非配偶者間体外受精 精子提供 卵子提供

諏訪マタニティークリニック・特殊生殖医療情報誌
トス
2015 SPRING
6
VOL.
非配偶者間体外受精
精子提供
卵子提供
2014 年の 7 月末の受精着床学会で根津院長の
「夫の実父からの提供精子による非配偶者間体外受精 110 組の妊娠率 86.4% について」発表以降、
大変ご相談のお問い合わせが多くなり、
2015 年 3 月現在非配偶者間体外受精治療の一回目の面談が半年待ちという現状になっております。
また、実際の治療にお入りいただけるのは、そこから更に半年の面談期間を経てということで、
今回の TOSS は、当院としての非配偶者間体外受精治療の取り組みにあたってのスタンスを
改めて根津院長からお伝えし、その過程を経て治療に入られた患者さんの思いと、
相談室スタッフからのメッセージでまとめてみました。
皆さんからのご意見ご感想をぜひお寄せ下さい。
6号
の人達から白い目で見られたりするか
も 知 れ ま せ ん。 そ の 時、 皆 さ ん 方 が、
少しでも心が揺れたり、後悔したりす
るようなことがあるようであるなら
ば、子どもに与える影響は計り知れな
いものがあると考えます。決して安易
国としての方針も無く、日本産婦人
科医会(旧日母)や日本産科婦人科学
初回号でも述べさせて頂いてありま
すが大切な文言なので再度記します。
うか自信を持ち、前向きに治療をお受
このような現状を充分御承知置き下
さり、生まれて来る子ども達の為にど
す。
ライン下で行っていることでありま
全てを公開しつつ、当院独自のガイド
者のプライバシーを厳格に守りながら
俗に反するものではありません。当事
まず「何故こんなに時間をかけてやる
ジ ュ ー ル を ご 覧 に な ら れ た 皆 さ ん は、
持 っ て お り ま せ ん。 最 初 に 面 談 ス ケ
された皆さんであっても「妊娠させて
お子さんをもうけたいとの一念で来院
そのような基本理念の元に存在して
いる施設ですので、特殊生殖医療下で
頂いております。
ようなことをなさらないこと。
のですが、決してその責任を咎め合う
特殊生殖医療に向かうに当たり、夫
婦のどちらかに原因が有る場合が多い
いと思います。
わけではないという、強い信念を終始
な気持ちでお子さんを儲けようとした
会(日産婦)が禁止したり、取り扱い
けになって下さることをお願いしま
んだろう?」と思われたことと思いま
②夫婦としてのスタンスの再確認
お持ちの上で治療に対していただきた
が定まらない状況下にある生殖医療分
す。
す。それについて具体的に説明致しま
二人の人生のスタートを切ったはずで
す。 今 回 の こ と が ど ち ら か に 原 因 が
す。
あげればそれで良し」という考えは
野の技術に関し、日の前の患者さんの
為に、施行している以下のもので、多
胎妊娠例に対する減胎手術・配偶子
(精
子や卵子)の無い方への配偶子の提供
療と呼称しています。
バンクなどを、当院独自に特殊生殖医
ました。妊娠され出産された子どもさ
社会のお役に立てるようにやって参り
子育てプラザ」を目標に掲げ、地域や
当施設は開設 年を迎え、産科・婦
人 科・ 小 児 科 病 院 と し て「 子 づ く り、
ているような治療を受け、子どもを妊
では反対したり、うやむやな状態にし
〝 皆 さ ん 〟 で す。 そ の 皆 さ ん が、 学 会
ければ理解出来ないような少数派の
普通に妊娠し出産される方々とは異
なり、皆さんはその立場に立ってみな
二人の人生において例え何があろう
とも、二人で補い合い助け合いながら
の言葉は一体何だったのでしょうか。
があるとすれば、誓い合ったスタート
その都度、相手を咎め合うようなこと
る こ と は い く ら で も あ る と 思 い ま す。
あってのこととしても、長い人生の中
日本の国は自由主義国家であり、公
序良俗に反しない限り、自己責任の下
ん方が、どのように育てられ、どのよ
娠、そして出産し、その子を育てて行
人生を全うするのが夫婦であります。
①後ろめたいことをするのではない
で行ったり選択したりする権利を、国
う な 人 生 を 歩 ん で 行 か れ る か と い う、
く中で、もしかしたら後ろめたい思い
即ち、もう一度スタートラインに立
(AID は施行しない)
・代理出産(現
民一人一人が持っていることは憲法に
長いスパンで考えながら、親御さんに
に駆られたり、その事実を知った周り
で、二人が今回と逆な立場に立たされ
よって保障されていることでありま
なられる方や親御さん方に関わらせて
38
す。特殊生殖医療全般は決して公序良
在休止中)
・ 着 床 前 診 断・ 卵 子 セ ル フ
2.面談に半年から1年とい
う長時間をかける意義
何 故 な ら ば、「 二 人 の 人 生 を 身 の 尽
きるまで共に」と誓い合って、二人は
1.特殊生殖医療とは
院長 根津 八紘
〜非配偶者間体外受精治療を始めようとしている皆さんへ〜
二〇一五年の念頭にあたって
T
O
S
S
2
ち戻って、今回のことを再度お考え頂
きたいと思います。もしお互いの間に
少しでも引け目や上下関係が有るよう
御承知置きください。
4.誰の為に何を成すのか
私は確信しています。
るのであるならば、そのような立場に
私のやって来た特殊生殖医療が様々
な理由から「否」とされる方がおられ
とが必要と考えます。その為には、治
という覚悟を持ち、治療に臨まれるこ
子ども達の為に全力を投入、守り切る
まれ、
どのようなことが起きようとも、
以上のようなことを考え、御夫婦や
家族のコミュニケーションを充分に積
たらと思います。
知の際にも忘れること無く伝えて頂け
の気持ちを将来における子どもへの告
る方々への感謝を忘れずに、そしてそ
今回の事に臨むに当り、関わって下さ
の 存 在 を 決 し て 忘 れ て は な り ま せ ん。
族や友人、そして協力して下さる人々
人生は二人だけで存在し得るもので
はありません。何か事が起きた時、家
ます。
失敗に終わることは間違い無いと考え
懸命あなたを育てて来たこと、そして、
た神様に感謝しながら、これまで一所
④自分達の為にあなたを授けて下さっ
ていたこと
③自分達は心からあなたの誕生を願っ
がおられたこと
(配偶子や子宮の提供をして下さる方)
②自分達を率先して助けて下さる方
かったこと
通の形では子どもを作ることができな
①自分達は生殖障害者で、その為に普
以下のことを堂々と話すべきです。
と し て 襟 を 正 し て 子 ど も さ ん と 対 し、
すべきであると親が考えた際には、親
いうことです。であるならば、告知を
と考え、そしてしたわけではない」と
ら恥ずかしいことや悪いことをしよう
あると考えています。何故ならば、「何
は告知するつもりで治療に入るべきで
私は特殊生殖医療、中でも扶助生殖
医療をするに当り、何時でも子どもに
自分達は何を考え何をすべきか」と尽
でありました。「困っている人の為に、
られなかったことには正に驚愕の一言
な意見を述べておられる方が一人もお
律が必要であるかというような前向き
を助けてあげるためにはどのような法
えようとせず、そのような立場の方達
家の方々は、現有する法の下でしか捉
う問題点のみを掘り下げ、中でも法律
療によって引き起こされて来るであろ
かったからです。それよりも、その医
おられる方が、誰一人としておられな
方々の立場に立って考えようとされて
特殊生殖医療を受けなければならない
わ っ て 来 ま せ ん で し た。 と 言 う の は、
に何を成さんとしておられるかが伝
ますが、学問的内容のみで一体誰の為
れなりの分野で御意見を述べておられ
む機会を得ました。錚々たる方達がそ
集・発行による284頁に亘る本を読
最近、学術会議叢書 「生殖補助医
療と法」財団法人日本学術協力財団編
よ う に、 ス タ ッ フ 一 同 一 丸 と 成 っ て、
であります。皆さんの願いが叶います
役に立てるべく頑張らせて頂くつもり
が得られる限り、少数派の皆さんのお
今後も院長である根津の気力が続く
限り、吉川副院長始めスタッフの協力
ます。
できた、という感謝の気持ちにも溢れ
頂けて、この治療を続けて来ることが
お役に立てるという喜びを味わあせて
者でも目の前の困っている患者さんの
あります。それと同時に、私のような
いものがこみ上げてしまうことがよく
聞くにつけ、面談中にもかかわらず熱
いでになられているご夫婦のお話しを
特殊生殖医療における皆さんの苦難
の経歴と、藁にも縋る思いで当院にお
うね」と問いたくなってしまいます。
から強制なさるつもりではないでしょ
の で し ょ う か。「 ま さ か、 諦 め を 最 初
してあげようと、何故しようとしない
3.子どもへの告知について
