秋田市下水道の歴史遺産 - 全国上下水道コンサルタント協会

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き
し
歴史遺産
い
さ
ん
秋田市下水道の歴史遺産
~秋田市の下水道の歴史~
秋田市上下水道局理事
奈良 正右衛門
■1.はじめに
秋田市は、
日本海の秋田県沿岸中央部に位置し、
古くから穀倉地帯として、また北前船の寄港地で
ある日本海側物流の要所として栄え、現在は県都
として県内の行政や経済、文化の中核を担ってお
ります。
また、豊かな自然や地域独自の伝統文化に恵ま
れて、春は佐竹二十万石の居城、久保田城跡であ
る千秋公園での観桜会、夏は東北三大祭りの一つ
■2.秋田市下水道事業のあゆみ
に数えられる竿灯祭りや、国指定の無形民俗文化
今回は「秋田市下水道の歴史遺産」ということ
財・土崎神明社例祭(土崎港曳山祭り)など、人々
でお声かけ頂き、折角の機会でもありますので、
のエネルギーを爆発させる祭りがあり、秋は全国
本市で「古文書」として保管している「秋田市下
有数の米どころならではの新米や様々な秋の味覚
水道」をひもときながら、本市下水道行政のあゆ
を味わい、冬は雪に閉ざされながらも、ぼんでん
みなどをご紹介させていただきます。
祭りなど多彩な小正月行事がありと、四季折々の
旧藩時代の秋田市周辺一帯は、平坦で自然勾配
表情を感じることのできる都市であります。
による排水が出来ないため、いたる所に湿地や沼
写真-1 秋田市の町並み(千秋公園・久保田城御隅櫓より)
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図-1 昔の「秋田市の下水道」冊子(昭和 15 年頃刊行)
「…地整ト地形ニ準ジ大小悪水路ニ依リテ主トシテ旭川ニ放流セシメタルモノナルガ
…~…地勢概ネ平坦ナル秋田市ハ溝渠排水ノ自然流下勾配ヲ得ルコト困難ニシテ下
水流通ニ便ナラズ…」との記載がある。
地が散在しておりました。これは、山形、宮城、
期には産業活動の進展や生活様式の多様化に伴
岩手の3県境を源とし、市街地を貫流し日本海に
い、公共用水域の水質汚濁が大きな社会問題とな
注いでいる雄物川と、その河口付近で合流してい
っていました。
る太平川、旭川などが、洪水のたびに流砂沖積や、
そこで、水質保全の観点から、本格的な処理計
河床移動を繰り返しながら、長い年月をかけこの
画を定め、昭和40年から八橋終末処理場やしゃ集
ような地勢になったものと思われます。
管の建設に着手し、昭和45年から同処理場が運転
このように秋田市は、雄物川の三角州に広がっ
を開始しました。八橋終末処理場の稼働により、
た肥沃で平坦な土地が多いため、自然流下がやや
旭川を始めとする河川への直接放流が減少し、公
困難な地形となっており、旧藩時代から明治、大
共用水域の水質は大幅に改善されました。
正、昭和の初期にかけて、生活排水の滞留腐敗や、
その後、広域的な面からの河川や湖沼等の水質
悪臭が発生する事があり、降雨時には市内低地部
汚濁防止に効率的な下水道の整備を図るため、昭
が氾濫し、伝染病もたびたび発生するような状況
和48年に秋田県によって流域下水道整備総合計画
もありました。
が策定され、特に水質汚濁が進んでいる「秋田湾・
このため、大正 15 年、市議会の承認を得て下水
雄物川流域下水道臨海処理区」について、昭和 50
道事業に着手し、第一期工事(昭和7年~昭和 12
年から2市12町1村を対象に事業着手することに
年)として、市中心部の下水道整備に着手したの
なり、本市では、昭和 51 年4月に流域関連公共下
が、秋田市の下水道のはじまりとなっております。
水道臨海処理区の認可を取得し、単独公共下水道
その後、第二次世界大戦による事業の中止をはさ
八橋処理区と合わせて下水道事業の促進を図りま
みつつ、昭和 40 年度までに約 1,150ha、総延長
