4 岡崎の蚕糸業 田口百三と三龍社製糸工場

東海の絹
文化と産業遺産
Ⅳ
養蚕業・製糸業の産業遺産(4)
田口百三と三龍社製糸工場
■「当代稀にみる達見の士」-田口百三
田 口 百 三 は 、 中 津 川 で 製 糸 業 を 営 む 勝 野 吉 兵 衛 の 四 男 と し て 1868( 明 治 元 )
年 7 月 に 出 生 。 1 89 7 (明 治 3 0) 年 6月 、 百 三 2 9歳 の 時 、 合 資 会 社 三 龍 社 を 現 在 の
岡 崎 市 上 六 名 町 に 創 設 す る 。 工 場 敷 地 面 積 約 8,700坪 、 建 物 1,333坪 、 器 械 製 糸
162釜 、 従 業 員 264名 の 創 業 当 初 か ら 大 工 場 と し て 出 発 。 そ の 立 地 で は 、 岡 崎 地
域の将来性を見込んだ先見性から「当代稀にみる達見の士」とも評された。そ
の 後 、 経 営 の 拡 大 と 設 備 近 代 化 を 進 め 、 最 盛 期 の 昭 和 初 期 に は 運 転 釜 数 1,500
釜 、 従 業 員 2,500名 の 愛 知 県 下 最 大 規 模 の 製 糸 工 場 と な る 。
田口百三
写 真 :(株 )三 龍 社
■優良蚕種と養蚕教育で貢献
三龍社の製糸工場としての卓越性は、設
備近代化だけでなく、原料繭の品種改良研
究を独自に行ったことである。経糸用優等
糸 エ キ ス ト ラ 格 製 造 の た め 、 1903( 明 治 36)
年 に 新 品 種 「 黄 石 丸 」 ( 黄 繭 種 ) 、 1904年 に
は「三龍又」(白繭種)を創出。この二品種は
(左 )「 黄 石 丸 」 と 「 三 龍 又 」
(上 )三 龍 社 養 蚕 講 習 所 と 桑 園
写 真 : (株 )三 龍 社
主要輸出先の米国で高評価を受け、国内でも
一大革命と評され、大正年間まで十数年間全
国に普及した。
ま た 創 業 翌 年 の 1898年 に 養 蚕 研 究 所 を 併
設 し て 農 家 の 子 弟 を 教 育 。 1912( 明 治 45) 年 に
は 三 龍 社 養 蚕 講 習 所 と 改 称 し 、 500名 余 の 卒
業生を送り出し、養蚕農家の育成にも努めた。
■赤れんがの近代的工場
大正初期の三龍社の繰糸風景
写 真 :(株 )三 龍 社
三 龍 社 は 近 代 的 大 規 模 製 糸 工 場 と し て 君 臨 し た が 、 1984( 昭 和 59) 年 8月 に 製 糸 部 門 を 閉 鎖 し て
88年 の 歴 史 に 幕 を 閉 じ た ( 戦 後 起 業 の 機 械 部 門 が 操 業 継 続 ) 。 そ の 近 代 化 を 象 徴 す る 、 赤 れ ん が の 美
し い 工 場 で も あ っ た 。 創 業 時 建 築 の ボ イ ラ 室 、 1916( 大 正 5) 年 築 の 高 さ 33m の 煙 突 、 140坪 の 繭 乾 燥 場
や選繭場、煮繭場、繰糸工場、糸倉、れんが塀など、明治、大
正期建築の赤れんが造
が立ち並ぶ、岡崎では異
彩を放つ空間であった。
1992年 に す べ て 解 体 さ
れ、今は写真で見るしか
ない。
赤 れ ん が の ボ イ ラ 室 、 煙 突 、 繰 糸 工 場 ( 写 真 :1990 年 天 野 撮 影 )