§18 余暇を定義すると【Green】

§18 余暇を定義すると【Green】
■ 文法的解析
【表記のルール】
□ [
名詞
],(
形容詞
),
<
副詞
>
,同形の反復部は*, **, ***などで表現する
□ 等位接続詞は
□ 関係代名詞節の欠けにはφをうつ
□ 代名詞の対応関係は# [ ~ ] で示す
Prehistoric humans spent only 40 percent of their waking hours on the necessities of life
,( such as *food and *shelter,) <
according to anthropologists>.
人類学者
That left 60 percent for "leisure" pursuits ― (*napping, *storytelling, *painting pictograms on cave walls, and *so on.)
<Despite the increase of "labor-saving" devices (ranging from microwave ovens to drip-irrigation systems, )
modern humans seem to have less leisure time than *their long-lost ancestors.
[Visions of a twenty-hour work week]
週 20 時間労働
,< a noble idea( proposed by philosopher Bertrand Russell in the 1930s)>,
have never come to pass.
一度も実現していない
<In fact>, <as the *global and *domestic economy declines>,
many people find themselves working fifty to sixty hours a week( just to get by).
50-60 時間はたらいている
b <In this culture>,
[our sense of *identity and *even self-worth] is measured largely *by the work (that we do Φ),
rather than *by [what we do with our spare time.]
<In fact,> the very adjective "spare" suggests [that any time (left over from work) is of lesser importance.
]
spare
という形容詞自体
重要度が低い
Paradoxically, <however>,
*[what we do in our spare time] more often defines our personalities than *[what we do nine to five]. §18 余暇を定義すると【Green】
<Certainly for some people>,
their professional career is identical with personal satisfaction,
but <for many>,
work is the way to pay the bills,
while leisure is an opportunity( to pursue activities (that Φ truly nurture them.) )
Juliet Schor, (in her essay "Exitmg the Squrrrel Cage,") takes this argument a step further.
「リスのかごを出て」
c <Drawing a distinction between* "unpaid work" and *"true leisure,">
she argue
s[ that much of *[what we do in our "non-working" hours], *routine activities (such as **house cleaning and
**trimming our toenails), is actually work.]
<Therefore,> <when we add this unpaid work time to forty-odd hours per week on the job>,
これらの無給の仕事を週 40 時間の勤務時間に加えると,
we're left with almost no "true leisure" time.
<Yet ironically>,
it is this tiny fraction of "true leisure" time
強調構文
このほんのわずかの余暇
(that Φ plays[ what some would argue Φ the most important role <in defining us as unique individuals>].
d <With so little "true leisure,">
本当の余暇がゆくないので,
the pressure (to *have fun and* fill that time <with satisfying activities>) becomes greater.
Our weekends should be filled with* great parties, *hot dates, *productive creativity, and *meaningful spiritual
activity
, or we feel <as though we've failed in some way>.
さもないと
失敗した気分になる
§18 余暇を定義すると【Green】
<Although we look forward to the parts of our lives( away from work)>
, the pressure (to occupy free time with stimulating activity) can actually become as oppressive as work itself.
A sociologist calls [this sense of the burden of leisure] "the lifestyle trap."
余暇を重荷に感じること
<When the stress of work flows over into nonworking hours,>
then leisure becomes *restless, *action-packed and *anything but relaxing.
§18 余暇を定義すると【Green】
■ 注意事項
§18 余暇を定義すると【Green】
■ 日本語訳
人類学者によれば,有史以前の人類は食住といった生活上必要なことに目覚めている時間の 40 %しか
使っていなかったという。残った 60 %の時間は,うたた寝をしたり,話を語って聞かせたり,洞窟の壁
に絵文字を描いたりといった「余暇」の追求に当てられていた。現代人の場合,電子レンジから細流灌漑
システムに至るまで「省力化」のための考案物の数は増えているというのに,余暇の時間ははるか昔に姿
を消した祖先よりも少ないように思われる。週 20 時間労働構想というのは,哲学者のバートランド・ラ
ッセルが 1930 年代に提唱したすばらしいアイディアだが,これまでに一度も実現したことがない。それ
どころか,世界経済・国内経済が下降線をたどる中,多くの人が週に 50 ~ 60 時間も働いて,何とか暮ら
しているというありさまなのである。
現代文化においては,自分が何者であるかという認識や自らの価値までが,余暇の過ごし方ではなくむ
しろ仕事で測られる傾向がある。実際,“ spare ”(余分の)という形容詞自体,仕事をしたあとに余った
時間は重要度が低いと言わんばかりである。ところが逆説的なことに,私たちが 9 時から 5 時の勤務時間
にやっていることより,余暇にやっていることの方が,私たちの個性を特徴づけてくれることが多いので
ある。確かに,人によっては専門的な職業と個人的な満足が一致する場合もあるが,多くの人にとっては
仕事は日々の支払いを片付けるための手段であり,一方余暇は,本当の意味で自分を育んでくれるさまざ
まな活動を行う機会なのだ。ジュリエット・ショアは『リスのカゴを出て』というエッセイの中でこの議
論を一歩先へ進めている。
彼女は,「無報酬の仕事」と「真の余暇」とを区別して,家の掃除や足の指の爪を切ることなど,私た
ちが日常的に「働いていない」時間にやっている多くのことは,実は仕事なのだと主張している。したが
って,このような無給の仕事の時間を週 40 時間余りの勤務時間に加えると,「真の余暇」の時間はほとん
ど残されていないことになる。しかし皮肉なことに,このほんのわずかの「真の余暇」の時間こそが,私
たち一人一人の個性を特徴づけるのに最も重要な役割を果たしているのだと主張する人もいることだろ
う。
「本当の余暇」の時間がこのように少ないため,楽しく過ごさなければとか,その時間を目一杯やりが
いのある活動に当てなければというプレッシャーは強くなる。つまり週末というものは,楽しいパーティ
や,わくわくするようなデートや,生産的な創造性や有意義な精神的活動でびっしり埋められるべきだと
考えてしまい,さもないと何となく失敗したような気分になるのだ。仕事から離れた生活の部分を心待ち
にしているが,実際には空いた時間を刺激的な活動で埋めなければならないというプレッシャーが仕事そ
のものと同じくらい重荷になってしまっているのである。ある社会学者は,余暇を重荷に感じるこの感覚
を「ライフスタイルの落とし穴」と呼んでいる。仕事のストレスが仕事をしていない時間にまであふれ出
てくると,余暇の時間というのは落ち着かない,忙しく立ち回る,少しもくつろげないものになるのだ。