音で旅する意識空間 語り手 響奏の吟遊詩人 主宰 鍋島久美子 精妙な音は人の意識の中心をひらく ♪耳をひらくとは 響奏の吟遊詩人では﹁耳をひらく﹂ことをテーマにしてい ̶̶ るそうですね。具体的にいうと、それはどういうことですか? 言葉で説明するのは難しいのですが、耳をひらくということ は、一言でいえばひたすら﹁聴くこと﹂につきます。私たちの 耳は普段、全体を聴いているつもりでも、メロディラインや特 定のリズムを﹁ヨコ﹂に追ってしまいやすいのですね。でも、 時間とともに流れ変化していく音を一瞬一瞬﹁タテ﹂に切って、 その瞬間の響きの立体を自分の耳だけで聴き取る、ということ をやり続けていくのです。 一瞬過去でもない、一瞬未来でもない、つまり、常に﹁今﹂ という瞬間に耳を集中し続けていることで、耳は少しずつ開き 始めます。もともと人の耳というのはとても精巧にできていま すから、使えば使うほど本来の精妙な音を聴き取る能力は開花 していきます。 和音を聴きながらそのうちの一つの音を歌う事を﹁分離唱﹂ ︵故・佐々木基之先生によって提唱︶といいますが、音は三つ 以上合わさったときに初めて求心力が生まれます。二本足の椅 子やテーブルが存在しないように、音にも最低三つの支点が必 要なのかもしれません。ですから三つ以上の音を聴きながら自 分の音を出していくというプロセスは、自分の意識の中心を探 る旅でもあるのです。 すると聴くだけでなく、歌う事もするのですね? ̶̶ ええ、自分の声帯やピアノを使って、実際に音︵声︶を出し ていきます。 ただそれは、どう歌うか、どう弾くかという技術ではなくて、 あくまで﹁聴こえる音﹂の自然な発露として音が出る、という ことなのです。つまりその人に聴こえている音が、その人の中 心を通って出てくる。それは歌おう、弾こうとして意図的に出 す音とはまったく質が違います。 声を出すときにはいつも、﹁後ろへ出して﹂と言っています。 後ろへ出す音は、その人の深い部分からやってきます。深いけ れども、軽くてクリアで、生きる喜びが息づいていて。感情ゆ たかだけど、そこに埋没しない。その人の宇宙の音、存在の音 だな、と感じる音なのです。ひらかれた音というのでしょうか。 なく上へ上へと上昇出来る地点なのです、そこは正確なニュートラ ルポイントで、少しでもずれれば、そこに疑似空間を作ってしまい ます。思い込み空間とでもいうのでしょうか。 正しく中心にアンテナが立つと、精妙でパワーのある上昇気流が 起こります。はじめはつむじ風のようなものが立ち、少しずつ成長 して、やがて竜巻のように天と地の両方にエネルギーを抜きながら 大きな渦を巻き起こすようになるのです。そのためには、狂いの無 いチェック機能がなければいけません。 ♪ 音の響きは確かなセンサー それは自分で自分を確認できるということでしょうか? ̶̶ そうです。自分が全ての感覚・知覚をどう使っているかに気づき、 この世界を今、どんなふうに感じ、体験しているかをチェックでき る感性といえばいいでしょうか。自分を自分でチェックするなんて、 主観的であてにならないと思うかもしれませんが、音の響きは確か なセンサーになるのです。なにか一つの気づきは、意識の奥と呼応 しながら、より深い気づきの風を起こしていきます。 どこかあいまいな感情だったり、平面的な硬さのある思考だった りすると、そういう意識から出る音は、開かれていないその壁に突 き当り、壁を通過しない音になってしまうのです。 そうやってひとつひとつ検証していくことで、人は自分の思い込 みを打破しながら、より明るい、心の底からわくわくする空間へと いざなわれて行きます。それはある意味では冷徹なプロセスとも言 えますが、自分を傍観者にすることとは全く違います。壁を通過し、 空間を旅し続ける音は、幸せな強いパワーに満ちています。 耳をひらくとは、一瞬一瞬の自分のセンサーを働かせ、意識の全 体と照らし合わせてよりクリアな喜びを体験し続けることなので す。 そのセンサーには、なにかチェックポイントのようなモノが ̶̶ ありますか? ナビの原理は簡単です。﹁風﹂を感じるのです。開く方向に吹く 風は、精妙です。立ち上る一筋のお香の煙がかすかな風にフッと揺 らぐように私たちの奥の感覚は微細な揺らぎに反応する力がありま す。その微細な風は、私たちを次々と新しい空間に連れて行ってく れます。 