイベントにおいては、スタジアムを
いることである。中でも、外国人観客の支出は、スタ
訪れる観客やその招待者(企業、個人等)を対象に、
ジアムでの支出にとどまらず、開催国滞在期間中にお
スタジアムの運営者、試合の主催者、スポンサー企業
ける飲食、宿泊、移動、ショッピング等の支出の寄与
等がスタジアム内の特別な設備と良質の飲食サービス
がとても大きい。
等を有料で提供する。一般の観客と差別化してもてな
これは、ラグビー W 杯では、開催期間と外国人観
すために、これら特別な設備やサービス等を観戦チ
客の平均滞在日数の長さのためである。開催期間が 6
ケットと組み合わせて商品化した観戦プログラム(ス
週間と長いのは、ラグビーは肉体的消耗が激しいス
ポーツホスピタリティプログラム)を用意して、観客
ポーツで、試合日程に余裕が必要なためだ。外国人観
の楽しみ・満足を大いに引き出している。
客の全体平均滞在期間が長いのには、二つ理由がある。
わが国の場合、プロ野球のホームグラウンドでは年
まず、長期休暇(バケーション)を楽しむ習慣のある
間 70 試合程度行われることから、近年、常設の交流
欧州系の参加者が多いことだ。豪州・NZ 大会では、
スペースとして、VIP ルームやコーポレートブース
欧州からの参加者の平均滞在日数は 3 週間を超えて
が設置されるようになってきたが、その他の競技では
いた。応援するナショナルチームと一緒に開催国内を
共用施設で開催されることが多く、ホスピタリティの
移動、試合の合間はバケーションとして楽しむスタイ
ためのスペースが設置されているケースは少なくなっ
ルでやってくる。また、ラグビーファンは、社会的・
ている。
経済的に余裕がある層が厚い。2019 年日本大会の
今後、スポーツを見る人や支える人にとってのホス
外国人観客でも、ラグビーの試合だけでなく、日本で
ピタリティ施設やホスピタリティサービスを考えてい
のバケーションを楽しむために、時間とお金をさく参
く上で、当面は、隣接ホテル、隣接空地(駐車場等)
加者が多いと考えられる。
などにおける、仮設ホスピタリティスペースの設定と、
ケータリング等アウトソーシングで運営していき、年
間を通じた稼働率が高まってきて施設の更新を行う場
スポーツホスピタリティのプログラムとその構成要素
合には、常設化することを検討すべきだ。
また、地方自治体等がスポーツイベントを開催する
しかしながら、スポーツイベントの経済効果を最大
場合、イベント会場における地元特産品の提供や、地
限発揮するためには、スポーツホスピタリティを少な
域内宿泊、飲食等への誘導にも取り組むことによって、
くとも海外先進国並みに整備することが必要である。
地域全体でおもてなしすることが大切だ。
表 2 スポーツホスピタリティの構成要素
ホスピタリティ施設
常設
仮設
• 常設観客席
• 常設交流スペース
ホスピタリティサービス
飲食・物販等
その他
• 常設レストランにおけ
• 常設 ATM
• 常設 Wi-Fi
る飲食提供
(コーポレートブース、
VIP ルーム等)
• 常設売店(飲料、記念
• 仮設観客席
• 仮設交流スペース
• ケータリングサービス
• エンターテインメント
(隣接ホテル活用、隣接
空地の仮設ブース)
ツーリズム
ショッピング、協賛イベ
ントへの回遊
• 日本全国への広域ツー
グッズ、地元特産品等)
(選手との交流、スポー
ツ解説、ショー等)
• 開催地域内宿泊、飲食、
リズム
• 仮設 ATM・スマホ決済
• 仮設 Wi-Fi
• 交通インフラ
• 仮設売店(飲料、記念
グッズ、地元特産品等)
出典:EY 総合研究所・JTB『メガスポーツイベントにおけるスポーツホスピタリティのすすめ』より EY 総合研究所作成
EY 総研インサイト Vol.5 January 2016
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スポーツの潜在力を経営に活かす
スポーツホスピタリティ 4 つの提案
EY 総合研究所では JTB との共同研究により、15
ツホスピタリティの構成要素である、施設、サービス
年 9 月「メガスポーツイベントにおけるスポーツホ
(飲食・物販・演出・ICT 等)、会場外へのツーリズム
スピタリティのすすめ」を公表した。このレポートで
の整備・推進と、これらを一体化した付加価値の高い
は、海外のスポーツイベントにおけるホスピタリティ
観戦プログラム「スポーツホスピタリティプログラム」
先進事例、経済効果等に関する検討に基づき、スポー
の提供について、4 つの提案を示したところである。
図 5 メガスポーツイベントにおけるスポーツホスピタリティの新たな組織案
出典:EY 総合研究所・JTB『メガスポーツイベントにおけるスポーツホスピタリティのすすめ』より
12
EY Institute
Feature
提案 1.
