1989年夏号 - 一般財団法人住総研

EA
唱
7J
/O
ハ
v
f
o
i
唱
Qノ
住宅総合研究財団
財団法 人 ノ
ー
.
一一
J
みやヴいyJ
fhf
、
一季刊
、
、
日次
,︿風紋 vサハ・
ラのオアシス藤井
明:
' ::ヨ
守
、
l
h'
-,
、
、
、
4
¥
P
、
、
,
、
,
" ,'
、
、 -
、
4
nJ
﹄
、一J
、
t
ケ-
:6
生活音とすまい ;
ト
山崎古都子(家霊平)ヰ 山内宏太朗志望+) 司 会 小 林 秀 樹 、
,
すまいの快適枇 ⋮皐環境ままから大橋
u
t
一力
γ
お
音
と
演
音
松
下
電
器
産
業
熊
木
征二 ' :
-すまいにおける音の商品化 遮
、
:
・沼
,
クノロジド v快 感 を 与 え る 環 境 武 者 利 指 :
︿
すまい吻 -7
/ホ私のすまいろん v・戸とすまう鳥篭けい子・・:・あ
今 ﹁住文化にみる近代化のロル跡﹂へ舟 けて ¥
的シ ンポジク、
R
珂
a
a
--
¥
't
.
ーノ{
、
'
止‘‘
,
、
内
論 文 v住文 化にお材る本 音と建前 ド様化鉱山町尚一船出〆道家達将ぺ :
羽
一
、
よー
ヘ
図
図
書
室
と
著
作
権
法
植
捻
貞
夫
.
だ
日
書
室
﹀
、
¥
、
一
、
J
ド
、
、
,
T
丁、
n
〆
・
戸
〆
'
.
.
・
・.
.
、,
,.
@
、
望
号
、、
ハU 、
月
,
、、
-通
,
‘ 〆
、
戸
N
P
δ
F
δ
TA
、、
1
,
びみゆ ・お 知らせ 一
次1?告:: 日
、
v
Y7
a
編集後記
一
,
ノ
、
、
一 ノ,
特集日すまいと音
、
,
,
.
刺した木町枝を支柱どし、布や 7 yトで被 ったそ
/
.
聞に 発き
寸ハラ の砂漠町民 トゥワレグ旋門戸簡素なテントで移動する。地 一
r-
,
'
〆
、
r
一'
-
夏
焦
A 点 vすまい に活きた静けさを味めて安岡正人 ・
'
、1
h
J
〆
内
園
、
、
メ
J
•
¥
、
イ
ー-
'
.8:- 、
一
、発
、 、
‘
、一
、
.
、
‘
y
巻
、
/
、
¥
'九
、年 一、ー
じ
'
.
.
,
、、
・'
ー
、
“
‘
、
、
九
八
、
,
-
、r
吋
~
,
ノ
,
,、
、
,
サハラ砂漠を北から阪へと縦断する四治五日の率の旅の終者点は、一一ジェ i ル
最北端のオアシス・アガデスである。ここは人間が恒常的に居住できる最前雑で
あり、水を求めて人や家資が次々と集まってくる。
砂漠の騎土として勇名をはせた部族にトゥワレグ族があるが、彼らは今でも隊
商として、あるいは遊牧の民として、砂漠と共に生きている。アガデスは彼らが
冬の期間、仮泊する拠点のひとつで、町の間関にはおびただしい数のテントが張
られている。このテントはイi ハンと呼ばれるが、その作り方はまずY字型の木
の校を四角い一半面に沿って立てる。次にそのよを桁で結ぶが、その際に支柱の上
ーラル
事l
いす
戸
ま
トランタ
つ{ま
食
雪
量
まき
うす
ドラムカン
ahuCAueιaghHe--K
テント鮮の)~:Uo
4
部が Y字裂をしでいると、桁を受けるのに都合がよい。こうしてできたフレ i ム
に、網校を曲げて作った梁を短手方向に一一一本ア!チ状に架け、廷に長子方向にも
幾本かのサブのアi チを架ける。この骨組みの問問を給関の葉の繊維で編ん
だマットで設い、最後に全体をロiブ で 樹 包 す る よ う に 期 定 す る と 、 叩 虫 ' 。
のような独特な形をしたテントができ上がる。普通テントは支柱の上に布︿
を掛け、、それをロ iブで引っ張ることにより形づくられるが、トゥワレグ
絞のテントは内部にフレi ム を 持 つ の が 特 色 で あ る 。 こ の テ ン ト 泣 寝 室 と し ①
て使われ、ベッドや机が霞かれている。住居を構成する要素としてはこの外に、
厨一時、家心品開小慮、ベランダ、トイレがあるが、いずれも木の校を地掃に突き刺し
た支柱の悶簡を布やマットで問っただけのもので、きわめて簡素にできている。
これらの婆案はサバンナの住憶と全く共通するものであるが、唯一の相違は、土
地との安定した繋がりを示す捕や甥がないということである。ベランダは強い日
テントと一体化して前室のようになっているものも見受けられる。テント群の出?
差しのもとでの生活において、日陰の作業場を確保する上で有効な機能を果たし、
を歩くと、ドラム缶が較がっているのが践に付くが、これらは貯水糟である。
遊牧民という詩葉には、土地というしがらみを超越し、束縛を受けない自由で
軽快なイメージがある。しかし、あたかも地にうずくまっているかのような彼ら
のテント群を遠望すると、そこには生物として係限の自然に生さることの過酷さ
が、より強く削切れているように忠われる。
ふじい・あきら/東京大宇佐ぷ絞れ削同開究所助叫科技
i
、
のf
J
:
ま
し
、
。
l
: t
i
f
i
J
i
O
)テント。
号
室
室
主
台所
マット
ベッド
,
i
1 1
也:こうずくまっているかず〉ようなテント l
t
l
,
2 本の f
えを '
[
1
"絞みにして'7ソトで絞ったテン
ナ
ト
正
一いに話器た静けさ
瑚
│
人
これ以上住宅の遮音性を良くすることは、 ますますこのような傾向に拍車
さな声て友人と私語ならぬ高話をする。
が他人に迷惑を掛けることを知らず、大学生になっても授業中に先生より大
者とは無関係。このようなシステムに飼い慣らされた現代っ子は、自分の戸
双方向性である点にあリ、テレビを前に拍手をしても大声てなじづても出演
いは、たとえ生中継で同時性は確保されていても、前者が一方向性て後者が
はヘッドホンステレオの孤の世界に閉じこもる。テレビと実演の決定的な遠
世はあげて個性化、パーソナル化の時代であリ、倒室、侶寝、個食、更に
場を形成してことを為し、こころを通わせる。
に結界をつくる。祭、演劇、授業、会議、国料水、遊びなどすべて悶有の音の
ど人 bん
話し上手に聞き上手、点悶を出したり聞いたりすることで場を共有し、そこ
るとき、山山す側と受ける側の二面性があることを忘れてはならない。
ゃん騒ぎをしたい、自分の音の叶一界をつくリたい。すまいと音について考え
にしていたい、美しい音を開きたい、思いきり大きな音を出したい、どんち
要らない音は開きたくない、都合の悪い音は開かれたくない、ひとり静か
ことさえ践踏う。とかくこの肢は、都市は住みにくい。
ためら
られ、壁に耳ありうっかリ夫婦時一嘩もできないし、夜中はトイレの水を流す
おまけに隣戸からはピアノの練習音、上階からは子供の駆け細る足音に責め
過密都市ては涼を求めて窓を開けても、入づて米るのは暑い風と騒音ばかリ。
夏の風物詩と言えば、祭繭子、風鈴、蝉時雨と音にまつわるものが多いが、
安
i l住まいは音の容れもの、心の容れもの
て
近くも許価が厳しくなる。相手が憎けりゃ一挙手一投足の音ま
しかしながら、物理的にあるレベルを超えると心理的制御はほとんど効か
期待値のなせるわざである。
欧諸国のようにホ!ムパーティーも予告されるとお互いさま。これすべて、
夜のほうが同じ音てもよリ気になる。突然大きな音を出されると驚くが、西
リも窓を閉めた室内のほうがかえって道路騒音をうるさく感じる。昼よりも
高価なマンションに入居してこんな筈ではなかったと文句をつける。外よ
寛容である。立臼の尚一いと心の通いのバランスが大切だと言われる所以である。
て気になるし、逆に、子供好きの人やカラオケ大好き人間はその種の音に極めて
起して一
omω
招の効果があり、ひとたび欠臨マンションや公害騒ぎになると、まさに寝た子を
い縁の植樹帯て道路を隠すと、物理的には一品も落ちなくても心埋的には数
たしかに心理条件て音の評価はずいぶんと変ることが知られている。美し
もまた心地良しといけるのかどうか。
ことができるし、馬耳東風と聞き流すこともできる。心一践を減却すれば騒音
や音色の違いを分析し、廻リの斎より一一O 品以上も小さな罰的立闘を拾い出す
を問くのだろうか。カクテルパーティー効果や地獄耳て、我々の聴覚は方向
限を閉じて耳を澄ますと心の眼が開けて米る。耳を隙じたとき心の耳は何
する心を育くむ王道なのか。
リュウムを上げることなく、やはリ静かな空間をつくることが、立問を大切に
を掛けて、白から墓穴を掘ることになるのか、騒音に負けいしと拡声器のヴォ
求
なくなるのて、やはリ、健康て文化的な最抵限度の生活をこの劣悪な都市環
0平方メートル仁一センチ角の孔をあけると遮音性能は三品低下するが、
一
ことは間違いない。完全な防音室の外壁に小さな孔、例えば五O 品の遮音壁
そこから洩れてくる音て音響的には十分開放感を味わえる。適当な間隔て複
境て享受するためには、建築物の遮音性能の向上は不可欠な要件"であろう。
﹁静かさや宕にしみ入る蝉の声﹂静けさにもいろいろあリそうである。真
生物ほど音を出さない機械はない。ピアニストの指が鍵盤の上を踊リ狂っ
数あけておくと外の資源の動きもわかる。必要十分な遮音と制御された導音
してしまう。指揮者のタクトが振リ持される前のピi ンと張りつめた待ちの
ても、アクション以外からは何の雑音も発生しない。もっとも歌ったリ、治
暗関なら壁がどこにあっても何色であっても関係ないが、志田の場合は無音空
静けさ、曲が終リ余韻と意識が無限の彼方に消え入っていく収欽的静けさ、
ったりしながら演奏する御仁もいらづしゃるが。カールルイスが時速三六キ
によって、時空的にメリハリのある活設た音環境づくリが可能となる。
ときおリ琢木烏の音が木霊する深山の静けさ、時間の市中て水滴の落ちる音に
口メートルを超えるスピードて走っても、骨のきしみ音や筋肉の収縮音は聞
間であっても、完全な無反射てない限リ、白から音を出してその境界を認識
驚かされる鐘乳恨の静けさ、たしかにこれらは明らかに無榔皆無音護の死の静
こえてこない。それにひきかえバイクなど機械物の何と発生音の大きいこと
そこのけそこのけジヨガi様 が お 通 リ と ば か リ 数 十 メ ー ト ル も 鳴 り 響 く 公
けさとは別の、動的な変化の相の中・に捉えられる生きた静けさであリ、日本
住宅はいつも無音てある必要はないばかリかそれはかえって逆効果て、必
害減てある。車のいトアの開閉音やエンジン音、洗濯機や空調機の音もまだそ
か。最近のナイロン製のスポーツウエアは衣擦れなんて風流な音てはなく、
要なときに静かにできる可能性があればよい。住宅に防音工事+令してもらっ
の味を云々できるレベルではない。あと少なくとも⋮ 0 却は下凶けることが必
古米の聞の文化につながるものである。
た人ても、その可能性に満足してか、たいてい窓を聞けて生活して λるよう
しておいてそれに負けじと自己主張するサウンドスケlブ音の計画は、白か
要条件で、その上て好み、選択の問題を議論すべきである。騒音を野放しに
ストてある愛妻のために、持てる技術と財の限リを
てある。
さる同学の士がビア
遮音については既に論"してきたように、技術的には透過音の聞こえの質奇
らの耳を絞めることになってはいないか心配である。
問うところまていっているが、社会的には未だ量的必要条件な満す水準まで
つくして完全な防音室去作ったところ、喜ばれると思いきや、ゴミ集めなど
の音のしらせが失われたと逆にクレームをつけられたとか。彼のことゆえ、
いっていないし、いわんや導音、醸音においておやである。
音の演出にはまず静かな場が必要である。徒らに奇を街うことなく、やは
こととは思うが。過ぎたるはなお及ばざるが如し。
また、硬骨漢で知られる間保日く、若は床衝撃音の防止にうつつを抜かし
リ地道に鰭音の低減と遮音性能の向上を計リ、静かな環境の時空的な間の中
すぐに必要な情報だけを中に入れるインテリジェント導音システムを設けた
ているようだが、我が家"では二階のす一日斎てドンとやれば煙草、ドンドンとや
(やすわねか・まさひと/点以大山γ工宇部建築山下科教授
欠で、すまいの音は一止にその主役を担っていると言えよう。
共有感や連帯感をベースに、音の和を拡げ、通いん口、っ音心を育むことが不可
それには、すまいの建築としての布一世化もさることながら、音による場の
現したいものである。
に美しく散りばめられてゆらぐ音締の際立つようなサウンドアメニティを実
η
お父さんうるさいわねえ。て
ればお茶といづた具合て、結構柔な木造床も重宝しているのだがと。どう
もごちそうさまです。拙宅でそれをやづても
おしまいでしょう。
気密性の高い遮音性の良い室にはどうにもやリ切れない圧迫感がある。そ
の原凶が気流にあるのか、音にあるのか、光にあるのか、 はたまた見えざる
要因にあるのか定かではないが、 いずれにしても外界からの情報遮断にある
近隣の生活音の問題を、いろいろな角度からディスカッションできればと考
プラスにとらえていく立場があります。きょうのこのミニシンポジウムでは、
は騒音としてとらえていく立場と、立日を演出するなり、調音するなり、音を
小林(司会)﹁住まいと音﹂という問題については、音を遮断する、ないし
と思っているかを司調査したので、この二つの研究結果について触れてみたい
苦情処理という業務を通して、近隣騒音に対してどのように考え、また問題
環境保全局を含めた各区市の公害処理担当職員の方がたに対する意識調査で、
する研究﹂という一九八三年に行なった研究について、もう一つは東京都の
しできるかわからないのですが、一つは、﹁近隣騒音の心理社会的構造に関
立時と
白百合女子大学文学部助教
授・心理学
(やまのうち・こうたろう)
出出門宏太顔
(やまざき・ことこ}
滋賀大学教育学郊教授・
家政学
山山総糊吉都子
近隣の生活苦にまつわるさまざまな問題を、心理社会的な立場から、そ
して住宅一日喜朗の立場からの、お二人の蔀究を手がかりに、諮し合っていた
だきました。
E
行政的なサイドから関与しようとする以上、どうしても処理用マニュアルが
えば、彼らの調査をしていて、いま一言った感情的な問題が関わることですが、
するにつれて、私も本当にたいへんな仕事だなと思えてきたわけです。たと
そういうようなことで、苦情処理をしている方たちの仕事は、実際に調査
されないというわけです。
うものが関与しますけれども、そのようなレベルでは実質的な問題解決はな
近隣騒音の問題の根底にある以上、都なら都、県なら県、もしくは警察とい
入って解決でさることではないということです。感情的な世界というものが
ように感じているかを調査しました。近隣騒音というのは、基本的に仲介が
識調査では、結局、苦情処理業務を通して、近隣騒音の本質的な問題をどの
もう一つの生活公害及び苦情処理を担当している区とか市の職員の方の意
(
← 8 1 9頁婆約参照)
れる心理的社会的要因を実証的に研究できればと思い、行なったものです。
﹁近隣騒音の心理社会的構造に関する研究﹂は、近隣騒音の背景と考えら
な性質がどこかに隠れていると思います。
がって、この問題には、加害者にもなるし、被害者にもなりうるというよう
との、要するに近隣同士のなかで発生することが特徴だと思います。した
けですが、近隣騒音は、主として地域が限定されて、同一地域内に住む人ぴ
て、そこに住む私たちの生活とか福祉といったものに影響を及ぼしているわ
健康とか財産といったようなものにさまざまな形の被害を与えることによっ
一般的には﹁公害﹂は、非常に広範囲にわたるそして不特定多数の人ぴとの
実際には近隣騒音の明確な定義というのはなされていないように思います。
と思っております。
えています。
きょうは近隣騒音ということで、これまで研究として関わってきたも
音を出す側と聞く側の感じ方には大きな差異がある
近隣騒音の心理社会的調査より(山内)
111
山
のから少しお話しできればと思ってまいりました。短い時間でどこまでお話
内
ga
ν
き
喜
所
喜三秀
i欝
めてわざわざ遠くから行く人もいるわけです。ディスコだってそうだと思い
とかもしれないけれども、ある人にとっては、まったくの騒音でしかない、
ます。ある醸の人にとっては、それはものすごく自分にとって意味のあるこ
自分を疎外する音でしかない、というようなことになるかと思います。そう
いう意味では、音の物理的な条件とは必ずしも直接関係しないというのがこ
の特徴だろうと思います。また、音に対する反応を媒介するのはあくまで個
人になるわけで、その個人の側の受け取り方、自分と音との開の関係、いう
ならば自分の側からみた音の意味づけがどうであるか、というような事柄も
重要な変数になろうかと思います。
現在、近隣騒音として問題になっている音は、昔から日常的な生活のなか
で﹁騒音﹂としであったわけではないということです。一言うならば﹁生活
音﹂ですね。ですから、本米は生活音として互いに認めて、言ってみれば、
要するに、ある処理方法に則ってやろうとしても、こと近隣騒音の問題に関
ほしいわけですね、彼らにしてみれば。ですけれどもマニュアルができない。
うに受け取られるようになった主な背景は先ほどの研究では、地域生活の構
マイナスの音、生活を妨害する音として受け取られるようになった。このよ
ていた音なわけです。しかし、そのような音がいまは﹁騒音﹂というような
互いに意味のある情報をもっ音として存在していた、簡単にいえば、受容し
してはどうしてもうまくいかない。標準化できるようで実はできない。結局、
造の変化であるし、個人と個人との関係のしかたということになろうかと思
実際に都市の密集はひどい。積層住宅内を考えてもかなりの密集ですね。
当事者の聞に出てきた感情的要因というものが解決されない限りは、だめだ
確かにそこでは問題が発生しやすいかもしれないけれども、しかしその問題
います。
れが問題化するわけですね。ですから、それ以前に、かなり長い期間、当事
社 会 的 な 要 閣 の 部 分 で は な い か 。 ど ち ら か と い う と 、 そ こ が べ i スになって
者間では騒音問題ではない部分の問題が増幅しているわけで、極端にいえば、
近隣騎音というのは、いってみれば、人間と環境とのかかわりを最もわか
いるというふうに考、えたほうがわかりやすいのではないかと思っているわけ
の起こり方にかなり強い影響を与、えているのは、いま言りたような個人的・
りやすく説明していると思います。要するに環境と人聞のかかわりというの
です。
住民を含めて、広い立場から音の問題を考えなければならないというのは、
ですから、行政側だけからこの問題を考えてもしょうがないですね。地域
関与しているということになるかと思います。たとえば、われわれは騒音を
いま言ったような意味からであります。
したけれども、あれはものすごくうるさいそうです。けれども、その音を求
求めて出かけることだってあるわけです。この前、 F Iレl スをやっていま
ではないということですね。ですから、あくまでも主観的なレベルの問題が
は、物理的な環境、そしてその反対側に人間の行動があるという単純な図式
公害規制法令等々の法的な条例からは解決できないということになります。
ということになります。実擦に申し立てという形で、初めて行政サイドでそ
この皮談会は、当日財団で開いているミニシンポジウムをま
とめたものです。(四月一
於一当財団会談室)
議2
4
E支
計事客向
型隣
較ブ
調f
k
査 υj
L 相
ち
自
函係
崎
許容し合えており、生活トラブルの感じ方も違ってきます。一方、住戸の接
続形式が違う措段室型と廊下型を比較すると人間関係のつくられ方が異なり、
より私的なテリトリーを共有する諮段案型のほうが居住者は親しくなり、そ
果たして決定的な防止効果のある性能があるか疑問ですし、非常にコストが
かかります。もちろん遮音性の高いマンションを志向する人がいてもいいと
かというとおそらく、生活トラブルは経験してから理解するところがあった
思いますが、そうでないマンションと共存したとき庶民はどちらを選択する
(←叩 iHH頁要約参照)
り小さな暴力として生活を脅かすものである
にとっては我慢できないくらい邪魔な音であ
生活音が中心である。これらの点目は、ある人
②各音の邪魔感(または親しみ感)と、③立日
たは場所を具体的に挙げてもらい、さらに、
辺から聞こえてくる音とその音源である家ま
質問紙法で行なわれた。各対象者に、①住居周
音が問題となりやすい夏季に個別訪問による
が、一方ある人にとっては全く問題とされな
源となる人または家に対する好感度と付き合
住民を対象(、主婦、
騒音(
2
2
ω 巴とは、そもそも人間が主観的
い。この点が近隣騒音の特徴を最もよく示し
いの程度の評定をしてもらった。また、④自宅
エアコン室外機、ドアl開閉音などの日常の
に感じているうるさい音、望ましくない音で
から外部に漏れていると思う音をすべて挙げ
ら聞こ、えてくる話声、 T V、ラジオ、楽器、
N l四二六名)に、近隣騒
η頁へ
りするので、なかなかコスト高の遮音性を選択するまでに至らない。
山内宏太朗
ある。すなわち、騒音は、音の大きさなどの
ているとい、える。この研究は、物理量として
てもらい、⑤目分が気にしている程度と、⑥
は小さく、与える邪魔感に大きな遠いを生じ
その立日に対する具体的配慮の有無、などを尋
れ白体よりも、立日に対する反応を媒介する個
させる生活音を対象にして、邪魔感を規定す
ねた。したがって、一つの音に関して聞く側
)
- まず第一に、騒音となる生活音を出して
(
となった。以下に、王な結巣の一部を紹介する。
と出す側の両方からの反応を得ることが可能
調査は、都内の学校騒音が問題になってい
との慌の心理的、社会的要因が邪魔感とどの
る、玉観的条件、とくに、資源とそれを開く人
であるといえる。
立日に対する人間の反応には、大きさ、喧燥
感、邪魔感があるが、これらの中で邪魔感が
合この傾向はさらに顕著であると考えられる。
る地域と問題となっていない地域の二地域の
最も個人差が大きく、音の物理量が小さい場
近隣騒音として問題になる音は、住居周辺か
ような関係にあるかを見い出すことである。
人の受け取り方や意味づけがより重要な変数
物理的性質と直接関係しない。立日の物理量そ
﹁近隣騒音の心理社会的構造に関する研究﹂要約
しかし生活トラブルは相手との交際の薄いほうで起りやすく、親しいほど
が、結果的には近隣トラブルのなかで騒音がかなり中心になっています。
この研究は騒音に限定したわけでなく、生活トラブル全般についてでした
であることを、述べたいと思います。
の結果、生活上の許容量が増え望ましい関係になるという結果になりました。
のト
比ラ
山崎私は、﹁中高層分譲共同住宅の住一戸接続形式の違いから見た近隣関係と
下辺
迷惑を受けている人がいる以上、一定程度はそれを取り除く必要がありま
正式
廊と
近隣トラブル﹂という研究をもとに、相手との相互関係が騒音の認識に影響
窓 口
す。その方法で一番効果的なのは、物理的な住宅の性能、たとえば水漏れに
頭形
していること、さらに近隣の相互関係は、﹁騒音トラブル﹂を起こしゃすい最
階の
対しては全面的に防水をする、騒音には遮音性能をあげるなどです。しかし
段
差
接近近隣とどのような空間を共有し合っているかという住宅計画上のテーマ
住
│
居
《
。
よ う な 好 感 度 ( 好 き 1嫌 い ) を も っ て い る か
側の人がどの程度知っているか、また、どの
いる音源となっている人や家について、聞く
が大きいことが近隣騒音の特色であることが
叩音を出している側と聞いている側のズレ
騒音の問題化は減少することが予想される。
が、聞いている方はそれほど邪魔と感じない
演奏立日は一般的に、出している方は気にする
いがみられる。たと、えば、子供の芦や楽器の
学校騒音でもその小学校に対する愛着度が関
が、開く側の邪魔感を大きく左右していた。
生している音について、漏れていると気づかな
見い出された。日常生活において自宅から発
ンの音は一般的に、開く側は邪魔と感じるに
音といえる。一方、集中冷暖房機やマージャ
川淵表i2は 同 様 に 、 聞 く 側 が 相 手 に 感 ず る
いうことである。
と出している側の気にする程度との関係を示
配慮されている感じと出す側の具体的配慮の
もかかわらず、山山す側は気にしていない音と
の崩壊とに関係することを一不すものと思われ
している。非常に邪魔と感じている騒音に対
有無との関係を示している。ここにも両者に
った。表l 1は、騒脊を閉山いている側の邪魔感
る。間以iIは 、 邪 魔 感 と 付 き 合 い の 程 度 と の
して、出す側がそのような音を発生させてい
大きなズレがみられる。
かったり、配慮が行き届かない人ぴとが多か
関係を示している。挨拶をする程度以上の関
ることすら気づかない場合が多いことが分か
活における近隣関係の希薄化とコミュニティ
係がある場合、邪魔感の程度は相対的に少な
を紹介した。
7
0%
│
花田川
以上、非常に簡単であるが研究結果の概略
る。罰ー2 は 、 各 騒 音 ご と に 両 者 の 関 係 を み
向回
戚
くなることが分かる。このことから、日常の
7
0
近隣関係において、少なくとも制限を見かけた
図-2 生活奮を邪魔と感じている率と出している側の気にしている率
たものである。立日の種類によって﹁気になる
宙十
周
診
く 1
0
df=2
家
6
3
3
7
.
5
2
5
.
4
1
4
5
3
2
(
34
.
5
)
(
2
2
.
1
)
(
4
3.
4
)
/
出している側の気にしている音
2
騒音を閣く側と出している側の配熔の関係(%)
(配慮、を感じる有無一一実際の配慮の有無)
表
D .K
配慮しない
I
l
CE
をしている
1
6
.
7
3
0
.
2
1
0
.
0
配慮なしと感じる
4
5
.
8
4
4
4.
2
0
.
0
配慮されていると感じる
!
i
発生して L る
と哩ってにない
いる傍j
騒音を出している関
騒音を聞いて
P<.IO
率﹂と ﹁邪魔と感じている率﹂との関係に違
N
6
0
5
0
40
3
0
20
1
0
一
ノ
鳥
1
0
一
@ステレオ
邪
魔 4
0
と
92
3
6
(
24
.
8
)
楽器@
2
0
dh
率
﹂
σ
〉
x'=4.82
@子ども
係していた。この事実は、近隣騒音が地域生
5
0
(
34
.
5
)
3
5
(
2
4
.
1
)
df=6
X'=1
0
.
6
7
2
2
2
4
(
1
6
.
6
)
場
坤
て
5@
階段童書物
じ
風鈴.
..話し声
@テレビ・ラジオ
日曜大工@入浴@
水道.
.
@ドアー
トイレ
換気扇@穐除事長
@洗 i
I
l
機
床@ー
3
0
る
@マージャン
明60
f ehラ
る
N
ら技拶をする程度関係を保つだけでも、近隣
騒音を筒く餓の郡廃感と出している側の気になる程度(%)
表
5
0
側
@築中冷暖房機
%
H円
'
"
1
0
0
3
1
魔
〈
会
5
9
.
!
2
9
.
0
3
0
.
4
1
3
.
6
1
6
.
1
2
9
.
4
非常に邪魔
発生している
と思っていない
誌にならない
少 し
置になる
買かにななる
り
いる倭j
2
2守
呂
9
.
1
1
9
.
4
1
7.
4
1
8
.
2
3
5
.