療に入る前の段階で充分な時間が必要
その思いはこれからも何ら変わらない
力することが、健常者の弱者に対する
精一杯お力になりたいと思っておりま
置かれてしまう方達の為に、代わりに
です。なお、面談開始以前、開始以降
こと
関わり方の基本であり「人間としての
す。
ならば、そのようなスタンスの下、例
でも当院のこのようなスタンスがご理
心であり愛ではないか」と私は考えま
してあげることを考えたり、慰めたり
解いただけないと判断された場合に
以上について真摯に語り伝えるべき
です。それに偽りが無ければ、子ども
す。
え子どもを儲けたとしても、子育ては
は、審議会を経て面談をお断りさせて
さ ん は 必 ず や 理 解 し て く れ る も の と、
③夫婦二人だけの人生では無い
いただく場合があることをあらかじめ

3
19
ひはいぐうしゃかんた い が い じ ゅ せ い
非配偶者間体外受精 (精子提供)
精子提供のケース
んな感情でもありました。それは何故
かと言うと…。
夫は、家庭の事情により義父とは学
生時以来会っていない状況でした。今
おそらく何千、何万の患者さんと話し
を始めたのです。院長先生はこれまで
と、驚くことに院長先生がすすり泣き
たちの内面を話し終えてしばらくする
う思いでここにたどり着いたかなど私
院長先生との面談の時、今までどうい
何 と 言 わ れ る か 分 か ら な い 状 況 の 中、
ような状況で、更にこの件をどう思い
た。数年ぶりに会う義父が、一体どの
も会う機会はもうけられませんでし
まずは2人で、と夫に言われそれ以降
す。 私 も 同 席 し た い と 伝 え ま し た が、
父に数年ぶりに会うことになったので
さん(妻)
てきたに違い有りません。なのに、たっ
私のことを思って故の夫の判断とは思
回の件を義父にお願いする際、夫は義
た今会ったばかりの私たち二人のため
いました。ただ、私は正直、義父に会っ
ず、 面 談 を 受 け る 以 前 の 問 題 で し た。
べきことが私たち夫婦には出来ておら
われました。この面談を迎える前にす
第 1 回 目 の 面 談 時、 渡 辺 さ ん か ら、
「もう一度やり直しになります」と言
感じております。
にとって、必要な大切な時間だったと
藁にもすがる想いでお電話したあの
日から約1年、この時間は私たち夫婦
んでした。
私たちの現在に至るまでの道のり
は、けっして平坦なものではありませ
傾け本音を汲み取ろうとしてくれると
であろう、私たち患者の心の声に耳を
時、この病院は、他では踏み込まない
が一気に解け涙が溢れ出ました。その
に、張り詰めていた私の不安な気持ち
ていた気持ちは間違いではなかったの
ぱりその通りだ、この心に引っかかっ
て下さい」と言われたことが、あぁやっ
ん か ら、「 ま ず は お 父 さ ん に 会 っ て か
した。そのため、初回面談時に渡辺さ
だと、すとんと胸に落ち、それと同時
ら。お父さんときちんと絆を深めてき
てと、もやもやと一人葛藤しておりま
ど う し よ う、 初 回 か ら こ ん な 状 態 に
気づきました。
み上げましたが、正直ほっとした、そ
なってしまって…と、不安な思いが込
てみたい、会わずに面談を迎えるなん
に涙をしてくださったのです。
C
4
確 実 に 縮 ま っ て い る よ う に 思 い ま す。
途絶えてしまった親子の関係と距離が
じているようでしたし、今まで途中で
思い出話や義父との会話に嬉しさを感
今まで知らなかった
(記憶になかった)
は素直に嬉しく思いました。
夫自身も、
を嬉しそうに話して下さる義父に、私
も伺うことが出来ましたし、そんな話
ことはもちろん、夫の子どもの頃の話
と感じてきました。会う度に、義父の
ましたが、家族関係と絆が作れてきた
第2面談まで約5カ月間、義父と何
度か話す機会を作り少しずつではあり
い命を授かるとは何かを、じっくり考
から約半年間は、家族とは何か、新し
ない状況でした。けれどもまた、そこ
と、気持ちばかりが焦り何も考えられ
りも、あぁどうしよう、もう終わりだ、
なってしまいました。その時は傷心よ
ま い、 次 回 の 面 談 の 予 定 は 随 分 先 と
私達は常識に欠けた行動をおこしてし
ずでしたが、その後のやり取りの中で
える事もでき、面談は無事終わったは
これまでの義父との時間はきちんと伝
聞 い た 途 端 涙 が 止 ま り ま せ ん で し た。
た ね、 お 帰 り な さ い。」 そ の お 言 葉 を
要ったでしょう、よく帰ってきてくれ
り、「あなた方であればきっと親になっ
この治療の大切さについてもお話下さ
会ったことは初めてです。院長先生は
ださった。そんなお医者さん、人と出
かりの私たち二人のために涙をしてく
りません。なのに、たった今会ったば
何万の患者さんと話してきたに違い有
す。院長先生はこれまでおそらく何千、
に院長先生がすすり泣きを始めたので
話し終えてしばらくすると、驚くこと
面を話すことができました。私たちが
み、など自然と院長先生に私たちの内
ここにたどり着いたか、今までの苦し
緊張もほぐれ、今までどういう思いで
のも良いのではと思います。
な時こそ、正直に真正面からぶつかる
うになる事もあると思いますが、そん
だったと痛感してきました。くじけそ
きますが、全ては私たちのためのもの
います。だからこそ厳しいお言葉も頂
院の皆さんは、真剣に向き合って下さ
これから面談を受ける方、ぜひ心の
内を全部お話なさって下さい。この病
す。誠に、ありがとうございます。
てましたこと、心から感謝しておりま
ティークリニックに出会い繋がりを持
まだ分かりませんが、この諏訪マタニ
に進む予定です。この先どうなるかは
無精子症でなかったら、義父に会うこ
よりも嬉しかったです。きっと、夫が
た。本を拝見し、院長先生のこの治療
とってかけがえのないものでありまし
そ ん な 諸 々 を 経 て 迎 え た 第 2 面 談。
院長先生との出会いも、私たち夫婦に
送って下さっているように感じまし
そんな二人を見ていると、いくら離れ
ともなかったでしょうし、こうして親
における相当なる想いが心に響き、お
せて頂きました。(2015・3現在治
てもいいのですよ」と温かなエールを
子が再会することもなかったと思いま
会い出来る日を心待ちにしていた同時
た。
える時間になりました。
す。
本来はとても辛い無精子症ですが、
に、緊張や不安も勿論ありました。し
療中)
ていて時間は経っていても、お互いを
そのお陰で今回こうしてお互いを引き
かし、お会いすると、まさに院長先生
先生との面談が始まりました。先生は
現在、無事3次面談を終え義父から
の精子の採取も済み今後は実際の治療
こんな私たちの経験談が、少しでも
お役に立てれば幸いと思い文章を書か
心配し思い合う、やっぱり親子は親子
合わせてくれたこと、これは感謝すべ
は、私たちが本を読み〝聖人〟と感じ
なんだなぁと感じました。この事が何
きことだと思っております。
緊張で迎えた1回目のやり直し面
談。不安で押し潰されそうな状態でし
静かに「人生、いろいろありますよね」
ていたそのお方そのものでいらっしゃ
た。 そ ん な 私 た ち に 渡 辺 さ ん が、
「お
と話し始めました。その声の温かさに
いました。当日、診察室に入り、院長
久 し ぶ り。 こ こ ま で 来 る の は 勇 気 が
非配偶者間体外受精(精子提供)
5
とき、その場の空気感から全てを悟り
結果を待ちました。診察室へ呼ばれた
翌週夫の精液を病院へ持ち込み、検査
つかりません。
」と告げられたのです。
なった時初めて、医師から「精子が見
診 し ま し た。 フ ー ナ ー テ ス ト を お こ
から、思い切って市内の産婦人科を受
結婚してから2年が経つというこ
ろ、なかなか子どもが授からないこと
無精子症発覚から手術への道のり
りキラキラと輝き始めたように感じた
が他の選択肢より二人の未来の光とな
に愛せる」のではないかと、養子縁組
ども。でも、私たちは、その分「平等
二人にとって「平等に血縁のない」子
間後に病院に問い合わせをしてくだ
と 判 定 で き ま せ ん。 そ の 結 果 は 4 週
あったのですが、しっかり検査しない
中 に は、 精 子 細 胞 と 思 わ れ る も の も
ざまな細胞があって、採取した細胞の
いませんでした。精細管の中にはさま
「 目 で 確 認 で き る 範 囲 に、 精 子 細 胞 は
耐え、夫の手術は無事に終了しました。
7カ月の待機の末、ようやく迎えた
手術当日。想像を超える緊張と不安に
た。
い地にある病院へ問い合わせをしまし
で検索すれば必ず名前の挙がる遥か遠
したくない気持ちが強まり、無精子症
ないことを確かめるだけ」の手術には
の言葉を反芻するうちに、やはり「い
