東京教区東日本大震災支援対策本部東日本大震災支援対策本部

いっしょに歩こう!パートⅡ
日本聖公会東京教区
東日本大震災支援対策室ニュース
NO.26
2015 年 3 月 11 日発行
1 月 17 日には阪神淡路大震災から 20 年が経ちました。そして東日本大震災から 4 年が過ぎよう
としております。私たちのこの国は、新しい年を迎えてから春を待つこの季節に祈りの時を過ごし
ております。今回は東京教区にある学校での支援活動についてご寄稿いただきました。お若い方々
の取組みに大いに刺激を受け、また私たち自身の働きへの参考にさせて頂ければと思います。
お忙しい中をご寄稿くださいました皆様に感謝申し上げます。
♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
立教池袋中学校・高等学校での取り組み
チャプレン
司祭 市原 信太郎
立教池袋中学校・高等学校では、震災発生以来、長期休暇にあわせ
て、被災した現場を有志の生徒たちと訪れるプログラムを続けていま
す。このプログラムは、一応「ワークキャンプ」等と称していますが、
実際には現地を訪れることが第一の目的であり、可能ならその現場で
お手伝いをさせていただくというスタンスです。その意味では、「ワ
ークキャンプ」というよりは「訪問キャンプ」という方が適切かも知
れません。
これまでに、様々な形で 9 回ほどの現地プログラムを実施してきまし
写真洗浄作業に取り組む
(2011 年 12 月)
た。いまだ被災の爪痕深い現地を訪れることがすでに大きな学びです
が、現地支援スタッフによる様々な活動に参加させていただいている
こともかけがえのない体験です。どの活動も、相手の顔が見える関係
の中で現地スタッフがていねいにつながりを築いてきたことによる
もので、わずか数日でも我々もその関係に連なる中で、本校の教育目
標の一つでもある「共に生きる」とはどういうことかを、部分的にせ
よ体験させていただいているように思います。
また、震災直後には集めた物資を東京教区を通して現地にお送りす
仮設住宅でのかるた作りプログラム
(2013 年 3 月)
るほか、PTA を中心として現地の活動に使用して頂く車両一台分とし
て、約 250 万円の献金を行うなどの活動も実施しました。その後、長
年にわたり蓄積された「宗教活動資金」約 380 万円を、協議の末磯山
聖ヨハネ教会の復興にお役立て頂くようにお献げいたしました。この
ほか、生徒たちは各学期に募金を行ったり、有志がバザーに出店した
1
在宅被災者への物品配布のお手伝い
(2011 年 7 月)
りなどの活動を行っており、その収益も現地のプロジェクトにお献げしています。
震災発生から三年を過ぎ、現地でのニーズは多様化していて、わたしたちがスポット的に訪問し
てできることは限られています。しかし、未だ「復興」とはほど遠い現実がそこにあることだけは
確かです。未曾有の災害の傷跡に苦しみながらも、日々を懸命に生きる方々がそこにおられること
を忘れないために。そのことを願い、今後もこれらの活動を細く長く続けていきたいと思っていま
す。
震災を忘れないということを大切にしたいという思いで続けてきたこれらの活動ですが、それは
震災という出来事の「記憶」を現実世界において体験することでもありました。
「忘れない」とは、
その「記憶」から全身全霊で何かを聴き取ろうとするわたしたちの生きる姿勢でもあるでしょう。
学校という場で生徒・学生たちが経験することは、その人生に生涯にわたる大きな影響を与えま
す。あの震災が、その地域の多くの人々の人生を大きく変えたように、本校に学ぶわたしたちもこ
の「記憶」によって、人生を変えられなければなりません。そして、この「記憶」から聴き取るこ
とこそ、「学び」なのだと思います。震災から 3 年半ほどが過ぎた今、わたしたちが東京の日々の
生活の中で、この「記憶」をどのように生きているかどうかが問われていると改めて思う次第です。
立教大学学生キリスト教団体と東北
学生キリスト教団体代表委員会 戸田 嶺
私たち学生キリスト教団体は、
立教大学のチャペルに連なる 9 つの学生団体で構成されています。
各団体の行っている活動はそれぞれで、聖歌を歌う団体があれば、ハンドベルを奏でる団体もあり、
ボランティアを行う団体もあれば、登山する団体まであります。やっていることは異なっていても、
