PDFファイル(全40ページ) - 一般社団法人 日本ネパール親善協会

機関誌「ジャパネパカバル」2号
Journal "Japanepakabaru" No. 2
目
Contents
次
頁(page)
1、会長挨拶
Greeting
of president ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2、当協会の今年度の行事予定(藤波プロレスのネパール興行、ヒマラヤ
ヨガ後援
3
等)
・・・・・ 5
This year's event scheduled for the Association (Match of Fujinami’s pro-wrestling team in Nepal ,
Himalayan yoga sponsorship, etc.)
3、日本経済の現状と予測:当協会理事
南
正明・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
Trend and forecast in Japanese economy:This society’s director / Masaaki Minami
「日本経済は 2014 年度のマイナス成長から 15 年度は穏やかな回復へ」
"Japan's economy is from minus growth in fiscal 2014 to mild recovery in fiscal 2015 "
4、ネパールの経済動向と社会動向 Trends in Nepal economy and social・・・・・・・・・・・・10
4-1
経済動向:
「跛行的経済構造のまま進展するネパール経済」当協会会長
山岸
正・・・・10
Economic trends: "Nepal Economy is progressing in claudication(unbalanced ) economic
structure" /this society’s chairman Tadashi Yamagishi
4-2
社会動向:「ネパール空港の事故処理と今後の課題」当協会理事 アムリット ダカル・・16
Social trends: "Accident processing and future subjects in Nepal Airport" This society’s
director / Amrit Dhakal
5、事業部長の今年の抱負 This year's resolutions of director for business division・・・・・・・・17
5-1、産業・企業コンサル研究事業部長:金子武義「日ネ友好と両国の繁栄と幸福づくりへ!!」
Director for Industrial and corporate consulting research division: Takeyoshi Kaneko
"Creating of friendship, prosperity and happiness for both countries Japan and Nepal !!"
5-2、観光開発事業部長:カルプ
シェルパ「素晴らしいネパール観光への誘い」
・・・・・・・18
Director for tourism development division / Karp Sherpa
"Invitation to the wonderful Nepal tourism"
1
6、ネパール支援ビジネス関連
Support business
to Nepal ・・・・・・・・・・・・・・・・・20
6-1、
「ヒマラヤ山脈絶景を眺望できるナガラコット別荘開発」
:ルモリ
エンジニアリング
サ
ービセス(Pvt. Ltd)取締役 エル サビン カドカ(カドマンズ在住)・・・20
“Villa development of Nagarakotto that is able to view superb Himalaya”
Rumori Engineering Services(Pvt.Ltd)Director / Er Sabin Khadoka (Kathmandu resident)
6-2、「小電力電力発電機システムによるネパール支援」:(株) 日水コン管理本部 金 成秀・・23
"Nepal support by small power generator system": Nihon Suido Consultant Co. Ltd. /
Administration headquarters Senior Technical Advisor Sungsoo KIM
7、ネパール関連情報(ネパール人コーナー)Information regarding Nepal (Nepalese people Corner)31
7-1、ヒマラヤ登山と日本人登山家の思い出:ガナ シャム ポウデル・・・・・・・・・・31
Memories of Himalayan Mountaineering and Japanese climbers:Ghana Sham Poudel
7-2、日本で事業をしているネパール人経営者:P.K.ラズバンダリ・・・・・・・・・・・・・34
Nepalese managers who has business in Japan: PK Rajbhandari
「東日本でネパールレストランを6店舗経営」
"managed six Nepalese restaurants “Lumbini” in the East Japan region."
8、技能実習制度に関する情報 Imformation regarding Technical Intern Training Program・・・・37
8-1、「ネパール技能実習生の逃亡と制度見直しに思う」
:当協会技能実習生事業部編集
We think to the runaway and reform for the institution of Technical Intern Training
Program": edited team of technical intern trainees division in our society
8-2、実習生だより(執筆中)News from the technical trainee (in writing)
9、事務局長就任の挨拶:木戸幸義
Greeting of General Secretary appointed: Yukiyoshi Kido・・・43
10、新理事就任の抱負 Aspirations of the new director appointed ・・・・・・・・・・・・・・44
(1)カルプ シェルパ氏 Mr. Karp Sherpa・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(44)
(2)アムリット
ダカル氏 Mr. Amrit Dhakal・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(46)
(3)ガナ シャム ポウデル氏 Mr. Ghana Sham Poudel・・・・・・・・・・・・・・・・・(46)
(4)桑原充男氏 Mr. Mitsuo Kuwahara・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(47)
(5)P.K.ラズバンダリ氏 Mr. P.K.Rajbhandari (執筆中)
11、その他 Other・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48
ネパールからのトイレ建設とパソコン寄贈要請等について
Regarding toilet construction and personal computer that is
2
been requested donation from Nepal.
1、会
長
挨
拶
会員及び関係各位の皆さんには当協会の運営に当たり日頃より多大な
ご支援・ご協力を賜りまして有難うございます。改めてここに感謝申
し上げます。
我が協会も今年は設立から早や3年目を迎えますので、この期に定款
に掲げた8つの設立目的の実現の為に、特に、その中の基本的な大き
な事業であります次の3つを並行して実現して参りたいと思います。
一つ目の事業は、日本国民とネパール国民が交流を通じて相互の理解と尊厳を重んじ、
より良い友好・親善関係を築く為に寄与するイベント事業です。
この事業の一つとして、日本とネパールのプロレスラーが一緒にネパールのリングの上
で親善試合を開催することです。私たちはこの試合がネパールの子供たちに夢と勇気を与
え、また多くの大人たちにも子供達と一緒に心を合わせて楽しむことによってその後の彼
らの日常生活に活力を与えられる試合になることを期待しています。
日本で昭和30年代に起こったプロレスブームが戦後の日本国民に勇気と自立心を与え、
更に日本経済の高度成長を支えた大きなエネルギーになったように、ネパールで同様のブ
ームが再現されれば必ず日本と同様にネパールに大きな社会的・経済的飛躍をもたらすキ
ッカケになることでしょう。
二つ目の事業は、日本とネパールの経済的な相互交流を通じて、ネパール経済・産業振
興の為に必要なマクロ的・ミクロ的経済・産業政策の提言やコンサルタント事業です。
この事業では、最初に、ネパール経済の歴史的発展段階やマクロ的な経済の研究・調査に
よって経済構造を明らかにし、次にそれ等の結果を踏まえて産業振興の可能性調査などを
やりたいと思います。
また現在、ネパール側からネパールにおける小電力開発、ナガラコットの別荘地開発、養
豚・養鶏場経営、パターン市街地の土地開発、ネパール民芸品の日本輸出等についての案
件が挙げられてきているので、並行的に、日本側からその支援活動やビジネスの可能性に
ついて探って行きたいと思います。
三つ目の事業は、日本とネパールの文化・教育的な相互交流を通じて、ネパールの文化
及び教育振興に必要な支援事業です。
この事業では、初めからネパールのソフト面の教育改革提案などへの取り組みではなく、
最初の事業にあげたプロレス興行を含めたスポーツ交流及び既にネパール側から学校への
パソコン寄贈やトイレ建設等の要請を受けていることから、教育や社会環境改善のための
物的・人的支援から始めようかと考えています。
私たちは、今後、上記の3つの事業の支援ビジネスに取り組みながら、その遂行過程で
必要となってくるだろう他の事業目的も逐次実現して行こうと考えております。
但し、これらの目的遂行のためには多くの資金や努力、また時間が必要不可欠になって
参りますので皆様のご支援・ご協力をお願いして私の挨拶に代えさせていただきます。
Greeting of chairperson
Everyone of members and related parties, thank you for giving your great support
and cooperation in the management of the our association. Again I would like to
thank you on this page.
Since our association will be three years from the establishment in this year, we
will hope to realize next three basic big business in the eight founding purpose that
we listed in the articles of association simultaneously.
First business is the event to contribute in order to build a better friendship and
goodwill relationship through that Japan nation and Nepal nation interact with an
3
emphasis on mutual understanding and dignity.
As one of the business, we are planning that a friendly match by professional
wrestler of Japan and Nepal fight on Nepal ring together.
We are expecting that this game gives the dream and the courage to children in
Nepal, and also gives vitality for their everyday life to many adults by enjoying with
the children.
The wrestling boom that happened in 1955's in Japan gave independence heart
and courage after the war of the Japanese people and further it became a great
energy to support the rapid growth of the Japanese economy. If similar boom was
reproduced in Nepal it will be a chance to bring great social and economic leap for
Nepal in the same way as Japan.
The second business, through economic interaction between Japan and Nepal, is
the proposal and consultants business of industrial policy on the macro and micro
economic necessary for the promotion of Nepal economy and industry.
In this business, first, we are to clarify the economic structure by research and
investigation of the historical development stage and macro economy in Nepal, next、
we
are going to do the feasibility study of industrial development based on the results
of it.
The current, because project of low-power development in Nepal, villa ground
development in Nagarakotto, pig・poultry farm management, land development in
Patterns city, exportation to Japan of Nepal folk art has been proposed from Nepal
side,
For them, in parallel, and we would like to study and research the specific research
and methods for its support activities and possibilities of business from Japanese
side.
The third business is supporting business that is necessary to cultural and
educational promotion in Nepal through cultural and educational interaction
between Japan and Nepal,. In this business, it is not a commitment to educational
reform proposal of teaching soft side in Nepal from the beginning, but we think to
start from exchanges of sports and improvement of educational and social
environment, for example, the professional wrestling entertainment that is listed in
the first business, contribution of personal computer to school or construction of
toilet for poor area.
Since we have already received such request from Nepal, we are thinking to start
material and human supporting for the educational and social environmental
improvement.
We ,future, will be doing the strong efforts to supporting business of the above three
businesses, also we think to want to sequentially realize another business purpose
that will become necessary in the execution process.
However, many of the funds and the effort for performance of these purposes, in
addition, since many time will become necessary, please give us the support and
cooperation of everyone, I will finish my greeting.
2、平成27年度日本―ネパール親善協会の行事予定
4
5月、ネパール地震災害義援金募集活動
6月、総会&日本・ネパール交流懇親会
6月、ネパール・ハテマロ会参加
7月、「ヒマラヤ・ヨガ フェスティバル In Odaiba 2015」(後援)
10月、藤波プロレス一行とネパール・ヒマラヤン一行のカトマンズ興行(主催:ネパー
ル観光協会、共催:(有)ナマステ)
(注):日程の詳細は追って掲載します。
3、日本経済の現状と予測
日本経済は 2014 年度のマイナス成長から 15 年度は穏やかな回復へ
当協会理事
南正明
日本経済は輸出次第
日本経済の最近の動向を振り返ると、2008 年のリーマンショック後の世界
不況で、日本経済は 08、09 年度と2年連続で実質GDP成長率がマイナスに陥った。そし
て、10 年度の日本の実質GDP成長率は 前年度比 3.4%増になった。この成長率はバブル
期の 90 年度以来の高成長だが、大幅な落ち込み後の回復であるため水準としては低く、成
長率が高くても好況感は広がらなかった。
日本経済の回復の要因は各国の景気対策で世界経済が好転し、財貨・サービス輸出(以
下、輸出)が 17.2%増と急増したことにある。しかし、これは短期で終わった。09 年 10
月のギリシャ政権交代による国家財政の粉飾決算の表面化から欧州債務危機が始まり、深
刻化してきたからである。その影響で輸出は 01、02 年度と2年連続で減少し、実質GDP
はマイナス成長には陥らなかったが、0.4%増、1.0%増の低成長で推移した。
内閣府の景気基準日付ではリーマンショック後の 09 年3月が景気の底、欧州債務危機の
影響で 12 年4月が山(暫定)である。その後、危機が解消したわけではないが、世界経済
が穏やかでも回復基調を取り戻し、日本経済も輸出が増加基調に戻ることで、12 年 11 月に
景気は底(暫定)を打って回復に向かった。いわゆるアベノミクスが注目されているが、
第2次安倍政権の成立は 12 年 12 月の景気回復後になる。
また、金融緩和で為替レートは円安になり、企業収益の改善と投資資金の流入で株高に
はなったが、同時に期待された 13 年度の輸出は前年度比 4.7%増に留まり、回復期にして
は伸びは高くない。企業は国内で生産・輸出する戦略から、輸出先市場で生産する戦略に
切り替えており、収益面は別として為替レートと輸出の相関性は低下している。これは民
間企業設備の伸びを抑える要因にもなっている。
一方、安倍政権の景気対策効果で公的固定資本形成(公共投資)は同 10.3%増の2桁の
伸びになり、かつ、14 年4月の5%から8%への消費税引き上げを控えて駆け込み需要が
あったにもかかわらず、13 年度の実質GDP成長率は 2.1%増でしかない。ちなみに、こ
の 2.1%のうち寄与度は輸出 0.7%ポイント、公共投資 0.5%ポイントであり、公共投資を大
幅増にしていなければ実質GDP成長率は1%台に留まったと推測できる。結局、日本経
5
済は輸出次第というのが実態である。
消費税の影響一巡で、消費者物価上昇率は0%台に
14 年度の実質GDP成長率の推移を四半期別の前期比の推移でみると、駆け込み需要の
反動減で4~6月期に 1.6%減、そして反動減の縮小でプラス成長への転換が期待された7
~9月期も 0.7%減の2四半期連続のマイナス成長になった。ようやく 10~12 月期(2次
速報値)にプラス成長になったが、0.4%増でしかない。14 年度の実質GDP成長率は、1
年前の民間予測機関の予測では低い成長率でもプラス成長がほとんどだったが、実績は 10
~12 月期までの結果から0%台後半のマイナス成長が見込まれる。
図 実質GDPと主要需要項目の成長率
20
15
10
(%)
5
実質GDP
0
民間最終消費支出
民間企業設備
-5
公的固定資本形成
-10
財貨・サービス輸出
~
~
~
~
~
~
~
~
~
6
月
期
1 4 7 1 1 4 7 1
3
0 3
0
6 9
年 6 9
年
月
月
1 1 月
1 1 月
1
期 期
期 期
2
2
2
3
3
月 月
月
月
月
期 期
期
期
期
1
0
~
1 7
2
9
年 月
4 期
~
2 1 1 1
0 1 2 3
1 年 年 年
0 度 度 度
年
度
出所:内閣府「国民経済計算」/四半期成長率は前期比/2014年10~12月期は2次速報値
大半の予想に反して 14 年度がマイナス成長になる主因として、円安にもかかわらず輸出
が増えず、民間最終消費支出(個人消費)の予想外の不振が挙げられる。輸出の円安効果
はもともと過大な期待で、個人消費は名目所得の伸びの低さ、ひいては実質所得の大幅減
少にある。名目所得は厚生労働省「毎月勤労統計」
(事業所規模5人以上、一般・パート計)
の1人当たり現金給与総額で、14 年度は前年を1%前後上回る低水準で推移している。近
年では比較的高い賃上げにもかかわらず、もともと低賃金で、賃上げの恩恵を受けない非
正規労働者の増加がその背景にある。
名目賃金の伸びが低い一方、消費者物価上昇率が 13 年度の前年比1%台から、消費税増
税で3%台へと上昇したため、14 年度の実質賃金の伸びは同2%ほど低下した。所得が増
えなければ、支出は増えない。さらに、税・保険料負担増と社会保障水準の切り下げがあ
るため、生活防衛から消費が抑制されるのは当然である。
15 年度は消費税増税の影響は 15 年3月で一巡する。また、もう一つの大きな物価上昇要
因である国際商品の原油価格は 14 年 10 月以降、顕著に値下がりしている。その他の主な
国際商品もピークを打ち、海外からの物価上昇要因はほとんど解消している。原油価格は
ほぼ底と推測されるが、当面、顕著な上昇は予測されない。結果、一段と大幅な円安にな
らない限り、輸入を通しての物価上昇圧力、輸入インフレは消滅する。為替レートに関し
6
ては、これ以上の円安は国際的な為替切り下げ競争になる可能性があり、海外からの反発
も予想され、現実には難しいと考えられる。
14 年度までの物価上昇要因が解消すれば、今後は国内要因になる。国内の消費財市場は
供給過剰状態にあり、賃金引き上げも大幅にはならないため、賃金からの物価上昇圧力も
大きくはならない。これらの物価関連指標の動向から予測すれば、15 年度の消費者物価上
昇率はゼロに近づき、マイナスも考えられる。
物価が上昇しなければ、税・保険料負担が増えても、15 年賃上げが 14 年よりは上回る見
込みであり、実質所得の増加で個人消費が伸び、15 年度の日本経済は穏やかでも回復軌道
への復帰が予想される。さらに、世界経済が予想外に順調であれば、日本経済の回復力も
高まる。一方、世界的な金融緩和が規模は別としてバブルをもたらしており、それが崩壊
して輸出の減少、ひいては日本経済の2年連続のマイナス成長の可能性も否定できない。
いずれにしても海外経済に大きく左右される。
3,Trend and forecast in Japanese economy
"Japan's economy is from minus growth in fiscal 2014 to mild recovery in
fiscal 2015 "
:This society’s director / Masaaki Minami
The Japan economy depends on its exports
Looking back at recent trends in the Japanese economy, by the influence of
the world
recession after the 2008 collapse of Lehman Brothers, the Japanese economy fell into
minus real GDP growth rate in the continuous two years, in 08 and 09 year.
