言語文化研究 講座 勉強会 第5回フィレンツェ・ルネサンス(2) <ボッティチェリとその時代:新プラトン主義および時代背景> 有力市民とマルシリオ・フィチーノ 1 *本稿は 2015 年 6 月 27 日まで渋谷 Bunkamura にて行われている、<ボッティチェリトルネサンス フィレンツェの富と 美>展に際し、内容を部分的に補足し、当時のフィレンツェを支えていた価値観、アカデミア・プラトニカとプラトン主義 (新プラトン主義)の影響を補足し、考察するものである。加えて、参加者との質疑応答、対話を通じて理解を深めようと するものである。(佐藤和泉) 展覧会サイト:http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_botticelli/ 1) 個人の能力 神 神々 英雄 キリスト教の罪と罰 ダンテ『新曲』(天国編・地獄篇・煉獄編)の煉獄から 能力と知への憧れ 「人間」という概念:我々は通常、「努力すればうまくなる」「才能を伸ばす」といった言葉・表現を用いそれはごく自然の ことのように思っている、しかしそれは学芸復興(リナシメント)以前では必ずしもそうではなかった。ではいかにして人々 の考えに浸透していったのか。 「神は生まれ落ちる魂に次のように力を与えられる。(略)神から与えられる七つの贈り物を、我々の誕生のさいに魂と肉 体の中にしっかりと植え込むのであり、その仕事の手助けをするのが、贈り物と同数するダイモーン、天上の神々と人間 の間の仲介者なのである。」(『饗宴註解』第4章 P.137-138) 「七つの贈り物」についてフィチーノは次のように言う。 「この贈り物にはいろいろあるがその中でも特に大切なのは次の七つである。」 1 鋭敏な静観力、 2 指揮能力、 3 勇敢さ、 4 とぎすまされた感覚力、 5 炎のような愛、 6 巧妙な解釈力、 7豊かな生成力。 フィチーノによればこれらははじめ神自身の中にあったが、次に天使と呼ばれもする、七つの惑星の動かし手の七人の 神々に一人ずつ与えられた。(プラトンはこれらの能力を神を根拠にはしていない、(有、イデアがそれぞれあり、それら すべての上にあるのが「善そのもの」である。フィチーノはこれを神々、惑星、天使と結び付けており、特に神々、天使に Hanata-Gijyuku 言語文化研究 講座 勉強会 第5回フィレンツェ・ルネサンス(2) 加えて惑星を重視するのがルネサンス思想の特徴でもある。つまり、例えば、『勇敢さ』とは「勇敢さのイデア」が欠ける もののない状態であり、人間にはその程度はともかく、「勇敢さ」が「分与」されていると考えるのがプラトン思想・あるい はプラトン主義である。我々は、時間、空間、肉体など有限な存在であるため、完全な「勇敢さ」「完全な知」には至らな い。(もし想定できても、それは有限な存在者が想定したかぎりのものである。) 2 フィチーノ思想ではこれらは、神々の能力というよりも惑星の能力と捉えられる。以下にみてみよう。 「静観力を土星(クロノス)は土星のダイモーンの手をかりて人間に植え込み、また指揮する力や命令する力を木星はダ イモーンの力をかりて、魂の勇敢さを火星(アーレス)は火星のダイモーンの手をかりて、預言の力の源になる研ぎ澄ま された感覚力と判断力を太陽(アポローン)は太陽のダイモーンの助けをかりて、金星(アフロディーテ)は金星のダイモ ーンの助けによって愛を人間に吹き込む。水星(ヘルメース)は、表現力と解釈力を水星の仲介者の手をかりて人間に 与える。最後に、月(アルテミス)は月のダイモーンを助手として生成力を人間に授ける。このように、ダイモーンたちは 神の力をすべての人に与えるのであるが、懐妊時と誕生時の天の配列加減で、一つのダイモーンの働きかけだけをと くに強く受ける人も出てくる」 今日で星座と性格づけなどは見られるがこの頃の名残であろう、重要なのは、こうした能力を人間だれしもが生まれた 時に能力を与えられているとみなす考え方である。 (個性、特性、才能、能力は gift とされるのはこのためである) 「どの力も神からの贈り物なのだから、立派なものであるには違いない。しかし我々(人間)がそれをあまりに乱用しすぎ ると(適度でない力の運用)、醜いとしか見られかねない。このことは、特に、指揮する力や勇敢さ、愛、生成力の場合 問題となる。(有力者たちへの忠告か)」 ( )内は佐藤による。フィチーノはプラトンの「適度」(「ピレボス」での問題提起)とアリストテレスーホラーティウスらの「中庸」を 「調和」させようとして「均衡の哲学」を提唱していた。 『饗宴註解』(In convivium Platonics de Amore)が書かれたのは 1469 年 7 月(フィチーノ記)である。 これ以降、絵画主題にギリシア神話の神々が描かれてくる。それ以前には、ギリシアの学芸(自由学芸)や神話は「異教 的」とされていた。有力市民が自治国家を形成していたフィレンツェはこうしたことが可能だったが、他の地域ではギリシ ア・ローマ的なもの、学術、科学は認められていない時代である。フィチーノ自身も自身の著作では注意を払っており 慎重である。 2) なぜマルシリオ・フィチーノはボッティチェリ展の年譜にのっていないのか、しかしそれは正しいのか。 フィチーノは「芸術は模倣である」としてあまり重視していなかったという説のためか、美術史ではそれほど重視されてい ないかのように見える。このことは特にわが国では顕著であり、それはフィチーノの翻訳が 2 冊のみ出版されるにとどま っている現状からも窺える。実際に彼の意図を読解しようとするならば、古代から中世、あるいはアヴェロエス主義、ヘ ルメス文書等、そして聖書の知識まで膨大なものを必要とする。(なお、本展の図録、画家紹介の項のボッティチェリ紹 介の項には修辞学者ポリツァーノの名とともに哲学者マルシリオ・フィチーノに少々言及がある。) しかし、フィチーノが著作で述べたことは、同時代から後の世界へ影響を与えることが多く見受けられる。一例を見てみ よう。 Hanata-Gijyuku 言語文化研究 講座 勉強会 第5回フィレンツェ・ルネサンス(2) <視覚>について 「若き日のプラトンが書いた『パイドロス』『メノン』『パイドーン』によれば、理念は壁に描かれた絵のように、魂 の基体の中に描きこまれているということになるらしい(略)プラトンが一番詳しく語るのは『国家』第6巻におい てである。すべての知の原因である知性の光は、すべてを作ったあの神のものと同じなのだと。(略)太陽と目 の関係は神と知性の関係であると述べる。(略)視力は自分だけでは永遠の闇に覆われたままで何の働きもで きない。万物にその色彩と形を与える太陽の光が射し初めた時、初めて目はその光の中に万物の形と色彩 を見るのである。このときでも目が見ているのは光だけである。(略)たしかに、目が見ているのこの光は物体 からの反射光であり、光の源泉である太陽にあった時のままの純粋な光ではない。これと同じやり方で神は 魂をつくり、魂に知性、すなわち知力を与えたのである。(略)光が射しこんだとき、知性は、その光の中に万 物の理念があるのを見てとる。」(第13章 176) 「そこで生命を浄め、心を込めて学問をした魂は、望むときにはいつでも、この光(イデアと理念を含む真実 の光)を見つめ、イデアのきらめきを身に浴びることができるのである。」 (マルシリオ・フィチーノ In convivium platonics de Amore Commentarium 饗宴註解) *ルクレティウス 『物の本質について』視覚を目の光と呼ぶ。意志が加わり「視る」ことが可能。 フィチーノは、感覚の快楽のみにとどまり、思慮的でなくなることに対して忠告を与えていたのではないか。 