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大崎鼻
小原海岸
⑱
瀬戸内歴史
民俗資料館
木沢越の地蔵
七面さん
ン
イ
ラ
イ
カ
ス
台
坂出市
川窪塩田跡
紅ノ峰
亀水町
弓弦羽
興願寺
高松市
地下のタグリ地蔵
塩釜神社跡
球場北経塚
生島の塩田記念碑
県総合運動公園
(生島旧塩田跡)
小坂
⑩
③
テッポ場跡
神在川窪町
⑳
澳津神社
黄峰城跡
214m
⑨
串の山
⑫
蓮如峠
5
奥津神社
横立山古墳
小山池 植松町
⑬
原荒神社
勝賀山登山口
アンコウ砦
中山町
少年自然の家
台ト
ン
ネ
ル
色
五
モミジ(根香寺)
5 椿(尾路奥津神社)
6 ムクノキ(薬師堂)
神在港(しんざいこう)
神在川窪町の港。川窪地区における窯業の発
展に伴い、製品(神在焼き)積出港として昭和
11年(1936)8月竣工。港の名称は、
ここから
積み出される陶器
(神在焼)
の名称からのもの。
カイマル
フタドシ
ン
イ
ラ
イ
カ
ス
台
3 社叢・ムクロジ(一之瀬神社)
4 ハッコウケヤキ根株
ヒミズの滝
色
しゃそう
五
2 クスノキ(澳津神社)
千尋が嶽
通り谷
1 ムクノキ(聖神社)
佐料口登山道
七曲り
②
①
地下の
リュウゴンさん
364m
勝賀山
赤
子
谷口
登山
道
名木
オレンジパーク
道
登山
口
香西
勝賀城跡
桑崎池
449m
農
免道
路
山道
口登
植松
⑧
青峰山
⑭
植松荒神
3
4
北墓
大鳥居
さぬき浜 街 道
生島の
山の神さん
聖神社
川
住吉
装束
小学校
中学校
宮池
1
勝賀
亀割池
6
県道16号
文
文
川
吉
住
亀水川
黒峰
⑥
⑯
⑦
2
下笠居コミセン 忠魂社
地下
黄峰
崇徳天皇御遺詔地、千尋が嶽(せんじんがたけ)
下笠居小学校青峰分校(青峰版二十四の瞳)
亀水(たるみ)小学校(亀水分校)
牛の鼻⇒憂しが鼻(うしがはな)
生島菅原神社と馬蹄石(ばていせき)
宮の浦
住吉神社
一之瀬神社
若宮神社
加茂神社
生島番屋が浜
香西佳清の墓
三十一人墓(さんじゅういちにんばか)
首切り地蔵(くびきりじぞう)
童子が浜(どうじがはま)
神在港(しんざいこう)
おんど峠
赤鼻(あかばな)
亀水港(たるみこう)
西生島(にしいくしま)の薬師堂(タマヨケ地蔵)
出現堂(しゅつげんどう)
東生島の薬師堂
根香寺(ねごろじ)
牛の墓
船玉神社
カマクロ石
旧生島港
④
⑰
⑮
⑪
生島町 ⑤
じげ
五色台
亀水湾
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
⑮
⑯
⑰
⑱
⑲
⑳
県消防学校
県防災センター
(生島新塩田跡)
亀水坂
ムネのおっぞうさん
(北坂地蔵)
1,000m
神在山
東紅
北坂
0
129m
ひがしこ
亀水塩田跡
ゆずりは
大神在
生島湾
375m
塩家
バラ園
大槌島
小槌島
西紅
⑲
亀水運動センター
色
王越町
にしこ
こうげの浜
五
木沢越の
地蔵
神在鼻
亀水湾
大崎山
下笠居
N
北の鼻の鳥居
坂
ヒウチ
赤子谷
足尾峠
讃岐遍路道-根香寺道四国のみち
東生島の薬師堂
寛延3年(1750)、三野郡大百姓一揆の指導者大西権兵衛ら7人の遺骸
は、
笠居郷東生島の浜でようやく荼毘に付し、
埋葬することができた。
このこ
とに感謝した三野郡の農民が、
2年後に東生島の浜に建てたという薬師堂。
高 松 市 地 図
おんど峠
神在と生島を互いに越える峠。峠の北にあ
る神在の鼻は潮流が速く、船頭たちは音頭
(調子をそろえて歌う櫓漕ぎ唄)
を歌って懸
命に漕ぎきって行った。その音頭が聞こえ
る峠であることから音頭峠の名がついた。