5
やや邪魔
邪
騒 音 を 出 し て い る 閣
騒音を開いて
邪魔感と音源を知っている程度の関係
~-l
5
0
@
@フトン 77キ
@台所
A
f
i
l
l地=階段変型
M団 地 z ヱレベーター+廊下型
1 相手総戸別交際度累穣グラフ
%
1
0
0,1
﹁中高層分譲共同住宅の住戸接続形式の違い
から毘た近隣関係と近隣トラブル﹂要約
山輔古都子
関
9
0
8
0
7
0
6
0
、
FA
表
5
0
1 つきあいの内容別、相手住戸の伎鐙
芥つきあう相手があるものを 100とする。夜桜 !
1
1
!1
'十あり。
4
0,
3
0,
¥知書
2
0,
MA
A
のの
白
上
河向~~
酔い時
MA 向 酔
〉
ι
同〉
α
同 一
一 体
九
下迎路段府枝
f
i
i
J
被
日
]
校
住
地
内
MI38 /
3
8 2
5
4
1
6
A 13
6
1
3 4
8 2
6 3
5
M133/
3832 6
2
1
いききする
A 13
1
1
0 3
7 2
5
7
7
M153/
3320 2
9
i
l
!
をI
i
lかる
A I1
7
1
7 3
8 2
0
3
2
郵 世4
討を
7
M I8
1 /
2
9
る
A I7
4
7
2
3 2
9
3
0 2
0
病気の H
iり M I 46 /
3
1
<
1
あ
も
A 13
1
1
6 4
5 2
4
6
3
企1
,のおす M
62/3726 5
1
6
そわけ
8
2
3 4
2 2
7
A 4
5
4
n 物を ~Jl め M
4
6
/
4
2
3
0
1
3
1
1
A M
る
a
俗J 1
1戸の位 i
'
lの分却は自己申 1
1戸i
と近い所からとい右ζ
i
子供を預る
1
0
m
交限度とは、主~域以外の iIK もま~しくしている人とのれ3
1
支を 4、あいさつを交すれ'皮を lとして、
s
J
世
2
日私
位 の
4、 3、 2、
lの 投 獄 で あ 匂 わ す 。 あ い さ つ も し な い 場 合 は Oにし
て、!'I cJ~ 山させたものである。
a
a
1
2
1
0
1
6
2
2
6
6
9
2
4
1
3
1
1
l
ι
1
1
1
3
いくにつれ左記項目を合まない。
こ の 調 査 を し た ⋮ 九 七0 年 代 は マ ン シ ョ ン
ブl ム の 最 中 で 、 そ れ に 伴 っ て 生 活 ト ラ ブ ル
が問題化し、一般的な管理運常の問題と絡め
て規約を作る方向にありました。私は生活を
縛る規別は少ない方が良いと基本的に思って
いますし、色々出住者調交をしていて、少数派
とはいえ規制されたらさぞかし附られるだろ
うなと思う役}小山内等もあったりして、規則とい
表~2
うか午前ル│ルは必要だけれども規則作りは
と感じていました。そこで予備誠資中管理人
基盤終備をした上で内等を決める必要がある
に集まる内情のおや自に違いがあるのに着目
のつなぎ方はトラブルの発午を左右するだけ
し、本調伐を実施しました。その結果、住戸間
でなく、近隣関係を作る役割があること、そし
て近隣関係が良い所では苦情が第三者の所ま
以下は建設時期、規模、階層など条件の似
で崩かないで解決することが分かりました。
通って隣接した、廊下型(エレベーターと廊
下でアクセス)と階段室型のマンションを、
近隣付き合い、トラブルと解決の経験などで
比較した結果です。
近接するアクセスを共有せず、お互いが住一戸
まず、最接近近隣間の﹁生活トラブル﹂の
との結び付きを知りにくい関係です。エレベ
筆頭はやはり﹁騒音﹂でした。住一戸に無関係
いは型との問に相関がありました。付き合い
ーターでは先に降りる人を知ることができる
になりました。最後のグループは自宅までの
1)す る と 、 階
上下・階段室型の階段非共有憐のグループ順
の程度を数字で表し作図(図
な近隣の付き合いは両型に相関がないのに対
段室型の玄関向い隣が最もね度が高く、次に
だけですし、階段室裂でも隣接していても階
して、隔壁を共有した上下左右憐との付き合
同型の上下・廊下型の左右、最後に廊下型の
上下:ti:翁隣と話をする場所(l1
1
!符
百'
1
1
1
立)
1階と 2階以上の実際度の出較
C
!P位交際度)
M の交際隣皮
カ);r;j~ 、
I
が
'
1
Aの
の
低
父
笠
い
際
間
続I
皮
[宜上
[
n
T
A由 向 い 隣
1F
2
.
2
2
.
0
1
.4
,
,
¥
,
1
.9
1
.9
0.
7
0
.
8
2
.
1
2
.
0
0
.
8
0
.
8
1F
2.
4
1
.
4
1
.
7
2l
F
A 以
22
0
.
6
1
.8
1
.
9
.
2
2
0
.
7
1
.
8
1
.9
M
12
以l:
~
ハ
U
l
場
守一。%
トラブル経験者率
るた叫﹁勿忽一明
吋ノ﹂
一﹄ A 4 0
一か
百円
h
守
山 EUAA
司会一一-一
胃
﹀
一内行江川 FJV04bMM
庁﹂1 L m紘?点
j
'
t
1
1 - 10h
i
133;iz-l
l;
レま一ミミ、
,、 ?
J4YM
;
¥¥ν、ν
、で甲山一E
S
Y
O
E
M
10
--K
ヌI 7
ο
。
ぶ
、
山 de:ehvGY
ラ 混 一 ミ ミP
ド引 ω
一蕊必一 一
台
%
- ' Vι
E
﹁黒塗一品??一
﹄、一明中や申
ih
きと
階で庭がある隣通しは先の図の第一グループ
にあることも分かりました。また向型とも一
接住戸でなく階が隔たっていても親しい関係
対に階段室型では階段を共有していると、隣
段を共有しないと類似の関係になります。反
場を設定する関係ではなくて、日常の生活活
垣根越しの付き合いは交際するために独自の
は﹁垣根越しの付き合い﹂と名付けました。
つながれ方が近隣交際に影響を与えるのを私
証拠の一つと一一一一昨えそうです。このように住戸の
います。伎一戸を結ぶ空間の性格が交際を生む
階段室型は庭と階段笈がお喋りの場になって
で際段室裂の﹁悪臭﹂というのがよくわかり
関係を図
ル﹂と尋ねたことでこういう結果が山山てきた
ます。この点でなにも仮定しないで﹁トラブ
ラブル経験者の栄一はもっと広がることになり
次 に お 互 い に 会 話 す る 場 所 を 函12にプロ
動(例えば洗滋物を干すとか、戸外を掃除し
れないが交際皮には始ど影響していません。
ませんが、何か特別の事情があったのかもし
5 に表してみました。この図の中
さらにトラブルがある如何予の家と交際度の
ことは意外でしたし、面白いと思いました。
と間程度の交際になりました。
ットしてみました。廊下型はベランダと庭が、
これに対して騒資のトラブルの場合は交際皮
トラブルが起きた後の解決方法についてみ
と非常にす同い和問が出ました。
すし、下の家も我後ができなくてすぐ上へ訴
漏れは具体的、物理的にトラブルが発生しま
れは﹁水漏れ﹂にたいして目だちました。水
間でのトラブルの経験者を、機執にはその相
ましょう。階段室裂では﹁謝罪﹂が多く、そ
手を一不しました。これによると、トラブルの
い﹂という例があるとも開きますが、この場
えにいきます。それに対して﹁うちは知らな
軸には加害、被害の区別なく上下友布の住一戸
た廊下裂の方が階段室型より明らかに経験者
が話し合わないように見受けられました。も
慢する﹂という凶答が目だち、あまり当事者間
して、廊下型は﹁謝罪﹂が非常に少なく﹁我
下型は圧倒的に自分は﹁度上から被害を受け
う一つ回答例は少なかったのですが、階段室
合は﹁謝罪﹂がよくみられました。これに対
た﹂と答えており、さらに﹁直下からの被安口﹂
ルに対して調査対象者の関係をみますと、廊
も加えると廊下型では被害者ばかりになりそ
いう気持ちの持ち方を示唆するような問答が
ありました。廊下裂にはそれがなく一方的に
型の特徴に﹁やむをえないへ﹁お互い様﹂と
自分は我慢しているという意識が出たと思い
の被害﹂とほぼ同比率で﹁直下へ被害を与え
の姿勢の遠いが歴然と出てきました。階段室
た﹂の回答がありました。詞型の間に回答者
ます。
ラブルの経験の図に付け加えると、両型のト
らその分加害者もいるわけで、この結果をト
型でこれだけ被害を受けた人がいるのでした
うです。ところが、階段室型では﹁直上から
が多いのがわかります。さらに、そのトラブ
相手は直上、皮下という垂直関係が多く、ま
した。殴 3を 参 照 し て 下 さ い 。 両 型 別 に 縦
をもとに相互のトラブルの関係をみていきま
さて次に、こうした住戸を結ぶ空間の違い
わす中から生まれてくる関係であります。
ているとか)の最中に偶然かつ当然に顔を合
間一団地内
隣とトラフルを絞験した」ことがあると [J~11さした者
で、 IJII'g 者側・被 'g~可ff問ともに合む。
水もれ
騒音
認支対象
全数平均
よ
£
王
山
パ
1LlE-一紘
i
ミ
5
wS
起た。一夜巡視選
4
でえ 一
マ塗尽さ
隣与にお町出廷ぶ
下を一
叉
ミ
・t日初一押ぶぬ一点決以
上被一京公蕊ふ
一隆一へ﹂交付以京S
廃
塁
塁 M団地
Cコ
A団地
3
.
0
7
0
6
0
5
0
4
0
3
0
2
0
1
0
4阪 地 ー 地 ー
へ)図罰
ー
﹁
きI M A
i
3{
(
直上・下・左・右隣と起こったトラブルの
内容別相手との実際度
~-5
随一 3 近機トラブルの経験者率(タテ穀)と
その相手住戸の位置関係(横軸)
高際蕊蕊蕊ミf.AJll送還緩彩務勿グ
A
4
.
0
1交際度
2
.
0
1
.
0
じり トラフル経験者とはアンケートで九位去に近
一方、﹁集合住宅﹂ではなく、﹁共同住宅﹂という発想の転換というか、
復帰がいるのではないでしょうか。日本に共同住宅が入ってきた当時、敷地
二つ目が、﹁交際関係﹂。親しい人が出している音か、それともまったく
見知らぬ人が出している音か。
わして、みんなで共用し合う空間をもっていた。それが共同住宅のメリット
それは同潤会アパートなどにみられるように、集約したゆとりを共同牲にま
と、どちらかというと、実際に対処可能であるか対処不可能であるかという
山内対処可能性のほうがわかりやすいかと思うので、例をあげて考えます
可能性﹂というお話があります。まずそのへんから:::。
それ以外にも、山内先生の書かれた論文には、つず測可能性﹂や、﹁対処
戸建
の集約性だけを狙い住戸が接近しているだけのを﹁共同住宅﹂とは呼ばず、
であるということを富安氏が書いておられましたが、近年では逆に
ことよりは、対処可能であるという知覚をもつかもたないか、知覚のレベル
1
て感覚で住めるマンション﹂が販売のうたい文句になり、﹁不干渉であること
の問題なんですね。
トリーを共有するようになります。そこからお互いの生活のリズムや都合、
ですが、もっと身近かな所に日常見知り合うことができる空間があればテリ
ることを考えなさすぎる。集会所のような特定の目的の入が集まる所も必要
ても、可能であろう。だけど、隣のん永から聞こえてくる音を、ズカズカ入っ
ズカと部屋に入っていって、テレビの音を小さくすることは、実際はしなく
さいかもしれないということは考えられる。もしおやじさんであれば、ズカ
の音をうるさいと思うかもしれない。しかしそのときの被害感は、意外に小
たとえば勉強しているときに、自分の家のおやじさんがかけているテレビ
が集合住宅のメリットであるとされ、共同することを嫌う指向にあります。
夜半の御帰還を我がことのように大変と思いやり、一方、足音で睡眠を妨害
ていって消すなんていうわけにはいかないですね。そうすると、その可能性
そこに住み合ったのは﹁他生の縁﹂としてみんなで見知り合う空間を共有す
しない配慮︽赤ん坊のいる家庭内なら当然やっていること︾を理解するよう
ス(学習性無力感)という状態になり、ネズミなんかになりますと、胃潰蕩
極端にい、えば、そのような知覚がもてない場合、ラl ンド・ヘルプレスネ
てくるように思います。
に関する知覚というのは、全然異質なものになっていくわけです。どちらも
が
ぐ
になるのではないか。こういった配慮を芽生えさせる空間計両を積極的にす
'フ下ま
音量を小さくするということが実際になくても、その音に対してそのような
とな
やら
るべきかと思います。まずは近隣環境を作ってからその上で、迷惑なものに
は響
対処可能性の知覚をもっているかもっていないかで、本人の反応に影響が出
ずg
ついて生活ル!ル作りをしていくべきかと思います。
り視1
祝するというものだと思います。その主観を左右する要素とは何かと考えて
うふうにいえば、﹁主観性﹂というのは、音の背景にある個人的な意味を重
計って、大きさとか波長とか、そういうもので音をとらえていくものだとい
濯物を干すというようなことを言われましたが、ああいうふうにすぐ会って
ですね。臼常的に見知ることができる空間ということで、ベランダ越しで洗
山崎先生のお話しを伺っていても、対処可能性の問題が出てくると思うの
それは隣の人にちょっと言えば、もっと静かにしてくれるかもしれな
もしれないですね。
いるということは、そういう感覚が増えるかもしれないということになるか
であるとか、クi ラi の 音 で あ る と か 、 そ う い う 音 の 種 類 に
よってとらえ方が違う。
林
した。麻雀の
いくと、 お 二 人 の 先 生 の お 話 し で は 、 ま ず ﹁ 騒 音 の 種 類 ﹂ と い う の が あ り ま
なんかすぐ出てきます。そういう意味で、人間のいろいろな心理的なストレ
方可
小林まず最初に、山内先生のお話しを受けて、音の客観性と主観性という
?
5
スと関わっているのではないかと思います。
t
t
取予
問題をとり上げたいと思います。﹁客観性﹂というのが、たとえば騒音計で
同対
じ処
音可
で能
もた
受
いという、 そういう感じですか。
主観を左右する要素は他にもありますか。
ろうと思います。自分の家の両隣りにピアノを弾く女の子がいて、どちらか
りではなくて、心理的なもの、好き嫌いなんていうようなことも出てくるだ
先ほど交際関係という話がありましたが、そのような社会的関係ばか
作ったんです。最初のうちは、植木が育っていませんから隙間が多かった
がかわいくて、どっちかがそうじゃないという場合に、かわいい子のほうの
山内たとえばこんな例もありました。新築をした時に隣家との境に生活一を
だから、そういうときには、お互いに家の人はどうしても顔を合わせざるを
音は心地よくて、そうじゃないほうは心地よくない(笑)、というような部
0・
可能性の知覚があって、あまりトラブルはなかった。
類のこともそこに入ってくるかと思います。似たようなことは、音の知覚に
関して私たちの心のなかにあるのではないかというふうに感じます。
山内予測可能性も対処可能性の場合と閉じように、その後の騒音の後続効
小林具体的な計画のあり方に話をすすめていきたいと忠いますが、まずは、
度は違うかもしれませんね。たとえば、うちの大学もキリスト教の学校です
山内いい音ととるかどうかはまた違うかもしれませんけれども、その影響
にいったことがあります。訴えた人は老夫婦で、おじいさんのほうがすごく
土田(東大)以前、マンションで床を歩く音がうるさいということで測定
場合に、多くの問題が出てくるのかもしれません。
そういう意味で、集合住宅で、いろいろな特質をもった個人が住むという
から、翠堂の鐘が一日にニ田鳴る。一二時と六時前ですが、私たちはその音
ろ﹂というようなタイプなんですね。しかしマンション全体のアンケートを
神経質で、上の人が歩くたびにうるさいと天井を棒でつついて﹁静かにし
偶人個人でかなり爽なる。
・土回さん
どんな音が気になるかは、
とったところ、 そ う い う 訴 え は な い の で す 。 そ の 人 だ け に 印 象 的 な 音 で あ っ
を一つの合図にしている。もう畳だという合図になるし、六時だから駐車場
なしに、常に一定の不安定感を与えるものだろうと思います。
ば、おそらくものすごい不満が出てくるかと思います。鳴る鳴らないに関係
しかしもしその意味がなくなる、いつ鳴るかわからない鐘ということになれ
から率をどこかに回さなきゃだめだとかという情報をもっているわけです。
音に変わったりするというふうな::
集合の計画でよく話題になる、似たような人が集まるのがいいのか、違う人
ブ
ちゃった。会話するという雰囲気がなくなってきたんですね。そうしたら、
)
t
,
.
果、要するに騒音が消滅したあとのいろいろな反応に影響を与えるというこ
i
、ワ
やはり近隣騒音の問題が起きたそうです(笑)。一度起きますとむずかしい
隣諸;
が集まるのがいいのか、ということです。それについて騒音に対するパーソ
フ
ですね。
さ持
近沢
とです。いつどうなるかわからないということになると、これには対処した
f
そが
ナリティとか、そういうものはありうるのでしょうか。
襲む
くてもできないわけですし、非常にストレスになるというのと比較的似てい
立方
山内騒音に対して基本的にその人がもっている感受性みたいなことで一言い
活ぷ
るかもしれません。
小林予測可能性というのも、似たような感じですか。
様1I
ますと、これはやっぱりあると思いますね。ある人はある音に対しては過剰
る集
小林たとえば神田のようなところで、一時間に田鐘が鳴ったりしますよ
生ま
な反応をし、ある場合は違うというようなことは、よく起こるのじゃないか
けが
ね。定期的に鳴っているという予測ができるということであれば、それはい
お士
と思うのです。
住も
宅の
に同
い音であるけれども、もしランダムに鳴るようになったりすると、それは騒
集鍛
ところが、だんだん木が大きくなってきまして、つながった垣根になっ
得ないんですね。そこで自然に会話が交わされていた。その関は互いに対処
山小
内林
合た
て、ほかの人はあまりなかった。おばあさんのほうは、その音よりは、外の
道路のほ、つがうるさいといいまして、やっぱり個人的な問題というのはかな
実際に調査されていて、騒音が問題になりやすい地域となりにくい地域と
いうのがありましたらご紹介ください。
守
る
と
のピアノ好きがいたとしても、自分のこどもがバイエルの何番かを弾いてい
たとえばピアノの音とか音楽の音なんかそうですが、お互いに同じくらい
言ったら、わざわざ連れていってくれるんですね。
ら 、 ﹁ ど こ か お 訪 ね で す か ﹂ と 言 わ れ る 。 し ょ う が な い か ら ﹁O O学 校 ﹂ と
感じなんですけれども、もう一つのほうにいきましたら、ウロウロしていた
音とのかかわりにおいては、後者の地域の被害感は比較的少ないというよう
かなりそういう意味では印象が違って、騒音調査の結果でみても、学校騒
オペラゃなんかを聴いているのを楽しめても、発声練習を繰り返し繰り返し
なことですね。そういう意味では、基本的な地域生活の構造じたいがかか
新興住宅地の親が筆頭にあげたのは、近所に迷惑をかけないように住むと
わっているというような印象を受けたわけなんです。
小林本誌∞∞年秋口すの座談会で、湯川先生と山本先生の聞では、たとえば幼
いうことですね。伝統的な住宅地のほうは、あまりそのことは気にしていな
そうすると似た者同士っていったい何だろうか、という点が一つあります。
児のいる人と老夫婦というようなレベルでは、分けるほうが好ましいのでは
い。迷惑をかけても無関心で住んでいるのじゃなくて、あるル l ル が で き あ が
山崎これは騒音調査ではなくて、住教育の調査なんですが、親が子どもに
ないかというお話が中心だったかと思うのですけれども、確かに、子どもが
って、それに沿ってやっているから、とくにあえて近所を気にしなくてもい
もう一つ、住み始めたときは似た者同士でも、果たしていつまでも似た者
いる人でも、問。年たてば老夫婦になるわけですから、同じ人が集まればい
いということだと思うのです。その点、新興住宅地の人は、周囲とトラブル
住生活に関して、どういうことを心がけて毅けているか、という質問をして
いというのは、住み符えを前提としていないと、可能ではないということで
を起こすことに非常に神経質になっているというのが、この調査からわかり
向士でありえるか、ということがありますね。そう思うと、似た者向土が集
すね。むしろ定住してコミュニティをうまくつくっていったほうが、交際関
ます。
みましたら、やはり新興住宅地と古い町とか農村とかで違いがありました。
部がトラブルに影響を与えるということを考えれば、好ましい選択ではない
づ林
地域のル l ルがちゃんと維持されているかどうか、 と い う の が 重 要 だ
かということを感じますね。
まるのがいいといっても、いつまでもそれがつづくのでしょうか。
しているのを筒かされたのではうるさくなってしまいます。
がやめてしまったとたんに我慢できなくなるとか。どんなに音楽が好きで、
る聞は我慢できるけれども、隣の方が上手になってしまったとか、どっちか
最初にお話ししたほうの研究ですが、目黒区の騒音が問題になってい
山内
ら
まった集合住宅ということになると悲惨ですね。山崎先生は、同じような人
れ
る地域というのは、かなり新しい人たちが入ってきている地域です。もう一
理が
たちが集まったほ、つがいいのかどうかについてはどんなふうにお考えですか。
ゑ
り大きいなという感じがしました。
小林個人的な差があったとして、だいたい似たような人が集まったほうが
ほ
i
無J
L
-
つの地域は、荏原の近くだったかな、かなり昔から住んでいる人が比較的多
摩擦が少ないかどうかと考えた場合に、今の、天井をつつく人ばかりが集
z
日
山崎今の笑い話ではありませんが、みんながっつき合う人ばかり集まった
対嬰
い地域だったのです。それで、前者の地域をぐるりと回りますと、あまりわ
よ
ほ
毒、
、
れわれがゾロゾロ歩いていても相手にされない、あまり意識されないような
で
、
地
が本当に可能なのかな。
ノ
、 dミ
ら困るという点とそれだけではなくて、よく似た人同士が集まるということ
建大
築事
のた
d凡マ
ー
近隣駁 tHは、批酬でもが加主者にも被山 け
l れにもなリうる。
法令や行政で解決できることではない。
も、ここは非常に貧しい地域なので、それができない。そこで法皇がこられ
る広場の周辺にある家々が洗濯物を満艦飾に干した。それは法皇にとったら、
自分を歓迎してくれたという気持ちですごくうれしかった。﹁皆さんがシー
ということですね。そうすると、現在はそのル!ルがなかなか維持されなく
大 河 原 ( 清 水 建 設 ) 遮 音 と い う の は 、 も と も と 一 00%は 無 理 で す し 、 そ
らっしゃいませんか。
M 州が必嬰・::::山崎た生
川
什山ドがくっつきあって休むだけ
でなく、お足いに共川しん川、7q
間を大事にする﹁ Hハ川刊住宅﹂への
ツや毛布を出して歓迎してくださったことで、皆さんがどんな生活をしてい
る か を 感 じ る こ と が で き ま す し 、 そ の シl ツ を 通 じ て 、 皆 さ ん と 私 と の 心 の
日本の布毘を干すというのは、まさにそこに住
触れ合いもできました。どうもありがとう﹂と説教を結んでおられるのです
ね
。
このジャン・ワレさんは
んでいる人と道を歩いている人とが共有していますよという意味で、私は大
好きです、 と書いています。
あまり生活の内部に至って建築家が先行して性格づけると、また窮屈にな
るのではないかと思いますね。
小 林 確 か に 遮 音 の 問 題 で も 、 ハ ー ド で 一 00%対 処 す る の は い き す ぎ と い
なったので、建築の立場からい、えば、ソフトがだめになったからハードで対
れこそいまお話しがあったようなソフトな函と縁が切れると、住まいの社会
う気がしますが、そのあたりについて会場でどなたか発一一一一目されるかたはい
処しようという発想になりやすいですね。
人間と環境のかかわりそのもの;山内光生
山崎ただ建築家がハードに対応するとどうなるかということについて、話
るとばかりに、マンション全戸に乾燥機を既設して販売しました。ところが、
物がヒラヒラするのは建築家に嫌われて、乾燥機を使えばヒラヒラがなくな
が 窓 を 閉 め た と き は 切 れ て し ま う わ け で す 。 非 常 に シl ン と し て い る 。 電 車
す。ですから、それからいえば、完壁にいい設計なんです。しかし、暗騒音
想定されていましたので、二重サッシュなどを用いて遮音性を高めたわけで
たまたま鉄道のそばにマンションをつくったことがあったんです。騒音が
性というものがなくなる。それが大きいですね。
乾燥機を賄っていける階層の人は、﹁それはいいことだ﹂と使っているのです
が通ったときだけ、それなりに減立目された音が六Oホl ンでブワI ッとくる。
が違いますが、アパートのベランダに出ている洗濯物の話。アパ iトに洗濯
が、ランニングコストがかかってかなわないと思っている家では、みんな乾
なんとも味気ないというか、人間的な空閉じゃないわけです。隣の人の息づ
かいまで聞こえるような感じになる。そうすると、こんどは逆に上の入、排
燥機が物置きになってしまって、洗濯物がヒラヒラというのがあるのです。
一方、ジャン・ワレという埼玉県の大宮教会の神父さんが書いておられる
水の騒音、そういったものが気になってくる。ですから、完壁な騒音や遮音
宅地に説教にいかれたんだそうです。この地域では、歓迎の意味で、窓から
次のような話があります。ローマ法皇が、バチカンを出て、ローマのある住
いろいろな、きれいなカーテンを掛けたりなんかする習慣があるんだけれど
をすればするほど、
ん氾川附止な遮 ιH
かえって小さな庁がえになる
ようになる・:::大河川切さん
というのは、何かソフトを考えていかなくちゃいけないのではないかと感じ
ています。
暗段室型、廊下型にかぎらず、
居住者が共有しあう場、が多いほど問題は発生しない
山崎先生のご研究で廊下型と階段室型というお話しが出ましたが、そ
集合住宅では、垂政方向の
立日の方か問題になりやすい。
・・・平手さん
にどういう音が気になるかという調査を集合住宅でとってみますと、床の足
音、給排水などの音が問題になっている。水が流れれば当然上下に流れるわ
けですが、普通、建物で考えれば、やはり縦のほうにやや軍配があがるので
はないかという感触を持っています。
小林そうすると、山崎先生のおっしゃるように、階段室型で上下関係で近
、トト
のときに、垂直に伝わる音のほうが問題が大きいからという前提があるよう
所づき合いなんかが起きやすい住棟形式のほうが、音の問題に対しては有効
パ
パ dキA
a
な感じがしますけれども、実瞭に垂直のほうが問題として大きいものでしょ
、﹁ノムU
ワi ッ と 聞 こ え て く る ん で す よ 。 わ ア う る さ い な あ と 思 っ た で す ね 。 後 日 、
ろいなと思ったのは、親戚の家がマンションで、ピアノの音が上からウ
ないですね。それが逆に、そこに住んでいる人にとったら、領域感を共有で
廊下型のように、どこからきたのかわからない者でも入れてくれる雰囲気が
は調査しにくいですね。調査員がよそものだと排除される雰囲気があって、
山崎これはたとえば調査に行ったときに感じるのですけれども、暗段室型
というか、問題が少ない可能性が高いというストーリーになりますね。
奥さんが上の階に行って、これは賢明なんですけれども、﹁ピアノを少し静
きる関係が階段室型のほうには生まれやすいのではないか、と私は思ってい
物理的な伝わり方はよくわからないのですけれども、 ち ょ っ と お も し
かにしてください﹂とダイレクトに言わないで、﹁おたく、ピアノをお弾き
ます。
山内
ですか﹂と開いたんですね。ところが、﹁弾いていません﹂と言うんですよ。
小林もうひとつ、中層か高層かということがかなり影響があって、住棟の
でも廊下型でも、住棟全体の近隣関係は高くなると思う。山崎先生のご研究
大 き さ が 中 層 程 度 、 一 つ の 住 棟 が 二O 戸とかコ一O 戸 程 度 で あ れ ば 、 階 段 室 型
結局上から聞こえてくるんだけれども、ピアノは実際は下なんですよ。
僕は構造的なことは知りませんけれども、いまのマンションといわれるよ
