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裁判年月日 平成26年12月19日 裁判所名
事件番号 平25(ワ)8221号
事件名 建物明渡請求事件
文献番号 2014WLJPCA12198007
東京地裁
裁判区分
判決
主文
1 被告は,原告に対し,原告から3237万3000円の支払を受けるのと引換えに,別紙
物件目録記載2の建物を明け渡せ。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用の11分の6を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。
4 この判決は,第1項及び第3項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 主位的請求
被告は,原告に対し,別紙物件目録記載2の建物を明け渡せ。
2 予備的請求1
被告は,原告に対し,原告から1000万円の支払を受けるのと引換えに,別紙物件目録記載
2の建物を明け渡せ。
3 予備的請求2
被告は,原告に対し,原告から立退料として相当な金額の金員の支払を受けるのと引換えに,
別紙物件目録記載2の建物を明け渡せ。
第2 事案の概要
本件は,建物賃貸借契約の賃貸人である原告が,賃借人である被告に対し,建物の朽廃又は解
約申入れによる建物賃貸借契約の終了に基づき,主位的に,別紙物件目録記載2の建物の明渡し
を,予備的に,1000万円又は相当額の立退料の支払を受けるのと引換えに同建物の明渡しを
請求する事案である。
1 前提事実(当事者間に争いがないか,掲記の証拠又は弁論の全趣旨により明らかに認めら
れる事実)
(1)ア 原告は,貸室業等を目的とする会社である。
イ 被告は,釣り用品の販売及び製造,加工等を目的とする会社である。
(2) 原告は,昭和53年5月24日,被告との間で,別紙物件目録記載2の建物(以下「本
件建物部分」といい,同目録記載1の全体建物を「本件建物」という。)につき,原告を賃貸人,
被告を賃借人とする以下の内容の建物賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。甲1)を締
結し,同契約に基づき,被告に対し,本件建物部分を引き渡した。
使用目的 事務所(釣り具販売店)
賃貸借期間 昭和53年5月24日から昭和55年5月23日まで
更新 期間満了の3か月前までに相手方に対し何らの意思表示をしないときは,更に3年間更
新されるものとし,その後の期間満了についても同様とする。
賃料 月額86万7500円
1か月未満の場合はその月の日数によって日割り計算
共益費 月額19万9525円
1か月未満の場合はその月の日数によって日割り計算
期間内解約 賃貸借期間中に解約しようとするときは,6か月前に相手方に対し文書をもって
予告する。
保証金 2500万円
(3) 本件賃貸借契約は,昭和55年5月24日から平成16年9月15日までの間,合意
更新又は約定更新を繰り返し(甲2の1から9まで),同日付け賃貸借室改定契約書(甲3)に
より以下の内容に契約内容を変更され合意更新され,更にその後約定更新された。
1
賃貸借期間 平成16年5月24日から平成18年5月23日まで
賃料 月額120万円
共益費 月額30万円
保証金 1240万円
賃貸借期間 平成27年5月23日まで
(4)ア 本件建物は,昭和46年3月31日建築の築43年の建築物であり,同建物の1階
から6階までが鉄筋鉄骨コンクリート造(SRC造),7階から10階まで及び屋上ペントハウ
ス・高架水槽が鉄骨造(S造)の構造である。
イ 被告は,本件建物部分を釣り具販売店店舗として使用している。(弁論の全趣旨)
(5)ア 東京都は,平成23年3月11日に発生した東日本大震災を契機に「東京における
緊急輸送道路沿道建築物の耐震化を推進する条例」を公布し,同条例は同年4月1日から施行さ
れた(以下「本条例」という。甲4)。
本条例では,敷地が緊急輸送道路に接する沿道建築物の所有者に対し,当該沿道建築物の耐震
