No.7 - 佐々木酒造

今回ご紹介するのはお酒の歴史。米とともに発達した日本酒の歴史をお話ししたいと思います。日本酒の製法と
書かれたのは三田村宗二氏(1938∼1996)さんです。
が、酒造りと関わり深かったことか
白(なんともろはく)」は今日の
ます。
1986 年に西陣の町家を描き出されてから、既に約
こんな
に
おもし
ろい!
色々な
歴史が
あるん
だね!
どを加えて発酵させて造られ
を描くべく努力を続けられていました。
管理は世界で類を見ないほど複雑で巧妙であると言われています。その独自の技法がどのような歴史的背景を
京都のお酒は
どのように発達
したのでしょうか?
五 世 紀 頃、朝 鮮 か ら 渡 来
した秦人は太秦の興隆寺
一帯や伏見稲荷神社一帯に拠
点 を 築 き、養 蚕・織 物・陶 業
な ど の 他、大 陸 伝 来 の 良 質 な
酒 も 造 り 始 め ま し た。日 本 第
一醸造祖神として有名な松尾
大社は秦氏が松尾の神を氏族
の総氏神と仰いだのがルーツ
で あ る と い わ れ て い ま す。平
「 安時代に大内裏に朝廷の酒を
つくる造酒司 さ
( けのつかさ
)
が 設 け ら れ た 時、実 務 を 担 当
したのも秦氏一族でした。
京都の酒造りが最も栄えたの
は 室 町 時 代 で す。室 町 時 代 に
年には三一
発酵させただけの白く濁った
持って進化したのか?簡単ですが、流れを追ってみたいと思います。
の記録に﹁諸白﹂の記述が見られ
ますが、諸白とは麹米、掛米の両
者を精米して造った酒の意味です。
これは、現代の清酒に近いもので
あったと想像されます。
日本酒はどのように
飲まれていたので
しょうか?
古来から酒は神からの授か
り 物 で、神 へ の 神 聖 な 捧 げ
物として作られてきました。
一 方、中 世 ま で の 貴 族 社 会 で は
宴 う
( たげ の
)」酒が加わり、さら
に武家社会では出陣の壮行の宴で
清めの酒を飲むことが広まるよう
になりました。
平和で文化が発達する江戸時代に
軒もありました。
代 で 八 〇 軒 、 昭和
は、花柳街も発達し、一部の裕福 は 京 洛 中 だ け で 実 に 三 五 〇 軒 、
な 層 で は 飲 酒 が 日 常 化 し ま し た。 明 治 時 代 で 一 〇 四 軒 、 大 正 時
しかし、ここまでは一般の人が酒
を飲む機会が多かったわけではあ
それが時代の変遷と共に清酒
お酒の歴 史 は 人 類 の 歴 史 と い っ て も 過 言 は 無 い で しょう。
人の歴史 に 大 き く 関 わ っ た お 酒 は 文 化 を 変 え て い きました。
酒 コラム
日本に酒が
登場したのは
いつ頃ですか?
世紀におけ
りません。日本人が日常的に酒を
玄米を
す
精米しま
「洗米」と
「浸漬」は
!
