チェンバロの日!2015 笛を吹きクラフトマンシップに生きた 柴田雄康 メモリアル・レクチャー フレミッシュを知ろう 目 次 オリジナルのフレミッシュ ……2 現代製作家によるフレミッシュ ……2 意外な Ruckers の実像 ……2 その1 ボディ・サイズと弦スケールの多様性 意外な Ruckers の実像 その 2 その 3 ……8 スパインに穴あけ道具入れ ……4 大屋根は支柱でなく 1627AR のように「ひも」で 意外な Ruckers の実像 意外な Ruckers の実像 その 9 意外な Ruckers の実像 その 10 ……8 チークに穴あけ突き出しレジスター ……4 淘汰された Ruckers 鍵盤 意外な Ruckers の実像 その 11 ジャックはテーパー付き ……9 オフで弦から離れるマウスの 耳型ダンパー 意外な Ruckers の実像 その 4 ……5 意外な Ruckers の実像 その 12 キイ・フロントは半円ではなくエンボス … 10 フランスより早かった Ruckers のバフ・ストップ 意外な Ruckers の実像 その 5 ……5 フレミッシュのダブルはノーマル・ダブルとフレンチ・ ダブルのトランスポージング 意外な Ruckers の実像 その 13 … 11 プチ・ラヴァルマン/グラン・ラヴァルマン/Ruckers の改 作/van Blankenburg 障害/ヴァージナルのラヴァルマン 意外な Ruckers の実像 その 6 ……6 ダブル・ヴァージナル(母子ヴァージナル)は事実上の コントラスティング・ダブル 意外な Ruckers の実像 低い 8' その 7 …… 7 ヒッチピンレール 意外な Ruckers の実像 焼け焦げベントサイド その 8 ……7 他人事ではない工房の跡継ぎ問題 … 13 昔の例⦆⦆⦆1 … 13 昔の例⦆⦆⦆2 … 13 昔の例⦆⦆⦆3 … 13 昔の例⦆⦆⦆4 … 14 昔の例⦆⦆⦆5 … 14 記号 「O.p.‥」は O’Brien 著“Ruckers”、「上巻 p.‥/ 下 巻 p.」‥ は拙著『チェンバロ クラヴィコード オリジナル 楽器便覧 』上/ 下巻、 「用語集p.…」は、古楽器研究シリ ーズ 5 野村 満男・野村 敬喬・柴田 雄康・久保田 彰共著 『チェンバロ クラヴィコード関係用語集』の収載ページ。 フレミッシュを知ろう 野村滿男 オリジナルのフレミッシュ⦆⦆⦆いま、チェンバロのモデルはイタリアン、ジャーマン、フレンチなどが 使い分けられる時代となったが、十八世紀フランス後期の二段鍵盤楽器(ダブル)のコピーが最も普及して いる。一方、フレミッシュ・モデルのオーナーも少なからずいて、このモデルへの関心の高さがうかがえる。 ところが、一段鍵盤楽器(シングル)はともかく、フレミッシュ・ダブルのオリジナルの仕様は、レジス ター数は4列だが上下鍵盤音名がずれており、往時の標準音域であったショート・オクターヴに「1×4′, 1×8′」 の2クワイア弦、演奏中は上下鍵盤間を移奏できないトランスポージング・ダブルという楽器で、忠実なオ リジナルへ復元が歓迎される現代でも、演奏実践には適さないため、おそらく作られていない。 そこで今日は、そういったオリジナルの Ruckers 楽器の実像をまとめ、ラヴァルマンされたシングルや ダブルのフレミッシュ・モデルが、元々どういう楽器であったのか知っていただくための解説を試みたい。 現代製作家によるフレミッシュ⦆⦆⦆ヴァイオリン製作家が徹底してストラッドやアマティをコピーす るように、日本のチェンバロ製作家も「チェンバロのルーツは Ruckers」、という考えからフレミッシュ・ モデルを手がける方がいる。先達・堀さん、柴田君然り。ただし、現代の製作家の手になるフレミッシュ・ シングルは、ラヴァルマンされた音域が普通で、ダブルのボディは、現存楽器のなかで保存状態が良好なエ ディンバラにある 1638 IR(上巻 p.47)や、コルマールの 1624 IR(下巻 p.92)、カッペンベルク館蔵 1618 IR(下巻 p.19)などを模していても、そのアクションは十八世紀フランス風シャヴ・カプラー付き同列化 された上下鍵盤音名一致のコントラスティング・ダブルとし、音域も今日的要求に合わせ、現代の演奏家の 要求に見合ったものが作られる。