赤鼻(あかばな)
亀水湾西部の岩場。波に洗われた火成岩の岩肌が赤いことからの名称。
近くには、かつて金や銅を採掘していた金山(かなやま)金鉱跡もあり、
一帯の岩肌は赤みを帯びている。昭和初
期の頃、王越から高松へ王越丸という小
型客船が運航していた時期があり、赤鼻
は乗降貨客のための接岸地でもあった。
亀水港(たるみこう)
亀水湾内にある中世からの潮待ち港。対岸の備前日比からの距離が最
も近く、多くの客人・文人も行き来した良港。蓮如
(1414 ∼1499)
がこ
こから四国に入ったという伝承もある。港を出れ
ば、すぐに大槌島・小槌島2島と、その海域である
槌の戸(つちのと)
に達する。槌の戸に棲むという
龍神(小槌島にある小槌神社の祭神)
に関する伝
説(当願暮当の伝説)の舞台である。
西生島(にしいくしま)
の薬師堂(タマヨケ地蔵)
生島のお薬師さん。身代わり薬師と呼ばれている。伝
承によれば、薬師堂の建つ場所は屋島壇ノ浦で源氏
に敗れた平家の軍船が西国長門に向うとき、足でまと
いになる婦女子を預けていたところという。平家の武
将、悪七兵衛景清は同行の女たちを生島薬師に残そ
うと、
この地に上陸したが、追っ手の源氏の兵の襲撃
を受けて深手を負った。だが、
しばらくして気がついた景清には、不思議
なことに体のどこにも傷がない。その代わりなのか、
傍らの石地蔵が袈裟懸けに切られて割れていた。
昭和19年(1944)1月7日ローソクの火により焼失
したが、
戦後、
地元の人たちが本殿・拝殿を新築した。
出現堂(しゅつげんどう)
中山の浜街道のすぐ北にある無住の仏堂。明
治初期ここに寺小屋があり、明治6年(1873)
中山小学校が開校したとき、校舎として使用さ
れた。明治25年に下笠居尋常小学校が弾正
原地区に新設されるまでの20年間小学校が
置かれていた。
根香寺(ねごろじ)
青峰山千手院根香寺。もと真言宗寺院。その後天台宗聖護院派を経て現在
は天台宗単立寺院。四国霊場第八十二番札所。山門前に牛鬼の像がある。
川添
大野
浅野
川東
牛の墓
農家にとって、大切に扱い育てた牛の死は、労働力を失うという痛手であ
るばかりでなく、家族を失う悲しみでもあった。病気の牛や老齢の牛は馬
喰が引き取りに来るため牛が農家で死ぬことは少なかったが、村内で死
んだ牛は決められた場所に葬り、牛の墓を拝んだ。
(下笠居農免道路沿と
東生島墓地内)
植松団地の上
新池の上
船玉神社
神在、生島、亀水に船玉神社がある。船と船乗りの守護神であるフナダマ
さんを祀っている。生島の船玉神社の拝殿には、船絵の第一人者、杉本清
舟(すぎもとせいしゅう)の天保7年(1836)作の船絵馬がある。
昭和25年5月9日指定
高松市立下笠居小学校 校歌
小川 木南 作詞 新田 左武郎 作曲
1. 五色の峯や 串の峯
勝賀の山に かこまれて
校風さんと かがやける
我が学びやは ここに建つ
おお 下笠居小学校
彩色されたレプリカが高松市歴史資料館に展示されている。
カマクロ石
香川西・綾北・綾南三郡の境にある自然石。カマクロ石のある三郡境界は現
在の中山町、国分寺町、坂出市青海町の接点付近。設置された背景には、
この一帯への入山権をめぐる三郡村民のた
び重なる争いがあった。カマクロ石の傍らの
石柱は、藩主の裁定を最終的に確認するた
めの境界石として、江戸中期に設置された
ものである。
2. 瀬戸の潮の 香をたたえ
寄せては返す 波のごと
うまずたゆまず 朗らかに
睦みて我等 磨くのみ
おお 下笠居小学校
3. 山幸野幸 海幸と
ゆたけき郷土の 生業の
恵みに力 はずませて
九百の健児 育ちゆく
おお 下笠居小学校
「郷土史事典笠居郷探訪」参考
作成 平成26年度ゆめづくり推進事業