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平成 27 年 4 月 6 日
組織の公正性と倫理的環境が従業員の非倫理的行動に及ぼす影響
社会科学研究室 横田理宇
発表要旨
本研究は、なぜ従業員が非倫理的な行動を起こしてしまうのか、そのメカニズムについて、
企業倫理における個人の倫理的意思決定の研究で議論されてきた組織の倫理的制度及び
倫理的風土に加え、組織公正研究において議論されてきた従業員の自らが所属する組織
に対して抱く公正感である組織公正の概念を用いて説明することを試みるものである。
日本では、「CSR 元年」と称された 2003 年以来、多くの企業において倫理的制度の導入
が進められてきた。それにも関わらず、組織において非倫理的行動が無くなる気配は少な
い。この事実は、非倫理的行動の低減を考える上で、倫理的制度という組織のフォーマルな
側面だけではなく、組織の文化や風土、公正さといったインフォーマルな側面も検討する必
要があることを示していると考えられる。また、企業倫理や組織公正の先行研究は、法令・規
則違反、会社資産の乱用、差別・嫌がらせなどといった従業員によるネガティブな行動という
同様の研究対象を扱うにもかかわらずほとんど交わること無く発展してきた。そこで、本研究
では、組織公正が従業員の非倫理的行動にどのように影響を与えているのかを探ることで、
同様の研究対象を扱いながら交わることの少なかった企業倫理と組織公正の両研究分野の
橋渡しを行う。そして、組織の倫理的制度及び倫理的風土を組織の倫理的環境として整理
し、組織の倫理的環境及び組織公正と従業員の非倫理的行動との関係について仮説を検
定し実証することで両分野の理論蓄積に貢献するとともに実践への示唆を得る。
これらの目的を達するために、本研究では、まず両分野の先行研究を俯瞰することで、企
業倫理研究において組織公正はどのように位置づけられるのかを探った。その結果、企業
倫理の実証研究における個人の倫理的意思決定モデルと組織公正研究における公正要
因研究と公正効果研究の議論を用いることによって、組織公正は個人の倫理的意思決定モ
デルにおいて組織的要因に位置づけられると結論づけた。
次に、組織公正が従業員の非倫理的行動にどのように影響を与えているのかを検証する
ため、組織公正の公正欲求(動機)研究の議論を用いて仮説を設定した。また、個人の倫理
的意思決定モデルにおいて、従来から組織的要因として非倫理的行動との関係が議論さ
れてきた倫理的制度に倫理的風土の議論を加えることで組織の倫理的環境として再検討し
仮説を設定した。さらに、組織公正と組織の倫理的環境との交互作用についても検討し仮
説を設定した。そして、これらの仮説を日本企業 4 社に対して実施したアンケート及びインタ
ビュー調査から得られたデータを用いて定量的に検定及び定性的に分析した結果、組織の
倫理的制度ではなく、倫理的風土と組織公正のそれぞれ、及び、それらが交互して従業員
の非倫理的行動に影響を与えていることがわかった。
実践への示唆としては、従業員による非倫理的行動を解決したい企業は、倫理的制度の
導入で終わるのではなく、組織のよりインフォーマルな側面である倫理的風土や組織の公
正性を高めることが大事であるということがわかった。(1,277 文字)
廣池千九郎の品性論
廣池千九郎研究室 宮下和大
「モラロジーは品性完成の科学にして最高道徳の理解及び実行によりてその目的を達成
す」
(
『道徳科学の論文』⑦p.3、以下『論文』と略)とあるように、廣池千九郎はモラロジ
ーを「品性完成の科学」と明確に位置付けている。しかし、廣池は『論文』のなかで品性
についての明確な定義をしていない。ただ、「そもそも人間の品性は、各人の先天的及び後天
的より成るところのその人の徳と力との合せしものにて、極めて複雑微妙のもの」(同⑧p.125)とある
ように、少なくとも品性の内容の中核に「徳」が含まれていることは確かである。
他方で、昭和 12 年発行の『道徳科学及び最高道徳の実質並びに内容の概略』には「智徳
一体情理円満即ち最高品性完成の教育」
(pp.40-41)とあり、
「智徳一体」
「情理円満」が「品
性」を表現するものと示唆されている。しかし、知と徳の関係から「品性」を考察してみ
ると、廣池の説く「品性」には、知(学問、学力、知識、知力)が内に含められる場合と
除外される場合との両方の例が見られる。そのため「知徳一体」の現代における解釈でも、
(1)知と徳は本来一体のものである、(2)知と徳を調和する、(3)徳によって知を活
かす、という三つの相異なる類型が存在していると思われる。「知徳一体」とは何かという
問題は、品性論の中で現在においても十分な説明が与えられていない。
なお、
「知徳一体」説は『論文』②p.185 以下に詳述されているものの、その後の展開と
しては、むしろ『論文』執筆以降の晩年になって上記「情理円満」説と共に強調されてい
ることが確認できる(たとえば昭和9年発行『道徳科学研究所と道徳科学教育』(『モラロジー
研究』74 号所収)、昭和12年執筆『大義名分の教育の必要とその教育の原理及び方法』(『モラ
ロジー生涯学習資料』3 号所収 )など)
。
発表者の見解は次の通りである。
知徳は本来一体不可分のものであったが、近代以降の学の細分化に伴って徳を考慮しな
い知の領域が広がるなかで、その回復を試みたのがモラロジー教育である。知徳一体の回
復を実現する方途として晩年提起されたのが情理円満という調和への取り組みである。具
体的問題において生じる情と理の拮抗と偏向を是正するためには、それらと次元の異なる
上位の知(叡智)が求められる。情理円満とはその叡智を創出していくプロセスであり、
叡智は徳との一体化が求められている知(wisdom)でもあり、こうした叡智が人間の品性
を形成し、人格を形成していくことを知徳一体説は提起しているのではないか。この観点
に通じるものとして、モラロジーを徳倫理学という視座を通じて考察する必要があるので
はないか。
発表後には多くの有益な教示をいただいた。とりわけ、現在の社会教育で品性論として
用いられている「つくる」
「つながる」「もちこたえる」という説明の由来について、いく
つか貴重な意見をいただいた。今後の検討課題に加えたい。
なお、品性論については、諏訪内敬司による一連の先行研究があり、
「品性」という言葉
の由来と歴史、廣池千九郎が用いた「品性」概念の網羅的調査と考察が既になされている
ので、関心をお持ちの方はぜひご参照いただきたい。
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