ききょうの花プロジェクト 死を慈しむ社会への発展をめざして

研究テーマ
ききょうの花プロジェクト
死を慈しむ社会への発展をめざして
ー静かなたびだちのカード(仮称)の作成からシンボルマークの作成へ
申請者氏名
助成対象年度
報告書提出日
大竹
2013 年度後期
平成 27 年 2 月 28 日
伸子
はじめに・・・死を慈しむということについて(自己紹介にかえて)
私は栃木県立鹿沼高等学校に勤務する国語科教員である。従ってその職務として在宅医
療推進に関わるのでなく、個人的な思いから今回の助成事業に応募した。
2011 年 6 月、栃木県小山市の我が家で、母は 80 歳の生涯を終えた。母は、5 年前に膀
胱がんが見つかり、膀胱の摘出手術・抗がん剤治療などの後、大学病院の紹介により在宅
医のサポートをうけた。亡くなるまでの約 4 週間、私の家で過ごした時間は、家族にとっ
てかけがえのないものであり、穏やかに逝った母の最期は、悲しみだけではない厳かな思
いを残してくれた。
母を看取った直後に、主治医から在宅死の実態をレポ ートする雑誌の取材に応じてはど
うかという話があった。肉親の死にゆく様子を公開することには抵抗があるという考え方
もあるが、私は家族(父・兄・姉・夫・娘)にも了解を得た上で、取材に応じた。なぜな
ら、在宅医療のもとで豊かな時間を過ごし穏やかに逝った母の様子を、多くの方に知って
もらいたいという気持ちが強くあったからである。終末期にある母が大学病院を退院する
と決まったとき、在宅医療について知識のなかった私は、大きな不安を抱え悲壮な思いだ
った。しかし、母と生活していく中でさまざまな不安が解消され、在宅で穏やかに看取れ
たことに感謝している。その経験から、在宅医療による看取りは無理だと考えている人 へ
の情報提供の一助になりたいと思ったからだ。
取材のため 8 月某日に我が家を訪れた編集担当者は、丁寧に聞き取りをしてくれた。約
4 週間の母の体調の変化や、それにあわせて家族がどんな対応をし、どんな気持ちになっ
たのかを順を追って尋ねてくれた。それを元に出版された記事には、末期がんの家族とど
う過ごしたのかが、かなり細かく綴られている。さらに記事にならなかった部分でも、取
材に応じて言葉にして語る中で、多くの気づきを得た。振り返れば、母が我が家にいた間
に交わした数々の言葉は、私や娘たちに最後の躾をしてくれたようなものであった。 この
時に取材を受けたことが私にとっても大きな意味を持つようになった。在宅死を肯定的に
捉え、その素晴らしさを是非とも多くの方に知ってもらいたいと思うようになったからだ。
これから多死社会へと向かう日本にとって、在宅医療による穏やかな看取りが増えてい く
ことが求められている。そのため、在宅看取りを経験した家族である自分にできることを
したいと考え、我が家での体験をまとめ「第 31 回心に残る医療体験コンクール」に応募
した。「手をつないだまま母は逝った」と題する拙文は日本医師会賞をいただき、新聞に
掲載された。多くの方に支えられて穏やかに母を送ることはさほど大変ではなかったとい
う趣旨で書いたつもりだった。ところが拙文を読んだ友人からは、「大変だったですね」
という声をかけられることが多かった。そんな友人には、医療や介護のスタッフに支えら
れる今の時代の在宅死は、病院死が増える以前の大家族に支えられての(家族の負担に依
存する)在宅死とは様相が異なることを伝えた。しかし、それでも同世代の友人の多くが
「自分には親を自宅で看取ることなどできない」と言った。私は、在宅での看取りを負担
に思う友人たちの言葉を聞くうちに、私たちは死が怖いのだということに思い至った。こ
こで問題となる死の怖さは、自分の命がなくなることの恐怖ではない。自分が立ち会う死
が怖いのだ。なぜなら、私たちは死を知らずに育った世代だからである。核家族化の進行
と病院死の増加する中で育った私たちは、間近に死をみることのないまま、親世代の死に
直面している。未知のものである死は恐ろしいものであり、忌避すべきもの、できれば遠