では、廊下型のほうが高層で、階段室型が中層ですから、廊下型に不利では
うなもののつくり方は、普通われわれが常識的に考えるような音の伝わり方
をしないのじゃないかなという気はしますね。
ら間こえたり、そういうふうに錯覚することもある。状況によって全部違い
反射なんかがあると、外側から漏れてくる。それで、ちょっと違った方向か
大河原開口部から漏れる音が大きいんです。周囲の状況によって、建物の
て、違った意味で人間関係が悪くなったのじゃないかなという気がしますね。
かしてくださいよ﹂というような言い方から出発すれば、おそらく音を通し
いうふうに思います。
ですから階段室型にかぎらず、共有空間を捻出することで可能ではないかと
く住み合う。そういうものをつくれればいいのではないかと思うのですね。
けではなくて、トラブルが起こりゃすい周辺の人たちが、できたら匿名でな
というのがあります。階段室か廊下型かというのでわたしは軍配をあげたわ
一つの、たった一 O軒 だ け が 利 用 し て い る 階 段 室 で す か ら 、 挨 拶 も し や す い
山崎階段室の場合には、家と家族、人の名前とを対応させて覚えやすい。
ないかという感じがしています。廊下型を弁護する立場からしますと(笑)。
ますけどね。
ですから、ここから先はたとえ話ですけれども、上の階に行って﹁なんと
平手(東大)垂直か水平のどちらが問題が大きいかということでは、発生
確率というか、われわれが生活しているうえでの音源を考えてみると、実際
小林その場合の共有空間の演出の例は何かありますか。
用されていないようにみえます。
菌で遊ばせたほ、つがいいということにもなるし、芦鹿浜の場合は、あまり利
外部空間としては庄迫感があるので、同じ外に出るのなら下まで行って、公
山内私もあそこに三、四回見学に行きましたけれども、まず透明のパネル
山 崎 廊 下 型 のM団 地 が 必 ず し も ま っ た く 共 有 空 聞 を も っ て い な い わ け で は
た先にいけば、隣り関士が会えますね。それが横の関係をつくっているわけ
が貼つでありますよね。ということは、風の問題もあるということでしょう
ないというのは、ベランダが丸く張り出しているのです。いちばん張り出し
です。
けれども、偶然一一日のうちに一回ぐらい共有し合う時間が設定できるような
濯物を干している、向こうも干している、あるいは別の行動を行なっている
お風呂に入っていて窓越しはちょっと困りますけれども(笑)、こっちも洗
いうのではなくて、もうちょっと日常的なところ、ゴミを出しに行くとか、
い。住棟のなかにコミュニティ階とかあるいは広場を設けるというのは、非
い空間なんですから、積極的にそこを利用するなんていう気にはまずならな
0 メ ー ト ル と か 一 五 メiト ル で も 離 れ て い れ ば 、 当 然 地 上 に 行 っ た ほ う が い
分の家のすぐ前にそういう空中広場があれば使いますけれども、たとえば一
小林それについては、いろいろな説がありますね。常識的に考えれば、自
立。
空間。そういう意味で、張り出したベランダというのは、ある程度有効だな
常にむずかしくて、今後、設計上いろいろ工夫していかなくてはいけないよ
もう一つは、わざわざそこに出かけていかなければ共有感が味わえないと
と思いましたし、廊下を隔てて玄関の向かいに各戸専用の物置をつくるとか
うに感じます。
に心地よい音とか、立回の演出に移りたいと思います。
具体的な建築の設計の話はひとまずそれくらいにしておきまして、次
ーー
音の演出l
心地良い音と騒音とは、どこが違うのか
廊下のなかにコミュニティスポットみたいなのをつくって、井戸端会議みた
いなことをする。井戸端会議をやったら、それ自身が騒音になりますが
(笑)、そういうことができるとか。
し か し 、 総 戸 数 は 二O佐 帯 ぐ ら い で し た ら 、 二O 佐 帯 し か 住 ん で い な い と
いう点で、わざわざそういうものをつくらなくても、かなり有効だろうとは
思います。
子どもたちが遊んだり、奥さんがダべるようなそういった空拐を設けた例は
ミュニティコアというのを設けまして、真ん中あたりだったと忠、つんですが、
大河原スカイシティ南砂。これはやっぱり超高層なんです。そのなかでコ
くなりますね。
きくなっていったりするときには、さまざまな方法で対処しなくてはいけな
分が受け入れる態勢にあるときとない場合では、者に対する考え方は違うと
すね。結局はそういうことなんです。たとえば、音楽を開く場合にでも、自
山内要するに、邪魔だと思えば騒音だし、いいと思、えば心地よい音なんで
目ということについて:::。
いい音のはずなんだけれども、騒音になったりするというふうな、その境い
いうものの境い目がいったいどこなのか。さっき風鈴の誌がでていましたが、
まず、山内先生のお話しでありましたが、騒音というものと心地よい音と
あります。
思うんですね。ですから、騒音と心地よい音というのも、物理的に同じ状況
自分で出す音と他人が出す音というのはわかりやすいですよね。自分
山崎芦屋浜にもありますね。芦屋浜は自宅の近くなものですからよく見に
とえば子どもを遊ばすためには、一階部分の天井高しかとっていないので、
であっても、時間的に変われば変わるということも結果的にあるわけです。
最近は超高層住宅などで規模がどんどん大きくなっていますよね。大
林
林
行くのですが、あれはあまり成功しているとは一言えない。いつも空っぽ。た
林
で出す音は心地よい音が多い、ないしは心地よい音がありうるけれど、他人の
出す音は、それが同じ心地よい音であっても、そうでないことがある。たとえ
ば独り暮らしのおばあちゃんですけれども、学校帰りの子どもたちの話し声
というのが、一二時か四時ぐらいになると聞こえてきますよね。ガヤガヤとし
た話し声で、うるさいんですけれども、それを毎日一回開くのが非常に楽し
みで、さぴしさをまぎらわすんだという。だけど、若夫婦からみると、そう
いうのは非常にうるさいということがありますね。
山内最初にやった調査では、結局は間じ音について反応が分かれるわけで
すよね。その場合に、個人とその音との関係というのはいろいろな関係があ
ると思います。さっきの社会的な心理的なものもあるし、もっと情意的な、
もしくは、極端にいえば、人生の意味とか、生活の意義といったような、本
人のもつ枠組みというのでしょうか、そういうもので考える必要が出てくる
かもしれませんね。
平手心地よいという意味が、非常に漠然としていますけれども、大きく二
住宅は、過去の﹁大量供給の時代﹂か
によるオーディオマニアの増加、一時の
めとする楽器演奏、 A Vシステムの発達
になってきたことにより、ピアノをはじ
住宅・都市整備公団でも、遮音性能を高めた︿防音室﹀付きの住宅を導入している。
防音護考
ら﹁質の時代﹂を経て、﹁伺性化の時代﹂
なかった音の発生源が、住宅にふ入量に持
庭進出等、従来の一般住宅では考、えられ
勢いは無くなってきたが、カラオケの家
もしくは﹁ライフスタイルの時代﹂へと
これまで、居住者の要求は、もっと広
変化してきでいる。
い住宅、部屋数の多い住宅、設備水準の
ち込まれ始めているのである。
特に最近、日本は音楽大国と⋮一一一悶われ、
向上、雨漏り結露の防止等の碁本的な婆
優秀なミユ│ジシャンを世に輩出してい
求が大半であった。住宅に対する要求が、
るが、このパックボi ンとなっている音
も、他の人には耐え難い音となることが
演奏やオーディオ鑑賞が可能な防音室付
性化の時代に対応し、気兼ねなくピアノ
住宅・都市附設備公団では、これらの個
非常に困っていると開く。
楽家希援の若い層は、練習の場所が無く、
ある程度満足されると、次のステップへ
その一例として、防音室の要求がある。
要求が進化するわけである。
音に対する受けとめ方は、個人により大
ある。電車の中で、ウォークマンの山山す
アンケート調査を音大関係者(音大の学
き住宅の建設のために、防音室に対する
きく異なる。ある人には心地の良い音で
あの﹁シャカシャカ﹂という立日を気にす
生、教授、講師)や、オーディオマニア
つに分けられるのではないかという気がするんです。積極的な心地よき、楽
る人は多いであろうか、聞いている本人
を対象として実施した。その結果、以下
しむとか、そういうものを求める場合と、消極的な快適性とかやすらぎとか、
音については、たとえば音楽みたいなものはそれに相当するかもしれません
ているのである。また、極端な例では、
はいたって上機嫌で、自分の世界に浸っ
そういうものを求める場合ということです。それで、積極的な面の心地よい
が、それはだれかが音を出している。その本人が積極的であるがゆえに、逆
ましてや、自宅でのステレオや楽器の演
人にとっては心地の良い音なのであろう。
恭走族の発生するあの騒音も、暴走族本
わめて高く、大半か関心または期待を
O調査対象者の防音室に対する関心はき
のことが分かった。
に聞く側に立ってみると、それが非常に悪い音になるという可能性が残され
奏による音は、他人から指摘されて初め
ている。ですから、積極的な心地よい音というのは、極端にいい場合と悪い
場合とが生まれる。一方の積極的な心地よい音というのは、そこまで良し悪
て気がつくことであり、他人に迷惑を掛
防音室を希望し、ォiディオマニア(以
O音大関係者(以下 Aグループ)は専用
ように、住宅における音の問題は深刻に
ループで一 O畳以上(リビング兼用)
O規模は、 Aグループで八畳程度、 Bグ
ていヲ令。
下Bグループ)は兼用防音室を希望し
なってきていると言えよう。生活が豊か
しかし、ピアノ殺人事件に象徴される
ことが多いのである。
けているなどとは、露ほどにも恩わない
持っている。
しの揺れがひどくないわけです。
小林後者のやすらぎを感じる音というのは、たと、えばどういうものですか。
平手たとえば小川のせせらぎとか、木のそよぐ風とか:::。
小林先ほど大河原さんが暗騒音のお話しをされましたが、もともと音がゼ
感覚バランス研究というのが古典的にありますね。
ロであると、動物にしろストレスを起こすというのがありますよね。
大河原
平手それは実捺、無響室みたいなところで寝てみると、とても寝れる環境
じゃないですね。
小林やすらぎの音のなかには、小川のせせらぎというような話だけじゃな
くて、暗騒音的なものもありそうですね。とくにそのなかで高周波が問題で、
が過半を占める。
。使用頻度は、 Aグルiブは毎日、一 O
このように、全体に占める割合は少な
めている。
り、今後の住宅のあり方を考えていく上
11 的NEd--il
Ar
刊伎の什山℃役
いきたいと考えている。
(什山'亡・部市終備公同・水トし除年)
設に対し、もっと積極的に導入を図って
った。や⋮例を々にぶすが、
てきたが、いずれも入問者には好烈であ
公団では、防音案を数例、建設供給し
で、見通こせないものがある。
くても、そのニ iズには根強いものがあ
Dl
時以前から二二時以後まで、 Bグル i
D i ωが大半を占め、
プは週二日 1七日で、一九待以降に集
中している。
D l山
m は僅少で
D i ωの性能に対し、
侃がほぽ伺数、
Di
O期待性能は
応、
コンクリートはそれを遮断するので、入閣の安眠とか快適性によくないの
じゃないかという人もいらっしゃるようです。
ある。
一
001 0 0万円の支出が過半を上口
一
⋮
。費用の見込みは、
庄 野 ( サ ウ ン ド ス ケl ブ ・ デ ザ イ ン 研 究 所 ) 住 宅 で は な い の で す が 、 大 学
のキャンパスのなかに、たとえばピアノの練習室があります。その立国はやは
り大学の活気を感じるとか、学生が一生懸命やっているということで、プラ
スにとらえる意見と、うるさいという意見があるんですね。つまり個人のコ
ンテクストによって音が違ってきますので、それぞれの持ち味を生かしなが
ら、どうやって設計するかということが符題になるわけです。配置の計画で
はにぎわいの空間をつくって、そのなかに静けさの空間を確保しながら、そ
れでいて、お互いに音風景をきわだたせていくという、そういうやり方はで
一
ほか、tJ1t かな環境を必要とする }j の 1 1:'ド家、勉強~,ーなどにも lájruo
きると思、つんですね。
﹁
とo
﹁自句、Ni lli N
d1ili--jillli--llo宮
、mlili--lLoooH?
凶h
m
N
リスニングルームなどの
控1
1等級の D-60
以上)を列している。ピアノルーム、
会の定める j
それはやはり、設計とか計画の段階で音も一緒に考えていくことによって
実現できることで、建物をつくってしまってから、じゃあ音はどうしましょ
うというふうに考、えると、もうおそいんですね。音ということが計画の段階
で十分考慮されながら進められていくということが、今後はとても必要なん
じゃないかと思います。
結局、騒音トラブルは遮音性能の問題ではなく、
皆が社会の一員であるという白党を持ち、認め合うことしかない
小林心地よい音と騒音の境い毘という話は、非常にむずかしいですね。
﹁選択の自由の保証﹂ということです。先ほどの、人によって
つはプライバシーというものの考え方にあると忠、つんです。それは、まず結論
からいうと、
静けさの空間か、賑わいの空間か、
建築の計画の段階で十分考慮して
設計を・::::::・皮野さん
rM
止におい遮自性能([J木建築仁子
一
号
室1
1銭円高 ;
r
i
{に比絞して、
:平窓、│出汗ドアにより、
j 盟ì'í:H を緊性;に市ねり主リして、二市のfÁi 、培、 J(}I にし、
;
1
'玄 1
2
1は
ド
:
}
jì"f~主となっており、
生活音がプラスにもなるし、マイナスにもなるというと、建築家の立場では
い気にする人だったりするかもしれない。そうすると、同じ人が集まればよ
居住者の意識には大きな個人差がある。
環境を良い方へ導いていくためには教育
的なものがなければ・ ::ja--:沢田さん
よって、にぎやかな場所と静かな場所をつくる。それを使う入は気分によっ
いという説はかなり短絡的かなというふうに感じるわけです。これからたぶ
何も設計できない。一つの方向は、庄野さんがおっしゃったように、場所に
てどちらにもいくことができるということで、それは選択の自由の保証を配
ん オ ー デ ィ オ ルi ム に し ろ 、 室 内 音 響 環 境 で す か 、 そ の い う の を ど ん ど ん プ
への影響とか、あるいはコミュニティのあり方とつなげて考えていかないと、
ラスに設計していくというのが出てくると思うのですが、そのときに、周辺
置で行なうという例だと忠、つんですよね。
そういう選択の自由をもっている環境というのは、実は心地よい音という
のを受け入れやすくなるというふうなことがある、と感じられるわけです。
ランの住宅を調べる機会がございまして、そこでは居住者の音の問題に対す
沢 田 ( 文 化 女 子 大 ) 最 近 、 多 摩 ニ ュ 1 タウンの先進的なキャラクター・プ
プライバシーというのではないということだと思います。
れているときに、プライバシーが守られているというのであって、静けさを
とである。好きなときに聞くし、嫌いなときに開かないということが保証さ
げるということはいいと思うんですね。しかしそれを望まない人は、やっぱ
それのコストを払ってまでも不子渉を望む人は、それなりの空間を与えてあ
ば オ ー デ ィ オ ルi ム に し て も 、 完 全 な 遮 音 に す れ ば す る ほ ど 値 段 が 高 く な る 。
不干渉を望む人というのは、それだけのコストがかかるわけですね。たとえ
類するとすれば、不干渉を望む人か望まない人か。要するに、都市のなかで
平手ライフスタイルの違う者を集めるか集めないかという話しは、もし分
ついうっかりした短絡を起こしたりするなと、非常に感じますね。
る対処のしかた、期待のしかたにレベル差みたいなものがあり、それがトラ
り 何 ら か の 、 集 ま っ て 住 む う え で の ルl ル が 重 要 に な る わ け で す 。 そ う い う
つまり、プライバシーというのは、遮断することではなくて、選択するこ
ブルを大きくしている函があるように感じました。
山崎先ほど小林さんが言われた選択の話は、私も同じことを考えていたの
分類のしかたにしてやるとすればいいのじゃないかと感じました。
ライフスタイルの人たちが集まってくるかということと関わりが深くて、そ
いと思うのですね。私も無音の部屋に入ったことがありますが気味が悪くて
ですけれども、生活のなかで、音というのは選択できたら本当はいちばんい
つまりこのような個性的なプランづくりは、一方で住棟のなかにどういう
れが実は音の問題に意外とかかわっているわけです。
どうしょうもない。音が無いことが良いとは限らない。けれども、残念なが
小林新しい試みというものは、案外、音の問題と関わりが深いのですが、
当初の設計段階では気がつきにくいということもありそうですね。
に 一 戸 だ け あ っ た り す る と 、 一 OO%音 を 遮 断 す る の は む ず か し い の で 、 問
て い る よ う で す が 、 オ ー デ ィ オ ルi ム つ き の 住 戸 が 普 通 の マ ン シ ョ ン の な か
聞いてもいいみたいな選択は、遮音以外に不可能だということがありますね。
空気を伝播してくる音に関しては、自分できようは開くのはいや、きょうは
たら、目を閉じたらいいとか、カーテンを閉めたらということができますが、
ら音に関しては生活のなかで自分で選択できないものです。ほかのものだっ
題 だ ろ う と い う 方 が 多 い で す ね 。 み ん な オ ー デ ィ オ ル i ム付きの住一戸である
間く側のほうも、病気のときと健康なとき、気分がいいとき、根を詰めて仕
そ れ に 関 連 し て 、 最 近 で は 、 集 合 住 宅 で も オ ー デ ィ オ ルi ムつきが登場し
程度まとめたほ、つがうまくいくんだというふうなことを開いたことがあるん
事をしているときといろいろあって、生活そのものにも、そういうものを許
生活のなかにおける選択も一味則されるのがプライバシーなんだけれども、その
すのがプライバシーを保障されるということだと思います。音だけでなくて、
ですね。
し か し 先 ほ ど の 山 崎 先 生 の 話 の よ う に 、 音 が 好 き な 人 で オ ー デ ィ オ ルl ム
を欲しがるような人たちを考えると、意外と他人のピアノの音なんかをよけ
なかでは不可能ではないでしょうか。だから、選択可能なことが音の解決で
やって受け取る側が選択できるかというふうに考えると、いまの狭い住居の
なかに空気を伝播して、あるいは構造体を振動して伝わってくる音を、どう
しようか。
です。 い ろ い ろ な 人 が い る と い う こ と を 認 め 合 う こ と が 大 事 な ん で は な い で
どうもそれは本質的な問題ではないのじゃないだろうかという気がするわけ
音 の 問 題 は 昭 和 四0年 代 ぐ ら い で す か 、 公 害 が い ろ い ろ 話 題 に な っ た
ときに大きな問題になりましたけれども、実は現在でも大変大きな問題です
はあるけれども、それができないのではないかという点で、やはり少しずつ
でもいいですから、地道に性能が高まっていくべきであるというのが解決の
し、さらに、最近の集合住宅計画の新しい動向に合
参加1 ご希梨のブ'J(土、l~ !
l
オ
!
司
ま
で
お
I
l
l
l,、合わせドさい o
一つだと思います。それから、領域感を共有できるコミュニティ窓聞がつく
'
,
!
l
:
i
.
i
T
; 0
3(
4
8
4
) 5381
わせて、まだまだ研究すべき課題も多いようです。
Lj ,
'
;
:
ソU ,
o
o
o
r
q(当日交付ー)
⑧参加 t
T
- イl
史3,
0
0
0
r
ら れ て 、 そ れ が お 互 い を 知 り 合 う こ と に よ っ て ルl ルをつくっていくことが、
l
i
i
j指 3講師、百]会:平弁護 O
l
C]大教的
今日は、その鍵となるような有意義なお話しができ
⑧パネルデイスカッション
併せて必要ではないかと思います。
鈴木成文(神戸芸術日ヱ;大教授)
たように思います。ありがとうございました。
内国膏蔵(京工火 H,
!
i
l
JT
.
;
:
"
;
i教諭)
山内近隣騒音のことに限定して言えば、もう生活方法とかなんとかいうレ
I
I 椅子坐式生活様式の導入過程に関する一考察
ベルじゃなくて、実際に教育的なレベルというのですか、そのへんの問題
道家遥将(茨城大教授)
じゃないかと思うんですね。簡単にい、えば、私たちは社会の一員として生き
1 f
主文化における本音と建前
ているというわけですね。それは要するにいろいろな人がいるんだという認
住文化の持続と変容
一一計額の立場からの日本住居現代史
I
I
I
住宅総合研究期間
財団法人
林
⑧講演
識ですよね。
「住文化にみる近代化の足跡」
日時: 7月 8日
(
ニt
)午 前 9時 30分 午 後 5時 30分
場所・建築会館ホール
東京都港区, -t主5
2
6
2
0 活
再to3 (
4
5
6
)2
0
5
1
一口に雲われることが多い。しかし、その過程は単純に
明治維新以降の住文化の変革は、近代化のあらわれと
のように係ち、その上に維新以後急激に取り入れること
とらえることはできず、いわゆる伝統的な生活文化をど
の問題が存在する。
になった欧米式の生活文化にどのように対応してきたか
3氏を講師に招いて、さらにこの照題について討論し理
今関のシンポジウムでは、咋年度の委託論文の執筆者
解を深めたい。日本における住文化の近代化とは何であ
について、それぞれの視点から自由に取り上げていただ
ったのか、そして近代化の過程で生じたさまぎまな問題
こうと思う。
ですから、住宅とかその他、建物の遮音性というものをいくら考えても、
第 9居住宅建築シンポジウム
アψ房長控
博報環境学の立場から
来 の 定 説 で は 可 聴 域 の 上 限 と さ れ て い る こ0キロ
ヘルツ以上の高周波音が著しく遮断される。とこ
研 究 の わ た し た ち 研 究 グ ルi。フのテi マです。わ
ここ数年来、文部省の援助を受けて行なっている
わたしたちの研究、グループはこのような研究を
ろがこの高周波音は人間の快適性の誘起、あるい
かりやすく一一二日い直すと、﹁人がたくさん集まって
わけです。表題は﹁他分野から﹂となっています
﹁高広山度生活空間の音環境における高周波音の
生活している場、特に都市のすまいの中で、古川い
マは、現在わたしたちの研究グループがいくつか
が、上で述べたように、﹁すまいとな日﹂というテー
は不快感の抑制になんらかの効果を持つ﹂という
問波数の音が人間にどのような影響を与えている
六 三 年 度 の 報 告 会 で わ た し た ち が 同 じ テl マで発
左の問コマ没両は朝日新聞からの転載で、昭和
がら、﹁すまいと音﹂について述べさせて項くこと
の中で既に結果として発表したものをご紹介しな
柱になっています。ここでは、わたしたちの研究
併行して進めている研究の中では、比較的大きな
表した研究結果を題材とし、同紙が﹁コンクリー
にします。
のです。この没同が表現しているわたしたちの発
表内海は、契約すると、﹁コンクリート造りのオ
フィスやマンションなど都市に一般的な居住施設
内 で は 、 高 い 周 波 数 ほ ど 遮 断8 れ や す い 。 特 に 従
はなく、心理的・精神的な不快など目に見えない
うに日につきゃすい肉体的異常を引き起こすので
騒音や低悶波は、他の物理・化学的な日公害のよ
による公害があります。
で例外ではないかと忠われるものに騒音や低周波
害のほとんどは、物質的環境汚染でした。その点
そこで問題になった大気汚染、水質汚染など、公
的関心を呼ぴ、公害という用語も生まれました。
にかけて、わが国でもさまざまな環境問題が社会
川 情 報 的 な 公 害 一 一 九 六0 年 代 か ら 九 七0年 代
すまいと音についての価値感の見直し
﹁音は無ければ無いほどよいのか?﹂
ト住民ではイライラが増える﹂と報じたときのも
を評価していく﹂ということになります。
のかを調べ、またその結果から音環境の善し悪し
生哩的・心理的機能の検討と環境問只評価﹂。これ
じ
ものです。
は
は、昭和六一一 1平 成 元 年 度 文 部 省 科 研 費 重 点 領 域
め
朝日新聞 1
9
8
8年 2月2
6日朝刊
より転載
いいの快適性
カ
人の耳には聴叩}えないはずの世間罰阿波音が
快適性に重要な役割を果たしている。
大
輪
交通最の増加などから、限界に底面しています。
いう対応方法は、都市における人口の高密度化や
前者、すなわち騒音自体の低減を押し進めると
に注がれました。
から逃れるために居住空間の遮音性を高めること
わち騒音自体の低減に向けられ、他方では、騒音
音に対する対応の一つは、発生源への対処、すな
叩静粛性の追求一さて、ご存じのように社会の騒
ができるのではないかと思います。
物質的な公害に対して、情報的な公害とすること
と異なる側面を持つ騒音や低悶波による公害を、
精 神伴 害 を 誘 発 し ま す 。 こ の よ う な 点 で 他 の 公 害
形で人間に影響を及ほし、ひいてはノイローゼや
とが脳にとって生理的に等価であリ得ることを指
づいて、わたしたちは、﹁情報環境﹂と﹁物質環境﹂
の病的変化を脳に与えるというこれらの知見に基
から報告されてきた﹁隔離﹂と﹁薬物﹂とが同質
ことが明らかにされました。さまざまな研究分野
脳内モノアミン神経系も同様の生理的障害を一部す
上で述べたものとよく似た異常行動が現れ、その
アンフェタミンなどの党醍剤を投与し続けると、
認められるようになります。別の実験で、サルに
ミン神経系に代謝異常などの生理的な機能障害が
異常行動がみられ、また脳内を調べると、モノア
無気力など、うつ・分裂病などの症状に類似した
す。その結果として、行動而では攻撃性の昂進や
脳内に起、}る変化を調べることがよく行なわれま
加慨を遮断した状態で飼育して、そのサルの行動や
のポイントになるわけです。
いるか﹂が情報環境と人間との関係を考えるとき
﹁必須の情報を必要なだけバランスよく摂取して
﹁有害な情報を摂取していないか﹂と同時に、
が生理的打撃を受けることになります。つまり、
にも、栄養失調ならぬ﹁情報失誠﹂をきたして脳
るさまざまな情報の聞のバランスが失われたとき
ように、必須の情報入力が欠け、あるいは入力す
ません。先にあげたサルの隔離飼育実験モデルの
のは、有害な情報入力があったときだけではあり
叩情報失調一ところが、脳が生理的打撃を受ける
ための対策がはかられたと言えるでしょう。
守ること、すなわち﹁有害な環境情報の除去﹂の
追求されてきました。侵害的な環境情報から悩を
a
これに対して後者、すなわち居住担問の遮音性を
摘しました。
閣情報環境の変化による脳の変化一しかし、次に
よいでしょう。
いった価値観が、自然と形成されてきたといって
れていくなかで、よ日は無ければ無いほどよい﹂と
このように建築物内の音環境の静粛性が追求さ
整理してみると、騒音という侵害的な情報の過剰
れを脳と情報環境との不適合という観点で改めて
梨公害として早くから社会問題となりました。こ
をイライラさせてノ千ロ l ゼ に ま で 歪 ら せ る 都 市
とも明瞭な例です。騒音という情報環境は、人間
があります。さきに述べた騒音問題は、そのもっ
ら、環境問題の枠組みに入ってきた情報的な問題
めています。
とされてきた高周波音に注目し、実験や調査を進
すなわち従来の定説では、音として感知されない
ま し た 。 現 在 は 特 に 、 二0キロヘルツ以上の昔、
造について、あらためて問い斑す研究を進め'てき
ープは、人間が環境からの入力として求める音構
のか?二}うした観点からわたしたちの研究グル
川人間はニ0キ ロ ヘ ル ツ 以 上 の 音 に 感 受 性 を も つ
都市の居住空間は情報失調をきたしていないか?