の 値 で す。」 し か し、 家 に 戻 っ て 医 師
と言われるかもしれない、それくらい
介できますが、ただ、切るまでもない
的な結論は出せるので県外の病院を紹
う MD
しい、ということでした。そこで、は
多いので、今一度慎重に考えてみてほ
でいくことがなかなか難しいケースが
無いわけではないものの、円満に進ん
した。兄弟からの提供については例が
は、弟への提供依頼についての内容で
の携帯に電話が入りました。その電話
メールの問い合わせのすぐ翌日、カ
ウンセラーの渡辺さんから朝一番で夫
提供を受けたい、と思ったのです。
る道があるなら、夫の親族からの精子
わせをしました。少しでも血縁を残せ
諏訪マタニティークリニックに問い合
提 供 は ど う だ ろ う か と 夫 と 話 し 合 い、
し夫には弟がいることから、弟からの
父からの精子提供は望めません。しか
の両親は離婚しており、音信不通の実
聞いたことがありました。しかし、夫
ました。非配偶者間体外受精のことも、
らインターネット等を通じて知ってい
ニティークリニックのことは、以前か
それでもやはり、子どもを抱きたい
と願う気持ちが残るのです。諏訪マタ
をもらして泣きました。
くことを禁じていたことを忘れて嗚咽
ちを受け入れるかのような言葉に、泣
のです。まるで、両手を広げて、私た
を、渡辺さんは「持ってきて」と言う
で二人でしか話せなかったこの苦しみ
ルをくださったのです。その文章を読
い。一緒に考えましょう。」というメー
けた苦しさをここへ持ってきてくださ
はその後のメールで「お二人で抱え続
許されないのか…。しかし、渡辺さん
どもが欲しい」という普通の感情さえ
ねない可能性もはらみ、私たちには「子
ろか、弟夫婦の関係を壊してしまいか
るわがままになってしまう。それどこ
で叶えられない以上、その希望は単な
た。子どもを望むことが自分たちの力
時に、さらなる絶望感も襲ってきまし
たことに気づかされました。しかし同
外視して、視野が極端に狭くなってい
ま し た。 あ ぁ、 い な か っ た ん だ、 と。
さ い。」 1 カ 月 後、 病 院 へ メ ー ル で 問
たと気づいたのです。私たちは、自分
カ ウ ン セ リ ン グ の 当 日。「 養 子 縁 組
についてはどう思っていますか?」と
のだと思われます。顕微鏡下でおこな
精子が1匹もいないこと、死がいすら
合せそのすぐ翌日回答がきて、精子細
たちとその未来のことしか見ていな
質問されました。その方法がある、と
TESE をすることで最終
いないため精子が作られていないと思
胞がいなかったことが書かれていまし
かったのでは、ということを。弟の奥
いうことは知っていても、二人の血縁
精子提供のケース
われること、総合的に考えると無精子
た。私たち二人の子どもを授かれる道
さんの気持ち、甥っ子や姪っ子たちの
さん(妻)
症であると診断されること。紹介状を
が完全に閉ざされた日でした。
つ目の選択肢「養子縁組」
んだ瞬間に涙が溢れてきました。今ま
頂いて、市内の総合病院の泌尿器科へ
諏訪マタニティークリニックとの
かかりました。血液検査からホルモン
の値が異常値であることがわかりまし
出会い
−
た。
「 こ の 値 か ら す る と、 先 天 的 な も
たってその周りで起こり得る問題を度
り方について…子どもを授かるにあ
気持ち、今後の私たち夫婦とのかかわ
求めることもしてこなかったことを正
中の選択肢には入っておらず、情報を
を重視していたこともあって、治療の
3
I
6
対して、どんどんと意見を出していく
渡辺さんは、私たちが今まで囚われ
てきた「普通のこと、当然のこと」に
る条件ではないんです」
にしてくれる。妊娠することが親にな
がスタートであって、『子ども』が『親』
中にいることがすべて?生まれてから
カ月間お腹の
悲しい事件は起こらない?出産する経
「 血 縁 を 重 視 し て い れ ば、 親 子 間 で の
ある。
私たちはそこに拘っていました。
これらの方法だと、血縁を残せる道が
私たちの頭に浮かんでいた2つの選
択肢、非配偶者間体外受精と AID。
説明してくださいました。
ださりながら、時間をかけてじっくり
れた方々のお話や写真などを見せてく
タニティークリニックで養子縁組をさ
と必要な覚悟、そしてこれまで諏訪マ
になる為に考えなければならないこと
思います」と、養子縁組の流れ、里親
なるよう、お話しさせていただこうと
一体何だろうと考えてもらえる機会に
てきたあなた方に、血のつながりって
いということですね。血縁にこだわっ
についてだけは何の情報も入っていな
は 笑 顔 の ま ま こ う 続 け ま し た。
「養子
直に打ち明けました。すると渡辺さん
来の光となりキラキラと輝き始めたよ
の養子縁組が他の選択肢より二人の未
き去りにしての強行はできません。こ
私の血縁は残せますが夫の気持ちを置
えることは望みません。AID では、
弟夫婦に大きな負担やストレスを与
法であることも理解しています。でも、
互いの親の気持ちを考えれば最善な方
ができました。血縁を残すことは、お
し、きちんと向き合って話し合うこと
つ1つを、あらゆる角度から見つめ直
ついて上がっている3つの選択肢の1
この1週間は全く違い、二人の将来に
な る こ と が ほ と ん ど で し た。 し か し、
ことの半分も言い合えずに消化不良に
言葉を選びながらの会話は、言いたい
と き、 お 互 い に 遠 慮 や 気 遣 い が 働 き、
て話をしました。子どもについて話す
BBQ ま で の 1 週 間、 私 た ち は 今
までにないくらいに今後のことについ
い、その場で参加を決めたのです。
れも何かの縁なのかもしれないと思
ました。突然の話でしたが、しかしこ
加してみませんか?」とお誘いを頂き
回 の 里 親 BBQ 交 流 会 が あ る か ら 参
然にもこのタイミングで来週、年に1
に広がりが生まれました。さらに「偶
れたことで、私たちの見えていた未来
は別の角度からアプローチをかけてく
赤ちゃんが支えを求めて伸ばす手とそ
こねる子ども、おぼつかない足取りの
「 お 母 さ ん! こ れ 取 っ て!」 と 駄 々 を
に お 父 さ ん と お 母 さ ん と 子 ど も た ち。
みんな「よくある家族」でした。普通
なっていませんでした。どのご家族も
し む よ う な 響 き で、 少 し も 暗 さ を 伴
た よ ね。」 そ の 口 調 は、 少 し 昔 を 懐 か
うそうそう!『長野組』とか言われて
3組くらい参加してたんだよね?」「そ
し た。「 あ の 時 の 講 習 会 に 長 野 県 か ら
た養子縁組について話し始めてくれま
ご家族の奥様たちが、ご自身の辿られ
私の様子を知ってか知らずか、2組の
会話が進められずにいました。そんな
問する言葉を選んでしまい、なかなか
養子縁組に至った道のりに関しては質
われました。そう言われても、やはり
てもらっても構いませんから!」と言
告知をされていますし、誰に何をきい
のタブーもありません。子どもたちも
した。主催者のお一人に「ここには何
としてみなさんに紹介していただきま
多くのご家族が集まる中で、私たち
は〝これから養子縁組を検討する夫婦〟
そして迎えた BBQ の日。
等に愛せる」のではないか。
二 人 に と っ て「 平 等 に 血 縁 の な い 」
子ども。でも、私たちは、その分「平
います。(2015・3現在)
しい未来へ一歩を踏みだそうと思って
しています。私たちはキラキラ輝く新
あるのかもしれない、二人でそう納得
べての意味が、今とそしてこれからに
イトが当てられたこと。これまでのす
の選択肢として養子縁組にスポットラ
ニックへつながったこと、新たな人生
たこと、そして諏訪マタニティークリ
れました。悩んだこと、辛くて悲しかっ
きていくことができる」とお返事をく
その意味に気づいたとき人は自分を生
初めてメールを出したとき渡辺さん
は「 全 て の こ と に は 必 ず 意 味 が あ り、
前向きに進んでいる気がしました。
二人が、同じ道を真正面から見据えて
帰路についた私たちは車中ずっと感
想をしゃべり続けていました。初めて
じました。
えた「家族」の笑顔はとても眩しく感
そ う な「 家 族 」、 色 々 な こ と を 乗 り 越
そこで私たちが目の当たりにした幸せ
チャーをうけた上で参加した BBQ。
る、ということについてある程度レク
何故か不思議なほどお顔がよく似てい
家族の風景がそこにありました。また、
皆さん方には様々な事情や背景があ
たち、そして里親を選択するに至った
る親子ばかり。養子となったお子さん
の手を取るお父さん。本当に、普通の
のです。普通ってなに?当たり前って