ざけたいものである。それを家の中で引き受けるということは思いもよらないことだ 。私
自身の経験でも、在宅で母を看取ると決意した時の最大の不安は、 私は死を知らない、と
いうことであった。ところが、実際に経験した後で思うのは、死は恐ろしいものではない
ということであり、肉親の死を目の当たりにすることによって学ぶことが多いのだという
ことに気づかされた。つまり、死は恐れるものではなく慈しむものである。大切な人の死
は、悲しみだけではなく、それを通してさまざまなことを考える契機となる意義深いもの
である。社会全体としてそのような見方で死を捉えるようになることが、在宅での看取り
が増えていくことにつながるのではないだろうか。
在宅医療の推進のために私にできることは、死は怖くないというメッセージを伝えるこ
とだと考えた。死は怖がるものではなく慈しむものだというメッセージを伝えたい。それ
が、ききょうの花プロジェクトの始まりである。
研究の経緯
1「静かなたびだちのカード」「シンボルマーク」の作成
(1)「静かなたびだちのカード」とは
死は悲しみだけではなく、死を通して学ぶものは多い。そんな思いから、看取りの場で
の常套句が「ご愁傷さまでした」では不十分であると感じた。死は、人の誕生が祝福され
るのと同様に、敬意を払われ、慈しまれる存在である。そこで、亡母と同様に豊かな最期
を迎えた故人やその家族を称えるためのメッセージカードがあればいいのではと考えた。
大切な人を看取った後に、医療や介護の専門職から一言書き添えられたカードが渡される
ことで、看取った家族の心情も肯定的なものになる。死亡診断書に添える優しい花の絵の
カードがあれば嬉しい、そんなことを思った。木や花の絵を描くことで高名な絵本作家い
せひでこ氏に絵を描いていただけないかとお願いに行った。平成 25 年 11 月に栃木県小山
市の車屋美術館で開催の絵本の原画展会場での作家トークでお見えになった折に、お断り
されるのを覚悟でお願いのお手紙を手渡した。その後、何度か手紙や電話のやりとりを経
て、すでに描いたものの中から気に入ったものがあれば、使用の許諾がいただけるという、
有り難いお話となった。こうして、死にまつわる肯定的な言葉を綴るための「静かなたび
だちのカード」の構想が具体的なものになっていった。
(2)「静かなたびだちのカード」作成の経過
平成 25 年 12 月・・・カードの作成計画の提示
助成申請書の作成と並行して、「静かなたびだちのカード」の作成計画を周囲の人に提
示し、反応をみた。私がボランティアとして関わっている医療関係の会のスタッフ、医療
福祉関係の進学を希望する高校生(勤務校の生徒 )を中心に聞き取りを実施し、有効性を
期待する意見を得た。
平成 26 年2月・・・ききょうの花プロジェクト発足
「静かなたびだちのカード」の作成に向けて、医師、看護学部講師、医療ジャーナリス
ト、地元紙記者の協力を得て、プロジェクトをたちあげた。
第1回の会議を2月 23 日(日)宇都宮市の下野新聞 NEWSCAFE で開催した。(以後
はメールでの連絡を中心にしているため、会議は開催していない)
誰が誰に向けて書くことを想定するのかが曖昧であるという指摘があった。 医療職から
の言葉かけよりも、家族同士の言葉のやりとりこそが 大切なのではないかという指摘もあ
った。
平成 26 年 3 月・・・「静かなたびだちのカード」サンプル版作成
絵本「木のあかちゃんズ」所収のタンポポの綿毛が飛びだし地面に降りてくる見開きペ
ージの絵を使いカードを作成する。サンプル版として 200 枚印刷し、在宅医療関係者や勤
務先の同僚などに意見を求めた。
(実物はA4 半裁
著作権に配慮して写真を掲載)
配布に当たっては、使い方がわかりにくいという指摘を受け趣旨を説明する文書(以下、
添え状)が必要ということになった。
いせひでこ氏にも、実物をみていただき、改めて絵の使用を認めていただいた。
平成 26 年 4 月・・・「静かなたびだちのカード」印刷、添え状印刷( 1,000 枚)