And, Japan's real GDP growth rate for fiscal 2010 year was 3.4 percent increase over the
previous fiscal year. This growth rate is highest growth since the1990 year of the bubble
period, but it is low as the level because it was a recovery after fell significantly, feeling of
economic boom by this growth rate did not spread.
Factor of recovery of the Japanese economy is that world economy upturn by the
economic measures of countries in the world, and Japanese goods and services exports
(hereinafter referred to as export) increased 17.2%. However, this growth was done in
the short term.
It is because by accounting fraud of public finances that have been made by the Greek
regime change of October 2009 has been surfaced the European debt crisis bean, and it
have been serious.
Exports reduced consecutive two years, 2001, 2002 fiscal year by the impact, but real
GDP was not converted to negative growth, and low growth of 0.4% and 1.0% increase
remained.
According to the economic criteria date of the Cabinet Office, March 2009 after the
collapse of Lehman Brothers is the trough of the economy, April 12 under the influence
of the European debt crisis is a peak (provisional).
7
Thereafter, although the crisis is not resolved, but the world economy becomes gentle
recovery, Japan economy reached trough (provisional) in November 2012 and went to
recovery because exports return to uptrend,.
So-called Abenomics has attracted attention, but the establishment of the second-order Abe
Cabinet is going to be after the economic recovery of December 12.
Also doesn’t mean the crisis resolved in peaceful world economic regained the recovery
trend in Japan economy exports back on an increasing trend, 2012 year November on
economy is hitting the bottom(interim), headed for recovery.
That has been about the so-called workplace second Abe Government approval 2012
years December become economic recovery after month of.
Also, monetary easing in exchange rate depreciation and became high stock at the
influx of the improvement in corporate profit and investment funds, at the game time
were expected 2013 fiscal year exports in fiscal years 4.7% increase, not high growth
and recovery period. Enterprises and switched strategy in domestic production and
exports, production in the export market, profits have declined the correlation between
exchange rates and export as another. This is to reduce the growth of private enterprise.
On the other hand , the fixed capital formation in the economic effect of the Abe
administration(public instrument) as 10.3% two-digit growth, and the 2014 April 7%
from 10% ahead of the tax hike to surge in demand despite in the 13 fiscal year the real
GDP growth rate for fiscal 2.1% increase only. By the way, this 2.1, 100% export
contribution 0.7 point, public investment 0.5 fastened to 1% real GDP growth rate
percent points, unless you significantly increase public investment and you can guess.
After all , Japan economy is on exports as soon as it is actual.
Tax effects come full circle in the consumer inflation rate to 0%
2014 fiscal year developments in the quarter by quarter of the annual real GDP growth
rate, earning fell because of the surge in the demand with 4~6 month 1.6% decline, and
shrank in conversion to positive growth expected 7~9month period 0.7% 2 Consecutive
quarter of negative growth.
At last 10~12 month became a positive growth month
period (2 figures), but 0.4% increase only. 14 annual real GDP growth rate even in 1
year ago predicting lower growth rate was almost positive growth, but actual 10~20%
1.25 negative growth is expected from the results of 31.
8
図 実質GDPと主要需要項目の成長率
20
15
10
(%) 5
0
-5
-10
実質GDP
7
1
3
9
年
月
期 …
~
~
7 1
3
9 年
月 …
期
~
2 1
0 2
1 年
度
7
民間最終消
費支出
9
月
期
出所:内閣府「国民経済計算」/四半期成長率は前期比/2014年10~12月期
は2次速報値
Contrary to the expectations of the majority 14 US exports despite the depreciation of
the yen mainly fiscal year be negative growth, the unexpected stagnation of private
final consumption expenditure (individual consumption). Yen-weakening effects of
exports, personal consumption is low of nominal income growth and real incomes
significantly decrease originally exaggerated expectation. Nominal income is Ministry
of health ”monthly labor survey “ (establishments with five or more, General and part)
of per capita cash earnings in the 2014 fiscal year remained at low level above 1%.
Non-regular workers in the recent relative high wage increases despite originally wage,
benefit from the wage increase is in the background.
Low nominal wage growth, while consumer price inflation is 2013 fiscal year for raising
the consumption tax rose to 3% from fiscal year 1% to 2014 annual real wage growth fell
by about 2%.
Multiply the income does not increase spending. Is not being suppressed
consumption from living defense because the devaluation of tax and insurance
premiums increased and social security standards.
2015 fiscal year is the impact of the consumption tax hike is 2015 had been complete in
March.
Also, international crude oil price big price rise factors one more thing in the
2014 year October later, drops significantly. Beat the peak and other major
international products price rise factors from overseas is almost eliminated.
Crude oil price almost bottom, is not expected to significantly elevated for the time
being.
As a result, unless significant further yen the depreciation, shall be
extinguished through the import price pressures and imported inflation.
Considered
difficult in reality, could become competitive international currency devaluation further
depreciation on the Yen exchange rate terms, and is expected to rebound from overseas.
2014 fiscal year, eliminated price increases until the fiscal year will be on domestic
factors.
Not for the domestic consumer goods market GLUT, wages might not be
significant, increasing upward pressure on prices from wage.
9
Predicted from trends in
these prices, 2015 fiscal year annual consumer inflation rate is close to zero and even
negative.
Even more tax and insurance premium to the rise in price 2015 year for wage 2014is
expected to exceed the year growth in real income increase personal consumption, 2015
Calm and the economy in Japan also expected to return to a recovery track. In addition,
the world economy unexpectedly well, increasing Japan economic resilience.
On the other hand, easing global scale as another bubble brought and the decrease in
exports, and the Japan economy 2 years consecutive negative growth could not be ruled
it will collapse.
In any case heavily depend on overseas economies
4、ネパールの経済動向と社会動向
4-1、経済動向:「跛行的構造のまま進展するネパール経済」
当協会会長
山岸正
1、ネパール概況
ネパール経済について述べる前に、ネパールは何処にあって、どんな国なのかを記して
おこう。
ネパールの地球上の位置は、日本から直線距離で5,000キロ余、時差で3時間程西
方へ行ったインドの上である。但し、飛行機で行くと羽田空港からバンコック空港へ約5
時間、更にカトマンズまで2時間程かかる。国の東西側と南側がインドに囲まれ、北側は
中国のチベットであるが、その国境にはエベレスト山やアンナプルナ山等世界の屋根と言
われているヒマラヤ山脈の高峰が連なっています。国土面積は14.7万平方キロメート
ルで、北海道の約 1.8 倍です。地形は南北わずか2百数十キロメートしかないところにイン
ド側のカンチャン・カラン地域の海抜はわずか 70 メートル、北側のヒマラヤ山脈には8座
の 8000 メートル級の山があり、それらの山麓の可住地域でも4000メートル前後ある急
峻な地形に特異性があります。東西も 800 キロメートルしかない小さな国土には山岳地帯
から丘陵地帯、渓谷や湖、南部の平原とバラエティ豊かな地形が広がっており、全世界の
鳥類の8%が生息しています。
宗教はヒンドゥー教徒(80.62%)が大半を占めていますが、仏教徒(10.74%)、イスラ
ム教徒(3.6%)もおり、非宗教国家と宣言されてさまざまな宗教が受け入られています。
言語は、公用語はネパール語ですが、イギリスとの関係が深かったことなどから英語も
比較的よく通じます。更に次に示す代表的な民族を中心に125前後の民族があると言わ
れ、それぞれが言語を持っています。
民族はブラーマン、チェットリ、ネワール、グルン、マガール、タマン、リンブー、シ
ェルパなど125民族あります。
政治体制は連邦民主共和制で、首都はカトマンズ市です。
人口は2649万人(2011年
中央統計局)。但し、海外への出稼ぎ労働者が400
10
万人ほどおり、それらの人々は国内の人口統計から一部除外されている可能性もあるので、
それらを上乗せすると3,000万人近い人口であるという見方もある。
通貨はネパールルピーで、為替レートは1ドル=85.2ルピー、日本円1円=1ルピ
ーです。1インドルピー=1.6ネパールルピーで固定制です。
2、2014年のネパール経済
(1)日本との比較で見たネパール経済と世界比水準
ネパール連邦民主共和国(以下ネパール国という)は経済の根幹を成す国土面積は前記し
たように14.7万平方キロメートルで世界200カ国の21位に位置し、更に人口も2,
779万人で、世界181カ国の46位であり、世界の中では中位以上の経済的ファンダ
メンタルズを持っているのである(下表参照)
。にも拘わらず名目 GDP は13,457億
ルピー、ドル換算で192億 US ドルで世界の183カ国の中で103位の半数以下に落ち
ている。また一人あたり GDP は692US ドルと世界186カ国中169位でさらに国際
水準を落とし、不名誉な最貧国に甘んじざるを得ない状況です。日本と比較みると、GDP
規模は日本のわずか0.4%、一人あたり GDP は1・8%でしかなく、世界第3位の経済
規模の日本と比較して論じても仕方ないことであるが、少なくとも国土面積や人口のファ
ンダメンタルズから見てもう少し GDP 規模を拡大できる可能性はあると考えられる。
それが実現できないのは産業構造の跛行性や国土全体の地勢の特異性によるものと考え
られよう。つまり産業構造は農業中心で、雇用を生む製造業について言えば地場的な食品
工業や繊維産業以外の産業はほとんど育っておらず、サービス産業もヒマラヤ山脈の恩恵
を受けた観光業が中心である。また、経済発展の重要な要素の一つであるインフラ条件を
見ても山岳・丘陵地帯が国土の大半を占めているような悪条件下では致し方ないのかもし
れないが、それらの経済発展の阻害要因を逆手にとって経済発展を遂げてゆくことこそ、
政治家や官僚、更に経済学者に課せられている課題ではないでしょうか。名目 GDP の4分
の1を海外の出稼ぎで稼いでいるという跛行的な経済構造に頼った政策から抜け出し、国