うに感じました。
験も大事だろうけど、
なに?私たちが固執していた考え方と
非配偶者間体外受精(精子提供)
7
10
面談の場に私は「いつもの私」で座り
クリニックに問い合わせをして、初回
た。半信半疑のまま諏訪マタニティー
張 っ て み な い か ?」 と 言 っ て き ま し
が「自分が協力するから不妊治療を頑
の こ と は 義 父 か ら 聞 き ま し た。 義 父
諏訪マタニティークリニックでの治療
「仮面夫婦」として暮らしていました。
か子どもに関して本心を言い合えない
話が出来た事、全ての面談を終えた時
や、主人と改めて向き合いたくさんの
う、という事が出来るようになった事
夫 婦 で 未 来 を 想 像 し、 話 し、 笑 い 合
持ちがこみ上げました。希望を持って
たし、聞いた時は驚きと共に感謝の気
くれていたとは思ってもいませんでし
した。まさか義父がそんな風に思って
ございます』と言っていた事を聞きま
の明るい嫁に戻してくれてありがとう
ます。
うな人生を歩んでいきたいと思ってい
出来る事を全力で後悔しないで済むよ
も、全ての事に意味があると思って今
しまう事が起きるかもしれません。で
不安に負けそうになる時や下を向いて
婦二人で生きていたってこんなに幸
いと思っても、ペットも飼ってるし夫
どもの居る夫婦をどれだけうらやまし
出るような番組が始まれば見ない、子
極力行かない、テレビでも赤ちゃんの
多く目にするデパートやスーパーへは
過ぎて行きました。休日、家族連れを
題を口にしないまま何年も時間だけが
るようになり、私も主人も子どもの話
それから私たち夫婦の間では、どち
らともなく子どもの話をする事を避け
ました。
することも出来ませんとの説明を受け
ようやく言葉に出来たあの日から私
は希望を持てるようになりました。そ
て下さいました。
ら最後まで、渡辺さんは全て受け止め
もが欲しかったか。そんな私を最初か
して気づきました。私はどれだけ子ど
る自分が自分にとても驚きました。そ
泣きながら話し出しました。話してい
分 の 本 当 の 自 分 の 気 持 ち を 叫 ぶ 様 に、
し、主人の結果が出たあの時から6年
チに固めていた心の堤防が一気に崩壊
しまいました。その瞬間、私のガチガ
ら れ ま せ ん。」 と ハ ッ キ リ と 言 わ れ て
と思っているように私にはまるで感じ
直ってはいませんでした。おめでとう
してしまいました。まだちっとも立ち
な?と思っていた頃とほぼ同時期でし
しかも予定日は私が当初出産予定日か
そんなある日の事でした。仕事中に
同 僚 が 妊 娠 中 で あ る 事 を 知 り ま し た。
なっていきました。
き少しずつ泣かずに過ごせる日が多く
れでも時間だけはどんどんと過ぎてい
い表わせない程に辛い経験でした。そ
果になってしまいました。言葉ではい
た。しかし、残念ながら流産という結
移植で初めての妊娠判定を頂きまし
そして、去年からいよいよ体外受精
による治療が始まりました。4回目の
起こっていきました。 の二人の変化はまさしく面談の過程で
ました。
こ れ ま で の 気 持 ち に つ い て 問 わ れ、
話し終えた所で渡辺さんに「あなたが
主人が無精子症とわかった時、頭が
真っ白になった事を今でもはっきりと
せ、 子 ど も が で き な い 夫 婦 は 可 哀 想、
して私自身あの日を境に変わったよう
も言えませんでした。おめでとうを言
本当にこころの底から子どもが欲しい
覚えています。今から8年程前の事で
と思われたくなくてそれを必死で前面
なのです。数ヵ月後に行われた主人の
えなかった自分がとても嫌でした。私
精子提供のケース
す。その後主人は、手術を受けたもの
に出す様に生きてきました。夫婦の中
両親との面談で、義父が渡辺さんに『元
さん(妻) の精子が見つかる事はありませんでし
でもその話題は封印され、いつの間に
た。この時、仕事中にも関わらず号泣
た。病院でもこのような状態ではどう
T
8
する事です。年齢も居住地もバラバラ
始めた犬を通じて知り合った方と交流
ます。それは、引っ越しと同時に飼い
今、時間のある時にしている事があり
と 感 じ る よ う に な り ま し た。 そ し て
のまた前を向いて進めるようになった
ました。でも、少しずつではあるもの
落ち込みました。
けられない…。自分の心の狭さにまた
のに人の幸せにおめでとうの言葉が掛
思ってもいなかった事なのに、それな
に は 妊 娠 す る と 言 う 事 自 体、 夢 に も
はチャンスを与えてもらって、数年前
す。
私の人生、これからどのようになっ
思い描いていた人生とは違っても私
は全ての事に意味があると思っていま
んでいけて幸せだと思っています。
いのない家族ですし、一緒に人生を歩
た方々。今となっては、愛犬はかけが
た我が家の愛犬やそれが縁で知り合え
結婚した頃に想像していた未来とは
違っているものの、だからこそ出会え
す。
じて知り合う人もいなかったと思いま
く犬は飼わなかったと思うし、犬を通
婚後すぐに子どもが出来ていたら恐ら
いる事があります。もし、私たちに結
の愛犬のおかげです。つくづく思って
した。この方と出会えたのは、我が家
す。すんなりいかなかったことが夫婦
あのときの私たちではダメだったんで
ましたが、帰り際に渡辺さんから「奥
まったんだろう」とうろたえてしまい
す ぐ に、「 あ ぁ、 な ん て こ と を し て し
なってしまったのだと思います。当然、
んな治療をしてもいいのか」と怖く
避けていたため、あの日治療について
受け止め切れておらず直視することを
身主人の無精子症という事実を芯から
まならなかったのもありますが、私自
居られないために会話をする時間もま
仕事の都合上、月に何日かしか一緒に
いしか出来ていませんでした。主人の
その後に予定されていた院長先生と副
院 長 先 生 の 面 談 は 中 止 と な り ま し た。
しっかり二人で話をして本当に決心が
ついたらまた連絡をしてくださいと言
『子どもを持てる可能性がまだあるの
忘れられません。
がおっしゃった言葉がとても印象的で
とお話してくれました。そしてその方
不妊治療をしていて流産の経験もある
方 に 子 ど も は い ま せ ん。 し か し 以 前、
その中のひとりの方と先日、じっく
りとお話する機会がありました。その
す。いつの日か支えてくれる方々にい
謝する気持ちを持てたのだと思いま
えてもらっている事に気づけたり、感
す。今の人生だからたくさんの人に支
な人生を歩んでいきたいと思っていま
を全力でいつか後悔しないで済むよう
るかもしれません。でも、今出来る事
れません。下を向いてしまう事が起き
たちはこの治療を希望して問い合わせ
うになってしまったのかというと、私
れてきてしていました。何故そんなふ
せんか?」との問いかけに急に涙が溢
不安や心配になっていることはありま
り終わり、最後に渡辺さんから「何か
あれは第2面談日のこと、看護師さ
んと培養士さんからの治療説明が一通
て と て も よ く 話 す よ う に な り ま し た。
この治療のことや子どものことについ
か不安とかない?」と聞いてくれたり、
第2面談後の主人は積極的に私に「何
し た。 主 人 も 同 じ だ っ た と 思 い ま す。
そこから先は1日もこの治療と子ど
もについて考えない日はありませんで
われ病院を後にしました。車に乗って
なら諦めないで今頑張って!』と。流
い報告が出来るようにこれからも上を
をしたものの、第2面談の段に至って
次第に私も遠慮などすることなく話せ
さん(妻)
の 現 実 的 な 話 を お 聞 き し、「 本 当 に こ
ですが、犬好きな者同士とても話が合
ていくかはわかりません。また人と比
や家族の絆や信頼となり、今の私たち
産後、また妊娠できるかな…、また流
向いて笑顔で過ごしていきたいと思っ
も互いの顔色を探っての上辺の話し合
何か考え入っていました。
がとても響いたようで、その時点から
ださい」と言われた主人は、その言葉
産したらどうしよう…と、不安に思っ
ています。(2015・3現在治療中)
それから少し時間がたち、過ぎてい
く時間に焦ったり不安になったりもし
いますし、犬と暮らす者として勉強に
べ て し ま う 事 も あ る か も し れ ま せ ん。
さんが本音を言えるあなたになってく
精子提供のケース
なる事もたくさんあります。
不安に負けそうになる時もあるかもし
になれたんだと思います。 ていた私の背中を押してくれる言葉で
非配偶者間体外受精(精子提供)
9
S
し た。 こ の 4 カ 月 は 一 体 な ん だ っ た
し相談室に寄って今後のことを話しま
れてしまいました。すっかり意気消沈
できちんと考えて来て下さい」と言わ