添え状には、カードの趣旨や作成の経緯がわかるようにした。デザインを仕事とする友人
に依頼して縦版・横版各2種の4デザインとして印刷した。(8月に2デザインを追加し
ているが、文面はすべて同じものである)
ホームページ(http://kikyounohana.okuboclinic.jp/)と Facebook 開始した。
(実際は A6サイズの両面印刷)
平成 26 年 5 月・・・「静かなたびだちのカード」1,000 枚印刷(添え状とも)
平成 26 年 6 月・・・封筒印刷(1,000 枚)
絵の利用許諾をいただきカードと合わせた封筒を作成
「静かなたびだちのカード」1,000 枚印刷(添え状とも)
平成 26 年8月・・・「静かなたびだちのカード」1,000 枚印刷(封筒・添え状とも)
平成 26 年 11 月・・・「静かなたびだちのカード」1,000 枚印刷(封筒・添え状とも)
(3)シンボルマークとは
在宅医療全体のシンボルマークがあったら、市民に向けてアピールできるのではないか
と考えた。在宅医療について詳しく話をきけるスタッフはどこにいるのか、在宅医療に対
応するサービスを提供する事業所はどこだろうか、というような疑問に応える所に共通す
るマークがあれば、在宅医療への理解が深まる。また、在宅医療には多職種の連携が不可
欠であるが、そのすべてに共通するマークがあることは利用者側からすれば大きな安心と
なる。加えて、専門職の側からも、同じマークを掲げることで連携の意識を高めることが
できると考えた。
当初は在宅死や尊厳死のマーク作成を考えていたが、死に直結したものではなく、広く
在宅医療全般のマーク作成に変更した。
(4)シンボルマーク作成の経緯
平成 26 年 9 月 16 日・・・シンボルマーク作成に関する打合せ会議(於ココス鹿沼店)
プロジェクトメンバーの紹介でアドバンスクリエイト(株)に在宅医療のシンボルマー
クのデザインを依頼した。亡母が自分の棺の中に入れるために用意していた着物の柄にち
なみ、ききょうの花をモチーフに、支え合う仕組みをあらわすマークとなった。マークを
20 枚印刷したシールシートを作るにあたり、「死」や「看取り」という言葉を直接には使
わないように配慮した。元来、「ききょうの花プロジェクト」は死を慈しむ社会への発展
をめざしている。しかし、在宅医療における穏やかな「死」や「看取り」は、結果ではあ
るがそれだけが在宅医療の本質ではない。在宅医療イコール死ではないし、在宅医療は看
取りのためだけのものではない。「静かなたびだちのカード」の提供や私の体験を語る活
動を通して在宅医療に関する私の認識も変わっていった。母のように末期がんの緩和ケア
中心の在宅医療ばかりではなく、人工呼吸器をつけた障がい児や、認知症の方、老衰で体
力が落ちていく方、交通事故が原因の障がいの方など、在宅医療にも様々なケースがある
ことを知った。地域の中で専門職も家族も、さらには 家族を取り巻くすべての人が支え合
う仕組みとして、以下のメッセージを添えた。
「もっと在宅医療」という市民の思いをこめたロゴは、みんなで支えあうようすを表現し
ました。
中央の花とそれを囲む花々の一枚一枚の花びらが私でありあなたであり・・・
心や体が思うようにならなくても、暮らしの中の豊かな時間を大切にしたい。
在宅医療は地域社会全体で老いや病を抱える人を包みこむしくみです。だから、もっとみ
んなで在宅医療。
もっと早い時期から、もっと気軽に・・・もっと輝いて生きるための在宅医療です。
(「死をみつめると、生がわかるようになる」という意味のフランス語をシールシート上
部余白にしのばせておいたことを付記する)
平成 26 年 11 月
マーク完成
ホームページ上にデータの公開
シールシート 10,000 枚印刷
平成 26 年 12 月
シールシート 10,000 枚印刷
平成 27 年 2 月
マグネット 3,000 枚印刷
(5)マーク・カードの提供
「静かなたびだちのカード」と「もっと在宅医療 シールシート」は在宅医療関係の専門
職を中心に提供した。彼らを通じて、自分や家族の死について考える機会を持った方がた