スポーツイベントを活用したビジネス交流
(スポーツホスピタリティサービス・プロバイ
提案 2.
スポーツホスピタリティ施設整備
ダーによるプロモーション)
スポーツビジネスの先進国である欧米では、コーポ
競技場内あるいは隣接地にホスピタリティのための
レート向けに販売するスポーツホスピタリティプログ
施設を設置し、観戦しながら飲食を楽しめるスペース
ラムが普及している。一般的に取引先の接待を中心に、
を提供する。こうしたファシリティがプレミアム席の
社内インセンティブや会議等のコミュニケーションの
観客のプライドを満たし、客単価の上昇につながって
場として捉え、スマートで魅力的な付加価値を持つス
いる。欧米では、一般市民にも特別感のあふれる場を
ポーツコンテンツの利用について大きなマーケットと
提供することにより、市民と施設、または施設管理者
なっている。そのような状況下において、わが国にお
との距離を縮める目的もある。わが国のスポーツ施設
いても、スポーツホスピタリティプログラムを活性化
には、ホスピタリティが十分考慮されていないケース
させていく上で、さまざまなステークホルダーを巻き
が多い。そのため、既設施設でメガスポーツイベント
込みながら、新たなホスピタリティサービスを展開す
を開催する時には、仮設ホスピタリティスペースの設
る事業主体としての、
SHSP(スポーツホスピタリティ
置により、スポーツホスピタリティを充実すべきであ
サービス・プロバイダー)を形成すべきだ。
る。
提案 3.
提案 4.
スポーツホスピタリティプログラムへの地域資
源活用(日本の食材、伝統的工芸品等の活用、
た
接遇スキルに長けた人材の確保)
海外との交流活性化事業の拡大
(先進事例視察、全国各地におけるスポーツツー
リズム機会拡大等)
スポーツホスピタリティへの参加者は比較的ステー
メガスポーツイベントの効果は、日本の大都市ばか
タスが高いため、イベント後も長くインフルエンサー
りに作用するものではない。複数予選がある場合等を
となる可能性がある。したがって、クオリティの高い
中心に、地方都市でも世界水準のスポーツホスピタリ
飲食サービスが必要だが、日本のすぐれた食材や伝統
ティを提供することにより、開催地の分散化を図るこ
的工芸品などを提供することによるイメージアップが
とができる。また地理的な補完だけではなく、例えば、
期待できる。また、スポーツホスピタリティの現場で、
オフシーズンに立派なスポーツホスピタリティを提供
飲食サービスやエンターテインメントを運営するサー
する大会を開催することにより、オントップで観戦客
ビス人材も、ブランド形成における接点として重要な
が訪れることになる。
役割を持っており、この確保・育成が重要である。
EY 総研インサイト Vol.5 January 2016
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特集
スポーツの潜在力を
経営に活かす
スポーツイベントがもたらす持続的な効果
(レガシー効果)
スポーツイベントの経済効果のうち、大会開催期間
中の効果についてはⅡ章で述べたが、スポーツイベン
Ⅲ章
スポーツの経済効
果を持続的なもの
とするために
トの効果はそれにとどまらず、大会後にも大きな効果
が残る。国際オリンピック委員会(IOC)によれば、
五輪が開催後に残す遺産(レガシー)として、①スポー
ツレガシー、②社会レガシー、③都市レガシー、④環
境レガシー、⑤経済レガシーなどを挙げており、近年
の五輪では、いかにレガシーを残すかが大会計画段階
からの重要事項となっている。また、EY では、ロン
ドン五輪 2012、リオデジャネイロ五輪 2016、ラ
グビーワールドカップ 2015 イングランド大会への
支援実績などを踏まえ、スポーツイベントがビジネス
や経済にもたらす価値をまとめている<表 3 >。
バルセロナに学べ
五輪レガシーを活用した形での都市づくりのベスト
プラクティスとして、スペイン第二の都市バルセロナ
を取り上げたい。
バルセロナは、中世には、その隆盛が地中海全域に
とどろいたカタルーニャ君主国の都であり、19 世紀
にはガウディの建造物にも象徴されるように、文化都
