今回ご紹介するのはお酒の歴史。米とともに発達した日本酒の歴史をお話ししたいと思います。日本酒の製法と 書かれたのは三田村宗二氏(1938∼1996)さんです。 が、酒造りと関わり深かったことか 白(なんともろはく)」は今日の ます。 1986 年に西陣の町家を描き出されてから、既に約 こんな に おもし ろい! 色々な 歴史が あるん だね! どを加えて発酵させて造られ を描くべく努力を続けられていました。 管理は世界で類を見ないほど複雑で巧妙であると言われています。その独自の技法がどのような歴史的背景を 京都のお酒は どのように発達 したのでしょうか? 五 世 紀 頃、朝 鮮 か ら 渡 来 した秦人は太秦の興隆寺 一帯や伏見稲荷神社一帯に拠 点 を 築 き、養 蚕・織 物・陶 業 な ど の 他、大 陸 伝 来 の 良 質 な 酒 も 造 り 始 め ま し た。日 本 第 一醸造祖神として有名な松尾 大社は秦氏が松尾の神を氏族 の総氏神と仰いだのがルーツ で あ る と い わ れ て い ま す。平 「 安時代に大内裏に朝廷の酒を つくる造酒司 さ ( けのつかさ ) が 設 け ら れ た 時、実 務 を 担 当 したのも秦氏一族でした。 京都の酒造りが最も栄えたの は 室 町 時 代 で す。室 町 時 代 に 年には三一 発酵させただけの白く濁った 持って進化したのか?簡単ですが、流れを追ってみたいと思います。 の記録に﹁諸白﹂の記述が見られ ますが、諸白とは麹米、掛米の両 者を精米して造った酒の意味です。 これは、現代の清酒に近いもので あったと想像されます。 日本酒はどのように 飲まれていたので しょうか? 古来から酒は神からの授か り 物 で、神 へ の 神 聖 な 捧 げ 物として作られてきました。 一 方、中 世 ま で の 貴 族 社 会 で は 宴 う ( たげ の )」酒が加わり、さら に武家社会では出陣の壮行の宴で 清めの酒を飲むことが広まるよう になりました。 平和で文化が発達する江戸時代に 軒もありました。 代 で 八 〇 軒 、 昭和 は、花柳街も発達し、一部の裕福 は 京 洛 中 だ け で 実 に 三 五 〇 軒 、 な 層 で は 飲 酒 が 日 常 化 し ま し た。 明 治 時 代 で 一 〇 四 軒 、 大 正 時 しかし、ここまでは一般の人が酒 を飲む機会が多かったわけではあ それが時代の変遷と共に清酒 お酒の歴 史 は 人 類 の 歴 史 と い っ て も 過 言 は 無 い で しょう。 人の歴史 に 大 き く 関 わ っ た お 酒 は 文 化 を 変 え て い きました。 酒 コラム 日本に酒が 登場したのは いつ頃ですか? 世紀におけ りません。日本人が日常的に酒を 玄米を す 精米しま 「洗米」と 「浸漬」は ! 秒刻み 少 な く と も 三 千 年 以 上 前 に、 中国から九州に稲作技術が伝 わ っ た と 明 ら か に な っ て い ま す。 最も古い水田は約二千五百年のも のが岡山で発見されています。米 を原料とした酒造りの前は、 ﹁ガマ ズ ミ﹂と か﹁カ ジ ノ キ﹂等 の﹁液 果酒﹂ 。そして雑穀・木実類からの ﹁くちかみ酒﹂等が造られていまし た。古代の酒は、すべて濁酒 に (ご りざけ で ) した。本格的な酒造りは 朝廷用に始められたもので、平安 朝時代には酒造係という役職があ りました。 日本酒が現在のように透明になっ たのは、いつ頃からかはっきりし ていません。今日の清酒造りの原 型記録が見られるのは、 ﹁御酒之日 ∼ 記﹂ 、 ﹁多 閉 院 日 記﹂等 で 確 認 さ れ ます。これらは る﹁僧坊酒﹂の製法を記録したも ので、現代の清酒の製法に近い方 社 に な り ま し た。 年に市町村合併で京北 ります。 で京都酒造組合を運営してお 弊 社 と 松 井 酒 造︵株︶の 三 社 町 の 羽 田 酒 造︵有︶が 加 入 し、 平成 度、遂 に 買 っ て 飲 む 習 慣 が 広 ま っ た の は、 業 界 の 厳 し い 環 境 の 中 で 、 減 明 治 中 期 か ら と い わ れ て い ま す。 少 の 一 途 を た ど り 、 平 成 年 鹿鳴館文化を中心に公的な 宴「 が」 日本中で繰り広げられ、さらに日 清、日露戦争での出兵や凱旋ごと に祝宴がつきものになって、酒が 振る舞われました。ただ、そうし た宴会は食事を楽しみながら酒を 日本酒が できるまで 酵を 糖化と発 う 同時に行 酵 並行複発 豊臣秀吉が嗜んだであろう名水(銀明水) で造られた京の酒をお試しください。 たる 1994 年までには京都市内全域の建物 1200 件 降、「日本第一酒造神」と仰がれた た時期がありました。 由来はここにあります。 1000 点の作品を完成 させ、平安建都 1200 年に当 清酒の名声を欲しいままにし 崇められました。室町時代末期以 純米大吟醸酒のように高級 濁酒 ( どぶろく ) ◆ 諸白 ( もろはく ) 約1時間 蒸します もろみを 絞ります 入後 ろ過・火 最後の ど な 水 加 てから 調整をし す 出荷しま 嗜むスタイルではなく、ひたすら 【参考文献・出典】栗山一秀「世界の酒ーその種類と醸造法、歴史と本質と効用ー」、神崎宣武「酒の日本文化」、松尾大社ホームページ 7 気勢をあげる無礼講的な飲まれ方 米こうじや酒粕に残る酵母な の流れを継ぐ奈良の「南都諸 ら、松尾大社は酒造の神様として 31 1960年代頃の佐々木酒造 お酒の 豆辞典 知っているとおもしろい Q3 な のはて 日本酒 Vol. A だったようです。 で製造されていた僧坊酒。そ 尾大社を氏族の祭神とした秦氏 展、酒造は秦氏の特技でした。松 ざけ)ともいう。炊いた米に、 中心に絹産業などの緒産業が発 酒。もろみ酒、濁り酒(にごり と。平安時代に奈良の大寺院 のがはじまり。農業が進むと秦氏を に精白米を用いる製法のこ 秦氏が大山咋神のご神威を仰いだ 麴米と掛け米(蒸米)の両方 太秦や嵐山一帯の開拓に当たった 14 法が、この時代すでに行われてい 佐々木勝也組合理事長 な Q2 「洛中の蔵元の灯を消すな。 」の熱い思いで京都酒 造組合の三社ともども特定名称酒を中心に伝統的 醸造法を用いた本来の造り方で「日本酒は本当に 美味しいね。 」と言っていただけるような日本酒 を提供し続けていくことを目指しています。 京料理に京の酒、組合員少数ながら、日本民族の 誇りである旨き本来の酒をここ京都より発信しよ うと各酒造、情熱を持って取り組んでいます。 二 16 たことになります。特に﹁多聞院 京都酒造組合 A 17 15 日 記﹂の 天 正 六 年︵一 五 七 八 年︶ ◎ 案内させていただいたのは、 ◆ 松尾大社 ◆ KATSUYA のはて な 日本酒 A SASAKI 日本酒 のはて Q1 SASAKI TIMES
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