フレミッシュ・ダブルをコピーするさい*、装飾を含む外見のコピーより 音色の再現が大切であるが、そのレジスター配列はフレンチのように一定しておらず変化形も多い(用語集 p.243) 。つまり、フレミッシュ・ダブルのコピー楽器の鍵盤とアクションはオリジナルとは異なる。 なお、アントワープの Ruckers 工房の最盛期は十七世紀後半までであったが、オランダ、ベルギーの低 エ ル シ ェ ペ ー テ ル 地地方ではその後十八世紀になっても Johann Daniel Dulcken、Jacob van den Elsche、Johann Peter ブ ル デ リ ン ド ゥ ラ ン Bull、Albert Delin(フランス語読みではDelin)等の工匠が製作を続けたので、フレミッシュ・モデルを 語るさい十八世紀フランドルを認識する必要もあるが、ここでは言及しない。 *コピーの重点目標である音色には「ブリッジ・響板の厚み処理技術と重量バランス」「弦材料」「撥弦点の比率」「プレクトラムの種類 とヴォイシング」響板とボディに使う「樹種」「楽器の総重量」「ボディ内容積と形状」等々のカオス的ファクターが絡んでいる。下巻 p.178 フート 意外な Ruckers の実像 その1 ボディ・サイズと弦スケールの多様性 Ruckers 研究の泰斗 O’Brien は、 2 、3-voet、4 - voet、4 ダ ウ メ ン オランダ語の voet は、英語の foot に相当。duimen(「親指」の意味) が英語のインチに相当。1 フレミッシュ voet は 11 フレミッシュ duimen で、研究者によってわずかに差があるが、25.8mm (Thomas & Rohdes)1 duimen=25.8mm とすれば 283.8mm。(用語集 p.229) 、 5-voet、6-voet、ノーマル・ダブル(5 頁参照)の下鍵盤、特殊モデル楽器等 多種にわたるボディ・サイズや鍵盤用 法の種類とピッチの関係を、ピッチが 互いに全音離れている 2 グループに 分け、右表のようにそれぞれを 4 種類、 全体を 8 種類に整理した(O.pp.57~ 2 59/224)。このうち、6-voet が現代ピッチからほぼ半音低い(a1≒415、c2 弦長≒350~6mm)楽器である とみなし、そのピッチを R(Reference:参考/援用)ピッチと呼称した。こういったチェンバロやヴァージナ ルのボディ・サイズは、当時の高い張力に耐えられない弦材からみて、 「弦スケールの多様性」イコール「楽 器ピッチの多様性」と解釈した結果だが、それら多種類のピッチによる鍵盤楽器と当時の演奏慣習との関係 や用法は今のところ不明。 (用語集 p.317) たとえば、ハーグに唯一残る R+5(クイント)ピッチの一段鍵盤楽器 1627, Andreas Ruckers(上巻 p.114/ 用語集 p.87)は、c2 弦長=238mm なので、c2 弦長≒350~6mm の R 楽器との弦長の比がほぼ 1.5 になる。 つまり、3/2。これは音程比でいえば 1627AR が五度上で鳴奏(ギターでいえばレキントに相当)したこと を意味する。また、この楽器は十八世紀に A~f 3 音域、2x8' へ改造されたさいレジスターと弦スペーシン グ、4' ブリッジが保全されていたので、1964 年の修復でオリジナルの音域やディスポジション、ピッチへ 戻されて現在は C/E~c 3、1x8' 1x4'。オーク材によるスタンドもオリジナル。響板彩画や木版紋様紙は非常 に状態がよい。そのため、「クイント楽器」として現存唯一というだけでなく、製作技法や装飾等多くの情 報をもつ貴重な楽器であるが、R+5(クイント)ピッチと当時の演奏慣習との関係や用法はわかっていない。 1627, AR 現存唯一の R+5 ク イント・ピッチ楽器 1627, AR。 復元以前大屋根は 支柱で支えていたが、 現在はオリジナルの ように「ひも」で引き、 響板面に対して鈍角 に開く(右) 。 