2014年11月1日

大阪教育大学地理学会会報
2014 年 11 月1日
第 61 号
目
次
ラウンドアバウトその後-改正道路交通法とのからみで-(辻本英和)・・・・・・・・・・1
平成 26 年度教室・学会関係行事予定表・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
平成 26 年度地理学研究室教員人事および新専攻生・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
平成 26 年度巡検案内・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
平成 26 年度地理学野外実習:岡山県倉敷市(川崎有里紗)
・・・・・・・・・・・・・・8
平成 26 年度卒業論文要旨(西山哲史)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12
日本の鉱業―現役稼働鉱山を中心として―(奥野一生)
・・・・・・・・・・・・・・・・13
大阪の町の読み方(水野惠司)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24
「Google Earth で見る地図教材のページ」の紹介(山田周二)
・・・・・・・・・・・・26
諸連絡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29
ラウンドアバウト(その後) -改正道路交通法とのからみで-
辻本 英和
ラウンドアバウトは、比較的交通量の少ない交差点で、一時停止することなく合流通過することができる
ため、渋滞緩和、エネルギー消費減などといった目的のため諸外国でも導入されているシステムである。
また、5方向以上の合流に際して、同一のルールで合流離散できるといったメリットもある。平成二十五年
六月十四日法律第四十三号、道路交通法の一部を改正する法律において、
第三十五条の二
車両は、環状交差点において左折し、又は右折するときは、第三十四条第一項
から第五項までの規定にかかわらず、あらかじめその前からできる限り道路の左側端に寄り、かつ、でき
る限り環状交差点の側端に沿つて(道路標識等により通行すべき部分が指定されているときは、その指
定された部分を通行して)徐行しなければならない。
2 車両は、環状交差点において直進し、又は転回するときは、あらかじめその前からできる限り道路
の左側端に寄り、かつ、できる限り環状交差点の側端に沿つて(道路標識等により通行すべき部分が指
定されているときは、その指定された部分を通行して)徐行しなければならない。
と規定されている。この法律は 2014 年9月1 日から施行されている。既に存在していた道路に関して、法体
系が十全に整備されていなかったとは驚きである。法の施行を受けて、本年度から運転免許更新講習でも
追加情報として取り上げられ、「環状交差点」(注)という用語で説明されている。
この資料には次のような解説が示されている。
環状交差点とは、車両が通行する部分が環状(円形)の交差点であって、道路標識などにより車両が
-1-
平成 26 年度 教室・学会関係行事予定表
前期
4
月
5
後期
2(水)
学部ガイダンス
10
1(水)
後期授業開始
7(月)
入学式
月
19(土)
第 2 回巡検河内長野方面
9(水)
授業開始
31(金)~2(月)
地理学野外実習(倉敷市)
16、17(金土)
第 1 回巡検(教員養成課程セミ
11
24(月)
第 3 回巡検大阪湾岸方面
ナー)葛城市方面
月
7(日)
大阪教育大学地理学会・地理
月
6
12
月
7
月
29(火)
25(木)
冬休み始まり
1
5(月)
授業再開
月
17(土)
第 4 回巡検大阪市内方面
人文地理学会地理教育研究部
2
3(火)
後期授業終了
会夏季研修(共催)
月
8(日)
卒論修論発表会 謝恩会
前期授業終了
月
8
9(土)
月
17(木)~20(日)
教育部会 12 月例会
野外調査実習(二部)(滋賀県
竜王町・近江八幡市)
9
月
6(土)
大学院入試
3
23(月)
卒業・修了式
20(土)~22(日)
日本地理学会秋季大会(富山
月
28(土)~30(月)
日本地理学会春季大会日本大
大学)
学文理学部
右回りに通行することが指定されているものをいいます(注;ラウンドアバウトともいいます)。環状交差点
に入ろうとするときや、環状交差点内を通行するときは、環状交差点内を通行する車。環状交差点に入
ろうとする車、歩行者などに気を配りながら、状況に応じてできる限り安全な速度と方法で進行しなけれ
ばなりません。環状交差点を左折、右折、直進、転回しようとするときは、あ
らかじめできるだけ道路の左端に寄り、環状交差点の側端に沿って(矢印
などの表示で、通行方法が指定されているときは、それに従って)徐行しな
がら通行しなければなりません。また、環状交差点に入ろうとするときは徐
行するとともに、環状交差点内を通行する車や路面電車の進行を妨げて
はいけません(更新時資料より)。
オーストラリアでは海外からの滞在者向けに各国語の「道路利用者ハン
ドブック」が用意されているが、この中では、次のように記載されている。
-2-
図 1 環状交差点の標識(日本)
・ラウンドアバウト(ロータリー):ラウン
ドアバウトはロータリー式の交差点で
すべての車両はその周囲を時計回り
に走行すること になっています。ロ
ータリーの周囲を回転できない大型
車両を除き、ロータリーの通り抜けは
禁止されています。
・ラウンドアバウトの優先関係:ラウン
図 2 オーストラリアの標識
ドアバウトに接近する際には、徐行し、ラウンドアバウトを通行中の車両にいつでも道を 譲れるよう
にします。十分な車間距離があり、衝突事故の危険性がないことを確認してからラウンドアバウトに
侵入するようにしましょう。
この他に、左折時、右折時、直進時における通行について、場合に応じた内容が詳しく述べられている。
実際に通行する人が疑問を持つであろう、直進する場合の方向指示器は?といった場合にも、直進車は交
差点に進入するとき方向指示器を出す必要は無い。抜け出る出口の一つ手前の出口を通過したところで
必要に応じて左折の指示器を出す。というふうに場合別に具体的に解説されている。 ラウンドアバウトの
標識は 2 種類あり、左は前方にラウンドアバウトあり、右は事故の恐れがある場合はラウンドアバウト内の車
を優先せよという意味の標識だと解説されている。
会報 56 号で報告した堺市東区大美野では、まだ標識は整備されておらず、止まれ標識の存在する従来
型制御が行われている(図 3)。府道 36 号線方向の交通量がきわめて多く、他方向の交通量が少ないため
の措置かと思われる。
図3
堺市東区大
美野交差点
(平成 26
年 10 月 27
日撮影)
-3-
平成 26 年度地理学研究室人事
平成 26 年度の非常勤の先生方は次のとおりです。
人文地理学の基礎・地域と環境・社会(地理I):関口靖之
地誌概論・人文地理学研究Ⅲ:西岡尚也(大阪商業大学)
暮らしの環境と地図・人文地理学研究I:中窪啓介(関西学院大学)
人文地理学特講・人文地理学研究Ⅱ:櫻田和也(大阪市立大特任講師)
平成 26 年度 地理学新専攻生
本年度下記の諸君を新たに地理学研究室に迎えました。
大学院修士課程(社会科教育専攻地理学専修) 2 名
川崎有里紗(大手前大学)、貴志弘基(滋賀県立大学)
学部社会専攻小学校コース・中学校コース 3 回生)4 名
坂川裕麿、西森聡子、明神祐生、森本翔太
学部教養学科社会文化コース 4 回生 4 名
久保慶和、源藤沙保里、高橋賢一、増田祥
交換留学生、日本語日本文化研修生(辻本教授指導の下で 1 年間)
張之盈(台湾師範大学)、Shuy Karin Martina(ドイツ、ニュールンベルグ大学)
平成 26 年度日曜巡検・野外実習
第1回巡検
[期
日] 平成 26 年 5 月 16 日(金)17 日(土)
[主
題]葛城市とその周辺地域における地形と景観
[集
合]JR和歌山線御所駅 5/16(金)10:00
[解
散]近鉄御所線磐城駅
[宿
泊]かつらぎの森
[日
程]5/16(金):JR 御所駅―御所市旧市街-葛城公園(昼食)-葛城市歴史博物館-新庄町旧市
街-かつらぎの森
5/17(土):かつらぎの森―竹内―近鉄磐城駅
[そ の 他]
持ち物:5/16 の昼食,地理学実習 I で作成した地図,クリップボード, 4 色ボールペン,筆
記用具,雨具,野帳,宿泊に必要な身の回りのもの費用:宿泊費 7000 円程度,自宅からの往復交通費,
博物館入館料 200 円注意:全行程を徒歩で移動するため,荷物は全てリュックサックに入れて,歩きやす
い靴で来ること
5/16 の昼食は公園で食べるので,弁当を持参すること
-4-
第2回巡検 河内長野方面
[期
日] 平成 26 年年 10 月 18 日(土)
[集
合] 近鉄長野線「汐ノ宮」駅改札口 10:00
[主
題] 石川の河成段丘
[経
路] 汐ノ宮駅→石川→段丘崖の比高の測量と地形の観察→錦織公園(昼食)→ 滝谷不動駅-近
鉄長野線で移動-道明寺駅→石川→段丘崖の比高の測量と地形,街並みの観察→誉田断層→道明寺駅(16
時頃解散予定)
[指
導] 山田周二
[地
図] 2.5 万分の 1 地形図「古市」「富田林」
[そ の 他] 公園で昼食を食べるので,弁当を持参すること.・スマートフォンを持っている人は,事前に
「ArcGIS for iOS」か「ArcGIS for Android」(いずれも無料)をインストールしておくこと.
