3.院政と保元・平治の乱 ⇒

3 . 院 政 と 保 元 ・ 平 治 の 乱 《 ⇒ Text p56 ~
2E
p57 》
2F
1.院政の成立
●後三条天皇の親政
特徴 ①摂関家を外戚に持たない
② 即 位 時 35 歳 , 在 位 期 間 は 4 年 · 摂 関 政 治 の 終 焉
③自由な立場で刷新政治を展開·天皇の権威回復
政策 ①人材の登用…大江匡房
② 延 久 の 荘 園 整 理 令 ( 1069 年 )
寛 徳 2 年 ( 1045 ) 以 降 の 新 立 荘 園 停 止
1045 年 以 前 の 荘 園 で も 立 券 が 明 ら で な い も の や 国 務
の妨げになるものは停止
③ 記 録 荘 園 券 契 所 ( 記 録 所 ) の 設 置 ( 1069 年 )
荘園領主から差し出させた券契を調査,採決
せ ん じ ま す
④ 宣 旨 枡 の 制 定 ( 1072 年 )
枡の大きさを規定(計量の単位を統一)
●院政の開始
成立 白河天皇 · 堀河天皇(8歳)
„
譲位
白 河 上 皇 と し て 院 中 で 政 務 後 見 ( 1086 年 , 43 年 間 )
白河・鳥羽・後白河の3上皇=院政時代
いんのち ょう
組織 院 庁…院政を行う役所
い ん じ
院司…院庁の職員,中流以下の貴族出身者
別 当 ( 長 官 ), 院 の 近 臣 ( 院 司 の 重 要 人 物 )
いんぜん
命令 院宣…上皇から出される命令書
いんちょ うくだ しぶみ
院 庁 下 文…院庁から出される命令書
特徴 ①摂関政治よりも専制的…摂関は存在するが有名無実
政 治 の 実 権 は 摂 関 家( 天 皇 の 外 戚 ) · 上 皇( 天 皇 の 父 )
②法や従来からの慣例に拘らない…上皇の立場
人事権の掌握
③朝廷・院庁・院の武力·三頭体制
北面の武士の設置…地方武士(平氏を採用)
●院政の展開
基盤 経済…①院の荘園·天皇家領荘園の形成
は ちじょ ういん りょう
八 条 院 領 … 鳥 羽 · 八 条 院 , 100 ヶ 所
ち ょうこ うどう りょう
長 講 堂 領 … 後 白 河 · 長 講 堂 , 90 ヶ 所
ちぎょうこく
② 院 の 知 行 国 … 一 国 の 支 配 権 《 Text ⇒ p57 註 c 》
支持…①下級貴族
ずりょう
②受領層…任国に赴任する国司
Q.こ れ ら の 莫 大 な 収 入 は 何 に 使 わ れ た の だ ろ う か ?
①上皇の出家(白河・鳥羽・後白河など)·法皇
ろくしょうじ
②造寺造仏(六勝寺)
③ 熊 野 参 詣 ( 白 河 9 回 , 鳥 羽 21 回 , 後 白 河 34 回 )
ぞうへい
●寺社勢力の拡大=僧兵の横暴…堂衆と荘園農民を武装化·蜂起
南都 興福寺(奈良県)…春日神社の神木
強訴
ひ
え
北嶺 延暦寺(滋賀県)…日吉神社の神輿
2.保元・平治の乱
●源氏と平氏
源氏…摂関家との関係により中央で勢力拡大
平氏…院の近臣となり中央進出
まさもり
ただもり
正盛·忠盛·清盛
ほうげん
● 保 元 の 乱 ( 1156 年 7 月 )
す と く
原 因 ① 鳥 羽 法 皇 ・ 後 白 河 天 皇 VS 崇 徳 上 皇
うじ のちょう じゃ
②摂関家の内紛…氏 長 者の地位をめぐる対立
ただみち
よりなが
藤 原 忠 通 ( 兄 ) VS 頼 長 ( 弟 )
経 過 7 月 2 日 鳥 羽 法 皇 死 去 ( 54 歳 )
後白河天皇,崇徳上皇の弔問拒否
7 月 10 日 崇 徳 上 皇 , 源 為 義 ・ 平 忠 正 を 招 集
7 月 11 日 後 白 河 天 皇 , 源 義 朝 ・ 平 清 盛 に 夜 襲 命 令
·1日で勝敗決す
敗北
勝利
崇徳上皇
VS
後白河天皇
藤原頼長
VS
藤原忠通
平忠正
VS
平清盛
源為義
VS
源義朝
結果 ①崇徳上皇方の敗北·讃岐に配流
② 後 白 河 院 政 の 開 始 ( 1158 年 ~ )
③中央政界における武士勢力の伸張
へ い じ
● 平 治 の 乱 ( 1159 年 12 月 )
原 因 ① 後 白 河 上 皇 VS 二 条 天 皇
みちのり
