本中学校 PTA 副会長の齋藤真也です。 9 月の三役会で PTA 役員会で

 本中学校
PTA 副会長の齋藤真也です。 9 月の三役会で
PTA 役員会での発言を禁じられましたので伝えたいことを
文書にしました。PTA
役員の皆さんに読んでいただきたいと思います。 【初めに】 学校(文科省)は事件として「イジメ」が発見されない限りイジメはないと捉えます。 私は、本丸には「事件にならないイジメ」で苦しんでいる子供達がたくさんいると思って
います。 長期欠席を続ける子ども、卒業式に出れない子ども、毎日学校に行っても他の子どもに挨
拶してもらえない子ども、見つからないようにイジメられている子どもがいます。 事件にならなくても、その「クラスメートとの関係性」を私はイジメと考えます。 そして、その関係が切羽詰まってどうにもならなくなった時に事件が起こります。 そして、先生や親に相談してチクリ屋となったらイジメより悲惨な状況が待っています。 【今必要な事】 「親と教師、そして子ども」が互いに信頼しあうことです。 しかしながら、その機会はあまりに少ないのです。 イジメにあっていると考える親が学校に対策を訴えても「モンスターペアレンツ」と呼ば
れてしまいます。そして、確実に親にも子どもにも問題は有ります。教師にも問題は有る
のです。 そんな双方が対立する構図は不幸な関係です。 互いに、至らない点を理解して、自分を変えていく事こそが重要です。 私は2人の子どもの親ですが兄弟喧嘩(事件)が起こった時にどちらが正しいか、どちらを
罰するべきかなどということは決められません。それこそ次の喧嘩(事件)の火種になりま
す。喧嘩(事件)の原因を聴き始めたら、お互いの「ふるまい」の指摘合戦になります。 また、親子喧嘩や反抗期などは、親と異った価値を持った時に自分を守ろうとする反応だ
と思えます。 教室を40人の子どものいる家族と考えてみましょう。そして、教師はその家族の親です。
子どもは親の振る舞いを見て育ちます。そういう意味で教師は傍観者ではなく重要なプレ
イヤーなのです。 教師-生徒の関係ではなく、親-子の関係と考えると、教師の振る舞いは重要です。 教師は生徒に単に教科を教えるだけではなく、生徒は「教室の親である教師の振る舞い」
を真似ます。 教師は、数年で学校を変わります。その数年間の責任に限定され、保護者や子どもと本音
で接する機会は奪われています。 親は一生子どもと共に生きなければなりません。 一生共に生きる「親」は子供の幸せを望んでいます。決して良い高校に入り大学に行くこ
とを望んでいるのではないのです。30 年後を考えて、私達にとって何が幸せかをもう一度
考えるべきです。 今、学校にはどのくらい長期欠席者がいるのでしょうか?保健室登校している子どもは何
人いるでしょうか?休み時間にぽつんと一人で座っている子は何人いるでしょうか? 自殺はうつ病の患者が起こします。子どもの 7-10%はうつ病だという調査があります。僕
は授業参観に早く行っては休み時間にぽつんと一人で座っている子どもを見つけては悲し
くなります。 ADHD・うつ病の子どもへの投薬は増えていっています。ADHD・うつ病は一生の問題です。
一過性の問題では無いのです。一生薬を離せなくなる人生を選ぶわけには行きません。 (詳細は補論を参照して下さい) 教師も親として子どもを「地元の学校」に通わせています。 子どもは学校でそのクラスの教師を親として育ちます。教師も親として同じ問題に直面し
ているのです。私達は同じ親として、自分の子供が直面している問題を感じることでとも
に生きることが出来ると信じています。 【私の目指すもの】 私は小さなソフト会社を経営しています。web アプリと言ってインターネット上のデータベースから検索結果を表
示する仕事です。
(国体や県の高校関係の委託、企業からの依頼を受けています)同時に百年しばたという市民団
体を主宰しています。 学校組織とは関係なく「親」、
「教師」、
「子ども」が互いに理解し協力し合い