の元に届けられている。
医療や福祉の関係者を通じての配布ばかりでなく、保険会社、葬祭業者、 市民学習グル
ープなどを通じての提供依頼もある。
2
各種団体との連携
カードやマークの提供を通じて、在宅医療やグリーフケアに関わる各種団体との連携が
進んでいる。
(1)地域ケア研究会 CTI
平成 26 年 6 月 29 日(日)結城市民文化センターにて開催のCTI市民フォーラム「この
ま
ち
結城 で最期まで生きる」で基調講演
演題・・・「手をつないだまま母は逝った~在宅看取りの経験から~」
約 220 名参加
「静かなたびだちのカード」を参加者に配布し、自分を含めた身近な人の死をイメージ
した上で在宅医療という選択肢について考える契機を作れた。
(2)傾聴と在宅支援のボランティア・のぼらん
平成 26 年 11 月 15 日(土)いきいきふれあいセンター(那須塩原市黒磯公民館内)にて開催
の講演会にて講演
演題・・・「在宅医療ミツウロコの話」
約 200 名参加
那須塩原地区では在宅医療への認知度が低いことを心配される主催者の意向を受け、市
民に在宅医療の選択肢があることを伝えたいという趣旨で話をする。この会にあわせて、
シールシートの完成お披露目となるよう作業を急ぎ、「静かなたびだちのカード」に加え
「もっと在宅医療シールシート」も来場者に配布した。
この日は、大学 3 年生の二女が、東京国分寺市から参加し、主催スタッフと一緒にカー
ドやシールを来場者に配布。あわせて会場内での質問票の回収などの手伝いをした。(娘
のような若い世代がかかわることが、在宅医療の推進には不可欠だという私のメッセージ
として受け取ってもらえていれば嬉しい。)
(3)那須塩原クリニック
平成 26 年 12 月 13 日(土)街中サロン「ひなたぼっこ」(栃木県那須塩原市)にて開
催のグリーフケアの会「わかちあいの会 in なす」に参加。
「静かなたびだちのカード」と「もっと在宅医療 シールシート」を提供し、在宅看取り
経験者としてのピアトークを講話とした。在宅医療で看取った家族同士の場で、参加者が
涙する場面もあり有意義な時間を持てた。
(4)在宅緩和ケアとちぎ
平成 27 年 2 月 1 日(日)済生会宇都宮病院 2 階グリーンホールにて開催の第 5 回冬季
講演会第2部
看取るということ~我が家での看取り体験から~で講演。看取りを経験し
た家族の話をした。
演題・・・家で看取るということ
「静かなたびだちのカード」と「もっと在宅医療 シールシート」を会場受付に置き、必
要数を持ち帰ってもらった。また、プログラム・講演
要旨集の表紙にマークを提供した。
看取りを経験した3家族の一人として、経験を話した。また、マークを作ろうと思い立
った経緯についても話すことができた。
約 200 名参加
(5)在宅ケアネットワーク栃木
平成 27 年 2 月 11 日(水)自治医科大学地域医療情報研修センター大講堂にて開催の第 19
回在宅ケアネットワーク栃木総会シンポジウム、アピールタイムに「ききょうの花プロジ
ェクト」の活動を報告。来場者に「もっと在宅医療シールシート」を配布した。また、事
業所等で複数枚必要な方には自由に持っていけるよう会場ロビーに用意した。
なお、助成決定前の活動ではあるが、平成 26 年 2 月の第 18 回総会には、シンポジウム
「人生の最終章を家で迎えるために私たちにできること」 に参加し、患者家族の立場でシ
ンポジストを務めた。その時私は、「死はこわくないよ」というメッセージを伝えること
が、患者家族だった私、さらに患者家族になる私にできることだという話をした。
患者家族の心情を具体的に話すことで、会場内の専門職の方にも新鮮な話と届いたと感
じた。
平成 26 年
27 年とも約 500 名参加
(6)その他
医療福祉系専門学校の学生を対象に、在宅看取りの経験談を読んだ後の思いを「静かな
たびだちのカード」に書こう、という授業をされたという報告をいただいている。
在宅医療中の家庭にある冷蔵庫に貼れるマグネットタイプのマークに、専門職の連絡先
