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学びの歪み
和田栄
戦後、瓦礫の中から立ち上がり、西洋諸国に追いつけ追い越せと国全体が同一のベクトルで機能
し、わずか半世紀余りで世界に誇る成熟した社会を作り上げたわが国。しかし、その右肩上がりの
高度経済成長の陰で、1975 年頃から年々深刻さを増してきた教育課題がある。それは、子ども達の
放課後の育ちである。
「トンボを見たことのない子どもに
トンボをどう指導すればいいのか!」
義務教育段階にお
いて、こうした「学びの歪み」なる現状を懸念する声が年々高まってきた。各学校の研究授業など
の場で、真剣に議論が続いたのを記憶している。
一昔前の子ども達は、学校外の豊かな自然に包まれながら世代を越えた価値観の異なる他者との
出会いの中で、さまざまな社会体験や自然体験をしてきたものである。そうした放課後の無目的な
体験を集団の場を通して組織的、体系的に知識に置き換え、学力や体力の向上、人格形成に援用し
てきたのが学校教育であったといえる。
ところが、戦後の都市化や高度情報化は、人間の成長に欠かすことのできない自然、社会などの
豊かな環境を奪い、子ども達の自発的な意思による直接体験の機会と場を大幅に減少させた。そし
て、当然の結果として、子ども達の学びにも歪みが生じ、学校教育が機能不全を起こしだしたので
ある。学校は、その対応策として写真や挿絵などによって疑似経験をさせることで直接体験を補足
しようとした。しかし、バーチャルな世界での間接体験には限界があり、人格に影響を及ぼすまで
には期待できようもなかった。
夏休みの公園から姿を消したのは子どもではなく、子ども達の五感を通した学びなのである。
1977 年、学習指導要領が改訂された。1947 年の試案から数えて第5次の改訂に当たる。そのと
きどきの教育の現状や課題が分析、評価され、国全体の社会的な要請も加わりながら、ほぼ 10 年ご
とに手が加えられる。明治維新から 100 年経過した年、吉田茂元首相は、著書『日本を決定した百
年』1)の中で次のように述べている。
「戦後の廃墟の中から立ち上がった日本の底力の一つは、国民の教育への情熱である」
どの時代においても、わが国の未来を託す子ども達への教育の重要性は、常に日本人のDNAと
して受け継がれてきたのである。
この時の改訂は、高校への進学率が急上昇した時期で、そのこともふまえ、小・中・高 12 年間の
教科、領域の内容を中核的事項に絞り込み、一貫性をもたせようとした。その中で注目すべきこと
は、
“五感を通して外界を知る”ことを指導上の配慮事項として強調したことである。当時、子ども
達の放課後の育ちを危惧していた教師たちは、脆弱な育ちに警鐘を鳴らした国の動きを高く評価し
たものである。
さらに 1998 年、
「体験」と「問題解決(だから、どうしたいという主張や提案)
」の両面をねらい
として、一般社会の具体的な課題にチャレンジさせる「総合的な学習の時間」が新設されたことは
記憶に新しい。そして、2001 年には、学校教育法の一部が改正され、
“社会性や豊かな人間性を育
てるために体験活動を重視する”ことが新たに規定された。
“体験”という人間が生活するうえで当
然の所作が法制化されたことは、教育史上、画期的なことといえよう。ただ、それだけ放課後の子
ども達の世界が危機に見舞われていたということである。
直接体験が不足している実態については、これまでもさまざまな機関が調査、分析をしている。
ある調査によれば、1998 年から 10 年間で、魚釣りやキャンプの経験、川や海で泳いだ経験が約2
割も減っている。戦後わが国の社会が飛躍的に発展していく中で、子ども達の成長に大きな役割を
果たしてきた3つの「間」が喪失したといわれる。
直接体験を可能にした時「間」
、公園や野山での遊びの空「間」そして、遊び仲「間」である。3つ
の「間」を奪われ。直接体験の場と機会を喪失し、物事に興味や関心を覚えない子、不思議を感じ
ない子が増えたことによって、集団に不適応反応を示す子が学校現場で顕在化し、さらに学びにさ
まざまな歪みが生じたことは疑いのないことである。
国立青少年教育振興機構の調査で、幼少時代の体験量と高校、大学の進学率、そして、社会に出
た後の収入とが、強い相関関係にあることが裏付けされている。加えて保護者の子ども時代の体験