第 3 回巡検 大阪湾岸方面
[期
日] 平成 26 年 11 月 24 日(月)
[集
合] 阪神電鉄淀川駅 10:00
[主
題] 大阪の湾岸の景観と防災
[経
路] 淀川駅→下水道資料館→伝法→安治川→弁天ふ頭→川口→京阪天満橋
[指
導] 水野惠司
[地
図] 2 万 5 千分の 1 地形図「大阪西北部」
[そ の 他] 雨天決行
第 4 回巡検 大阪市内方面
[期
日] 平成 27 年 1 月 17 日(土)
[集
合] 阪神電鉄淀川駅
[主
題]
[経
路] 淀川駅→海老江→福島→梅田橋跡→出入橋→難波橋→高麗橋→天満橋(昼食解散)→大
大和田街道、中国街道沿線の景観変化を調べる
阪天満宮→綱敷天満宮→十三大橋→香具波志神社→JR加島駅
[指
導] 関口靖之
[地
図] 2.5 万分の 1 地形図「大阪西北部」「大阪東北部」
[そ の 他] カメラ持参、天候により経路変更有
野外調査実習(二部)
[期
日] 平成 26 年 8 月 17 日(土)~8 月 20 日(火)
[主
題]滋賀県守山市、野洲市、近江八幡市の景観
[集
合]JR 草津駅 8/17(土)9:00
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[宿 泊 先]:近江希望が丘 YH
[日
程]
8/17(土)草津駅―県立琵琶湖博物館―守山市内―宿舎
8/18(日)宿舎―野洲駅―近江八幡駅―三井アウトレットパーク滋賀竜王―野洲駅―宿舎
8/19(月)グループごとに調査
8/20(月)予備日
[指
導] 水野恵司
[地
図]1/25000 地形図「草津」「堅田」「近江八幡」「野洲」」
[そ の 他] 持ち物:地理学実習 I で作成した地図、クリップボード、ハンドレベル、コンベックス、筆記用
具、雨具、野帳、宿泊に必要な身の回りのもの、費用:宿泊費 15、000 円程度、昼食等 3、000 円程度、
入館料 1、000 円程度、現地での交通費 3、000 円程度、現地までの往復交通費
地理学野外実習
[期 日]平成 26 年 10 月 31 日(金)~11 月 2 日(日)
[主 題]倉敷市の伝統的町並み保存
[集 合]JR 倉敷駅 10/31(金)13:00
[宿泊先]下津井亭
[日 程]
10/31(金) 倉敷市役所―倉敷美観地区―宿舎
11/1(土)下津井町並み調査
11/2(日)児島図書館―児島の町並み
[指 導]山近博義
[地 図]1/25000 地形図「下津井」「玉島」「本島」
[その他]持ち物:筆記用具、雨具、野帳、宿泊に必要な身の回りのもの
費用:宿泊費・食事代・現地での交通費・資料館等入館料などで約 25,000 円
現地集合・現地解散
平成 26 年度大阪教育大学地理学会・地理教育部会 12 月例会
下記の通り、本年度の大会・総会と地理教育部会 12 月例会が合同で開催されます。会員の皆様
方のご参加をお待ちしております。なお、当日は日曜日ですので、大会会場へは恐れ入りますが、
正門の方からお入り下さい。また、駐車場はありませんので、お車でのご来場はご遠慮下さい。
日
場
時:平成 26 年 12 月 7 日(日)10 時より
所:大阪教育大学天王寺キャンパス中央館 212 教室
-6-
大阪教育大学地理学会次第:
3 回生野外巡検報告
総会
4 回生卒論修論中間発表
井尻舞:奈良県生駒市における蔵の分布
中本千遥:大阪市池田市における地名の変遷
沼田真由子:スーパーの折り込み広告から見る農産物の流通について
横田圭亮:大阪市における地下街入口の形態
江口光一:京阪線の駅における近年の乗降客の変化
吉田尚弘:菊人形と人々との関わり
森田拓也:奈良県における遊技場の立地
久保慶和;大阪産(もん)野菜のフードシステム -泉州地域の水なすと産地振興-
源藤沙央里;都市周辺部における自動車を用いた移動販売
大阪教育大学地理教育部会 12 月例会
冨田健太郎:2014 年夏季巡検 長崎五島列島
射手矢武:百瀬川扇状地の現状と野外実習の実践報告
奥野一生:日本の鉱山と鉱業遺産
平成 26 年度卒業論文修士論文発表会
日
時:平成 27 年 2 月 8 日(日)13 時より
場
所:大阪教育天王寺キャンパス中央館 212 教室
発表内容:
岩竹悠里:八尾市及び広島市における土石流危険個所について
加藤秀悟:国境の大陸ごとの種類別割合とその要因
今井聡美:堺市における地図を活用した地域学習教材
西本周平:新聞記事から見る日本の農村空間の商品化
河野友也:大阪府における外国人観光客の動向
池尾慶太:平氏政権の再評価
石井 愛:八尾市における蔵と町家の分布
高橋賢一:鉄道の不採算路線を存続させる効果と工夫
増田 祥:松原市におけるため池の潰廃傾向
-7-
平成 26 年度 地理学野外実習:岡山県倉敷市
川崎有里紗
2014 年 10 月 31 日(金)から 11 月 2 日(日)にかけての日程で、平成 26 年度地理学野外実習
が行われた。参加者は教員 1 名と柏原キャンパスの学生合わせて 8 名である。実習地は岡山県倉敷
市である。その中でも今回は倉敷美観地区およびその周辺と、児島地区を実習地とした。
倉敷美観地区は、江戸時代に天領の町として栄え、今にいたるまでその繁栄が伝わり多くの観光
客が訪れている。児島地区は港町として栄え、江戸時代には北前船の航路として発展し,今もその
名残が見られる地区である。また繊維の町としても有名で、現在はジーンズの聖地として知られる
地区である.
実習内容は主として倉敷市児島地区下津井の町並み保存地区における建造物を対象とした町並
みの変遷調査や、美観地区や児島地区での町並み見学などを行った。
この地域を実際に歩くことで調査方法や調査の視点などを知ることができ,今後の研究に大いに
活かすことができると考える。
10 月 31 日(金)13 時 JR 倉敷駅に集合し、徒歩で倉敷市役所へと向かった。市役所の情報公
開室にて過去の倉敷市の人口や船舶乗降員数などの統計を得、さらに昭和 50 年・60 年の都市計画
図を入手した。瀬戸大橋開通以前の地図なので、事後学習では現在の地図と比較をすることで地域
の変遷を知る上で意義あると考えている。
15 時半 倉敷市役所からバスで美観地区へと向かい町並みを観察した。多くの町家や蔵、大原家
住宅・有隣荘といった邸宅など、数々の歴史的建造物が往時の繁栄ぶりを思い起こさせる。
写真 1 美観地区入口付近
写真 2 倉敷川と有隣荘前
11 月 1 日(土)9 時半 調査地である児島地区下津井へと向かう。その途中、瀬戸大橋を間近で
見られる田土浦公園へ立ち寄り、瀬戸内海を眺望する。景色を見た後、下津井の町並み保存地区へ
と向かい調査を開始する。
調査内容はあらかじめ用意していた1984 年のゼンリン住宅地図を用い、
-8-
現在との変化を調査した。また伝統的町家の残存状況についても 1984 年の町家調査結果を用いて
現在との変化を調査した。
写真 3 田土浦公園
写真 4 下津井の町並み
12 時半 午前中の調査を終了し昼食をとった。下津井の町の中心あたりに「むかし下津井回船問
屋」という観光施設があり、下津井の町が北前船航路の中継地点として栄えた町であることを知っ
た。奥へ進むと港町ならではの食材を使った料理を楽しめる食事処があった。
写真 5 北前船
写真 6 昼食の海鮮丼
写真 7 調査風景
写真 8 調査風景
-9-
昼食後 調査を再開し、15 時ごろに終了した。調査の結果として、この 30 年のうちに少なから
ず住民の入れ替わりが見られ、伝統的町家も空き地に変化しているところが見られた。港町として
栄えていたころの名残は現在に近づくにつれ薄れつつあると考えられる.また地元の人の話による
と、学校の生徒数も 200 人近くいたのが今では 20 人程度になっていることや、収穫した魚介類を
集積していた場所も今は空き地になっていることを聞き、町の変遷をより一層知ることができた。
15 時半 調査を終了し町並み保存地区を抜け、少し歩いて行くと下津井漁港が見えた。複数の漁
船が港に停泊しており、盛んに漁が行われていると思われた。下津井ではタコ漁が盛んである。
下津井漁港から歩いて 5 分ほどのところに、下津井電鉄の軌道跡地があり見学した。当時使われて
いた電車と線路が現在も残されていた。線路跡は、当時のままのルートで旧児島駅まで続いており、
歩いて行くことができる。
写真 9 下津井漁港
写真 10 下津井電鉄跡
16 時 鷲羽山展望台へ到着し、瀬戸内海の景色を見た。鷲羽山は標高 133m の山で、瀬戸大橋が
四国まで架かる景色を見ることができる。曇り空のため遠くまでは見られなかったが、瀬戸大橋が
架かるさまは絶景であった。
写真 11 展望台にて①
写真 12 展望台にて②
- 10 -
11 月 2 日(日)
9 時 児島までバスで移動し、まず向かったのが学生服資料館であった。児島は繊維の町と言われ
る通り、繊維産業が盛んである。江戸時代から真田紐に始まり、大正時代は足袋、昭和初期には学