化の努力義務が課され(5条),沿道建築物の耐震化の的確な実施を確保するため必要な場合に
は当該沿道建築物の耐震化についての指導及び助言(11条1項)や,必要な耐震診断が実施さ
れていない場合には期限を定めて耐震診断を実施する指示(同条2項)を受けること等が規定さ
れている。また,緊急輸送道路のうち特に沿道建築物の耐震化を図る必要があると認めるものは,
特定緊急輸送道路に指定され(7条),特定沿道建築物の所有者に対し,特定緊急輸送道路の指
定の効力が生じる日から3か月以内に当該特定沿道建築物についての耐震診断又は耐震改修の実
施状況等を報告する義務が課され(8条),上記報告について必要な指導及び助言を受ける(9
条)ほか,当該特定沿道建築物について建築士等による耐震診断を実施し(10条1項),その
結果を報告すべき義務も負う(同条2項)ものとされている。そして,耐震診断の結果,安全性
の基準に適合しない特定沿道建築物の所有者に対し,当該特定沿道建築物について必要な耐震改
修等を実施する努力義務が課され(同条3項),耐震改修等の実施の勧告を受けるほか(14条),
期限までに耐震診断を実施しない場合には,耐震診断の実施を命じられ(13条),この耐震診
断実施命令に違反した者に対する罰則も定められている(19条2号)。
イ 本件建物の敷地が接する「昭和通り」は,平成23年6月28日,特定緊急輸送道
路(本条例7条)に指定された(甲5の1,2)。
ウ 原告は,構造設計事務所に対し,本件建物の耐震診断を依頼し,同社は,平成24
年1月から同年7月にかけて,本件建物の耐震診断を行った。
構造設計事務所による耐震診断の結果は,①本件建物の1階から6階の「SRC造」部のX方
向の「Is値」が0.78から1.17,Y方向の「Is値」が0.35から0.49,7階か
ら10階の塔屋までのX方向の「Is値」が0.09から0.24,Y方向の「Is値」が0.
12から0.25であり,「倒壊,又は崩壊する危険性が高い」というものであった(以下,こ
の構造設計事務所が行った耐震診断の結果を「本件耐震診断報告」という。)。(甲6,甲10)
エ 「Is値」とは,建築物の各階の構造耐震指標であり,構造耐力上主要な部分の地
震に対する安全性として,「Is値」が0.6以上であれば「地震の震動及び衝撃に対して倒壊,
又は崩壊する危険性が低い。」,「Is値」が0.3以上0.6未満であれば「地震の震動及び
衝撃に対して倒壊,又は崩壊する危険性がある。」,「Is値」が0.3未満であれば「地震の
震動及び衝撃に対して倒壊,又は崩壊する危険が高い。」と判断される(『建築物の耐震診断及
び耐震改修の促進を図るための基本的な指針(国土交通省告示第184号)』の別添『建物の耐
震診断及び耐震改修の実施について技術上の指針となるべき事項』第1二参照。甲9)。
(6) 原告は,平成24年12月21日,被告に対し,本件賃貸借契約の解約申入れをした
(以下「本件解約申入れ」という。)。(甲7の1,2)
2 争点及び争点に関する当事者の主張
(1) 本件建物が朽廃しているか(争点1)
〔原告の主張〕
ア 本件建物は,構造上の問題を有し,その耐震性は基準値を下回る結果になっており,
大地震が発生すれば,倒壊又は崩壊する危険性が高い物件である。
イ 原告は,本条例10条3項により,本件建物について耐震改修等を実施する努力義務
を負っているところ,本条例の目的が「震災時における避難,救急消火活動,緊急物資の輸送及
2
び復旧復興活動を支える緊急輸送道路の機能を確保するため,沿道建築物が地震により倒壊して
緊急輸送を閉塞することがないよう,沿道建築物の耐震化を推進する措置を講ずることにより沿
道建築物の地震に対する安全性の向上を図り,もって都民の生命,身体及び財産を保護すること」
(1条)にあること,台東区長から再三にわたって本件建物の耐震改修工事を行うよう指導があ
ったこと等から,原告の本件建物の耐震改修等を実施すべき義務は,単なる努力義務にとどまる
ものではなく,原告の自由意思による決定を行うことができない程度に原告を拘束するというべ
きである。
ウ そして,本件建物の耐震化を補強工事によって行うことは,工事費が増大し,補強工
