2015年ネパール地震から 1 か月の被災地事情(速報)

【2015/06/15 速報】
2015年ネパール地震から 1 か月の被災地事情(速報)
静岡大学防災総合センター 岩田孝仁
・調査メンバー
岩田孝仁(静岡大学防災総合センター
教授)
小野田全宏(特定非営利活動法人 静岡県ボランティア協会 常務理事)
木村拓郎(一般社団法人
マハラジャン
・調査期間
減災・復興支援機構
理事長)
ナレス(ナマステ・ネパールしずおか 会長)
2015 年 6 月 5 日~10 日(11 日帰国)
・主な訪問地、訪問先
カトマンズ市、パタン市、ヌワコット郡トリスリー、ゴルカの被災地
トリスリー診療所、ゴルカ女性自立支援施設、カッポン学校、
首相官邸、JICA ネパール事務所
1.はじめに
2015 年 4 月 25 日に、ネパール国の首都カトマンズ
北西約 77 ㎞、深さ 15 ㎞を震源とするマグニチュード
7.8 の地震が発生した。震源域はカトマンズを含む東西
約 150kmに広がる。5 月 12 日には震源域の東端付近
を震源とするマグニチュード 7.3 の地震(広い意味での
余震)が発生した。ネパール国首相によると、この一連
の地震による死者は 9,000 人に及ぶという。今回の地震
は、ネパールや隣国インドのビハール州で 1 万人以上が
犠牲となった 1934 年のマグニチュード 8.2 の地震以降
で最大の被害地震となった。
地震から 1 か月が過ぎた現地の情勢や復旧・復興の方
針などについて調査を行った。
注 1)ネパール連邦民主共和国:人口約 2,659 万人、面積 14.7 万㎢、首都カトマンズ
2.被害状況
(1)カトマンズ盆地(カトマンズ市、パタン市)
①世界遺産構成施設など
煉瓦と石と木材で造られていた歴史的な建造物や
世界遺産の寺院などの多くが大きく損傷している。
カトマンズのダルバール広場の旧王宮や寺院建物群の多
くがかなり激しく損壊している中、クマリの館がほぼ無傷で
残っており、地元の人は神が守ったと話している。倒壊した
シバ寺院のガレキ跡には避難者が早速テント2張で生活す
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るたくましさがある。
旧市街の中心にそびえていた煉瓦造のビムセンタ
ワー(高さ 52m)は倒壊し、塔に登っていた 40 名が犠牲
となった。
カトマンズの西郊外の丘の頂上に建つネパール最古
の仏教寺院スワヤンプナートでは、仏教寺院の白いス
トゥーパはほぼ無傷であるが、周囲に同居するヒンズ
ー教寺院群や宿泊所かなり激しく損傷している。
ガンジス川の支流、パグマティ川の川岸の火葬場で
有名なパシュパティナート(ヒンズー教寺院)では、寺
院本体の損傷はさほどではないが周辺施設の一部に大
きな損傷が見られる。
パタンのダルバール広場の旧王宮や寺院もかなり
損傷している。カトマンズのダルバールとの大きな違
いは、地震後、ネワール人の住民を中心に広場のガレ
キが撤去され、きれいに片づけられていた。
②住宅街
旧市街の住宅街の多くは、細い路地の両側に間口が4m
から 5m ほどの中層(4 階から6階程度)の建物が密集して建
てられている。無筋の煉瓦造の建物も多くみられるが最近
の建物は断面 25×30 ㎝程の鉄筋コンクリートの柱と梁を
軸として壁は煉瓦で固め、表通りに面した壁はモルタル仕
上げとする工法が一般的である。
最初に 2 階建ての建物を作り、その際、鉄筋コンクリート柱を上
に伸ばしておき、資金がたまると上層階を積み上げていくのが一般
的のようで、こうして積み上げられた 6 階、7 階建ての建物もみら
れる。
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隣家の壁とは互いに接しているため、無筋の煉瓦造や石造り
建物など、構造や階高、強度の異なった建物が接して混在して
いる。所どころで弱い構造の建物が崩落し、傾いた建物は政府
が通路側に倒れないよう材木で筋かい丈に支える補強工事を応
急的に行ったとのことである(住民談話)。
伝統的なネパール風建
築物である煉瓦造の耐震
化を図るため、鉄骨の柱
を煉瓦の中心に据えモル
タルで固めた補強柱を用
いる建設現場も見られた
(この現場は地震前から施
工されていたとのこと)。
③避難所
市内の空地は至る所にテントが張られ、多くの住民がテ
ントでの避難生活をしている。多くは家が倒壊したためで
あるが、中には余震が怖くて夜だけテント生活を送ってい
る者も多い。
カトマンズ市中心部のトゥンディケル広場はかなり大
規模な避難所で、約 5,000 人(内子供が 2,500 人)がテン
ト生活をしている。中国政府から支援された大型の家形テ
ント(所有は 2012 年慶門市と明記)が整然と張られてい
る。その他中国赤十字からのテントも見られた。
20 人以上が集まると家形の大型テントが支給され、20
人未満だとブルーシートと材木を組み合わせた自前の簡
易なテントで避難生活をしている。
訪問したテントでは、5 家族 25 人(必ずしも知人では
ない)が集まり大型テントで共同の避難生活をしている。
12 人のグループは大型テントを支給されないため、自前
でブルーシートと材木を組んだ簡易なテントで共同生活
を行っている。
食事は一日二回の配給があり、この避難所では震災直後
から 6 月半ばまではインド政府から給食支援が続けられ
