電車も廃線になった過疎地で、 商売をする中で見つけたこと

電車も廃線になった過疎地で、
商売をする中で見つけたこと
年足らずで、義父が死去。商売のイ
歳でサラリーマンと結婚したら、
「店の嫁」という立場が待っていました。夫の実家は、
時計・メガネ・宝石を売る店だったのです。それから
名の顧客名簿とともに
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年前の私に教えてあげたい、と。
年。たくさんの痛い目に遭いながら商売を覚えました。
ときどき思うのです。今、私が持っている知識を
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何度も買っていただく必要がありました。
ほとんどありません。新規客を当てにできない中で商売をするには、必然的に同じお客様に
ません。人口が増える速度よりも、減る速度のほうが早い地域です。住民の入れ替わりは、
ックスになっても5800人です。当然ですが、100%の住民が顧客になることはあり得
私が経営する店の商圏は人口5800人。電車も廃線になった過疎地で、顧客名簿数がマ
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……。あれから
ルも擦り切れた店舗と、商品を仕入れるのも難しい資金と、たった
ロハを習う間もなく、いきなり商店経営の責任が降ってきました。雨漏りして床のピータイ
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狭い地域にある店だったら、住民はそこで買い物するのではないか? そう思われます
か? い
いえ。住民は、車で 分の大型ショッピングセンターに買い物に出かけます。そこ
に、追い打ちをかけるようにネットショップが入り込んできます。どんな田舎でも、情報と
て取り組んでいます。
年前、わずか
名だった顧客名簿が、今では安定的に1000名に
もちろん、技術の勉強は今でも続けているし、よい商品を仕入れる努力も永遠の課題とし
したのです。
ことでした。 当時の私にできることと言ったら、井戸端会議だけでしたから、それを応用
資金も商品も技術も、ろくにない中でまず取り組んだのは、お客様と〝つながる〟
ればならないのだと、逃げるようにして自店に帰りました。
ていただけではないのか。お客様自身が、
「何を感じているのか」をしっかりと見つめなけ
様の声を聞いていなかったのではないか、と。よその店のよく見える所ばかりを羨ましがっ
私の店でも売っているのと同じ時計。突然、自分自身が恥ずかしくなりました。私は、お客
はっとして振り返って見たお客様は、私と同じ地域の方でした。彼女が手にしていたのは、
「近くでも買えたら、ここに来なくてもいいのに……」
尽くしていた私の耳に、あるお客様の会話が飛び込んできました。
自店にはないものばかりでした。そうして、水族館の魚の群れを眺めるように、呆然と立ち
に店がないからだ、とみじめな気分でした。店舗のしつらえ、豊富な商品、店員の笑顔……
場で、人の流れを一日中眺めていたことがあります。自分の店にお客様が来ないのは、ここ
商売をはじめた頃、お客様が押し寄せる大型ショッピングセンターのエスカレーター乗り
くしているのです。
流通が都会と同じように届く日本はすごいとは思いますが、その状態が田舎での商売を難し
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ヶ月から
年がたちました。地
ヶ月もあれば、それなりの手応えは感じられるはずです。
私がとった方法を、全国の商売人仲間に試してもらうようになり、
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それでは、お客様をリピーターに育てていく〝3つのしかけ〟からはじめましょう。
域密着の商売をするには、欠かせない方法と言えるでしょう。
型店舗において、限られた顧客数で最大の売上げを上げる方法です。私のこのやり方は、地
域・業種・商材などは違っても、どこもリピーターが増え、売上げも上がっています。来店
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かかると言っても、
まずはお客様とつながり、時間をかけて優良リピーターへと育てていったのです。時間が
てば響く関係ではありませんでした。
てくださる「お客様とのつながり」で商売ができています。そうしたお客様も、最初から打
なり、そのお客様とつながることで、私が「これお勧め!」と言えば、
「買うよ!」と答え
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