事工程の長期化が予想されるため,現実的ではない。また,本件建物は,その7階から10階の
「Is値」は基準値を大きく下回っている上,隣地建物とのクリアランスが十分でないため,大
地震発生時の本件建物の倒壊により接触する可能性が高い。更に,本件建物を取り壊すことなく
耐震化工事を行うとすると,本件建物の1階から6階にK型ブレース又はマンサード型の鉄骨ブ
レースを設置しなければならず,7階から10階に鉄骨L型アングルの鉄骨を設置しなければな
らないため,本件建物全階の使用が著しく制限され,本件建物の各階を賃貸物件として使用する
ことができなくなるばかりでなく,同工事の概算工事費が2億1600万円と見込まれる。以上
の事情に照らせば,本件建物の耐震化を図るためには,社会経済上の観点から,補強工事ではな
く,建替工事によるのが相当であり,本件建物を取り壊す必要性が極めて高い。
エ 本件建物は,特定緊急輸送道路に指定された昭和通りに接する敷地に建築された建物
であるところ,上記のとおり,耐震性を有しない物件であり,かつ,補強工事によって耐震化を
図ることもできないことからすれば,特定緊急輸送道路に接する敷地に建築された建物としての
機能を失い,朽廃したものというべきである。
〔被告の主張〕
ア 原告は,平成19年に東京簡易裁判所に対し,本件建物部分の賃料を月額120万円
から170万円に増額する建物賃料増額請求調停事件を申し立てて,同調停において,相手方で
ある被告に対し,本件建物部分の明渡しを求め,更に,同調停が不成立で終了後,被告に対する
建物明渡請求事件(東京地方裁判所平成20年(ワ)第627号)を提起し,同訴訟において本
件建物の朽廃を主張して,証拠調べ後の和解協議において,被告に対し,立退料の支払の和解案
を提示したが,被告がこれに同意しなかったため,同年10月8日に上記訴訟に係る訴えを取り
下げた。本件訴訟において,原告は,前訴と同じ本件建物の朽廃を主張しているところ,前訴の
終了から4年半しか経過していないことに照らせば,本件建物の朽廃が認められないことは明ら
かである。
イ また,耐震診断の結果,本件建物の耐震性に問題があることが判明したとしても,そ
のことから直ちに借地借家法上の建物賃貸借契約の終了事由である「朽廃」に当たるというわけ
ではない。本件建物の周辺には,建築時期,利用状態が同種同等の建物が多数存在しているとこ
ろ,いずれも「朽ちて利用できない」状態とはなっていないし,本件建物についても,原告が本
件建物部分で店舗を営業しているほか,原告以外のテナントも未だ本件建物を利用していること
に照らせば,店舗として使用することは十分可能な状態である。そもそも「朽廃」とは,社会通
念に照らし,建物としての社会経済的効用を失うに至る程度に腐朽損壊していることを意味する
ところ,本件建物の耐震性に問題があるとしても,建物を使用する上で特段支障が生じるような
脆弱性があるとは考えられず,内部への人の出入りに具体的な危険を感じさせるものでないこと
からすれば,本件建物が朽廃しているとは認められない。
(2) 本件解約申入れの正当事由となる立退料の額(争点2)
〔原告の主張〕
ア 仮に,本件建物が朽廃していないとしても,前述のとおり,本件建物が耐震基準を下
回っており,構造上の問題を有していることから,震度5以上の地震が発生した場合には,倒壊
する恐れが大きく,原告は,本条例10条3項に基づく本件建物の耐震改修等を行う努力義務を
負い,その義務は,原告の自由意思を拘束する程度に強度であること,本件建物は,築40年以
上経過しており,構造上の問題を解決し,本件建物の各階の「Is値」を基準値を超える程度に
補強する工事を行うことは,工事費の増大,工事期間の長期化により現実的ではなく,社会経済
的な観点かから,本件建物を取り壊さなければならない状況にあり,本件賃貸借契約を早期に終
了させなければ,本件建物を取り壊すことができないことからすれば,本件解約申入れには正当
3
事由がある。
イ 上記アの事情を考慮すれば,本件解約申入れの正当事由を補完する立退料の額は,借
家権割合法によれば1000万円,移転補償費による算定では662万4000円であるから,
