「駅の子」 ( 京都の戦争孤児)たち 「せんそうこじぞう」について 戦災の少なかった京都には、空襲で被災した阪神地方から多くの孤児が 戦争孤児と子どもたちを守るお 孤児たちが雨や夜露をしのぐために京都 せ、戦争孤児について学校で学 たちを「駅の子」と呼ぶ人たちもいました。 有紀さんがデザインした像です 集まってきた歴史があります。 駅構内で寝泊まりしていたので、子ども 戦後、食べ物のない厳しい環境のなかで、 孤児たちは必死に生きようとしましたが、 命を落とす子どもも少なくありませんで した。 一方で、その孤児たちを保護し、成長を 助けた人たちもいます。たくさんの子ど もたちが、その人たちの援助を受けて自 汐文社刊「シリーズ戦争孤児」 戦災孤児ー駅の子たちの戦後史 本庄豊◎編 立しました。 孤児たちの平和への思いを後世に 地蔵さまのイメージを重ね合わ んだ立命館宇治高等学校の白井 (右写真)。 *「せんそうこじぞう」に抱かれた 地球にのる5体の「こじぞう」は「戦 災孤児」「沖縄の戦場孤児」「原爆 孤児」「引揚・残留孤児」「混血(国 際)孤児」を示しています。 設置場所 「せんそうこじぞう」粘土モデル 私たちは当初、「駅の子」と呼ばれた京都の戦争孤児を祈念し、多く の人たちにそれを目にしてもらうために京都駅周辺に設置を希望し 私たちは、戦争の犠牲となった戦争孤児たちや、平和な社会で幸福を望 ていましたが、すぐにはかないませんでした。 70年の今年、戦争孤児たちの経験や歴史、思いを多くの人たちに伝え 寺派大善院に隣接する「おてらハウス」の一角に設置することにし みながら無念にも命を落とした子どもたちに思いを馳せています。戦後 そこで当面、戦争孤児の遺骨・遺髪を保管・供養してきた真宗仏光 たいと考えるようになりました。 ました。 ※とりくみは、7月10日 (金)夜7:30∼8:00NHK大阪「かんさい熱視線」 (戦後70年特集第3回) で放映 大善院で発見された遺骨や遺髪は 京都の孤児収容施設だった「伏見 寮」の子どもたちのものでした。 「せ んそうこじぞうの会」の代表の川 崎泰市は、同施設職員の子どもと して戦後の一時期、伏見寮で過ご し、孤児たちの思いを聞いた一人 大善院に保管されていた戦争孤児たちの遺骨・遺髪 です。 「せんそうこじぞう」 (戦争孤児像・子地蔵)設置募金のお願い 私たちは、戦争孤児たちの経験や思いを伝えるために「せんそう こじぞう」の設置を思い立ち、関係者の協力によってその実現に 一歩を踏み出しました。ぜひ像の設置のためにご厚志を賜ります ようよろしくお願いします。 せんそうこじぞうの会(代表 川崎泰市) (*寄付・募金先は裏面をご覧ください)
© Copyright 2024 ExpyDoc