::・わたしたちのグループのアプローチ
高めるという対応は、建築物の材質や構造を工夫
することで、かなり高いレベルで達成されつつあ
紹介する実験は、そのような価値観に基づいて遮
の摂取によって、食中毒ならぬ﹁情報中毒﹂が引
まず、従来よりも大編に信頼性を高めた新しい
何情報中毒一わたしたちのこうした指摘の以前か
音性を高めていくという方向の妥当性に対して、
き起こされたと考えることができます。そして、
実 験 方 法 を 開 発 し 、 人 は 二0 キロヘルツ以上の古川
るようです。
疑問を投げかけるのではないでしょうか。
その対策として、静粛性そして建築物の遮音性が
精神医学や行動学の分野では、サルを隔離し情
一
﹃
L
U什
M
n
﹃
ハU
h
'
円U
2
0
円U
ハ
U
周波音に対して感受性を持たないのかどうかを調
べました。
二六キロヘルツ以上の高周波音をカットした音
楽とカットしない音楽との差を検知できるかとい
う 実 験 を 一 対 比 較 法 や S D法などで行ない、また、
での脳波計測を行なうなど、多角的な検討を行な
E E Gテ レ メ ト リ ・ シ ス テ ム を 用 い た 非 拘 束 状 態
っています。
その結果、まず人は二六キロヘルツ以上の高周
で調べたこれらの音源の周波数分布を一不しました。
ど ち ら も 四0 キ ロ ヘ ル ツ を 超 え る 高 周 波 音 を 豊 富
に含んでいることがわかります。
また S D法 で は 、 高 周 波 音 が 存 在 し て い る 条 件
の方が、それを除外した条件の場合よりも、音が
心 地 よ く 間 こ え る と い う こ と を0 ・一%という高
、 高周波音を除外した場合と除外しな
2に
い有志水準をもって主張できることがわかりまし
た
。
図
い場合との両条件下にみられた典型的な脳波の周
波数分布を示します。高周波音を除外した条件下
山実際の環境音の周波数分布一そこで、現実の音
環境における高周波音の分布を把捉するために、
低 層 高 密 度 市 街 地l 高 層 高 密 度 市 街 地 、 木 造 建 築
物 鉄 筋 コ ン ク リi ト造建築物などの軸を設定し、
それぞれ典期的と考えられるいくつかの居住環境
の録音を行ない、高速フーリエ変換による周波数
分析を試みました。
また開発的営為があまり及んでお通りず一敢に快
適性が高いといわれている環境について、国内外
を関わず現地におもむいて環境音の録音を行ない、
同様の方法で周波数分布を分析し比較を行ないま
京都豊島区大塚駅前)と、その中にある鉄筋コン
まず東京都内の典型的な都市騒音型環境音(東
した。
向 は 、 ① い わ ゆ る α波(八ヘルツから二二ヘルツ)
で脳波の見せる周波数分布の時間平均値が示す傾
0波(悶ヘルツから八ヘルツ)以下の遅い波の領域
た例を示します(図
ストレス状態などで速い波の側へ、また平安や快
対的に強調されることなどです。脳波は、緊張や、
波がより高度に遮断されていることがわかります。
り、音圧レベルが大幅に低下するとともに、高周
建物内でほぼ五キロヘルツ以下の帯域になってお
三0 キロヘルツを超える屋外の広帯域の騒音が、
3)。
クリート造高密度中層住宅屋内の環境音を比較し
に エ ネ ル ギ ー 分 布 の 低 下 が み ら れ る こ と 、 ② β波
(一三ヘルツから二O ヘルツ)など ν速 い 波 。 が 相
適な状態で遅い波の側へ傾くことが知られていま
木造建築物と鉄筋コンクリート造建築物とが混
。
か り ま す ( 図i4)
0キロヘルツまで侍域が広がり、しかも全体の
二
一
バランスもより一侃りの少ない状態であることがわ
が形成されているのに対して、木造建物の中では
は前の例と同じように五キロヘルツ以下の音環境
区町屋)の例では、鉄筋コンクリート造建物内で
在している下町の低層高密度市街地(東京都荒川
す。この点からも高間波音が快適感を誘起してい
ヘ
る、または不快感の抑制に作用している可能性が
強く示唆されました。
言語厨波付加
波音そのものを感知することはできないが、高周
H
z
し一~一一一占
1
0
波音をカットした音楽とカットしない音楽とを区
除外
高周波付加・除外実験による脳波の変化
被験者 I
I 後頭部
別できることを見出しました。実験に使用した音
出
I~/高周波
j
i
μVj
dB
楽 は 昨 年 わ が 国 で もC F音 楽 や 年 末 の 来 日 な ど で
蕊周波付加
ガムラン音楽
大変話題になったブルガリア女声合唱(スタジオ
外
O
録音)や、従来肱界のミュージシャンから注目さ
2
dB
れ最近人気が出ているパリ島のガムラン音楽(現
図
ブルガりア民族合唱
地録音)です。図! 1に 高 速 フ ー リ エ 変 換 (FFT)
s
t
U
被 験 者 I 前賢吉日
μV
1 実験で用いた音素材の周波数分布
図
出
図
高層高密度毘地の護環境倒的
茨城巣つくば市並木
5
鉄筋コンクリート澄E
塁内
函についての検討を、快適性を尺度とした音環境
考えることが急務です。わたしたちは現夜、この
い、快適性を守っていくためのなんらかの手段を
て、居住空間内の失われがちな必須環境情報を補
もまた事実です。この矛属した問題の解決策とし
遮音性を高めることにやむを得ない事情のあるの
プライバシーの開題や屋外のお日環境の悪化など、
ます。しかし一方において、高市総度居住空間では
は、ほとんど否定できないのではないかと思われ
の遮音性を追求していくやり方が危険であること
というこれまでの価値観に基づいて単純にすまい
9
0
質の指標化や、音環境造成システムの開発などの
0
4 低溜吉田密度市街地の音環境例
li東 京 都 荒 川 区 町 屋
ー
(茨城県つくば市)の例では、コンクリート造住宅
。
5)
内はほとんど無音に近く、きわめて特殊な音環境
ということができます(図
一方、自然性が高い音環境の例として、インド・
。音庄レベルは予想以上に甚だ高いので
6)
インドネシア等の音環境の分析を行ないました
(
呂
すが、これらは都市騒音ではなく、虫の土門が主体
になった自然環境音で、非常に爽やかで快適な音
環境ということができます。これらの地域では基
本的に窓ガラスや療のない家を使うので、人びと
dBV
阪
-20
は普段、このように高域をたっぷり含んだ音を、
d8V
かたちで進めています。この部で、建築や都市計
30K
対z
-90
臨 3 高層吉岡眼前度市街地の
音環境例 111東 京 都 景 島 区 南 大 塚
鉄筋コンデリート造E
塁内
新たに計一閥的に造成された高層高密度市街地
9
0
浴びるように聴いていることになります。
したちは自分でも気づかぬうちに情報失調に対す
境の造成装置と呼ぶことができるでしょう。わた
る防御策を講じているのかもしれません。わたし
たちの研究グループでは、これらを情報環境の補
完 シ ス テ ム と 定 義 し 、 既 存 の ソ フ ト ・ ハ iドにつ
いての評側およぴ望ましい新しい方法の提案に向
け、フィi ルドワi ク を 含 む 多 分 野 に ま た が る 研
究・開発作業を継続的に行なっています。
最後にひとこと。もしも、あなたのすまいが
﹁耳を澄ましても何も開こえない﹂ほど遮音性に
UH
m
おおはし・っとむ/凶江放送救出日開発センター
優れているなら、﹁情報失調﹂にご用心下さい。
叩
羽
K
J
鳥
j
、
,
ド
ヰ
ア叩
シ
r
ン
イ
dBV
E
霊外
画を専門になさる皆様との接点が得られることを
師、っています。
石垣島
30KHz
}ート造庭内
鉄筋コンク I
おわりに
30KHz
9
0
同
南インド
9
0
日
,-一一一「一一一一,---,一一一戸一一守一一一
ー2
0
最近、都会で目につくようになってきたウォー
-90
dBV
一連の研究成果からわたしたちの﹁すまいと音﹂
d8V
30KHz
クマンや環境映像などを、疑似的な視聴覚情報環
…20
震外
について考えると、﹁点目は無ければ無いほどよい﹂
6 自然性が高い音環境例
図
-20
①
﹃紅白闘噂
EFU闘匂
'
通
ニ
松下電器産業
オーディオ卒業郎市川口山技術
熊本 征
一
開
け
部
a
時
l l遮蓄と演蓄
音す
ゆとりある震かなくらしを求める時代にあって、
っています。今日では通風や換気、空調の総合シ
快適な住空間の創造をめさす志向はますます高ま
ステムや、採光・照明、情報や通信などの総合コ
ン ト ロ ー ル を 行 な う H A L Sや 、 シ ス テ ム キ ッ チ
ン、給湯システムなどの住宅設備機器が、より有
力を高めるための場と時間の実現や、自分の気分
これらの新しい要望のひとつに、自分の趣味や能
豊かさを目指す新しい要望が出はじめています。
してきでいます。そしてまた、さらに高いレベルの
空間の快適性を大いに高めており、ますます浸透
なってしまいます。また読書や勉強をしている人
ゆったりと音楽に浸りたいと思う気分は台無しに
で子供がドタンパタンと暴れる音が漏れてくると、
た時、道路からの自動率のクラクションや、二階
日目装霞かあり美しい音楽が静かに流れはじめ
い部屋では不安感を感じる人もあり、それぞれの
にとって、隣室からの出!日の音楽の漏れを不快
これの実現のために、空調や照明などの高度
生活シl ン に 望 ま し い レ ベ ル 以 下 に 騒 音 が 抑 え ら
や生活のそれぞれのシーンを高揚する環境演出を
化だけでなく、すまいにおける音環境レベルの向
表 1はくらしをとりまくさまざまな騒音のレ
れていることが望まれるのです。
そこで﹁すまい﹂における音の遮音・防音の間
上や、立日の効用の活用の認識が高まっています。
な騒音と感じることがあります。また全く音が無
遮音@関蓄について
る演出について、考えてみましょう。
題と、楽しく豊かな生活をもたらす音の活用によ
0
求める志向が強くなりつつあります。
効な空間活用や高機能で便利性などを実現し、住
司...一一-…一一一一一・
・
・
…
…
…
一・一
…一一
一
……
ー
.角ー
・
ー
"一
・
ー
…
一
一一
・
…
ー
』
一
一
一
・
…
一
一 一 一 一 … ー
表
1 くらしをとりまくいろいろな騒音
さき部屋に望ましい騒音の周波数に対するレベル
曲線 (No
i
s
eC
r
i
t
e
r
i
o
nC
u
r
v
e
)
1 NC
図
1
3
0
聴力機能際主宰
1
2
0
m) 率の警笛 (
人の叫び戸 (
5o
1m)
1
1
0
オーケストラのピーク
苦言翠ガード下
自動車のクラクンヨン
ピアノ演奏 (1-2m) 地下鉄の翠内
1
0
0
大変うるさい
9
0
8
0
会話圏難
0
0 0氏0
00
7s
uRd
大声で会話
E常的な音
普
通
凋斗内ふ内
高
争
力
、
dZ
会
玄、
言
活
カ
ず
ζ
(悶古)ム﹃て、﹂山間櫛 L 入 てkhlh明、・甘
8
0
うるさい
で
大変有事か
き
る
要
苦痛が生じる
d
2
玄
b
、
言
不
可
青
島
J
商
騒音
(
d
レ
B
ベ
)
ル
騒音の程度
ジI..';I卜機の離陸
騒々しい工場
ステレオの大きな音
会話(どなって話す)
オーケストラの平均
交差点など、幹線道路
テレピの大きな音
7
0
水洗便所の音
6
0
デパートの中
騒々しい事務所、レストラン、ホテルロビー
普通の会話
5
0
住宅地の昼静かな事務所
4
0
郊外の住宅地
3
0
ささやき声
住宅地の夜
2
0
そよ風にゆれる木の葉
呼吸の音
1
0
深山の夜
スタジオ内
。
開きとれる最低の音
億
⋮
ー
し
一
一
1﹄
C 一線
一
の
N一
nKM'
し
一
。H
ま
一
望寸
問屋一名
一
の
一
窓
口
一
;
各
一 f
3一
表
表 -2 各場所での許容騒音レベル(ベネラソク)
名
E
長
│許容騒音レベ
│J
レ(ホン)
万立送スタジオ
NC 15-20
音楽ホール
NC 2
0
劇場 (
5
0
0
席拡声装
霞なし)
NC
20-25
演 劇 場
病 院
教 室
NC
2
5
NC
2
5
映画劇場,議生堂
教 会
会 議 室
アパート,ホテル
NC
25-30
住 宅
NC 25-30
ラ
竺 マスタジオ
テレヒンヨ/
20-30
音 楽 堂
30-35
30-35
議 議 室 , 教 室
アパート,ホテル,住宅
会議室,小事務家
映 画 館
NC
3
0
法 廷
個 人 事 務 室
病 院
NC
3
0
関
閣
NC 3
0
を
書
館
小 事 務 室
35-40
35-40
官
主
警
大事務室,銀行,商庖
NC 30-35
金
堂
工
場
50-55
45-80
ベ ル を 示 し て い ま す 。 表i2は 、 い ろ い ろ な 使 用
目的の部屋に応じた許容される騒音レベルが示さ
れています。当然、高音や低音で感じ方が異な
るので、この音の周波数に対する聴感の度合を含
3から知る
め て 表 現 す るN C曲 線 と 呼 ば れ る 値 で 示 し た 、 望
ま し い 騒 音 音 圧 レ ベ ル を 図i iと 表
ことができます。これらを目安に住まいの各部屋
における防音を、住宅建築時に行なうことが望ま
路をよく知り、最も効果的な防音方法を用いるこ
れます。防音の方法は、騒音発生源からの侵入経
とが大切です。
室内の騒音には、
①交通騒音や工場騒音のように屋外からや、隣緩
する部屋から壁や窓ガラスを透過して侵入してく
るもの、
②ドアや窓などのスキ間から侵入してくるもの、
③二階で子供が跳びはねたり、隣室の大きな音な
どで、二階の床や仕切壁が振動して、それが室内
に音として再放射されるもの、
洗濯機などのように部屋に設置きれている機器自
④クーラーや換気扇などの空調装置や、冷蔵庫、
身の騒音や、機器の振動音が床や壁などを伝達し
てくるもの、
などがあります。
これらの音の防止は遮音、吸音、消音、防振な
どによって行ないます。
遮音とは壁やガラスなどの物体に音が当たった
時、その反対側に音を透過させないことで、遮音
ウ
t
q/
︼
性能は函
-透過率
2 で説明しているように、その物体の
﹁透過損失 (TLご と い う 値 で 表 わ さ れ ま す 。 図
j 3、 罰14に各種材料の遮音性能を示します。
壁 が 一 重 の 場 合 、 図15に示された質量刑によっ
て決定されるので、遮音性能を上げるためには、
より重い材料の使用か、壁厚を厚くすることが必
図 -2 物体の遮音性能(透過損失)と吸音性能(吸音率)の表わし方
入射エヰ jレギー E
i
E
t
r
=E
i
透過エネ jレギ… E
t
-反射率
r
r
=E
E
i
。遮音性能
0 吸音性能
「透過損失 (
T山 z10│od=10│og立 [
d
B
)
E
t
Ei-Er
「吸音率 (α)J=1 r
=ーモ「一
周一 3 いろいろな構造体の透過損失(べ不ラソク)
1
0r一 一 一
20
n斗
n
u
(図司)︽採期制問
50
60
図 -4 建築材料の透過損失の概数(ベネラソク一一久:jli;祈令)
想
十
一
量孟量蚕
幽守一-一一四寸でア
60
中
!両菌室り
空
グを、閉めた時圧力がかかって、高い気密性が得
られる構造にするなどが重要です。このため引き
戸式よりも開閉式の方が有利であり、アルミサッ
シは防音タイプのものを使用するのが望まれます。
床や壁からの再放射音の対策には遮音性能の優
れた材料の使用や、カーペットやラパ l マットな
両面
同
,
;
J
<50
H
害
7
当
時
l
口;145 i
時
ト
也
mOmm
塗
自
ス
レ
ー
ト
U U
J
L
ド
j
内入
詰30
m
古
語20
照
時
司
王
F
E
ト
1
0
片目入れ
叩酬
ii
rl
i
p
s
1
1
忠
門 d
z
ス
ト
卜
0
7
>l
i i
!
目
?
長j
;
!
?
二
u
伽
o
o
u
っ
1
i
Fi
詑 i ii
z
fi
f
JOLU
片引きサッシ
=
担
ト
ム4
1
!
~日間
1
U
斗よ璽翠
1
1
n , oo~
I
~mm
l
:
!
I
→
央.
長40
コンクリート
器磁主建
伺築開築
真
〉
凋
回 4
板
反 〉由 4
板
在
師
吋)
1
(抑
州
) 哲(ω
印
│
2
仰
州
一
壁
れんが
隙建
ブロック
はめころし窓
方ラス窓
一勝・建具
要です。しかし施工工事上の注意が必要であるが、
中間に空気層や股音層をもっ二重壁構造や、二重
ガラスの使用が遮音には大いに有効な方法であり
ます。
ドアや窓などのすき間から侵入を紡ぐには、施
工工事上の留意とともに、すき間部分のパッキン
30
ガラス
1
L
7A
n
拒戸
1
1
'
"
0
r13~
1
1利fろヌ
U'"ρ
平~管及壁
ムぺニャ
U引 遺 仲 シ
1
1
1
:
' i5聞 がAA')
y
T
り
片 粧j
n石膏
!
1
1ポード
ヤ
,
>,
ム軽量
リ
1
0
日
開
円手吋何
U{
士上げなし
U'"
ハ
中空ド7'
ふすま
障干
日ガラス戸
-U3om;!iラス
[
i
j
J単
f
.
)
:
l
!
l
i
絞あたりの壁の j
重さを 2伐にすると
約 5dBl
:
'
i
干
す
る
!戸内
プライパンー用
問仕明器準
ーJ
一璽壁の'jt翠1l.
J
Iによる計算図表
.
〆
'
す
。
濃曹について
く ら し に お け る 音 に よ る 演 出 に は 、 二つの古川工向
が考、えられます。
ひ と つ は 、 キ ッ チ ン や パ ス ルl ム 、 ベ ッ ド ル ー
ムなど、今まで音楽などのない空間を、さりげな
﹁住まいの B G M的 サ ウ ン ド ﹂ に よ る 演 出 で す 。
い、環境音楽的なサウンドの流れる空間にする、
軽快なアンサンブルが流れる雰囲気の中でのキッ
チンタイムや、カラオケや野球放送を向きながらの
パスタイム、小鳥のさえずりで始まる管弦出での
朝の目覚め等々、生活に応じた好きな音楽が簡単
に聞こえてくる生活・ .
.
.
松下電器では壁埋込み型のハウジングオーディ
オコントローラ(アンプ)や、紡水タイプのパス
﹁住まいの B G M﹂ シ ス テ ム を 手 軽 に 実 現 で き る
ルームオi デ ィ オ コ ン ト ロ i ラやスピーカーなど、
リ ビ ン グ ル │ ム の T Vや ス テ レ オ 、 手 持 ち の ヘ
機器を発売しています。
ッ ド ホ ン ス テ レ オ や ポ ー タ ブ ル C Dな ど を 利 用 し
クーラーや洗濯機のようにモータを内蔵してい
のです。最近では、モータの改良が防振性に優れ
る機器は、機器自身からの騒音が発生しやすいも
ての子軽なシステムアップができるものです。図
6 はその外観写真です。
た新僅体材料の使用などで静音設計を施した商品
が発売されているので、このような機器の使用が
システムへの組込みシステムとして発売されます。
これらは、今後、住まいの中の新しい音の演出
として注目される、﹂とと思います。
もうひとつの音の楽しみ方は、リビングルーム
な ど を ホl ム シ ア タ ー の よ う な 環 境 に す る 新 し い
A Vシステムの家庭への導入です。
オーディオ、ビジュアルの技術は、デジタル化
や音場再生技術の進歩と、 EDTVやI D T V、
に
ふ
)
250Hz
ま た 浴 室 内 で 、 音 楽 だ け で な くT Vを 見 な が ら
(
S
B
A
Q
3
)
(
k
g
/m
.
)
一
- 面密度
叩
"
,
どの衝撃吸収性のよい材料を併用するのが有効で
3
500Hz
T
L
。土 2
0
I
o
g
f
.
M
4
3
(
d
B
)
T
L宇 T
L
o-10l
o
g
(
O
.2
3
T
L
o
)(
d
B
)
望まれます。床や壁を伝達する伝幡音に対しては、
浴室主用防水スビーカー
2
c
8000Hz
パスタノイムを楽しむことのできるパスルl ムA V
図 -6 すまいの BGMシステム用機器
ド
(dB)
M /箇密度 (k~/ m
'
)
125Hz
ι
r
-
3
0
:
:
:
:
:
〆
ン
.
〆
/い/
一
一
63Hz
透
過
援
失
TLo/垂直入射透過損失
τL/乱入射透過損失
f/
周波数(
H
z
)
2000Hz
じ
vご3
ヒ
ユ 〆-L-白
43
I
O
O
O
H
2
戸〈 ド
4
ド
口
機器と床や壁の聞にゴムやパネなどの防振材を入
シ ス テ ム が 、 今 年 秋 よ り 、 松 下 電 器 の N E Wパス
ラ
壁の質量(筒密度)と遮音性能(透過損失)の関係
れて、立日の伝達経路を遮断するのが効果的です。
バスルームオーディオコント臼ーラ
(
S
H一H
A
3
0
)
(アンプS
U
H
A
3
0
)
ハウジングオーディオコントロ
図… 5 援の遮音性能/質璽則
図ブホームシアタール…ムの例
(ホーム THX
⑧システムの'ム引想像 1
'
;
(
1の 例)
~---
HDTVな ど の 高 画 質 化 に よ り 、 高 音 質 な 迫 力 あ
る 音 場 と 、 間0 インチや一 0 0イ ン チ の 高 精 制 度
の美しい大画而映像を同時に楽しむことを可能に
しています。
また住宅も、一二府建て住宅や地下室の採用など
で部屋数、スペースが陥唱える傾向があり、オーデ
ィオルi ム な ど へ の 活 用 が 検 討 さ れ だ し て い ま す 。
リ ビ ン グ ル l ム や オ ー デ ィ オ ルl ムをコ l デ ィ ネ
イ ト し 、 こ れ ら の A V機 器 を 組 込 む と 、 そ の 場 が
コンサートホi ル の 特 別 席 の 雰 岡 気 に 、 あ る い は
ビデオテープやビデオディスクを再生して、映画
2
0
0
0 3000
600 8
0
0
1
1
0
0
0
2
0
0
3
0
0 400
部屋容務 (
m
'
)
A
ょ
をT
二
ー巳ニ
~
鞍i
〆ペート
j
o
.
五
三
!
戸
v
.
o
館や劇場と同じ大迫力と臨場感で、映画やドラマ
スピーチ用 (Beranek)
--
を楽しむ。このようなゆとりあふれる楽しい A V
ライフを実現するのがホームシアタなのです。
松 下 電 器 は 、 こ の よ う な ホl ム シ ア タ 用 の 高 音
質サウンドシステムとして、このほど、アメリカ
の 映 画 会 社 ( ル i カスフィルム社)と共同して、
│
く
且.
8
0
1
0
0
6
0
3
0 40
0
1
ハ
υ
2
0
映画の音づくりをする録音スタジオの音をそのま
ま 家 庭 の 部 屋 で 再 現 で き る シ ス テ ム ﹁ ホl ムT E
,
町
護
N持
ト
t
-"
.
o
四ト,
-.
.
.
-ぃ.
0
.
3
戸
員
野
Xシステム﹂を開発しました。これは家躍に居な
<D
ー
』
ー
監
事0
~…
長
詩
ヲ
ロ
出
芸
者
向
苧 ~.í 持とH
(Beranek)
,/
1音 楽 用
嶋一-~
旦
曜
c
掲
制
EE-
t竺
ル/
a
,
,
,
, 同長
E
宝
l
l
t
H-~
制
g
怜
:
;
.
"
J
会
がらにして、映画製作者の意図通りの音が楽しめ
るというものです。すでに今年四月の松下電器総
合技術展で一プモ公開し、多くの A Vの 評 論 家 や 雑
誌社の方がた、 A Vフ ァ ン の 方 が た よ り 、 自 然 で
しかも迫力あるすばらしい音と高い評価を項いて
い ま す 。 将 来 の A Vシ ス テ ム 、 ホ ー ム シ ア タ 用 の
サウンドとして注目されています。
古向精細度大画面のブロジェクション T Vと と も
関 -8 リスニングルーム、
試聴室の最適残響時間
iカーから止まった後もその部分の振動が残るの
で 、 低 音 が ブl ミ │ 気 味 に な る な ど の 欠 点 を 持 っ
するのに壁面板の共振現象を利用するので、スビ
ているため、目標通りの残響時間特性を実現して
A
':低資吸収盤からの反射波
B:中音
ググ
日中音
/
/
C 高音
ググ
C
'
:l
i
富音
/
/
到達する反射音の周波数特性が平担でなく凸凹し
ステムの実現想像図の一例です。
さですまいにおける防音・遮音の必要性とその
も ど こ か に ク セ の あ る 音 に な る ケi スが多く見ら
音の畏い部屋のために
対策のポイントについては前述しましたが、音楽
れていました。
な ど を 楽 し む た め の リ ス ニ ン グ ルi ムなどでは、
部屋の静かさ(望ましい防音・遮音性能をもつこ
A:低音吸収盤への入射波
に、ゆたかでゆとりあるくらしを演出する要素に
こ れ に 対 し て 新 方 式 の リ ス ニ ン グ ルl ムでは、
す ま い と 音 に つ い て 二 l一二の観点より述べまし
m
ている。②反射波の周波数特性が到達する方向に
と)や居住性だけでなく、響きのよい音響特性を
①どの反射音も平担な周波数特性を持っており、
方 式 の リ ス ニ ン グ ルl ム は 、 そ れ ら の 特 性 デl タ
たが、音の扱い方、活用のしかたなど今後ますま
(くまさ・せいじ
す 重 要 な テi マになるものと思います。
つもので、部屋の壁面が音をすべて完全に反射す
9) の設計では、
る壁と、完全に吸音する壁とで構成されています。
従来のリスニングルi ム(図
阪支 中音吸収
民三泊手しあき板
反射波は全て周波数特性が平坦
よってまちまちの特性をしている。③低音を吸音
兼ね備える、﹂とが大切です。それにはスビiカーか
ニングポイントでは到達時間の異なる同じ波形の
②短時間パルス波でも同じ波形で反射され、リス
優れている。
現象)などの異常がないこと。さらに音楽に対す
③壁面振動による再放射が少ないので音のにごり
の発生が少ない。
る﹁好ましき﹂や﹁響きの質﹂、﹁立日場の拡がり感﹂、
屋の大ききゃ聞き方に最適で、すなおな残響時間
④広い周波数範囲にわたり残響時聞が二疋である。
﹁臨場感﹂に関係する適切な吸音が施されて、部
特性を実現することが必要です。
きさに対する最適残響時間を示した図です。割
や試聴テストでも設計通りの良好な結果を数多く
などの利点をもっています。実際に建設したこの
問 は 新 し い 方 式 の リ ス ニ ン グ ル l ムの概念図です。
得ています。
図18はリスニングルi ム や 試 聴 室 の 部 屋 の 大
従来のリスニングル l ム と く ら べ る と 、 比 較 的 容
低音、中音、高音の各音域毎の音を破音する材料
1
0 新方式のリスニングルーム
易な設計で響きのよい特性を実現できる特長をも
を 別 々 に 壁 画 に 配 置 し て い る た め 、 ① リ ス ナl に
図
7はホi ムT H Xシ
ら出た音が部屋の中でまんべんなく拡散し、ブー
パルスが重ねられるので、過渡的な音の再生にも
9 従来タイプの試穂室の入射波と反射波の周波数特性
なるものと忠われます。関
ミ ン グ ( 共 鳴 現 象 ) や フ ラ ッ タ ・ エ コ i (鳴 き 竜
罰
関
を見るように短時間で映し出しているということ
長い時間をかけて進化してきた姿を速同しの映同
に個体がたどっていく成長の過程は、その生物が
よって生命の火がともされてから成体になるまで
個体発生は系統発生を繰り返すという。受精に
はない。 そこで、長楽と騒奇を伎一別する特徴は、
古かれているが、 こ れ ら は あ ま リ 定 泣 的 な 表 現 で
いうことである。 そ の ほ か に 音 の 強 さ が f や Pで
特振動数が時間とともにどのように変化するかと
しているので、 立日議全体が表現しているものは奇
1
;
'
j
'
結来的にほとんど総ての音楽作品がこのような共
こんなことを知っていて作曲したわけではないが、
い。ベートーベンにしてもモーツァルトにしても、
来 。 は す べ て 1/fスペクトルを持つ﹂と一一一沿ってよ
もの)はこの性質をもたない。﹁聴いてか楽しい音
代山のあるもの(聴いていてさっぱリ一山内くない
んどすべて﹂と一一 日ったのは例外があるからで、現
﹁
1/fスペクトル﹂になっているのである。﹁ほと
度 が フ i リ エ 問 波 数 f に逆比例する、いわゆる
a
品 も 音 の 振 動 数 に 関 連 し た パ ワ l ・スペクトル 制
徴なのである。もっと詳しく一一一一日うと、どの音楽作
則性が成る種の音響振動を音楽たらしめている特
というつながり方に二乏の法則性がある。この法
れば奇の高低が逐次どのようにつながっていくか
が明らかになった。つまり奇の振動数、一一一一日い日従え
の音楽作品が同じ統計的な性践を持っていること
その結果によると、枇めいたことにほとんど総て
される。
的な相関またはスペクトルというはによって表現
的にゆらいでいる泣の統計的な性質は、 そ の 時 間
数の時間変化の統計的な性質を調べてみた。
!