えることが出来ず「もう一度、ご夫婦
になり、質問されたことに二人して答
てしまい先生方を前にして頭が真っ白
んだつもりでしたが、緊張の方が勝っ
話をして、強い覚悟と決心を持って臨
ても緊張しました。あれだけたくさん
りの諏訪マタニティークリニック、と
を設定していただきました。4カ月ぶ
さんにお伝えし、あらためての面談日
す。そして変われた二人の様子を渡辺
を思い合えるようになったと思いま
仕切り直し面談までの4カ月、夫婦
の 絆 や 信 頼 が よ り 深 く な り、 お 互 い
にもなりました。
は大変学ぶことが多くそして心の支え
談を読んだことは私たち夫婦にとって
た先生方の書籍や患者さんたちの体験
かしそんな中で、課題としていただい
い合いになったこともありました。し
になって喧嘩もしたり、泣きながら言
になりました。もちろん時々強い口調
お互い色々な話をしっかり話せるよう
るようになり、治療のことだけでなく
ました。義父、義母からは優しい笑顔
人で「よろしくお願いします」と言い
当日、起きた瞬間から緊張していま
した。義両親を迎えに行き、私たち二
こぎつけられました。
やっと最終面談日を迎えるところまで
面 談 は 5 回 に な っ て し ま い ま し た が、
い合わせから1年、3回で済むはずの
難しさを学びとても反省しました。問
で気持ちや考えを的確に伝えることの
人で話をすることになりました。そこ
私達は再度相談室へ行き渡辺さんと三
は足踏み状態…。先に進めなくなった
逆に空回りになってしまい、面談行程
しかし、気持ちはあっても一生懸命が
ました。
な気づきになっていたことを思い知り
月の時間は主人にとってはこんな大き
わっていたのです。ここでまず、4カ
で前向きに考えられるほどの主人に変
精子症になって良かった〟と、ここま
ま う ほ ど つ ら い 思 い を し た の に、〝 無
実を目の当たりにし人生に絶望してし
きました。1年前は無精子症という現
に な っ て 良 か っ た の か も …」。 私 は 驚
まで変われなかった…。俺は無精子症
た。この経験がなければ、自分はここ
リニックでの経験はとても貴重だっ
人として気持ちが欠けてしまっては成
様子でした。この治療は、家族の誰1
に精子があったことにとても安堵した
た。それを聞いた瞬間、義両親は無事
生から、今回は義父からの精子が2回
めて感じました。お話の最後に院長先
うこと、子どもを幸せにする責任を改
た。そして、命の尊さ、親になるとい
持ちを抱きながらお話を聞いていまし
治療をしてくださる先生に、感謝の気
ありながら、私たち患者のためにこの
ていました。逆に私は、難しい治療で
めに、患者さんのためにとおっしゃっ
した。院長先生は何度も患者さんのた
い、涙ぐんでお話しをしてくださいま
のような患者のつらさや気持ちを思
と い う お 話 を し て く だ さ り、 私 た ち
院長先生の面談はやはり緊張しまし
た が、「 医 療 と は 患 者 の た め に あ る 」
がこぼれました。
でのことが一気に思い出され、私も涙
葉に、嬉しさと感謝の気持ちとこれま
たちの手を握ってくれました。その言
ずに頑張りましたね」と涙を浮かべ私
が本当に嬉しい!よくここまでくじけ
人がこの最終面談の日を迎えられたの
んは義両親と私たちにむかって「お2
ニックに着き相談室に通され、渡辺さ
(2015・3現在治療中)
張 っ て 治 療 に 通 い た い と 思 い ま し た。
お 世 話 に な っ た 方 々 に 感 謝 し て、 頑
ま す。 主 人 の 言 葉 通 り、 こ れ か ら も
り、 今 の 私 た ち に な れ た ん だ と 思 い
たことが夫婦や家族の絆や信頼とな
だ っ た ん で す。 す ん な り い か な か っ
い ま す。 あ の と き の 私 た ち で は ダ メ
かりとした気持ちで治療へ臨めると思
そ、今の成長した私たちがあり、しっ
なりと予定通りに進まなかったからこ
い で す。」 と 話 し ま し た。 全 て が す ん
す。お世話になった人たちに感謝しな
で、治療がうまくいくように頑張りま
は「 一 生 懸 命 働 い て、 治 療 費 を 稼 い
人ずつ今の気持ちを聞かれた時、主人
かと思います。そして院長先生から1
ちの共有がしっかり出来たのではない
のお話を聞くことが出来、改めて気持
面談の日に四人が一緒になって先生方
をすることはありましたが、この最終
がら、これからの人生を歩んでいきた
と落胆しきった私に車に乗っ
で「こちらこそよろしく」と言っても
り立ちません。今まで何度も家族で話
分あったことを教えていただきまし
た 時 に 主 人 は こ う 言 い ま し た。
「もし
ら い ま し た。 諏 訪 マ タ ニ テ ィ ー ク リ
のか
これでダメでも、諏訪マタニティーク
?!
10
というか考える根拠が初めに思ってい
す。がしかし、そう考えるまでの過程
談を終えた今もまったく同じ気持ちで
いう思いでいました。そして全ての面
え、初めての面談を受けに行く時そう
諏訪マタニティークリニックで父か
らの精子提供で治療を受けたいと考
できます。
」
を受けて親になる心の準備のために絶
それは私たち夫婦が父からの精子提供
カ 月。
か。覚悟ができていないなんてふざけ
症の辛さがお前になんかわかるもん
初めての面談の時、相談室で「無精子
「していません」と答えました。「メー
教えて下さい」との質問に私は正直に
し た。「 四 人 で お 話 し し た 時 の こ と を
した。が、しかしこの後事件が起きま
るのかと少しうれしい気持ちもありま
くなかったので、ここまで聞いてくれ
は気持ちについて触れられることは全
多く質問され、これまでの治療施設で
〝どんな思い〟をしてきたかについて
し た か?」 な ど、 こ れ ま で 私 た ち が
精子症とわかった時はどんな気持ちで
療 中 は ど ん な 気 持 ち で し た か?」「 無
た 1 回 目 の 面 談。「 こ れ ま で の 不 妊 治
すこし不安を持ちながらも、正直簡
単な顔合わせ程度であると思って迎え
た」と返信を出しました。
ついて快諾してもらうことができまし
い「両親と四人で話し合い精子提供に
その報告も兼ねて四人で話そう」と思
談は2回あるから1回目が終わったら
がわかっていたので「夫婦二人での面
ですが、父は承諾してくれていること
してしか父の了解を得ていなかったの
私の父は単身赴任していたため母を通
い 」 と い う メ ー ル を い た だ き ま し た。
と話し合った上で面談に臨んで下さ
いきます。まずは四人揃ってしっかり
をあなたが口に出来て良かったです」
ず「あんな風にご自分の正直な気持ち
げられないままの私に、渡辺さんはま
の大きさにすっかり落ち込んで顔も上
普段感情をあらわにするような性格
ではないので、自分がしてしまった事
戻りました。
れ、私はうなだれたまま再度相談室へ
いかお願いしようよ〟そう妻に諌めら
話をしてもう一度面談をしてもらえな
かった私たちが悪い。きちんと四人で
てこなければならないことをしてこな
案 内 さ れ た 隣 室 へ 移 動 し ま し た。〝 し
りあえず妻と二人で話してくださいと
いだ…」そう心の中で思いながら、と
ぐに「あぁ、どうしよう、もうおしま
れてしまいました。言ってしまってす
ていないなんてふざけるな」とぶち切
前になんかわかるもんか。覚悟ができ
余りにとっさに「無精子症の辛さがお
きっぱりと言い放たれ、私は悔しさの
ことではこの先には進めません」と
覚悟ができていない。最初からこんな
す。あなた方はこの治療を受けていく
面談を甘く考えてもらっては困りま
た。それに対して渡辺さんから「この
い訳がましいことを言ってしまいまし
らも、こちら側の事情説明のようない
てくるということをぜんぜんわかって
では、起こりうる問題はぜんぜん違っ
のと父親の精子を使って生まれた子と
わってきます。純粋に2人の子である
こなう不妊治療とでは意味が全然変
と、父親の精子を提供してもらってお
なかったと思います。自分の可能性に
今になればあの時はまだまだ非配偶
者間体外受精について何もわかってい
路につきました。
えたことに感動と感謝でいっぱいで帰
み取ってくれる、そんな病院に巡り合
ここまで私たち夫婦の〝気持ち〟を汲
て い ま す か ら ね 」 と 言 っ て い た だ き、
し合いをして出直してください。待っ
整をしますのでご両親共々しっかり話
う一度第1回目の面談としての日程調
て い る ん で す。Y さ ん の お 宅 は、 も
こちらも本気でお伝えさせていただい
かり考え、学んでいただくべきことを
からこそ、この面談期間を通してしっ