内に産業を立地し、雇用の場を確保して個人所得を増やし、それらの国内需要を喚起して
国内生産の拡大につなげてゆくような国内循環型経済を構築してゆかない限り、安定した
経済規模の継続的拡大はできないだろう。人口3千万人の国内消費市場を生かす為のバラ
ンスのとれた産業立地政策を優先的に推進してゆくことが重要である。
次に、実質経済成長を見ると3.85%で比較的高く世界186カ国中76位である。経
済成熟国になった日本は1.52%で世界188カ国中138位でありネパール国の半分
以下のスピードであるが、前年のマイナス成長から脱出している。日本の成長率は成熟国
の宿命でスピードの低迷は致し方ないが、ネパール国のスピードは発展途上国としてもっ
と上昇する可能性はあるだろう。
11
ネパール経済の基本指標( 日本との比較) Basi c i n de x o f t h e e c o n o m y o f Ne pal (c o m par i so
項目名
ネパー ルの数値
I t e m n ame
世界の順位
Ne pal
Wo r ld o r de r
日本の数値
世界の順位
Japan
年度
Wo r ld o r de r
Ye ar
面 積
14.7万平方キロ
91位/200ヶ国
37.7万平方キロ 61位/200ヶ国
2014
Area
147 thousand ㎢
91th/200country
377 thousand ㎢ 61th/200country
2014
人 口
2,779万人
46位/181ヶ国
1億2734万人
10位/181ヶ国
2013
Population
2,7790thousand
46th/181country
127million
10th/181country
2013
名目GDP
13,457億ルピー
Nominal GDP
1345.7billion rupee
名目GDP($)
192億USドル
Nominal GDP($)
19.2billion US dollar 105th/183country 4898 billionUSdollar 3th/188country
2013
一人当りGDP
692USドル
169位/186ヶ国
2013
GDP per capita
692 US doller
169th/186country 38,467US dollar 24th/186country
2013
実質経済成長率
3.85%
78位/188ヶ国
1.52%
138位/188ヶ国
2013
Real economic
3.85%
78th/188country
1.52%
138th/188country
2013
51位/187ヶ国
336億USドル
14位/187ヶ国
51th/187country
33.6 billion US do 14th/187country
468兆4250億円
105位/183ヶ国
2013
468,425 billion yen
2013
4兆8980億USドル 3位/188ヶ国
2013
38,467USドル
24位/186ヶ国
growth rate
経常収支
6.4億USドル
The current balance 640million US$
2013
2013
最後に経常収支を見ると、6億ドルの黒字で187カ国中51番目と上位にあるが、中
身を見ると貿易収支は大幅赤字でそれを海外の労働者からの送金や外国の贈与によって補
填しており、ここにもネパール経済の跛行的な側面が見られる。例えば、2013年の経
常収支は、ルピー表示であるが2013年の貿易収支が4013億ルピーの赤字で、それ
を経常移転収支の海外労働者送金4345億ルピーで補填し、かろうじて経常収支は57
0億の黒字になっている状態である。後程触れるが余りにも貿易収支のアンバランスが大
きい。
(2)2013年度のネパール経済動向
①経済規模と成長率
2013年度(2012 年 7 月 16 日~2013 年 7 月 15 日)のネパール経済の規模は名目1
6,926億ルピー、実質6,960億ルピーで、前記したように世界の中で105番に位置
する小さな経済規模である。他方、
は中位に属する成長率である。
しかし、前年度より0.92ポイント
減速した(図―1参照)
。
ネパール経済は前記したように
名目GDPの25%を海外の出稼ぎ
労働者の送金で占められているので
その影響が大きい。その送金額を見
9.00
9.00
8.00
8.00
7.00
7.00
6.00
6.00
5.00
5.00
4.00
4.00
3.00
3.00
2.00
2.00
1.00
1.00
0.00
0.00
実質経済成長率
実質経済成長率
%
%
その成長率は3.56%で世界の中で
ると、4,345億ルピーで前年度比
20.9%伸びている。これらのお金は都市部のサービス消費などに支出されて GDP を押
し上げている。だが、昨年の送金額が41.8%も伸びたのでその反動もあって今年の送金
12
額の伸び率が減速して、今年度の GDP 成長率鈍化に影響を与えており、ネパール経済には
このような海外出稼ぎ事情に大きく左右される脆弱さが存在している。
また成長率鈍化の国内要因についてもインフラ的脆弱さが表面化しており、例えば慢性的
な電力不足や交通網の未整備等が製造業などの生産押し下げ要因になっている。
さらに GDP の34%を占める農業が天候不順や化学肥料の配布状況の悪化などで生産が低
下したことなどが成長減速の要因になっている。
②一人あたり GDP
一人あたり所得は先にも述べた通り、世界の中では最低グループに属している。但し、
これも継続的に流入する海外送金によって支えられているので、それがなかったらもっと
順位が下がっているはずである。
1996 年に共産党毛派(マオイ
スト)が闘争を開始し、2001 年
6 月にはビレンドラ国王一家が殺
害されてギャネンドラ国王が即位
して王制復帰したことなどから
治安悪化や政情不安が加速した
ことによって、前項図の実質GDP成長率の急落が示しているように国内生産の減少があ
った。しかし逆にその為に海外出稼ぎ者数が増加してその送金額が増加したことなどでそ
の後順調に増加し、2012/13 年度の一人当たり名目GDP62,510 ルピー(717US ドル)、IMF
推計による2014年度には 68,605(782US ドル)に達した。但し、この著しい名目
一人あたり GDP 増加の背景には海外送金を
得た中間所得層の旺盛な消費が物価を押し上
消費者物価指数
との所得格差が拡大し、ますます貧富の差が
表面化しているのであり、ここにもネパール
経済の歪が表面化しているのである。
ちなみに、消費者物価の上昇率は2009年
以降前年比2桁前後の増加率を続けその5年
前年比増加率=%
げており、海外送金を受け取っていない住民
15.0
10.0
5.0
0.0
間の年平均増加率は9.8%もの上昇であり低
所得者の生活を直撃している。
③産業動向
ネパールは古来急峻な地形やインド経済に依存して来たことなどから、独自の産業発展
が遅れ、しかも自然発生的・自給自足的な農業が中心の産業発展を続けてきたために、跛
行的な産業構造になっている。
2012/13 年の GDP ベースで見た産業構成は大分類では第一次産業が約半分の 49%
次いで第三次産業が 37%、そして第二次産業はわずか 15%でしかなく、典型的な
13
、
低開発型の産業構造である。
中分類で構成内容を見ると農業が 34%
GDP構成比(%)
を占め、続いて卸売業が 14%、運送業が
9%、不動産業が 9%、建設業が 7%であり、
しかも発展途上国であれば製造業の占める
36.8
48.7
第一次産業
第二次産業
割合が高まって来るはずであるが、2013 年
第三次産業
14.5
の製造業の割合はわずか 6%でしかない。
10 年前の 2001/02 年度比で見ると、主
力の農業が 37%から 34%に低下している。
その背景は一般的な経済発展段階的な農業比率の低下ではなく、農民の多くが都市部や海
外へ出稼ぎのために移住し、その担い手が減少しただけの現象であろう。
なお、2001/02 年度比で構成割合が増加している産業は、金融業(2.7%→4.2%)
、運送
業(7%→9%)、教育業(5.7%→5.4%)、建設業(6.5%→6.9%)、社会サービス業(1.6%
→1.9%)、であり、逆に製造業は 9%から 6%へ割合を落としている。
このことは、将来、国内に雇用の場を作って出稼ぎ労働者を国内に U ターンさせて、も
のづくり産業、つまり製造業を育成して、過度に海外輸入依存している経済構造を自律型
産業構造に転換して行こうとするシナリオからは遠のいている現象で、懸念すべきことで
ある。大分類で見てみると、なんと労働人口の 74%が第一次産業の農林水産業に集中的に
従事しており、次いで第二次産業には7%、第三次産業には6%しか就業していない。
中分類でみると製造業にわずか7%、商業(卸売・
小売業)に 6%の労働人口しか就業しておらず、従
従業者別で見たネパールの産業構造が如何に跛行的
就業者別産業構成(%)
な構造をになっているかが理解できるであろう。
6.8
5.9
ネパールの就業構造については海外就業、つまり
海外出稼ぎ労働者の存在抜きには就業問題を語れな
第一次産業
73.9
い。インターネットの「ネパール旅行記(13)の
第二次産業
第三次産業
海外出稼ぎ労働の現実」に次のような記事が載って
いる。
「出稼ぎ労働者は年を追うごとに増え続けている。2010年の統計では、年間35万
5000人ものネパール人が新規出稼ぎ労働者として国外に渡航しているという。現在、
外国に滞在しているネパール人労働者の数は、
(正確にはわからないが)270万人を超え
ているとも言われている。これは3000万人というネパールの人口を考えると驚くべき
数字だ。人口の半分が男性で、その半分が就労人口だとしても、750万人の男性就労者
のうちの実に三人に一人が外国で働いていることになるのだから」。
仮にこの 270 万人の海外就業者が確かな数字と仮定してみると、ネパールの就業人口が
2013 年の ILO 調査によると 1470 万人なので、(但し、この 270 万人の出稼ぎ労働者がこ
の就業人口統計に含まれているかどうか不明だが)、実に18%(つまり5人に1人)の労
働者が海外で就業していることになる。
14
このような海外出稼ぎ労働者は増え続けており、最近お状況を在日ネパール大使館発表
の図説 ネパール経済」中で次のように述べている。
「新規出稼ぎ労働者数は、1998/99 年度
まで年間1万人以下であったが、以後中東諸国やマレーシアなどへの出稼ぎが急増し、
2012/13 年度には 41.6 万人となった。同期間の送金額は 4345.8 億ルピー(GDPの 25.5%
に相当)に上る」とある。繰り返しになるが、GDP の25%を占める送金額は政府として
は国家予算の貴重な財源になるだろうが、将来の安定的な経済構造を構築するためにも1
00年の計を立ててこれらの海外労働者が国内で稼げるような労働環境を確立して欲しい。
④輸出入動向
ネパールの輸出入動向については、当然のことではあるが、輸出するべき商品を生産す
る工場が少なく、またその結果でもあるのだが国内消費のための商品は海外からの輸入に
依存していることから貿易収支は万年赤字続きで、しかも拡大傾向にある。下図を見ると
そのことがはっきりわかる。輸出はほぼ横ばいの推移に対して輸入は急増しており、その
結果貿易赤字も急増している。ちなみに2012/13年度の総輸出額はf.o.b.ベースで769億ルピー
(約9億ドル)で前年度比は4%増、総輸入額は、c.i.f.ベースで5,567億ルピー(約65億ドル)
で前年度比5%増であり、その結果、貿易赤字は2012/13年度は4,798億ルピー(約56億ドル)
で前年度比7%増である。このように慢性的貿易赤字を海外出稼ぎ労働者の
送金で補填してかろ
うじて経常収支が黒
については前述した
通りである。
このように入超過
多の貿易構造の背景
にある要因はものづ
くり産業の過小な産
業構造にあるが、も
輸出入額と貿易収支の推移
8000.0
6000.0
4000.0
2000.0
0.0
-2000.0
-4000.0
-6000.0
-8000.0
1980年
1982年
1984年
1986年
1988年
1990年
1992年
1994年
1996年
1998年
2000年
2002年
2004年
2006年
2008年
2010年
2012年
字になっている状況
う一つは古来より隣国のインドに余りにも依存しすぎたこともあろう。下図で見るとおり、
輸出先の67%、輸入先の63%をインドが独占しているのである。これを見る限りネパ
ール経済はインド経済の属国的地位に甘んじているとしか言いようがない。このような一
国集中的な貿易構造を改善し、世界各国と平等に交易することが経済発展に寄与するであ
ろうし、また世界各地に出稼ぎ労働者が就業しているネパールであれば、世各国から人的・
技術的経済資源を導入することなどでそれは実現可能であろう。
バング 輸出先構成(%)
ラデ
シュ
その他
3%
19%
ド
イ
ツ
4%
米国
7%
インド
67%
輸入先構成(%)
タイ
2%
アラブ
15
首長国
6%
中国
11%
18%
インド
63%
4-2社会動向「ネパール空港の事故処理と今後の課題」
アムリット
ダカル
写真
(このエッセーは筆者が3月7日時点で書いた日本文を無修正掲載した)
2015年 3 月 4 日に発生したトルコ航空の着陸失敗事故、亡くなった方
はおられなかったのは幸いであったが、それからの空港の処理がひどすぎた。
いまだに1機もとべず、すべての機能が停止している。日曜日(9日)に開通することは
聞いているが、一番問題なのは、急を要することがすべて、止まってしまったことだ。
勿論、仕事をかかえて、事業を成立することも、すべて止められて、その補償はまったく
ない。ましてや、日本では3月10日の7月生の入管締め切り提出日をまえに、どれだけ
の生徒の書類がカトマンズ空港にとめられているのか、考えてもいないだろう。
日本の学校、ネパールの学校、生徒本人とその家族が必死になって、夜も寝ないで、間に
合わせようと努力してきたことが、水の泡になってしまう。ネパール政府が、この緊急事
態を真剣に考えているかどうかは見えてこない。国内便は飛んでいる。それならインド国
境近くの空港からインドに送り、そこから国際ルートをつかうことも出来たはずである。
すべてが、国民サイドに心をおいていないから、こういう結果になるのだ。
20年まえから、ポカラを国際空港にするとか、ルンビニをハブ空港にするとか、話はき
いてはいるが、着手したという情報はない。ネパールが鎖国をといて、ほんとうに、世界
に開けてきたのは、ヒラリー氏のエベレスト登頂成功からである。それから、62年が流
れて、多くの援助がネパールに与えられてきた。一番多いのが、学校をつくることである。
それは今も続いているが、一番しなければならないのは、開かれたハブ空港の建設である。
陸の孤島と化した、この4日間を振り返って、空路と、陸路が閉鎖されたら、この国の経
済は崩壊してしまう。その重さを考えて、国を支える政治家はいない。其のつけは、結局
国民が背負ってしまう。バンダと称するストライキ、ズルースといわれる道路妨害、これ
は政党が主体にやっている、主張は彼等の利益が履行されないことである。
緊急事態が発生した時、その担当の職務の人々は不眠不休でやりとげている。それが政治
であり、官吏としての責務である。第二国際空港は必須である。そのことをおざなりにし
てきたことが、この度の結果なのだ。3月10日に間にあわなかった生徒、準備を重ねて
きた日本・ネパールの学校関係者、私もその一人だが、ここにきて、すべてを犠牲にして
頑張ってきたことが虚しく、生徒の人生に関わる仕事をあきらめてよいのかと、自責の念
にかられてしまう。ネパールは教育機関、インフラ、事業発展の望みのない国である。だ
からこそ、無理をしてでも外国へ子弟をおくりだす。泥縄の循環は、私が知りえた30年
前と何もかわっていない。
ここで、思う、一番大切なことは、学校をつくることでもなく、ボランティアをすること
16
でもなく、其のお金で国際空港をもう二つつくることである。ここが陸の孤島とならない
ように、物も、お金も、人もスムーズになれば、無駄なストライキや、ズルースもなくな
っていくだろう。日本の明治維新の前夜、主義、主張として、敵対するグループや人々は
殺されたことを思い出していただきたい。そして、明治になって、それまで反対していた
人たちは、自然と時の政府に従って、無駄なことをしなくなっていた。多くの犠牲はあり
ましたが。また太平洋戦争終結後も共産党に踊らされた人々に振り回された時、日本人は
気付いた。暴力では何も生まれないことを。それらが、今の日本を作り、世界を牽引して
きた。
そして、ネパール政府が、正当にビザをもらえるように、日本に、世界に向けて、努力し
ていることを示さなければならない。教育のレベルをあげること、人格教育をすること、
政府官僚の責任感を持つ人々を育てること等々、問題は山積しているが、この国(ネパー
ル)の人々は本質的に、おだやかで、優しい民族性をもっている。そのよさを失わずに、
向上してほしい。それがこの国に居させていただいている私の心からの願いである。
(この原稿はアムリットさんが日本語で書いたものをそのまま掲載しております)
5、事業部長の今年の抱負
5-1、「日ネ友好と両国の繁栄と幸福づくりへ!!」
産業企業コンサル研究事業部長:金子武義
写
真
世界的な経営構造の大変化は全ての国・企業・人々も影響受けざるを
得ません。特に経済活動の根幹をなす企業の経営改革とそれを支える人
材の育成は喫緊の課題です。ネパール目線でのお役立ちを念願しています。
具体的に以下、概略ご提案致します。
高収益企業をつくるネパール経営人材育成塾(仮名)構想
財団法人国民経済研究協会⇒社団法人日本能率協会⇒民間企業⇒株式会社日本コーディ
ネートセンターを設立して39年。私が現場で全員参加型研修コンサル契約しての活動は
30年300社3万時間になります。講演セミナーを加えると10倍の3000社になる
でしょうか。そして後継社長は毎年150回の研修を丁度 10 年。1200回近く現場研修
で全国を飛び回っています。対象は大中小の企業規模・全業界・官民・ロシア等海外もあ
ります。
その現場実践から生まれたのが「下町のMBA=戦略経営体系」です。その結果として
問題解決は従業人口・企業数・生産量など圧倒的多数をしめる中小企業やそこに従事する
人々の潜在力をいかに活性化するにかかっているとの結論になりました。
日本と世界特に新興国の下町(中小・時間も予算も教育を受ける機会もなかった企業や
人々)を照らしたい!リーマンショック・大震災をきっかけに検討を重ねてきました。ユ
ヌスの提唱するソーシャルビジネス手法で取り組むべくPD(潜在力活性化)パートナー
ズを結成しました。39年にわたる全業界の有志による「経済情勢研究会(月一会)」の約
80名集団がパートナーとして参加しています。運営は(株)日本コーディネートセンタ
ー委託。
17
5-1, Making Japan-Nepal friendship and prosperity and happiness for
both country!!
