窓ガラスの進化

平成 27 年 7 月 23 日
千葉大院融合 椎名
応用光学コラム その 11
窓ガラスの進化
窓は部屋への採光を目的につくられた。その進化は現代になってより大きな
意味を持ち始めている。 今の住居用窓はガラスの技術の進化を物語っている。高断熱ガラス、強化ガ
ラス、積層ガラス、防犯ガラス、云々。生活を快適に、便利に過ごすことを目
的に、夏涼しく冬暖かく、割れにくく、有害な光をカットして、防犯の目的も
かねて、と窓への期待とその役割は増える一方である。 一方で、最近は夏の冷房、冬の暖房効率を向上すべく、高気密高断熱な家が
増えた。その結果として、冷暖房に加え、加湿に除湿、さらには空気清浄まで
しなければその効果は期待できない。これでは省エネ住宅にはなり得ない。 大きな窓の明るい部屋は魅力的だが、その代償に部屋の中では過度に冷房が
使われる。外気はその室内からの熱気で灼熱化し、特に大都市では街全体がま
さにヒートアイランド化してしまう。その結果として人工的な大気の気流の乱
れを生み、ゲリラ豪雨や竜巻といった異常気象を引き起こしている。
断熱性の高い壁や窓、床、天井を持つ住宅が増えた結果、気密化された部屋
はダニやカビの繁殖を助長させることになった。加えて、ホルムアルデヒドを
はじめとする有機溶剤、防腐剤によるシックハウス(室内空気汚染)症候群が
社会問題となり、その対策に、2003 年より 24 時間の換気設備の設置が義務づけ
られた。
昔ながらの日本家屋には採光の目的で障子戸が使われた。夏はそれを開け放
つことで外気の通りを良くした訳だが、湿気の多い日本ではそもそも夏は高温
多湿で過ごしにくい。また冬に寒さを防ぐにはあまりにも障子戸では心もとな
い。西洋住宅の普及と共に窓の文化を取り入れた訳だが、日本の気候に馴染む
にはまだ日が浅いのか、そもそも課題が多すぎるのか . . .
健康であるために、有害な外気をシ
ャットアウト?有害な室内空気を
清浄化?
平成 27 年 7 月 23 日
千葉大院融合 椎名
応用光学コラム その 11
ガラスの歴史 黒曜石や隕石を除けば、ガラスとは天然に存在する素材ではなく、人工的な
ものである。
プリニウスの「博物誌」には東地中海海域にあるイスラエルの海岸でフェニ
キアの商人が炊事をするのに炉を築こうとして、船荷の炭酸ソーダの塊を用い
たところ、炉の熱によってソーダの塊と海岸の白砂が混ざり合って溶解し、ガ
ラスが出来たという話が載せられている。ガラスはそれ自体がいきなり出現し
たわけではなく、その前段階の釉薬やフリットのような素材として出現した。
紀元前3000年から2000年の前半にはエジプトやエーゲ海峡などでアルカリ石灰
ガラスによる小さな装飾品がつくられるようになった。紀元前2000年後半には
ガラス容器が西アジアやエジプトで出現している。
紀元前1500年頃には粘土で型を作り溶かしたガラスを押し付けて成形する
「型押し法」などの製造技術が確立した。やがて、ローマ帝国時代(紀元前27
年−紀元後395年)には「吹きガラス製法」が発明された。鉄パイプの先に溶か
したガラスを水飴のように巻き取り、息を吹き込んで風船のように膨らませる
製法である。現在まで世界中で受け継がれる製法である。これによって様々な
かたちや大きさのものがつくられるようになった。この頃にガラス窓も誕生し
た。また、吹きガラスの普及に伴い、1世紀末には透明なものが好まれるよう
になった。 12世紀にはステンドグラスの技術が確立された。また、ベネツィア・ガラ
スが15−17世紀には大きく繁栄し、ヨーロッパ中に強い影響力を示すことになっ
た。建築にガラスが多用されるようになると、ガラス工芸と板ガラスははっき
りと分化し、それぞれ独自の道を歩み出すようになる。より大きく平らな板ガ
ラスの製造へ向け、さまざまな方法が試みられて現代に至っている。
そもそもガラスは粘性の非常に高い液体(非晶質固体)である。透明なのは、
原子の並びが不規則なために光をさえぎるような境ができないことによる。
ガラスのコップ。
儚さは脆さのせい?美しさは輝きのせい?