市としての誇りをもっていたが、1930 年代から約
40 年間におよぶフランコ長期政権のもとでの弾圧が
続く間に、スペインの首都マドリードとの格差が開い
てしまった。
しかし、92 年のバルセロナ五輪以降、FC バルセ
ロナの活躍、マリーナの整備による地中海クルーズ、
ガウディの歴史的建造物や地中海料理の世界遺産登
録、コンベンション施設など、継続的かつ重畳的な整
備により多様な魅力の発信に成功し、国際ビジネス観
光都市に急成長した。外国人訪問客も 90 年には 85
万人だったのが、10 年には 516 万人へと、20 年間
に 6 倍以上に拡大することとなった。
同様に長い歴史や国際的な食文化を有している日本
においても、バルセロナの都市戦略に学び、ビジネ
ス・観光都市としての魅力を磨いていくことが必要で
ある。
14
EY Institute
Feature
表 3 五輪レガシーとスポーツイベントがもたらす価値
IOC 提唱による EY の考えるスポーツ
五輪レガシー
イベントがもたらす価値
スポーツレガシー 協働スタイルの確立
社会レガシー
都市レガシー
環境レガシー
経済レガシー
内容
• 共通の目的に向けての官民一体となった取り組み
• ボランティア経験の増大とコミュニティ活動への意識啓発
• 公的資金の使途明確化を通じた政府やサプライチェーンの透明性・信頼性向上
• 五輪の成功が人々の自信や誇りへ
ダイバーシティ &
• 人々の多様性に関する偏見の緩和
インクルーシブネスの推進 • 特にパラリンピック選手の活躍は多くの人を鼓舞
政府の効率性向上
• PPP などによる公的資金負担の軽減
• 商業的利潤以上に地域社会の価値に焦点を当てたプロジェクトの推進
市民社会への投資
• 社会インフラの整備や環境、防犯・防災問題の改善
• 生活マナーや生活環境の向上
サステナビリティの醸成
• 環境配慮や資源有効利用などの革新的技術やサービスの開発
• サプライチェーンを通じたスキルや技術の共有
人材育成、雇用創出、
• 労働力の流入を通じた知識や技術の移転
労働基準の開発
• 食品やメディア等サプライチェーン全体を通じた幅広い雇用創出
• 労働安全衛生基準や環境の向上および労働者人権状況の改善
投資家の意思決定に
• 開催国への直接投資および地元の投資家による積極的資本投下
有用な情報の提供
• 五輪関連のさまざまな情報や研究レポートが投資判断に寄与
経済成長への貢献
• GDP の押し上げ
経済面での信頼と自信の
確立
出典:IOC"Olympic
Legacy"(2013)、EY"Building A Better Working World"(2013)より EY 総合研究所作成
• モバイルアプリのご案内
www.shinnihon.or.jp/shinnihon-library/mobile/
EY では、新たな情報発信のチャネルとしてモバイルアプリも用意しています。
下記の両アプリでは、EY 総研の研究員・エコノミストによる各種レポートも提
供しています。
• EY Insights(iOS 版 /Android 版)
さまざまな業界の最新動向を EY が独自のチャネルを活かして調査し、知見をまとめた刊
行物・レポートである「Thought Leadership」を、EY が提供するモバイルアプリ「EY
Insights」でお読みいただけます。EY 総合研究所が刊行したレポートも収録しています。
• EY ナレッジナビゲーター(iOS 版 /Android 版)
新日本有限責任監査法人/ EY Japan の会計監査を中心とした税務、トランザクションお
よびアドバイザリー分野を含む豊富な業務経験や、グローバルな知見に基づく専門家として
のナレッジ(EY 総研インサイトも含む)、最新情報をいつでも手軽にお読みいただけます。
EY 総研インサイト Vol.5 January 2016
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スポーツには他の娯楽にない特長があり、これを取
特集
スポーツの潜在力を
経営に活かす
Ⅳ章
スポーツの潜在力
を活かし、マーケ
ティングとマネジ