被告に対する立退料の額は,1000万円が相当である。
ウ 原告は,被告に対し,本件解約申入れの正当事由を補完する立退料として,上記10
00万円を支払う用意があるが,仮に,裁判所が認定する立退料が上記1000万円を越える場
合には,裁判所が認定した金額の立退料を支払こともやむを得ないと思料している。
〔被告の主張〕
本件解約申入れの正当事由となる立退料は,本件訴訟において裁判所が選任した鑑定人によっ
て算定された5100万円が相当である。
第3 争点に対する判断
1(1) 争点1(本件建物の朽廃)について
原告は,本件建物が,構造上の問題を有し,その耐震性が基準値を下回っており,大地震が発
生すれば,倒壊又は崩壊する危険性が高い物件であること,本条例に基づき,原告において本件
建物の耐震改修等を実施する努力義務を負い,この義務は,原告の自由意思による決定を許さな
い程度に拘束性の強い義務であること,本件建物の耐震性を確保するための補強工事の実施は,
工事費用及び工事期間,補強工事後の本件建物の使い勝手等を考慮すると,社会経済的観点から,
現実味に乏しく,本件建物を取り壊して建替工事による以外に方法がないことから,本件建物に
ついて,特定緊急輸送道路に接する敷地に建築された建物としての機能を失い,朽廃したもので
ある旨主張している。
しかし,本件建物の耐震性が法令上の基準を下回っており,原告が,本条例に基づく耐震改修
を実施すべき義務を負っているとしても,同義務は,努力義務にとどまり,上記耐震改修を実施
しなくとも,直ちに本件建物の使用が不可能になるわけではない。そして,被告が,本件建物部
分で釣り具等を販売する店舗を営業しているほか,本件建物の8階及び10階にテナントが入っ
て本件建物を使用していること(甲13,甲14),鑑定人不動産鑑定士C作成に係る鑑定書(以
下「C鑑定」という。)によれば,本件建物の経済的残存耐用年数が,躯体部分及び設備部分と
も2年と判定されていることに照らせば,現時点において,直ちに本件建物が朽廃しているとは
認められず,これに反する原告の主張は採用できない。
(2) 争点2(本件解約申入れの正当事由となる立退料の額)について
ア 前記前提事実によれば,本件建物は,築43年の古い建物であり,本件耐震診断によ
り,耐震性能を示す同建物の「Is値」は,基準値を下回り,「地震の震動及び衝撃に対して倒
壊,又は崩壊する危険が高い」とされていることが認められる。また,証拠及び弁論の全趣旨に
よれば,原告は,台東区長から,平成24年12月3日付け及び平成26年2月24日付けで,
本件建物の耐震性能の不足を指摘され,耐震改修等の実施の勧告及び指導を受けていること(甲
15,甲20),本件建物の耐震改修を補強工事によって実施しようとすると,同建物がY方向
の西側(特定緊急輸送道路側)がカーテンウォールで敷地境界一杯であり,かつ,東側も敷地境
界一杯に建っているため,外部補強が不可能であり,全階内部補強とするほかなく,その場合に
は,1階から6階までのSRC造部の店舗及び事務所内の柱・梁に囲まれた中に鉄骨ブレース(K
型ブレース)を1ないし5構面設置し,7階から10階のS造部は,既存の柱・梁フランジ接合
部を含めて全て「隅肉溶接」であり,溶接サイズも全体的に小さく,補強を施すことにより本体
鉄骨の強度が懸念されるため,鉄骨L型アングルを7階から10階に11セットから7セット,
屋上のペントハウス(PH)に各4セットずつ筋違いに配置することになるが,上記補強工事を
行うと,賃貸物件としての使用が不可能になったり,通路が確保できず,居室として使用するこ
ともできなくなるなど,建物の使用勝手が著しく悪くなるほか,同工事の工事費用は2億160
0万円(税込)と見込まれるなど,社会経済的な観点からすれば,補強工事を実施するのは現実
性が乏しく,本件建物を建て替える必要性が高いこと(甲18),本件建物には,現在,本件建
物部分を使用する被告以外に,同建物の8階及び10階にそれぞれテナントが入居しているとこ
ろ,いずれの賃貸借契約も平成26年12月31日までの定期建物賃貸借契約であり(甲13,