生服が中心になり生産変遷がみられる町である。学生服資料館では実際に児島で作っていた学生服
の数々が展示されていたり、歴代の学生服の宣伝ポスターなどがあったりと児島の学生服の歴史を
知ることができた。さらに学生服を着られる体験もできた。
写真 13 学生服資料館①
写真 14 学生服資料館②
11 時 ジーンズミュージアムへと向かった。児島地区は学生服の生産が衰えた後、1960 年代か
ら国産ジーンズの製造が始まる。生産量は、1970 年代のジーンズブームにより 1973 年のピーク時
に 1500 万本にもなっている。国内ジーンズ発祥の地として有名であり、この日もジーンズファン
や観光客が見られた。その後、江戸時代の塩田王として名高い野﨑家旧宅を見学した。野﨑家は約
3000 坪の敷地があり、7 棟もの蔵や枯山水の庭園やあちこちに茶室も見られ、当時の勢いが感じら
れた。平成 18 年に国の重要文化財に指定されており、堂々とした数々の建築物に圧倒された。
写真 15 ジーンズミュージアム
写真 16 野﨑家旧宅
14 時 昼食を済ませ、JR 児島駅にて解散し帰路についた。倉敷市での学びを持ち帰った 3 回生
の実習成果発表を楽しみだと考えている。
- 11 -
東大阪市におけるコンビニエンスストアの立地展開(卒論要旨)
社会文化コース 106417 西山哲史
2007 年に改定された日本標準産業分類によると、コンビニエンスストアとは「主として飲食料
品を中心とした各種最寄り品をセルフサービス方式で小売する事業所で、店舗規模が小さく、終日
又は長時間営業を行う事業所のことである」と定義されている。本研究では、1986 年から 2013 年
に発行された NTT(西日本電信電話株式会社)発行のタウンページにおいてコンビニエンスストア
と分類されているものを調査対象とした。調査対象の店舗には定義に縛られない新しい形態の店舗
も含まれている。各年度の出店状況を地図化し、現在営業している各店舗に関しては実際に訪問し、
取扱品目、各種サービス項目、駐車場の設置状況等の調査を行った。
本研究では以下のことが明らかとなった。東大阪市においては、現在 206 軒のコンビニエンスス
トアが存在している。1990 年頃まではローソンが多く出店し、1991 年以降コンビニ各社が新規参
入し、1996 年になってやっとセブンイレブンが参入している。2000 年ごろにはファミリーマート
の独走態勢となった。急速に拡大するセブンイレブンと、以前から多く出店していたローソン、フ
ァミリーマートの 3 チェーンがしのぎを削っている。現在は、ローソンが 23.7%、セブンイレブン
が 24.2%、ファミリーマートが 28.5%を占めている。現在の分布におけるチェーンごとの特徴とし
て、ローソンはロードサイドに多く出店する傾向や、ファミリーマートの店舗間の距離が小さい傾
向などがみられた。
地域別の分布をみると、利用客が多い駅の駅前では店舗が過密状態になっているものの、それぞ
れの店舗でターゲットとする客が異なっていることから住み分けができているようである。ロード
サイドでは、駐車場の広さや立地環境から主に車利用者をターゲットとしている店舗と、車利用者
をターゲットの一部と考えている店舗が存在していた。中央分離帯や本線と側道に分かれている道
路では、実際の交通量と比べて車利用客がかなり少なくなるので新期出店に消極的だが、立体交差
部や高速出入り口周辺など立地に工夫をしている。
コンビニエンスストア廃業跡地は、飲食店や病院など様々な形で利用されている。廃業跡地に別
のコンビニエンスストアができるケースは稀であり、同形態のコンビニエンスストアとして成立す
ることは難しいことが明らかになった。廃業店の傾向としては、交通量の多い道路沿いであっても
十分な駐車スペースが確保できない場合に廃業していることが多く、モータリゼーションへの対応
が求められる。
- 12 -
日本の鉱業―現役稼働鉱山を中心として―
奥野 一生
≪1≫
はじめに
鉱業は、地理教育において、資源エネルギー問題など、必須の内容である。自然と人間の関係を
究明する地理学においては、地質構造で決まる地下資源と、社会情勢に影響される鉱業の盛衰から、
格好の地理教材である。しかしながら、地下資源をほとんど輸入に頼っている現在においては、日
本の現役稼働鉱山について、ほとんど知られていないのが現状である。また、地理学において鉱業
を専門分野とする研究者は、日本地理学会の会員名簿によると、数名と、極めて少ない。世界遺産
に登録された石見銀山、登録を目指す軍艦島や佐渡金山など、近代化遺産としての日本の鉱業が見
直されており、今後、鉱業学習の注目度が増すものと考えられる。
本稿では、筆者が実際に訪れた現役稼働鉱山を中心に、日本の鉱業の現状を報告して、地理教育
の教材として活用いただくことを期待している。なお、経済産業省九州産業保安監督部の資料によ
ると、2010 年(平成 22 年)4月末現在での全国の稼行鉱山数は、金属・非金属が 218(採石が中心)
、
石灰石が 265、石炭・亜炭が 13(露天掘りが中心)
、石油・天然ガスが 63、計 559 である。
≪2≫現役稼働鉱山
(1)
石炭
北海道釧路市の太平洋炭礦は、長崎県の池島炭鉱とともに、21 世紀を迎えても、日本国内で坑内
掘による地下採炭を行っている最後の2箇所であった。釧路市東部春採地区での石炭採掘は、1887
年(明治 20 年)開始、1914 年(大正3年)一旦休山、1917 年(大正6年)再開、1920 年(大正9年)に太平
洋炭礦が発足した。第二次世界大戦後、陸上部地下採炭から海底地下炭層採炭に着手した。1962 年
(昭和 37 年)に炭鉱従業員の持ち家制度が発足して積極的に住居取得が奨励され、従来の炭鉱住宅が
撤去された跡地に分譲による一般的な住宅地が造成された。したがって、炭鉱地域特有の炭住景観
は早くに姿を消し、地形図上のみから炭鉱従業員居住地を特定するのは難しい。また、早期に採炭
機械化を推進し、遠隔操作のドラムカッターで採炭している。この住宅と採炭の近代化が、北海道
で最後まで残る炭鉱となった理由である。しかし、長崎県の池島炭鉱が 2001 年(平成 13 年)に閉山、
この太平洋炭礦も、太平洋炭礦としては 2002 年(平成 14 年)に閉山、地元を中心にして設立された、
釧路コールマインが規模を縮小して事業を継承、国内に残る唯一の坑内掘炭鉱となった。
一方、露天掘り炭鉱は北海道で複数稼働しており、かつて、
「海外炭は露天掘り、国内炭は坑内
掘り」と指摘されたが、坑内掘り炭鉱の減少により、現在では露天掘りが坑内掘りに匹敵する産出
量を示すのが現状である。北海道で露天掘りによる石炭採掘が成立・継続している要因としては、
- 13 -
①炭鉱が都市部ではないので採炭場所が都市化せずに現在でも露天採掘が可能、②かつての坑内掘
り時代に炭層が正確に把握されていて採炭作業の無駄が少ない、③採掘技術の進歩によって露天掘
りによる採掘が可能となった、④冬季の積雪による公共工事の減少期に採掘が可能で労働力を有効
活用できる、⑤石炭火力発電用が用途の中心で冬季に需要が増す、⑥海外炭の価格が高騰して価格
的にも対抗できるようになった、⑦原子力発電所の停止によって需要が増加していること、以上が
あげられる。
北海道で露天掘り石炭採掘企業には、砂子組・三美鉱業・空知炭鉱・芦別鉱業・平野重機鉱業・
吉住炭鉱等がある。特に砂子組は、ホームページ等でも情報が公開されており、地理教育部会でも
かつて見学させていただいた(注1)
。砂子組(本社は奈井江町)は、北海道の冬季における土木
工事減少対策から、昭和 30 年代より露天掘り採掘に従事している。三笠市幾春別の北方に位置する
主力坑の三笠露天坑は 1987 年(昭和 62 年)に操業開始、この地域の地層構造は向斜で、美唄市と三
笠市の市境をなす尾根線の南東側、急傾斜地側に石炭層の露頭がある(緩やかなU字型断面の片一
方)
。以前の坑内掘では、向斜の底辺部(U字型断面の底辺部)から上部に向って掘削、その坑内
掘で掘り残した更に上部を露天掘りで掘削している。坑内掘時代の炭層調査により正確な埋蔵量が
判明済みで、露天掘り掘削の重機も発達し、砂子組のように建設業併営であれば、採算を考慮した
計画的な炭鉱経営が可能となる。石炭層の露頭は急傾斜地側であるが、ベンチカット工法で採掘地
は段丘状の緩傾斜地と変化する。我路の沢川北東部の段丘状の部分も砂子組の露天掘り炭鉱跡地
(我路の沢露天坑で昭和 63 年終掘)である。かつての露天掘り跡地は窪地や池となったこともあっ
たが、現在では、採掘後の埋め戻し及び植林が義務づけられている。炭質が高カロリー炭と良質な
天塩炭礦でも、小平炭鉱達布露天坑(現・砂子組達布露天坑)と吉住炭鉱露天坑が 1983 年(昭和 58
年)に操業開始で、露天掘りがおこなわれている。
(注1)拙稿(2006):幾春別,
「地理」
,古今書院,51(4):84-93.