私たちは「チャペル」をキーワードに集い、互いにつながり合っています。そんな中、私たちは多
様性を活かし、これまで様々な切り口から「東北」と向き合ってまいりました。大きなものとして
は、「チーム郡山」
、
「東北巡礼キャラバン隊」、そして BSA 第 8 支部による被災地支援といった活
動などが挙げられますが、今回はその中から 2 つに絞ってご紹介させていただきたいと思います。
「チーム郡山」
学生キリスト教団体には、
クリスマス実行委員会という組織が
あります。この組織には各団体から希望者が集まり、協働して立
教のクリスマスを企画・運営しています。そんなクリスマス実行
委員会のプロジェクトの 1 つに、
「チーム郡山」があります。こ
れは、プロジェクトメンバーが福島県郡山市にあるセントポール
幼稚園を訪問するというものです。
クリスマス実行委員会は東日
本大震災を機に、2011 年にセントポール幼稚園にプレゼントを
カレンダーを描くセントポール幼稚園の
園児たち
贈呈するという形で互いに関わりあうようになり、2012 年より直接幼稚園を訪問するようになりま
した。毎年原発の近くで暮らす子供たちからはもちろん、その先生方からも、現地の貴重なお話を
聞く機会を得られています。
今年度は「出会い・つながり」をテーマに、幼稚園の子供たちと一緒に遊んだり、用意した材料
を使ってカレンダーを作ったりしました。2012 年に初めて訪問した際、子供たちは放射線の影響で
外に出て遊ぶことも許されていませんでした。今では以前のように庭でも遊ぶことができるように
2
なり、一見困っていることは全く無いかのように見えました。しかし、実際に色々な方にお話を伺
うと、今でも見えない放射線に対する不安は残っており、先生も、また子供たちの両親もそれぞれ
悩みを抱えているということがわかりました。今後も引き続き、郡山のみなさんに寄り添い、また
つながりを持ち続けたいと考えさせられました。
「東北巡礼キャラバン隊」
私たちは、
「普段から人のために活動している学生キリスト
教団体だからこそできることがあるのではないか」という想
いを基に、各団体の枠を越え、大規模な東北訪問を行いまし
た。昨年の 2 月、9 団体の中から有志が総勢 76 名集まり、2
泊 3 日で福島県や宮城県を訪れました。訪問先では、東北教
区の皆さんにお話を伺ったり、実際に津波の被害に遭った地
津波の被害に遭った地域を視察する
キャラバン隊一団
域や仮設住宅を訪問させていただきました。また、仮設住宅での聖歌隊、ハンドベルクワイア、オ
ーガニスト・ギルドによるコンサートや、現地教会における礼拝奉仕も実施させていただきました。
今回の訪問は人数も多く、東北のみなさんに貢献したというよりはむしろ、現地の方にもてなし
ていただいたと言えます。改めて、人の思いやりの温かさを感じられました。多くの方に支えられ
て行うことのできたこのプロジェクトによって、確実に学生キリスト教団体に所属する学生の東北
に対する認識には変化がありました。訪問の後、立教チャペルとして少人数で東北を訪問する動き
も見られるようになりました。今後も「東北巡礼キャラバン隊」に参加した学生が、自らの視点で
東北と向き合い、またそれを他の学生に伝えていくことを期待しております。
2014 年度より、長年立教チャペル、そしてそれに連なる学生キリスト教団体に寄り添ってくださ
った八木正言司祭が東北教区に異動されました。東北の地に立教とつながりを持つベースがまた新
たに 1 つ増えたと考え、今後ますます立教と「東北」の絆を深めていきたいと思う所存です。これ
からも、私たち立教大学学生キリスト教団体の活動を温かくお見守りください。
立教女学院復興支援プロジェクトの活動について
立教女学院キリスト教センター復興支援プロジェクト委員
立教女学院小学校
教頭・宗教主任
吉田太郎
Our Missionaries safe. All Tokyo churches,school,residences and St.Luke’s Hospital
destroyed. Missionaries lost all household and personal effects. Need emergency relief for
missionaries and Japanese clergy and church people. All gone but faith in God.
