アジアから見た日本《後編》

30 回目を迎える日本語スピーチ発表会
アジアから見た日本《後編》
―日本語スピーチ発表会の歴史を振り返る
日本在外企業協会(日外協)
須藤 真
業務部 主幹 第 28 回大会(2013 年)
日本の若者文化に関心(2000 年代)
トウンスックさんは、
「昔は国を発展させるため
に日本語を勉強しました。今のタイ人は『カッコ
2000 年代にはアニメや音楽など日本の若者文
イイ』とか『日本人と結婚したい』とか自分のた
化がたびたび取り上げられた。2000 年の第 15 回
めだけです」と厳しい見方。「日本の文化も、何
大会でインドネシア代表ジョコ・プラスティーヨさ
も考えずに受け入れてはなりません」と安易な日
んは、ドラえもん、ドラゴンボール、セーラームーン
本ブームに釘を刺した。同大会では日中関係につ
などの人気ぶりを伝えた。
「日本語を学ぶ私にとっ
いても取り上げられた。2000 年代に ASEAN 諸
て、漫画はとても良い教科書になります」
。
国は中国との経済関係を急速に強めたが、日中関
日本文化の海外への浸透はアニメだけではな
係は 05 年に中国各地で大規模反日デモが発生す
い。02 年、フィリピンのゲイル・シー・リムさん
るなど悪化。
「中国と日本はアジアのシンボルで
は「大学2年の時、安室奈美恵の歌に感動しまし
す。中国人も日本人も、どうか相手の言葉を聞い
た。彼女の歌やテレビ番組、雑誌が理解できるよ
てください」とマレーシア代表のング・ブーン・
うに日本語の勉強をしようと思いました」
。日本
チョーンさんは関係改善を訴えた。
政府がコンテンツや伝統文化を海外に売り込もう
06 年の第 21 回大会では、タイ代表スィリウィ
と「クールジャパン戦略」を立ち上げたのは 10
モン・パンルアンロンさんが「ひきこもり」をテー
年代に入ってからのことだ。03 年に「笑顔」と
マにスピーチ。学校に行きたくなくなった時に、
いうタイトルでスピーチしたインドネシア代表の
日本語の「ひきこもり」が頭に浮かんだという。
「日
プリハルティ・シャフィトリさんは、今は現地の
本のひきこもり現象はタイの将来へ警告をしてく
日系企業で日本語の通訳として勤務。当時6歳
れました」
。日本は社会問題においてもアジアの
だった娘さんは、現在インドネシア大学で日本語
先頭を走っていたようだ。07 年、マレーシアの
を勉強しているという。
ムハマド・シュクリ・ビン・ガザリさんは、毒だ
05 年の第 20 回大会、マレーシアのシティ・ハ
と信じていたお酒を日本で無理やりすすめられて
ジャ・アブドゥル・ラザックさんは、
「日本語で
困った体験を通して、「お酒はどうやら『毒』で
詩を書いてみませんか」というスピーチで見事な
はなかったようです。イスラム教も危険な宗教で
日本語の詩を披露。彼女は日本留学を経て、今年
はないのです」と異文化理解の重要性を訴えた。
の4月から国際交流基金クアラルンプールセンター
同大会にブルネイから参加したチョン・ツェ・リ
に勤務している。ブルネイ代表のメリサ・ポー・
アンさんは、今は英語教師を務める傍らブルネイ
スーウェイさんは「日本のアニメはとても人気が
-日本友好協会の活動に携わっている。
あります。アニメは言葉や文化や日本人の生活な
日本とインドネシアは 08 年に国交樹立 50 周
ども勉強できます」。一方で、タイのエカポン・
年を迎え、7月に貿易や人的交流のさらなる促進
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2015年10月号
に向け日本インドネシア経済連携協定(EPA)が
発効。国交樹立 51 年目となる 09 年、両国が新
日本語スピーチ発表会とは
たな一歩を踏み出すにあたり、
「今年は多くの留
国際交流活動の一環として、アジアを中心に海外各国で
学生や看護師が日本に行くようになりました。両
国の若者たちにこそ2国間の友好を広げていく責
任があると思います」