The big change in global management structure affects all countries, enterprise, and
peoples.
Especially training management reform of countries at the core of economic activity and
human resources to support it is an urgent task.
I helps you desire in the Nepal level. Specifically the overview we offer.
Making high-profit-enterprise
Nepal management human resources development institute
(pseudonym)
Downtown MBA….PD Net
National economic research association ⇒ Japan management association ⇒ Private
sector⇒Japan coordination center co ltd established by 39years.
I have activity in all participatory training consulting contact with activity 30years
300conpanies 3million hours.
Add seminars and 10times 300companies increase,
And successor president have every year150 annual training exactly 10years.
The president is always on the run the country in the training program. It is big and
small enterprise, industry, public and private, Russia and other countries.
Downtown MBA=strategic management system is born from the scene.
Population, number of companies and production of overwhelming problem-solving as a
result now rests on how bring to many small businesses and people who engage in it’s
potential and the conclusion.
Japan and newly emerging world of downtown (time and budget nor opportunity to
receive education and people) I wish to!
Leman-shock earthquake has been repeatedly
studied in the wake. To tackle social business approach advocated by Yunus formed PD
(activation potential) organize to partners. 39years by volunteers of the whole industry
over the years ‘ Economic affairs research society(one month of one meeting) of about 80
name group and participates as a partner.
Is operated by Japan coordinating center co ltd contact.
5-2、素晴らしいネパール観光への誘い
当協会理事 カルプ シェルパ
観光はネパールの最大の産業です。外貨の最大の収入源の一つです。
ネパールの風景の多様さはたくさんの観光の素晴らしさを提供します。
北部の岳陵の山岳地帯はトレッキング、ハイキング、サイクリングを
18
観光客に提供します。
トレッキングはネパールの自然の美しさと文化を味わえるもっとも人気のある山岳散歩で
ある。トレッキングのための最も人気のあるスポットの一つは世界で最も高い山「エベレ
スト」ダウラギリ、マチャプチャレ、ランタン等です。
観光客は歩きながら私達と異なったネパールの文化、民族、宗教、祭りを体験することが
できます。
ネパールは探検としてトリスリ川、セティ、ガンダギ等、たくさんの川があります。
これらの川でのラフティングは白波の急流をわたる難しさは世界で最もスリリングを味わ
えます。無料ビーチキャンプがあり水は温かくバグや昆虫も観察できます。
ネパール旅行者、学者及び研究者の非常に魅力的なところとされています。
カトマンズ、パタン、バクタブル、ポカラ、ルンビニには無数の建築記念碑、寺院、様々
な文化と宗教の痕跡がふくまれている文化財があり大きな観光のスポットのひとつです。
南部にあるチトワン自然公園は肥沃な森に覆われさまざまな野生動物が生息し象に乗って
のジャングルサファリーは最大のスポットである。
ネパールの観光ツアーは人生の中で最も美しく深い思い出を作ると思います。
5-2Invitation to great Nepal tourism
Director of our society:Karp Sherpa
Tourism is the largest industry in Nepal. It is one of the biggest income source of
foreign currency. Variety in landscape of Nepal provides variety in tourism.
The Northern hilly and mountainous regions offer the tourists trekking ,hiking,
cycling. Trekking is the most popular activity in Nepal due to the unbeatable
combination of natural beauty and culture. One of the most popular spots for trekking
are the world's highest mountain “The Mount Everest”,Daulagiri, Macchapuchare,
Langtang etc. With the trek around Nepal ,tourists can directly experience our culture,
way of different life style of ethnic people ,religions, festivals.
Nepal has many rivers for the tourist to explore such as Trisuli,Seti, Gandaki etc.
Rafting on these rivers , rafters will find the world's most thrilling white water with
wide range of difficulties ,
warm water ,bugs and insects free beaches for camping.
Nepal has been an extremely fascinating destination for travelers , scholars and
researchers.
It contains countless architectural monuments, temples,vestiges of varied culture and
religious. Places such as Kathmandu, Patan, Bhaktapur, Pokhara,Lumbini are one of
the favorite spots for sightseeing.
The dense forest in the Southern flat lands with the habitation of variety of wildlife
offer tourist the exciting Jungle safari. Chitawan is the main spot for Jungle safari
Tour to Nepal can be one of the most beautiful and unforgettable
19
.
memory in the life.
6、ネパール支援ビジネス関連情報
6-1、「ヒマラヤ山脈絶景を眺望できるナガラコット別荘開発」
ルモリ
エンジニアリング
取締役
エル サビン
写真
サービセス(Pvt. Ltd)
カドカ(カドマンズ在住)
高いヒマラヤ山脈、素晴らしい山々、奇妙な野生生物と多様な文化の国、ネパールは、
それ自体が世界である。ネパールは、北部にはエベレスト山(8848 メートル)の山頂から
ゴータマブッダの生誕地ルンビニまで伸びるユニークな風景があり、南部には多様な人間
の文化や自然の生息地がみられるタライ平原がある。それはまたネパールがヒマラヤに共
通の起源を持っている無数の河川、氷河の湖、湖、小川のある一つの家族であるといえる
ような喜ばしい事柄です。大きな一角獣のサイは、おそらくネパールの豊かな生物学的遺
産の中で最も古い化石的なシンボルです。ネパールは鳥類の 646 種以上(世界全体のほぼ
8%)を有し、鳥の愛好家のための楽園です。ネパールはまた、地形の高度に応じて気候、
地理や植生の変化が幅広く行われています。この幅広い変動が植物の繁殖や動植物の種の
品種を支えています。
素晴らしい山の景色と自然の美しさを見るためにはカトマンズ周辺に多くの場所があり
ます。ナガルコットはそのうちの一つです。ナガルコットは、カトマンズ渓谷の一端にあ
る国際的に有名なリゾートで、バクタプルのデボテーズ市に近く、間違いなくこの国の最
も美しい地域の一つです。その地域は、2150 メートルの標高に位置し、カトマンズの北東
32 キロメートルのところに位置しています。それは高い丘に位置しているので、それはそ
の自然の資源によって非常にクリーンな環境にあり、また森林で覆われている。そこは天
気が晴れているときにはヒマラヤの壮大な日の出と日没の景観で見られることで有名です。
私はあなたに土地図面(下図参照)のオートキャドファイルを送って前に説明したよう
に、
土地面積は:約 40 ヘクタール
土地価格:65,000/1 平方メートル
建築費:50,000 / 1 平方メートル
所有権の移転のためには、あなたがネパールのここに会社を設立する必要があり、そうす
ればそれをあなたの会社に移転し得ることができます。
私たちは、スイミングプール、ヘルスクラブ、ゴルフコース、子供公園、総合病院のよ
うなすべての設備を備えたコロニーを建設することを計画しています。もしあなた達の誰
かが関心をもって頂ければ、我々はあなた達と共に行うことができます。
20
21
6, Information of support business for Nepal
6-1,Plan of Development for Villa in Nagarkot
RUMORI Engineering Services(Pvt. Ltd)
Director Er Sabin Khadka (Lived in Kathmandu)
Nepal, the country of high Himalayas, splendid mountains, strange wildlife and
diverse cultures is a world in itself. Nepal has a unique landscape stretches from the
pinnacle of Mt. Everest (8848 m) in the north to Lumbini, the birthplace of Lord
Gautam Buddha, in southern Terai where diverse human cultures and natural habitats
can be found. It is a matter of pleasure to mention that Nepal is also a home of countless
river, glacial lakes, lakes, and creeks with their common origin in the Himalaya. The
Greater One-horned Rhinoceros is perhaps the most enduring symbol of Nepal’s rich
biological heritage. Nepal is a paradise for bird lovers with over 646 species (almost 8%
of the world total) of birds. Nepal also offers a wide range of climatic, geographic and
vegetation variations according to the altitude. This wide variation has favored
varieties of species of flora and fauna to thrive.
There are many places around Kathmandu to see great mountain view and natural
beauty. Nagarkot is one of them. Nagarkot, an internationally renowned resort set on
the edge of the Kathmandu valley, close to the city of Devotees, Bhaktapur, is
undoubtedly one of the most beautiful areas of the country. It lies at an altitude of 2150
and is located 32 kilometers north-east of Kathmandu. As it is located in high hill, it has
a very clean environment with its natural resources and is covered with forests. It is
renowned for its spectacular sunrise and sunset view of the Himalaya when the weather
is clear.
As we have discussed earlier I have sent you the AutoCAD file of the land map.
Land Area is around : 40 hectares
Land Cost : 65,000/- Sq. m
Building Cost : 50,000/- Sq.m
For Ownership transfer you have to build a company here in Nepal and you can get it
transferred to your company.
We are Planning to build a Colony with all the amenities like swimming pool, health
clubs, golf course, children park, polyclinic .if any of your people is interested we can go
together with them side by side.
22
6-2、小電力電力発電システムによるネパール支援
「ネパール国小水力発電の普及について」
写
真
株式会社 日水コン管理本部 金 成秀
1、はじめに
ネパール国は豊富な水資源を有しており、理論的な包蔵水力は
83,000 MW、技術的、経済的に有効利用可能な水力 42,000 MW と推定
されており、永久的に持続可能な水力エネルギーの宝庫である。しかし、2011 年時点での
発電容量は 706 MW と利用可能な水力の 1.7%程度と慢性的な電力不足に陥っており、国
民一人当たりの年間販売電力量は 91 kWh
(2009 年)と世界でも最低レベルの水準にある。
また、乾季には一日最大 14 時間程度の計画停電(2011 年)を実施しており、生活及び経
済活動に大きな支障をきたしている。
このような状況から、ネパール政府は電力を含む経済インフラ整備を優先分野として位
置づけており、現今の電力不足から早期脱却を図る計画を策定している。特に、乾季に安
定した電力供給を可能とする貯水池式水力発電の開発を促進することが不可欠と位置づけ
ている。さらに、ネパール電力公社(Nepal Electricity Authority:NEA)ではピーク時需
要を今後年率 10%程度で伸びると予測しており、発電能力増強は喫緊の課題となっている。
2、電化による生活環境の向上
地方の集落では、一般家庭でローソク、少し余裕のある家でもバッテリーによって 5W 程
度の蛍光ランプの下で生活している。ネパール国の平均年収は、2011 年において 622.5$/
年であり、183 国中 163 位と最貧国の一つである。
(BOP:3,000$/年以下の購買層)そこ
で、NEA による送電線がない地域では再生可能エネルギーの一つである小水力発電が急増
しており、住民自身が組合を作り、小水力発電所を建設、近隣の同様の小水力発電所と送
電線で連結し、自主的に地域の電化を進めている。小規模水力発電所の規模は出力 5~
100kw であり、既に 2500 事業所において総出力 48MW を発電し約 20 万所帯に供給し
ている。小水力発電を普及させるための政府補助は 25 万 5 千ルピー/kw である。注 1) 電
化により以下の効果が期待できる。
① 夜間、読書が出来ることで子供の学習時間が増加し、教育レベルの向上に繋がる。
② 電化により生産性の向上や夜間労働から所得の増加が見込める。
③ テレビ等による情報の取得、冷蔵庫による食品の長期貯蔵等、文化的な生活が望める。
④ 病院などの重要公共施設への負荷制限が無くなり夜間の診療等、医療活動に大きく貢献
できる。
23
3、JICA の援助実績
JICA の対ネパール国に対しては、
「水力発電所整備」が重要課題であると分析しており、
別援助方針(2012 年 4 月)における重点分野としても、電力など「持続可能で均衡のと
れた経済成長のための社会基盤・制度整備」が定められている。JICA が 2014 年 4 月に無
償資金協力(15.71 億円)を行った西部地域小水力発電所改善計画(TheProject for
Micro-Hydropower Improvement in Western Area)注 2)は、3 郡の小水力発電所を対象
として、取水工施設、導入路施設、発電設備等の改修を支援したもので、地域の経済の発
展や民生の向上に寄与することを目的としている。このように、日本国の電力に関する対
ネパール支援としては、有償資金協力による発電所建設、開発調査による電源開発計策定、
無償資金協力による配電設備建設、専門家派遣、研修等を通じたソフト面への支援等が期
待できる。すでに近隣諸国のラオス、ベトナム、カンボジアでは、JICA による「無電化・
弱電化地域における流水式マイクロ水力発電プロジェクト案件」が実施されている。
なお、再生可能エネルギーである風力発電、太陽光発電、小型水力発電の弱点は、電気
を貯蔵できないことである。その解決策の一つとして水素で貯蔵する方法がある。この技
術は日本が世界トップレベルであり、今後解決すべき課題は多々あるが、実用化される可
能性は非常に大きい。その時が訪れれば、急速な発展が予想されるインドやその周辺諸国
に余剰電力として販売することにより、将来自然エネルギーの輸出大国としての繁栄も期
待できる。
4、小水力発電による早期電化に向けて
現在、インド、中国からの援助によって貯水池式水力発電施設の建設が進められている
が、これら施設の建設には相当の期間と莫大な資金を必要とする。一日も早い電化及び停
電の解消を望んでいる多くの国民にとって、早期の電力供給は切なる願いである。逼迫し
た電力需要に対応するための電力供給方法は地産地消が得策であり、当面は集落あるいは
数戸単位の小規模な小水力発電が望ましい。ネパールの各地域には図-1 に示すような農業
用水路があり、落差、流量が設置場所ごとに異なるが、数百 kW 程度の発電が可能な地点
も予想される。日本国における小水力発電では一般的に図-2 に示すような発電設備を設置
し、地域に電力を供給している。注 3)建設単価は 50 円/kWh~1,000 円/kWh であり、同
じ 100kW の発電設備でも、発電場所により総工事費が 5,000 万円から 1 億円と大きく異
なる。なお、用排水路に設置する小水力発電では水量より有効落差が重要である。
図-1農業用水路
24
水 車 設 置 ( 出 力
0.8 k W )
水 圧 鉄 管 使 用 ( 出 力
140 k W )
水車設置(落差 3.5m, 最大使用水量 0.99m3/s、最大出力 19kW)
図-2 発電場所と発電形式
ここでは、地域の雇用も生み出せるように地元住民が現地生産・設置・修理できる持続的
運営が可能な設備が望ましいことから、用水路内に安価で維持管理の容易な発電設備を設
置し、各戸または数戸に電力をバッテリーあるいは有線で供給する方法を提案する。一例
として図-3 に示すような自転車の車輪軸に装着するハブダイナモを水車に組み込むことで
発電する方法注 4)がある。このハブダイナモを装着した水車を用水路に据え付けた状態を
図-4 に示す。流量 0.02m3/秒、有効落差 2m で約 100W(充電 DC12V)を発電し、この電
力をバッテリーに充電することで照明、テレビ等への使用が可能である。このような装置
を設置することにより、急峻な地形、集落の密集度、発電場所からの距離等の地域特性に
配慮した効率的な電力発電供給システムの構築が可能となる。また、これら事業性を確認
する一方法に JICA の BOP を対象とした協力準備調査注 5)の活用等がある。
25
図-3 ベニヤで作成した水車(ハブダイナモ使用:自転車の発電機)注 3)
図-4 水車据え付け状況 注 3)
小水力発電は、太陽光発電、風力発電と比較して、設備利用率が 50~90%と高く、太陽光
発電と比較して 5~8 倍の電力量を発電でき、設置面積が小さく、出力変動も少ないことか
ら年間を通じて昼夜、安定的な電力を供給することができる。小水力発電による電力は、
当初照明用として利用されたが、徐々に農業、産業などのための電力としても利用され、
今後は地域住民による自給自足の小水力発電システムとして最先端のスマートシティへの
実現が大いに期待される。
なお、まったくの無電化地域では、電化による効果を享受するために、当面図-5 に示すよ
うな防災用手動手巻きランタンの利用が考えられる。これは、内蔵の手巻きハンドルを 3 分
ほど回し発電することで、約 30 分間点灯することができる。日本国内での販売価格は 1,000
円/基程度である。
26
図-5 手動手巻きランタン
(バッテリー内臓、LED 照明,ラジオ、携帯充電等が付属)参考資料
注 1) Nepali Times, #725, 19-25 Sep.2014.