1923 年(大正 12 年)9 月 1 日、関東大震災により、築地居留地にあった立教高等女学校は焼失
し、すべてを失いました。そんな混乱の中で、東京教区マキム主教が第一報として発信した電文が
米国聖公会の信徒に伝えられたのでした。心動かされた名もない多くの人々の善意が日本救済、復
興の原動力となり、今日の立教女学院があるといっても過言ではありません。
All gone but faith in God.というマキム主教の言葉は立教女学院の歴史の一部として語り継が
れています。2011 年 3 月 11 日の東日本大震災への立教女学院の復興支援の取り組みは、まさに私
たちの学院が草創期に受けた恩恵に報いる機会であったといえるでしょう。
3
立教女学院では、震災後まもなく、中村邦介司祭(学院長・当時)佐々木道人司祭(チャプレン・
当時)のもとで、キリスト教センター復興支援プロジェクトを立ち上げました。まず初めに行った
ことは、仙台で「いっしょに歩こう!プロジェクト」のミーティングに陪席させていただき、被災
地の現状を知り、ニーズを聞き取ることでした。様々な支援が求められる中、教育に携わる者とし
て立教女学院らしい支援の方向性として子どもたちへの支援を模索しました。
そうして、
「いっしょに歩こう!プロジェクト」、東北教区の仲立ちにより、大きく分けて二つの
支援先が与えられました。一つは福島県内の 4 つの幼稚園(「セントポール幼稚園」
「みその幼稚園」
「聖テモテ幼稚園」
「若松聖愛幼稚園」
)への支援、そしてもう一つは宮城県南三陸町で津波の被害
によって流出した「おもちゃの図書館いそひよ」の再建でした。
福島の幼稚園への支援では、子どもたちにとって「あそ
び」が大切。という思いから、屋外で遊ぶことができなか
った子どもたちのために「サイバーホイール」という大型
遊具を寄贈させていただくということからスタートしま
した。立教女学院小学校の学校犬も幼稚園を訪問し、子ど
もたちと交流しました。子どもたちの腕や足の力を鍛えよ
うと、クライミングウォールも設置させていただきました。 福島の被災犬と触れ合う若松聖愛幼稚園の
子どもたちが元気に遊んだり、楽しそうに笑顔を見せたり 子どもたち
する姿を見て、幼稚園の教職員や保護者の方々と一緒に喜び、子どもたちのために、もっともっと
楽しい企画を!と交流が深まっていきました。東京の立教女学院へ卒園児とご家族をご招待する企
画や、夏の軽井沢で一緒にキャンプを行う企画、保護者のボランティアが交流するなど、「復興支
援」という言葉を越えた豊かな関係を築かせていただいています。
宮城県南三陸町では「おもちゃの図書館」再建のための建築候補地探しから関わらせていただき
ました。建築資材の高騰や建設中の事故など、様々なアクシデントに見舞われ、完成まで約 3 年半
の月日を要しました。しかし、その間に地元の多くの方々とのつながりを頂くことができました。
加藤主教、長谷川清純司祭をはじめ、越山健蔵司祭には完成までの間、大きなご協力を頂きました。
そうして、2014 年初夏、約3年半の月日を要し、ようやく立教女学院の復興支援プロジェクトの
いわばシンボル的存在ともいえる南三陸町での「おもちゃの図書館いそひよ」の再建プロジェク
ト・ログハウスが完成しました。このプロジェクトは立教女学院の児童・生徒・学生、教職員、そ
して保護者や同窓生の方々、多くの人々の祈りと善意によって支えられたものでした。完成した建
