観覚光音禅師、手書の板本「安永四年版霊場石土写」

安永 4 年版の光音著(新四国相馬)霊場石土写
記
全
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宝暦 10 年(1760)頃に長禅寺の法弟観覚光音が下総国相馬群の取手・我孫子・柏市布施に開いた「新四国相馬
霊場」について、この程安永4年(1775)版の光音著「霊場石土写記
全」(茨城県立歴史館所蔵
下妻市外山長
兵衛家文書)の所在を確認したので紹介します。新四国相馬霊場の根幹をなす貴重な史料とおもわれます。
一、安永4年版の光音著「霊場石土写記 全」の概要
本史料は縦 12.O×横 16.5cm の横半帳で、15 丁から
なる版本で、表紙『霊場石土写記 全」の次頁より、後
に紹介する断り書きがあり、次の丁に安永4年9月の願
主光音の序、そして「参拝用意の事」
、納札の「かきや
う」等が書かれた丁が続く。
次の丁からは「四国霊場 奉写 当地八十九箇所」と
あり、新四国相馬霊場の一番から八十八番までの札所
が巡拝順に各紙面に4ケ所ずつ記されてある。
「一番
阿列
霊山寺写
大鹿山長禅寺
霊山の釈迦
のみまへにめぐりきて よろづのつミもきへうせに
けり」と、四国霊場の札所番号と国名と山号又は寺名、更に御詠歌が記されている。巻末をご参照下さい。
二、「断り書き」
奉写此八十八ケ余の札所、其れいぜうの土砂を持チ来りて造立成就の所也、しかるに此間所々にかけしよ相見
へ申侯へ共、予か造立土砂霊場の外ニて御座候間、其思召ニて御さんけいハ御勝手二可被成侯、まきらわしく御
座候間、かくのごとく侯、以上
三、願主光音の序
粛大悲願の発して西国・秩父・坂東及ひ四国霊仏・霊社の尊像を移し来て、此地に道場を造建し、而後子思
ひらく、昔慈寛大師ⅰ入唐の時、五台に文殊ⅱ慈現の相を礼し、誠に感喜斜ならず、故に其土の霊石土塊を袖
にし朝にかへり、忽叡山に於いて文殊桜及ひ獅子を彫刻して、霊石土を其礎四足下埋云云、予其事跡観して此
地西東大悲山川陸地の霊石土を担ひ来て、道場の礎下に埋、尊像を安置し、朝暮礼拝供養し奉る、然と雖(いえ
ど)四衆ⅲの輩大悲の感応群ならず、故に予が錐毛(すいもう)に綴りて其功徳を記すと尓云夫菩薩ハ一体分身に
して万法一如の明鏡を照らし、一切衆生を救護し給ふ、いわんや借仰の輩ハ火盗水難・病難・万難替消なさし
め、福聚海無量ⅳを授ケたまふこと明らかなり、殊更女人は衆人愛敬を結び給ふ、是菩薩の功徳世に挙算るに
遑(ひま)あらず、故に四衆の輩誓なば頓に無常菩薩を証せんこと秘也尓云
安永四乙未年九月
願主 光音護白
○参拝用意の事
札はさミ板 長六寸・幅二寸
○かきやう
おもて
年号月日
(種子) 奉徧札四国中霊場 同行二人
うら
(種子) 南無大師遍照金剛 国郡付(ママ)
仮名卯(ママ)
右のごとくこしらゆる也 但シ文箱にしてもよし
○紙札とゝのへやう
奉納偏礼四国中霊場 同行二人
1/5
札はさミのかけやう じゆんにめぐるときハ辛かしらを左り、ぎやくの時ハ右にかくるなり
○紙札打やう
その札所々の本尊・大師・大神官・鎮守・日本大小の神祇・天子・将軍・国主・主君・父母・師長・
六親眷属乃至法界平等利益と打べし、常に同行の恩得をかんじ、宿札・茶札心がけあるべし、男女と
もに光明真言・大師の宝号にて回向し、其札所の歌三べんよむペし
一おひずり・めし入・かさ・つえ・脚絆・足半(あしなか)・もちもの心にまかせらるべし、
草鞋ハ札所ごとに手水なき事ありて手を汚すゆへに足半にてつとむべし、
といひつたへたり、たゞしざうり・わらうつニてもくるしからず、たゞ信心かんやうなり
近年の巡拝路との違い。
安永4年時の巡拝路と現在の巡拝路は下記の如く、様々な事情であろう若干違う順序があります。
1、取手市の長禅寺境内の1番と5番の次に、台宿の 4 番 20 番 10 番 6 番を巡り、取手市東の 3 番西照寺