戦後の応急修正の地形図で、亜炭炭鉱の「せきたん」表記が広く分布した。岐阜県のある都市で
は、陥没の発生によって、亜炭採掘がかつて地下の広範囲で行われていたことが知られるようにな
った。日豊鉱業武蔵野炭鉱(埼玉県飯能市)が、現在、国内唯一残る亜炭の炭鉱で、用途は、水の
浄化剤・農業肥料畜産飼料等の原料用である。
(2)石油
国内の油田は、北海道(勇払)・秋田県(申川・福米沢・西大潟・福川・八橋・鮎川・由利原)・山形
県(余目)・新潟県(岩船沖・中条・東新潟・南阿賀・見附・南長岡)で生産(青森県でも湧出)がおこな
われているが、国内消費の1%未満である。2006 年(平成 18 年)における年間生産量上位5位までは、
第一位勇払(北海道)25 万5千キロリットル、第二位南長岡(新潟)17 万4千キロリットル、第三位由
第四位岩船沖(新潟県)11 万3千キロリットル、
第五位東新潟(新
利原(秋田県)11 万7千キロリットル、
- 14 -
潟県)8万1千キロリットルである。
北海道の油田・ガス田としては、苫小牧市に石油資源開発勇払鉱場があり、1989 年(平成元年)発
見、1997 年(平成8年)商業生産開始である。
秋田県の油田・ガス田としては、男鹿市に石油資源開発秋田鉱業所申川鉱場があり、1958 年(昭
和 33 年)発見、翌 1959 年(昭和 34 年)生産開始、八郎潟を作った海岸の砂州上に位置し、自噴のため、
パイプとバルブだけで、上下稼働のポンプはない。秋田市に国際石油開発帝石秋田鉱業所があり、
1933 年(昭和8年)発見、1959 年(昭和 34 年)が最盛期で八橋油田は国内産出量の 66%を占めていた。
かつては十箇所以上のポンプが稼働していたが、停止もしくは更地となった場所も多く、現在常時
稼働中は数カ所のみとなった。八橋プラントは草生津(くそうづ=石油にちなむ)川沿いの八橋イ
サノ1丁目付近住宅地の中で、ポンプが稼働、付近の地名はズバリ「油田(あふらでん)
」で、バ
ス停名にも使用されている。外旭川プラントは秋田自動車道秋田北インターに通じる草生津川に平
行した道路沿いの外旭川にあり、雄物川プラントは旧雄物川沿いで、ポンプが稼働している。市街
地の拡大で油田は住宅地に囲まれることとなっている。由利本荘市に石油資源開発由利原鉱場があ
り、由利原の丘陵で、自噴のため、目立つポンプや櫓等はない。1976 年(昭和 51 年)発見、1984 年(昭
和 59 年)生産開始である。また、1989 年(平成元年)発見・1995 年(平成7年)生産開始の鮎川鉱場が
ある。
山形県の油田・ガス田としては、庄内町に石油資源開発余目鉱場があり、1960 年(昭和 35 年)に余
目背斜が知られて発見され、同年 1960 年(昭和 35 年)生産開始である。
新潟県の油田・ガス田としては、胎内市に石油資源開発新胎内ガス鉱場とジャパンエナジー石油
開発中条油業所があり、1960 年代より開発され、石油化学工業が地元に成立した。新発田市に石油
資源開発紫雲寺ガス鉱場があり、1962 年(昭和 37 年)発見、翌 1963 年(昭和 38 年)生産開始、前述の
胎内からこの紫雲寺、そして次の東新潟は、新潟北部の海岸砂丘上及び後背湿地に位置する、一連
の油田・ガス田である。新潟市に石油資源開発新潟鉱場K基地・N基地があり、1959 年(昭和 34 年)
発見、同年 1959 年(昭和 34 年)生産開始である。また、三菱ガス化学工務部エネルギーセンター課
加治川第一供給所・第二供給所は、戦前から開発され、自家用ガス田を用いて化学製品を製造して
いる。新潟空港から新潟東港に至る海岸砂丘の、海岸部分及び後背湿地の境目部分に、東新潟油田・
ガス田が列状に点在している。国際石油開発帝石新潟鉱業所南阿賀鉱場松崎第一プラントは、前述
の東新潟ガス田の延長上で、阿賀野川左岸に位置する。阿賀野市に国際石油開発帝石新潟鉱業所南
阿賀鉱場があり、1964 年(昭和 39 年)発見、新津油田の北北東、阿賀野川右岸の水田地帯の中にある。
小千谷市に石油資源開発長岡鉱業所片貝鉱場があり、1960 年(昭和 35 年)発見、同年 1960 年(昭和 35
年)生産開始である。見附市に石油資源開発見附鉱場があり、1958 年(昭和 33 年)発見、1959 年(昭和
34 年)生産開始である。長岡市に国際石油開発帝石新潟鉱業所長岡鉱場・関原プラント・親沢プラ
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ント・越路原プラントがある。長岡市は、東に位置する東山丘陵の東山油田の原油を製油する、精
油工業都市として発展した。南長岡ガス田は、1980 年(昭和 55 年)発見の国内最大級の天然ガス埋蔵
量を有するガス田である。1984 年(昭和 59 年)9月に越路原プラントが完成し、南長岡ガス田の生産
を開始した。1994 年(平成6年)10 月に生産力増強のため、親沢プラントを完成させた。関原ガス田
は枯渇したが、ガス地下貯蔵用として利用されている。天然ガスは、深度4~5千メートルから採
取、ガス井は十箇所以上あり、プラントでは銀色に塗られたタンクやパイプ、CO2除去装置が林
立している。柏崎市に石油資源開発長岡鉱業所吉井鉱場があり、1968 年(昭和 43 年)発見、同年 1968
年(昭和 43 年)生産開始である。また、国際石油開発帝石柏崎工場平井ガス採収所・中通ガス採収所
がある。柏崎市は、西山油田の原油により、柏崎駅前に日本石油製油所(現在は日本石油加工)が
設けられ、石油工業都市として発展した。1970 年(昭和 45 年)に東部の丘陵の麓で東柏崎ガス田が発
見され、天然ガスを産出、南長岡ガス田とともにパイプラインで東京に供給されている。上越市に
国際石油開発帝石新潟鉱業所頸城鉱場があり、1959 年(昭和 34 年)発見、新潟県南部海岸の砂丘上及
び後背湿地に位置する天然ガス田である。
(3)天然ガス
国内の天然ガス田は、油田と同様に、北海道(勇払)・秋田県(鮎川・由利原)
・新潟県(岩船沖・
平木田・中条・紫雲寺・東新潟・松崎・南長岡・吉井・片貝・東柏崎)で原油とともに湧出する。ま
た、千葉県を中心とした南関東ガス田が、埋蔵量では日本国内最大である。ガス田は東京都内まで
広がっており、かつては東京都内でも天然ガスの採掘がおこなわれていた。しかし、水溶性ガスで
地下水中から採取、温泉掘削とともに天然ガスが噴出し、かつて引火ガス爆発事故もあり、採掘規
制が行われている。なお、福島県の磐城沖ガス田の採掘は終了している。2006 年(平成 18 年)におけ
る年間生産量上位5位までは、第一位南長岡(新潟県)12 億4千4百万立方メートル、第二位勇払(北
海道)4億5千3百万立方メートル、第三位片貝(新潟県)2億9千9百万立方メートル、第四位岩船
沖(新潟県)2億3千4百万立方メートル、第五位茂原(千葉県)1億9千9百万立方メートルである。
千葉県のガス田は、山武市に国際石油開発帝石千葉鉱業所・成東第一ガスプラント、茂原市に関
東天然瓦斯開発がある。南関東ガス田は、千葉県九十九里浜に隣接する房総丘陵上や谷間に位置し、
高濃度の濃縮ヨウ素を含む。地下ではメタンガスが地下水に溶け、地上では水と分離してメタンガ
スが発生する。数多くのガス井(櫓はなく、地中深くに埋められたパイプから地上に噴出)から採
取された天然ガスは、都市ガスとして地元九十九里浜周辺地域やパイプラインで東京湾方面の千
葉・市原・習志野周辺地域に供給されている。
(4)金鉱石
国内の金鉱石鉱山は、伊佐市の菱刈鉱山(注2)
、南九州市の赤石鉱山、枕崎市の岩戸鉱山と春
日鉱山と、鹿児島県下に4鉱山がある。菱刈鉱山は、1969 年(昭和 44 年)に住友金属鉱山グループが