精妙なひとすじの音の響きを感じ続けるのも、それを信頼するの も、また実際の音に出すのも、そして、そのエネルギーで日常を生 ハーモニーで声を合わせていると、自分の声が全く聴こえな くなってしまったり、かと思えば、どこからともなくフッと他 人の声のように聴こえてきて、まるで人ごとみたいに﹁きれい﹂ と感動したり・・・感じ方は皆さん様々です。たいていは続け ているうちに、人の音も自分の音も等距離に感じはじめ、ただ 無心に聴くようになっていきます。すると、響きの全体像を立 体で聴く耳が育ってくるのです。 そうやって耳がひらいていくことが、意識とどう関係する ̶̶ のでしょうか? 音は形がなく、言葉や概念を通りません。音は瞬間で、意識 の中心までストンと落ちます。人の意識の中心へ入った音は、 知らずに意識を開かせてしまうのです。 耳が開いてくると、聴覚だけではなく、その人の感覚体験全 体が変わり始めます。現実に、具体的な出来事を体験して気づ く、というような意識的なプロセスがなくても、人の意識の中 心に落ちた音の心地よさ・響きは、無条件に全ての感覚を変化 させていくのです。 幸せの感覚、喜びの感覚も、そして悲しみや辛さの感覚も、 その後ろにひらかれている無限の可能性を感じていれば、人は 意識しなくても光の方向にハンドルを切っていくようになるの です。 同じ問題にぶつかっても、闇を背負っていく道と、闇の意味 も知りつつ光の方向へ進む道とでは全くパワーが違うでしょ う?耳をひらくというのは、言ってみれば自分の感覚を全開に して、一番明るい光にチューニングできるようになる為の、練 習なのです。ですから、続けていくうちに、その人特有の反応 パターンとか、過去の経験から生じている感覚の曇り、ひずみ などが少しずつ取れて、全ての感覚のレンズがよりバランスよ く透明なものになっていきます。 ♪感覚を全開にすると、﹁知らない空間﹂への旅がはじまる すると意識の中心から出る音といっても、最初から透明と ̶̶ は限らない? そうですね・・・音にはそれを発する人の意識のすべてが乗っ てしまいます。お料理でも﹁お母さんらしい味﹂とか﹁メリー さんらしいシチューだね。﹂というように、あらゆるものに人 の意識が乗るでしょう。しかも音の性質はきわめてシンプルで きるのも、全てに﹁意識の筋力﹂がいります。新しい空間が開かれ る度、響きの音色やインパクトは変化し、よりいっそう精妙でダイ ナミックになっていきます。限りがないんですね。それは﹁幸せを 感じ続ける力﹂を養うレッスンといってもいいかもしれません。 音によって意識空間の旅を続けていると、ついにその人の奥のエ ネルギーが動き出す時がやって来ます。響きの質が違うものになり ます。意識の奥行き空間を統合した人の響きは、人々の奥にもしっ かりと届く。どういったらいいのか、現象の背後にある奥行きが、 合わせ鏡のように映しこまれ、人を開いてしまうのですね。思い込 みではなく、実際のエネルギーが動き始めます。そこには中途半端 な曖昧さがなく、はっきりとしたその人の宇宙が生き生きと現れ、 動き、その宇宙空間がその人を運んでいくようになります。 ♪ 新たなオクターブの時代 すごいですね。音というのは、人間の意識とそれほど密接に ̶̶ 関わっている・・・ そうなんです。音はまさしくエネルギーそのもので、意識空間の 反映なのですね。私も自分で体験しながら少しずつ理解していま す。・・奥は本当に深いです。 毎回レッスンをする度に思うのですが、本当に不思議なくらい、 みなさん一人一人違います。開くのは本当にその人の宇宙なんだな、 と感じますね。人は誰でも日々、何らかの空間を持って生きていま す。でも、その人の意識空間の中心に光の柱が立ち、動き、いきい きとした宇宙が育っていくのを見ると、本当にすばらしく感動しま す。人の状態は千差万別です。光の柱を立てる必要のある人もいれ ば、柱は立つ方向にはあるけれど、その生かし方や動かし方、つま り空間を楽しむことを学ぶという人もいる。人は長い旅をしてここ まで来て、これからもまた旅をしていきます。今私たちは進化の節 目にいるのではないでしょうか。 音のハーモニーは、私たちの内側に新しい未来をひらいてくれる と思います。ルドルフ・シュタイナーが今から約一世紀ほど前に﹁人 類はまだオクターブを見いだしていない。だが将来、人はオクター ブ感覚を通して高まり、新たな自我を発見するだろう﹂という意味 のことを言っています。そして、大事なのはその言葉ではなく、そ こで感じられるものだ、と。 すから、その人の意識が硬くなっているところ、意識全体をま わすのに引っかかっている部分もはっきり表れやすいのです。 