物(ログハウス)は地元の障碍児者とそのご家族の活動の場として、また、お年寄りや地域の子ど
もたちの憩いの場として『くつろぐハウス・マーガレット』と命名され、復興へ向けて歩み続ける
南三陸町の福祉
のために用いら
れています。
4
立教女学院の復興支援プロジェクトの取り組みは、献金や募金(義援金)を集めて被災地へ送る
といったことだけに留まらず、現地の方々とまずは人間的な関係を構築し、その信頼関係の中でニ
ーズを聞き取り、一人ひとりに寄り添いながら、私たちにできることは何かと問い続ける活動であ
ったといえます。震災から 4 年が経過した今。震災関連の報道は減り、東京に暮らす私たちの日常
は以前と何も変わらないものとなりました。しかしながら被災地では、まだまだ本当の意味での復
旧・復興は遠いといわれています。だからこそ、今後もより一層、立教女学院の復興支援の取り組
みの価値や意味が問われていくことでしょう。これからは「支援する」
、
「支援される」という関係
性を超えて「友人」
、
「隣人」として被災地と、あるいは東北の方々と関わっていくことができるよ
う願っています。
香蘭女学校
東日本大震災ボランティアキャンプのその後
香蘭女学校教諭
犬山みき子
2011 年 8 月から私達は東北の被災地へ行き、何かできることは?と手探りで続けてきた。
前回の報告では石巻の老人ホーム、名取市仮設住宅でのお手伝いを報告した。
今回はその後の状況をお伝えする。
プロジェクト 1
山荘へご招待(2012 年~2014 年)
こちらから出かけて行くだけでなく、2012 年夏より、北軽井沢の山荘にご招待して「遊び場の少
ない仮設住宅の子供達に大声を出し、あちこち走り回って遊んでもらおう。」とプロジェクトを立
ち上げ、2012 年第 1 回山荘でのボランティアキャンプを実施した。2011 年にお邪魔した名取市箱
塚桜団地の子供達に声をかけ、30 人ほど来ていただいた。香蘭女学校からも子供達と同じ人数の高
校生を募集し、山荘で共に過ごした。仮設住宅では子供たちが遊ぶ場所もなく、大声を出すことも
できない現実を知り、ぜひ山荘でと計画が始まった。
しかしこのプロジェクトを進めるための予算は全くなく、普通ならできるかどうか心配するところ
だが、高橋チャプレン初め教職員はどうにかなるだろうと鷹揚に構え、進めて行った。保護者会の
度に訴え、生徒会を中心に募金活動に励み、卒業生には個々に話し献金を。おかげさまでプロジェ
クトを始めるときにはどうにかクリアできた。せっかく来ていただくのだから、山荘だけでなくど
こか近くの観光名所もお連れしたい。2012 年は草津温泉を楽しんでいただいたり、軽井沢名物のア
ウトレットへ日帰りハイキングを楽しんだ。2013 年は清里清泉寮、2014 年は黒姫で 1 泊していた
だいた。
山荘では子供たちと香蘭の高校生が水鉄砲でずぶぬれになったり、バーベキューや花火で夜遅くま
で騒いで楽しんだ。2 日目には、子供たちと高校生の仲良しグループが生まれ、宿題を手伝ったり、
卓球大会、プロレス大会が繰り広げられていく。
また 2013 年には東北のおばあちゃん達から「おくずかけ」(仙台地方に伝わる旧盆のお料理)を教
わり、共に働く喜びをいただいた。この「おくずかけ」は高等科 3 年生に伝わり、今では香蘭名物
のバザーで模擬店の中に必ず登場するメニュ-ともなった。
また、名取市に伝わる「大漁節」の踊りを教えていただき、文化継承の場ともなった。この大地震