I
H
之、演奏されたいくつかの音楽作品について振動
多分その振動数の時間変化にあるのであろうと考
自然界の '
H
治活動のゆらぎを芸ごわす i
F申
告
。
である。人間も例外ではない。したがって人間の
民
線源的な感性は、原始的な生物としての生開から
境
s
逃れることはできないのではないだろうか。快感
とか苦痛という感覚は乍物が生存していくために
は非常に基礎的な情報であるから、これらは高次
の精神活動の産物ではなくて、犬や姑にも共通し
た単純な生環境象に帰着されるように忠われる。
どのような環境条件をわれわれは﹁快適﹂と感
じ、またどのような環境条件を﹁不快﹂と感じる
かを調資し、それがどのような生四現象と対応し
ているかを調べれば、この問題についてなんらか
の手がかりが得られるであろう。その手がかりが、
音響刺激によって得られた。
音について
音にも快い音と不快なな悶がある。快い音に属す
るものの代表は音楽であろう。また不快な背の代
表は文字通り﹁騒立臼﹂である。音楽にしても騎音
にしても、物埋現象としては音響振動であって、
なんらの区別もできない。音楽は五線紙の上に設
かれたな問符によって表現されているが、五線紙と
の音符の位置は演奏した時の音の基本振動数を表
すまいのテクノロジ…一一⑤
生体のリズムとI/fスベクトル
武者 朝光
音響振動現象のあるものを青楽たらしめている特
ペクトルを持つようになっているということが、
っていない。つまり振動数のつながり占が 1/fス
い。騒ふけはもちろんこのような規則的な性質を持
通した性質を持っているということは甚だ興味深
らぎ﹂がおしなべて 1/fゆ ら ぎ を 担 っ て い る で あ
トルを持つということから、 生 体 の リ ズ ム の ﹁ ゆ
のパルス列の時間間隔の﹁ゆらぎ﹂が l/fスペク
パルスの役割をしているであろうと忠われる生体
ベクトルが得られた。 た ぶ ん 計 算 機 の ク ロ ッ ク ・
のである。結県としては、期待した通りに 1/fス
これははなはだ人仁的な環境であって生体には馴
照明などは
定の明るさが続くことはない。 こ れ に 反 し て 室 内
間が訪れる。 そ の 間 も 主 が 防 光 を 遮 っ た り し て
いても、 朝に日が山山て明るくなり日没によって時
環境の中で進化をしてきだ。 た と え ば 明 る さ に つ
ぃ。ゆらいでいる姿が本米で、 生 体 は そ の よ う な
のリズムのゆらぎを調べてみたところ、 やはりこ
染まないはずである。 も う 少 し 工 犬 の 余 池 が あ る
心拍の﹁ゆらぎ﹂を線凶にして眺めてみると、
木自の﹁ゆらぎ﹂
のではないだろうか。
裏付けられた。
u
f
1mγ 叶川dhx ﹁ノ一一一目・れH
に
'
γ ヘ、ノ
11山県市-叫O 判 車M
fE勿
王放火。
それが ﹁快感﹂ と し て 受 け 止 め ら れ る の で あ ろ う
それがあまりにも木材の柾刊の模様に担ているこ
なリズムの ﹁ゆらぎ﹂ と同じ柱買を持っときに、
ゆらぎ﹂ が生体の松川遍的
のゆらぎがほぽ 1/f型 の ス ペ ク ト ル を 持 つ こ と が
J
をみると'制胞堕がハネカム構造をしているのが兄
ていることを見いだした。また木部の顕微鏡写真
芸術としての青山木の裏側にこのような構法がある。
、 自 動 車 内 の 騒 tH
られる。よく見ると大きい細胞の隣の細胞は押し
tH
についても、 こ れ を な く す た め に は 大 変 な コ ス ト
治されて小さくなっており、ややくずれた形のハ
出速道路の騒育、 宅 内 の 騒
騒斉を消すのではなくて、 こ れ を ﹁ 快
ネカム構造である。木の種頬によって形が違うが、
王、必、み}コ
huC 己jLLa,
l に変えるという発想の転換をすれば
一
r
、
﹃
刊 JJvJ
山}人 イ
﹂
これが抑性的な性質の相違を与えているに違いな
tH
訓山口フィルターによってこの問題は解決できるは
い。この顕微鏡写真を水平線で切って、制胞壁と
fityμ りヲ yufhノ く 村 勾 日 ハ
く-主であるとかいうものは存在しな
h
八
条件がいたい時間のスケi ルでけんたときに l/fゆら
木目の問踊は木の成長を表しているから、環境
これまた l/fスペクトルを持っている。
のい父点の間隔変動のスペクトルを計算してみると
tH
は筏しておいた方がよい。
的とか、
d
人間が子を加えない間以り、 んすたけミ﹁こまにノ、日比H
背景
ずである。 んしくの無育状態よりも、 な に が し か の
E
つまり、 騒 青 の ス ペ ク ト ル を 変 え る た め の
ノ
一
ムMANAUフ
A
定の明るさを保つようにしているが、
のであろうか?
徴 な の で あ る 。 そ れ で は ﹁ l/fゆらぎ﹂とは何な
ろうことが推測される。 実 際 に 手 拍 子 を 打 っ て そ
生理現象と1/fゆらぎ
ん非常に規則的にリズムを刻んでいる
心拍は, H
ように見えるが、 心屯川内の記録から調べてみると、
と私は考えている。な日特刺激に出らずこの推測は
と に 拾 い た 。 そ こ で 早 速 木H の 模 様 に つ い て そ の
ソ
成リムリ つようである。しげ山本が快適な刺激であるの
が ま た 子 恕 し た 通 り に l/f型の﹁ゆらぎ﹂になっ
並び方の間隔の﹁ゆらぎ﹂を調べたところ、これ
4H
は、非市に基本的な生時羽象であって、乳午にな円
叫 斗J3A
4
ιJFすHHHH刊H一口V
川円!ト。市 。 % ぐ ら い の 脳 で ゆ ら い で い る こ
、
、
とが分かる。 そしてその ゆらぎ五﹂
栄を聴かせると孔の山山が長くなるのも納得できる。
けとしてほぽ今志の間隔で電気的なパルスを神経
軸索に送り川している。 こ の よ う な 神 経 細 抱 の 基
本的な性質は、 人 間 で あ ろ う と 他 の 動 物 で あ ろ う
と水質的な変化はないはずであるから、アフリカ・
マイマイという﹁かたつむり﹂ のμい大な神経細胞
を利用してこの性質を調べてみた。細胞の中に微
小な屯械を挿入して、 細 胞 内 部 の 屯 位 変 化 を 記 録
すると非市に鋭いパルス状の波形が得られるので、
A
なのである。 心 臓 の 拍 動 は 神 経 細 胞 か ら 発 射 さ れ
規
帰着されるはずである。 神 経 細 胞 の あ る も の は 信
間隔のゆらぎはこれらのパルス間隔の﹁ゆらぎ﹂に
則性がある。その規則性というのが﹁ 1/fゆらぎ﹂
、打
る屯気的なパルスによって起動されるので、 L
J
ζ
その間隔がどのようにゆらいでいるかを解析する
よ
グ
〕
色を持っているので、あまりにも人工的でありす
ぎる環境を少しでも自然に近付けようとしている
のであろう。丸木を寄せ集め、平で尾根を葺いた
自然増の空間では誰も生け花に関心をポさないで
あろう。
上に三つの図形を示した。附は関心円で線の間
隔は一定である。こんな図柄が自然の中に存在し
ないのは自明である。同は関心円ではあるが線間
ものも夜線から構成されていてあまり自然的では
の形が目障りで自然の形ではない。仰は円の半径
隔 を I/fゆらぎをする乱数で決めたが、やはり円
ぎをしていることが分かる。我々の同同を見波す
にゆらぎを導入したもので、このような悶形は木
(むしゃ・としみつ/点以仁業大山下総合照仁川下研究科教佼)
地がおおいにあって面白いのではなかろうか。
はるかに大きいから、デザインとしても工夫の余
りも山線の方が、その形を決めるための自由度が
図柄を構成したらどんなものであろうか。定線よ
茶室の床柱のように、自然の山線を用いて案内の
っている明白はこの辺にあるのではなかろうか。
木の玄肌に木自の現れた什器類が品川に人気を保
ないが、 日んた日には写実的に見える。 いま私のい
そ味わいというものがない。 木 目 模 様 だ け が 自 然
中に木目模様を印制した衝立が立っている。 およ
け
e い慢と直線および門前型の蛍光灯があり、
と壁やテーブルなどの什器知の表面の化粧として
ぜだろうか。
自然界の﹁ゆらぎ﹂と形
の勾いをわずかに漂わせている。 成 線 が 山 線 に な
過ごす空間としてもう少し何とかならないかと思
AHの大部分を
がある。絵の抽象性とスペクトルとの開に、或る
う。オフィスに花を飾ったりするのは、 これと同
ればよいというものではないが、
関係がみいだされた。抽象性の高い劇画は背景に
じ心血的な動機に基づいている。花が臼然の形と
以前に没前の空間スペクトル防遣を調べたこと
〆
ぐ
克明な自然描写を書き込んでいる。自然州知写その
グ
〉
の切株などとして自然が作り出す図柄に近い。
(八)年輸を模倣して作図したもの
るオフィスのインテリアの構凶を見付してみると、
(ロ)ピッチにゆらぎを加えた円
木目の模様を積極的に用いているものが多い。な
(イ)完全に幾何学的な円
4主
と
私たちが日々の生活を営む﹁すまい﹂。そこは、
さまざまな音との出会いの舞台であり、それらの
音との物語りを紡ぐ空間であり、なつかしい響き
﹁夜一一時。屋外の風声をきく、忽ち速く忽ち
近し。春や襲ひし、冬や造れし﹂
ここに続られた音は、人びとが寝静まったころ、
恐らくはひとり机に向かって、あるいは布団の中
を探し求める場でもある。
﹁すまい﹂とは、﹁音とすまう﹂ところであり、
で聴かれたものであろう。独歩は、自らの住まい
たことは確かである。
ざまな音や気配を、そこに住まう独歩に伝えてい
どもその建造物が、周聞に広がる空間に響くさま
がどのような家屋であったか私は知らない。けれ
を﹁小さなれれ即位﹂と呼んでいるが、正確にはそれ
﹁立巳乞すまう﹂ところでもあるのだ。
︿﹀音の記憶の集積としてのすまい
武蔵野を愛した国木田独歩は、 そ の 住 ま い の 中
でさまざまな音を聴いている。
私が生まれ育ったのも、独歩がこれらの音を聴
いた同じ武蔵野である。小学生低学年のころまで
明治三C年 一 月 一 四 日lll
﹁夜更けぬ。梢をわたる風の音速く聞ゆ、ああ
暮らしていたところは、母屋に継ぎ足したトタン
よさむニがりし
戸、盆おどりの太鼓:・
立目だったような気がする。そして縁側からは虫の
た翌朝、廊下で感じたザラザラした赤土も一種の
戸がそれに応えてがタガタ鳴った。空っ風の吹い
をわたる風が悲しげな声をあげたかと思うと、雨
ともかわいらしい音がしたものだ。速くの雑木林
ったし、スズメなどがその屋担を歩くときには何
きには栗の実のバラバラと落ちる音がそれに加わ
によってさまざまな趣があった。初秋の台風のと
下で駆け出す込斎、トタン屋根を打つ雨には季節
台所で母が撮る包丁の軽やかなリズム、弟が廊
り、その住まいは常に聾かな響きに包まれていた。
屋担の平屋。それが私の﹁住まいの原風景﹂であ
これ武蔵野の林より林をわたる冬の夜来、の夙な
るかな。雪どけの滴声軒をめぐる﹂
同三月二一一日 ili
私のすまいろん
﹁夜一ニ持、 月傾主風急に、雲わき、林鳴る﹂
サ ウ ン ド ス ケ lブ デ ザ イ ン 研 究 機 構
.神川サウンドスケ│ブ統究会主宰
盛白昼
けい子
鳥
越
みると、私の幼い耳もそれらの響きを通じて家族
欠くかもしれない。が、今こうして改めて考えて
これらの響きは、独歩のそれに比べれば詩趣に
けの物語りを紡ぐ空間である、と私は考える。
ざまな音と出会う場である。それらの音と自分だ
の中、あるいはその周聞の空院で発せられるさま
﹁すまい﹂とは﹁音とすまう﹂ところである。家
それらの響きを思い起こすたびに、そのひとつひ
その懐かしい住まいも今は変わった。けれども、
居をめぐる最近の状況を考えれば、そうした﹁遮
走族や建設工事をはじめとする騒音問題など、住
遮るか﹂が問題になる。高層化した集合住宅、暴
一般に﹁すまいと音﹂というと、﹁いかに音を
のぬくもりを感じ、武蔵野の風土をしっかりとと
とつを聴いた空間の感触がよみがえってくる。私
音﹂や﹁防音﹂の問題がいかに切実な課題である
らえ、それなりに味わっていたように思う。
の﹁住まいの原風景﹂は、それらの音の記協と共
もこの坂を下ったあたりに住んでいたことになっ
の﹁明神男坂﹂がある。ちなみに、あの銭形平次
神田明神の境内から右手に抜けると、急な階段
︿﹀音を聴く装置としての家
li!神田のフィールドワークから
端を紹介したい。
い。そうしたことから、以下にその調査結果の一
うした考えはますます強いものとならざるを得な
の音﹂についての調査研究の体験を通じても、こ
いのだと思う。ここ数年私が携わっている﹁都市
まう﹂というもう一方の視座をも失つてはならな
切実な問題となっている今だからこそ、﹁立日とす
けれどもまた同時に、住居空間の遮音や防音が
ことを⋮一一一悶えるのだということも分かっている。
るからこそ、﹁音とすまう﹂などといった悠長な
方向への研究と実践の努力が着実に実を結んでい
は、これまでに﹁すまいと斎﹂をめぐるそうした
かは今さら一一一一悶うまでもなかろう。またある意味で
こうした自分自身の体験も踏まえ、私にとって
に、私の中に今でも生き生きと留められている。
1
1'
1
1
1
J
J
f
IリJ
1
,反より.t
x
!ドの'求、1
[
:みを見る。
川I
写奥
ヲペ d
ハhu
図-1 住居内受音者の有するく宮地平〉の広がり
ている。この明神男坂は、明治から昭和一二0年 代
にかけて花街としてさかえたところ。全盛期には
大勢の芸者衆を抱え、開花楼、花家などの料亭が
並ぶ一大歓楽街だったが、高度成長の時期を境に
花街としては衰退した。現在では、住宅、飲食応
H
u
u
u
u
行
り
り
H
サウン
町や都市にはそれぞれ独自な家並みや町並みが
などが立ち並ぶ静かな通りである。(写真11)。
あるように、そこには独自な﹁音の風景
ド ス ケ ー プ ﹂ も あ る は ず だlliそんな考えから、
神間のまちの音風景の歴史と現状を探り始めて三
年。その活動の母体となっている﹁神田サウンド
してみると、大きく次の三つに分けることができ
(
図l i参照)。
川凶音源が受音者の生活する住民内、あるいは同じ
建造物内にある場合一
制音源が受立日者の生活する住居に面する道などの
隣接した周囲の空間にある場合一
ω音 源 が さ ら に 外 延 の 空 間 に あ る 場 合 一
以上の三つの中で、例えば凶としては次のよう
なコメントがある。
一明神男坂﹂なるものをまとめた。道沿いにお住
。
そ う 語 る の は 、 現 在 は 自 ら 料 亭 を 経 営 す る S氏
うか歌っていうかね、ぞれ日写会の音なんですよ﹂
そ れ で 非 常 に 小5 いときから覚えている音ってい
﹁庖と一体で生活してたわけですよね、ぼく目。
がたにうかがった﹁まちの音﹂についてのお話を、
子供のころはその料亭の二階に住んでいて、毎晩
ンションなどの高層集合住宅の中で、そこに生活
大正時代から現在に至るまで研究会が年代を追っ
表i iは そ の 一 部 分 で あ る が 、 こ こ か ら も ﹁ 音
する人ぴとが聞くのはほとんどがこの凶のカテゴ
階下からお客や芸者衆の声が開こえたという。マ
とすまう場﹂としての住まいの性格が明らかとな
リーに分類される音であろう。
これに対し、この地区を最も明確に特徴づけて
いるのは表1 1の﹁音年表﹂にまとめたような、
﹁記憶で縦る音年表﹂には、他に﹁人の戸・人
開花楼さんとかお料埋屋一さんなんか回るらしいで
の真ん中に久鼓さげてたたきながら来るんですね。
似のカテゴリーの音の震かさである。﹁天びん棒
のたてるもの音﹂﹁自然の音・生物の音﹂﹁地域外
ノ¥﹀}、
これらの音が受音者の位置する屋内空間と
また、このような証言をさらに涼く考察してい
すよ﹂と語られる相撲の﹁ふれ久鼓﹂もその例。
る場合に問題となる音をその音源の位置から整理
の音をトータルに考慮して、受音者が住居内にい
からの音﹂などの欄を設けてある。これらすべて
ヴ令。
男坂に崩した家々の中で聞かれたものだからであ
の音﹂﹁芸能・宗教的行事の音﹂のほとんどが、
ってくる。というのも、これらの﹁物売り・商売
てまとめたものである。
まいの方がた、あるいはかつて住んでい﹀りした方
スケlプ 研 究 会 ﹂ は 、 昨 年 末 ﹁ 記 憶 で 競 る 音 年 表
る
P
l
.
i
(か
らaぅ
1
<1
1
1
ど分かるわよ。ゆっ
、
し t"
主にさえずると
り
〈f
ぶ、ているからJ
か。それが、のぞき奴
医百恵E
はない古えままごとE
誌の議彩
金魚言寄り
*
l
!
l
II
(略的1
ず
L
A
.
.
'
:
'
位、- I I
喜志詔噺│
I
I、らんかねーって、家に入って〈る J
芝塁塁J(号機伎の持者椴写)
医霊亘
自筆記
や砂絡をつけたしんこの民主
r
火事告の自 2
実
家
法主主著華経"ってJ
I
I
pい
て
、
“l
有会話妙
ザ
の人たちが歩〈。
べ終わるまで待っているJ
~fに入れて採ってきて〈れ、食
軍五二盟
幽樹監事
うの、絡がね
│
~爾ゆ.;t翻
I
管制付。ギチギチい
~ぜ~
「歩代、しようてるものが
C
l
l
>
豆誼(鱗) I
て(料理主浅の容に向かって)呼びかけるJ
f手E
認さ予、ブカブカ濁
r~議終ってやってきて、ボーン拾“ j!lf主獲でござL ♂っ
f良
夜I;J:呼び込みとLう
よ
今
、
!
I
¥
が
径三週ドみつまめ一" 党で、女の子主主が集まり‘
の呼び声。議Hき
のjj
ヲスの
ご
)
にぎやいf
玄米パン慶 Ir 臥玄米バンのホカホカー"って~って来るJ
相
叫
軍
(徒歩で来た)
国謹~
発音源のある道の空間との開にダイナミックな交
流を生んでいる様子がわかる。
﹁新内の流しというのがあったね、夜になると
ここらへんを歩くの。ぞれから声色、歌舞伎の役
たとえば中材勘=一郎の弁慶だとか、ちょいとやる
者の声帯模写。ちょいとサワりだけやってんの。
わけよ。するとゆっくり聞きてえから入ってこい
とか、あるいはお金を紙にくるんでポンとほおる
とかね﹂
﹁面白いのがありましたね。あれ何ていうのか
な。頭にこんなタライみたいのがあって、そこに
アメをのつけて、子供集めて太鼓たたいてぐるぐ
る由る。ぞれが昭和になると紙芝居になっちゃう
﹁あれ、子供の楽しみなのよね。血液、初来たとき
・・その紙芝居が黄金パット﹂
にリカ争力争って拍子木をたたく﹂
すなわち、この地底に生活している(していた)
人ぴとは、住民の中に居ながらも、その耳は常に
壁の外間の空間を含めたより広い範囲に対して働
いており、それぞれの情報に対してアクティブに
反応する文化を培っているのである。
ω のカテゴリーに属する音としては、﹁上
さらに
野の寛、M
m寺 の 鐘 ﹂ や 了 一 コ ラ イ 堂 の 鐙 ﹂ な ど が 言
2 のような極めて広いよお
ている受音者の耳は、さらに広範囲の空間に発動
及されている。つまり、制で住居の外周に拡大し
し、それは時として図
の地平﹂を形成することにもなるのである。
そして重要なことは、住居内の受音者が、屋内
1
0 流しの;;タシー始まる
後楽園の歓声
5 帝都i
l
!g
妻家言語終る
事
1
3 東京市パユ(粂合自効率)営業喜男姶
1
1人粂り T 7才一ド 8
0
0台
J山ν
iJ¥
慣 JI
タ副
す
向
麟
4 (1.1)区内に地下鉄(波書喜良線〉重量り
入札(万詮橋駅)
撃
1
1 大震災で市電の 41%を焼失
関東
大震災
z 大型金高生恐後始まる
昭和
強綴、溺茶ノ水.~奇習駅間関透で、中央
お昼のドン
2.26'
葬件
日
日本初のタクシー会社閣議(数寄E
童橋〕
大正先
事雪パス堂書室開姶
君
地域外からの音
額一日
1 F記憶で綴る音年表・明神音坂J より
表
十1川 サ ウ ン ド ス ケ ー プ 研 究 会
F
完
き
謀
、 n投機・畠平機額i
盈
z 衿路大火
3 第一次大戦
7 米騒動 8
.