秒刻み
少 な く と も 三 千 年 以 上 前 に、
中国から九州に稲作技術が伝
わ っ た と 明 ら か に な っ て い ま す。
最も古い水田は約二千五百年のも
のが岡山で発見されています。米
を原料とした酒造りの前は、
﹁ガマ
ズ ミ﹂と か﹁カ ジ ノ キ﹂等 の﹁液
果酒﹂
。そして雑穀・木実類からの
﹁くちかみ酒﹂等が造られていまし
た。古代の酒は、すべて濁酒 に
(ご
りざけ で
) した。本格的な酒造りは
朝廷用に始められたもので、平安
朝時代には酒造係という役職があ
りました。
日本酒が現在のように透明になっ
たのは、いつ頃からかはっきりし
ていません。今日の清酒造りの原
型記録が見られるのは、
﹁御酒之日
∼
記﹂
、
﹁多 閉 院 日 記﹂等 で 確 認 さ れ
ます。これらは
る﹁僧坊酒﹂の製法を記録したも
ので、現代の清酒の製法に近い方
社 に な り ま し た。
年に市町村合併で京北
ります。
で京都酒造組合を運営してお
弊 社 と 松 井 酒 造︵株︶の 三 社
町 の 羽 田 酒 造︵有︶が 加 入 し、
平成
度、遂 に
買 っ て 飲 む 習 慣 が 広 ま っ た の は、 業 界 の 厳 し い 環 境 の 中 で 、 減
明 治 中 期 か ら と い わ れ て い ま す。 少 の 一 途 を た ど り 、 平 成 年
鹿鳴館文化を中心に公的な 宴「 が」
日本中で繰り広げられ、さらに日
清、日露戦争での出兵や凱旋ごと
に祝宴がつきものになって、酒が
振る舞われました。ただ、そうし
た宴会は食事を楽しみながら酒を
日本酒が できるまで
酵を
糖化と発
う
同時に行
酵
並行複発
豊臣秀吉が嗜んだであろう名水(銀明水)
で造られた京の酒をお試しください。
たる 1994 年までには京都市内全域の建物 1200 件
降、「日本第一酒造神」と仰がれた
た時期がありました。
由来はここにあります。
1000 点の作品を完成 させ、平安建都 1200 年に当
清酒の名声を欲しいままにし
崇められました。室町時代末期以
純米大吟醸酒のように高級
濁酒 ( どぶろく )
◆
諸白 ( もろはく )
約1時間
蒸します
もろみを
絞ります
入後
ろ過・火
最後の
ど
な
水
加
てから
調整をし
す
出荷しま
嗜むスタイルではなく、ひたすら
【参考文献・出典】栗山一秀「世界の酒ーその種類と醸造法、歴史と本質と効用ー」、神崎宣武「酒の日本文化」、松尾大社ホームページ
7
気勢をあげる無礼講的な飲まれ方
米こうじや酒粕に残る酵母な
の流れを継ぐ奈良の「南都諸
ら、松尾大社は酒造の神様として
31
1960年代頃の佐々木酒造
お酒の 豆辞典
知っているとおもしろい
Q3
な
のはて
日本酒
Vol.
A
だったようです。
で製造されていた僧坊酒。そ
尾大社を氏族の祭神とした秦氏
展、酒造は秦氏の特技でした。松
ざけ)ともいう。炊いた米に、
中心に絹産業などの緒産業が発
酒。もろみ酒、濁り酒(にごり
と。平安時代に奈良の大寺院
のがはじまり。農業が進むと秦氏を
に精白米を用いる製法のこ
秦氏が大山咋神のご神威を仰いだ
麴米と掛け米(蒸米)の両方
太秦や嵐山一帯の開拓に当たった
14
法が、この時代すでに行われてい
佐々木勝也組合理事長
な
Q2
「洛中の蔵元の灯を消すな。
」の熱い思いで京都酒
造組合の三社ともども特定名称酒を中心に伝統的
醸造法を用いた本来の造り方で「日本酒は本当に
美味しいね。
」と言っていただけるような日本酒
を提供し続けていくことを目指しています。
京料理に京の酒、組合員少数ながら、日本民族の
誇りである旨き本来の酒をここ京都より発信しよ
うと各酒造、情熱を持って取り組んでいます。
二
16
たことになります。特に﹁多聞院
京都酒造組合
A
17
15
日 記﹂の 天 正 六 年︵一 五 七 八 年︶
◎ 案内させていただいたのは、
◆
松尾大社
◆
KATSUYA
のはて
な
日本酒
A
SASAKI
日本酒
のはて
Q1
SASAKI TIMES