たいと考えています。学校管理者(文科省)の言いなりに PTA として活動は
しません。 私達自身が教育を自分の問題として考えて私達の教育を作り上げていきた
いのです。 親、教師と話し合って(完全に匿名で)言葉を集めその結果をネットからだ
れでも見ることが出来るようにします。アンケートのような形をとるやにしれません。 単に意見を集めるのではなく、問題を提起して、自分自身を省みることが出
来る物を目指します。 「百年しばた・平野屋コンピューティング」の完全ボランティアです。 学校を経由しないのでいろいろな意見が集まることを期待しています。 確かに、自分の問題点を知ること、「自己変革」(自分自身を変えること)は困難です。 それが出来るかは次のステップになります。 まずは問題が有ることを共通の認識にすること、そしてその問題は解決できると信じるこ
とからはじめましょう。 【学校の指導ってなんだろうか】 4 年前に私の娘の友だちが廊下でズボンを脱がされて踊らされていたことを知り、その当時
の校長に対策をお願いしましたが「イジメの事件」として学校側には認識されていなかっ
たために何も手は打たれませんでした。 その子は結局不登校になりました。学外の施設で勉強して卒業式に出れませんでした。 教育委員会に問い合わせたら「良かったですね高校に入っています」と言われました。何
が「良かった」のでしょうか。自分の子どもでもそんなこと言えますか? 「教師は教育のプロで指導には問題はなく、子供同士の事件としてイジメを捉える」とい
う文科省の考え方では決して解決しません。 『教師のための 失敗しない保護者対応の鉄則』と言う本を先日読みました。繰り返し「あ
なた方(教師)は教育のプロなのだから自信を持って親を指導しなさい」と言う言葉です。 現場でいかに教師が悩んでいるかを端的に示しています。 教師は『大学で教科書の教え方は学んだ』でしょうが、人生を生きる「振る舞い」は『家
庭の親』と、『中学校のクラスの親』を真似ているだけなのです。 いくら上手に教科書を教えても、
「生徒の前での自分の振る舞い」が適切であるかは分から
ないのです。同時にそれは『家庭での親』の問題でも有るのです。 そんな気づきを持った教師と協力しあって、互いに変わっていきたいのです。
親としての意見、PTA 副会長としての意見と委員会欠席の理由 【経緯と概略】 2014 年 9 月 18 日 15:30 から PTA 三役会が有りました。
この三役会の後で、PTA 理事会で「学校評価」と呼ばれている1学期の生徒家族に対
してのアンケートのまとめたものを発表される事になっていました。 「学校評価」で校長以下学校管理者は、学校の現状と運営には問題がないと言う結論
を出していましたが、私にはどうしてもそうは思えませんでした。そしてそのように
発言しました。 三役会議の席上、最後(15:25)に私は、PTA 役員の一人に、
『「PTA 理事会」は理事の
皆さんに意見を聞く場だから、発言しないように』と言われました。 私は、
「自分の言いたいことを発言できないのならば、いてもしょうがない」ので「PTA
理事会」には出席できないと申し上げました。 その時に、校長を始めとする学校関係者の顔を見たのですが、皆知らん顔でした。 自由な討議を推進するべき「校長」を始めとする諸先生が、その役員の発言をとがめ
るかと思ったのですが、皆横を向いています。まさに日本的会議の典型です。 そして退席して、委員会にも欠席しました。2 月 19 日にも委員会はありますが欠席し
ます。 私は、PTA の副会長ですから、学校側の要望(空気)を考えて黙っていればよかった
のでしょうが、それは私にとって『死』と同じことです。 生徒のことを思い発言したいと表明したのに発言を止められたのです。 私も親のひとりとして、
「学校アンケート」から読み取れる問題点を指摘して、親と教