廃寺(現在の八坂神社)に向かっている。
安永 9 年ⅴ以降は長禅寺1番→88 番一 5 番の次に新町の 87 番地蔵堂(愛宕神社)を巡り、台宿の 4 番
20 番 10 番 6 番の 4 ケ所は、台宿 31 番天神宮の巡拝後となっていました。
2、取手市の長禅寺 88 番は最後に巡拝しています。
3、取手市稲の 39 番薬師堂は稲地区 3 番目の順路となっている。
位置的な順路としては、野の井 44 番→稲 39 番となるのが自然と思われる。事実、安永 9 年は 39 番は
35 番薬師堂の次でした。何らかの理由があるものと思われます。
3、取手市井野台の 30 番一乗院は白山の 82 番弘経寺の次になっていますが、現在は 30 番一乗院→53 番→
83 番→82 番弘経寺の順で巡拝されています。
4、以上の他に、明治 40 年以降の利根川河川改修工事により左岸にあった第 9 番常円寺が右岸になった。
我孫子市布佐 21 番竹内大明神が同所の 37 番勝蔵院境内に移される。
我孫子市街の 43 番延寿院が、寿の 38 番子ノ神に移る。
取手市寺田の 70 番永福寺が同所の 71 番東漸寺境内に移り、順路が変更されています。
2/5
札所と掛所
1、取手市白山の金刀比羅神社は安永 8 牢の建立碑から秋葉大権現と道了大権現同様に同年の勧請とされて
いますが、安永 4 年以前の勧請であった様です。
この 3 社の写が「同寺地内」とあるのですが、長禅寺の旧在場所で、現在も管理地となっています。
2、光音は冒頭の断り書きで、88 ケ所礼所と布佐仙元(浅間)神社、道了大様現、金毘羅大権現、秋葉大権
現以外の掛所は自分が勧請してきたものではないと断っています。
< 注釈 >
ⅰ・円仁。天台宗山門派の祖。天台座主。下野の人最澄に師事。承和 5 年(838)に、入唐し天台教学・密教・五
台山念仏等を修学。東蜜(空海=弘法大師)に対抗する台密の基盤を整備、比叡山興隆の基礎を確立した。
ⅱ・文殊菩薩=仏の智慧(般若)を象徴する菩薩で、徳に般若経で説かれる。諸菩薩の上首とされ、普賢菩薩
と共に釈迦如来の脇侍で、獅子に乗って仏の左側に侍す。中国の五台山がその聖地として尊信される。
iii・読み=ししゅう、仏門の四種の弟子。出家の比丘・比丘尼と在家の優婆塞(うばそく)・優婆夷の総称。
iv・ふくじゅかいむりょう、『観音経』(法華経普門品のこと)にある禅語で、観音の徳を福の聚まる海にたとえ
て讃えたもの。「一切の功徳を具して、慈眼をもて衆生を視たもう。福聚の海は無量なり、是の故に応に頂
礼すべし」とある。(聚は寿と書いて書幅などに揮毫されることがある)
ⅴ・安永 9 年初版、安政 2 年再版の地図「新四国八十八ヶ所霊場絵図面道案内」(取手市数育委員会所載)
粛大悲願【粛】しゅく:静まり返っているさま。つつしみかしこまるさま。「―として襟を正す」
斜(なの、なな)めならず:ひととおりではない。いいかげんではない。
錐毛?:毛錐(もうすい)であれば、形が錐(きり)に似ているところから、筆の異名。毛錐子。
足半:かかと部のない,足の半ばぐらいの短い草履。芯縄(しんなわ)を前緒とするため,わらじと同様,
足指が地面に付くので踏んばりが利き,田畑や河川での労働や歩行に用いた。
鎌倉時代に草履とわらじからつくり出された。
《蒙古襲来絵詞》には,足半を履く武士の姿が描かれており,
新しい戦法で押しよせた蒙古軍との戦いに,すべりやすい合戦場で威力を発揮したものと思われる。
当時は半物草(はんものぐさ)といった。室町時代の《今川大双紙》(応永年間刊)には〈足なが〉の文字が
初見されるが,当時はもっぱら武士が軍陣や戦場で履いたようです。
安永4年版「新四国相馬霊場八十八ヶ所、霊場石土写記」
札 所 名
所 在 地
寺 社 堂 名
大鹿山長禅寺
霊山堂
著 観覚光音
順路
札所番号
1
一番
熊野三社権現
2
五番.