甲14),賃貸借期間期間満了後の退去が予定されていること(弁論の全趣旨)が認められる。
これらの事実に加えて,原告が,被告に対する立退料の提供を主張している事情を考慮すれば,
本件解約申入れについて,借地借家法28条所定の正当事由を認めることができる。
4
イ 次に,原告が被告に対して支払うべき立退料について検討する。
(ア) C鑑定は,本件建物部分に係る借家権価格について,借家権割合法によれば3360
万円,移転補償額によれば5100万円とした上で,本件解約申入れの正当事由を補完する立退
料として,後者の5100万円を鑑定評価額としている。
(イ) これに対し,原告は,C鑑定につき,①本件建物の耐震性能が不足し,耐震改修等が
必要であることや,本件建物部分の明渡しは,原告にとっても,不随意であることが考慮されて
いない,②借地権割合法における土地の比準価格の算定において,取引事例比較法を採用してい
るところ,本件建物が所在する台東区の事例のみならず,千代田区の土地も比較対象としている,
③借家権割合法における本件建物の価値を算出するための再調達原価の算定において,耐震性を
備えた建物の建築費を基準としている,④借家権割合法における階層別効用比について,1階と
8階を比較しているところ,8階の賃貸借契約は,定期建物賃貸借契約であり,他の階に比べて
著しく低く,これを基準に階層別効用比を算出すると,被告にとって一方的に有利な階層別効用
比となり,不公平である,⑤移転補償額を算出するための差額家賃補償の算定に際し,本件建物
の所在する台東区のみならず,千代田区の建物の賃料価格も基準にしており,かつ,原告の収集
した本件建物周辺の類似物件の新規募集賃料又は成約賃料に照らし,本件建物部分の代替賃料の
額が高額すぎる,⑥移転補償額を算出するための営業補償費の算定につき,台東区小売業年間商
品販売額及び台東区事業者数等の一般データを元に算出しているところ,被告の営業損益を示す
資料として帝国データバンク作成に係る被告に関する情報に基づいて算出すべきである,⑦移転
補償額を算出するための内装費の単価が過大である上,その対象面積も,契約面積を採用するの
ではなく,トイレ,給湯室及び共用部分を除いた面積で算出すべきである,⑧移転補償額を算出
するための広告費につき,有力企業の宣伝広告費の統計資料に依拠して算定しているが,本件で
は,場所の移転の広告宣伝に限られるから,上記有力企業の広告宣伝費と同視することはできず,
かつ,宣伝期間を1年間とする必要もないなどと批判し,上記①から⑧の事情を考慮すれば,借
家権割合法で算定した立退料は1000万円,移転補償額で算定した立退料は662万4000
円である旨主張する。
(ウ) そこで検討すると,まず,上記(イ)②及び⑤の点については,本件建物の所在地の
行政区分は台東区であるが,同建物は,実際には昭和通りに面した同区の端に位置し,通りを隔
てた千代田区内の建物と同じ商業地域内にあることに照らせば,C鑑定において,土地の比準価
格を算定するために比較する取引事例及び差額家賃補償の算定に際し,台東区内の事例のみなら
ず,近隣の千代田区内の事例を採用したことには,合理性がある。また,C鑑定では,近隣の類
似事例の調査のほか,精通者へのヒヤリングも実施し,それらの情報を総合して新規賃料を算定
しているのに対し,原告の収集した事例は,立地条件が必ずしも同一とはいえない上,本件建物
部分と面積が著しく異なっているにもかかわらず,何ら補正を施すことなく各事例の単価当たり
の賃料を算出し本件建物部分の賃料と比較しており,必ずしもその算定額が合理的であるともい
えず,C鑑定による差額家賃補償の算定が,不合理又は不相当とはいえない。次に,上記(イ)
③の点について,賃貸建物の価値を算出するための再調達原価の算定は,標準的な建物について
の一般的な建築費用を基準に当該建物を再建築したと仮定した場合の費用を算出するものであり,
耐震性を備えた建物の建築費と耐震性が不足する建物の建築費を区別することは想定されていな
い上,建物の老朽化の点は,耐用年数及び観察減価法を併用して考慮されていること,本件建物