を記入している。
この他にも、利用の報告が多数ある。
3
報道実績
平成 26 年 8 月 24 日付け下野新聞第3面に掲載
平成 26 年 10 月 24 日付け読売新聞栃木面に掲載
4
成果の検証
(1)静かなたびだちのカード
4000 枚以上が、私の手元を離れていった。カードを紹介する新聞記事を見たという方か
らの連絡も複数あり、医療や福祉関係の専門職以外の方のなかにも、在宅医療や家庭で の
看取りに対する関心が高まっていることを感じる。カードを手にした方からは以下のよう
な反応があった。(一部の方にはカードの提供時にどんなことを書きたいかのアンケート
に協力願った)
・子や孫に死後の願いを書いた。(70 代男性)
・1 枚は亡き夫に捧げる言葉を書いて私のたびだちに持っていきます。もう 1 枚は私の
想いを書いて家族に遺して逝きたい。(80 代女性)
・施設で看取った家族へ、今までお疲れ様でしたと感謝をこめて送りたい。退去書類な
どと一緒に添えることができたらいいと思う。(介護事業所管理者)
・生命保険契約時にお客様に渡しました。保険証書と一緒に家族への思いをかいて保管
しているという話をきいています。(生命保険会社ライフプランナー)
(2)シンボルマーク(もっと在宅医療シールシート)
シールシートは、これまでの活動で知り合った専門職を介して配布している。
シンボルマークの発表直後から、以下のような活用の報告を受けている。
・シールを名刺に貼った
・診療所のパソコンにシールを貼った
・在宅診療医の訪問にあわせて自宅ポストにシールを貼った
・栃木県医師会作成の在宅医療関係ポスターにシンボルマーク使用
・在宅医療関係の発表のスライド(PP)にシンボルマーク使用
(3)カード・マークを通して
栃木県内の在宅医療関係の専門職の方がたに、ききょうの花プロジェクトの活動が周知
されている。在宅医療に関する講演会などにカードやマークを配布している。市民発の活
動として専門職が関心を持ってくれた。特に、マークは利用の広がりが示すようにこのよ
うな在宅医療統一のマークが求められていたようだ。私も在宅医療の SNS(ソーシャルネットワーク
サービス)に加わって発信することで市民目線の言葉を届けられるよう努めている。
名刺に貼ったマークが話のきっかけになったり、名刺に同じシールを貼った者が名刺交
換した時に自然と会話が弾んだりというのもマークの効用であろう。
お断り
ききょうの花プロジェクトは、多くの個人や団体の皆様に支えられて活動してまいりま
した。本来なら、この報告書にもお名前や団体名を明記してお礼の言葉を申し上げるべき
でありますが、一部を除き、具体的なお名前を記しませんでした。プロジェクトに協力し
ていただいた方がたの多くは、報告書への記載を含めてご理解いただいています。しかし、
その方がた(その方に連なる方たちを含めて)が、死を扱うプロジェクトに関わっていた
ことだけが独り歩きして曲解されることを危惧するためです。たとえば、友人の主治医の
名前をプロジェクト関連の文書で見つけた人が、早計にも友人の病状を悲観するというこ
とが起こらないとは限りません。また、患者や家族として在宅医療や緩和医療の選択をす
るまでの心の変容は複雑であり、死や看取りという言葉に対して過剰に反応する時期があ
ることも想像できます。誰もが、いつどんな形で当事者になるのかわからないのが在宅医
療です。このプロジェクトにかかわったことが、心の負担になる時もあるかもしれません。
どうか、いつの時も、その時々のご自身のお気持ちを大切になさっていただきたく思いま
す。
死を慈しむ社会への発展をめざしている本プロジェクトのおいては、ある意味矛盾する
ところではありますが、熟慮のうえ、このようなお断りの言葉を添える形といたしました。
感想
「静かなたびだちのカード」「もっと在宅医療ロゴマーク」を通して、たくさんの方と
在宅医療に関するお話ができました。市民の立場から話す在宅看取りの話に対して、多く
の専門職の方たちが耳を傾けてくださいました。カードやマークがあることで、私の在宅