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鉱業権を取得、1981 年(昭和 56 年)に金属鉱業事業団がボーリング調査で高品位の金鉱脈にあたり、
1982 年(昭和 57 年)12 月に開発を開始し、1985 年(昭和 60 年)7月より本山坑で出鉱を開始、1991 年
(平成3年)より山田坑で出鉱を開始した。1985 年(昭和 60 年)からの採掘量は 200 トンを超え、さら
に約 200 トンの埋蔵量があるとされている。日本国内で産出する金の 90%以上を産出、鉱石はトラ
ックで加治木港へ、そこから船で愛媛県新居浜市に送られ、住友金属鉱業別子事業所で金を回収し
ている。2002 年(平成 14 年)4月1日現在の従業員数は直轄 143 人・請負 59 人、計 201 人である(
『鉱
業便覧 平成 14 年版』より)
。なお、従業員はいわゆる「通い」で「鉱山集落」はない。1997(平成
9年)には本邦の累積産金量順位が、佐渡(新潟県)を上まわって第一位となり、継続して産金量記録
を更新中である。菱刈・佐渡以下は、第三位鴻之舞(北海道)・第四位串木野(鹿児島県)・第五位鯛生
(大分県)・第六位山ヶ野(鹿児島県)・第七位大口(鹿児島県)で、菱刈以外は、休止中の串木野を除い
て既に閉山となった。このように上位七金鉱山中の四金鉱山が鹿児島県北部に集中、日本有数の産
金地域で、前述したように鹿児島県南部の南九州市と枕崎市にも金鉱山があり、これらの金鉱山は
霧島・桜島・開聞岳といった火山の西側に位置する。金鉱床が火山活動で形成され、火山フロント
が東へ移動したことによる。岐阜県神岡鉱山が閉山後、日本国内の従業員 100 人以上の大規模金属
鉱山は菱刈鉱山と豊羽鉱山であったが、2006 年(平成 18 年)3月末豊羽鉱山閉山でこの菱刈鉱山が本
邦最後の本格的坑内掘金属鉱山となった。春日鉱山は露天掘りで、1929 年(昭和4年)以来採掘、2002
年(平成 14 年)4月1日現在の従業員数は直轄 15 人である(『鉱業便覧 平成 14 年版』より)。丸兼
鉱業岩戸金山も露天掘りで、2002 年(平成 14 年)4月1日現在の従業員数は直轄3人である(『鉱業
便覧 平成 14 年版』より)。三井串木野鉱山赤石鉱山も露天掘りで、2002 年(平成 14 年)4月1日現
在の従業員数は直轄9人である(『鉱業便覧 平成 14 年版』より)。
(注2)拙稿(2006):鹿児島県菱刈町,
「地理」
,古今書院,51(3):106-115.
(5)鉄鉱石
国内の鉄鉱石鉱山には、柏原(長野県)・新木浦(大分県)・阿蘇(熊本県)・鳥上羽内谷鉱山(島根県)
があり、前3者は製鉄原料ではなく、特別な用途用である。長野県上水内郡信濃町の柏原鉱山は、
黒姫山南麓にあり、吉田号という企業が露天掘りで褐鉄鉱を採掘している。用途は、脱硫用触媒(硫
化水素ガスの吸着除去等)・瓦の釉薬・水田の土地改良材等である。戦時中は、長野県下に諏訪鉄山
など鉄鉱石産出地がいくつかあり、製鉄用原料として使用されていた。大分県佐伯市の新木浦鉱山
は、木浦エミリー(株)が耐磨材エミリーを、日本で唯一採掘している。エミリーは、いわゆる金剛
砂で、ダイヤモンドに次いで硬い。世界的な産地はギリシャのナキサス島エメリー岬で、道路のす
べり止めや研摩材用に使用する。2002 年(平成 14 年)4月1日現在の従業員数は直轄2人請負2人で
ある(
『鉱業便覧 平成 14 年版』より)
。熊本県阿蘇市の日本リモナイト鉱業阿蘇鉱業所は、阿蘇カ
ルデラ火口原にある露天掘りの阿蘇黄土採掘鉱山で、リモナイトとは褐鉄鉱のことである。用途は、
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し尿の末端処理で使用する硫化水素の吸着材としてと、畜産用健康飼料のライトミネラルといわれ
るミネラル鉱石で、豚の貧血防止鉄分補給剤である。明治期より地元で鉱物の産出が知られ、第二
次世界大戦中より採掘されたが、1966 年(昭和 41 年)に有明製鉄熊本製造所の閉鎖と共に、製鉄原料
としての採掘は終了した。その後、日本リモナイト鉱業が前述の用途用に採掘を開始、工場も併設
されて、製品が生産されている。島根県仁多郡奥出雲町の鳥上羽内谷鉱山は、刀剣用の砂鉄を露天
掘りで採掘している。別称は日刀保羽内谷鉱山(
「日刀保」は日本美術刀剣保存協会の略)で、財
団法人日本美術刀剣保存協会と共同運営されている。2002 年(平成 14 年)4月1日現在の従業員数は
直轄5人である(『鉱業便覧 平成 14 年版』より)。
(6)石灰石
石灰石は、国内で自給できる鉱産資源として知られているが、さらに、新潟県姫川港からは韓国・
台湾へ、高知県須崎港からは台湾・香港・オーストラリアへ、大分県津久見港からは韓国等へ輸出
されている。
2007 年(平成 19 年)における年間生産量上位 15 位までは、第一位鳥形山(高知県・日鉄鉱業)1345
万トン、第二位戸高(大分県・戸高鉱業社)1297 万トン、第三位新津久見(大分県・大分太平洋鉱業)1237
万トン、第四位東谷(福岡県・三菱マテリアル)1086 万トン、第五位伊佐(山口県・宇部興産)806 万ト
ン、第六位秋吉(山口県・住友大阪セメント)795 万トン、第七位峩朗(北海道・太平洋セメント)758
万トン、第八位八戸石灰(青森県・住金鉱業)527 万トン、第九位尻屋(青森県・日鉄鉱業)457 万トン、
第十位藤原(三重県・イシザキ)444 万トン、第十一位武甲鉱山(埼玉県・武甲鉱業)383 万トン、第十
二位土佐山(高知県・太平洋セメント)367 万トン、第十三位青海鉱山(新潟県・電気化学工業)326 万
トン、第十四位宇根鉱山(埼玉県・菱光石灰工業)322 万トン、第十五位田海鉱山(新潟県・明星セメ
ント)320 万トンである。これを都道府県別にまとめると、第一位大分県、第二位高知県、第三位山
口県、第四位福岡県、第五位青森県となり、日本一の石灰石の街である津久見を擁する大分県と、
三大カルストである、四国カルストの高知県、秋吉台の山口県、平尾台の福岡県、これらが上位四
県となる。鉱山単独で第一位、都道府県別で第二位の高知県は江戸時代から土佐石灰として有名で、
築城漆喰原料や農業肥料原料として、土佐藩の重要な収入源であり、高知県を代表する企業グルー
プの入交(いりまじり)グループは、石灰採掘業が起源である。米の二期作がおこなわれるのは、
地力低下を石灰肥料で対応できたという背景もある。ちなみに、薩摩は金・錫・硫黄を、長州は銅・
石炭・石灰を、肥前は石炭を産出した。
石灰石の用途は、近世期では漆喰・肥料用、近代期にはセメント・製鉄用が中心となった。2008
年(平成 20 年)では、セメント用が 46.5%、コンクリート骨材が 20.5%、鉄鋼用が 15.0%である。か
つてはセメント工場が石灰石産出地に立地、これを山元工場という。しかし、セメント製造時の加
熱用に大量の輸入石炭を使用するところから、石炭輸入港の港湾立地が現在は中心となっている。
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石灰石は、かつて鉄道で多くが輸送され、現在も岩手開発鉄道・西濃鉄道・三岐鉄道等で残ってい
るが、公共事業や建設事業減少に伴うセメント需要の低迷から、波動に対応しやすいトラック輸送
や輸送コストが低いベルトコンベアー輸送が中心となっている。特に、前出の上位鉱山で、鳥形山・
秋吉・八戸石灰は鉱山から港まで長距離のベルトコンベアー輸送がおこなわれている。
石灰石の採掘は、北海道から沖縄まで広く行われているが、主要な採掘地は以下のとおりで、石
灰石は、地質構造の関係から、帯状に分布する。当然ながら、鍾乳洞の分布地帯と一致する。