思想史: 註解(コメンタリー)の普及と有力市民たち・ギルド(パトロネージ/作品の注文主)への影響 『饗宴註解』とサンタ・マリア・ノヴェッラの東西公会議(初)1439 年フィレンツェ公会議以前には、地獄および煉獄を描 いた絵画が多い。しかしながら、<東方三博士の礼拝>(ボッティチェリ ウフィツィ美術館 本展では習作 59 1475 お よび 58 コジモ・ロッセリ(1470 年ごろ)もっとも有名なものはメディチ・リッカルディ宮 ゴッツォリによるロレンツォ・イル・ マニフィコ誕生祝いの壁画)の主題が増え、天使がより多く描かれ(ボッティチェリ 本展 62,<受胎告知>(1481/フレス コ) <聖母子と二人の天使 洗礼者ヨハネ>(1468) 本展では<ヴィーナスの習作>が出展されており、製作年は 1482 年頃である。同じく出品されている<受胎告知>ザ ーノビ・ストロッツィの作品は 1453 年である。 プラトン主義と新プラトン主義(アレクサンドリア派)が西ヨーロッパつまり Firenze の市民階級と上層市民階級に浸透 すると、ローマの英雄たち、ローマ神話、ギリシア神話が描かれるようになっている。ペスト流行など時事、政体なども考 慮することが重要であるが絵画彫刻作品および建築などを観る場合は制作年代だけではなく、当時出版されたおもな 書籍をともに考慮することが重要である。 また年譜にはローディの和(1454 年 フィレンツェ共和国、ミラノ公国、ヴェネツィア共和国、ローマ教皇国、ナポリ王 国)が記述されていないが、周辺コムーネとの戦争を和睦協定した 50 年間のみ、ルネサンス文化が隆盛したことは重 要な点であろう。 3) ピコ・デッラ・ミランドラとサヴォナローラ 特にサヴォナローラを重くみる向きは、フランスの思想家・歴史家に顕著である。実際にはサヴォナローラのとった 政治は神権政治であり共和制とは異なるものだが、どうやらフランスでは大革命を前提的肯定としてみなすために、 メディチ家の時代を独裁と捉える向きがあるためである。しかし実際の独裁とは異なるのであり、こうした観点を容易 に受け入れることはできない。ピコについては第1回 2 月 14 日回でも扱った。 Hanata-Gijyuku 3 言語文化研究 講座 勉強会 第5回フィレンツェ・ルネサンス(2) 多数の有力市民とギルドで成り立っていた時代がプロト・ルネサンス(マザッチオ・ブルネレスキ、ドナテッロ)からギ ルランダイオの時代だとそれば、ボッティチェリは、修業時代を大工房時代で育ち、親方(画家)としては有力市民 のパトロネージを受けて“異教的”な<プリマヴェーラ>や<ヴィナースの誕生>を描いた。これらはメディチ家のヴ ィラ(別荘)にあったためにサヴォナローラ時代でも喪失しなかった。他方、ロレンツォ・イル・マニフィコ死後は、サヴ ォナローラ神権政治となり、いわゆる「ルネサンス的」主題テーマは少なくなる。 しかしながら、重要なことは、ルネサンスが単に古代憧憬やギリシア・ローマ・異教的テーマの傾倒ではなく、むし ろキリスト教信仰を前提にしているがゆえに「神的なもの」「普遍」をもとめ、諸科学の復興に意欲的であったと考え られる。マルシリオ・フィチーノは彼自身「敬虔な哲学」と提唱していた。 なお、ボッティチェリ展の年譜や解説には、「新プラトン主義者の哲学者」とあるが、ピコはよりアリストテレス主義に 近づいていった。もっとも新プラトン主義の哲学は、プラトンとアリストレスは矛盾しないという考えに基づく。 ピコの主著では「人間は努力および才能を伸ばせれば人間でありながらも神の領域に近い天使たちの知の領域 に近づける(上昇・潜勢力⇒可能態/アリストテレス哲学の解釈)」と考えていた。 アリストテレスとプラトン主義の結合、アレクサンドリア学派(新プラトン主義)の結合が広く浸透したこことは、ルネサ ンス時代の文化、美術、芸術、自然科学と技術(建築・医学他)の原動力が何かを考えるきっかけになるだろう。 