注 2) ネパール連邦民主共和国西部地域小水力発電所改善計画準備調査報告書、2014
年 3 月、JICA
注 3) 小水力発電導入―全国小水力利用推進協会
注 4) 自分で作るハブダイナモ水力発電、中村昌広、総合科学出版
注 5) JICA による協力準備調査(BOP ビジネス連携促進)__
Spread of Micro-Hydropower in Federal Democratic Republic of Nepal
Nihon Suido Consultants Co., Ltd.
Administration Headquarters Kim Seisyu
1.Introduction
Republic of Nepal is rich country with hydraulic power resources of 83,000 MW and
technically and economically usable hydraulic power is estimated at 42,000 MW, which is a
treasure house of sustainable hydraulic power energy. On the other hand, the generation
capacity is 706 MW in 2011, which is about 1.7 % of the available hydraulic power causing
chronic power shortages. Annual sale of electric power is 91 kWh (2009) per person, which is
the most low-level in the world. Planned blackout is frequently experienced at most 14 hours a
day (2011) in dry season seriously affecting the daily life and economic activity.
Government of Nepal ranks economic infrastructure development including the electric power
as the priority field and plans to get rid of present power shortage immediately. Hydroelectric
power generation with reservoir system is promoted to enable the stable supply of electric
power in dry season in particular. Nepal Electricity Authority (NEA) estimates peak demand to
increase about 10 % annually from now onward, and expansion of electric generation capacity
27
is urgently required.
2. Improvement of Daily Life Environment by Electrification
Candles are popular in ordinary houses and batteries and 5 W of fluorescent lamps are used by
slightly affordable households in rural village. An average annual income in Republic of Nepal
is US$ 622.5/ year in 2011 and is one of the most poor country ranking 163 rd of 183 countries
in the world. The micro-hydropower, which is one of renewable energies, is increasing rapidly
in the area without power line of NEA. Residents formulate an association, construct
micro-hydropower plant, connect to neighboring similar power plant by power line, and
electrify the area independently. The scale of the micro-hydropower plant is output of 5-100kw.
2,500 plants have been constructed with total generation capacity of 48 MW and have supplied
to about 200,000 households already. The government subsidizes 255,000 rupee /kw to promote
micro-hydropower plant. 1) The following effects can be expected by electrification.
(1) Educational level will be improved, as children can read even at night and learning time
will increase.
(2) The income will increase by improvement of the productivity and night work.
(3) More cultural life will be ensured by more information from televisions, long term
storage of food in refrigerator.
(4) Medical service will be improved, as load restriction to important public facilities of the
hospital disappears and medical examination and treatment in night becomes possible
3. Aid Results of Japan International Corporation Agency (JICA)
JICA considers development of hydroelectric plant is an important issue in the support program
for Republic of Nepal. Social infrastructure and institutional development for the sustainable
and balanced economic growth including the electric power are also set as the emphasis field in
.Cooperation Policy by Country (April, 2012).. .The Project for Micro-Hydropower
Improvement in Western Area.2), grant aid project of JPY1,571 million by JICA in April, 2014,
which supported the rehabilitation of intake, approach road, and power generation equipment of
the micro-hydropower plants in 3 counties, targeted to contribute to financial development and
public improvement in the region.
Japan.s support on the electric power for Republic of Nepal is expected to construct power plant
by ODA loan, prepare electric power development plan by social development study, construct
power distribution facility by grant aid, provide soft component of experts dispatch and training
etc. JICA has already provided supports on flow type micro-hydropower projects for
non-electrification and weak electric areas.
The weak point of renewable energy of wind power generation, photovoltaic generation and
micro-hydropower generation is that electricity can’t be stored. There is a way to save the
energy by hydrogen as one of the countermeasures. Japan has the world top level technology in
this field and it is high possibility of practical use, though there are many issued to be solved.
When the time comes, Republic of Nepal is expected to be an export large country of natural
28
energy in the future by selling the surplus electric power to the neighboring countries like India
where rapid development is expected.
4. For Early Electrification by micro-hydropower
In Republic of Nepal, the reservoir system hydroelectric facilities are constructed by support of
India and China at present. However, it takes long period and huge amounts of fund are
required.
Early supply of electric power and untie of blackout are also an earnest wish of citizen.
Place production and consumption is a wise policy for supply of electric power to cope with the
tight electricity demand, and the micro-hydropower in a village or with several houses in scale
is desirable at present. There are irrigation streams as shown in Figure 1 in many places of
Republic of Nepal, and there are possible places to generate hundreds kW of electricity, though
various heights of drop and flows exist. Power generation equipment as shown in Figure 2 is
generally installed for micro-hydropower generation in Japan and the electric power is being
supplied to the area.3) Unit construction cost is JPY 50 /kWh to 1,000 /kWh, and the total
construction cost varies from JPY50 million to 100million for power generation equipment of
100kW. The effective height of drop is more important than flow rate for the micro-hydropower
installed in irrigation stream.
Figure 1 Irrigation Streem in Republic of Nepal
Installation of Water Mill
(Output : 0.8kW)
Pressurized Steel Pipe
(Output : 140kW)
Installation of Water Mill
(Drop:3.5m, Maximum Flow:0.99m3/s, Maximum Generation:19kW)
Figure 2 Location and Type of Generation
Cheap power generation equipment with easy maintenance is proposed to be installed in
irrigation stream and generated power is distributed to several houses by battery or cable,
29
because sustainable operation is desirable with local production, installation, and repair by
residents. One of the ways4) is to generate electricity by build-in hub dynamo in water mill,
which is seated in wheel axis of bicycle as shown in Figure 3. Figure 4 shows water mill with
build-in hub dynamo installed in irrigation stream.
By the flow rate of 0.02m3 /second and effective drop of 2m, about 100 W (charge DC12V) is
generated and charged in battery and generated electricity is used for lighting and television.
The efficient electric power generating system can be created by installing such equipment
considering various regional conditions, such as the steep geographical feature, the degree of
crowd of the village and the distance from the generating place, etc. JICA.s program of
cooperative preparatory survey for Base of the Economic Pyramid (BOP) business can be
utilized to exam the feasibility of this kind of projects.
Figure 3 Water Mill made by Plywood (hub dynamo installed: generator of bicycle) 3)
Figure 4 Installed Water Mill3)
The micro-hydropower records high utilization ratio of electric power facility with 50 to 90%
compared with photovoltaic generation and wind power generation. It can supply stable electric
power through the year, because it can generate 5 to 8 times of electric power than photovoltaic
generation with small installation area and the output variation is small. The electric power by
the micro-hydropower was used for lighting, and will be used as the electric power for
agriculture and industry gradually, and then micro-hydropower system is expected to realize the
most advanced smart city as self-sufficient system by residents from now onward.
On the other hand, manual winding lanthanum for disaster prevention shown in Figure 5 is
also considered to be used in non-electrification area for the time being to enjoy the effect of
electrification. This can light up for 30 minutes by winding handle for 3 minutes to generate
electricity. The selling price is about JPY 1,000.
30
Figure 5 Manual Winding Lanthanum
(Built-in Battery, LED lite, Radio, Portable Charger pertained)
PAGE 5
Reference
Note 1) : Nepali Times, #725, 19-25 Sep.2014.
Note 2) : Report of .The Project for Micro-Hydropower Improvement in Western Area in
Republic of Nepal, March 2014, JICA
Note 3) : Introduction of Micro-Hydropower_J- WatER
Note 4) : Hand Made Hub Dynamo Hydropower, Masahiro Nakamura, Sogokagaku
Publication
Note 5) : Coorporative preparetory Survey by JICA(BOP Buisiness Promotion)
7、ネパール関連情報(ネパール人執筆)
7-1、ヒマラヤ登山と日本人登山家の思い出
私の心に残る素晴らしい日本の友
ガナ シャム ポウデル氏
学歴:芸術学部卒
職業:旅行&トレッキング社
ネパール ナマステ 協会 理事
話せる言語:ネパール語、英語、
ヒンズー語、日本語
1、橋本龍太郎首相の思い出
私は日本山岳会「The Japanese Alpine Club」の会員に
なって以来ずっと、日本の元首橋本龍太郎氏とお付き合いす
る機会を得てきまし。毎年 12 月 10 日の山岳会の会議が開
かれている間に、橋本氏はネパールの社会福祉活動やプロ
ジェクトのために、及びネパールの政府運営の教育病院に
も財政的支援を個人的に行なっていました。彼はまた、ポ
橋本龍太郎氏(右)と
31
カラのネパール山岳博物館への支援もしました。私は彼が
活動的で偉大な個性を持った人であり、その心の中にネパールの国と山に非常に親しみを
持っておられたことを知っています。彼の日本国総理大臣としての期間中、橋本氏は良好
な国際関係及びネパールと日本との関係を発展させて維持して来ました。私もまた彼のネ
パール訪問中個人的に彼に会う多くの機会がありました。彼は非常に謙虚で優しい人です。
彼はネパール訪問の間にはいつも必ず彼が毎年支援している教育病院(Teaching Hospital)
を訪問しました。彼は病院を見学し、患者達と彼らを支えている人達に会っていました。
彼は訪問の間はいつも謙虚で好奇心をもっていました。
2、三浦雄一郎氏の思い出
幸いなことに私の旅行と日本との関係を通して、私はネパ
ール,日本そして世界で登山界に貢献してきた幾人かの著名な
日本人と身近で働くことができました。1970年に私の会
社は三浦一郎氏のエベレスト山からのスキー滑降遠征隊を編
成しました。三浦は冒険に対する熱意を持っていたし、冒険
に臨む時は常に限界に挑戦した。そのスキー遠征は、大胆か
つ記録的な偉業であって、非常に高いエベレストでアドベ
三浦雄一郎氏(右)と
ンチャースポーツをするための基準をつくりました。
3、田部井淳子さんの思い出
1975 年に、私は未だ他に日本人の記録がない遠征隊を編成
する一部を担うことが出来ました。田部井純子はエベレスト
山を登攀し、これまでに最も高い山を征服した最初の女性
になった。彼女は決断し、巨大な挑戦によって動じることは
なかった。彼女の忍耐力はどこでも女性登山者が成功するた
めの基準になりました。彼女は多くのエベレスト登攀者達の
田部井淳子氏(中央)と
中の不動の1人になりましたが、更にエベレストの登山シーズンごとに訪れる登山者によ
って取り残されてきたごみを収集することによって、エベレストの登山道をきれいにする
努力と挑戦を行っています。彼女は多くのエベレスト登攀者達の中の不動の1人になりま
したが、更にエベレストの登山シーズンごとに訪れる登山者によって取り残されてきたご
みを収集することによって、エベレストの登山道をきれいにする努力と挑戦を行っていま
す。
4、植村直己氏の思い出
同様に 1984 年に、私は日本の有名な登山家エベレスト植村直巳氏
のエベレスト遠征隊の一部を担うことができました。植村氏は山を
愛し、彼の本当の情熱は 1 つのことを征服するために何回も繰り返し
おこなったことです。彼のエベレスト遠征中の意気込みは明らかに
植村直己氏
登山者としての最高の探求であった。悲しいことに、彼は他の山の冒険登山中に命を失っ
てしまいました。
32
Wonderful Japanese friend that remains in my mind
Mr.Ghana Shyam paudel
Academic Qualification: Bachelor of Arts
Occupation :Tourism and Trekking Industry
Nepal Namaste Society director
Languages Spoken: Nepali, English, Hindi, Japanese
1、Memory of Prime Minister Ryutaro Hashimoto
I have had the privilege to be in acquaintance with Former Prime Minister Ryutaro
Hashimoto of Japan since my membership in The Japanese Alpine Club. Every 10th
December during the Alpine Club meeting, Mr. Hashimoto has personally contributed
financially for the social welfare activities and projects in Nepal and to the government run
Teaching Hospital in Nepal. He has also also rendered support to the Nepal Mountain
Museum in Pokhara. I have known him to be a dynamic individual, with a great personality
who holds Nepal and its mountain very close to this heart. During his period as Prime
Minister in Japan Mr. Hashimoto had developed and maintained very good international
relation and ties with Nepal and Japan. I have also had numerous opportunities during his
visit to Nepal to meet him personally. He is a very humble and friendly individual.During
his visit to Nepal he always ensured to visit the Teaching Hospital always ensured to visit
the Teaching Hospital that he supports and contributes to yearly. He would tour the hospital
and meet with patients and their guardians. He was always
humble and curious in his visits.