の耐震性能については,後述のとおり,別途考慮すべきであることに照らせば,原告の上記批判
は当たらず,C鑑定における借家権割合法における本件建物の価値を算出するための再調達原価
の算定が,不合理又は不相当とはいえない。次に,上記(イ)④の点について,鑑定人不動産鑑
定士C作成に係る補充鑑定書(以下「補充鑑定書」という。)によれば,一般に,1階路面店舗
は,2階以上の事務所に比較し2倍から3倍の単価で賃貸されているという現状があり,このこ
とを踏まえて,本件建物の1階と8階の賃料を比較し,階層別効用比を算出したというのである
から,C鑑定で採用した階層別効用比が,一方的に原告に不利益であるとか,不公平であるとは
いえず,上記階層別効用比の算定が,不合理又は不相当とはいえない。次に,上記(イ)⑥の点
について,原告は,被告の年間売上高,営業利益,総店舗数,従業員数に基づき,営業補償費と
して補償すべき本件建物部分で営業している被告の店舗(以下「本件店舗」という。)の営業利
益を44万円であると主張する。しかし,被告は,全国に店舗を展開する企業であり,その従業
員の全てが店舗販売に従事しているわけではない上,店舗の規模や立地条件等によって各店舗の
5
売上等も相当異なることは容易に想定されるところ,本件店舗は,都内のJR秋葉原駅に近い昭
和通り沿いの店舗であり,売場面積も広く,平均的又は標準的な被告の店舗と同一に考えるのは
困難と思われ,これらの事情を何ら考慮せずに帝国データバンクの被告に関する情報に基づいて
単純に1店舗当たりの売上高や営業利益を算定し,これを本件店舗の営業利益とすることには疑
問があり,原告の主張する本件店舗の営業利益の算定方法が合理的であるとは認め難く,本件店
舗の決算内容が不明であるため,台東区小売業年間商品販売額及び台東区事業者数等のデータに
基づいて営業補償費を算定するというC鑑定で採用された算定方法が,不合理又は不相当とはい
えない。次に,上記(イ)⑦の点については,立退料を算定する上で考慮される内装費は,被告
が新規に建物を賃借した場合に支出する内装費を想定していることに照らせば,その対象面積と
して契約面積を採用する自体が不相当とはいえないし,新規賃貸物件におけるトイレや給湯室,
共用部分の有無及び面積等が不明であることを考慮すれば,上記契約面積から上記トイレ,給湯
室及び共用部分を控除しなかったことが,不合理又は不相当とは認められない。また,補充鑑定
書によれば,C鑑定で採用した内装費の単価は,鑑定人が独自に収集したインターネット上の情
報や精通者ヒヤリングの結果を総合勘案して決定したものであり,それが不合理又は不相当であ
ると認めるに足りる的確な証拠もない。以上によれば,C鑑定における内装費の算定が,不合理
又は不相当とはいえない。次に,上記(イ)⑧の点について補充鑑定書によれば,C鑑定で採用
した宣伝広告費は,日経広告研究所の「有力企業の広告宣伝費」という統計資料を参考にして,
業種別売上高に占める流通業の広告宣伝費の割合である1%~3%のうち,場所の移転により宣
伝費がかさむことが想定されるため上限の3%を採用したことが認められ,また,営業中の店舗
を閉店して場所を移す場合に必要な広告宣伝期間として,必ずしも1年間が長すぎるともいえな
い。これらの事情に照らせば,移転に必要な広告宣伝費を算出するに当たり,被告の1年間の売
上高の3%に相当する金額と算定したことが,不合理又は不相当とはいえない。もっとも,C鑑
定においては,上記(イ)①の点が考慮されていないところ,本件建物は,本条例所定の特定沿
道建築物に当たり,同建物の耐震化は,震災時における避難,救急消火活動,緊急物資の輸送及
び復旧復興活動を支える緊急輸送道路の機能を確保するため,沿道建築物が地震により倒壊して
緊急輸送道路を閉鎖することを防止するという公益目的から要請されるものであり,本条例にお
いて,耐震性能が不足する特定沿道建築物の所有者の耐震改修等の実施義務が努力義務であるこ
とを考慮しても,前記(イ)①の事情をまったく考慮しないのは相当でない。また,本件建物が
築43年の老朽化した建物であり,C鑑定においても,その経済的残存年数は約2年とされ,本