しんぜい
のぶより
② 院 の 近 臣 間 の 対 立 … 藤 原 通 憲 ( 信 西 ) VS 藤 原 信 頼
③ 平 氏 と 源 氏 の 対 立 … 平 清 盛 VS 源 義 朝
経 過 12 月 4 日 平 清 盛 , 熊 野 参 詣 に 出 発
12 月 9 日 藤 原 信 頼 ・ 源 義 朝 の 挙 兵
·後白河上皇・二条天皇を幽閉
12 月 13 日 藤 原 通 憲 自 害 · 二 条 天 皇 の 親 政 開 始
12 月 17 日 平 清 盛 帰 京
12 月 26 日 平 清 盛 , 後 白 河 上 皇 ら を 救 出 · 信 頼 ら を 討 つ
敗北
勝利
藤原信頼
VS
藤原通憲
源義朝
VS
平清盛
結果 ①藤原信頼・源義朝の敗北
②源氏の敗退·平氏覇権の確立
●保元・平治の乱の意義
①中央中央政界の抗争を武士が武力で一気に解決
②貴族と武士の権力が逆転
保元の乱…貴族の抗争が,武士を利用
„ 3年間
平治の乱…武士の抗争に,貴族が巻き込まれた
院政期の政治と社会
天 皇 院
後
事
1068
柄
後三条天皇の親政
三
延久の
延久の荘園整理令(1069)
条
設置
延久の宣旨桝
記録荘園券契所
成功・重任の禁止
《院政のしくみ》
白
河
1083~1087
1086
堀
後三年の役
院政はじまる
院
院 (上皇・法皇]
庁
院司(受領層]
‡ 警固
●僧兵の横暴極める―南都北嶺の勢力大
河 白
〈意のままにならぬもの
北
鴨川の水・双
面
六の賽・比叡山の山法師〉
鳥
●造寺・造仏盛行―六勝寺造営
羽 河
●寺社参詣盛ん
の
知行国
荘
園
武
士
崇 徳
鳥羽 1156
近 衛
後白河
勝
保元の乱
„
皇
室
利
敗
後白河天皇 (弟)
崇徳上皇(兄)
武士の中央進出
摂関家
藤原忠通(兄)
対立
藤原頼長(弟)
〈ムサの世〉となる
平
氏
平清盛 (甥)
平忠正(伯父)
源
氏
源義朝 (兄)
源為義( 父)・為朝( 弟)
二
条 後 1159
平治の乱
○平清盛
対立
源義朝
×
„
六 条 白
平氏政権
●一族高位高官につく
●清盛、天皇の外戚となる
高 河
●荘園・知行国を基盤とする
貴族的
倉
● 日宋貿易独占
武士的
安 徳 高倉
北
● 地頭 設置
過渡的
確認問題
№5
院政と保元・平治の乱①
1.荘園の増加が,公領を圧迫することを心配した後三条天皇が
出した法令は何か。
2.後三条天皇の補佐役として登用された学者は誰か。
3.みずから上皇として院政をはじめたのは誰か。
4.3が院政をはじめたのは西暦何年か。
5.出家した上皇は何とよばれたか。
6.高級貴族などに一国の支配権をあたえ,その国から収益を取
得させる制度を何というか。
7.平安後期,京都・奈良の大寺院で雑役に服する僧が武装した
が,これを何というか。
8.7が神木や神輿を先頭にたて,朝廷に対して主張を通そうと
する行為を何というか。
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8
ß次回の予告ß
院政と保元・平治の乱②
確認問題
№6
院政と保元・平治の乱②
1.伊賀・伊勢を地盤とした桓武平氏の一族で,出雲で反乱を起
こした源義親を討って武名をあげた伊勢平氏は誰か。
2 .1 の 子 で ,山 陽 ・ 南 海 の 海 賊 を 討 っ た 功 に よ り 昇 殿 を 許 さ れ ,
平氏繁栄の基礎をかためたのは誰か。
3.2の子で,武士として最初の太政大臣となり,平氏の全盛を
むかえたのは誰か。
4.後白河天皇と崇徳上皇の対立から起きた争いを何というか。
5.4が発生したのは西暦何年か。
6.4で後白河天皇方についた関白は誰か。
7.後白河上皇の側近として,平清盛と結んで権勢をふるってい
たが,平治の乱で自害に追い込まれたのは誰か。
8 . 後 白 河 上 皇 の 近 臣 間 の 対 立 の 中 で , 1159 年 に 挙 兵 し た が 敗 走
した源氏の棟梁は誰か。
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ß次回の予告ß
平氏の繁栄と治承・寿永の内乱①