医療に対する期待であったり要望であったりが伝わりやすかったと信じています。講演の
機会もいただいたことで、市民へのアピールができたり、専 門職向けの「家族はこんなこ
とでためらっている」「こんなことが嬉しかった・こんなことが困った」などの本音が伝
えられたりしたと思います。
カードやマークをきっかけに在宅医療に興味をもった市民が、確実にいるという実感は
ありました。言葉では聞いたことがあるけれど、よく知らない在宅医療について具体的な
話を聞きたがっています。制度の概要だけでなく、家族の本音を伝えることが大切だと思
っています。講演では費用などの具体的な話をすると、みなさん熱心に聞いていたようで
す。
この一年、折に触れて在宅医療や看取りについて考える時間 がありました。亡くなって
4 年近くになる母のことを思い出すことも多くありました。そういう時間を持てたことは、
最終的に自分がこれからどう生きていくかを考えることとつながっていきます。それは、
カードの添え状に書いた言葉と同じです。つまり、「ききょうの花プロジェクト」のスタ
ート時に思っていたことが、一年を経ても変わりませんでした。死をみつめること、死を
慈しむことが、今日をよりよく生きることにつながるという思いを再確認しています。
また、ききょうの花プロジェクトの活動が、本業の高等学校教諭としての仕事 でも大き
く役立ちました。直接的には、いせひでこ氏とのご縁で、私が顧問を務める鹿沼高校放送
部の生徒が、秋祭りを題材にした氏の絵本「まつり」を朗読するという活動につながりま
した。鹿沼市のぶっつけ秋祭りにあわせて夫である柳田邦男氏と鹿沼 市内を訪れ、生徒た
ちのようすを見ていただきました。生徒たちにも嬉しい体験でした。また、形には表れに
くいことですが、私自身の国語教材に対する解釈にも少し変化がありました。評論教材な
どで、医療・福祉を扱うものは少なくありません。社会論や文明論などを扱う文章 も医療
や福祉との関連で解釈すると興味深い内容になります。看取りという、多分に文化的要素・
精神的要素の含まれる問題を考えることの多かったこの一年、多くの学びになりました。
在宅医療・在宅看取りの問題は、教育関係の場面で議論されることも必要かと感じまし
た。死んではいけない(殺してはいけない)という趣旨の命に関する教育は盛んですが、人
は死ぬものであるということを前提にした視点から、死とどう向き合うのかという教育も
必要です。児童生徒のまわりにも死が多くおこる多死社会にむけての教育界への(からの)
アプローチが検討される時期かと思います。
私個人のネットワークがあるわけではないので、カードやマークをなかだちとした活動
が十分にできませんでした。死を話題にするということが、まだまだ難しいと感じる場面
もあり、「静かなたびだちのカード」がどれだけの方に活用されたかというと、実際のと
ころはかなり少ないのかもしれません。残念ながら死蔵されているものもあると思います。
でも、妄想を許していただくなら、文房具店のグリーティングカードの棚に類似の商品が
並ぶ時が来た時に、その先駆となったのがタンポポの綿毛を届けた「静かなたびだちのカ
ード」であったと、密かに自慢したいと思います。また、マークに関しても、これから時
間をかけて広がっていくことを願っています。そのうち誰がどういういきさつで作ったも
のか知らないけれども、詠み人知らずの歌が世に伝わっていくかのように、「在宅医療と
いえば、ききょうのマークだね」ということになっていけばいいと思っています。
振り返れば1年前、本研究は研究と名乗るのにふさわしいのかと自問しながら助成申請
をいたしました。医療や福祉に関して知識があるわけでもない一市民の突飛な思い つきか
ら始まった「ききょうの花プロジェクト」に対して、助成という形でご支援 賜りました公
益財団法人在宅医療助成勇美記念財団に深謝いたします。 また、ご支援ご協力くださった
多くの皆様に改めて御礼申し上げます。
本研究は公益財団法人
在宅医療助成
勇美記念財団の助成で行われました。