ている。その他の支援として、韓国のサムソンはネットワーク支援として電話や充電器を提供し、
国際 NGO の World Vision は大型テントで就学児の支援を行っていた。5 月 30 日から学校が再
開したが、それ以前は就学児向けに学校代わりの簡単な教育プログラムをテントで行っていた。
World Vision はネパール国内の 28 箇所の避難所で同様の活動を行なっている。UNESCO のテン
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トでは未就学児の支援活動を行っていた。
仮設トイレは現在も増設中で、トイレ裏のトレンチに
汚物を流し、地中浸透させる構造とみられる。仮設トイ
レ横には給水所が設けられており、手洗いの励行の看板
も見られた。
大人は日中外に働きに出ているため、日中の避難所に
は子供たちの姿が目立つ。子供たちは学校再開(5 月 30
日)で、少し落ち着きを取り戻しているとのことであった。ネパールの平均寿命は 67.98 歳(WHO
世界保健統計 2012 年)とのことなのか、高齢者の姿はあまり見かけない。
④市民生活
電気は地震後 2 日目に回復したが、市民の生活が戻る
にしたがって電力事情が悪化し、日中から夜にかけての計
画停電が頻繁に実施されている。
街中の至る所に張られた被災者のテントは目立つが、物
流はほぼ平常通りとのことであった。車、バイク、トラッ
ク、バスがクラクションを鳴らす独特の喧騒の中、人々は何事もなかったかのように日常の生活
を送っているのが印象的である。
⑤地震動
地震の揺れはメルカリ震度階級で震度 IX がカトマンズで報告されている他、バラトプ
ルなどで震度 VIII が報告されている(“M7.8 - 34km ESE of Lamjung, Nepal”. USGS ホーム
ページ (2015 年 4 月 25 日). 2015 年 4 月 26 日閲覧)。しかし、カトマンズ市やパタン市内には、
無筋の煉瓦造建物や塀でも無傷で残っている構造物も結構多く見られ、必ずしも全てが
被害を受けているわけではない。地盤や基礎構造との
関連もあるが、一見した限りでは JMA 震度階級で震
度 Ⅳから震度Ⅴ弱程度(JICA ネパール事務所長も同
様の体感との証言)と推定される。
(2)中山間地(カッポン、トリスリー、ゴルカ)
①カッポン市
カッポン市はカトマンズ郊外の丘陵地で、最近急速に住宅が増えてきた地域
である。古い煉瓦造の建物は壁が落ちたり崩れたりしているが、比較的新しい
建物には目立った被害は見られない。この村には 1991 年に沼津商業高校 OB
会が 90 周年記念事業として学校を建設し寄贈している。現在の生徒数は 360
人、教員 21 人、幼稚園、小学校から高校まで 12 学年を抱える公立高校として
運営されている。丘の斜面の上(基盤はチャートの固い岩盤)に建つ煉瓦造 3
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階建ての学校であり、今回の地震で目立った被害はなかった。写真の緑マークは応急危険度判定
結果の表示(赤黄緑の内、緑マークは安全)。地震から約1週間後に政府から派遣されてきた建築
士が応急危険度判定を行ったとのこと。カトマンズ市内など主要な地域では地震後約2週間で学
校の応急危険度判定を終えたという。
②トリスリー市
カトマンズから西方に急峻な峠道を越えて陸路で約
70 ㎞、車で約3時間の所にあり街で、街道沿いの典型
的なネパールの街である。市の中心にはバザールがあ
り、周辺の集落を含め多くの住民が住む。石造りの建
築物が多く、道沿いの古い建物の多くは大破している。
比較的新しい建物では煉瓦蔵もあり、鉄筋コンクリート
のラーメン構造を取り入れた煉瓦造建物には大きな被
害は見られない。余震が怖くて夜は屋外で寝泊まりして
いる住民が大半である。政府からは 2,000 ルピーが配ら
れたとの話を聞く。
川沿いの公立学校(幼稚園から大学まで)は校舎(煉
瓦造の平屋で一部 2 階建て)の多くが被害を受け、一部
の教室を使って学校が再開されている。学校のグランド
は大規模な避難所となっていて、多くの住民がテント生
活を行っている。食料は各世帯に米を約 1 か月分など比
較的潤沢に支給されていて、家族毎に自炊生活を送って
いる。子供たちの屈託のない笑顔が印象的であった。
トリスリー診療所は 1998 年に静岡済生会総合病院の
元院長岡本晃愷氏(故人)が私財を投じて建設した。こ
の数年は運営費が確保できずにしばらく休診していた
が、地元有志の支援で 4 か月前(震災の3か月前)から
診療を再開していた。地震による被害は一部の壁に剪断
クラックが入っているが大きな損傷は見られない。現在、
医師 2 名、看護師 4 名、レントゲン技師1名、事務スタ
ッフ 2 名で運営され、地震直後には多くの負傷者が運び
こまれ、救急医療活動を行った。
地元有志からなる運営委員会のメンバーによると、運営上の課
題として、医師の給料 20 万ルピーの確保と診療所の医療水準に
対する住民の信頼確保があるとのこと。日本から医療スタッフが
短期間でも来てくれると、住民の信頼は大いに増すとの意見もあ
った。
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