。こう力説したインドネシ
ア代表のシンタワティ・ウィジャヤさんは、日本
の総合商社のジャカルタ事務所に勤務、日本への
出張も多いという。この第 24 回大会には、自称
「オタク」だというフィリピン女性が登壇。
「オタ
行われる「日本語スピーチ・コンテスト」の優秀者を毎
年日本に招いて開催している日本での発表会。
30 回目という節目を迎える本年は 10月29 日に鉄鋼会館
で実施(詳細は P.36「日外協ニュース」参照)
。
今回はブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、
マレーシア、ミャンマー、フィリピン、タイの合計8カ
国の優秀者 12 人を日本に招く。各国で書類審査、音声な
どによる予選が行われ、合計 93 人が国ごとの本選会に出
場、日本語能力、スピーチ内容、表現力、質疑応答力な
どの観点から優秀者が選ばれた。
ク」も日本からアジアに輸出されていたのである。
「オタクの世界へようこそ」というタイトルで、
のコンビニはチケットが買えたり荷物を送れたり
「オタクには特徴があります。英語の Collection、
お金を下ろせたり、トイレまであり文字通り便利
Creativity、Community の3つです。オタクはこ
だと評価。
「私の夢はマレーシアに日本のような
れから世界にどんどん広がっていくかもしれませ
コンビニをつくることです」
。彼女はその後1年
ん」と言及。スピーチをしたレイ・リムさんは、
間の日本留学を経て帰国、ランゲージセンターの
現在マニラのデ・ラサール大学の職員。毎年旅行
マネジャーとして活躍中。コンビニについては、
で日本を訪れている。
日本では 2000 年代にゴミ処理の3R - Reduce、
「治安が悪いのでまだ遠い夢」だそうである。
日本語スピーチ発表会参加者たちの関心は、時
Reuse、Recycle が家庭にも社会にも広く浸透し
の経過と共に、日本の経済・技術から、文化、さ
た。10 年の第 25 回大会、インドネシア代表の女
らには社会全般へと広がっている。日本とアジア
子大生ギナニオ・リヴァヤンティ・ババイさんは、
との関係がより重層的・多角的になったことを物
3R に加え Refuse(レジ袋を断る)まであり驚い
語っている。
たと言い、
「ゴミ処理のすごさはシステムだけで
一方で、どの時代においても変わらないものは、
なく、日本人の心だと思います。日本に学ばなけ
人と人との触れ合いがいかに大切かということで
ればならない」と結んだ。
ある。昨年の第 29 回大会、マレーシア代表の高
アジアと日本の新時代へ(2010 年~)
11 年、インドネシア代表が日本のことわざを
校生チャン・ウェン・キットさんは、小学生時代
に2週間日本に滞在した時のことについて触れ、
「ホストファミリーの子どもと折り紙をしたり、サッ
取り上げた。大学で日本語の劇団に参加していた
カーをしたり、一緒に学校へ行ったりしました。
ジェニファー・サラさんは、
「
『継続は力なり』と
学校で勇気を出して日本語で話しかけてみた時、
いう言葉のおかげで劇団を続けています」
。彼女
彼は僕の下手な日本語を笑わないで助けてくれま
は現在、山梨県庁の観光部で国際交流員として、
した。彼のおかげで日本語が上手になりました」。
インドネシア人観光客の誘致拡大に向けて奮闘中
彼は今、大学受験に挑戦している。
である。12 年にはカンボジアから初参加。代表
今年の第 30 回日本語スピーチ発表会は、10 月
スレイダェン・ヴォンさんは、現在名古屋大学で
29 日に開催される。参加者たちの眼に現在の日
博士課程への進学を目指している。13 年、マレー
本がどのように映るのか楽しみである。
(1980 ~
シア代表のレジナ・テー・シー・イーさんは、日本
90 年代の前編は本年 7/8 月合併号に掲載)
2015年10月号
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