メントの変革を
り込みつつ、第二のグローバル時代を迎えた企業経営、
とりわけ、マーケティングやマネジメントの変革を行
うことが有効である。
1. 感動経験への訴求
スポーツ全般に共通する特徴として、「筋書きがな
く、結果がわからないものを見る」ところに楽しみが
あり、長嶋茂雄氏の造語「メークドラマ」
(1996 年)、
「メークミラクル」(1997 年)にみられるようなド
ラマ性が他の娯楽と比べても顕著な特徴だ。こうした
スポーツの特徴、魅力を十分に引き出し、観客や潜在
観客の価値を引き出していくことが求められている。
現代マーケティングの第一人者フィリップ・コト
ラーは『コトラーのマーケティングマネジメント』の
中で、市場に提供される製品の計画に当たって、「顧
客価値ヒエラルキー」の五つのレベルとして、①中核
ベネフィット、②基本製品、③期待製品、④膨張製品、
⑤潜在製品について考えることの重要性を示している
<図 6 >。
例えば、「プロスポーツ観戦」という商品について
みると、①中核ベネフィットには、興奮、娯楽、勝敗、
共感、カタルシスが位置しており、観客はそれをチケッ
ト代金と引き換えに購入していると、コトラーは考察
する。②基本製品には、スタジアム、シート、駐車場、
飲食、ピッチなど、中核製品を形成する基本的な要素
が挙げられ、③観客の期待に応えるために、見やすい
シート、美しいピッチ、便利な駐車場などの「施設整
備」、おいしい飲食など「ソフト面の充実」が挙がっ
ている。さらに、④膨張製品には、観客の期待を上回
るものとして、クラブシート、特別観覧室といった「プ
レミアム」対応が求められている。⑤潜在製品には、
将来の顧客層への革新的な提供価値として、スポーツ
の有する経験価値としての「感動」が求められている。
また、原田宗彦『スポーツマーケティング』によれ
ば、「わが国におけるバレーボールやバスケットボー
ルのトップリーグにおいては、ゲームやリーグの運営
といった中核要素に重きが置かれるが、それだけでは
ゲームに人を呼ぶことは困難である。スポーツマーケ
ティングにおいては、価値ある観戦経験の提供に向け
た、拡大的な要素に注意を振り向ける必要がある。実
16
EY Institute
Feature
際、拡大製品の創造に力を注ぎ、ファンを喜ばせるな
スフォード対ケンブリッジ戦が、1872 年の初戦以
ら何でもするというのが、スポーツマーケターの基本
来「伝統の一戦」として開催されており、わが国でも
姿勢でなければならない」としている。
早稲田・慶應戦は 1903 年の初戦以来、スタジアム
こうした考えを反映して、欧米の事例では、ホスピ
は愛校心が強い観客が多く詰めかける。その大学の勝
タリティプログラムを充実させるとともに、チケット
利、あるいは敗れたとしても、その健闘が、自己同一
価格が対戦カードの人気や開催スタジアムによって自
感(アイデンティティ)と結びつき、スポーツ観戦を
由に設定できる柔軟なシステムを設定したりしてお
通じて達成感を得ることができる。
り、ラグビーワールドカップ予選でも、イングランド
また、「地域アイデンティティ」として、居住地域
対ウェールズ戦など、人気カードは高いプレミアムが
や出身地のチームを応援する人が多く、スポーツ観戦
付いている。LCC のような航空会社やホテルの価格
を通じて社会的つながり(ソーシャルネットワーク)
設定でも使用されているこの手法は、「ダイナミック
が形成されるケースも多い。
プライシング」と呼ばれ、米国プロ野球メジャーリー
欧米では、こうしたソーシャルネットワークを強化
グでも広く取り入れられ、日本のプロ野球においても
する仕掛けがスポーツ観戦に組み込まれている。米国
試合をランク付けしての価格設定が行われている。
では、大学スポーツに愛校心が強い卒業生(アルムナ
イ)が強力に支援している。例えば、アメリカンフッ
トボールの場合には、アルムナイからの 100 万ドル
2. ソーシャルネットワーク
単位の寄付を受けており、また、大学内に専用のスタ
ジアムがあるとともに、チアリーディングや売店など
ワンケルとバーガーは「スポーツ・身体活動の心理
エンターテインメントを兼ね備えている。イギリス発