療を受けていただきたいと思っている
だと頼って来られる方々全員にこの治
ティークリニックでしかできない治療
うのですが違いますか ? 諏訪マタニ
という覚悟ができていないからだと思
受けてでも子どもを持って父親になる
とは、あなたの中にまだ精子の提供を
精子提供のケース
たものとは2人して大きく変わりまし
ルには四人での話ができている、と返
と言われました。それに続いて「お父
いませんでした。妻が産める、血が繋
るな」とぶち切れてから
対的に必要な時間だった。
た。
「 ど う し て も 子 ど も が 欲 し い。 私 た
ち夫婦はこの方法でも子どもを幸せに
9
さん(夫)
治療についての問い合わせをした
後、諏訪マタニティークリニックさん
信をいただいていますがどういうこと
さんと直接話しをしていないというこ
年
から「皆さん方と私たち施設との互い
でしょう」私は頭が真っ白になりなが
かけて行っていたそれまでの不妊治療
の信頼関係ができてから治療に入って
非配偶者間体外受精(精子提供)
11
1
Y
きました。
ということを、ここで気づくことがで
で本当の家族になることが大切なのだ
からでないとだめなのだ、まずは四人
いなかったので、だから四人で話して
さかそんな効果があるなんて思っても
てみようと思え、四人で話すことにま
接話して聞いてもらおう、何でも話し
てきた不安も、これからは両親にも直
らいました。これまで妻と二人で抱え
んと話してくれて嬉しい」と言っても
言ってもらいました。母からは「きち
が次の面談はしっかりやってこい」と
力になる。今回の面談は仕方なかった
父からは「もちろん力になれるのなら
話 を し た の は こ の 時 が 初 め て で し た。
なかった時も不妊治療について四人で
精子細胞を使っての治療がうまくいか
ると、無精子症と分かった時もその後
帰ってからすぐに面談で起こったこ
とすべて両親に話しました。考えてみ
だと思いました。
れを全て渡辺さんはお見通しだったの
いたことに気づけました。そして、そ
に大事かということを私は甘く考えて
もった親になれるか、その過程がいか
その子の幸せを本気で守り抜く覚悟を
が る と い う ハ ッ ピ ー な 結 果 で は な く、
えたことの運命に感謝しました。
き、この時代、この時期に諏訪マタニ
医療に関する実情を学ばせていただ
ニティークリニックにおける特殊生殖
も同時期に読んでいたので、諏訪マタ
そして面談の行程にあった課題の6冊
を 妻 と 再 確 認 す る こ と も で き ま し た。
に持ち続けていくこと。そんな気持ち
いきたいという純粋な気持ちをブレず
い、その子どもを家族で大切に育てて
こと。愛する人との間の子どもが欲し
んな周囲の目にまどわされないという
いました。大切なことは、私たちがそ
る人になにか言いたいだけなのだと思
今回のことも少し異質なことをしてい
するのがとても得意な生き物ですから
ことなのです。人間は人の欠点を指摘
う言おうと、それはまったく関係ない
からない人たちがこの治療についてど
す。だから、その当事者の気持ちがわ
て、そうなってはじめてわかったので
気 持 ち は わ か り ま せ ん。 私 た ち だ っ
た。 当 事 者 に な ら な け れ ば 私 た ち の
どうでも良いことと思ってみていまし
が、あんな批判などは私たちには全く
をインターネット等で読んでいました
出ていました。私たち夫婦もその様子
体外受精について多くのバッシングが
れ、それについて世間では非配偶者間
治療中)
きたいと思います。(2015・3現在
の人生を家族とともに力強く進んでい
と言われた言葉の通り、治療とこの先
て、 こ れ か ら も 進 ん で い っ て ほ し い 」
はずと神様がくださった試練だと思っ
時「あなた方夫婦なら乗り越えられる
思いに至れました。根津院長が面談の
る子どもも不幸にはならない〟こんな
幸なわけではないのだから生まれてく
年 9 カ 月 の 間 で、〝 私 た ち は 決 し て 不
分がとも思っていました。でもこの1
ができないなんて不幸だ、どうして自
について不妊治療をしなければ子ども
ています。最初は、自分自身の身の上
救っていただけた時間であったと思っ
害者である私たち夫婦のこころ」も
せ の た め の こ と は も ち ろ ん、「 生 殖 障
す。そして、生まれてくる子どもの幸
かりとさせていただいたと思っていま
た。「親になるための心の準備」をしっ
と を 考 え、 話 し、 感 じ 合 っ て き ま し
期間私たち夫婦は本当にたくさんのこ
月の年月を費やしたわけですが、その
わせから最終面談までなんと1年9カ
つばかりとなりました。最初の問い合
その後、やり直し面談を含めて3回
の面談が終わり、今は治療の開始を待
ティークリニックという施設と巡り会
それからほどなくしてテレビで根津
院長がこの治療のことについて公表さ
12
からず泣いてしまいました
も本当にうれしくて主人と人目をはば
一瞬訳が分からず信じられなくて、で
「妊娠してるよ」と言ってくれた時は
クールな吉川先生が少し笑いながら
ね る と、「 も う 閉 経 し た お ば あ ち ゃ ん
も何か治療法や出来る事はないのか尋
ちゃん程の数値だったらしく、それで
血の結果の値がもう閉経したおばあ
でした。いくつかの検査をし、その採
その病院の医師に告げられた言葉は
今でも傷が癒えない程ショックなもの
をかけ不妊治療の病院に通いました。
結婚して子どもが欲しいと思うのは
当たり前の事で、ほんのわずかな望み
てくれました。
事を理解し、受け入れたうえで結婚し
最初の電話の際、渡辺さんにも姉の通
な か 仕 事 を 休 む の が 難 し い と い う 事。
がら家事や子育てをしていた為、なか
ルマザーという事もあり一人で働きな
れた場所に住み、ましてや姉がシング
は距離でした。私も姉も別々に遠く離
かったです。でも、私たちの一番の壁
えてくれた両親の存在が本当に有難
のお願いを受けてくれた姉、全てを支
何でもすると言ってくれる主人、提供
幸運な事に私は周りの環境にはとて
も恵まれていて、自分に出来る事なら
かけ病院にメールをしました。
ても怖かったのですが、最後の望みを
を知りました。正直、前の事もありと
ちに諏訪マタニティークリニックの事
る事が出来ず、いろいろ調べているう
病院はなく、それでもどうしても諦め
でも、実際にそれを受け入れてくれる
自分の中に卵子の生存は確認出来
ず、 私 に 残 さ れ た 道 は 卵 子 提 供 の み。
残った事を覚えています。
なぜそんな言い方をするのだろう
と、 た だ た だ 絶 望 感 と 不 信 感 だ け が
人車の中で泣きました。
当時 代だった私にとってその言葉
はあまりにも残酷でくやしくて…、一
できて私の子宮が原因で治療自体が出
た時は本当にショックでまさかここま
む事が出来ないかもしれないと言われ
く厚くならず、この状態では治療に進
必要な子宮内膜が私は薬を使っても全
した。しかし、妊娠するために絶対に
もがすぐに治療に入れると思っていま
に最終面談を終え、この時私たちの誰
温かい言葉に涙があふれました。無事
は何もない」と言ってくださり、その
たのせいじゃないよ、自分を責める事
で、やさしく「病気になったのはあな
根津院長先生との面談では、本など
を読んで私が想像していた通りの方
当に有難かったです。
不安を取り除いてくださいました。本
も嫌な顔一つせず、丁寧に説明をして
面談では心配でついてきた父に対して
の砦にしたいと思いました。初めての
てここしかない!ここを私たちの最後
に救われた気持ちになりました。そし
して頂き、可能性はあると言ってくれ
丁寧にこれからの事や治療内容を説明
クリニックを訪れた時は本当に緊張で
だきました。初めて諏訪マタニティー
た時、今まで絶望の中にいた私は本当
い っ ぱ い で し た が、 渡 辺 さ ん に 会 い、
私たちに病院に行く機会を作っていた
私は小学生の頃に病気をし、その際
の放射線治療の影響で子どもが望めな
に子どもが欲しいと言われても無理な
院について心配していただきました
来ないなんて考えてもいなかったので
ひはいぐうしゃかんた い が い じ ゅ せ い
い身体になりました。子どもが出来な
話。あなたは考えが甘すぎる。うちで
が、とりあえず一緒に考えるので相談
正直主人や姉に何と伝えたらよいのか
非配偶者間体外受精 (卵子提供)
いと解かっていて結婚してくれる人は
出 来 る 事 は 何 も な い。」 と き っ ぱ り 断
に お い で く だ さ い と 言 っ て い た だ き、
卵子
いないだろうと正直結婚自体を諦めて
られました。
さん(妻) いました。それでも主人は私の身体の
非配偶者間体外受精(卵子提供)