ましてハーモニーは響き合いですから、共鳴作用の性質上、人 の意識の奥に大きな影響を与えます。たとえば、もし発信者に てしまいます。 ゆがみ があれば、聴く人はそのゆがみも一緒に受け取ることになっ それは感情ブロックのようなものですか。 ̶̶ 感情のブロックはだれにでもあります。感情がある方向に縛られ ているとしたら、確かに苦しいですね。でも、その苦しさから人は 学ぶのですから、それは大切な試金石なのです。ところが、ありの ままの自分を見たくない為に、苦しい部分を覆い隠そうとすると、 問題の質がちょっと違ってきます。自我が肥大化して、表面の意識 と深い意識とを両方ひっくるめた、大きな﹁全体としての自分﹂を 感じられなくなり、エネルギーがまわらなくなってしまう。 自分ではいいと思っていても、意識の焦点がブレて絞り込みが出 来なくなると、少しずつエネルギーの空洞化が進行し、虫に食われ た大木のように、ある日突然倒れてしまうかもしれません。その経 験を、メッセージとして学ぶという方法もありますが、﹁私﹂とい う個の意識を満遍なく回す為には、無意識の中にあるものを微細に チェックし、意識化していく必要があるでしょう。そこで本来の全 体性を取り戻して初めて、﹁楽しく生きる!﹂という素地ができる のではないかと思います。 ただハーモニーを楽しめばいい、という訳ではないのですね。 ̶̶ もちろん楽しいに越したことはありません。究極的には楽しむ為 にやっているのですから。︵笑︶でも、楽しければ良いというもの ではなく、ここが妙味というのか・・・。 自分を透明化していく作業は、はっきりいって、結構しんどいも のです。感覚の癒着があるとき、つまり意識が透明に向かっていな いときには、発する音も思い込みの強い音になります。 自分の感覚を全開にして聴きつづけると、﹁知らない空間﹂への 旅が始まります。表面の意識を超えて、自分の知らない空間へ向か う。そこはその人のすべてを含む空間で、まさに﹁その人の宇宙﹂ なのです。 ふだん知っている自分の空間から、より精妙な、知らない空間へ 旅するときには、正しい﹁羅針盤﹂が必要です。漏斗︵﹁じょうご﹂ ・ 又は﹁ろうと﹂︶ってありますよね。漏斗が逆さになったような形 を想像して欲しいのですが、そのひとの意識空間の中心だけが限り シュタイナーの予言したその時代が。今現実に到来している ̶̶ のでしょうか? ええ、音の響きが導くところは、私たちの全感覚がひらかれてい く道をはっきりと示しています。あらゆる感覚が、フラクタルで、 精妙で、透明になり続けていく、という・・・。 だれでも自分の器に合ったエネルギーを動かせばいいのですら、 とてもシンプルです。自分を萎縮させるのでもなく、誇大妄想を抱 くのでもなく、目先のプラスやサクセス・ストーリーにとらわれる こともなく、大切なのは、一人ひとりの魂の課題がしっかりと地に 足を着けて果たされていくことではないでしょうか。ちいさな望み をもつべきだ、というのではありません。人の心の、ぶれない空間 の動きが広がっていけば、おのずと魂が共鳴しあい、時空を超えて 共振作用と増幅作用を起こし、一人では到底出来ないような事柄ま で動かす可能性があるのです。 その人の魂まるごとのエネルギーが動いてしまうことは、じつに パワフルに愛を生きていることになるでしょう。実際に愛のエネル ギーがどのように自分の内側にあり、それがどう事実を動かし、広 がっていくか、その形は一人ひとり全く違います。エネルギーは法 則なので、正直で正確です。とても神聖で、とても普通です。意図 的ではなく、何一つ特別ではなく、そして、人の奥をグーッと深く 動かすのです。 自分の光の柱がゆるぎないエネルギーとなり、それを立たせ続け る道は、決してたやすいものではありません。でも楽しみなことに、 生きる現実の道がそのプロセスを実証してくれるのです。 2005/ 私たちはいったいここで、何を選び、学び、遊ぶのでしょうね。 ︵ナチュラル・スピリット社 vol. 15/StarPeople of Earthイ / ンタビュー記事より spring 企画・取材 津賀由起子 文・構成 秋田幸子︶ ナ © チュラルスピリット社 響奏の吟遊詩人 鍋島久美子 禁無断電子化・転載・転送・頒布 響奏の吟遊詩人 http://wing-of-wind.com
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