量が、その子どもの体験量と高い相関があるという階層移転の連鎖の実態も大きな社会課題として
提起されている。
わが国の青少年の自尊感情が諸外国と比べて極度に低いことがよく話題になるが、自分のよさや
強みを感じとるのはさまざまな体験の成果であることを考えると、放課後の子ども達の居場所を作
り、多様な学習や活動の機会を提供することは、わが国の将来にかかわるきわめて重要な教育課題
であるといえよう。
河内長野市は、2010 年の3月、全国で3市目となる『教育立市宣言』を行った。60 年ぶりに改
正された教育基本法の理念の下、
“ふるさとのつながりによる豊かな学び’をキーワードに学校に依
存し過ぎた教育を全市民が責任を共有し、地域総ぐるみで教育、子育てが行われる生涯学習の町、
学びの里の構築を始めた。
その中で。放課後の土壌を改善する最大の仕掛けは大阪府内で本市のみが導入した学校運営協議
会制度である。従来、学校という部分社会の中だけで決定していた学校教育に市民の多様な意見を
反映させ、市の非常勤の特別公務員に委嘱した各校区の委員が一定の責任と権限をもって、学校が
抱える教育課題をともに解決していく制度である。
2010 年に教育委員会規則を新たに制定し、モデル実施によって制度の検証を行い、2012 年から、
小中一貫教育と組み合わせて全小学校に本格的に導入した。ちなみに学校運営協議会をもつ学校を
コミュニテイ・スクールと呼んでいる。本格実施してわずか3年目であるが、学校図書館活動や放
課後学習にも地域の多くの人々が参画し、教育活動に教員以外のさまざまな専門性が加わりだして
いる。冬山登山やマラソン大会などが復活した学校も現れた。教育基本法に新規に盛り込まれた「学
校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚し、相互の連
携および協力に努める」という地域文化の渦が巻き起こり出している。
一方で、地域が主体となって放課後の子ども達の居場所づくりと多様な学びの機会を提供する仕
掛けも動き始めている。公民館の利用団体が企画する子ども教室、資料館や図書館等、さまざまな
公共施設における地域の人々による体験活動。健康や体力に関しても、スポーツ振興会や健全育成
団体等によるスポーツ大会や宿泊を伴ったキャンプ、ウォークラリーやスポーツフェスタも盛んに
行われている。さらに子ども達の弱点である走・跳・投の力を高める小学生駅伝大会やロープ・ジャン
プ大会、ドッチボール大会も新たにスタートした。官民一体となって、こうした子ども達の発達資
産を増やす多様な活動が、放課後の世界で盛んに行われている。しかも、こうした活動を支えてい
るのは、これまで社会の第一線で活躍し、成熟した現代のわが国を築き上げた高齢者層のもつ豊か
な経験であり、それが生涯学習社会においての生きがいと健康維持につながっている。
社会の一員として必要な豊かな人間性や社会性、基本的な生活習慣、さらに我慢強さや思いやり
などといった発達資産は、計画性の強い一定のレールの敷かれた学校教育では育てることが難しい
といえる。将来、社会人として求められる多彩な性情の芽吹きは放課後の世界にみられるものであ
る。言い換えれば、現在の公教育の目標である「生きる力」、つまり、“自ら課題を見つけ、主体的
に判断し行動し、よりよく問題を解決しようとする資質や能力”、“他を思いやる心や感動する心と
いった豊かな人間性”、さらには、“たくましく生きるための健康や体力”といった能力は、学校の
教育的な営みと放課後の世界での経験が、相互に補充、進化、統合する中で磨かれ、高まってくる
ものである。
「生きる力」は学校教育の到達目標であっても、一般社会の中では生涯を生き抜く基盤
なのである。
その時代、時代には役割がある。急激な少子高齢化の時代に生きる私たちに課せられた役割は、
地域総ぐるみで子どもを育てる活動を核に据え、孤立し始めている地域に“群れる”機能を復活さ
せることである。少子高齢化は課題ではなく、戦後のゆがみを立ち直らせるチャンスなのである。
私たちは,今、
“学校だけが教育の専売特許をもっているのではない”という価値観を、早急に市内全
域に醸成しなければならない。
文
献
1)吉田 茂:日本を決定した百年。日本経済新聞社,1967.
子どもと発育発達
vol.12 N0.4