13
U
20
卵子
のならいつでも連絡してくれていいか
も「それで気持ちが少しでも楽になる
かかる患者だったと思います。それで
言ってくれた時は、一瞬訳が分からず
いつもクールな吉川先生が少し笑い
な が ら「U さ ん、 妊 娠 し て る よ 」 と
察室に入りました。
よ判定日。私も主人も緊張しながら診
それでも産まれてくる子どもを絶対に
み 苦 し み、 い ろ ん な 葛 藤 が あ る 中 で、
一番よく分かっています。誰よりも悩
と思います。そんな事は私たち自身が
いるのか、など良く思わない人も多い
れてくる子どもの事をきちんと考えて
言葉をもらい心強い援軍がいることに
れからは一人で悩まないでね」という
変化がありました。提供者からも「こ
し、面談を重ねていくうちに気持ちに
いた事のない強い私が人前で泣いたり
これまでどんなに辛くてもほとんど泣
方法があるのならどんな事でも挑戦し
ら」と言ってくださり、すごく救われ
信じられなくて、でも本当にうれしく
幸せにするという責任と愛情を持って
気づいて心から感謝しました。
もネガティブな事ばかりを考えてしま
ま し た。 子 宮 鏡 検 査 や 薬 な ど を 使 い、
て主人と人目をはばからず泣いてしま
決断した結果だという事を多くの方に
分かりませんでした。
吉川先生が本当に本当に一生懸命に診
いました。皆さんも心から喜んでくれ
理解して頂けたらと願います。
たいと思う事はそんなにいけない事な
て下さって、皆さんの協力のお陰でな
て、私たち患者の為に一緒に喜び泣い
若 い 時 か ら 子 宮 内 膜 症 に 悩 ま さ れ、
主治医の説得もあり 代半ばで両卵巣
います。それでも毎日「絶対に幸せに
さん(妻)
ん と か 治 療 が 出 来 る 事 に な り ま し た。
てくれる、本当に諏訪マタニティーク
そしてこれから先、私のように悩む
方の為に諏訪マタニティークリニック
の手術を受けました。主治医から「悪
の で し ょ う か? ま わ り の 人 か ら 見 れ
姉の身体の事や生活の事を考え、私た
リニックに出会えて良かったと思いま
のような病院が少しでも増え、治療が
いところは取ったから将来妊娠できる
するから、安心して私たちのもとに逢
ちの間では治療はワンチャンスと決め
した。
しやすい環境になる事を願わずにはい
よ。今は体外授精があるしね」と言わ
不安で不安で渡辺さんにメールをし
たり、看護師の小林さんに何度も電話
ていました。採卵から戻って眠ってい
そ れ か ら 順 調 に 成 長 し、 諏 訪 マ タ ニ
られません。
ば、そこまでしなくても…とか、産ま
る姉をみて本当に有難く涙が出まし
ティークリニックを卒業の日。その日
もは授かる事ができる」と考えていま
いに来て」とお腹に話しかけ、いよい
た。順調に受精、分割し、無事私の子
も根津院長先生は私たちの為に会いに
ここまで協力してくださった皆様に
は心から感謝の気持ちでいっぱいで
した。
をしてしまいました。きっと私は手の
宮に戻すことが出来ました。
来てくれて、心から喜び一緒に泣いて
す。そして私は今、妊娠6カ月目に入
歳を過ぎ、結婚してすぐに不
れ、ぼんやり「体外受精をすれば子ど
吉川先生が受精卵を見せ私の子宮に
卵を戻した時、いろんな想いが込み上
くださいました。
20
レッシャー。いけないと解かっていて
…、 ま し て や ワ ン チ ャ ン ス と い う プ
性が低くなってしまったのではないか
普通でも難しい事がもっと妊娠の可能
り ま せ ん で し た。 今 ま で の 事 も あ り、
た。判定日までの毎日は気が気ではあ
だ。少しだけ妊婦さん気分になりまし
れもなく私のお腹の中に卵がいるん
ではどうする事も出来ないけど、もし
でも、その事をなかなか受け入れて
くれないのが今の現実です。自分の力
くれている方なのだと思いました。
はなく、患者さんの事を一番に考えて
なかったでしょう。本当に自分の事で
してくれていなければ今の私たちはい
もし院長先生がまわりからひどい
バッシングを受けてもこのように公に
生後6カ月)
いています。(2015・3現在第1子
無事に産まれる事を願いこの原稿を書
事は尽きませんが、今はただこの子が
だただ愛おしく感じる毎日です。心配
くる、この事はまぎれもなく現実でた
が、元気に動き、力強くお腹を蹴って
夢なのではないかと思う事もあります
り ま し た。 正 直、 今 で も 信 じ ら れ ず、
はボディブローのように心身共に私を
る事は無く、何百回もみる残念な画面
た。内診時のエコー画面には卵胞が映
症の手術を繰り返すことになりまし
どころか採卵すら出来ない状態で内膜
娠することはありませんでした。それ
子どもが欲しい一心で主治医の指示
通り体外受精を続けましたが一向に妊
妊治療を始めました。
だ。信じられない想いと、でも今まぎ
げてきました。やっとここまできたん
G
30
14
ようと決意しました。
末、卵子提供に切り替えて治療を続け
し合いました。夫と二人で考え抜いた
私の卵子での治療から違う選択肢を話
のページにたどり着き、私たち夫婦は
クリニックの特殊生殖医療
(卵子提供)
インターネットで何か方法は無いか
と検索していた際に諏訪マタニティー
まいました。
け入れるのにとても時間がかかってし
ろかもう望みが無いことに気づき、受
を開始した時点で既に崖っぷち、どこ
知り、自分の置かれている状況が治療
致命的な手術となってしまったことを
限らないと思いますが、私に限っては
ることが必ずしも不妊につながるとは
うと言われました。卵巣にメスを入れ
原因は若い時に受けた卵巣の手術だろ
れ 妊 娠 す る こ と は あ り ま せ ん で し た。
を続けましたが私の卵巣から卵子が採
年も卵胞が出てくることを夢見て治療
疲れさせました。それでも何周期も何
提供者の夫からも「始める前は通院に
一 人 で 悩 ま な い で ね 」 と い う 言 葉 を、
りました。提供者からも「これからは
いくうちに私の中で気持ちに変化があ
ていました。それくらい面談を重ねて
ど泣いた事のない強い私が人前で泣い
た。これまでどんなに辛くてもほとん
り、初めて肩の荷が下りた気がしまし
ましたがこの言葉が強力な一言にな
これまで夫と二人だけで思い悩んでき
ま し た。 私 は こ の 時 ハ ッ と し ま し た。
すから」と渡辺さんが言ってください
「今後何かあった時には一緒に考えま
ていただきました。何度目かの面談で
思っていることを全て素直に吐露させ
面談では、これまで胸の奥に秘めて
いた悲しかった気持ちや人生観など
言ってくれました。
よそに彼女は笑顔で提供してくれると
ていましたが、不安でいっぱいの私を
りでハードルの高いことだと私は考え
り、身体的苦労を伴うデメリットばか
提供者にとってはボランティアであ
応援していてくれました。卵子提供は
起きた!と皆で大喜びしました。
心拍も順調に確認できました。奇跡が
とが出来ました。数値も良く、胎嚢も
初 め て の 採 卵 で 凍 結 卵 が 2 個 で き、
幸運な事に1回目の移植で妊娠するこ
ます。
れまでの人生最大の幸運だったと思い
の家族も総出で協力してくれた事はこ
ん。それが身近にいてくれて、提供者
で探すことは容易なことではありませ
のような提供者を現在の日本では自分
していてほしいと考えていました。そ
何の権利もないということを重々理解
義 務 も な け れ ば 責 任 も な い 代 わ り に、
は提供者には採卵を終えた時点で何の
に協力してくれる親族がいたこと。私
思います。さらに卵子を提供し、治療
技術は患者への最高のプレゼントだと
と。吉川先生の誠実なお人柄と最高の
できる先生に治療していただけたこ
ニックに出会えたこと。100%信頼
私たちが幸運だったことは、まず日
本で卵子提供を実施してくれるクリ
治療に進むことが出来ました。
そして気持ちの整理がつき心穏やかに
現在治療中)
頑張りたいと思います。(2015・3
がらまた次の一歩を踏み出せるように
し合い、これからも二人で支えあいな
続きます。これからどうするか夫と話
かり見てしまいます。それでも人生は
なれるのかと、今は途方に暮れて下ば
思いをして何十回這い上がればママに
子どもを産めないのか、何十回悲しい
でした。卵子提供にチャレンジしても
気持ちを新たに臨んだ2回目の移植
は残念ながら着床すらしてくれません
りました。
望」がどれほど大切か身にしみて分か
です。希望があるだけで頑張れる、「希
るから次の移植への希望があったから
向きでした。その時はまだ凍結卵があ
大泣きしましたが、なぜか気持ちは前
想定の範囲内とはいえ、診察後、夫と
いものではありませんでした。流産は
した。提供者は私の親族です。いつも