件建物の上記耐震性能不足を考慮すれば,大規模な修繕等を実施することは考え難いため,上記
経済的残存年数を大幅に延長される可能性が乏しく,被告は,そう遠くない時期に店舗を移転す
る必要が生じることが予想される。これらの事情に照らせば,耐震性能不足に起因する本件建物
の取壊しのため,本件解約申入れの正当事由を補完する立退料の算定において,賃貸人の建物使
用の必要性等の賃貸人の私的利益を確保するため建物の明渡しを求める場合の立退料の算定と同
一視することはできず,衡平の見地から,本件建物の取り壊しによって生じる被告の損失を賃貸
人である原告だけに負担させるのは相当でないというべきである。具体的には,借家権割合法に
よって立退料を算定する場合には,本件建物の現状及び被告による今後の長期の使用が困難であ
ることを考慮して,C鑑定で算定された3360万円の2分の1に相当する1680万円をもっ
て借家権価格とすべきである。また,移転補償額によって立退料を算定する場合には,現状にお
いて,被告が当分の間は本件建物部分を使用することが可能であること,及び,原告は,被告か
ら本件建物部分の明渡しを早期に受けることにより,東京都が平成27年度まで実施している耐
震性が不足する建物の建替えの実施に対する助成制度を利用できる可能性があること(甲16)
を考慮して,差額賃料補償のうち賃料差額及び一時金運用益については,C鑑定のとおり賃料差
額を1344万円(〔月額新規支払賃料206万円-月額実際支払賃料150万円〕×補償期間2
4か月),一時金運用益を32万8000円(〔新規月額賃料206万円×10か月-本件賃貸借
契約の保証金1240万円〕×運用利回り2%×2年)と認めるが,前記のとおり,被告は,遠く
ない時期に本件建物部分の使用ができなくなり,新たな店舗を賃貸し,その費用を支出する必要
が生じることを考慮して,差額賃料補償のうちの新規契約に関する手数料等及び移転費用,営業
補償費,内装費補償費,広告宣伝費等については,C鑑定で採用された各項目の金額の2分の1
である合計1860万5000円(〔新規契約手数料等206万円+移転費用200万円+営業
補償費1450万円+内装費補償費1430万円+広告宣伝費等435万円〕×1/2)と認め,
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移転補償額を合計3237万3000円(1344万円+32万8000円+1860万500
0円)とするのが相当である。
(エ) そして,上記(ウ)で認定した借地権価格及び移転補償額のうち,賃借人である被告
が実際に負担する現実の支出をより填補できる移転補償額3237万3000円を,本件解約申
入れの正当事由を補完する立退料として採用することが相当である。
(3) なお,本件では,原告から,被告の所持する本件建物内で同社が経営している店舗に
係る平成23年11月から平成24年10月までの損益計算書等の収支計算書(以下「本件対象
文書」という。)につき文書提出命令の申立がされている(東京地方裁判所平成26年(モ)第
2036号)ところ,被告代理人は,平成26年6月27日の第9回弁論準備期日において,当
裁判所及び原告代理人に対し,被告において経営する店舗ごとの売上データは保有しているが,
各店舗ごとの損益計算書等を作成しておらず,本件対象文書を保有していない旨口頭で釈明した。
被告代理人による上記釈明内容に照らせば,上記文書提出命令の申立については,被告が本件対
象文書を所持していることの疎明がないというべきであるから,これを却下する。
2 よって,原告の本訴請求のうち,主文第1項掲記の部分は理由があるから認容することと
し,その余は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき,民事訴訟法64条本文,
61条を,仮執行の宣言につき,同法259条1項を,それぞれ適用して,主文のとおり判決す
る。
(裁判官 宮島文邦)
〈以下省略〉
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