①北海道南端・東北東部
北海道上磯、青森県尻屋崎から八戸、岩手県北上山地(内間木洞・安家洞・龍泉洞)、大船渡(滝観
洞)、一関市東山(幽玄洞・猊鼻渓)にかけて、帯状に石灰岩地帯が分布する。北海道北斗市の太平洋
セメント(北海道セメント・浅野セメント・日本セメント)峩朗採石場の石灰石を使用する北海道
セメント上磯工場は、1890 年(明治 23 年)に開設された。青森県下北郡東通村の日鉄鉱業尻屋鉱業所
は、1941 年(昭和 16 年)に日本特種鋼管が開発、1944 年(昭和 19 年)に休止、1957 年(昭和 32 年)に日
鉄鉱業が再開、製鉄・セメント製造用として北海道室蘭へ船舶輸送される。青森県八戸市には住金
鉱業八戸石灰鉱山があり、八戸での石灰石採掘は、江戸期より開始、1921 年(大正 10 年)に日の出セ
メント湊工場が開設され、1932 年(昭和7年)には現在の採掘地である金山沢での採掘を開始した。
長年の採掘により、広大な深みができ、最深部はマイナス 170mにもなっている。通称、
「八戸キャ
ニオン」と称され、展望台から遠望できる。採掘された石灰石は、鮫漁港向かいの八戸港埠頭まで
地下の輸送管(ベルトコンベアー)で輸送、海路で茨城県の鹿島製鉄所へ運ばれる。岩手県大船渡
市の小野田セメント大船渡鉱山は、1960 年(昭和 35 年)に長沢地区で採掘開始、1982 年(昭和 57 年)
に坂本沢地区で、1989 年(平成元年)に大平地区で採掘開始された。2003 年(平成 15 年)に龍振鉱業と
共同鉱区を設定した。岩手県一関市の東山町には、宮城石灰鉱業宮城石灰岩手鉱山・三菱マテリア
ル長坂鉱山・東北鉄興社東鉄松川鉱山・和賀仙人鉱山松川鉱山がある。1958 年(昭和 33 年)に大船渡
線松川駅を中心に、東北開発株式会社によるセメント工場が立地、大船渡と並ぶセメント工業都市
となった。
②関東北部から西部の外延部(山梨・神奈川・静岡<伊豆>の火山地域を除く)
福島県阿武隈高地(入水鍾乳洞・あぶくま洞<釜山洞>)から茨城県日立市・常陸太田市、栃木県
佐野市葛生、埼玉県秩父(橋立鍾乳洞)、東京都奥多摩(大増鍾乳洞・日原鍾乳洞・大岳鍾乳洞)にかけ
て、北東~南西の直線上に石灰岩地帯が分布する。福島県田村市滝根町には日東粉化工業中森鉱山
があり、1918 年(大正7年)に住友セメント神俣工場が開設され、神俣駅から住友セメント専用線が
開設された。1968 年(昭和 43 年)に住友セメント神俣工場を旭砿末が引き継ぐ(現・福島石灰)
。2001
年(平成 13 年)に住友大阪セメント滝根鉱山の共有持分全部が旭砿末に譲渡され、旭砿末は旭滝根鉱
山とした。2011 年(平成 23 年)に旭砿末旭滝根鉱山と旭大越鉱山が合併、新滝根鉱山となった。福島
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県田村市大越町には旭砿末資料合資会社新滝根鉱山がある。1939 年(昭和 14 年)に旭砿末大越工場開
設、2011 年(平成 23 年)に旭砿末旭滝根鉱山と旭大越鉱山が合併、新滝根鉱山となった。茨城県日立
市には日立セメント太平田鉱山があり、採掘された石灰石は、現在、日本で唯一、索道ゴンドラを
使用して日立市街地近くまで輸送、さらに地上ベルトコンベアーを使用して日立市役所付近まで、
さらに地下ベルトコンベアーを使用して日立駅近くのセメント工場へ運ばれる。茨城県常陸太田市
には旭砿末資料合資会社石の倉鉱山があり、1961 年(昭和 36 年)工場開設され、1971 年(昭和 46 年)
に旭砿末真弓工場が開設された。栃木県佐野市の葛生町には、東京石灰工業東京石灰鉱山・住友大
阪セメント唐沢鉱山・日鉄鉱業羽鶴鉱山・駒形石灰工業大釜鉱山・吉澤石灰工業大叶鉱山がある。
古くから石灰石の町として有名で、1748 年(寛延元年)に石灰山が発見され、
「野州石灰」として河川
による船運で江戸に運ばれた。1938 年(昭和 13 年)にセメント工場が開設されている。埼玉県飯能市
(旧・名栗村)には鋼管鉱業(現・JFEミネラル)武蔵白岩鉱山があり、1966 年(昭和 41 年)に採
掘開始、隣接して、新鉱工業名郷鉱山が採掘している。埼玉県秩父市や秩父郡も古くから石灰石の
街として有名で、秩父太平洋セメント三輪鉱山・株式会社ニッチツ日窒鉱山・武甲鉱業武甲鉱山・
菱光石灰工業宇根鉱山・秩父鉱業御堂鉱山がある。群馬県多野郡神流町には秩父太平洋セメント叶
山鉱山があり、1976 年(昭和 51 年)に秩父セメントと日本セメントが共同開発で採鉱を開始、1980
年(昭和 55 年)に開発工事着手、1984 年(昭和 59 年)より、操業を開始した。従来は、武甲山から採掘
していたが、資源枯渇化の進行により、新たな採掘地として開発したものである。採掘された鉱石
は、ベルトコンベアーで秩父まで送られている。東京都青梅市および奥多摩町には、奥多摩工業青
梅鉱山・氷川鉱山がある。奥多摩工業は、1946 年(昭和 21 年)から本格的に採掘を開始した。また、
昭和石材工業古里鉱山もある。
③中部地方西部・本州地峡部
フォッサマグナのすぐ西、新潟県青海から、岐阜県の飛騨山脈の西(飛騨大鍾乳洞)を経て、岐阜
県南部・滋賀県東部(河内風穴)・三重県北部まで、石灰岩地帯が分布する。しかし、飛騨山脈の山
岳地帯では、開発と輸送の不便さから石灰石鉱山が分布しない。新潟県糸魚川市には、電気化学工
業青海鉱山があり、1921 年(大正 10 年)に青海町の青海川河口付近右岸でセメント生産の操業を開始
した。同じく新潟県糸魚川市の明星セメント田海鉱山は、1956 年(昭和 31 年)に日本石灰石開発が設
立され、1958 年(昭和 33 年)に明星セメントが設立(昭和電工・信越化学工業・日本カーバイド工業
の3社共同出資)
、同年に日本石灰石開発が田海鉱山で採掘を開始、明星セメント工場糸魚川工場
は、1964 年(昭和 39 年)に糸魚川市の姫川河口付近右岸に開設され、日本石灰石開発が明星セメント
糸魚川工場に原石供給開始、1979 年(昭和 54 年)に明星セメントは日本石灰石開発を合併した。1986
年(昭和 61 年)に権現切羽が開鉱、ベルトコンベアーで麓の選鉱場に輸送、選鉱・整粒されてベルト
コンベアーで糸魚川工場へ輸送、石灰石製品は工場から姫川港までベルトコンベアーで運ばれる。
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岐阜県揖斐郡大野町には、住友大阪セメント岐阜鉱山・石山鉱業新石山鉱山・敦賀セメント石山鉱
山があり、大垣市の金生山とともに、岐阜県下では石灰石の産出地として知られる。岐阜県大垣市
の金生山には、清水工業清水鉱山・河合石灰工業河合石灰鉱山・三星鉱業愛宕鉱山・マルアイ石灰
鉱業昼飯鉱山・上田石灰製造金生鉱山がある。大垣の北西、美濃赤坂の金生山は、全山石灰石の山
で、江戸時代より農業肥料用石灰の産出を行い、明治・大正期に発展した。福井県敦賀市には、敦
賀セメント敦賀鉱山がある。滋賀県米原市の伊吹山には、大阪窯業セメント・大阪セメント・住友
大阪セメント・滋賀鉱産伊吹鉱山がある。伊吹鉱山は 1951 年(昭和 26 年)に採掘開始、1952 年(昭和
27 年)に大阪窯業セメント伊吹工場が開設された。1963 年(昭和 38 年)に大阪セメントと社名変更、
1994 年(平成6年)に合併で住友大阪セメントとなり、 2003 年(平成 15 年)に住友大阪セメント伊吹
工場でのセメント生産は停止され、伊吹鉱山の事業を滋賀興産が継承した。隣接して、近江鉱業近
江鉱山(滋賀県米原市)がある。滋賀県犬上郡多賀町には、滋賀鉱産多賀鉱山がある。1933 年(昭
和8年)に昭和セメント設立、彦根工場操業開始、1960 年(昭和 35 年)に東亜セメント多賀工場操業