)
3
→E
在家波及
東主主大1
Et
専室主会開催
(1.1)
s 都市計霞法
院長襲、議Jli:・万世橋罪者、官霊感専用複線完成
市滋地王室鈎法 (
1
2
.1)爽施
綬済封誌始まる
1
4 宙線、上聖子・衿回開通し、山手線完成
円;;~始まるかよ聖子・浅草!習に地下鉄関 i謹
E 東京地下鉄、特尽期間まで怒長
5.15
率
イ
キ
線と総武終との連絡塁悪始
s 国際i藍怒脱退
霊審議スピードアッフ三託行
E
在京王翠状粂合自動慈(資パス}閣議
爽 在 率F
奇数4
0,
4
2
6
台
重義者 2
2,
2
9
7
人
全国のハイヤ一、;;~シ一戦前の最潟率
ω各 カ テ コ リ ー の 音 す べ
に居ながらにして、凶似
てをその﹁音地平﹂の﹁近景﹂﹁中景﹂﹁遠景﹂の
ざまな情報を呼触していたということ、すなわ
構造のなかに組み入れ、それぞれの音が運ぶさま
ち、それらの音と共に人びとの情感を汲み、生活
のリズムや地域の文化を体内に刻み、あたりの気
配を感じ、四季のうつろいを知ったということで
中
め
ヲ
令
。
山内吊
明神男坂では昨今、ビル化が進んでいる。最近
のビルはガラス素材の大幅な導入などによって、
視覚的には屋内と屋外の二つの空間を最大波に連
続させようとしている。これに対し、聴覚的には
それらを完全に分断しようとする傾向にある。住
まいの﹁音地平﹂が極端に狭められているのであ
る。﹁音地平の狭まり﹂とは、私たちの﹁すまい
が狭められること﹂だということを忘れてはなる
±
品
い
。
独歩の茅屋があった渋谷村の変貌ぶりを考、ぇ合
わせれば、こうした傾向も無理からぬことかもし
という発想をもって、私たちの住まいを、その周
れない。しかし、だからこそ今、﹁音とすまう﹂
囲の環境も含め私たちの都市全体をとらえ宜して
いく必要があるのではないだろうか。
そうした深い眼差しと繊細な耳、それに基づい
た柔軟で新たな想像力が、もうひとつの﹁豊かな
とりこ、ぇ・けい
すまい﹂、﹁豊かな住環境﹂への道を聞くと私は考
、
え
ヲ
令
。
へ向けて││七月八日(土)に開催
於 一 建 築 会 館 ホi ル
ll
の足跡一体験的住居論
む時住文化にみる近代化
ム
開
居に対する人間のあり方においてもそうだ。実際には、
は本音と建前の簡をうろうろしながら生きている。住
*この論文はミ研究年報い川口口すこ九八九年四月刊)にも、他のニ編の委託論文と併せ掲載しています。
な伝文山中の写災三点は編集部によるもので、論文の内容とは関係ありません。
つつ今日に至ったと。
れが、家という物的な存在のあり方ひとつで随分と
中に住む人間どうしのあり方の方が問題であるが、そ
有用な技術、科学を入手し、これを財産として利用し
化における本者と
四住宅建築シンポジウム︽住文化にみる近代化の足跡︾
︿論文﹀
道家
はじめに
加えて、この六0年 間 、 私 自 身 紛 れ も な く 、 住 文 化
の恩恵を受けて一日一日を生きのびて来た。
レス社会であり建前社会である。それだけに、誰しも、
の足跡﹂を論ぜよと、畏友一平井聖さんから命じられた。
せめて自分の家の中でくらいは、本音で生きたいと忍
人間、一歩家の外に出れば、本音の吐けない、スト
違ってくる。
などといえるものではなく、﹁私の体験を通してみた
そこで、この機会に、平井さんの提起された諜題に
住に関する一考察﹂といったところである。お許しい
ぅ。しかし、家の中でも容易には、本音で生きられな
いのが実情である。留ったことに、本音というものは、
ただきたい。
ついて考えてみることにした。しかし、やはり、論文
にはまるっきりの素人である。
しかし、考えてみると、科学・技術史の冒頭で私は、
いつもこう述べて来た。人類が地上に現われて約一一一O
O万 年 、 何 十 万 世 代 に わ た っ て 今 日 ま で 何 を し て 来 た
一人の人間、つまり自分ひとりでも、いつも同じとは
きた。これらを実現するために人間は、全身で自然に
ことはない。しかし、現実にはそうはいかない。人間
人間にとって、本音と建前が一致すればそんな良い
の中では、社会の変動が激しいだけに、家族の全員が
ても、変化の激しい時期は揺れ動く。今日のような世
限らない。とりわけ、者い成長期、いやおとなになっ
働きかけ、巧みに自然を利用じ、変革し、その過程で、
・文化を求めて働き続け、その中で子孫を産み育てて
のか。基本的にはよりよい食・衣・住、そして、健康
国住居における本音と建前
正直なところ闘った。建築に興味はあっても建築学
における本音と建前﹄と題して﹁住文化にみる近代化
科学・技術史を研究して来たものとして、﹁住文化
連
勝
斗
n
u
d
その波をかぶって、全員が揺れ動くから、
いっそう始
伴って、各人の本音を出しあい、それを尊重して、個
今日深刻化しつつある地球資源の浪費や環境の不可逆
れるような、文化的に高度な住居に住みたい。それは、
代が異常に高くて、それを困難にしており、庶民が文
的破壊を止めることにも通じる。日本の現状は、土地
化的に高度な住居に住むなどということは焚沢な話だ
できるような住居がよいと忍うのである。
もし、つくり変えられないのであれば、ヤドカリの
室ならびに共同利用の場を容易につくり変えることが
そう簡単なものでもない。本音で生きるにはそれなり
ように住み替、えてゆくということでもよい。いずれに
かれば、庶民が文化的に高度な住居に住むことは不可
という雰閲気があるが、行政的問題を含めて解決をは
ならば、みんな個室で暮せば、という考えも出るが、
末が惑い。
の装置つまり、町一夜、食の場はもとより、トイレ、風呂、
せよ、人それぞれの変化に応じて住居も変えてゆける
能なことではない。それを可能にするには、まず、自
炊事場、テレビ、楽器、電話等:::が要るし、仮に、
分の本音で、どういう住居に住みたいかを、自分で考
というのがよいと思うのである。土日から行なわれてき
えてみるところから出発すべきであろう。そしてその
た建て増しも、同じ発想に基づく、ひとつの解決法で
る。狭い土地にいる場合、今や建て増しをはかろうと
あろうが、それは、土地が十分あって可能なことであ
やはり、人間孤独では生きられない。人恋しいもので
ある。これも本音である。そして、人聞が複数になれ
金と空間が十分にあって、これらが揃ったとしても、
ば、本立日が複雑にからみ合い、うまくやっていくため
い る 自 然 を 含 む ) 、 金 ( 社 会 的 富 を 合 む ) の 一 O O年
にわたる輪廻を見通した計画が必要で、出来上った建
実現には、人生(他人の人生も合む)、もの(生きて
築物が数十年の長期にわたって変わらない、いや変え
忍えば、様方向でなく上方か下方にしかできない。そ
戦後、アメリカ式の使い棄て文化にどっぷり漬かっ
てはいけない基本的部分と、短期間で可変的な、言い
れはもう建て替えである。
てきた日本であるが、住民も短い期間だけ使ってスク
換えれば、住人が変えたくなったときにいつでも変え
の建前が要求される。問題は、家族の個々人の本音が
そして人間の建前がつくられる必要がある、というこ
ラップ化する使い棄て方式、というわけにはいくまい。
できるだけ生かされるような形に、住居の構造、機能、
とである。それは、同居する人間が、自分の本音も出
現実には、﹁これは仮り住まいだ﹂と自分に言い聞か
使い棄て方式の方向に進みつつあるような気がする。
せるような安っぽい住居が、高い値段で取り引きされ、
誰にとっても本音で生きられる住宅が得やすいという
変部分の割合が大きいほどよい。そうすれば、いつ、
る構造体になっていることが望ましい。もちろん、可
られるような、可変的部分とを矛盾なく共存させてい
ヲ令。
せるが他人の本音も許せるような住居ということであ
いうものは、できるだけ四次元的に可変な三次元空間
しかし、そのような住居は、中に住む人間の心まで貧
私の経験から、結論づけて言えば、どうも、住居と
として建てられるべきではないかという気がする。つ
しくしてしまう。私は、スクラップ化するのが惜しま
ことである。
まり、時の推移の中で、複数の居住者の本音の変化に
区私が青った大正末年築の
開放型住居について
私は、昭和一二年生まれで、幼少年時代を名古屋市と
川ひとつ隔てた市外の在来開放型木造住ぽで過した。
学校の方は市内の鉄筋コンクリートの閉鎖型一ニ階建て
であった。その住民は、ごく枚円通の出家風民家で、一川
数十メートルの川に而した小山い任の市斜耐にあり、
(W洞 宗 の ん K勝守)しこ城跡
J
(
a
V山城)が、京北五︿ 一メートルほどに、トー日明らしい
尚 北 約 五0 メ ー ト ル に か
へんよく管理し、また誇りにもしていた。私がものご
ころつく頃この祖父は、数反の田畑を耕して米や野菜
つまり昼間はほぼ完全な開放空間をなす住居で、その
成っていた。母屋は、一戸、襖、障子を外してしまえば、
小山のよに氏神さん(白山神社)がある。この城跡と
をつくり、気むずかしいが何ごとにも名人芸の人で
新築したのがこの家だという。普請を宮大工の加藤図
迎えることになったので、大正末年に古い家を壊して
治四年生まれの私の恨父が、長男つまり私の父に嫁を
私 の 育 っ た 家 の 間 取 り は 図 1 ーのようであった。明
かけて次ぎ次きと独立していき、代わって第三世代の
ある私の母とである。この第二世代は、昭和一一二年に
母と、その子四人(男一一一人、女一人)と、長男の嫁で
母が嫁に来た頃、この家には七人が住んでいた。祖父
だし、この納屋は、かなり丈夫に作られており、後に
留まれた納屋に、便所が附置されたものであった。た
の、母屋から離れたところにある建物は、一二方を壁に
された空間をなす住居と物透きであった。もうひとつ
西側に隣接する小住居は、壁の部分の多い、半ば閉鎖
この家は、母屋とそれに附属する二つの建物から
ぽ河規模の民家があった。
神社の院に昭和初期には約一一一O 戸 ほ ど の 、 私 の 家 と ほ
あった。父は、サラリーマンとして私鉄に勤めていた。
客で賑わって陽気であった。
鰐肢型笠間lliまるで﹁お拝殿﹂
雄さんに頼み、自分も手伝って建てたと祖父は一一一日って
改造し、建て増して、私の弟一家が住んだ。
F
板白引一戸
揖(上に松原の透し彫りのある倒鵠)
子一戸、障子、襖、杉の板戸などを開け放し、さらに取
この母屋は、先にも述べたように、関戸をくり、硝
北側にあった。
している。そして、流し、井戸、風呂場は、家の外部
度は東西に長くなり、さらに、かまどの部屋が張り出
さらにこれに、東側に玄関と土問がつけ加わって、今
の平面は、南北方向にやや長い長方形になっている。
寸、北ニ尺六寸五分)があって、全体として床上部分
三登の板の問、それに南と北に二本の縁側(南一一一尺二
次 は こ の 母 屋 の 平 商 で あ る が 、 今 流 に 言 え ば 3LD
K であろうか。床上部分は、六・八・六畳の畳の聞と、
で炊き炊けになっている。
度述べるが、土問の上部のみは天井がなく、屋根裏ま
畳ほどの屋根裏部屋がしつらえである。あとでまた再
関の上部のみが厚い板を敷いたニ階になっていて、四
で、つまり障子の実質部分は、五尺八寸である)。玄
尺三寸、基本的には平屋建てである(敷毘から鴨居ま
は八尺三寸、天井裂から屋根哀の一番高いところまで八
られ、床おは-尺五寸あまり、床上から天井板まで
床上部の境に立つ大黒柱を中心に、柱と梁で組み立て
さて、母屋であるが、まず立体的に見ると、土問と
では、たえずおおぜいの家族が食事を共にし、また米
、
板の引戸
私たち兄弟が生まれ、育てられた。私の幼い頃の記憶
同伴子(上の欄筒部骨にも小障子)IT--111i
路子(のちガラス一﹁)
物霞
木庭
戸町
いた。自分が建てたという忍いが強く、この家をたい
1 大正末年築の私の家
図
り払ってしまい、仏壇の一爆を閉め、押入を閉め、経一ぎ
使ったものだと、祖父から開いた。そしてこの梁の上
の二階入口のところで、これまた大黒柱に負けない太
にはニ間の阪の壁がずうっと立ち上がっており、途中
さの梁によって大黒柱と結びつけられている。この梁
であった三畳の板の間と土問が、食堂として関空間に
が終わるまで、自分の食事をとることができなかった。
は、ゆるやかにうねった天然木のままの形をしている。
なる。席はほぼ決まっていた。家の長である祖父は大
﹁すまいろん﹄一九八九年冬号で、中国の朱暁雲さん
ふだんは楽しかったが、繍織もちの祖父の機嫌の惑い
どうしてこのような空間をつくったのか開きそびれた
わにたんす類を押しつけると、床上部は、ほほ完全な
が﹁日本の伝統的住居には壁らしい壁が存在せず、中
ときは、ろくに食事がのどを通らなかった。飯の炊き
が、玄関上に設けられた四畳ほどの二階を蚕{主として
いる。土聞から屋根裏最深部までの高さは、一丈と八
間の住居を﹃箱﹄に例えるならば、日本の住居は
方が惑いといって、土問に茶碗を叩きつけ、茶の湯が
間用意したとするならば(そういう話を聞いた)、冬場
右側に、玄関上の二階を覗きながら屋根裏まで続いて
﹁傘﹂のように思われる。中国人の私は、はじめてこ
における保温のための構造であったかとも思われる。
黒柱の前に坐し、その時間に祖母そして父が、続いて、
のような空間に生活するようになった時、なんとなく
の母)に命じた。気まずい沈黙が部屋中をおおった。
ぬるいといって、沸かしなおすように、嫁(つまり私
この二階は、かまどで温められた空気のせいか、冬は
孫たちが板の聞に正坐し、そして、叔父はたいていの
落ち着かなかった﹂?と書いておられるのを読んで、
晩酌で機嫌の良いときは、親(曾祖父)が道楽をして、
比較的暖く、夏場は南側を開くと涼しい風が通った。
開放空間になる。床の上には何もなく、中央北の壁三
なるほどと思った。まさにそうである。私は幼年時代、
裏にあった蔵が売られていったのが悲しかったとか、
聞と杉板一戸からなる押入を中心とした回り廊下、いや
家の中で追いかけっこをして、中央部北の、押人の周
奉公に出た先の味噌汁が冷えていて情けなかったとか、
ふだんは、ここに上る階段は無かった。
尺ほどになるのではなかろうか。この大きな壁画は、
囲をグルグル回った記憶がある。さらに、床の上だけ
兄(祖父の)が事業に失敗したのは女房が派手好きな
あったことを思うと、あるいは、この空間は祈りの空
食堂の端にある大黒柱と向かい合って立ち、件の玄関
でなく、玄関と土聞を使うと、土の上で、この家の内
女だったからだとか、といった昔話が多く、終わると、
間であったかもしれないが、私たち子供にとっては、
場合、土問の腰掛けにかけて、各人の前に並べられた
外を通って一巡できた。家の内外をグルグル回って、
ご飯茶碗に茶を入れて、傾けながらゆっくりまわし、
桜で食事をした。母は、給仕に忙しく、みんなの食事
それでも足りなければ、庭の茂み、木の上、さらに寺
ぐいっと飲みほし、押しいただいて騰のなかにポンと
屋根と柱と高床から成る神社の拝殿にさえ似ている。
の森、氏神の森、川原があった。すなわち、家の出?を
祈りは正月くらいのもので、それも、かまどや、えび
この食堂 (?)は、私にとって不思議な空間であっ
んにお参りするのがせいいっぱいのことであった。そ
にウラジロにのせた鏡餅をお供、えして、近所の氏神さ
す・だいこくさん、神棚、井戸、床の間、そして仏壇
大慢の真ん中の柱に、その昔、神社のお札が貼つで
駈け回る子供たちの床上平面は、たちまち、大地の自
伏せた。
た。構造的には、かまどの部尾と板の間の食堂とには
は、縁の下を含めて家は巨大な立体的遊ぴ場となった。
然平面、そして凹凸に拡大され、再び家に一良一るときに
さまれた仁川の上深く、尾根裏まで吹き抜けの由仁川が
にぶつかる心配はなかったし、餅をつく音が心地よく
子供にとって、かくも面白い﹁遊びの空間﹂としての
反響して、正月が来ることを実感させた。っき上った
住居を、以後、私は知らない。まさに子供の天国で
しかし、大人たちが家にいたり、仕事が始まると事
その上に、磨かれた大きな鉄の釜と鍋、そして小さな
まず土問の真黒の土、その向うに、かまどが限に入る。
のされ、六畳間の新しい廷の上に、ずらりと並べられ
餅は、鏡餅のほか、板の間で新聞紙くらいの大きさに
ういえばこの餅は、この土問に臼を据えて、かまどで
態は一変した。庭は作業場、かまどのある部屋は立入
茶釜がかかっている。その上方手前、土問とかまどの
た。この空間は間違いなく生活の場であり、かまどの
蒸した米を入れてついた。いくら杵を振り上げても上
禁止、そして床の上は閉空間になり、子供たちは、一
ある部屋を仕切る部分に、すすけた太い梁が一本充え
火はその原動力であった。
ある。正坐した頭の上には神棚があるが、これは振り
室に閉じこめられるか、一戸外に追い払われた。
る。この梁にはちょうなで削った跡が残っている。大
返らなければ見えない。正坐した私の視線に映るのは、
火と祈りと食の空間!ーかまど・土問・三蟹の板の闘
正末まで、ここに建っていた家に使われていた材を
あった。
の生活
食事の時間ともなれば、先ほどまで屈り廊下の一部
7 ()
ノ
ただ暗くて寒いだけであった。
い役割を来たした。のちに、祖父の娘が嫁に行き、次
祖母と娘が寝た。この離れた八畳の部屋は、おもしろ
もうひとつの商隣に離れであった八周波の部屋には、
容の応待の場
の妻や子にとっては、家の市中の勝手場も上記空間も、
つの口が開けられ、遅くまで家族の談笑の場、新聞や
食事関係の他、この一ニ田況の板の間には冬の間堀ごた
雑誌を読む場になり、風呂に入るのにも、ここで半分
が、母屋の六畳間と八畳間を点領し、寝室や勉強部屋
昭和の一 0 年代に入ると、一二世代目の私たちの兄弟
努が独立していってからは、祖父母の寝室となり、一
(奥の八援との関は、たいていの場合、杉の板戸が閉
時は、一ニ男が嫁をもらったときの局窓にもなった。こ
しかし、私にとってはぬくもりといえば、制ごたつ
められていた)、改まった人は奥の八受間に通して応
その西端の引き戸と踏み台が、他の部屋を通らなくて
として使った。南北二本の縁側が廊下として機能し、
客は、概ね三稜類に分けられた。ごく親しい人や急
よりかまどの前の方がより存在度が高かったかもしれ
接した。お盆には先祖の位牌を小机にのせて祭壇を設
も、どの部屋からも直接外部に(トイレに)行くこと
ぎの人は、玄関先の小縁に座布団を敷いて腹を下ろし、
ない。母は、ほとんど似ごたつにいなかった。多忙な
けたが、お坊さんを呼んでお経を読んでもらって供養
を可能にしていた。
の間に置かれた。まさに火に引き寄せられて暮らす家
母と話をするには、食事の支度、とくに御飯を炊くと
するのは八畳の問であった。村(町内)の寄り合いや、
鴇放壁一聞の天然冷暖房
脱衣して風呂場へ入った。ラジオもテレビも、この板
きの母をつかまえるのがいちばん好都合だったからで
多くの人の集まる仏事・慶一事などは、六・八・六畳の
この家の冬の 8常 の 暖 房 装 震 と い え ば 、 ご く 最 近 ま
の部屋は、東にも西にも障子があったが、ほとんど独
ある。御飯炊きは、一升もの米を、誌を燃料に炊かね
一一一部屋ぶちぬきで、ないしは、六・八畳を組み合わせ
で、制ごたつと火鉢であった。ただし、夜の老人には、
立した閉空間として機能した。
ばならぬために、とくにコツが必婆であった。少なく
て使った。食事には、米と壁一の塗りの膳が使われ、床
あるいは、土足のまま土問に入って腰かけてもらって
とも炊き上がるまでは、かまどの前を離れるわけには
柱を背に一列と、向かいあってもう一列ずらりと並ん
応接した。やや改まった人は、玄関に統く六畳間で
いかなかった。例えば、小学生のとき、宿題に出た九
族のぬくもりの場であった。
九の暗唱を母に開いてもらったのも、このかまどの前
たどん入りのこたつか、湯たんぽを布団に入れた。も
けの状態であった。その代り、布団は、綿が多くつ
ちろん、部屋は障子、ガラス戸、襖、雨戸を閉めただ
まった分厚なものであった。冬の夜の縁側の冷たい感
で行なわれることが多かった。今の温泉旅館の宴会と
玄関に近い六畳間同の玄関側の障子は、ふだんは半開
同じ姿であった。
きにしてあり、ここに、冬は襖貼りの、夏は、細い竹
た記憶には乏しい。小さい頃から慣らされていたから
触は、今でも足の裳に残っているが、寝ていて寒かっ
であったと記憶する。また、早い時期から、この藁で
製の衝立が、置いであった。そして玄関のたたきには、
御飯を炊く方法を教わりもしたが、炊きそこなったと
それやこれやで、昭和初期から中期にかけてのこの、
きのことを考えると、まさに真剣勝負の忍いであった。
核欄竹などの鉢が担保いであった。
(?)この家の守り神(それには、ちょうなの跡のあ
のだ。昭和初期には、玄関に近い六受には祖父とその
空間は一変する。各部屋ごとの関空間になってしまう
さて、夜、雨戸を閉めて寝る段になると、この家の
しが屋外にあるのは母に気の毒だった。これは父の妹
た。母のあかぎれも痛々しかった。それにしても、流
かったという印象はないが、手足の凍傷には悩まされ
であろう。この家に住んで、冬の寒さに耐えられな
ちとが、淳然一体になっていた場であり、また、知ら
が祖父に話して庭内に入れることにしたというが、家
夜は閉鎖空闘に
かまど十土問+一一一畳の板の聞の空間は、上の方に住む
る梁に見られるような先祖も加わっていた)と、下の
ず知らずのうちに行なわれた祖父による教育の場でも
息子、つまり私の叔父たちこ人の寝室、八畳は叔父の
の中に水を入れるのをそんなに嫌だったのだろうか、
方で喜怒哀楽をあらわにして賑やかに生活する家族た
あったようだ。しかし、やはり、ここで本音を一一一日え、
それとも、流しは外にあるものとの長い習慣だったの
だろうか。どうも、私の見るところ、物的な問題を含
とその嫁の寝室に、食堂の板の間も学羽田室に変化した。
め、祖父は頭から﹁流しは外﹂としていたように思え、
舎の学習室、奥の仏壇のある六田宮間は長男(私の父)
むしろ入り日の六佼問か、八畳間に泊めた。
泊まり客のあるときは、一戸外の便所への道の都合で、
た。宮沢男の嫁は建前ばかりを強制され、後で述べるよ
うに、それなりの理由はあったが、戸外の流しを家の
本音通りに振る舞うことのできたのは祖父だけであっ
中へ入れることを言い出すことさえできなかった。私
その点、祖父の元気な頃は、封建的で頑固で家の中の
があったように思う。
手をいれることによって生き続けているという、特質
しかし、よく考えてみると、この家は、絶えずまめに
地盤の悪いころは、たいへんなことになったから、地
地面が元山で、しっかりしている。濃尾大地震のとき、
にも洪水にも大丈夫だと一言っていた。地震については、
自然の風だけ。家中を開け放すと庭の木々を渡って
子供たちを使うのがうまかったのかもしれないが、結
過ぎ去ったことだからかもしれないし、大人たちが
日、庭のこの椋の校や葉が風にあおられて、日一人が髪
は木によって防ぐ、と椋の巨木を配していた。台風の
対しては、北はやや高台だから心配なく、南からの風
盤のょいところを選んで建てたと一言い、そして台風に
夏は、私にとっては快適であった。もちろん冷房は
様式を変えることは容易ではなかった。
入ってくる風が心地良く、とくに北側の部屋は涼し
果的には、結構楽しかったという印象がある。このよ
を振り回すように渦巻くのを見ながら、あれが家を
うな、家の維持管理のための労働への参加の故であろ
は、堤防より高い台地にあるということであろう。
守ってくれている姿かと思ったものだ。洪水に対して
かった。北側の屋根が大きいせいもあった。風のない
で安定した感触、回宣や床の感触、障子の和紙の白くて
うか、私はひとしお、木の柱、とくに大黒柱の滑らか
はの明るい感じなどが、何とも吾一口えず好きである。朝、
それでも暑くて、クマゼミやアブラゼミの鳴き声が耳
も聾せんばかりのときは、もう、近くの川へ泳ぎに
ときは、庭の木陰に蓮を敷いて杭を運び出せばよい。
ノ打ったり、問つ予網を持って魚取りである。帰ったあと
の透かし彫りの風景なども、快いものであった。
心地よく限ざめたときの天井板の柾目や欄間の松並木
高品質の木の良さは、飽きがこないばかりか、語り
築の基本条件のひとつであろう。少なくとも、私ども
くとして、子孫のために、良い地繋を選ぶことは、建
必ず襲ってくる。子孫のために美悶を買うのはともか
はほとんどないが、公的にも留意すべきことではある。
今日、家を建てるときに、こういう選地をする余地
の暑さはやわらいだ。
昼寝をすれば最高である。一一一時を過ぎれば、たいてい
かけてくるようなところがある。成長して家を出ると
どの地域も一 O O年 に 一 回 く ら い の 割 合 で は 、 天 災 は
き、まさか大黒柱というわけにはいかないが、永年こ
は、先祖に感謝している。
木との共寄
子らが次々と遊ぴに来て、共に騒いだ。もちろんこれ
の家で使われてきた、古い坐り机を項戴して来た。今
こういった田舎の暮しは、市内の学友たちにも魅力
は 、 昭 和 一 五 ( 一 九 四O
) 年くらいまでのことである。
も、閉空間の応接間に遣いて、使っているが、この机
夜 な ど 、 雨 戸 を 閉 め き っ た 上 に 、 蚊 帳 の 南 Tで寝なくて
もっとも、すべてが良かったわけではない。熱暑の
雨天をもってきて白穏しをじた。ハエが南天の虫媒の
側のどこからもこの便所の入り口が見えないようにと、
例えば、離れの便所への通路を変えたとき、母屋の縁
木といえば、祖父は生きた樹もうまく使っていた。
町なかでは、関空間でなくてはやっていけないことも、
く、箱型関空間同にも良いところがあること、とくに、
市内の関空間の良さ
ではあるまいか。
けでなく、時間をもとりこんで生きているように思え
はならない。扇風機はなく、古い蚊帳は木綿で暑苦し
役割をして実が多くつくようでもある。四季の美しい
的だったに違いない。商庖の子、お屋敷の子、洋館の
やがて、戦争が激化し、それどころではなくなってし
ヰ品っ h。
の前に坐ると落ち着く。
こうみてくると、この住居は、自然とともに在るだ
手入れ巳よって共巳生きる││住人と家との受流
かった。さらに言えば、遊びたい盛りの私にとって、
花をつける樹にまじって、ニワトコなど、漢方薬の利
の花を、花瓶に活けるだけでなく、仏壇に供、えるのを
尿剤になるような木も植えていた。母も庭の四季折々
したこともあった。だいいち、コンクリート製の小学
小学校時代に、市内の友人の家に遊ぴに行って、痛感
もっとも、この家のような傘型開放空間のみではな
てくる。住居とは、こういうものでなければならぬの
とんど毎日の玄関の掃除、はたきによる障子のほこり
家の管理のために働かされるのも楽ではなかった。ほ
井戸の水汲み、かまどの燃料の誌巡ぴ、ときには数キ
落とし、そして縁側と板の問、ときに畳の雑巾がけ、
地震でもぴくともしなかった。台風のとき、わが家が、
校の建物は安定感、安心感があった。事実、台風でも、
木といえば、もうひとつ。この話を向くと、韮山の
玄関ににわかづくりのかんぬきを取り付けたり、板戸
日常としている。
江 川 太 郎 左 衛 門 の 七O O年 以 上 に 及 ん で 健 在 と 聞 い た
を杉板やたる木で押えて釘ぶつけにしたり、大騒ぎせ
ロ陥れた符内地の松林へ火つけ川の枯れた松葉や枯れ
祖父の田の草とりや、農作業の手伝いもさせられた。
家を思うのであるが、祖父は、この家は地震にも台風
校集めに、リヤカーをひいて母と行った。さらには、
大掃除の畳あげと、障子のはり替えは大仕事だった。
く感心もした。暖炉のある部屋は、同じ火を使っても、
だった。ガス、水道、冷蔵庫などの便利さには、いた
ねばならぬことと思いあわせると、うそのように静か
もどったが、やがて本当に家を隣れて独立した。
った。住み心地が惑かったのである。結局私は町内原に
と布団を持ちこんで独立した。しかし長続きはしなか
火鉢はすべて廃止した。
これらの幾つかは、実はかかりつけの名医師との相
⑧両親の寝{ゑに低いベッドを入れた。
続け、やがて弟がここで世帯をもつようになるが、戦
であった。
たきり老人にはなりません﹂という示唆に従ったもの
にだけは自分の足で歩いてゆきなさい。ぞうすれば寝
談で行なわれた。それは、﹁病んでも、食堂とトイレ
時中の爆風でいたんだこの家を特大級の伊勢湾台風が
何度か大病を怠って入退院を繰り返しながら、白下
その後も、祖父母と両親と二人の弟たち六人が住み
変 化 巳 応 じ て 改 造 ili可 変 空 間 の 立 証
けて置けない、書棚の床もとくに丈夫につくってある
のところは、常くほどうまくいっている。併せて、驚
に見えた。ピアノに主つては、和風の部屋では床が抜
わが家のかまどの空間とは大違いで、開明るくスマート
と一高われて、そういうものかと思いもした。
瓦がずれて、さすがのこの家も、畑作入の中まで悶が
直撃し、風に乗って来た丸太棒が雨戸に突きささり、
屋根にひっかかった焼夷弾を手製の縄火消しで叩き落
なの制止をふりきって、防空壕に入らず家を見守り、
ある辺りは焼失をまぬがれた。祖父は、空襲中もみん
だ。爆持で校舎の墜にも大穴があいた。幸い私の家の
炉の煙突の行列に変り、何人もの友人や親兄弟が死ん
やがて学区の家々はあらかた焼け、洋式の家並みは暖
改造点を列挙してみると、次のようになる。
合のよいような改造が、この頃から順次進められた。
の多くなった第二世代の両親と、第三世代の生活に都
祖父母が逝って農業をする人もいなくなり、病むこと
アトリエに使うのに好都合だったという理由もあった。
仏関を除く二つの部屋を板の間に変えた。これは弟が
入って水ぴたしになった。ついに永年の同貨を棄てて、
になくすことである。これは、ちょっとした段差で、
の手すりをとりつけることと、床の高低部分を全商的
次の改造は、この住居の中の要所要所にたてとよこ
の木が意外に丈夫なものであることを実感している。
うことである。鉄製品の腐食にくらべ、ふつうの住宅
間が、十二分に可変性をもち、改造に耐えているとい
く べ き こ と は 、 こ の 築 七O年 の 、 か な り 傷 ん だ 開 放 空
昭和二ハ(一九回二年、戦争は、さらに拡大され、
﹁作畠﹂への福父の執愈
し、﹁くそ、俺の建てた家を焼かれてたまるか﹂と
は余程しっかりしている。
に対する防止策である。足の衰えに比べると子の方
討
M を痛めて数日間ひとりで立てなくなってしまうこと
つま先がひっかかって転び、いったん転ぶと、筋肉や
みが可能になったので)。
土問とかまどの部屋に木の床を張った。
新しいものである限り、紙の微細なすき間に渦巻く空
とは、使ってみるまでわからなかった。持子の和紙が
ヒートポンプ式暖房装置が際子の部屋に有効である
トイレを母屋続きの場所に新設、さらに家の中に
る。ということは、これまで以上にまめに張り替、える
必要があるということであるが。繰り返して言えば、
気は、予想以上に高い保温機能をもっているようであ
古典的な和風開放空間が、現代機器の助けで、さほど
も坐式のものを新設した(下水道が完備したので。
い金属性のものにとりか、えた。
重い、傷んだ木製の雨戸とすり減った敷居を、軽
の大工事をほどこすこともなく、老人向けに改造でき
よい開放空間としてだけでなく、構造的にはほぼその
るということである。一言い換えれば、間関汝空間を心地
年老いた両親の寝室にヒ!トポンプ式の暖冷房装
ままで、現代的関空間としても使えるということであ
を置いた。
霞 を 入 れ 、 応 接 用6畳間に電気カーペットを入れ、
3畳 の 板 の 聞 に 電 気 ご た つ 、 続 い て ガ ス ス ト ー ブ
位置は北側廊下の西の端)。
されたので)。
井戸を廃し水道をひいた(水道管が家の部に敷設
風呂もガス式にした(ガスの配管がなされ、引込
①かまどを撤去し、都市ガスム口を震いた。
けの執念のようなものを感じた。戦後、天井裏から、
叩が
言ったと伝、えられている。自分の﹁作品﹂を守る A
が終ったとき、瓦は何か所も割れ、柱はずれ、あちら
高射砲弾の破片らしいものが幾つも見つかった。戦争
こちら傷んではいたが、家は建っていた。
欲しくなった関空間
ところで、戦後、再ぴこの家から旧制のす同校に通う
ようになった私は、これまで親しんで来た開放空間が
嫌になり、というより、家族と顔を合わせるのがうっ
とうしくなり、完全な個室が欲しくなった。誰にも煩
わされることのない読書三味の生活がしたかった。し
かし家を出るだけの金はない。このとき限に入ったの
が、庭の隅にあったこ坪ばかりの丸太と杉板の小屋で
あった。屋根はトタンであったがまだ使えた。これに、
窓と仰をつけて風が通るように自分で改造して、本箱
②
④③
⑤
⑥
⑦
士口い家が叶、えてくれるのである。
もそうはいかないが、その本音を、かなりの程度この
ある。できるだけ他人の世話になりたくないと思って
これは、老いてゆくものにとってありがたいことで
おくことは無理なことであった。
あった。工場地帯に隣接した町中で、家を開け放して
ブがあり、そして売り出して間もなくのクーラーも
もそうだつた。彼女の住居には、早くから石炭ストー
ら暮らしてきたのである。それは引き揚げ後の東京で
嫌いというわけではないが、とくに犬を家の中で飼う
の違いの大きさにショックを受けた。私も、犬、猫が
暮らすことを本音としていることを知ったときは、そ
とし、妻が、土など要らぬ関空間に、犬、猫も含めて
して、私が、土をも含む開放空間に暮らすことを本音
ことには大きな抵抗感があった。異文化ショックと一宮問
く寝苦しく、冬は寒くてとても耐えられるものでな
ては、名古屋郊外の在来開放型住居ときたら、夏は暑
鮮北部、そして北海道で少女時代を送った彼女にとっ
た。無理もない。東京市内で生まれ、中国東北部、朝
るまで、本音としてこの在来開放型住居が嫌いであっ
ところで実は、私の妻は、このような改造がなされ
くる青大将に何度も出会いもした(ひととき、敷地内
ていたし、ニワトリの卯を飲みこんで頭の上に落ちて
大将の死闘を、何時間も、それこそ息を殺して見入っ
の日の私は、ボケのしげみで始まったヒキガエルと青
の庭には、カエルもへビもいた。トカゲもいた。少年
草花が嫌いなわけではない。ところが、私の件の実家
んど卒倒した。性にあわぬのである。もちろん、緑や
目、草いきれだけでかぶれ、カエルを見ただけでほと
人差がないが、それが機能する数となると、幼児期の
ん久野寧氏)忘れたが、人間の汗腺の数はほとんど個
感覚的なものと怠われる。誰の論著であったか(たぶ
である。それは、知的なものというより生理的なもの、
後に至るまで、かなり大きな影響を与えるもののよう
験は、いわゆる﹁おふくろの味噌汁の味﹂と同じで、
えるかもしれない。
かった。中国も朝鮮も北海道も、夏はさわやかで熱帯
のは機能する汗腺数が多く、寒いところで生まれたも
環境に左右される、つまり、暑いところで生まれたも
もうひとつ、妻の嫌いなものがあった。彼女は、夏
夜の経験はなく、冬は、戸外の寒さはきびしくても、
へビ、あるいは天井裂をへビに追われて走りまわる家
にニワトリが数百羽飼われていた)。私とてカエルや
ルがあった。彼女は、オンドルこそ最高の暖房装霞で
での住居は、箱型の閉空間であった。朝鮮ではオンド
襲うイタチあるいは家の中まで上がりこんではいまわ
ネズミが好きだったわけではないし、深夜ニワトリを
生まれた川へ帰ってくるのも、稚魚の時期にその川の
のはそれが少ないと開いた。サケが、大洋を回遊後、
矛盾はなかったのか?それがほとんどなかった。キ
た住居とは、いったいどのようなものだったのだろう。
そうとは知らずに結ぼれて、最初に暮らすことになっ
では、閉山玄関志向の妻と開放空間志向の私の二人が、
公園の中の2K、 最 初 は 天 圏
圏昭和認年築東京都住宅公社
2 Kの住み心地
﹀}田U
、つ。
おそらく幼少期の住体験の違いによるものではないか
私と妻の住居に対する本音の違いの主たる原因は、
水の微妙な匂いの特長を記憶するからだとされる。
実際には程度の遠いだけであるが、 結 婚 後 し ば ら く
る大ムカデや鬼グモには閉口した。
箱に出窓をつけたような、北の国の閉空間に、幼時か
あると今でも一一一口う。私もそう思う。妻は、援の多い、
どうも幼児期から少年少女期の住生活にまつわる体
これは、私自身も冬の北海道に行って実感した。そこ
室内はシャツ一枚で過ごせる温かさであったという。
護と私の本音の衝突と和解 1 1ーその原因と所在
る
いにも二人とも満足できる快適な住居が得られたので
私にとっては、開放空間同であり、棄にとっては、関空
に本を取りに行って犬にほえられたり、家、去に文句を
ない、この本がないということになって、借りた部屋
一一一一同われたり、その問に、考えていた内容は雲数霧消!
