34 飯田市南信濃 村:1718遠山地 震―D615 夜川 瀬、盛平山の崩壊 享保 3 年(1718) 未刻 三河・伊那東 経:137.90,北緯: 35.30,M7.0 1/4 伊那郡遠山谷の満島 村諸木改番所全潰の うえ,山崩れのため に埋没. 和田の盛平山(森平 山)西方の一角崩れ, 遠山川を堰きとめ, 同時に 1 つの山をつ くった.出山である. 遠山川の流路西に移 る.川は後に一時に 決潰した.南の方三 河の佐太村大谷まで の間で 50 余人死,飯 田市から天龍川沿い に三河国境まで山崩 れ多く,とくに駒場 では八分どおり潰と いう.被害は表の通 り. 震度分布は図 163-1 のとおり. Γ VI 27km とする と,M 7.1/4. 飯 城内 塀・櫓・石垣等大破 家中屋敷 数多大破・堀一学屋敷大分損 町在 7町で浪42,半農80,長屋4 死1.長久寺唐門潰る・2階土蔵 田 傾き,3階土蔵不残潰 領分 漬350余,半旗580余 死12,川路の開善寺地すべり(?) 1人埋没 阿智村 浄久寺境内地割れ,欠崩 駒場村 石高661石,家数64軒 内凄32,大損32,井水4筋大分 駒場・上中関 鴬巣村 喬木村 高島城 松本城 岩村城 苗木城 犬山城 損,保田・阿瀬欠崩社半潰. 社半潰,家潰80%,死7 8 死7,傷13余,山崩あり 小川の出水止まる (上平・大和地) 石垣少破 破損,侍屋敷震崩という 石垣44ケ所,石段1ケ所崩 石垣18ケ所(別典26ケ所)崩 少破? 恵那郡 少破橋3,川除枠・家居・高札場(茄子 破損 大井祝(茄子川村) 社損,開昌寺の林崩. 古城村 渕出来.潰4,死2,山崩多く4.13反潰地.山 崩家埋約10 下条村 鎮西家半旗,竜岳寺庫裡演,大山田神社拝殿潰 新井村 潰3 上川原 潰1 吉岡 湊2 合原上の原 潰5 6 新木田村 てうな 山崩,天竜川をふさぐ 和合村 溝5,潰同様14,死5 金野村 損20.31石 小野村 4.74石損 伊豆木 19.33石損 妻龍 2.66石損 野池 田畑大分くずれ家・蔵損 大石落,滝出来 戸数30,潰5,破損25 井堰等6ヶ所損 和田村 龍淵寺大破 死5,山崩有 坂部村 死2 山地の崩壊の考え方により M は変化する. 三河・遠江で強く,淀城小破(?). 震度分布 出典 宇佐美龍夫(2003) :最新版日本被害地震総 覧[416] [2001],93-95 メモ 天竜川上流域で最も大きかった被害地震 山崩れ,地すべり等の二次災害も発生した. 1725 年:伊那・高遠・諏訪 高藤譲に石垣 が崩れ 江戸幕府に修理代を要求したとい う. 1432 年:伊那 地割れが出来た言う資料なし 松本 諏訪 苗木 大井 飯田 満島 岩村 水窪 0 100km
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