した。平成 25 年度末における普及率は 97.2%(内
107,648 mの下水道の整備を行っております。
下水道普及率 91.4%)となり、秋田県・全国平均
しかし、図-2の当時の竣工平面図からもわか
を上回る結果となっており、これまで下水道事業
るとおり、終末処理場を有さず、下水道の放流先
に携わった多くの関係者の努力の成果と考えてお
が主として河川であったことから、高度経済成長
ります。
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図-2 「秋田市下水道竣工平面図」
第一期、第二期施工分(昭和7年度~昭和 15 年度)竣工平面図
■3.建設から維持管理の時代へ
ら平成 29 年までの5カ年計画で約 10km の長寿命
化事業を実施しているところであります。しかし、
前述のとおり、本市の普及率は 95% を超え、ま
この事業ペースでは昭和40年度までに布設した管
さに維持管理の時代となっておりますが、昭和の
渠の更新に50年以上を要することから、早期に次
前半にかけて整備した下水道管は、図-3の「下
期長寿命化計画を策定し、事業をさらに加速した
水道ノ構造並形状及材料」にあるように、陶管を
いと考えております。
材料選定し布設したものが多数あります。現在、
また、合流改善事業については、平成 17 年度か
老朽化した陶管の管ズレや破損に起因する道路陥
ら着手し、分水人孔堰の嵩上げ、夾雑物除去装置
没や管渠閉塞などが多発し、維持管理上の課題と
の設置、雨水貯留施設の設置および雨水幹線の整
なっております。
備などを行い、平成25年度をもって事業を完了し、
このため、
平成7年度から平成9年度にかけて、
公共用水域の水質・環境改善に効果をあげており
約100kmの合流式下水道地区でカメラ調査を実施
ます。
し、平成8年度から秋田市単独費による布設替え
このように、先人達が整備した下水道について
および管更生による改築事業を実施しておりま
も、
「老朽化対策」と「環境対策」を推進し、分流
す。その後、平成19年度から平成21年度まで同地
式下水道地域と同程度の「安全で安心な下水道」
区において、2回目のカメラ調査を実施のうえ、
を目指しております。
「秋田市長寿命化計画」を策定し、平成 25 年度か
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図-3 「下水道ノ構造並形状及材料」
内径五寸、七寸五分、一尺、一尺二寸五分など、陶管に関する基準の記載があります。
■4.おわりに
これからも “ 未来のあるべき秋田市 ” を念頭に、
「今、秋田市の歴史を作っているんだ」という意識
汚水処理事業においては、今後おとずれる人口
を職員一人ひとりが持って、下水道事業を進めて
減少社会の厳しい経営環境の中、安全・安心・安
いくことが大切なのではないか?と考えておりま
定した下水道サービスを市民のみなさまへ提供し
す。
ていくためには、効率的な施設や管きょの改築更
今回は、秋田市の下水道事業の歴史について、
新、農業集落排水事業の統廃合、民間活力の導入
広く PR する機会をいただき大変ありがとうござ
など様々な取り組みが必要であります。しかし、
いました。
事業や整備手法は変わっても、汚水処理は継続し
ていかなければなりません。
追伸 秋田市は、自然に恵まれ、おいしいお酒
顧みれば、若かりし頃、最先端の技術として導
や海の幸、山の幸が豊富な城下町であります。
「お
入・実施し、技術者として充実感を感じた諸々の
もてなしの心」で全国からのお客様をお待ち致し
技術が、そのまま本市のみならず各自治体の下水
ておりますので、機会をつくって是非おいでいた
道の歴史遺産となっている、と感じております。
だければ幸いです。
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