地蔵堂
々
3
四番
不動院
台宿
4
廿番
地蔵堂
台宿
々
阿州鶴林寺
5
十番
観音堂
台宿
々
阿州切幡寺
6
六番
薬師堂
台宿
7
三番
西照寺(廃寺)
取手
八坂神社
々
阿州金泉寺
8
二番
念仏堂
取手
念仏院
々
阿州極楽寺
9
九番
常円寺(空寺)
井野
10
十三番
加納院(無し)
吉田
11
七番
本泉寺
吉田
々
阿州十楽寺
12
十四番
地蔵堂
吉田
々
阿州常楽寺
不動堂
現 在 地
取手
阿州霊山寺
々
阿州地蔵寺
取手市台宿
取手市東
八幡神社
3/5
写 し 寺
阿州大日寺
阿州安楽寺
取手市小堀
阿州法輪寺
取手市吉田
阿州一宮寺
13
十一番
薬師堂
吉田
吉田集会場
阿州藤井寺
14
四十八番
安養寺跡
小文間
取手市小文間
予州西林寺
15
五十四番
大聖寺(廃寺)
小文間
麻疹不動
々
予州延命寺
16
十七番
成就院(廃寺)
小文間
薬師堂
々
阿州井戸寺
17
十九番
地蔵堂
小文間
明星院
々
阿州立江寺
18
六十三番
福永寺
小文間
々
予州吉祥寺
19
十五番
弥陀堂
小文間
々
阿州国分寺
20
六十六番
東谷寺
小文間
々
讃州雲辺寺
21
七十二番
大日堂
小文間
々
讃州万荼羅寺
22
十八番
弥陀堂
小文間
々
阿州恩山寺
23
六十四番
西光院(廃寺)
小文間
白山神社
々
予州田ニ前神寺
24
十六番
観音堂
小文間
白山神社
々
阿州観音寺
25
五十八番
観音堂
布佐都
26
廿四番
延命寺
布佐
々
土州東寺
27
三十七番
勝蔵院
布佐
々
土州五社
28
廿一番
竹内大明神
布佐
勝蔵院
々
阿州大龍寺
29
四十一番
新田稲荷神社
布佐
布佐新田
々
予州稲荷写
30
八十九番
仙元神社
布佐
布佐新田
々
予州笹山権現本尊観音
31
八十一番
長福寺(空寺)
沖田
新木
32
七十七番
弁財天
沖田
葺不合神社
33
廿五番
地蔵院(空寺)
新木
34
廿九番
観音院
日秀
35
六十番
照明院(廃寺)
柴原
36
七十六番
龍泉寺
柴原
37
廿八番
宝照院(空寺)
柴原
38
五十一番
田寺、法岩院
柴原
39
廿二番
白泉寺(空寺)
岡発戸
40
七十三番
正泉寺
都部
41
三十六番
不動堂
瀧
我孫子岡発戸
土州青龍寺
42
七十四番
西音寺(空寺)
下ヶ戸
我孫子下ヶ戸
讃州甲山寺
43
六十五番
無量院
青山
我孫子市青山
予州三角寺
44
七十五番
東源寺
柴崎
我孫子市柴崎
讃州善通寺
45
五十五番
円福寺
柴崎
46
廿七番
最勝院
高野山
47
三十八番
子の神
我孫子
48
四十二番
大光寺
我孫子
49
四十三番
延寿院
我孫子
50
五十九番
興陽寺
51
八十四番
52
八十五番
ぽっくり観音
大日坂百庚申
我孫子市布佐
日秀観音
我孫子市新木
予州佐礼山
予州白峯寺
々
讃州道隆寺
々
土州津寺
々
土州国分寺
我孫子市中峠
予州横峯寺
々
讃州金倉寺
不動堂
々
土州大日寺
別名、田寺
々
予州石手寺
我孫子市都部
々
々
阿州平等寺
讃州出釈迦寺