間であった。地の利からいって、一界を閉めれば空中の
妻はさらにお勝手の狭さ、畑作品人の狭さに悩んだ。し
関空間である。気密性も、トイレの音やドアを閉める
かし、良かったことのなかで最高のものは、住民が良
四 階 建 て の 四 階2 Kの 住 居 で あ っ た ( 開12) 。 昭 和
音の他は、まことによい。もちろん猫、犬は飼えな
ある。それは、抽選で当たった東京都住宅公社の鉄筋
かったが、ある日気がついてみたらハトがベランダの
J
溺のキャベツ畑、
で、南側は数十メートル彼方まで
三二(一九五七)年のことである。新築されたばかり
のが不思議だと棄が飽きもせず眺めていた。考えてみ
ひながかえって親の口の中に普をつっこんで乳を飲む
が空くことは少なかった。私たちは、頭数がふえた家
社と交渉もしたが、それは希望者が多過ぎ、広い住居
しでも広い往属が空いたとき移してもらいたいと、公
部患の狭さの悩みは、私たちだけではなかった。少
い人たちで、親しく助け合、える人がおおぜいできたこ
ようであった。場所は世田谷区祖師谷。環境は良いし、
ると、私たちも、ハトと陪じような高原の岩場に住ん
とであった。
交通の便利は良いし、何しろ安い。今でこそ、 2 Kな
でいたようなものである。当時の私たちには、高過ぎ
族を入れるための、もっと広い公営住居(団地)を
の巣である。近所の工事現場から運んだものらしい。
んて狭いの、押入が少ないのって一吉田われるのだが(私
もっと多くつくってほしいと、政府や都に陳情もした。
物援の上に巣ごもりをしていた。何と金属のハリガネ
たちも後で一吉田うようになる)、当時の私にしてみれば、
ず、低過ぎず(一階に住んだ人は、押入の結露に悩ま
が、容易にはふえなかった。私は、当時にあって、 2
の樹などが植、えられていて、まるで公閣の中の鴎地の
こんなにありがたいことはなかった。なにしろ、当時
された)、管理は楽で、家賃は安く、今でも私はこう
Kや2DKじ た い が 惑 い の で は な く 、 建 設 行 政 が 、 次
北側は、広い敷地にケヤキだのサクラだのヒマラヤ杉
までに都内を転々と下街し、都内の勤務先に近いとこ
いうところに住みたいと思っている。
進まなかったことを心から残念に思う。
へのステップとして、より広い公営住居の大量建設に
もっと広さを!上さ人巴埋って
しかし、何年かたって、子供が一人生まれ、もう一
ろは、値段の高い越関空間で、多少とも繰の多いとこ
人生まれ、成長してゆき、裁も米て暮し、相変らず客
ろは、遠くて高い。もう東京の関空間にはうんざりし
ていたところであった。クーラーの嫌いな(当時のは
諦めてこの団地を去る人がふえていった。せっかく
人も訪れて泊まってゆくとなると、この快適な空間の
でき始めた新しい村がこわれ、親しくしてきた人が
とって、この鉄筋四階は、夏はきわやかな風が通って
次々に去り始めた。
性能も悪く、値段も高く、体にも良くなかった)私に
の増加であった。最初は一面に収まっていたものが二
一時避難
様相は変わってきた。居住性を悪くしたのは、私の本
面になり、三商(?)になり、事官は遂に﹁いつから古
が住んでいる母の家を暫く貸してあげよう。暫くマン
スト!ブで十分温かかった。家のゆに風呂があるとい
本農を始める気か﹂と怒りだす始末。といって彼女の
ションに住むから、ときわれて、妻は一もこもなく賛
快適、冬も照れば南の部屋は温室同然、冷えてもガス
うのも快適だった。二部が畳敷きで、壁ぎわに本棚が
本だって増えているのだ。こうなると東西が壁で、南
(
1
1
日
干1
1
3
2年築)
した。やっぱり真のそれは、大地に直接つながってい
の 先 が こ わ か っ た 。 昭 和 四 五 ( 一 九 七O
) 年の初め、
成した。私は、本音としては、移りたくなかった。そ
家は惑くなかった。南斜面の日当たりの良い土地に、
た。問地の 2 Kに は 一 三 年 間 い た こ と に な る 。 横 浜 の
通勤に一時間半かかる(などと一吉田つてはいられないの
そこで、どうしたか。近くに一部屋を借りて本を移
だが)横浜の山の上の一戸建て庭つきの家に引っ越し
した。しかし、これは不便だった。真夜中(でないと、
関 空 間 と 開 放 空 間 を 組 み 合 わ せ た4DKで、妻と母と
なくてはならないと、今さらのように空をにらんだ。
子供が起きている聞は仕事ができない)に、あの本が
本は捨てられない。
真の開放空間ではなく、見せかけのそれであると実感
見かねた妻の姉夫婦(子供がない)から、自分たち
安心して置けるよう、一郎一尺ばかりの板敷があるのも
北が巌で、拡げようがなく、このとき改めて、ここは
呂
風
流し
ガス台
四崎
良かった。妻にとっても、当初は喜んでいた。ここは、
思 -2 東京都住宅公社
1
く
祖師谷団地の 2
占領した。妻は、念願の犬を二匹も飼った。しかし、
私たち五人が住み、私は、書斎兼書庫として応接間を
階の旧日の部屋に掘ごたつを用意したが、それを使う
の部屋が、応接関兼居間である。最初は、その奥の一
つめられたみじめな思いは、今も忘れられない。周囲
始まった。今度は、白人家族である。あのときの追い
凹室が四人の偶室として使われることになってしまっ
せいでもあったが、結局は、この食堂兼居間以外は、
子でくつろいだ。子供たちが個室を欲しがった年齢の
いたせいかもしれないが、家族も客も、テーブルと椅
ような機会は来なかった。応接間兼底間にテレビを援
の践は﹁男たるもの、家一軒を建てるは当然の仕事﹂
﹁暫く﹂はすぐ経ってしまった。また家探しの苦難が
という。貧乏学徒には無理な注文であった。これこそ、
た。子供たちは、自分の部屋に施錠したがった。しか
くも集まって話し合える場所を確保したかったためで
た。ややもすれば個室にこもりがちな家族が、ともか
あったが、テレビは食堂兼居間に一台しか置かなかっ
し、それは許さなかった。テレビのチャンネル争いは
建前の最たるものであった。
団2 ×4 工法
閉鎖型住居の住み心地
ある。しかし電話の争いは容易に解決できなかった。
解決策として入れた割り込み式親子電話(キャッチ
13のよう
ホi ン ) は か え っ て 家 族 聞 の 争 い や 先 方 に 対 す る 失 礼
い
ヲ
令
。
わけではないが、猫の効用の大きいことには感心して
皆
昭和五O ( 一 九 七 五 ) 年 、 結 果 と し て 関
になって大工さんに注文を出して作ってもらった、い
な家に住むことになった。外観も間取りも、棄が中心
接客空間は、個室的電話{主として使われることが多く
の度合いを深めた。考慮の末、電話をもう一本ひいて
なった。現実の往来でなく、電話線を通じて、実に多
連動させることで争いは激減した。かつての対外的な
4工法にした理由は、安いからということに尽きる。
毎日めまくるしく、きしみがちな生活の中で、興味
当時流行し始めた時期で、この家はモデル住宅という
地代も、今に比べればはるかに安くでき上がった。し
は槌分と丁寧につくって下さったのにかかわらず、設
かしそれでも私たちにとっては、大きな借金を背負い
私 の2×4 工 法 住 宅 の 欠 階
計上の問問阿恐から、というより、当方の無理な要望から
あるのはもう一人(?)の家族、猫の役制別である。家
幾つか大きな欠陥があった。そのひとつは、一階の上
族がおのおの勝手に、猫に対して心の憂きをぶつける。
ない本音を、猫に向かって一言う。人に聞こ、えよがしに
こむことになった。でき上がった住宅は、まさに箱に
一言うのではない。仲畑に号一口うのである。その効用の良さ
に設けた一ニ畳分くらいのベランダと二階の壁との接合
と こ ろ で 、 こ の 2 ×4工 法 の 家 で あ る が 、 大 工 さ ん
になっていた。娘は、前の学校に入学を許されて友だ
部分から雨が法み込んで漏れることであった。南から
つまり本音を言うことで、憂さを晴らしている。互い
ちとの再会を喜んだが、今度は息子のほうは友だちと
れは、実感できる不思議な効用である。猫には定席は
を、かつて俳優の赤木春恵が新開に書いていたが、こ
にもし、人間に対して直接言ったら角がたつて仕方の
の別れを悲しんだ。それはともかくとして、この家の
一部にだけガラスの引き戸をつけ、庭に出られるよう
使い方は、次のようなものであった。
吹きつける雨のときはとくにひどく、新築の一階の壁
玄関を入ってすぐの南の庭に面したガラスの引き戸
ない。設けてやってもすぐ変わる。猫はこの家の中で、
窓とドアとをつけた関空間の二階建てで、一階南側の
の人間の本音を聞くのである。私は、猫が好きという
て見取り図案を画いては消し、消しては画いた。 2 ×
n皆
'
l
そのとき相対的にいちばん快適なところに坐って、こ
~-
数の来客と対応し、また訪問もする生活が毎日行なわ
わゆる2 × 4工 法 に よ る 住 居 で あ る 。 妻 は 、 嬉 々 と し
一一" -一ーー}
E
ベランダ
i
れている。
ベランダ
ことで、建築中から見学者が絶えず、建築雑誌にも
(
の
ち
3畳間と
)
合わせて居室とした/
載った。先輩のご浮意と好条件に恵まれ、工事費も土
工法による家
3 2X4
図
と司調べてもらい、天気のよい日にホ!スで水をかけて
や電線のコ lド を 伝 っ て 雨 水 が 流 れ 落 ち た 。 い ろ い ろ
ニの発生はなかった。これまた、青木志郎さんに、
き戸で全面的に開き、北の窓も大きかったせいか、ダ
それも床下はふさがれていた答であったが、南側が引
がら使っていた。例えば障子や襖の張りかえが、戸や
在来工法の家は、日常的に予を入れ、絶、えず更新しな
反省を返られもした。それは、先にも述べたように、
痛い打繋を受けた。数年後、閉めきった風呂場の流し
まるで、それが予言であったかのように、さらに手
至らず修壊されることが多かった。つまり、絶えず点
で嫌なことであったが、故障筒所が発見され、大事に
して便所の汲取りの後始末までがそうであった。商倒
捌けの点検、雨樋の枯葉とり、はては井一戸の修壊、そ
敷居の予入れ、畳の手入れ、雨の臼の家のまわりの水
調べもしたが、どんなしくみで雨が漏るのか、決定的
2 ×4 工法は問題が多いよ﹂と、あっさり一言われて
﹁
に羽アリが数匹いた。やられたと思った。家を建てた
しまった。
ンダをこわして、一一階の部屋を拡げる、つまり普通の
らともかく﹂と笑われてしまった。最終的には、ベラ
とき消毒してあるから凶年くらいは大丈夫だと考えて
日本でフラットな屋娘なんて無理ですよ。アフリカな
なことはわからなかった。清家清さんに﹁雨量の多い
屋根をのせることで解決した。
検 さ れ て い た 。 そ れ に 比 べ て 、 今 の 都 会 の 2 × 4工法
いたのが甘かった。議べてみると、風呂場周辺の根太
の家は、管理に手間がかからぬのはよいが、つい点検
もうひとつの欠陥は、風通しが惑いことである。当
時 す で に 新 開 に も ﹁2 ×4 工法の家は、結露し易い﹂
手間ひまかけることが、家を長持ちさせてきたと言、え
を怠ってしまうということがある。どうも、非近代的な
そうである。そして、強く感じることは、在来工法の
アリに食い荒されていた。どうも、風呂場の床面から
家は、磨けば磨くほど輝きを増した。それだけの良い
も、脱衣場の床板も、そして援の内部も、すっかり白
床下に水が漏れてぬらし続けていたらしい。床板も根
と山山ていたので、南北に風が抜けるようにしてもらっ
太も湿っていた。結局、この風呂場周辺も、築一 O年
たつもりであるが、つくってまもなく⋮階の伎の問に
バッグに白い粉をまぶしたようになった。それが動い
大最のダニが発生した。はじめ、畳の上が黒いハンド
を入れることを極度に嫌ったわけが、今にして、身に
磨き甲斐のない材しか使われていない。子供たちも磨
ン材ややわらかい米松、そしてベニヤ板と、まことに
今の私の 2 × 4工 法 の 家 は 、 す ぐ に 虫 に 食 わ れ る ラ ワ
材が使われていた、ということである。それに比べて、
漆みでわかった。床下は低く時く、点検に入りにくい
こうとしない。
かつて祖父が、家の中に水を使う流しゃ風呂場など
を経ずしてつくり直すことになってしまった。
がて、このダニを食べる動物食ダニが現われるともう
ことも腹立たしかった。修理の大工さんに言わせると、
ていた。しかし、それはまだ植物食ダニであった。や
ていることがわかったとき、妻はショックで呆然とし
だめである。人も刺される。頭の痛くなるほど殺虫剤
これでも高い方で、こういう風呂場の臼アリ被害はざ
らにあると聞き、情けなかった。家をつくった大工さん
いという。確かに今まではそうであった。しかし、や
懸念している不安がある。 2 ×4 工 法 の 家 は 地 震 に 強
さらに、かなり空想的なことではあるが、私がいま
の問をあのいかつい怪獣が平気で出たり入ったりして
をまいても、顕微鏡のレンズで覗いてみると、山口の目
いた。畳を上げて陽に干して、消毒してもだめ。長に
も、私も和風が好きなんだけれど、 2 ×4 工法は安い
の家は、木組みというものがまるっきりない。ものす
のではないかと不安である。というのは、 2 ×4工 法
がてある日あるとき、家がバラバラに解体してしまう
理な注文をし、忙しさにかまけて日頃の手入れ・点検
からね。と一言っていたのを噛みしめた次第である。無
を怠った自分自身が悪いにきまっているが、やはり、
やく解決できたが、翌年また現われた。藁が惑かった
という話も開いたが、仰といっても、風通しの惑いこ
注射器のようなもので強力な殺虫剤を注入して、よう
とが最大の理由であろう。なにしろ、在来工法の和風
いにさぴて腐る。私が自分でつくった犬小屋はもちろ
打ちこんだところで、鉄釘は、条件如何では、いっせ
ごい数の釘を打ちつけて、極端に言えば釘だけで家が
在 来 工 法 の 大 き な 家 が 、 築 七O年 を 経 て な お 、 基 本
務状につくられている。しかし、いかにたくさんの数
的なところの傷みがなく、ますます磨きがかかるのと
んのこと、和釘を打ちつけた小さな洞でさえ、比較的
悶があることは否めまい。
法の家では、田町祉の下には、何枚ものベニヤ板が釘で打
短い期間でばらばらに分解しているのを私は見て来た。
わが国におけるこの種の木造建築物の経験不足にも一
ちつけてあり、田川閤は、ほぽ完全な箱であって、風の
た、ここで、在来工注の家との比較において、大きく
比べると、何たる不経済なことかと思う。しかし、ま
建築では床が高く素通しで、出戸且の下の板はすき間だら
通りょうがない。これはもうダニ発生装置である。そ
け で 、 風 通 し の 良 い こ と こ の 上 な い 。 そ れ が 2 ×4工
ういえば、昔住んだコンクリートの団地でも畳があり、
戸 d
h
n
u
宅と見、えよう。しかし、私の本音を言えば、甚だ不満
でいる。世の常識から一言えば、最高の条件における住
良い。住み心地もまずまずである。私も建前上は喜ん
んでいる。現代生活の機能性からい、えば在来住宅より
さ て 、 こ の 2 ×4 工 法 の 家 、 妻 も 子 供 た ち も 結 構 喜
いのだ。ずいぶん以前になるがコルビュジエが、集合
本音で好ましいと思うような素敵な材料を使ってみた
い。つまり、外観はともかく、内部は、自分の感触が
ても、それに近い良質の木や和紙を使った内装にした
的に品質の良い材料、たとえばヒノキとまでいかなく
間であって自分の思うようにしたいものである。本格
構造は、建築家にまかせよう。しかし内部は、可変空
観的理由がある、ということである。
後者の良いものは、使って良いものにはそれだけの客
前者の良いものとは、使ってみて良いものの意であり、
んで、形式、つまり建前だけ存在する場ではない。あ
である。なぜ不満なのか。構造に関しては、強いて言
住宅の外はつくるが、内部は各自勝手にするがいいと
内部は自分の希望で間仕切りが自由になる司変的空間
えば開放空間でないということであろうか。しかし、
言ったものを発表していたと思うが、それをさらに一
ほど良さといわれるが、科学・技術のかなり発達した
だから心配なのである。
問題は、そこにはない。都市部で開放空間の家をつく
歩進めた可変的集合住宅に住みたい。かく言うのは、
かにみえる今日でも、赤ちゃんの航者としては、木綿
の世まで、家をもっていけるわけではないのだから。
ろうと思えばよほど広い土地がなくては無理であろう。
目下のところは、ローンの苦痛から逃れたいと思うの
にまさるものはなさそうである。私たちは、天然物よ
であることが撃ましい。外観つまり建物の外部や基本
関空間にも結構ょいところはある。私の本音としての
が大きな浬自であるが、それだけではない。日常、ーナ
り、安くて良いものを大量に作ろうと歴史的に努力し
本音としての不満と望み
不 満 の 最 た る の も の は 、 か よ う な 家 の た め に ロ l ンの
・足・閉山で、茸で感じる生活そのものを大切にしたい。
0
あたりまえのことであるが、
木綿の良さは、肌ざわりの良さ、吸湿性、通風性の
二は木、一ニは和銅である。
良いもの、として三つを挙げてみたい。一は木綿、
﹁貞いものは良い﹂
直良いものには然るべき理由がある
返済に追われ続けて、文化的に貧しい生活を送らねば
人間、せっかくこの世に生きてきて、しばらく生きて、
では、これまで幾つかの住居を経験して来て、どの
ならなかったことである。
てきた。その結果として、絹に代るナイロンが合成さ
部分的には絹よりすぐれているが、しかし、ナイロン
れ、今日日常化している。確かに安くはなり、品質も
人生にとって住民とは、そこで楽しく実生活ので
みたい。
きる、つまり本音で生きる場であって、ローンに苦し
また去らねばならぬ。やはり、内部の素敵な住居に住
層 の 集 合 住 宅 を 選 ぶ 。 そ れ で は2 Kでも良いのか。い
私は、緑の多い敷地に立つ、家賃の安い、公営、中
ような家に住みたいと、本音は言、つのか。
や 、 広 さ と し て は4LDK分くらいは欲しい。そして、
い。体に者た感触は、天地の遠いがある。まして、木
といえどもすべての点で絹にまさっているわけではな
以上の合成口聞は今のところまだない。木綿の良さの根
綿となると、もう、赤ちゃんの肌にとって天然の木綿
で文字を書き、水彩絵の具で絵をということになると、
拠については、ここでは省略する。ついでながら、塁
和紙以上の紙はない。和紙は丈夫で長もちという点で
も、抜群である。この点でまだ和紙以上の品質をもっ
さて、次は木である。木の良さについては、多くの
安い紙は作られていない。
の似拠を明らかにされた研究に、小原-牟郎氏ネ 2のものが
人が言及しておられるが、その強さに関して木の良さ
0 0年 の 聞 は 、 強 さ や 剛 性 が じ わ じ わ と 増 し て 二 、 三
あ る 。 小 原 氏 は 、 ヒ ノ キ の 柱 は 、 切 ら れ て か ら 二 1三
本刀をつくるときに、何度も折り返して打ち鍛えるこ
自体がきわめて硬いこと、もうひとつは、和銅から日
が問題となる。それは、ひとつには、ウルボスピネル
脆くならないのか。それがならないとなると、なぜか
れが値段などの点で、 外 材 に 押 さ れ て 使 わ れ ぬ と 聞 い
ではない。たとえば、 秋田杉は出血富にあるという。そ
新しいものでも、良いものは取り込んで使いこなせ
ナム
、
目
。
る。その下りカl ブ の と こ ろ に 法 隆 寺 の 柱 が 位 置 し て
割も上昇し、その時期を過ぎて後、ゆるやかに下降す
万)枚の超小川銅山似の合体物となる。百錬の刀に来って
ωo
は♂(約一・⋮一一×叩山)枚の合体物になる。鋼の微粒子
かを歴史的に辿りながら、自分にとって住居とは何で
私は、この小論で、自分が住んだ住居のうちの幾っ
一般庶民の住居に関する限り、﹁良いもの﹂というよ
の列山中に、硬いウルボスピネルが、二足の間舗を叩泣いて
あったかを考、えつつ、私の本音を実感的に述べてみた。
ばよい。日本人は、長い間そうして来た。しかし今日、
状のセルロース分子である。セルロース分子には、結
まるでクサどのように打ちこまれる構造を持つ。これ
どうも日本という国は、戦後、
一五凶折り返して打ち鍛えれば、一本の鋼は F (約一二
晶領域と非結日閉鎖域があるが、木が切られて死に、古
は、万を脆くするどころか、切れ味をよくする。日本
とがプラスに働いているらしいことである。つまり、
くなってゆくにつれて、その結晶化部分がふえていく。
万という人を殺す武器で論じるのは、あまり好みに合
いて、新しい柱とほぼ同じくらいの強さになっている、
それとともに木の材質は硬くなってゆく。その一方で、
もしれないが、住文化の面では、外観はともかくも、
といい、その理由を次のように説明する。木材の強さ
古くなるにつれてセルロース分子の糸が切れてゆく。
ても、よく切れるものは、何度も折り返してあるに違
わないが、これがのみとなれば話は違う。のみについ
4平井
7八二四頁)
五三年一 O月)、二頁)
て﹂(﹁風俗﹂第一六巻、第一一一、四回す(昭和
要﹁一つの仮設 iii
日本住居の開放性をめぐっ
五年)、一八一八1
す﹂(﹁鉄と鋼︺第七一年第一五号(一九八
I米暁惜一宮﹁中国の住居がザ初なら、日本の住居は傘・::・
中国から見た日本の住まい﹂(﹁すまいろ
ん}一九八九年冬号、五八百()
2小限二郎﹃日本人と木の文化﹄朝日新聞社、一九八郎年
刊、⋮七五一良
3高橋一恒夫村上雄、岡田千里、藤井別久﹁臼本刀を見直
︿引用文献﹀
F
へどうけ・たつまさ / J
茨城大中人文山戸郎教授、い米白川小]業大竹下名山ヰパ帖科目一日・科山下技術山と
住みたいものである。
容をもった近代的住民を自分の子でつくって、そこに
ある。今度生まれ直しできたら、もっと高度な文化的内
GNPは高くなったか
汰されるであろうが、淋しい限りである。
り﹁安かろう悪かろう﹂が横行している。いずれは淘
つまり、強くなる剖子と弱くなる因子の両方が問時に
を支配する最大の組成分は、細胞膜を構成する長い糸
進行し、二一一O O年くらい経ったときのヒノキの強さは、
と結論せざるを得ない。こと、私に関する限りそうで
内部については、むしろ甚だ貧しくなっていっている
おわりに
いないと思う。
結巣として、生きているときと同じくらいの強さにな
る、と。なるほど、この話を読んで私は、ひどく感心した。
さて、次は和銅であるが、和銅でつくったのみやナ
イフの切れ味はすこぶる良い。切れ味が鈍れば、研ぐ
みたい、住居にこういうものを使いたいと思うものが
日本の住文化の歴史的遺産には、こういう住居に住
多々ある。それは、この風土の中で、長年月の問に、
ことで復活する。まさに、和銅がなくなるまで切れ味
を保つ、なぜ、そんなに切れるのか、いっぱんには、
も、まさに平井出訴さんが一言われるように、日本住宅の
銀の純度が高いからだと考えられがちである。しかし、
開放性は、﹁木造であることが原阪でも、木の柱と染
磨きあげて米たものである。同開放笠間ひとつについて
来たが、たまたま、文化庁から名刀といわれている日
住む人と建築家と物自体とが一体となって制りあげ、
本刀の務査を依頼され、研究メンバ!のお一人で、金
の構造が原則削でもなく﹂、﹁日本の風土と日本人の風俗
どうも、そういうことではなさそうである。私たちの
属学を専攻しておられる高橋恒夫氏(東京工大名誉教
研究グループは、ここしばらく和鋸の研究を行なって
授)が、これを実行された結果、おもしろいことが分
しかし、世の中は非情である。生産方式の変化、そ
.習慣によるということができよう﹂;というもので
多かったのである;。混じりものの主なものは、鉄浮中
して経済的問題などが、このような良い文化的遺産を
あろう。
のウルボスピネル(出回目。品)と考えられる。チタンと
使わせてくれなくなった。けっして良い材がないわけ