4) 自由意思 と 運命観 本展 28<バーリの聖ニコラウスの奇跡>(1425 年)に注目してほしい。 海上での事故、嵐での航行は当時も大きな問題であった。ウフィツィ美術展(東京都美術展 2014)では、海上の災難 (自然の力がつよく、人間が抗い克服することが困難とされる最たるもの)は、帆を持つ女神像で表わされる。これは、人 間の知恵と努力次第では運命は克服可能であるという考えであり、もっとも顕著にそれが書かれたのはマルシリオ・フィ チーノがルッチェライに宛てて書いた手紙である。(第1回 2 月 14 日の資料に記載。) (ルッチェライ家もまた有力者で本展の税金納入額(カタスト)ではメディチ家、ストロッツィ家などに連なって名前が出て いる、また、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面(ファサード)は幾何学を用いたデザインにするためにアルベルティに 依頼し資金を提供している家でもある。展覧会での映像でもルッチェライ家の名が登場する。 それに対して、1425 年は嵐で難破しそうになった船を助けるのは、聖人ニコラウスである。 天や神からの力に対しては人間は抵抗し知恵を用いて回避することは考えられていない。 またこうした主題全体からは、船旅の危険性だけではなく、危険の中に商品を届けるには人知を超えた力を必要とする ことを示す。 5)ルネサンス思想 フィチーノと音楽 Firenze とオペラ 『ピレボス註解』p.361 より フィチーノが芸術の中で重視したのは音楽であった。竪琴を引き、音楽についての記述も多く残している。ギリシア人 は 3 組のテトラコードを組み合わせて「小完全音組織」を考えた。ドーリア旋律を真ん中に、上下にテトラコードを配置す Hanata-Gijyuku 4 言語文化研究 講座 勉強会 第5回フィレンツェ・ルネサンス(2) る。4弦の場合は四季を当てはめて冬(高)と夏(低)ドーリア旋律を花々に満ちあふれた春と定めた」* 要解題 オルペウス 『賛歌(34) アポロン賛歌』 プラトン 『国家』531C 「彼らは耳に聞こえる調和(音)のなかで、(比例の)数を探究するが、どの数が調和するのか、 その数が調和しないのか、それはなぜか考察しようとはしないのだ」=音楽学は聴覚を頼りに計測しているのみでは成 り立たない。調和とはハルモニア(古代では1つの音を対象とするが、フィチーノ(現代も)は同時に響く複数の音を指す) 世俗音楽(教会音楽以外)でオペラの原型になったのは Firenze でメディチ家が婚礼の宴のために作詞作曲をさせ演 奏したことに始まるとされる。ポリツィアーノ、またロレンツォのソネットも残る。 本展 64<三声と四声のための歌曲集> 15 世紀末 フィレンツェ国立中央図書館 ロレンツォ・イル・マニフィコ時代 のもっとも美しい歌曲集「融合する秘めた力を音楽の中に見出す」268 曲 「フィレンツェの支配者たちの理念は、商業における実用主義と学識に裏付けられた 教養主義の融合から生まれているのである」(図録 p.150) 参考文献 マルシリオ・フィチーノ In convivium platonics de Amore Commentarium 饗宴註解 国文社 ジェイムズ・ホール 西洋美術解読辞典 ボッティチェリとルネサンス Botticelli and Renaissance in Florence 展覧会図録 Bunkamura 根占献一 「共和国のプラトン的世界」 創文社 マルシリオ・フィチーノ ピレボス註解 人間の最高善について Commentaria in Philebum Platonis:De Summo Bono 国文社 予備知識 *自由七科:Seven Liberal Arts 第一に哲学。