2、Memory of Mr.Yuichiro Miura
Fortunately through my travels and ties with Japan I have been able to work
alongside some prominent Japanese who have contributed to mountaineering both in Japan,
in Nepal and to the world. In 1970 my company organized the skiing expedition of Yuichiro
Miura from Mt.Everest. Myuira had a zeal for adventure in him and was always pushing
boundaries when it came to adventure.
The skiing expedition was both a daring and a record feat that set the standard for
adventure sports in Everest very high.
3、Memory of Mrs.JyunkoTabei
In 1975, I was able to be part of the organizing expedition journey of yet another record
setting Japanese. Mrs. Jyunko Tabaei ascended Mt Everest making her the first woman
ever to conquer the highest mountain. She was determined and unfazed by the enormous
challenge. Her perseverance marked a success for women climbers everywhere. She is still
very much part of the Everest alumni, and undertakes the effort and challenge to clean
33
the Everest trail by collecting garbage that have been left behind by mountain climbers that
make the journey to Everest every climbing season.
4、Memory of Mr. Naomi Uemura
Similarly in 1984, I was able to be a part of the expedition of the famous Japanese climber
Naomi Uemura to Everest. Mr.Uemura loved the mountains and his true passion unfolded
every time he ventured to conquer one. His enthusiasm during his Everest expedition was
evident as the pinnacle of his journey as a climber. Sadly during one of his other mountain
climbing adventures he lost his life.
7-2、日本で事業をして活躍しているネパール人経営者
ロミー ピー ケー ラズバンダリ氏インタビュー
(日時:2015年4月20日、場所:ルンビニ柏店にて)
初来日は観光ビザで、日本の物価高で所持金失い、六本木でバイト
編集部:お生まれはどちらですか。
ラズバンダリ氏:ポカラ市のダウラギリです。
編集部:何年に生まれましたか。
ラズバンダリ氏:1966年7月20日(49歳)です。
ラズバンダリ御夫妻
編集部:来日は何歳の時ですか
ラズバンダリ氏:22、3歳の時(1989年頃)です。
編集部:日本に来られた動機は何でしたか。
ラズバンダリ氏:大学の先生が「日本はアジアで最も優れた、素晴らしい国です」という
言葉に魅せられて、是非行ってみたいと思い、在学中に日本に来ました。
編集部:大学はどこの大学で何を専攻されていたのですか。
ラズバンダリ氏:ポカラのルンビニ大学バニチュです。経済学を専攻していました。
編集部:来日して日本の最初の印象はどうでしたか。
ラズバンダリ氏:確かに何もかも素晴らしかったですが、観光ビザで来て、物価が高かっ
たので金がなくなってしまい、日本を満喫する余裕などなく、ひもじい思いで大
変でした。日本語もできないので赤坂や六本木あたりで仕事を探したんですが苦
労しました。ようやく六本木のインドカレー店でバイトを見つけました。その
店は20年前からやっている老舗で、現在もあります。宿泊はホテルを引き払い、
原宿で知り合ったネパール人と渋谷の西小山のアパートをシエアして暮らし、2
か月半程働いて帰りました。
再来日も苦労の連続、しかし将来妻になる佐々木さんと出会う
編集部:それで再来日はいつですか。
34
ラズバンダリ氏:半年後の1990年です。この時はバイトで日本の飲食業を勉強しよう
と思い、レストラン、バー、喫茶店などで働いていました。そうしたらオーバー
ステイ―になってしまい静岡県の浜松市に逃げて行き、そこの自動車部品工場で1
年ちょっと働きました。
しかし再び東京に戻り、新宿の「マハラジ」というインドレストランで半年ぐ
らい働きました。期間は短かったのですが、そこで現在の妻である佐々木麻子と
出会いました。
編集部:佐々木さんはその頃どこで働いていたのですか。
ラズバンダリ氏:旅行会社の HIS です。彼女とは一緒に食事をしようと約束してしたので
すが私から電話連絡しなかったのでしばらく実現しませんでした。彼女は何回も
マハラジに足を運んで私の消息を尋ねたようです。それで私と連絡が取れてよう
やく一緒に食事をしました。
編集部:佐々木さんと出会っていかがでしたか。
ラズバンダリ氏:そうですね、ゼロからの出発ということで2人でお金を貯めました。私
もお金を稼ぐために青山のバーで働き、更に大手町のイタリー料理の店で半年間
働きました。但し、私は色々な飲食店で勉強する為に半年ぐらいづつしか働かな
かったのです。その店の経営ノウハウを学ぶ事やいろいろな人との出会いを求め
ていたのです。
しかし、オーバーステイ―になっていたので将来のことを考えて、自ら入管に出頭
してオーバーステイ―の罪を認めて本国へ送還してもらったのです。
ネパールで佐々木さんと結婚、二人で来日してネパールレストランを開業
編集部:ネパールへ帰国してどうなさっていたのですか。
ラズバンダリ氏:ネパールではレストランで働いて勉強していたのですが、佐々木さんが
時々ネパールへ会いに来ていろいろ将来のことを話し合って結婚することにし、
カトマンズで結婚したのです。その頃、私はカトマンズで自分の家を作っていま
した。そして1年後に今度は結婚ビザで再び来日したのです。
編集部:結婚して2人で来日して今度はどうしたのですか。
ラズバンダリ氏:私は前に働いていたイタリアレストランに戻ったのです。そこでしばら
く働いていたのですが、妻のお母さんや友人を招いて結婚披露パーテイ―をやらな
ければならなかったので場所を探していたのです。そして会場が決まったのです
が、それをキャンセルして、丁度インドカレーの貸店舗が新松戸に空いていたの
で自分の店を開業することにして、そこで披露パーテイ―を行ないました。
編集部:店を開業したのは何年ですか、また経営状況はどうでしたか。
ラズバンダリ氏:最初の店を1995年に開業したものの、一年半もの間、お客さんはさ
っぱり来店せず経営が行き詰まってしまいました。そこでネパールに建てた家を
売却して借金を返却したり、運転資金に回したりして再起を図りました。私は昼
間店で働き、夜中に自転車でチラシをポステイングして回りました。その結果、お
35
陰さまでお客さんも徐々に増えてきて経営も軌道に乗りました。
編集部:最初は大変だった様ですがその後は順調に店舗も拡大して行ったのですね。現在、
新松戸、柏、大宮、郡山、東陽町、つくばの6店舗を経営なさっておりますが、
それぞれ何年に開店なさったのですか。また、開店に伴って困ったこと等はあり
ましたか。
ラズバンダリ氏:一号店の新松戸店は先程お話したように1995年です。次に柏店が
2年後の1997年、続いて郡山店が2010年、東陽町店が2011年、大
宮店とつくば店が2012年です。この間、経営状況については良い時と悪い
時の波は店ごとにあって仕方のないことですが、その中で最も大変だったこと
は、人はそれぞれ考え方などが違うので、コックやホールスタッフ等の人集め
(募集)でしたね。コックに関してはネパール人コックをネパールの知人の紹
介などで募集し、ホールスタッフに関してはネパール人に限らず日本人、フィ
リピン人やベトナム人等を人材派遣会社や知人の紹介で募集して来ました。
編集部:現在、客層はどのような構成になっていますか。
ラズバンダリ氏:98%は日本人です。
編集部:6店舗合わせて年間の売上高はどれくらいになるのですか。
ラズバンダリ氏:おおよそ2億円ですね。
編集部:20年間に6店舗、それに現在ポカラに日本料理の店を建設中とか、素晴らしい
ですね。今後の展開について教えてください。
ラズバンダリ氏:まず、日本で初めての24時間オープン制を2015年2月1日から柏
店に導入しました。これで夜型のネパール人などを中心にお客を増やしたい。
また、これまでカレーの味的な面では誰にも負けないものを築いてきましたが、
ここでインド人のコックを入れて新しい味づくりに挑戦しようと思って、現在、
5人のインド人コックの入国を入管に申請中です。例えば、バナナの葉っぱを利
用した独特の味のインド料理を日本人に会うようにアレンジするなどして、新し
いレシピを作って品数を増やしながら客層を広げて行く計画です。
店舗展開については、来年(2016年)から大阪や名古屋など西日本方面へ
進出してゆく計画です。私は60歳まで(2026年)は日本で頑張り、60を
過ぎたら日本の店は息子に任せて、今年ポカラに開店予定の日本料理店を中心に
ネパールで日本で学んだいろいろなことを実現して行きたい。
編集部:それは素晴らしいことです。日本で学んでネパールへ伝えたいことはどんなこと
ですか。
ラズバンダリ氏:日本の素晴らしいことはマナーと治安です。特に治安は真夜中でも女子
供が歩いていても襲われることはありません。これは世界でも珍しいことです。
マナーについては、ネパールの日本料理店で日本に留学したいネパール人女子学
生などを働かせて日本式マナーを学ばせたいです。
また、日本料理は、現在、世界的に人気がありますのでこの普及に努力します。
ポカラに国際空港が開設される予定ですので世界中から外国人が来ますので日本
36
料理のニーズは高まると思います。更に、日本とネパールの直行便が開設されれ
ば寿司店も開業できます。
編集部:ネパール人のラズバンダリさんに日本のマナーや日本料理を普及していただくこ
とは日本人としてほんとに有難いことで、感謝します。私たちの一般社団法人日
本-ネパール親善協会もネパール支援のための団体ですのでお互いに協力して行
きましょう。
その他、現在、ラズバンダリさんが行っているボランテイア活動などありました
ら教えてください。
ラズバンダリ氏:現在、ポカラでストリートベビーにサッカーを教えています。目的はこ
の子供たちに学校へ行く気を起こさせることです。子供たちに「サッカーが上手
くなるには頭が良くないとダメだよ」というようなことを語りかけて向学心を持
たせるのです。子供や大人も含めて人生を良い方向に向ける様なボランテイア活動
は積極的にやっていきたいと思っております。お金を稼ぐ欲望は切りが無いので、
ある時期にそのお金をどのように使うかを考えていきたい。今後、貴団体に協力
は惜しまないし、メンバーになって一緒に活動したいです。
編集部:お忙しいところ長時間のヒアリングにお付き合いいただきましてありがとうござ
いました。今後ともお付き合い宜しくお願いします。
ラズバンダリ氏:どういたしましたて。こちらこそ今後とも宜しくお願いします。
ラズバンダリ氏略歴
1996ポカラ市生まれ、ルンビニ大学中
退、1989年に大学在学中に初来日。1
990年に日本人で現代表取締役の佐々木
麻子氏とカトマンズで結婚して再来日し、
1995年にネパールレストラン1号店を
新松戸に開業し、現在、東日本各地で6店
舗経営しており、また、ポカラに日本料理
店建設中。来年以降、名古屋、大阪等関西
方面に進出予定。
8、ネパール技能実習制度関連情報
8-1「ネパール技能実習生の逃亡と制度見直しに思う」
当協会技能実習生事業部編集
はじめに:日本のマスコミを賑わしている技能実習生事業
最近、技能実習生の逃亡や実習制度そのものに関する記事が日本の三大新聞を賑わして
37
いる。読売新聞は2015年2月6日付朝刊一面トップに「実習先を逃亡
難民申請」
「ブ
ローカー指南」
(新聞見出し)と大きな見出しで報じた。しかも内容を見ると私たち日本-
ネパール親善協会にとって穏やかならぬネパール人のブローカーと実習生について次のよ
うに報じられている。「難民認定の偽装申請問題で、入管難民法違反(不法就労助長)容疑
で摘発されたネパール人ブローカーの男(30)が偽装申請を指南したネパール人の中に、
外国人技能実習制度で来日した実習生が多数含まれていたことが分かった。少なくとも約
20人が男の仲介で実習先以外の工場で働いていた。昨年、難民申請した実習生は約40
0人で4年前の10倍近くに急増しており、入管当局は、高収入を求める実習生による偽
装申請が広がっていると見ている」
。法務省によると、実習先から逃亡した実習生は、20
10年の1282人から13年には3567人に急増。実習生による難民申請も、10年
の45人から14年(1月~11月)は391人に増えた。
このブローカーの仲介で栃木市の人材派遣会社役員は「15人を栃木の家電製造工場に
送り込んだ。しかし、工場に警察の調査が入り、その15人を含む20人はいずれも外国
人技能実習制度で来日した実習生で、実習先だった九州や沖縄の農園などから逃げ出した
後、難民申請していたことが判明した。役員は昨年5月、15人全員を解雇した。」
そして、派遣された側の工場の人事担当者は「震災や東京五輪で派遣労働者のニーズは
高まっている。労働者の取り合いになっているなか、外国人を使わざるを得ないのが現実
だ」と締めくくっている。
また、朝日新聞は1月16日付の朝刊一面トップに「外国人実習、悪質な仲介排除」
「受
け入れ団体許可制に」
(新聞見出し)と報じた。内容は外国人技能実習制度の見直しを進め
る政府の有識者懇談会の報告書案について取り上げ、次のように報じている。同案は「実
習生を送り出す側の国と日本政府の二国間で取り決めを結び、送り出す国が仲介団体をき
ちんと認定することで悪質な仲介団体を排除し、帰国後の実習生の状況についての調査に
両国が協力する。失踪防止などの名目で、送り出す側の仲介団体が高額の「保証金」をと
り、実習生を実習先の企業等に縛る事例が問題となっている。また、いまは中小企業団体
や商工会、農漁協などが実習生を受け入れる監理団体を直接規制する仕組みはないが、政
府が新設する管理機関による許可制にするよう求めている。不正行為があった監理団体や
企業についても公表すべきだ、と。受け入れ後は実習生が実習先を自由に変えられず、不
正があっても訴えにくいケースもある。このため人権侵害などがあった場合は、実習生か