師が共に子供達のことを考えたいと思ったのです。 【校長室での「兄弟喧嘩」親(校長)の振る舞い、子の振る舞い】 文科省はイジメを単に「生徒と生徒の関係」としてみています。 私はイジメを集団の中で異なった意見(価値)を持った人間を排除する現象として考
えています。(これはネットセキュリティの専門家の論文から知りました)。 そう考えると、校長が親である役員会で親の意見を察した役員が私をイジメたと考え
ることが出来ます。 その場で私が暴力を振るったり、家に帰って自殺したら事件になって、文科省の考え
るイジメになったでしょう。 ネグレクト(無視)や(外部の人間から見て)突然発生する自殺と言った問題を捉え
るためには「暴力を生み出す関係性が問題だ」とする考え方が有効です。 校長室で私は異なった意見を持っていたために排除されました。そんな関係性こそが
イジメなのです。 学校の運営、教師の指導に問題がないと学校運営者(校長)は結論を作ります。 彼らにとってはアンケートは「アリバイ」でしか有りません。 アンケートに異議(アンケートは現実を捉えていない)を唱えるわたしの様な存在は
邪魔だと考えてもしかたがないことだと思っています。 しかし、副会長に選ばれて、PTA 総会でイジメを何とかしたいと発言した私にとって
はこれ以外の路を選ぶことは出来ませんでした。 社会の中でも、イジメは存在してそれは根の深い問題です。 【9月の学校評価の何が問題と僕には見えたのか】 9月のアンケートの報告には数ページの保護者の声が載せられています。以下の様な
記載がありました。抜粋します。(2 月のアンケートからは削られています) 1.学習について 「授業中うるさくしている人がいて集中できないと困っている」 「授業中、私語が多い等の問題がある生徒がいる。出来ればその生徒だけ
教室を別にして欲しい」 「今年度、習熟度別の授業が無くなったと聞き残念である。出来れば実施
して欲しい」 2.生活について 「学校での出来事を全く話してくれないので学校の様子が全くわからな
い」 「部活動はとても楽しく感じている様子ですが、クラスには馴染めていな
いようです、自分はクラスでは空気のようなものだと思っているようです」 3.部活動について 「越境入学は今後無くす方向で検討して欲しい。成果主義は、子供達の夢
と希望が育たないと実感した」 4.その他 「学級と家庭が協力しあえればいいと思う」(実際に今は協力しあってい
ない) 私にとっては、親の切実な意見だと思えました。また、親子関係に悩んでいる親の気
持ちも現れています。 書いた人間が簡単にわかる様なアンケートの中に現れていると言う現実を重く受け止
めるべきとは思えませんか。 これ以外にも、教務主任の「学校の目的は学力の向上だ」
(強く抗議したらその後は発
言が有りませんでした)や、
「自分が認められている」と感じている子どもが異常に高
率である点(80%以上ですが、公的で国際的な調査では日本は 30%以下という報告が
ある)、食育の考え方のおかしな点なども感じたことを発言しました。 学校が「調査して、報告するアンケート」では「学校に問題が有る」と言う結論は出
ないことがはっきりしていると思いました。 問題が有るということを認めない限り、問題は解決しません。 また、事件としてイジメを捉えている限り有効な対策は見つけられません。 【イジメは、「親」、「教師」、「子ども」が共に作っている】 「家庭での親」、「クラスでの親である教師」の姿を子どもは真似ます。 子供達は、家庭とクラスと言う 2 つの集団で自分自身を確立していきます。 親や教師を見て「集団を作り運営する方法」を実践していきます。集団で異なった意
見をもつ人間とどのような関係持つかを体験します。そして失敗を繰り返して行きま
す。それは社会に出た後も繰り返されます。私達も毎日直面している問題です。決し
て学校を卒業したら終わる問題では有りません。 僕が校長室で受けたように『排除』するのか、集団の意見に取り込んで新しい見方を
見つけるか、どんな方法で「共に生きるのか」習慣としていきます。 その過程で「イジメ」と言う事件は起こります。 私達全員が当事者であり、自分自身の問題点を知り「自己改革の方法」を習慣とする