ながらすぐに提供者へお願いに行きま
ことをよく覚えています。不安を抱え
理かな」と弱気になって帰路についた
いたのです。なんという有り難いこと。
げたら一緒になって助けてくれる人が
に気づきました。本当に困って声をあ
言葉をもらい、心強い援軍がいること
案外乗り越えられるものだね」という
ぱいでした。しかし現実はそんなに甘
浮いているような幸せな気持ちでいっ
堵感もあり、初めての妊娠はふわふわ
が、治療費の工面からも解放される安
には満たない私たちの不妊治療歴です
渡 辺 さ ん の 胸 を 借 り 大 泣 き し ま し た。
クリニックに問い合わせをさせてい
ただき、カウンセラーの渡辺さんから
も不安があったけど、行動しちゃうと
年
一通り説明を受けた後は「やっぱり無
そばで私たちの不妊治療を家族総出で
非配偶者間体外受精(卵子提供)
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たら大変〟という不安を常に感じていたので、
があり、さらに〝私の 常 識 や 感 覚 が ズ レ て い
〝 あ あ、 誰 か こ こ に い て く れ た ら 〟 と 思 う 事
時、 ま た そ の 逆 に 返 答 や 判 断 に 戸 惑 う 時 に 、
した。しかしその場で の 嬉 し い 話 に 感 動 す る
を院長に上申するよう な 形 で お こ な っ て い ま
治療経緯や気持ちの話 を 先 に お 聴 き し 、 そ れ
人でおこなっていて、 当 院 に 来 ら れ る ま で の
になりました。当初面 談 は カ ウ ン セ ラ ー が 1
の皆さん方のサポート も さ せ て い た だ く よ う
え て い っ た た め、20 0 7 年 頃 か ら そ ち ら
が、特殊生殖医療に関 し て の ご 相 談 が 年 々 増
セリングにて相談業務 を お こ な っ て い ま し た
療者による治療相談と カ ウ ン セ ラ ー の カ ウ ン
不妊治療の方のこころ の よ り ど こ ろ と し て 医
不妊外来に併設する 形 で こ う の と り 相 談 室
が 開 設 さ れ た の が 20 0 3 年 、 当 初 は 一 般
も頑張っていきたいと思います。
ですので、皆さんのお力になれるように今後
した。治療に入ってからが私の本領発揮の場
おっしゃった方がいて素晴らしいと感動しま
ので、それはそれでとても良かったです」と
で家族の絆が強くなったことには間違いない
な結果が出なくとも、これに取り組んだこと
際、ご主人が「これから治療をして思うよう
い つ も 思 い ま す。 あ る ご 家 族 の 最 終 面 談 の
くなっていくのです。それがすごいことだと
重ねるごとに明らかに家族の繋がりが強く深
きが変ってくるのがとても不思議です。回を
の時と比べ、最後の面談で患者さん方の顔つ
強くなりました。面談の場では1回目の面談
き「大切にしなければ」という気持ちが一層
て、 以 前 に も 増 し て 卵 子 や 精 子 に 愛 着 が 湧
を面談の場で知ることができるようになっ
を 深 く 知 る 機 会 が な か っ た の で す が、 そ れ
という、治療にあたっての事情や気持ちなど
しいのか、どういう経緯でここに来られたか
だったので、どうして患者さんが子どもを欲
者さんからの治療に関する質問に答えること
います。特殊というくくりがなくて、日本中
るにあたっては絶対必要なことだと痛感して
て、カウンセリングは特殊生殖の治療を始め
に踏み出せていると感じる場面を多く見てき
気持ちに確実に整理が出来て、ぐんと一歩前
くなるんです。話すことによってご自身達の
た。けれどもその後は、明らかに表情が明る
が多くいらっしゃって最初とても驚きまし
どこにも泣くところがなかったと泣かれる方
ご主人(無精子症のご本人)さんが、今まで
になって痛感しています。1回目の面談で、
ンセリングの大切さもこの面談に携わるよう
かったので。そして、また現場におけるカウ
再会しました。ああいう経験は今までにはな
れた時もまるで身内のような気持ちで嬉しく
いました。赤ちゃんが産まれて会いに来てく
時、その方とご主人と3人で大号泣してしま
ました。そしてその1回で見事妊娠が叶った
確実に悔いなく行えるか、何度も何度も話し
時のこと。1回というチャンスをどうすれば
治療を始められた方と関わらせていただいた
います。治療を一回限りと決めて卵子提供の
達。そこで出できた問題や課題を常に話し合
患者さんとの出会いで全てを学んできた私
んに寄り添っていきたいと思います。
自身としては聴ける力をもっとつけて患者さ
きちんと対応できるように願っています。私
ます。法整備も進んで、早くどこの施設でも
い か な ? と。 た だ 病 気 が 違 う だ け の 気 が し
よってはそういうことだってエゴとも言えな
が 進 ん だ 現 代 で は 治 る こ と が あ る。 見 方 に
昔は不治の病と言われていたものも医療技術
いうお話しを聞いて、ん ? と思ったんです。
がお子さんを望むことをエゴだと言われたと
引き締ります。特殊生殖医療を希望される方
を痛感しますし、また責任も重いと感じ身が
で、大切な場所に居させてもらっていること
んの人生が変っていく場面も多分にあるの
重な経験をさせていただいていますが、皆さ
き方、夫婦とは何かを顧みる機会としても貴
面談がとても勉強になっています。自身の生
年]
先生方と相談し、日常 の 相 談 室 で の 相 談 業 務
だけはハッキリ感じています。そういう意味
取り組んではいけない部門であるということ
しっかりとしたメンタルサポートなくしては
がもっと救えると思います。それにつけても
てできるようになれたら、苦しんでいる人達
どこでも、オープンで、当たり前の治療とし
たらと。患者さんのためにと思って、日夜努
合い、そんな場作りを全国各地でもしていけ
ていただき、どんどんシェアし、意見を出し
良かったこと、悪かったことをたたき台にし
ていきたいと思っています。私達の経験での
で皆とやってきたことを広く社会に向ってし
化させてきたこれまででした。今後は、ここ
い、考えて、より良い形をと皆で模索して変
渡辺[相談室主任カウンセラー・勤続
に携わっている培養士 と 外 来 看 護 師 に も 面 談
でも私自身、カウンセリングスキルをもっと
に同席してもらうよう に な り こ こ で 年 が 経
もありましたが、面談の場でじっくり皆さん
特殊生殖医療に関わる前はどうしてそこま
でして子どもが欲しいのか ? と思ったこと
もっと磨かなければと思っています。
タッフが面談に関われ る 事 は 、 患 者 さ ん の 見
方の偏りが無くなり、 ま た 感 想 を シ ェ ア す る
小林[不妊外来主任看護師・勤続 年]
ことができて大変心強 く 、 面 談 も 充 実 す る よ
に話を聴かせてもらう内に、
「家族の協力を
過しました。立場や価 値 観 、 考 え 方 の 違 う ス
う に な り ま し た。 こ れ ま で の T O S S に は
得て何としてでも子どもが欲しい、この人の
力奮闘している施設は沢山あります。気持ち
は私達施設と同じなはずなので。もちろん、
目の前の患者さんのお役に立てる私達であり
一同努力研鑽して参りたいと思いますのでど
の自分の考え方がとてもはずかしく思えたと
うぞよろしくお願いします。
入倉[不妊外来副主任看護師・勤続7年]
面談に関わっているス タ ッ フ が 登 場 し た こ と
す。(渡辺)
私は今、面談に同席し始めた段階なのです
が、治療に入る前のお気持ちを診察室でお聞
続けるのは大前提です。これからもスタッフ
きすることはなかったので、ひとつひとつの
いうのが正直なところです。私自身、この面
談に関わらせていただいてから、看護師とし
発行所:産科・婦人科・小児科病院 医療法人登誠会 諏訪マタニティークリニック 発行人:根津八紘 編集部:TOSS 編集部 ☎︎ 0266-28-6100
TOSS 2015 年春号◎ 2015 年 3 月1日発行
て患者さんとの関わり方が変わってきたと思
[トス]VOL.6
これまでの相談室業 務 は 、 培 養 士 と し て 患
強い気持ちやご夫婦の絆を感じて、それまで
がありませんでしたので今回はスタッフが
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子だから欲しい、この人と育てたい」という
10
日々感じていることを お 伝 え し よ う と 思 い ま
2
保科[培養室主任培養 士 ・ 勤 続 年 ]
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