ク シ 仕様 フェチィト 銘:ANDREAS RVCKERS ME FECIT ANTVERPIAE (ネームボード)。 2 R 番号:4∫t 。c 弦長:238mm。鍵盤:獣骨貼幹 音キー白、ボグ・オークのシャープキー黒。ケース 寸法:全長 1232mm;幅 694mm;高さ 190mm(底 板含む);キーウエル幅 669mm。 シ ュ ク ー ル レ ァ ェ Ruckers / Couchetファミリーが、上下鍵盤の音名 の一致した同列鍵盤楽器を作ったという証拠はない。 前所有者:D. F. Scheurleer, ハーグ。 モットー:蓋- SIC TRANSIT GLORIA MVNDI(この 世の栄光はかく移りゆく)。 十七世紀前半まで、ファミリーが製作した上下鍵盤間でキーの音名の位置関係 がずれているトランスポージング・ダブルは、すでに、1590 年代にはアント ワープで作られていたらしい。等分律のおかげで全調への移調・転調が自在の 現代人にとって、そのダブルは、チェンバロがリバイバルして以来謎の楽器で あり続けた。Ruckers の主力製品は「8′, 4′ 」のシングル。ダブルも同じ「8′, 4′ 」で、2 クワイア弦しかな い。二段の鍵盤は、垂直関係にある上下のキーが 1 本の弦を共用して上鍵盤の c キーと下鍵盤の f キーの音 が一致、つまり異なる音名の上下のキーが共通の弦を撥弦する。その音楽上の目的については結論が得られ ていないが、Blankenburg(1654-1739)の『エレメント・ムシカ』 (1739 年)の記述に、音楽家は「移調が 苦手で、…彼らはチェンバロに特別な第二の鍵盤を念入りに作った」とあるので、おそらく下鍵盤は人声や コンソート楽器の声種別音程差である四度下への「移調簡便化の要求」に応える、異なるピッチのシングル 2 台を一体化した当時の多機能ハイテク楽器であったといえる。下鍵盤には C/E~f 3 まで 50 キー、上鍵盤 C/E~c 3 の 45 キー、上鍵盤の最低音キーの左側にできたスペースは幅の広い木片ブロックで埋められ、上 下鍵盤キーは、ジャックを 2 列ずつ 4 列備えながら上下間で共用していない。そのため、オリジナルのト ランスポージング・ダブルでは、上下鍵盤間を移奏して音量・音色のコントラストを得ることは構造上不可 能で、当時コントラスティング・ダブルがまだ作られていなかったとすれば、Ruckers のダブルて現代行 われるようなレジスターの用法や奏法は存在しなかったといえる。1618~26 年頃に書かれた絵画という図 像的例証と、同列鍵盤を備える唯一残存例(工匠不詳、低地地方起源偽作 1658HR 下巻 p.22/用語集 p.198) 3 二段鍵盤チェンバロがあり、当時、低地地方に同列鍵盤楽器が存在していたことがうかがえる 同列鍵盤を備える工 匠 不 詳 ( 偽 作 1658HR)とディスポ ジション ニュルンベルク・ ゲルマニア国立博物 館蔵 また、下鍵盤が上鍵盤の C/E ショート・オクターヴから音域を拡張するバス弦を付加したことでスペー スが必要となった。楽器幅は C/E ショート・オクターヴ鍵盤楽器より 75mm ほど広く、全長も、付加した バス弦を響かせるために通常の 2000mm 以下の 4 オクターヴ一段鍵盤楽器より 405mm 長い。この大きい ボデイ・サイズのゆえに、のちの十八世紀フランスでのラヴァルマン楽器の基になり、現代工匠が手がける フレミッシュ・ダブル再現の基準にすることができた。 (用語集 p.195) 1638bIR=2235mm。 1645IC=1816mm。 トランスポージング・ダブルと通常のシングルのディスポジション トランスポージング・ダブル ← 4′ 下鍵盤 → 8′ ================== 上鍵盤 ← 4′ → 8′ 奏者 ▲ 意外な Ruckers の実像 通常のシングル ← 4′ → 8′ 奏者 ▲ その 2 大屋根は支柱でなく 1627AR のように「ひも」で つづく 4
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