的・社会的ベネフィット」(1990)の中で、スポー
祥のスポーツクラブでは、Sport
ツ活動を通じたベネフィットとして、「個人的楽しみ」
とにジェントルマンの社交の場として、スポーツを愛
「個人的成長」に加えて、「社会的調和」「社会的変化」
好する同階級の人たちが集い、同じクラブメンバー間
for All の旗印のも
があるとしている。
の人脈が形成されていく。ラグビーの場合には、試合
「カレッジアイデンティティ」を例にとると、自分
時間 80 分だけでなく、試合の前後の交流を含めれば、
や家族の出身校など特定の大学を応援する人がよく見
半日にわたって感動体験を共有しながら、社会的承認
られる。ラグビー発祥地のイングランドでは、オック
の獲得や社交機会のビジネス利用などに活かしている。
図 6 プロスポーツの五つの製品レベル
中核的ベネフィット
基本製品
期待製品
膨張製品
潜在製品
ホテル
プロスポーツ
オールスイート型ホテル、
机の上の果物やキャンディ
経験価値(感動)
迅速なチェックインとチェックアウト、
インターネット予約、アメニティグッズ
クラブシート、特別観覧室
清廉なベッド、洗いたてのタオル、
適度な静けさ
見やすいシート、美しいピッチ、
便利な駐車場、熱気
ベッド、バスルーム、タオル、枕、
クローゼット
スタジアム、シート、駐車場、飲食、
ピッチ
休息と睡眠
興奮、娯楽、勝敗、カタルシス
出典:EY 総合研究所・JTB『メガスポーツイベントにおけるスポーツホスピタリティのすすめ』より
(コトラー、恩蔵直人監修、月谷真紀訳『コトラーのマーケティングマネジメント』を基に EY 総合研究所にて作成)
EY 総研インサイト Vol.5 January 2016
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スポーツの潜在力を経営に活かす
他方、日本におけるスポーツ観戦の現状をみると、
一部のプロ野球場を除けば、試合終了と同時に一斉に
4. 従業員エンゲージメントの向上
観客はスタジアムを後にする。果たして、今後、試合
前後で長時間にわたる交流の場が日本でできる可能性
企業のグローバル化や事業成長のためには、人材の
はあるだろうか。
確保が重要となる。こうした観点から従業員の「エン
そこで参考になるのが、箱根駅伝だ。箱根駅伝では
ゲージメント」を重視する企業が増えてきている。「エ
2 日間で 10 時間以上も費やす競技だが、箱根の宿や
ンゲージメント」とは、「企業と従業員の相互コミッ
沿道で、またテレビ中継を通じて、順位の変動に一喜
トメント」であるが、それは「従業員満足」を超えて、
一憂しつづけ、緊張と弛緩の繰り返しを通じ、長い時
企業と従業員がビジョンを共有することである。
間をかけて感動が高まっていく。日本においても、カ
こうした企業と従業員の関係性は、団体スポーツの
レッジアイデンティティや地域アイデンティティを取
世界におけるチームと選手の関係性に酷似している。
り込みつつ、試合中だけでなく試合前後での楽しみの
選手個人の能力が高くても、チームの勝利には結びつ
場を提供することで、スポーツを楽しむ市場が広がっ
かないことも多く、チームと選手の連動のためには、
ていく可能性が高いと考えられる。
明確な戦略・戦術と適材適所の人員配置が必要となる。
し かん
ゲイリー・ハメルはハーバード・ビジネス・レビュー
3. 言葉を超えたグローバリゼーション
への寄稿「マネジメント 2.0」の中で、マネジャー
の直面する重要な課題として、「目まぐるしい変化の
時代に、常に目標を見据えながら効率を高め、なおか
「(スポーツは)科学を抜きにすればそれは唯一の世
つ柔軟で逆境に強い組織をつくるのは、どうすればよ
界の言葉である」(ローレンス・キッチン)。
いか」
「進取の精神が成功へのカギを握るクリエイティ
ラグビーは、イングランドのパブリックスクールの
ブ経済において、働き手に日々、自主性や想像力を発
一つであったラグビー校において、ボールを手で持っ
揮し、情熱を傾けてもらうには、どうすればよいか」
て走るスポーツとして、フットボールから枝分かれし
などを挙げている。
た。その後、近代スポーツ化の過程でルールが統一さ