のため、名取市を離れていく方々も多く、子供達に郷土の文化を忘れないで欲しいとの大脇自治会
5
長の願いから、毎晩この踊りを私達も練習した。このご縁で名取市閖上(ゆりあげ)地区に伝わる閖
上太鼓連中、祝舞(わいまい)連中をお呼びして香蘭女学校で披露していただいた。山荘でのボラン
ティアも 2015 年は 4 年目を迎える。桜団地のちびっこたちも大きくなり、今年は一歩前進させ新
しいボランティアキャンプを目指して、ただ今検討中である。
プロジェクトⅡ
香蘭女学校のバザーへ来ていただく(2012 年~2014 年)
山荘でのボランティアキャンプがご縁となり、おばあちゃんたちは香蘭女学校名物のバザーで東
北コーナーを引き受けてくださった。名取市にある笹カマ「ささ圭」の会長さんご夫妻も東北コー
ナーで笹カマを販売してくださった。
「ささ圭」は津波で工場を流され、すべてを失ったが、会長
自ら昔風の手焼き笹カマを作り、復興の第一歩を始めた店舗である。おばあちゃんたちは東北名物
の「腹子飯」弁当、ささ圭のつみれを使って「つみれ汁」を作ってくださり販売した。香蘭のバザ
ーは 1903 年に始まり、今まで続く香蘭の名物である。生徒だけでなく、父母の会、卒業生の三組
織が協力し 1 日で約 5000 人以上のお客でにぎわう。東北コーナーは「ささ圭の笹カマ」
「腹子飯弁
当」「つみれ汁」のほかに陸前高田の「ゆめちゃんグッズ」、
「作業所ひまわりのクッキー」、2013 年
からは十三浜の「ワカメ」
「昆布」を扱っている。中でもお客様にはおばあちゃん手作りの「腹子
飯弁当」は大人気。10 時の開始と同時に長蛇の列となる。
プロジェクトⅢ
こちらから出かける
(2011 年~2015 年)
来ていただくだけでなく、長期休みには必ずこちらから出かけて行く。毎回希望者が多く抽選と
なり、行けない生徒がでてくるのは残念だ。また生徒達の希望を叶えてくださるご家庭にも深く感
謝する。2012 年春には釜石で、2012 年夏は名取市箱塚桜仮設住宅、石巻追波川仮設住宅にお邪魔
し、入居者の方々と交流を持った。2014 年春からは、石巻の十三浜でワカメ養殖のご家庭に入り、
お手伝いをしている。ワカメ養殖は手がかかる仕事であるが、女子高生にはぴったりの作業がある。
仕事を教えていただき 1 日作業を続ける。その中で地震や津波の話しを伺い、改めて自然災害の怖
さ、東北の方々の底力に圧倒され、勇気と優しさと笑顔をいただいて帰ってくる。「東京にいて話
しを聴くだけでは何もわからない。とにかく行って欲しい。そしてその中で数日でも一緒に生活し
て欲しい。
」礼拝の中で下級生に訴えていた高等科 3 年生の言葉が印象的であった。
「取り合えず 3 年間何かやって行こう。
」との高橋チャプレンの言葉で始まった香蘭の東北ボラン
ティアだ。4 年目を迎え、これからのボランティアの形も変わってくるであろう。でも私達は忘れ
ない。そしていつも東北の皆さんに寄り添っていきたい。
♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡
東日本大震災支援対策室
〒105-0011
港区芝公園 3-6-18 東京教区事務所内
FAX:03-3433-8678(教区事務所気付)
E-mail:[email protected]
ご連絡はファクシミリまたはメールにてお願いいたします。
6