かがくのひろば(88) しょうてんざか てんのうじ てんのうじ 聖天坂、天王寺付近で夕陽丘・茶臼山、天王寺七坂 きよみずさか くちなわさか ほうえんざか たかだい 清水坂・口縄坂・法円坂などそして大阪城の高台 ちしつ がんせき 大阪の地質と岩石Part1 へいち なんぼく さか へとほぼ南北にならびます。そして坂の上はまわ うえまち だ い ち ていち ~大阪の平地と上町台地~ りの低地より10m~20mほど高くなっています。 みくにがおか あさかやま さかい ひがしえきまえ どうろ 三国ヶ丘や浅香山は 堺 東 駅 前 ぞいの道路から こだか 少し高くなっていますね。この小高い地形は大阪 わん むかし か わち が た か いがんぞ 湾や 昔 の河内潟にそそぐ川や海岸沿いでできた だんきゅう ちしつ 「 段 丘 」と言われるものです。地質図 ちいき の地域がそれにあたります。低・中・高3つの、高さ じ き だんきゅう とできた時期の異なる段 丘 からできています。そ つ うえまち の中で、大阪市内にある北に突き出た部分は上町 だいち てんのうじ うえほんまち たにまち 台地と呼ばれていて天王寺や上本町、谷町のあ 上の図は、 大阪をつくっ だんきゅう たりで中位段 丘 を作っています。今から15万年~ ちそう うえまち だんそう 7万年前の地層です。この部分は上町断層と呼ば ちしつ て い る 地質 だんそう にしがわ がけ ひがしがわ れる断層によって西側が急な崖、 東 側 がなだら がんせき や 岩石 の たに ち け い てんのうじ おおさか じょう かな谷地形を作っています。天王寺や大阪 城 に ぶんぷず 分布図 の にしがわ 行ったとき、その付近が高くなって西側に下る がいりゃく 概略 で す 。 この図につ さかみち 坂道が多いことに気がつくでしょう。 だんきゅう じ き これらの 段 丘 層が作られている時期、大阪市 しめん いての話はこの誌面で少しずつ行いますが、今月 さかいしゅうへん おおさかふ かんさつ にしがわ や堺市の西側、北河内のあたりはまだ海でした。 ちしつ 号からは 堺 周 辺 や大阪府で観察できる地質や ちしつ ちいき よどがわ 地質図の白い部分です。これらの地域に淀川や がんせき 岩石、化石などについてお話しようと思います。 さかい しゅうへん やまと どしゃ こうたい 大和川の土砂が流れ込んだり海が後退したりして、 おおさかし では、 堺 周 辺 から大阪市にかけて山や丘、谷 りくち 陸地になったのは約6000年前より後のことです。 ちめい などの名前の付いた地名を思い出してみてくだ み く に が お か あさかやま や ま と がわ おく 古代には今よりも海が奥にまで入り込み大阪市や てづか やま さい。三国ヶ丘・浅香山、大和川をはさんで帝塚山・ ぬまち 河内平野は沼地のような所でした。 (次号へ)
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