開始、1966 年(昭和 41 年)に滋賀興産が彦根工場継承、同年滋賀興産が東亜セメントを合併、同年住
友セメントが滋賀興産を合併、彦根工場と多賀工場を継承した。1975 年(昭和 50 年)に多賀工場閉鎖、
1994 年(平成6年)に住友セメントは住友大阪セメントとなり、1996 年(平成8年)に彦根工場閉鎖と
なった。三重県いなべ市には、イシザキ藤原鉱山がある。藤原岳で石灰石を採掘する藤原鉱山は、
小野田セメントが 1932 年(昭和7年)12 月に藤原工場とともに操業を開始したもので、藤原工場は三
岐鉄道東藤原駅に隣接する。鉱山から工場までは、ベルトコンベアーで石灰石が運ばれる。三重県
鈴鹿市には、近藤石灰工業鈴峰鉱山がある。
④中国山地・九州北東端
岡山県から広島県にかけての吉備高原(諏訪洞・満奇洞・羅生門鍾乳洞・阿哲台・井倉洞)、山口
県の秋吉台(秋芳洞・大正洞・景清洞)
、福岡県の平尾台(千仏鍾乳洞・青龍窟)にかけて、石灰岩地
帯が分布する。岡山県高梁市には株式会社カルファイン金平山宝鉱山、岡山県真庭市には中山石灰
工業中山石灰鉱山、岡山県新見市には三共精粉井ノ口鉱山・正田鉱山・牛丸鉱山・株式会社白川マ
イニング白川阿哲鉱山・旭砿末資料合資会社畑山鉱山・ 備北粉化工業唐櫃鉱山・井倉化学工業白
谷鉱山・日鉄鉱業井倉鉱山・足立石灰工業足立鉱山がある。足立石灰工業足立鉱山は 1939 年(昭和
14 年)開発開始、1942 年(昭和 17 年)に現在の新日本製鐵広畑製鉄所への製鉄用石灰石供給が開始さ
れた。岡山県井原市には鋼管鉱業(現・JFEミネラル)芳井鉱山があり、1966 年(昭和 41 年)採掘開
始、日本鋼管福山製鉄所に輸送される。広島県庄原市には日東粉化工業 夏森鉱山、山口県美祢市
には宇部興産宇部伊佐鉱山・住友大阪セメント秋吉台鉱業所・秋芳鉱業秋芳鉱山・太平洋セメント
重安鉱山がある。宇部伊佐鉱山は、1946 年(昭和 21 年)宇部興産が開発、クリンカ製造工場を併設、
採掘された石灰石および製造されたクリンカが宇部港まで宇部興産専用道路(私道のため、車両限
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界の適用を受けない大型トレーラーを使用)を利用して運ばれる。住友大阪セメント秋吉台鉱業所
は、1965 年(昭和 40 年)第一鉱区採掘開始、1985 年(昭和 60 年)第二鉱区採掘開始、2008 年(平成 10
年)第三鉱区採掘開始、ベルトコンベアーで日本海側の長門三隅港へ運ばれる。福岡県北九州市には
三菱マテリアル東谷鉱山・小倉鉱業小倉鉱山がある。平尾台での石灰石採掘は、1934 年(昭和9年)
に東洋セメント(現・住友大阪セメント)が開始、1963 年(昭和 39 年)に三菱セメントが開始した。
1969 年(昭和 44 年)に自然保護区と採掘鉱区に区分された。福岡県田川郡香春町には、香春鉱業香春
鉱山・香春石灰化学工業池本香春石灰石鉱山がある。香春太平洋セメント香春工場は、1935 年(昭
和 10 年)に浅野セメント香春工場として開設、香春一ノ岳からの石灰石を採掘してセメントの製造
を開始した。香春一ノ岳は、長期にわたる採掘のため、その姿は大きく変貌、標高は492mから
200m台に低下している。福岡県田川市には三井セメント・三井鉱山・三井鉱山セメント・麻生
ラファージュセメントの新関の山鉱山・船尾鉱山がある。関の山鉱山は、1919 年(大正8年)に麻生
セメントの採掘場として開発され、1973 年(昭和 48 年)に三井鉱山に売却、2004 年(平成 16 年)に関
の山鉱山となって麻生ラファージュセメントに売却、さらに中村産業に経営権が譲渡された。船尾
鉱山は、1950 年(昭和 25 年)に日鉄鉱業が船尾鉱業所として開発、現在は(株)船尾鉱山である。
⑤中部・近畿・四国・九州の中央構造線直南
地質構造から明確に帯状に分布するのが、中央構造線のすぐ南側である。すなわち、静岡県浜松
市(竜ケ岩洞・鷲沢風穴)と愛知県豊橋市の境界に位置する丘陵部から渥美半島(愛知県田原市)・神島
(三重県鳥羽市)・志摩半島(三重県南伊勢町国見山)・紀伊山地(面不動鍾乳洞・五代松鍾乳洞)・四国
山地(龍泉洞・土佐山・四国カルスト鳥形山)・九州津久見、九州山地(穂積水中鍾乳洞・風連鍾乳洞・
小半鍾乳洞・狩尾鍾乳洞・聖嶽洞窟・球泉洞)
・熊本県芦北町にいたる。これらは、かつて海底に
位置したサンゴ礁由来の石灰岩層が地殻変動によって地表に現れたものである。静岡県浜松市には
株式会社イナサス栃窪鉱山、愛知県田原市には田原鉱産田原鉱山、三重県南伊勢町には大阪セメン
ト国見鉱山・国見山石灰鉱業三重鉱山がある。1934 年(昭和9年)に大阪セメントによって開発され、
1979 年(昭和 54 年)に国見山石灰鉱業三重鉱山となった。高知県高知市には太平洋セメント土佐山鉱
山、高知県南国市には四国鉱発白木谷鉱業所、高知県須崎市には日鉄鉱業鳥形山鉱山鉱業所があり、
日鉄鉱業鳥形山鉱山鉱業所は、1971 年(昭和 46 年)より鳥形山での採掘を開始、須崎に埋立地を造成
して鉱業所と積み出し港を開設した。鳥形山で採掘された石灰石はベルトコンベアーで須崎港に運
ばれ、そこから海路輸送される。高知県高岡郡佐川町には須崎鉱発勝森鉱山があり、日鉄鉱業とは
異なって、鳥形山麓の勝森からの石灰石採掘で、住友大阪セメント須崎工場へ運ばれ、石灰石から
セメントを製造、須崎港大崎岸壁から海路輸送される。大分県津久見市には、大分太平洋鉱業新津
久見鉱山・日鉄鉱業新津久見鉱山・大分鉱業大分鉱山・戸高鉱業社戸高鉱山がある。津久見は、1916
年(大正5年)の日豊線開通後、桜セメントや大分セメントが設立された。大分セメント津久見工場
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は、1919 年(大正8年)に操業開始、1939 年(昭和 13 年)に小野田セメントとなった。日鉄工業津久見
鉱業所は、1918 年(大正7年)に官営八幡製鉄所所有が、日本製鉄・日鉄鉱業と所有者変更となり、
1950 年(昭和 25 年)から日鉄鉱業により採掘が開始された。大分鉱業は、1957 年(昭和 32 年)に採掘
が開始された。大分県佐伯市には風戸(かざと)鉱業風戸鉱山がある。
⑥沖縄本島北部
沖縄本島北部の本部町から名護市にかけて、石灰石の採掘が盛んである。本部町には琉球セメン
ト安和鉱山・合資会社本部砕石本部鉱山、名護市には合資会社城砕石所城砕石鉱山・有限会社北部
砕石北部砕石鉱山・山城砕石鉱業山城鉱山がある。
≪3≫おわりに
今回、現役稼働鉱山を紹介したが、かつて稼働した鉱山や博物館・資料館・見学施設は過去に詳
細を報告(注3)
、また、日本の鉱業地域その後については、古今書院の「月刊地理」誌上で取り
上げている(注4)ので、参照されたい。八戸石灰鉱山は展望台から遠望でき、宇部伊佐鉱山は宇
部市交通局・船鉄観光が見学ツアーを実施している。また、新津久見鉱山は、津久見ふるさと振興
祭で鉱山見学会が開催される。旧・池島炭鉱は模擬体験ツアーがあり、熊本県荒尾市の旧・万田坑
はよく保存されて見学ができ、軍艦島上陸ツアーも大人気である。機会があれば、見学されてはい
かがだろうか。
(注3)
拙稿(2000)
:鉱山と鉱業関係の博物館・資料館・見学施設(総合・石炭・石油・天然ガス編)
,
「大阪教育大学地理学会会報」
,39:9-44.
拙稿(2001)
:鉱山と鉱業関係の博物館・資料館・見学施設(金属鉱山・硫黄・大谷石・石灰石・
リン鉱石編)
,
「大阪教育大学地理学会会報」
,41:8―45.
(注4)
拙稿(2003)
:日本の鉱業地域その後,
「地理」
,古今書院,48(10):28-33.