かった。大方の予想に反し、名刀には、混じりものが
鉄と酸素の化合物である。こんなものが混じっていて
寸 l鯵
園章一日室だより
関書室と著作権法
植松貞夫
関闘はじめに
ピ ュ ー タ プ ロ グ ラ ム の 問 題 で 六C年 に 、 デ ー タ ベ ー ス の
レコードレンタル応の出現に伴う問題で五九年に、コン
者の求めに応じて、その図書館の所蔵する資料であれば
第二は、図書館における複製である。図書館では利用
だけコピーして提供しても良いことになっている。この
著作物の一部分を図書館長が篠山与して、一人につき一部
⋮部分とは、刑判夜の解釈では図書の場合には全体の二分
著作権法にいう著作物とは、小説、論文など図書形態
問題で六一年にと、しばしば改正が加えられている。
のものだけでなく、講演その他の一一一一口語著作物(火学での
つまり、臨書館から借りだしてしまえば、他人的使用
の一まで、雑汀一仙の州場合には一論文ごととされている。
に限って、全文を複写してもよいが、凶書館で複写を依
建築物そのもの、映幽(ビデオを含む)、コンピュータプ
講義も含まれる)、音楽、演劇、絵画、彫刻、建築図説と
ログラムなどである。若干例外はあるが、これらを自分
著作物に自分の氏名ないしペンネームをつけて発表する
とで好ましくないとされている。このように若作権法で
によって館内の本が無制波に複写されてしまうというこ
閥会館で行なわれているコイン式複写機の設誼も、それ
頼するときには全文の複写は許されない。また、多くの
権利、勝手な改変を許さない向一位保持の権利、液製物
箸作権法により保護される権利として代表的なものは、
の名前で発表した人が著作半切である。
をつくることを専有できる複製権などである。つまり法制
r病する点が少なくない。
いたり、著作権法の内容じたいJ
適法ではないとされているね為が、﹂く善治一に行なわれて
れない一一一日菜と共に、著作権法が新聞紙上などで取り上げ
た著者の死後五十年間、団体名義の表作物の場合には公
ら著作者の死後五十年間、北(作者の場合には最後に死亡し
著作権の保護期間は、原則として著作物の創作の持か
及 し て お り 、 コ ピi公 害 な る 気 楽 ま で で き て い る 。 大 学
現夜、凶中一日や雑誌を複写できる自動複写機が広範に普
圏複写権センター
るのが実状である。
急速に進展するコピーす︿化に法の方が追いつけないでい
作者に無断でゼロックスなどで凶舎を大量に複製するこ
られることが多くなった。著作権法は著作者の利益を保
とは許されない。
護することを立法の目的としている。議作者の利誌とは、
表一後五十年間となっている。
近年、知的所有権とか複写権センターなどという耳償
凶舎がたくさん売れたり、利用されるに当たって相応の
収入が確保されることに集約されよう。そのため、著作
しかし、前述の計作権には‘定の制限がはめられてい
そのためもともと販売部数の少なかった学術図書、学術
遠山孔コピiすることで済ますことが多く行なわれている。
などでも凶弐室で一附だけ叫納入して、品問が必姿な部分を
て、山間制点にも符作かれの権利の及ばない純附があると定め
闇著作権法の制限
多く人びとに白出に利用していただこうという図書館と
られている。
物(図書だけではない)の代表である閲書をできるだけ
は、利害が対立する点が少なくない。また、本誌の読者
的に利閉する臼的であれば、利郎する人が白山聞に波町与し
枚数は会凶で⋮閲億枚、それにより売れるべくして売れ
ことが懸念されている。ある翻交によれば年間のコピー
り立たなくなり研究成果の発表の機会が狭められている
雑誌はますます売れなくなってしまっていて、出版が成
ても良いということである。他人か八ムト下山したん岬'えをコヒ
心になって、文化庁の後採により、本年小に発足, 定
r
そこで、学会など研究者の同体と出版社の凶体とが中
ていヲ心。
な か っ た 凶 設 や 雑 誌 の 被 害 総 領 は 四 九O 億河と惜叫ん尽され
ないので、複写に際して著作者の許諾を必姿とする。
のコピーを資料として配布するのは、倒人的な利郎では
計可を符る必一裂はない。しかし、会社内の研究会で論文
して例入の研究資料として利川する分には、片付けれに
その第一は、家庭内など限られた批判断内でまったく私
の多くは研究者として研究論文などの著作者であり、か
っ研究所図書室の利用者であるから、著作権法の雨側に
立つ人びとであるとい、える。
そこで、著作権法と本研究所凶書室ということで昨今
の話題をまとめておきたい。
圏著作権法
現行の者作後法は昭和四五年に州制定された。その後、
である。日本建築学会もその上部組織である日本工学会
であるのが、混作権の集小処理機構︿複写彬センター﹀
の研究所の凶書館などに限られている。本研究所のよう
いというわけではなく、公共凶書館や大学図書館、凶立
る と し た が 、 ど の 凶 弐 館 で も 複 写 サi ビ ス を 提 供 し て 良
問題はないと解釈できる。
れ、使別後寄贈されたものである。これは著作権法上の
このセンターの仕総みは、企業などが例えば建築学会
会附日開閉会家など全凶でもわずか間十館程度にすぎず、
ないことになっている。その認定図書館は現在、土木学
な同体の図書館は文化庁長官の認定を受けなければなら
く予定である。
を伝える映像資料も、ビデオテープを中心に収集してい
きたが、本図書室では今後、各同協の奔しぶりや住宅内部
以上、図書を中心に著作権法と限弐館について記して
を通してこれに参加の予定である。
論文相株会集を年間川どれくらいコピーするかを誠べ、その
N H Kな ど の 放 送 番 組 を そ の ま ま ダ ビ ン
るというものである。
枚数に応じて者作機削刊を徴収し、それを者作者に還元す
いないので、箸作権処理のなされているものを中心に収
集することとなろう。とはいってもその数は限られてお
には、十位接海外に誠交に行かれた方が撮影されたものや
り、内務も一般向けのものが多い。この種の資料の充実
各国の研究者との交流により入手できたものを、ご寄贈
したがって厳密にい、えば、凶議室の資料を後写したい
後写の叶訂される第一の条件即ちまったく俗人的な目的で
利用者は、貸出手続きを経て図書案外に持出し、そこで
いと考、子句れる。
グして凶書室の資料とすることは、著作権法で卦刑されて
本斎楽著作権協会というのが以前からある。飲食応なと
でどの山がどのくらいの回数かけられるかを調査し、相
どのように誠育+し、との程度の綴とするのか、徴収し
小 ~HII 了(ノ U;fi 史研究所長)
ご協力をお願いしたい。
4IH
すまいろん綴築部﹁ひろば﹂係
財団法人住宅総合研究財団
一T156東京都世田谷区制問機4丁目勾1 8
︿宛て先﹀
だく場合もありますので、ご諒承下さい。
内容を修っけない範囲で一部手直しさせていた
住所、氏名、年齢、毅畿を御記入下さい。なお、
原稿用紙(四O O字詰)三枚程度。原稿には
(採用文については薄謝進呈)。
ま方の忌憾のないご投稿をお待ちしております
られることまで、研究者・実務者から市民の皆さ
﹁住﹂に関する提案から日頃お感じになってお
ご投稿をお待ちしております。
*
鋭的抑制大川'子助教授)
プロジェクタ!とを倣える子定にしている。
ことがあるので、いずれの万式にも対応できるテレピと
いただくことが欠かせない。同により鉢州方式の山川(なる
j
l
i(¥:fとにおける i
i
:
'
"
i
'
:
ソU
HNtj
立の変化と今後
松村 f
.
j 守(東京 kI
主
i
i
f
長.,;::科講師)
問料悼の組織には、音楽の者作権を集中的に処刑叫する日
日本建築学会図書室も認定されていない。本研究所図書
寄稿
家がその認定を得るのは、公開性の点などから初当鎖し
上i
i
l
i
f
[
J
)
J
&
l
i
:I
ニI
!
l
J<
の複写を行なっていただくことになろう。
i
:
'
:
iJ
lI
光M
i (京行I
1
大'宇佐築利 D
J
J予)
(うえまつ・さだお/閃計約報委れ・凶
j
i
l
l
1
>
<
1
;t:~ ~主だより、ひろば、他
なお本関書家では、中白書などで高額でありかつ入手が
小F.材in
l
i (往設すi
往築研究所)
応の綴を徴収している。
jQ家連将(茨城 J
.
'
;
'
,
?人文学部教佼)
困難な図書のいくつかについて、その後製本(全文のコ
t
支
持j
'
,
!
,'
:
$
J
iの視点から
た金綴をどのように還元するのかなど、まだ決定してい
「住文化にみる近代化の足跡」
ピーを製本したもの)を、内剖雄浩一先生から寄贈してい
1
1
*の[
I
没後が 1
1
1界{ニ訴るもの
ない部分が多い。
特集=住文イじにみる近代化の足跡
ただいた。これは内問先生が俗人的な利用問的で複製さ
延!保安弘(熊本大学建築学科 D
J
J教佼)
璽研究所の図書室と著作権
U
'
:
i教 "
j
i
I
I
i
)
r業)(,'/
=
l
l
H属
内1
1
IW械ははく
j
[
長1
)
く!民、紋> 1
1
命保の風'-,とすまい
先に、関全日飴で複写することは者作権法上許されてい
4
本
' H ・インテリアにみる j
互f
¥
:
f
ヒ
斗川付﹁〆
、
吋
頃
h
vト
,
i
1
1
?
1を通してすまいの近代イとを振り返る
勘
、
、
鈴木成文(十I
jl
ij'~Wj 仁科大,、;::教佼)
れけい体時打J
r
μパ
吋
二
日
従業社会のなかのすまい
立
霊
童 3(1
、
I
'
=
J
l
o
J
¥
'
{ (東京 r
業
大
,
、j
シ教佼)
j
会
ド
住宅建築シンポジウム
第 9回
1
0月 1日 発 行
次号予告
↑
/ -、
﹂
引面目
γま面,
ヘ
一
b
h
R
亡
J
u、
、
、
一
11
-、
,
J
ィト ‘
二
L
,¥
‘
γJ
大きなオウチ1 10掴 と 共 有 。の 精 神 が 貫 か れ た ボ ス ト ン の 集 合 住 宅
-
〆
凶
炉
4
旬
、、
,
一
、
、
へ ,-
、
J
、一
.
「
, 、
A
J
4
AT
'
-i
i
t
2T
5
J
pde
,
(!M
、
m
za
J
F
、
F
、
"{
、
、,
fpJ 7 51
pi-
J
、
•
、司
,
、
t
f
d
r
f
-
a
E
7
すまいろん年間予約一購読のお願い
,
,
ω
d
,、
一/山一口有:
一三
ために?
人一 一
JJ
一毎号確巨 人 十 し 十
一
一
.
.
・
﹄
、
人
JG
間
予
約
鱗
読
を
お
す
す
め
い
た
し
ま
す
j ご自宅
-、 、
ι
・
・
〆・
・二 '
0
d
、
ポ ズ 下 々 の 都 市 臣 官 毒 去 多孔はご集叫
存地区であるバック 九べ小、ヒドケンヒル 川一 で
、 ιい
J. 一
γ
れ ぞ れ の 実 存 品 川 な 時 雨 主 義 な も の で 郵 送 制 ? す。
、
、・
口
一
一
'
,
コシ下一
- 住宅、 にLてゆくことがで缶、得るのですん。
÷
ハウ九がその街並みの機吠要素 一、
、二一小ムで苓じ巧います。一ちは、百ウ'
え
ば
M
L
T
ヴ
ァ
γ
、
ハ
l
一 例一
リプルアカ一 二 氷ス}ン近郊には驚 ℃ほどかすかではあ一・﹁すまいろん﹂の底頭販売は左記以外に 、
Jド大学等の に一となってい会す。よニ吃は、トペ
・
史民
一寸上同じ士、っ
チy j
。
りますが し ゃ ?リ 戦 後 の 公 共 住 宅 供 給 の 現 十 お い て 比 行
f
、一 ぁグケムγ d ンちは、 一
十
﹂
ル
ズ
に
ご
り
の
住
居
単
位
が
一
組
と
な
り
ま
せ
ん
念
っ
て
お
,
リ ‘
、
w
ー
J 久、アダ ム
・ハか
ス ・八
共 ほ fyゆュグ寸 ン'
、
航
路
一
程
で
、
古
い
街
並
み
を
散
り
捜
し
ず
へ
住
宅
と
土
一
十
e
V
っ
て
積
層
さ
れ
た
大
き
な
寸
ウ
チ
・
建
築
会
館
資料頒布所 -港区芝5
1 ぉIm
一
、
エ一 ット・
ス
いう名前一台、パトチマウォームのみで結合
一 て必要とされた上記のような芸ざまな豆 一
電話 ( 0 4 4 5 612 0 5 1
ガ治りの、文字通り パ大 き ん 十 て 、 街 区 全 体 が ぶ つ 一つの大きなオウチを,一索、
Jよ ン 予
付
川C
の排除された画 一的な箱の生産に陥ったー 一
・ 南洋全書底 ,千代田 一
位神田 一神保町1 幻
¥一 向、
.
r
) ¥
6 趣主のある寮 J そしぞダ小、凡ヨンド 一 形成してわます。
÷綜0
一
一
電寸詰(ト
一一事例がい(っかありま ザph
昔
'
3
)
2
9
1
1
1
3
3
r
、
'
,
,
一
一 句、守
一
マ
一
一
、、ニプム が宮ち芋ん,
でけ
い,
すす 叫し か し 圧 倒 一 こ の 街 ( 人 ぴ と は ポ ス ト マ の ℃ と き
÷ 、
314 ボストン市当局は、一九八0年代に入イ 一
。
J 一%、、
・
冬
口
す
)
¥
問
購
読
料
(
春
・
夏
・
秋
し
'
h
?
, に多く,
そ不均 一
'
見
、 1作る家々がιリアルデカ1と 一 と 呼 ぴ ま す ) で は 、 人
一
魅
力 似ない住宅のうち い コ 一
一
一 てか
必
の
多
く
が
、
性
環
V
'
円
(送料共) 一
2
0
0
0
一
'
旬〆
、、
‘
f
,
、
i
↑境を常に叶。
の ス ケ ー ル で 考 え て ゆ く 態 一 口 ムピ下ポィγ十
・ペイの設計によ 一イ グル lア予約の場合は次の乙-呼 ばれる集合住宅です。
3
り割引料 ‘一
一 e
、
一
J
ご / 一 喝集 合 住 宅 去 っ 色 、 思 か ん 切 刈 取 ら れ ↑ 度一 そし℃。集合 化た た 企 笠 岡 ( 大
一るケ ネ デ ィ 記 念 図 書 館 長 り に 位 置 し て い 一 金 に い た し そ
一
、
,
u
γ いるだ
す
て
そ
じ
て
ウ
ブ
ロ
ー
ド
ヴ
ェ
イ
、
J
一 い
(
送
料
共
)
一
一た大きな敷地の一中乍隔離されて、 南 一 曲 に 建 一 ォ 匂 迂 下 の生活。を洪有し
や 一 3人 以 上 一 レ 当 り 800円 、
t
i
l
山
ー
1
、
,
い浮かべてしま u
一
1600円 (送料共 )
r 一体なく、んぴ土仁左つ芝、家とい、 7も 泊 に 一 集治住宅の改修に着子し去、
した。構造体は一
一
↓、
てられた板状住宅群法思〆
6人以上
H
今
、
は
木
一そ
壁 面竺パ世帯が居 ↑相応じい或る強風な建築形切イメ ー ジ汐あ ↑ そのまま活かして、‘狭 U住戸ユニ y卜 を 怠 一 加 入 以 上 〆
つよすが 三 革 1400円 ( 送 料 き 一
‘
.
バ
‘
、ります υl家bは、屋根が砕かれ v ベ
一 住すふ止 戸建での賃貸住宅(犬きなホなチ) 一
一
" イトウ -i ざまに組み合わせで広い悶取りに変更し、﹂
,・
一
二
一
,
のであり、窓一 Y
一 なの 亡す。各ユニッkは$ U心Kほどの構 ÷ イツ千ケが付いでいるものかペ
一
フッ 卜Nトフには切妻の 彦根を取り付げ 一'購読申也込み方法
、,
v
、
f
,
キ
そ
仕
上
げ
ら
什
た
一
購
読
申
し
込
み
方
法
は
次
什
何
れ
か
に
よ
っ
て
一
住
主
一
l
て
、
ト
リ
プ
ル
デ
カ
の
単
位
に
分
節
し
、
u '・ ナ 成 で 宮室は八回宜からL G畳の広さ vか あ り 、 プ 枠 扉は十台裂だ一日いぺ:
1
h
キソチク、
機は 二 ものなのであ丘、 とりわけ、 窓は、忠良 -r¥J一間切中に タ
一
一一
には張低限 J冷蔵庫、皿洗 個 。を回復させ、 ‘し少、bJ 大き 一一お願いします。
y
・¥
〆
、
句作てい 、
じ面して、プ 一
ます。一宮崎一
一 備え付け 川
切ふのびな吋ればならないので 一なf 吹チ。の趣きを持失せること により、一
同封の﹁すまいろん﹂購読申込書J振替 一
至。 一
‘
.
、,
,
,
.
fタフィグがルな銭城市 一用紙)そ利用す る
の一
人 一ず h
一
一
。
Vれピ一二ノ
¥ 一 つ mu共用四段が左泊に 官けJ
ン
J
、 家が本来持っていた
,そし点、、ごの住空'間 べ 、
ッ
ク
ス
一
一 口の脇心そ1 ぞ紅 三世帯の井イルボ、
の
執
着
が
、
大
缶
、
な
一
巻
庇
護
す
る機能を四復きをようと努力して十削氏名、年令、住所、加、勤務(所属)先 一
'
、
-一
一一
一
一
一ka
e
dd ¥これ'
でh
このような態度
一b4uJa 山1 フーンがA
xlド ロ 一 、オウ子〆
います。 ‘
から都市の中広まT 行き液型てドる 一、
、
ソ
-
F
0
、,
-
/
後
司
‘
ι
一〆
J
- ,
-
¥'F
T
F
J
τ
1
,
f
τ
r
z
ev
,、,
-
、
F
'r ¥
e
-7
ι
-f i '-
r
ι
、
J
t
A
.
、,
、
、
‘
、、
』
号
¥
、
-
上よ
r
一
d♂
a
d'
fi
, •
ι
j
d
(
、
ι
1
r
大 川 務 超 高層住宅では、耐 震 一生活機式(ソσ卜)一
、
一例 去
をいかに 総合する さ
三 よりも遮音を 優先してスラブを 厚く重ぐ 一が面盲い/
帯、 、 - ¥ 一
のである b
、
,
した ふ いう 。我々の也ン]汁 はやや非常一 一
本号責任編五HV林秀樹山 ¥
'
‘
、
、g
,
,,
,
J
,
、
、
.
、、
,、
、
、
、
t
‘
‘
.
F
、 ,
,
、
m
,
- 、
,
一
、 哩 、 、
一
、
も
ー
、。
、
‘
/
r
、
、
/
← ¥
、,
、
・
‘' ー 、 、
‘ 、
-
r
、
・
ー
“
、
、
・
『恥
、
ー
a
F
、
f
'¥ '
一
、、
.
‘
ー 、
,
.
•,
1
,
、
、
。、
、 ,、
・
.
-.
-
A
日
4
,
-
2
、
e
ヘ
一
作
1
'可
、
d
J
J
司、
A
ハ
、
‘
/
可
、
、
~
.
,
/
-
,
、
、
r
句
』
よ,¥、
ノ
r
t
-,
.
.
〆;
、
¥
,
,
‘
耐
".
ノ
ノ
'
^
,
〆
.
、
、〆
,
、 ー
,
、
、
。¥
士』
.
.
、
,
、,
¥ 岨
〆
、
、'
J
,
、
f
,
、
、
K
f
,,、
、
、
/
、J
、
町.
、
〆 '/、
t
、
‘
、
.
¥
¥
、
、白
,' ー 』
,
,
、
、、 、
1
f
t
、
‘
、,
、
、
a
住宅愛日目財団ん砕
10 か
、
設な計画である o しかし、そ 心には〆 居 一
J-4
給? と 彦
刊
す
い
営
・
夏
号
住
ん
、
﹂
い
一、層 ( 価 格 帯 ) 佐 要求│ 牢面計画ト 構造 一
川一
,
行
ー
昭和二 一
一
一
年、
社
一
時
の
清
水
建
設
水
子
一
、
当
長
、
清
常
九
八
九
年
心
月
一
日
よ,
白
かあり、 払 の鍵 と し 一由
唱が J音の冊題に 興味を也つよ ヴ に必 ーで設 討を総合 ム-た判断 一
、一'
/‘。
一
一 康雄により、 当時の窮迫した住宅閉題を、 一
t
30 ι
つだ
片
山
別
に
、
山
崎
先
生
の
論
一
て
音
ぬ
問
題
が
浮
主
し
で
い
る
の
で
あ
一
の
は
、
五
年
ほ
γ
- 一
・
ぺ
一
、一頒
価 E00円 、
一
、¥
ア住宅の総会的 研究‘お よ ぶ 成 果 の 笠 間
一
一
一、
と
に始まみ 。ぞれ 一 また 、 その一 が で、佐ま 心にかげる音 、一 ー
文(本誌叩頁)を涜た時、
・ ー
町
田
、
一
一
ごホるニとを目的
実践、普及によっ ?解i
までは、賓の問題は、ぉ に匙音技術の一 -の蜘出も 最近は話題じなっ fhいる 。 ぺ 一
f
、十
財
団
法
人
住
官
1
1
一
一
一
発
行
官
総
合
研
究
財
団
一
H
'
、
、
'
一
一
開発か 集合生活のルlルづく 川に関わる↑
ζ ニまで︿ると、 環境 芯学や住事 問題一一
一 ・として設立主た財団 更 で あ ります︹ 一努行人日 大 坪 昭
一
て
、 、
もので、 建築の設計計画との関係は薄 い一叫に任せてお て のはも 一
a一
ったいない 7・、と思 一
一 以来因 。年余、現在は住宅 じ関する 研ャ 一
ゴ
、
J
B
丁
谷
区
目
鈎
東
京
都
世
田
船
橋
4
一
5
6
一
一
干
1
8
、
、
と思っていた ー しかL叫その論文には住 - 7たかど、コかは加として、とにか γ、、音 ,
,
一
4
研 由主報 ﹂
乏しハ ﹁
﹁
研 究 一電 話 (J03) 4
'
一
一 究助成 事業を
3 81tr v
一
、?、 一
¥
宅形式ど の 関 係 が 指 摘 さ れ て お 叱 な る 一 の 問 題 は 幅 が 広 ︿ 興 味 が 尽 き な い
一
一 報告書﹂を発杯、また住に問問 す る専門 図 ,一 ‘
一, ‘ ,
一守
ト
、
ほど 之思ったのだある 。
一 思 う に 、 か つ てφ計画原論分野旬
が、 環 午
,
1
、書室、セミナー室 等を整備、公開、社ム}勺 一
一
一、
、ィ
-‘ ・ 、
1
L
、/ r d
その漠然どした興味をさ ら に 刺 激 し - 境 工学と建築計画に分かれて以来、両者 ¥一
,
・一
1 J
一
'-e
ノ
'
F
'
‘
、
千
二 、 1 ¥一-u '
一 のお役に立つよ、っ、 会 益事業長 つとめて 一編集委員l
色 秋 号 で の 山 本 先 生 の 話 一 の 狭 間 に ポ Yカリと犬きな穴が開いいやじ一
- 1のが J本 誌 川一
'
¥
服部写生 (
千葉大 半 建築学剤助激授 ) * 一
まり、 音 の 問 題 か ら い え ば 同 一 る よ う に 感 じ る 。今や、音 熱光風等の 環 、
一・おります ρ 一
一内
一 で あ る O Fつ〆
ノ- ¥ ,
y
俊 (
, J
東久芸術九晶 息築 引
喜
一
訓
)
Y
子
一 第集 団羽コミュニティの方が浬E
一
一 一
こ で すまいろん﹂ は、活動η 一取と ぐ片山和
Jいと一 境 を、 生活・社会・心理剖じ把え直す'
11
一
、
林
(
所)
一どで U 新たな空間イメ ー ジが生まれる可一
一
一
一 い う 主 張 で あ る o これは、まさに建築計 J
久
い 秀樹 佐設省時世臨床研究
端
を
、
市
民
、
実
務
者
し
て
、
成
果
の
、
v
、
l て 松村 秀一 J(
一
e
東京ι入学建築学科講 師) 一 一
一 画 分 野 の 告 典 的 な 課 題 に関わ って いる。 一 一
- ;
能性は大きい 。中でも 、音の問題は、そー﹁
ニ一
- 究者の皆様に 、 り
、
り手軽に
、
月
一
J
広
べ
よ
J
J一
刊住宅建烏編集長 )
一 - それ以来、貨の問題に注 意 を 払 う よ う - の 具 体 叩と て実に示唆に 富 んでい寄 。一
、立松久昌
,
、
,哩解い ただぺとともに 、、
その意見交流の 一 *ト委
。
一
員
長
、
司
三
一にかった す と
れが実に百白い 。 一 要 す 19に、環境制御技術(ハlド)と 三 }
‘
とを願 っ 刊行 事 刊) され ( l
一
ir 一
ヘ場に玄る こ
'
a
の で ち ご 利 用 のほど、レよみし﹂ '・ 川 ‘ に
い
一 '
へ いるも、
' r
,
、
J
制作 建築思潮研究所
一
十
、
一
J
ho
くお願 い申し上げま土夕
、
4 一L印刷・ 製本4 凸版印刷株、式
会社 J
-
編
集
f
p
,
し
E
記
{.
.ー
,
,
、、
、
、
"
一、.
",
,
k
F
阜
、
/
,
/
.
、