そこで、思い出すのが、ラグビー W 杯における日
れ、グローバル展開した。このルールにのっとれば、
本対南アフリカ戦で、ラストワンプレイ時にペナル
スポーツをする人、見る人ともに、言葉を使わなくて
ティを獲得したとき、ヘッドコーチからのペナルティ
も交流することができる。
キックによる同点との指示をオーバーライドして、選
また、スポーツビジネスにおいては、アジア全体で
手たちがトライによる勝ちにこだわった、あのシーン
のスポーツ市場の潜在性や、スポーツの国際訴求力を
だ。チーム全員に信頼感がなければ得られなかった勝
活かし、ビジネス機会を拡大していくことが求められ
利から、我々は何かを学んだはずだ。しかも、外国生
ている。アジアでは、中所得層の増大に伴い、スポー
まれや外国人国籍の選手が少なからず入っていたにも
ツへの関心が高まっている。例えば、欧州とアジアの
かかわらず、「日本代表」として団結した事実を目の
プロサッカーリーグの総収入を比較すると、特に、プ
当たりにして、多くの日本人にとって「ダイバーシ
レミアリーグ(イギリス)の総収入は近年急拡大し、
ティ」の在り方について学ぶ機会を与えてくれた。
12 年には 2,500 億円と、J リーグの 20 倍を超え
最近、企業間対抗戦の「コーポレートゲームズ」が
る水準に達した。これは、放映権料の約半分を占める
盛んになってきている。会社の中で日頃一緒に仕事を
アジアからの収入が大きく増加していることによる。
しているメンバーではなく、部署を越えて組織全体で
日本でも、13 年に札幌のプロサッカーチーム(コン
のタテ・ヨコの交流などを促進する機会として、ある
サドーレ札幌)に、ベトナム出身のスター選手がレン
いは、ゲームに参加する企業間の交流の場として注目
タル移籍で一時加わったことで、ベトナムにおける札
されており、日本企業の風土に与える効果に期待した
幌市の知名度が急上昇し、ベトナム・札幌間チャーター
い。
便によるベトナム人ファンの大挙来日や、札幌からベ
トナムへの円滑な企業進出につながるなど、大きな効
果が出ている。
18
EY Institute
Feature
5. 健康経営
すでにⅠ章で述べたが、スポーツを通じた健康経営
への取り組みがますます重要になってきている。ノー
ベル経済学賞受賞者であるベッカーは、「人々のもつ
資源を増大することによって、将来の貨幣的および精
神的所得の両者に影響を与える諸活動」を「人的資本
投資」と定義したが、それは、日本では、カイゼンな
ど人に体化された形で生産性や品質の向上を可能と
し、戦後日本の高度成長を支えた。また、グロスマン
は、人的資本の概念の延長線上で、食生活の改善や適
度な運動、医療サービスの利用などを、健康に対する
投資行動として、「健康資本」を提唱した。
近年、多くの日本企業がその価値に着目し、
「健康
経営」(従業員の健康への配慮による持続的な企業成
長)に力を入れるようになってきており、今後、スポー
ツによる動機づけや運動機会の拡大を通じて健康経営
への取り組みが拡大していくことが期待される。
Pickup Information
スポーツ関連ナレッジのご紹介
• EY 総研インサイト創刊号
「特集
2020 東京五輪を『新生日本』実現のスプリングボードに」
eyi.eyjapan.jp/knowledge/insight/2014-06-26-01.html
• メガイベントにおけるスポーツホスピタリティのすすめ
eyi.eyjapan.jp/knowledge/future-society-and-industry/2015-09-17.html
※ 本レポートは、EY 総合研究所と、株式会社ジェイティービー、
株式会社 JTB 総合研究所が共同で制作しています。
• ラグビーワールドカップ 2019 日本大会開催による経済効果
eyi.eyjapan.jp/knowledge/future-society-and-industry/2015-09-30.html
EY 総研インサイト Vol.5 January 2016
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