以外、適切な関係性は築くことは出来ません。 【子供達への夢と待ち受けている現実】 私は「百年しばた」と言う市民団体を主宰しています。新発田で子どもと共に生きて
いきたいと思っています。たとえ遠く離れた大学に行っても何かを学んで、強くなり、
帰ってきてもらいたいと思っています。 学校の目的は「上の学校」に進学させることとなってしまっています。 親たちは大学に進学させれば子どもが幸せになると思い込んでいます。残念ながらそ
れは、すでに過去の幻想でしか有りません。 そして、高校の格付けは学校差別を生んでいます。 私から見たら、地元で生きることを選択できた子供達は幸運です。 都会の大学に行っても決して幸せに成れません。ブラック企業に入り最低の給料で営
業職につき、失業を恐れながら転勤で地方を点々とすることになります。親の死に目
にも合えません。そして自分も同じように人生の終りを迎えます。 入った高校で落ちこぼれレテルを貼られ、第一志望に入れない大学生は自分に落ちこ
ぼれのレッテルを貼ります。最近、就職できなくて自殺する若者が増えていると聞き
ます。私達の社会では 99%の人間は幸せになれません。 共に「しばた」で生きること、社会に貢献すること(コミュニティは変えることが可
能なのだと言う事)を子供達には「信じて」もらいたいのです。 【教師への授業評価、親の問題の指摘、子どもの問題】 最近はこのような授業評価が行われています。 「尾木直樹の教育相談室: 悩みを前進力に変える 70 のヒント」より ◎先生の説明は分かりやすいですか/黒板の内容は整理されていますか/先生は授
業の準備を十分にしていますか/授業は楽しかったですか ●授業の始まりと終わりの時間は守られていますか/熱心に教えてくれましたか/
生徒一人ひとりに公平に接していますか/生徒の考えや意見を大切にしてくれます
か/この授業は後輩に勧められますか/叱り方が上手ですか ◎は授業の技術 ●は言語で伝えられない習慣 1)そんなアンケートを「教師の尊厳が守られない」と拒否反応を示すベテラン教師
がいるといいいます。 私達は自分のやっていることを批判に拒否反応を示します。私も自分の子育てを批判されたら
怒りを感じます。しかしながら、問題を知り我が身を省みなければ前には進めません。 2)同じように、クレームする親をモンスターペアレンツと教師は呼びます。 私などはウルトラモンスターペアレンツと呼ばれていると思います(笑)。 3)「いじめられている子どもに問題が有る」ということはタブーとなっています。 しかし、イジメられている子どもにも問題はあります。 自分の問題に気がつく事と同じように、自分自身が正しいと信じているならば、それを貫くこ
とは社会を変えていく原動力になります。私自身常に考えていることです。 4)いじめる子どもを考えてみれば、
『自分が嫌いな子を無視するのは悪いことか』と
聞かれたら、どう振る舞えばいいかを教えることは困難です。 私達も、嫌いな親はいます。そんな親とは付き合わなければいいだけですが、子供達は学校と
いう空間で毎日「仲良くしろと」空虚(形式的にしか守れれない)な命令を受けるのです。 どんなに上手に言葉を操れるようになっても、集団で全体と個人の間に「価値の衝突」
があるかぎり問題は解決しません。すべての人間が仲良く出来るわけが有りません。 昨今、学校(文科省)が取り組んでいるソーシャルスキル教育は根本的な解決にはなりません。 大事なことは、異なった価値を持った人間同士が共に生きる
ルールを信じ、自分を変えていく勇気を持つことです。 【補論】 「銀行型学習」と「発見型(自己改革型)学習」 1960 年代に活躍したパブロ フレイレは学習を 2 種類に分類しています。 「銀行型学習」というのは教師が預け入れた知識をどれだけ正確に試験で出せるかを評価する
ものです。「発見型学習」と言うのは、今までできなかったことを出来る様になる喜びを感じる