らの求めに応じて、他の実習先に移れるように新設の管理機関が支援することも盛り込ん
だ」。更に、「実習制度を見直す背景には、実習生への賃金未払いや長時間労働等の不正が
絶えないことがある。」としている。
これらを踏まえて、「新しい管理機関を15年度中に設立し、不正の取り締まりを強化す
る。新設の管理機関は監理団体の許可や取り消しをはじめ、法令違反があった場合の告発
など行政機関並みの機能を持たせる。人権侵害などの被害にあった実習生を保護する役目
も担う」。
更に、毎日新聞は2月19日付朝刊9面の「記者の目」欄に「
『外国人技能実習制度』見
直し」、「『就労』の現実直視の時だ」(新聞見出し)と言う見出しで、現在の実習生度は本
38
来の目的から逸脱しており、「実習生」ではなく人手不足を補う「労働者」として扱われて
いるのだから、制度の見直しが必要だと次のように述べている。「『実習生』とごまかす限
り外国人材の活用と国内の雇用の保護を両立させるための建設的な議論は封じられる。現
実の課題から目を背け、小手先の対応を続けるのはあまりにも無責任だ。制度の存続は、
外国人労働者を苦しめるだけでなく、日本の将来をゆがめかねない。人口減少という転換
期を迎えた日本は、既に外国人の支えなしに社会が成り立たなくなっている。五年後の東
京五輪も、実習生を活用して人手不足を確保しなければインフラ整備が追い付かないと見
込まれる。国籍や性別、世代を超えて知恵や力を出し合う「多様性」の社会を構築しなけ
れば、産業界の発展も難しくなるだろう。実習生と同じ程度の短期就労を制度化し、外国
人を社会の担い手として正面から迎え入れる総合的な政策を考える時期に来ている。関連
法案を審議する今国会を、急場しのぎの対応を議論する場に終わらせてはならない。移民
社会の入口に立つ現実を直視し、日本人と外国人が共存する将来像について真摯に話し合
う姿勢が、政治家に求められている」。
以上、3紙の内容を比較して見ると、読売は外国人実習生の逃亡を手助けしたブローカ
ーを前面に暴露しているものの、反面、それらの逃亡者を雇用せざるを得ない工場側の切
実な背景を指摘して両者が結びつく必然性を暗に匂わしており、更にその関係を一歩進め
て、毎日はそれらの現実を認知した制度として、技能実習制度ではない、労働者として外
国人を雇用できる「短期就労制度」を提案している。これに対して、朝日は、現在の技能
実習制度を見直して、悪質な仲介団体を排除したり、実習生の人権をまもり、また受け入
れ団体の許認可権を与えた新しい管理機関を設置して、制度そのものを強化してゆくとい
うものである。
これらの問題について弊協会の実習生事業部の一員としての感想を次に述べたい。
私たちの事業目的の大きな柱の一つにネパール経済の自律型産業の構築支援があります。
この事業を進めてゆく上に欠かせないのがこの「外国人技能実習生事業」です。つまり、
この制度の目的が「発展途上国の技能者を3年間(5年に伸びる)日本に招請して技術を
習得させ、3年の実習終了後実習生は本国に帰って母国の産業発展に寄与する」というも
のなので、ネパール実習生が日本に来て日本の技術を学んで帰国後ネパールの産業発展に
貢献することを私たちは期待し、それをネパールの自律型産業構築の土台の一つにするこ
とを想定しているからです。
従いまして、ここでは朝日新聞が掲げた新しい形の「外国人技能実習制度」とその制度
を崩壊させる可能性を孕む「実習生の逃亡」について触れたい。毎日新聞が提案する「短
期就労制度」については実習制度とは別次元の移民促進を含む外国人労働者の雇用問題な
ので触れない。
1、ネパール国の威信と実習生の誇りを失墜させる逃亡者たち
最初に、実習生の逃亡について述べるが、読売新聞のこの記事を読んで悲しい気持ちに
なった。日本とネパールの政府間協定に基づいて日本で3年間技術を学んで、実習終了後
に帰国してネパール本国の産業発展に貢献するという志の高い使命を抱いて来日したネパ
39
ール実習生達が彼らの使命を放棄して犯罪となる逃亡を企てたことに加えて、その逃亡を
手助けし或いはまた逃亡をけしかけて実行させたネパール人ブローカー達の存在がある。
実習生達の果たすべき技能実習制度の法的義務を放棄させて、おそらく彼らの私利私欲か
ら難民認定の偽装申請したことには悲しさを超えて憤りさえ覚えるほどであった。
これらの事件はネパール連邦共和国の期待と他の多くの実習生の誇りを踏みにじり、そ
の国威と誇りを失墜させてしまった。ネパール人は誇り高き志を持った高邁な民と思って
いたがその期待が裏切られた気持ちだ。弊日本-ネパール親善協会の最も大きな事業目的
の一つにネパールの出稼ぎ構造を解消する為に雇用の場である産業を興す支援事業があり、
その先兵として実習生に期待を持っていたが、その夢も砕かれてしまいそうな事件である。
逃亡を企む実習生やその逃亡をそそのかすブローカー達よ!!
ネパール連邦共和国の威
信を保つ為にも、また実習生自らの誇り高き志を失ってしまう逃亡のような不法行為は止
めてほしい。この技能実習制度はアジアを中心とする発展途上国の実習生が対象になって
いるので、ネパール以外の他の国の実習生(例えば、中国、ベトナム、対(?)フィリピ
ンなど)と常に比較されながら実習受け入れ組合や実習実施企業に評価されて受け入れが
実現するので、このような事件が続けばネパール実習生はこの制度からシャットアウトさ
れてしまうだろう。残念ながら、そのような瀬戸際に立たされているネパール実習生の状
況の中でも逃亡は増え続けているようにみえる。一体、この背景には何があるのか、次の
朝日新聞が取り上げた技能実習制度の見直し問題を見ながら探っていきたい。
2、技能実習制度見直しによる制度適正化と逃亡阻止に期待
この制度見直しは「技能実習制度の見直しに関する法務省・厚生労働省合同有識者懇談
会」報告書に基づいたもので、その基本的な主な考え方は次のようなものである。
1、この制度の目的である国際貢献の趣旨を徹底する。
2、技能等の修得・移転の確保。
3、監理団体及び実習実施機関の適正化。
4、実習生に対する人権侵害行為等の防止及び対策。
5、送出し機関の適正化。
つまり、この制度の目的である国際貢献を実現させるために、現在指摘されている問題
点の改善と制度の活用を図るために、まず、実習の各段階での技能評価の推進と実習生の
帰国後のフォローアップを強化してその技能発揮を推進する。それにはそれらの監理・実
施機関である監理団体(組合)及び実習実施機関(農家や企業)のガバナンスを強化して
問題のある機関の排除、新たな制度管理運用機関の創設、不適正な監理団体等に対する罰
則や名称の公表制度の整備、更に 実習生に対する人権侵害行為等の防止及び対策を推進し、
また、送出し機関の適正化については送出し国との政府(当局)間取決めの作成及び監理
団体及び実習実施機関によって送出し機関と実習生間の契約確認の義務化を徹底する、こ
とである。
以上の見直しの中で次の4点が重要と思われるので示しておこう。
(1) 実習生の帰国後のフォローアップの推進
40
実習生が修得した技能等の帰国後の活用状況に関する追跡調査(フォローアップ調査)
を行う。まづ最初に、適当な時期に我が国政府が実施し、次いで 監理団体は国が行ったフ
ォローアップ結果等を通じて技能移転の状況を確認し、それを次回以降の受入れのために
活用して技能等が確実に移転されるように努める。
なお、追跡調査の主な事項は、主に以下のようなものがとりあげられている。
①技能実習の効果の有無・内容、② 帰国後の就職状況・従事内容、③ 保証金の有無、
④ 在留中の法令違反や人権侵害等の問題の有無・内容
(2) 監理団体及び実習実施機関の適正化・ガバナンス強化
監理団体については、新たに許可制とし、外部役員や外部監査を導入して、報告徴収・
改善命令等の必要な指導監督(改善されない場合は許可を取り消すことを含む。)を行う。
また、政府が監理団体を管理・監督する新たな管理機関を創設し、そこに許認可や立ち
入り検査権等の権限を与える。
実習実施機関については、実習生との間に労働契約が存在し、労働関係法令による直接
規制及び労働基準監督機関による指導がなされていること等も踏まえ、許可制よりも緩や
かな届出制とし、報告徴収・改善命令等の必要な指導監督(改善されない場合等、必要に
応じて技能実習の廃止を命ずることを含む。)を行う。
(3)送り出し機関の保証金・違約金等の授受禁止
監理団体は、送出し機関と実習生との間で保証金や違約金の契約を行わないことを送出
し機関との間の契約上で明らかにし、実習実施機関は、実習生本人に送出し機関との間で
保証金や違約金その他不正な金銭の支払義務を課す契約がないことを書面で確認する。監
理団体や実習実施機関がこうした行為を怠った場合には、許可の取消しも含め相応の処分
が下される。
また、技能等の移転を確実に担保するとともに、保証金等不当な金銭の徴収や管理、労
働契約不履行に係る違約金を定めるような悪質な送出し機関を排除するためには、送出し
国政府の協力を得て、送出し機関の適正化を図る。
以上、制度見直しについて見てきたが、現制度の抜本的な改革を通じて制度の目的であ
る国際貢献を更に推進するという趣旨には大賛成である。特に、技能の習得・移転につい
て実習生の本国にそれが根付くところまで確認する「実習生の帰国後のフォローアップ」
推進に期待したい。
更に、「監理団体と実習実施機関の適正化とガバナンス強化」は実習生に対する労働基
準違反や人権問題の解決の為にも是非強化して欲しい。その強化の一環の為に「政府によ
る新しい管理機関の創設」はこの制度全体の適正化と活性化に大いに役立つであろう。
最後に、送り出し機関について、実習生の逃亡と深い関係があると思われる保証金や違
約金授受の禁止及び取り締まり強化も重要な課題であり、今後の逃亡防止策の一環として
重要な解決すべき課題である。これらの見直しが実現してネパール実習生の逃亡がなくな
って、彼らが実習終了後に帰国してネパール産業の発展に貢献できる日が一日も早く来る
ことを祈りたい。
3、逃亡の背景と今後の課題
41
以上の制度見直しから読み取れる背景の中にある逃亡の原因と考えられるものには、次の3点
があると思われる。一つ目は、受け入れ組合や実習実施機関による実習生に対する人権侵害や給
料の未払いなどの労働基準法違反、二つ目は、送り出し機関の高額な保証金や違約金の徴収、三
つ目は、帰国後の実習生に対する送り出し機関、受け入れ機関及び実習実施機関のフォロー無し
の無責任体質、である。
この3つの中から具体的に実習生が逃亡する原因を挙げてみると、①肉体的・言葉の暴力やセ
クハラ等の人権侵害、②給料・割増賃金等の未払い及び飯場的な拘束や労働強制等の労働基準違
反、③実習生として最低賃金で3年間働いた分では返しきれないほどの送り出し機関による高額
な保証金や違約金の徴収、④逆に、送り出し国側で送り出し機関やブローカーが「日本で多額の
お金が稼げる」というような「甘い言葉」で実習生勧誘し、⑤更に、日本に入ってからも「簡単
に逃亡が可能で、逃亡して一般の会社で働けば「実習生の給料を遥かに超えるお金が稼げるよ」
というような助言、⑤全くそれと同じ言葉と自分の私利私欲から日本に来た実習生を「逃亡に勧
誘する」日本側ブローカー、⑥日本側関係機関による帰国後のフォローや指導の欠落による実習
生の制度に対する意識低下などである。
このような複数の逃亡原因を先の制度見直しだけで完全に解消できるとは思えないが、その歯
止めになることは確かであろう。それをもう少し確かなものに近づける為には法的・行政的介入
が必要である。特に、現在法的・行政的に尻抜け的状況にある実習生受け入れ制度と難民申請窓
口との関係がある。国と国の協定に基づいて技能実習生として入国した者が、同じ入国管理局の
難民申請窓口で簡単に難民申請を受理されて逃亡に繋がってしまうという矛盾した行政のあり
方は納得できない。 このような縦割り行政の弊害は他の多くの行政部門でも見受けられる事で
あるがこの問題は余りにも理不尽な行為だ。
というのも、多くの受け入れ組合や実習実施機関の担当者が実習生受け入れ許可担当窓口と難民
申請窓口に抗議に行っているが、両窓口の決まりきった抗弁は、実習生受け入れ窓口の方では「実
習生の難民申請については難民受付窓口に対して一切何も抗議できない」ということの一点張り、
他方、難民申請受付窓口は「実習生であろうと正式に申請があれば全て受け付ける」との一点張
りだそうだ。またこれはどちらの窓口の言動か知らないが、ある農家の人が「実習生なしでは営
農できないので善処して欲しい」と懇願したところ「実習生がいなくて営農できないなら仕事を
辞めたらいい」と農家の現実を無視した信じがたい発言をしたそうだ。ここまで国の担当機関が
発言するとなると、この技能実習制度そのものの否定に至り、毎日新聞の主張する「実習生」で
はなく人手不足を補う「労働者としての短期就労制度」を認めた方が現実的な解決策になってし
まうだろう。
外国人技能実習制度を存続するためには、この問題については弾力な法的・行政的な施行が不
可欠であり、この問題解決には「技能実習制度で入国した実習生が難民申請をした場合はそれを
難民申請窓口は受け付けず、両者が協力して申請者(実習生)を法的違反として本国へ強制送還
できる機能を充実して欲しい。
今後の課題としては、まず、①技能実習制度の見直しの早期実現、②見直しに伴う改革に従っ
て送り出し機関、監理団体及び実習実施機関が相互連携のもとに技能実習制度の目的追求を果た
して行くこと、③技能実習生自身の同目的追求の為の意識改革と関係機関による実習生達への啓
42
蒙活動、それと最後に④この制度の目的遂行の為の国及び自治体の法的・行政的機関の弾力的協
力である。これらの課題をそれぞれの部門が確実に実行してゆけば、その過程で逃亡の問題も必
ず解決されてゆくだろうと思う。
(注)技能実習制度の見直しに関する箇所は、「技能実習制度の見直しに関する法務省・厚生労働省合同有識者懇談会」
報告書に基づいている論述のため、その報告書の多くの部分を引用したことをお断りしておきたい。
8-2実習生だより(執筆中)
9、事務局長就任挨拶
事務局長就任にあたって
木 戸
幸 義
私とネパールの付き合いは 1997 年の 9 月に遡ります。
以前、政府関係機関の特殊法人に勤めていた関係から国際協力事業団(当時)、アジア経済研
究所(当時)、日本貿易振興会(当時)とのつながりがあり、海外の動向、交流には関心をもっ
ていました。
ネパール訪問のきっかけはある事情で現在の科学技術振興機構を退職した時に日本に旅
行にきていたネパール人と偶然に出会ったことで、以前から抱いていた仏教開祖釈迦の足
跡探究、ヒマラヤへの憧れが燃えあがりネパールへ足を踏み入れることになりました。
首都カトマンズに数日間滞在し、まず、子供たちの純粋な心、透き通った瞳に接し、貧困
のため教育も受けられない現状を目のあたりにして何か寄与できるものがないかを考えて
しまいました。一人では何もできないでいたところ日本への教育・留学を推し進めている
「Nepal Japan Educational Consultancy」のタパ氏、アチャレ氏に出会い小さな活動を始
めました。
それからネパールを 10 回、訪問し、現在にいたっています。
その後の活動内容はまた、報告する機会があったら述べさせていただきます。
今の山岸会長とは仕事をとうして知り合い、以後、ネパール関連の事業をはじめ、ともに
活動を続けてきました。
今回、事務局長の重職を引き受けることになりましたが、日本とネパールの振興に少しで
もお役に立つことが出来ればと思い、微力ではありますが頑張りたいと思います。
Introduction to the Director
Yukiyoshi
Kido
The relationship of Nepal with me contact on September 1997.
