電車も廃線になった過疎地で、 商売をする中で見つけたこと 年足らずで、義父が死去。商売のイ 歳でサラリーマンと結婚したら、 「店の嫁」という立場が待っていました。夫の実家は、 時計・メガネ・宝石を売る店だったのです。それから 名の顧客名簿とともに 80 年前の私に教えてあげたい、と。 年。たくさんの痛い目に遭いながら商売を覚えました。 ときどき思うのです。今、私が持っている知識を 20 何度も買っていただく必要がありました。 ほとんどありません。新規客を当てにできない中で商売をするには、必然的に同じお客様に ません。人口が増える速度よりも、減る速度のほうが早い地域です。住民の入れ替わりは、 ックスになっても5800人です。当然ですが、100%の住民が顧客になることはあり得 私が経営する店の商圏は人口5800人。電車も廃線になった過疎地で、顧客名簿数がマ 20 ……。あれから ルも擦り切れた店舗と、商品を仕入れるのも難しい資金と、たった ロハを習う間もなく、いきなり商店経営の責任が降ってきました。雨漏りして床のピータイ 2 22 狭い地域にある店だったら、住民はそこで買い物するのではないか? そう思われます か? い いえ。住民は、車で 分の大型ショッピングセンターに買い物に出かけます。そこ に、追い打ちをかけるようにネットショップが入り込んできます。どんな田舎でも、情報と て取り組んでいます。 年前、わずか 名だった顧客名簿が、今では安定的に1000名に もちろん、技術の勉強は今でも続けているし、よい商品を仕入れる努力も永遠の課題とし したのです。 ことでした。 当時の私にできることと言ったら、井戸端会議だけでしたから、それを応用 資金も商品も技術も、ろくにない中でまず取り組んだのは、お客様と〝つながる〟 ればならないのだと、逃げるようにして自店に帰りました。 ていただけではないのか。お客様自身が、 「何を感じているのか」をしっかりと見つめなけ 様の声を聞いていなかったのではないか、と。よその店のよく見える所ばかりを羨ましがっ 私の店でも売っているのと同じ時計。突然、自分自身が恥ずかしくなりました。私は、お客 はっとして振り返って見たお客様は、私と同じ地域の方でした。彼女が手にしていたのは、 「近くでも買えたら、ここに来なくてもいいのに……」 尽くしていた私の耳に、あるお客様の会話が飛び込んできました。 自店にはないものばかりでした。そうして、水族館の魚の群れを眺めるように、呆然と立ち に店がないからだ、とみじめな気分でした。店舗のしつらえ、豊富な商品、店員の笑顔…… 場で、人の流れを一日中眺めていたことがあります。自分の店にお客様が来ないのは、ここ 商売をはじめた頃、お客様が押し寄せる大型ショッピングセンターのエスカレーター乗り くしているのです。 流通が都会と同じように届く日本はすごいとは思いますが、その状態が田舎での商売を難し 30 80 ヶ月から 年がたちました。地 ヶ月もあれば、それなりの手応えは感じられるはずです。 私がとった方法を、全国の商売人仲間に試してもらうようになり、 3 それでは、お客様をリピーターに育てていく〝3つのしかけ〟からはじめましょう。 域密着の商売をするには、欠かせない方法と言えるでしょう。 型店舗において、限られた顧客数で最大の売上げを上げる方法です。私のこのやり方は、地 域・業種・商材などは違っても、どこもリピーターが増え、売上げも上がっています。来店 5 かかると言っても、 まずはお客様とつながり、時間をかけて優良リピーターへと育てていったのです。時間が てば響く関係ではありませんでした。 てくださる「お客様とのつながり」で商売ができています。そうしたお客様も、最初から打 なり、そのお客様とつながることで、私が「これお勧め!」と言えば、 「買うよ!」と答え 20 1
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