ことです。近代教育は「銀行型の学習」で人間を振り分けますが、その過程からは、言われた
ことをやるだけの大人が出来るだけなのです。 生涯を通じて学び続ける人間は「発見型学習」からしか生まれません。 集団の持っている価値と個人の問題 「日本型会議」と呼ばれる会議があります。最初から結論が決まっていてそれを伝えるだけの
会議です。 このような会議では参加者が自由な討論を行い、現実を打ち破るための集団の価値を新たに作
ることは出来ません。 現状維持と、会議の主催者の保身の為の会議は虚しいものです。 「教務室でのイジメ」と言う言葉があります。現場で教師が何らかの改革を訴えても、それが
学校自身の変革につながらない現象です。 企業では、ドラスティックに現実を捉え、知恵を絞り、管理者は上を説得する事で方針を変え
ねば倒産してしまいます。 振る舞いは教えられない、ただ真似るだけ 「嘘をつくな」「真剣に勉強しろ」「誰とでも仲良くしろ」「えこひいきをするな」といっただけ
で子どもの振る舞いが変わるなら何も苦労はしません。 「嘘をつくな」と言いながら、教師も親も嘘をつきます。そんな姿を子どもは見て、嘘をつい
てもいいんだと振る舞いを真似ます。 「子どもは大人の鏡」と言う諺はまさにこれです。 どうしても嘘をつかなければならない場合もあります。そんな時は、みんなの前で、公式に素
直に謝って許してもらう他無いのです。 そして、(嘘をつかねばならない様な)現実の困難さと、言い訳せずに謝罪できる大人に育つの
です。 言い方では価値の違いを超えられない ライフスキル教育と呼ばれる考え方は一面でただしい事ですがあまりに無力です。 「誰とでも挨拶をするように」と子どもは指導されます。しかし、私達は嫌いな人間とは挨拶
どころか顔も合わせません。子どもに「嫌いな子を無視するのは悪い事か?」と聞かれました。
僕には悪いこととは言えませんでした。 もっと、多角的(家族同士の付き合いなど)に子供達が触れ合うことで互いに知りあうことが
出来ればいいのですがなかなかそうも行きません。 共に新発田で生きるという価値を共有することが大事なような気がします。 ADHD(注意欠如・多動症)、うつ病 生徒の ADHD は学級崩壊を招くものとして、うつ病は自殺や自傷行為を招く前兆として「投薬」
が行われる傾向にあります。現在では ADHD は発育期に出現するものではなく全生涯を通じて表
出するものと考えられています。うつ病もまた同じです。遺伝的形質でも有ると考えられてい
ます。僕の母方のおじいさん(市会議員でした)も、母も ADHD の傾向があります。 私も今も昔も ADHD でよく廊下に立たされました。自分を認めてくれない先生の授業、教え方が
つまらない授業の時暴れたように記憶しています。 私は ADHD は障害ではなく才能だと思います。群れを作る哺乳類は、外部からの危険にいち早く
気がついて警鐘を鳴らす役割の個体が生まれます。 「オオカミ少年の寓話」、神話における「トリックスター」(集団の調和を再構成する)、多くの
作家も描いてもいます。スティーブン・ジョブズが ADHD であったことは有名な話です。 確かに学級崩壊や自殺を防ぐためには投薬はひとつの選択肢かもしれません。しかし、そんな
症状が発現する様な環境は変えられないでしょうか。学級の親である教師、家庭の親の振る舞
いで変わるという実例も有ります。一生投薬を続けるわけには行きません。教室と家庭の親が
互いに協力して子どもの持って生まれた才能を伸ばして行きたいです。 私達は大事な家族なのですから。 齋藤真也 新発田市中央町5−3−12 080-2049-3853
mail:[email protected] 2015 年 2 月 19 日 「阿賀野高校 自殺」でネットを調べると私のブログが上位に表示されます。 現在の教育に対して考えていることを詳しく知りたい方は御覧ください。 『百年しばた』に関しては http://www.hcpt.jp/100/こちらから。