Previously, worked for corporations of government agencies from Japan International
Corporation Agency, Institute of Development Economies, Japan External Trade
Organization with ties, had been interested in overseas development, exchange.
Now entering Nepal blazed longing for footprints Buddhism Gautama was founder in
Nepal and that I encountered during the Nepal visit sparked resting Japan Science
Technology Agency in certain circumstances came to the travel to Japan, had held the
43
previous inquiry into the Himalayas.
I stayed about one week and I was thinking, first of all, that I was contact treating
Nepal child has pure sprit mild, eyes clear, not education due to poverty, then, that you
can contribute something.
Are pushing education into to Japan so far had can’t do
anything bi himself ”Nepal Japan Educational Consultancy” of Mr. Tapa and Mr. Achale
met and stared small active.
Then I visited 10 times and my volunteer activities continue now.
Subsequent, activities I wish next time report.
I become acquainted with Yamagishi Chairman by working and Nepal related business,
including both continued to conduct.
I think it is a mite, can be helpful even a little promotion in Japan and Nepal will now
take layleader’s Executive Director this time, and I want work hard.
10、新理事就任の抱負
10-1、カルプ シェルパ氏
2015年から日本ネパール親善協会の理事となりましたカルプ
シェルパと申します。
ネパールは、皆さんもご存知の通り連邦民主共和国(Federal democratic
republic of Nepal)です。
人口2700万人ぐらいで東西 800 キロ南北 230 キロの小さな国です。仏陀の生誕地ルンビニ、
最高標高はエヴェレスト山頂 8848メトール、世界に14座ある8000 メートル級の峰のうち、
座がネパールにあります。
山岳地帯から丘陵地帯、渓谷や湖、南部の平原とバラエティ豊かな地形が広がっており、豊かな
自然を産んでいます。ネパールはヒマラヤを水源とした河川の水資源も豊富ですが、近代化にと
もない水不足にも悩まされています。またネパールには 93 の異なる言語や地域語を持つ 100 以
上の民族が暮らしています。
ネパールは観光業が重要な外貨獲得手段であります。ネパール観光産業の現状は、1996 年に始
まったマオイスト(毛沢東主義者)のゲリラ活動が激化したことなどをきっかけに治安状態があ
まりよくないこと、政情不安定などから 2006 年まで観光客は減少傾向にあったが、2007 年から
ネパール国は平和が回復しはじめ、観光産業も回復してきています。最近は日本人旅行客も大勢
訪問するようになっています。世界各国から年間50万の旅行客がネパールに来るようになって
います。このような観光産業においても、経済産業においても さまざまな問題があるのは事実
です。そこで、日本国民とネパール国民の親睦・交流を通して両国の友好、また、産業や企業が
親善を深めてそれらの問題解決に繋げていければと思います。
私は日本-ネパール親善協会の会員になったので今後ネパールと日本の架け橋として活動する予
定です
44
カルプ
シェルパ氏の経歴
1995 年 3 月 八千代台国際大学卒業
1996 年 4 月 三菱自自販入社
1997 年 4 月 ナマステ有限会社設立
<ナマステ有限会社の主な事業>
★2014 年 4 月ピーケー ライズ株式会社(人材派遣会社)設立(取締役社長)
★城南(有)
(城南外国語学校)理事
★カトマンズリオンの特別会員(2004~現在)
10-1,Greeting of appointed director, Mr. Karp Sherpa
I‘m Karpu Sherpa, appointed a director of Japan-Nepal
You
Friendship Society
in 2015.
know, Nepal is Federal democratic republic of Nepal. The population is about 27
millions. The territory is small country, that distance from east to west is only 800km and
from south to north is only 230km.
In Nepal there are Lumbini of the Birthplace of the Lord Buddha, Mt. Everest of the highest
elevation 8848m and 8 seat of the 14 seat of 8,000m class mountain in the world.
Variety of terrain that are located from mountainous area, the hills, valleys and lakes ,the
plains of south area has brought up a rich nature
Nepal has abundant water resources for rivers which the water source is the Himalaya
mountains, but we are also plagued by water shortages due to modernization. Also more
than 100 different ethnic groups who speak local languages of 93 are inhabiting in Nepal.
In Nepal, tourism industry is a means to earn an important foreign currency.
For current situation of Nepal tourism industry, tourists had to decline until 2006 due to
political instability and deterioration of the security situation because guerrilla activities of
Maoist(Mao Tse-tung ism) that began from 1996 have intensified.
However, Nepal began to recover peace from 2007, the tourism industry has also been
recovered. Recently, Japanese tourists also come to many visit. Tourists 500,000 have now
come to Nepal from around the world.
Even in such a tourism industry, even in other economic and industrial, it is true that there
is a variety of problems.
So, I will promote the bilateral friendship and goodwill through friendship and exchange of
the Japanese people and the Nepal people, also, I think that it may be accustomed to solve
those problems by deepen exchanges and friendship between the two countries of industries
and companies .
By becoming a member of the Japan-Nepal Friendship Society, I am planning to be activated
as the bridge between Nepal and Japan future
45
Karpu Sherpa's career
Graduated Yachiyodai International University in 1995-3
Entered the Mitsubishi Zihan Company in 1996-4
Established Namaste Private Limited Company in 1997-4
★Activities under Namaste Private Limited Company:
★Established P.K Rise Co.,Ltd (charged employment service)in 2014-4
( Managing director)
★Jyounan Co.,Ltd (Zyounan Foreign Language School) director
★Charter member of Kathmandu Lion club (2004-till today)
10-2、アムリット
ダカル氏
写
真
私は、アムリット ダカルと申します。この度、日本-ネパール親善協会
の理事として参画いたしました。日本の方々の協力で、ネパールの子供達は、
さまざまなご支援をいただいております。ネパールサイドといたしまして、
心からお礼もうしあげます。
私はネパールの貧しい子供達の支援のためにネパール人として今まで参画してきました。それ
は、この国の抱える矛盾に満ちた問題が解決されないことからはじまっています。
子供達は等しく福祉をうけるべきであり、学校へ行く権利があります。しかし、地方の教育は不
足しており、行き届くことが少ないのです。その理由はまだ、カースト制の見えない壁や、仕事
のない人々があまりにも多いことからです。一番弱い子供達が、其の犠牲者になっています。こ
こに目をむけることが、私達の活動の中心となっています。
これから、この活動を充実させ、広げていきたいと思っております。日本の皆様のさらなる暖
かいご協力をお願いいたします。(この原稿はアムリットさんが日本語で書いたものをそのまま掲載してありま
す。
)
アムリットダカル氏の経歴
生 年:1975 年(39歳)
学歴:トリブバン大学(マスター)
現在:NPO 法人ネパール平和ハウス代表理事
チャルマテ カレッジ創立理事
カトマンズ ロータリー クラブ会員
10-3、ガナ シャム ポウデル氏
2015年度から理事に就任したガナ シャム ポウデルです。日本―ネパール
親善協会の為にネパールから協力しますのでよろしくお願いします。
挨拶の代わりに私の経歴を掲載してこれらの経験を活かしたいと思います。
46
Name
Permanent Address
Nationality
Academic Qualification
Occupation
Languages Spoken
Countries Visited
Bio
Data
Ghana Shyam Paudel
Bishalnagar-5, PO Box – 1034, Kathmandu, Nepal
Nepali
Bachelor of Arts
Tourism and Trekking Industry
Nepali, English, Hindi, Japanese
Switzerland, Germany, Italy, France, Netherlands, Japan, S.Korea,
Thailand, Hongkong, India, Tibet.
RESUME
Manager
Instructor
Manager
Founder and Managing Director
Managing Director
Vice President
Founder and Owner
Founder and Chairperson
Chairperson
Member
Himalayan Society (1975-1977)
Trekking Guide Training – HMTTC (1976)
Himalayan Trekking (1977-1979)
Kanchenjunga Trekking (1979-1981)
Yeti Mountaineering and Trekking Pvt. Ltd
(1982- present)
Trekking Company
Trekking Agents Association Nepal (TAAN)
1979-1983
Sukeyasu Hotel (1985- Present)
Bed and Breakfast
Namaste Association (1994- Present)
Non- Profit Organization that manages Namaste
School and contributes to various development
projects in Nepal
Nepal Heiwa House (2011- Present)
Japanese Language School
Japanese Alpine Club
Other prominent performances and activities:
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Member of the Kabadi Committee (1976- 1986). Organized Kabadi matches in different parts
of Nepal and India. Receipent of referee title for Kabadi held in Calcutta for the first time in
1983. His Majesty the Late King Birendra Shah of Nepal in audience in regard to Kabadi
sports in 1982.
Since 1975, participated symposiums, conferences, seminars in Europe and Asia for tourism
promotion of Nepal tourism in general and with emphasis on mountain tourism such as
trekking expeditions and tourist guide.
Organized the Myuira Ichiro skiing expedition from Everest in 1970.
In 1973 organized an Italian expedition of Guido Manziro to Everest, the biggest and most
expensive expedition to Everest of that time
Organized the successful Junko Tabaei expedition to Everest in 1973, the first woman to scale
Everest
In 1984, organized the famous Japanese climber Oyamura Nawami expedition to Everest
Handled efficiently and effectively more than a hundred groups both big and small in number
in Himalayan expedition.
Actively engaged in social work and development projects.
Member of Rotary Club of Kastamandap (2001- Present)
10-4、桑原充男氏
この度、日本ネパール親善協会の理事になりました桑原充男と申します。
私は山岸正会長と同郷の群馬県出身です。そのご縁で日本ネパール親善
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協会に入会致しました。群馬県も、ネパールの規模とは違いますが、
赤城山、好義山、榛名山の上毛三山を初め谷川岳、尾瀬沼の美しい自然
更に草津温泉、伊香保温泉などの名温が沢山あります。
自然の美味しい水から県内に多くの日本酒の酒蔵、うどんの文化が発展しました。
還暦を迎えてから、特に今までにお世話になったところに、恩返しをしたいと今まで以上
に思うようになりました。何か出来ることがあれば、故郷、出身学校、クラブ、お世話に
なった方々に少しでも役立ちたいとの「感謝と思いやり」の気持ちです。
又、今までの、出会いを大切に生かしたいということが、活動のきっかけにもなり、ネパ
ールで藤波辰爾プロレス興行の支援を始めたいと思いました。プロレス興行にプラスして、
40年間係わった上下水道事業と新たな小水力発電事業、教育の支援、更に食文化まで含
めたトータル文化交流に貢献したいと考えています。これからの高齢化に向けて、日本か
ら高齢者がネパールに手軽に滞在出来るように、小水力発電の売電を行うことにより、安
価に住める住宅、療養施設の充実した運営が出来るような希望を持ち、更に美味しい日本
酒やうどんをネパールで作れればと期待しています。それにはお互いに信頼関係を保ち、
一つ一つ前進するように前向きに頑張りますので、ご支援、ご協力よろしくお願い申し上
げます。
桑原充男氏経歴
群馬県人会連合会
理事
東京農業大学第二高等学校
全日本学生自動車連盟
千葉工業大学
同窓会首都圏支部長
関東支部
理事
体育会自動車部OB会
21世紀水・環境研究会
会長
幹事
10-5、P.K.ラズバンダリ氏(執筆中)
11、ネパールからのトイレ建設とパソコン寄贈要請等について
ネパール国は世界の中で最貧国(下記注参照)に位置づけられ、しかも貧富の差が大きく、そ
れらの貧困層の中には当然学校にも行けずに家計を助ける為に働いている児童もいます。また貧
しい農村部では学校もなければ、電気も通じていないところもあります。しかも生活環境は悪く、
医療はもちろん身近な飲料水やトイレの設備なども不十分です。
このような貧困層の救済のために世界から手が差しのべられ、学校や医療施設の建設、発電所建
設、道路などのインフラ整備などが進められています。
私たちの協会はこのような大規模施設の支援は現在力不足で出来ませんが、もっと身近な支援
から始めたいと思います。たまたま当教会のネパール在住の理事から「貧困地域のトイレ建設」
と「学校へのパソコン寄贈」を呼びかけられていますので協力しましょう。
「トイレ建設&パソコン寄贈義援金」:一口1,000円、一口10,000円、
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一口50,000円
但し、パソコン寄贈は現物も受け付けておりますので、使っていない PC がありましたらお願
いします。
<振込先>
①みずほ銀行(池袋支店)店番号:230、口座番号:1687799 (普通預金)
名義:一般社団法人日本-ネパール親善協会
②郵貯銀行(店名:〇一八)、店番号:018、口座番号:1654918 (普通預金)
名義:一般社団法人日本-ネパール親善協会
<お問い合せ先>
一般社団法人日本-ネパール親善協会「トイレ建設&パソコン寄贈義援金」係
本部:東京都豊島区東池袋 1-14-12 本多ビル3階
電話:03-5985-4945 FAX:03-5985-4954
URL:http://www.japanepal.org
E-Mail:[email protected]
(注)最貧国の定義:国連が決めた定義では①国民総所得(GNI)の 3 年平均値が 905 米ドル以下であること、②健康
や識字率などに基づく人的資源指数(Human
Assets Index)が一定値以下であること、③農作物生産量の安定度
などに基づく経済的脆弱性指数(Economic Vulnerability
Index)が一定値以下であること、の 3 つの基準を
元に認定されている。2010 年 3 月末現在、49 か国が認定されている。
世界銀行の定義では「1 日 1.25 ドル未満で暮らす人の比率」(国際貧困ライン)があり、
目標設定当時の国際貧困ラインは、1 日 1 ドル未満としている.
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