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大阪市内の町の読み方
水野 惠司
大阪市中心部では江戸時代より町をまちと読むことが多い。例えば大阪市中央区にある平野町は
ひらのまちと読む。他の市町村では神戸市西区、東京都足立区、京都市伏見区、京都府福知山市の
ようにひらのちょうと読む例が多い。大阪市内におけるこの独特の町の読み方の状況を地図化して
その分布の特徴を読み取ってみた。
右上図は大阪市における町名に町が入っている町の読み方を 2014 年時点で大阪市のWebサイ
トから調べたものである。明治初期大阪市の市街地は今の北区南部、中央区、西区東部、天王寺区
北部および平野区内の平野郷に限られていた。
丁度この当時の市街地範囲に現在のまちが集中する。
中央区周辺を拡大した右下図は、
現在のまちと読まれる町と1965年時点でまちと読まれた町
(北
区では朝日町、伊勢町、金屋町、河内町 北森町、堂島船、大工町、樽屋町、中央区では上汐町、
笠屋町、河原町、鍛冶屋町、北炭屋町、高津町、坂町、周防町、竹屋町、玉屋町、畳町、問屋町、
東清水町、南炭屋町、南綿屋町)の位置を示した。中央区南部や北区北部にはかって今より多くの
伝統的なまちがあった。これらの町の多くは細長い形状をしている。これは一本の道路を挟んで同
じ町名の家々が向かい合わせになる形で町が区割りされている大阪の伝統的な町の大きな特色であ
る。
明治から大正にかけて天王寺区南部、浪速区、西区東部、福島区、北区北部が市街地化した。さ
らに昭和に入り、此花区、港区、大正区、西成区、阿倍野区、生野区、東成区、城東区、都島区な
ど周辺区にまで市街地拡大する。その時代までに市街地となった天王寺区南部、阿倍野区、都島区
ではちょうが卓越する。第二次大戦後市街地がさらに市内全域にまで拡大した。西淀川、東淀川、
城東、鶴見、東成、生野、平野、東住吉、住吉、住之江などの外縁の区では町名に町の字が含まれ
ないことがほとんどである。この中で、~本町、~新町、~南町などのように新旧や方位を示す字
が町の前に入る場合のみまちと読む傾向にある。
大阪市内すべての区の町は、時代と共に現在に至るまで次第に町の区域が広くなり、~丁目のよ
うに番号でさらに町が細分化されていく。また道路に囲まれた範囲で作られることが主流となり、
さらに町名に町の字も少なくなっていく。結果として町の読み方だけでなく、味わいのある伝統的
な地名が消えることになることは大変残念なことである。
参考文献 「大阪市区別地図地名総覧」人文社,1965
右頁上図 大阪市内の 2014 年時点での町名の町の字の読み方
右頁下図 大阪市内中心部の 2014 年時点の町名の町の字の読み方
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「Google Earth で見る地図教材のページ」の紹介
山田 周二
Google Earth は,Google 社が提供しているデジタル地図,地球儀ソフトウェアであり,無料で,世界の高
解像度の衛星画像,空中写真,地上の映像が利用できる.Windows,Mac,Linux だけではなく,iOS およ
び Android 用も提供されているので,PC だけではなく,タブレットやスマートフォンでも利用できる.ただし,
衛星画像等のデータは,ネットワークを通して提供されるため,インターネットに接続した状態でないと利
用できない.
Google Earth では,Google 社によって提供されている衛星画像等だけではなく,kml および kmz という
形式で作成されたファイルを表示することができる.一般的な平面の地図だけでなく,立体の地図も kml ま
たは kmz 形式で作成できる.このため,様々な地図を衛星画像等と重ねて利用することができる.
Google Earth を利用した地理学習のために,図 1 のような「Google Earth で見る地図教材のページ」と題
したホームページを作成して,各種の kml ファイルをインターネットで公開している(大阪教育大学トップペ
ージ>社会科教育講座>山田地理研究室>「Google Earth で見る地図教材のページ」).現在のところ,8
分野の地図を公開しており,「人口・産業」,「農業」,「気候」,「地域学習」,「交通・流通」,「鉱工業」,「地
形」,「日本と世界」を利用できる.それぞれの分野のページでは,地図の内容を記した青いボタンを,タッ
プまたはクリックすると,地図を利用できる.Google Earth をインストールした PC,タブレット PC,スマートフ
ォンで,それらの青いボタンをタップまたはクリックすると,Google Earth が起動して,以下に示す農業の事
例のような,様々な地図を利用することができる.なお,以下の事例では,実例を提示できると良いものの,
Google 社の規定により,Google Earth の画像を印刷物に掲載することができない.このため,文字のみで
の紹介になるが,実例は,当該ページから実際に閲覧していただけると幸いである.
「農業」のページでは,様々な作物について,日本の市町村別および世界の国別の収穫量を立体で表
した地図,そして,それぞれの作物の耕地の事例を示した kml ファイルを公開している.例えば,ミカンの
収穫量上位 30 市町村の地図は,ミカン収穫量が市町村の領域の高さに比例しており,高く表示されてい
る市町村ほど,ミカンの収穫量が多いことを示している.Google Earth は 3 次元表示が可能なため,高さの
違いから,収穫量の違いを容易に読み取れる.ミカン収穫量に加えて,年平均気温の地図を表示すると,
両者を重ねて見ることができる.そうすると,ミカンの主要な産地は,年平均気温が 15℃以上の地域にある
といった関係を容易に読み取ることができる.
Google Earth では,高解像度の空中写真が提供されているため,ミカン畑の様子を,上空から詳細に観
察することもできる.「農業」のページで公開している耕地の事例を表す kml ファイルを開くと,典型的な耕
地の事例を閲覧することができる.また,ミカン収穫量上位 30 市町村の地図から,ミカンの収穫量が多い
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図1
iPhone で表示した Google Earth で見る地図教材のページ
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市町村を拡大すれば,ミカン畑を見つけることができる.各地のミカン畑とその周辺の様子を観察すること
によって,多くのミカン畑は,平野ではなく,山地の平野に近い部分にあるといった特徴を知ることができ
る.
Google Earth では,ストリートビューによって地上の画像も提供されているため,ミカン畑の様子を,地上
から詳細に観察することもできる.上空からミカン畑を見つければ,ストリートビューでミカン畑を見ることが
できる.各地のミカン畑とその周辺の様子を観察することによって,多くのミカン畑は,傾斜地にあることや,
傾斜地での農作業のためにモノレールが利用されているといった特徴を知ることができる.
以上のように,Google Earth で提供されている画像に加えて,各種の主題図を併用すると,従来であれ
ば,教科書と地図帳と資料集を見比べなければならなかった作業を,Google Earth のみで閲覧できるとい
う利点がある.このような利点を生かした教材を,今後も開発していく予定である.
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諸連絡
1.会報 62 号の原稿募集について
会報 62 号の原稿を募集しています。論文、短報、地理授業紹介、巡検記録、エッセイ、文献紹介
など奮って投稿してください。投稿される原稿は、テキスト形式、マイクロソフトワード、一太郎、
などによって B5 用紙、行数 34、一行 44 文字のフォーマットで、8 枚以内を電子メールや CDROM
で送ってください。写真や図表も可能ならデジタル形式でお願いします。締め切りは平成 27 年 8
月末日とします。
2.地理教育部会案内
地理教育部会では地理教育の研究会・巡検などの活動を行っております。地理教育研究のための
例会は、毎月第2土曜日に主に大阪教育大学天王寺キャンパスで行っております(3、 8 月は休み)
。
教材研究・資料交換・指導方法の研究などを、各例会において1~2名の発表をお願いし、それを
もとにした討論をおこなっております。最近ではパソコン利用の情報交換も行われております。巡
検も定例化され、年間3回程度行っております。会の詳細は Web サイト http://chirikyouiku.net/ を
ご覧ください。
3.会費納入についてのお願い
本号に会費納入用の振替用紙を同封します。平成 26 年度の会費(2000 円)を同封の振替用紙(振替
00940-6-49251 大阪教育大学地理学会あて)で納入してくださいますよう、お願い申し上げます。
4. 平成 25 年度(2013 年度)学会役員
会長(教官)
辻本英和
顧問(元教官)
前田昇、守田優、石井孝行、正木久仁
理事(教官)
山田周二(会計)
、山近博義、
(総務)
、水野惠司(編集・会計監査
理事(卒業生) 磯高材
理事(学生 3 名) 委員長(学部)
:青木友秀 委員(院)
:小田悠子、会計(学部)
:江口光一
学生委員(4 名)四回生:日下育也、阿武紗英、三回生:池尾 康太、石井 愛
5. 平成 26 年度(2014 年度)学会役員案
会長(教官)
辻本英和
顧問(元教官)
前田昇、守田優、石井孝行、正木久仁
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理事(教官)
山田周二(会計)
、山近博義、
(総務)
、水野惠司(編集・会計監査)
理事(卒業生)
磯高材
理事(学生 3 名) 委員長(学部)
:池尾 康太 委員(院)
:貴志弘基
会計(学部)
: 江口光一
学生委員(4 名) 四回生:吉田尚宏、石井 愛、三回生:坂川裕麿、西森聡子
6.地理卒業生就職先、進学先一覧
[教員養成課程]青木友秀:大阪府、大浦はるか: 日下育也:兵庫県小学校、松本耕治:徳島県
中学校
[大学院]遠藤充建:大阪府高校、小田悠子:大阪府小学校、松原史哲:
[教養学科]阿武紗英:橋本市、西岡なつき:大阪府青少年活動財団、西山哲史:奈良県、
藤森翔太:一般企業(不動産関係)
7.編集後記
今年度 61 号はホームページ上でも見ることができます。アドレスは以下の通りです。
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~shakai/chiri/kaihou/kaihou61.pdf
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