文法、論理学、修辞学、幾何学、算術、天文学、音楽。 例)幾何学はコンパスを持ったユークリッド、算術はピタゴラス、天文学はアレクサンドリアのプトレマイオス等で表現. ・洗礼者ヨハネが多く描かれるのは Firenze の守護聖人がヨハネ Jhon the Baptist だからである (バッティスタ=洗礼者 人名にも多い Giovanni (伊)ジョヴァンニ・バッティスタ) キリストに洗礼を与えたので、キリストの先駆者か使者とみなされる ・年表(P128)1445 年 メディチ家のコジモ・デ・メディチ(イル・ヴェッキオ)が一族の邸宅用の建設のため数十件の家を 買い取り、ブルネレスキの設計案を却下とあるが、この却下された案がピッティ宮であるという近年の研究がある。ブル ネレスキ案が豪華すぎ、市民から反発を買うことを避けたい意図があったといわれている。最終的には、ミケロッツィ・ミ ケロッツォの案が採用されて現在のメディチ・リッカルディ宮となる。(いずれも公開中。) Hanata-Gijyuku 5 言語文化研究 講座 勉強会 第5回フィレンツェ・ルネサンス(2) *ルクレツィア・トルナブォーニは賢明な女性で、コジモ・イル・ヴェッキオが自らメディチ家に嫁ぐことを頼んだといわれ ている。ロレンツォ・イル・マニフィコの母である・トルナブォーニ家は現在もトルナブォーニ通りに名前が残る銀行家。 *フランチェスコ会と複式簿記 聖フランチェスコは清貧を唱えたがフランチェスコ会では真なる清貧とは何かを巡り議 論があり、現実的に無駄を省くことを考えるために複式簿記が生まれた。本展 20 「フィレンツェの「公益質屋」の金庫」 も社会反映の表れであろう。公益質屋は、イタリア各地に開設されていった。生活に逼迫した人々のために担保貸しを 経営上の必要経費のみに相当する低い利息で運営されていた。 ・大天使たちの見分け方 <受胎告知> ガブリエル部分 1481 年 フレスコ 1 ミカエル Midhael 武装している 剣を持つ ユダヤ民族の守護天使 起源は古代ペルシア 盾と剣もしくは槍をもち鎖帷子 人間の魂を計り、正当な報いのために探る役割 最後の審判での役割 天秤 2 ラファエル Rapael 守護霊特に若者を守護する天使 旅の身なり 杖 トピアス(魚を持つ)の守護 3 ガブリエル Gabriel 予知 告知するもの 百合を持つ 神からの使い 誕生を告げる コーランにも登場(コーランではジブリール) 百合の紋章のある笏(しゃく)を持つこともある Ave Maria (アヴェマリア=マリアよおめでとう) ・天使;大天使がもっとも位階が高いわけではない。偽ディオニシオス・アレオパギタによれば 1 熾天使 (セラピム)智天使(ケルビム) 頭部のみ1対もしくは2対3対の翼のみの姿 天で神を取巻 2 主天使 力天使 能天使 3 権天使 大天使 天使 の3階級からなる9種(9隊)である *ミカエルら先の大天使たちはこの3階級目であり、3階級目の大天使 天使は人間にときに接触する *力天使は赤いバラか白ユリを持つ 主天使は冠をつけている 能天使は鎧をつけている *神の意志を伝え実行するもの ギリシア・ローマでの神々ではメルクリウス(ヘルメス)がユピテルの使者 *東方由来のためビザンチン美術に多い *性別はない(肉体も持たないが視覚化したのが絵画彫刻)しかし、バロック 時代になるとプットー(子ども)と同一視されることも増える、フランス・ドイツでは時代が近代に近づくと天使は女性化する 傾向。天使をビザンツ様式で描く復興をしたのがバーン・ジョーンズらイギリス・ラファエル流前派画家の一部 天使の役割 ⇒ 告知者、義人の庇護者、罪人の処罰 (守護天使崇敬は16-17世紀から) Hanata-Gijyuku 6 言語文化研究 講座 勉強会 第5回フィレンツェ・ルネサンス(2) 7 *教養とは 「フマニタスは大きく三分類される。 (Ⅰ)パイディア (Ⅱ)カロン (Ⅲ)フィラントロピア ラテン語に相当する語を求めるなら、教養・学識を意味する (a)ドクトリナ (b)優美・上品を 現わすレポス、共感・同情の意の(c)ミセリコルディアということになろう。 フマニタスはこうして一に教育・学習的、二に審美的、三に社会倫理的な意味合いを持つ。」 (根占献一 「共和国のプラトン的世界」P32-33) プラトンはそれぞれをテーマにした対話篇を書いている「メノン」「パイドロス」「饗宴」「ピレボス」等 レップブリカ(共和国・共和政)あるいは、今日的意義としても、成熟し持続可能な社会には教養(フマニタス)は人が生 きているうえで必要とされる要素なのである。 佐藤和泉 (さとう いずみ) 日本イタリア学会会員 / 慶應義塾塾員 文学部卒業哲学学士 西洋思想史:ルネサンスにおけるプラトン主義、新プラトン主義受容 美術史研究。 花田義塾 英語・小論文科 Web 広報企画 言語文化研究・企画運営 Hanata-Gijyuku 言語文化研究 講座 勉強会 第5回フィレンツェ・ルネサンス(2) 参考図版・資料:晩年のボッティチェリ <アペレスの誹謗> ボッティチェリ 1495 年 ウフィツィ美術館 ≪無実≫の髪を曳き≪不正≫の前に引きずり出す≪誹謗≫の擬人像 ≪憎悪≫の擬人像である黒衣の男 ≪欺瞞≫と≪嫉妬≫の擬人像は≪誹謗≫に付き従っている ロバの耳をしたミダス王に扮する審問官≪不正≫ ≪猜疑≫と≪無知≫の擬人像に耳打ちされ≪無実≫を断罪 天を指差し上を仰ぎ見る裸体の≪真実≫を忌々しそうにみるのは黒 衣の老婆≪悔悟≫ <神秘の降誕> ロンドン・ナショナルギャラリー 1501 年 ”私アレッサンドロはこの絵画を 1500 年の末、イタリアの混乱の時代、ひとつの 時代とその半分の時代の後、すなわち聖ヨハネ第 11 章に記される 3 年半の間 悪魔が解き放たれるという黙示禄の第 2 の災いの時に描いた。そして悪魔は その後、第 12 章で述べられるよう鎖につながれこの絵画のように≪地に落とさ れる≫のを見るのであろう“ と自らギリシア語で書いている。また唯一制作年 が記されている作品。 弟子フィリピーノ・リッピによる師ボッティチェリの肖像 カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂 英語版(ペンギンブックス)ヴァザーリ芸術家列伝の表紙となっている。 Hanata-Gijyuku 8 言語文化研究 講座 勉強会 第5回フィレンツェ・ルネサンス(2) 9 フラ・アンジェリコ <受胎告知> フラ・ベアート・アンジェリコ(フラは修道士 ベアートは福者) ”天使のような修道士” フィリッポ・リッピ <受胎告知>1440-1442 年頃 175×183cm | テンペラ・板 | サン・ロレンツォ聖堂 *絵画史上初めて描かれた透明な水差し(静物画)としても言及される Hanata-Gijyuku 言語文化研究 講座 勉強会 第5回フィレンツェ・ルネサンス(2) 言語文化研究 講座 勉教会 第5回 フィレンツェ・ルネサンス ボッティチエリとその時代 (2) 10 次第:講座勉教会参加者に、課題を3つ提示、要提出 当日または 6 月 13 日迄。 午前 11 時―13 時 東急 Bunkamura にて「ボッティチェリ展」を鑑賞 13 時 20 ごろより 110 分 Café LES DEUX MAGOTS PARIS (カフェ・ドゥ・マゴ)にて、レジュメ・資料に基づき講座・卓話。一時解散 17 時より懇親会 ブリティッシュ・パブ Hub 原宿店:ブリティッシュ・コース (実施後記) Hanata-Gijyuku
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