予州大積山
我孫子高野山
土州神峯寺
我孫子市寿
土州蹉蛇山
我孫子市緑
予州仏木寺
我孫子市寿
予州明石寺
我孫子
我孫子市白山
予州国分寺
宝蔵寺
久寺家
我孫子久寺家
讃州屋嶋寺
円勝寺
土谷津
柏市布施
讃州八栗寺
子の神大黒天
子の神大黒天
円性寺
4/5
53
廿六番
南龍寺
富勢
々
土州西寺
54
六十七番
薬師堂
富勢
布施弁天下
々
讃州小松尾寺
55
六十八番
東海寺
布施
布施弁天
々
讃州琴弾山
56
四十五番
永蔵寺(廃寺)
戸頭
57
三十四番
薬師堂
戸頭
58
七十九番
龍禅寺
米野井
59
四十七番
三仏堂
米野井
60
四十九番
高源寺
高井
61
五十番
東光寺(廃寺)
高井
阿弥陀堂
々
予州瑠璃光院
62
五十二番
明音寺(廃寺)
高井
妙見神社
々
予州太山寺
63
七十八番
弥陀堂
山の坊
64
三十三番
長福寺(空寺)
野々井
々
土州高福寺
65
六十二番
白山神社
野々井
々
予州一ノ宮
66
四十四番
西光寺
野々井
々
予州菅生山
67
三十五番
薬師堂
稲
68
四十番
薬王寺(廃寺)
稲
69
三十九番
薬師堂
稲
個人
70
八十六番
観音堂
稲
個人
々
讃州志度寺
71
五十六番
地蔵堂
稲
個人
々
予州泰山寺
72
五十七番
弥陀堂
稲
個人
々
予州八幡寺
73
八十番
毘沙門堂
稲
個人
々
讃州国分寺
74
六十九番
観音堂
寺田
涅槃像
75
七十一番
東漸寺
寺田
76
七十番
永福寺(廃寺)
寺田
東漸寺境内
77
五十三番
弥陀堂
野中
弥陀堂跡地
78
八十三番
諏訪宮
野中
79
八十二番
大鹿山弘経寺
大鹿
80
三十番
一乗院
井野
81
十二番
虚空蔵
井野
々
阿州焼山寺
82
廿三番
薬師堂
井野
々
阿州薬王寺
83
三十二番
観音堂
井野
々
土州禅師峰寺
84
八番
観音堂
井野
々
阿州熊谷寺
85
四十六番
弥陀堂
井野
々
予州浄瑠璃寺
86
六十一番
大日堂
井野
87
三十一番
天満宮
井野
88
八十七番
地蔵堂
大鹿愛宕
愛宕神社
取手市新町
讃州長尾寺
89
八十八番
結願
取手
大鹿山長禅寺
取手
讃州大窪寺
取手市戸頭
永蔵寺跡境内
予州岩屋寺
々
土州種間寺
取手市米の井
龍禅寺境内
々
予州八坂寺
取手市下高井
取手市野の井
個人
城山観音
予州東山浄土寺
讃州道場寺
取手市稲
土州清瀧寺
稲集会場
予州観自在寺
取手市稲
土州赤木山
取手市駒場
讃州観音寺
取手市本郷
讃州弥谷寺
々
讃州本山寺
取手市井野台
予州円明寺
取手市白山
讃州一ノ宮
々
墓地のみ
讃州金花山
讃州根来寺
取手市井野台
取手市台宿
々
土州一ノ宮
予州香苑寺
土州五台山
取手市白山金刀比羅神社。相州道了大権現、讃州金毘羅大権現、遠州秋葉大権現、右三社写 同寺地内、
菊月吉日、願主光音
新四国相馬霊場八十八ヶ所を巡る会 熊倉 記、他への配布転用の一切を禁止します。
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