400年を超えて受け継がれる 和紙、名塩紙

400年を超えて受け継がれる
和紙、名塩紙
西宮市立郷土資料館長 西 川 卓 志
都会に近い紙漉きの里
いつごろ、誰が、どこからこの地に伝えたものな
ひがしやま や
え
も
ん
のかについては、確証がありません。地元名塩で
は、「東山弥右衛門」という人物が注目されてき
紙漉きが山間僻地の農間余業という先入観を
持ってみるなら、名塩は例外です。かつては都と播
支えてきました。
伝承され、地域の主要な生業としてその暮らしを
なくとも約400年間、一度も途絶えることなく
なっています。この名塩に伝わった抄紙技術は少
を振り仰ぐ光景は、西宮市北部を代表する風景と
名塩川にそって発達した村落から教行寺の太鼓楼
ります。作家水上勉の名作『名塩川』では、越前
ら出奔して故郷名塩に戻り、紙漉き技術を持ち帰
彼の地に落ち着いて一人前の漉き手となった弥右
に 入 り 婿 す る こ と に よ り 技 術 習 得 の 道 を 得 ま す。
を他国人に教える者もなく、ようやく一軒の漉屋
の旅に出ます。しかし、秘密主義に守られた技術
ぐ寒村名塩を救うべく、越前国に紙漉き技術習得
伝承では紙漉き技術を将来したのはこの弥右衛
門とされています。弥右衛門は狭隘な田畑にあえ
ました。
磨諸国を結ぶ交通路に近く、内陸三田と瀬戸内沿
に残した妻と子が弥右衛門のあとを追い、遠路摂
阪神間の住宅都市としてよく知られる西宮市の
な じお
山間部に、伝統的な和紙をすく紙郷「名塩」があ
岸の諸都市を繋ぐ道筋にもあたり、なんと言って
津の名塩まで尋ね来るという悲話が続きます。
ります。中国縦貫道路名塩サービスエリアの東側、
も大都市大坂に徒歩半日足らずの距離にあります。
きょうぎょうじ
つまり、歴史的には大都市近郊に発達した紙郷と
こ の 伝 承 に よ る と、 名 塩 紙 の 起 源 は「 越 前 紙 」
ということになります。越前は美濃(現岐阜県)
す げた
た
す
すきぶね
ふ
名塩紙は江戸時代初期の文献にはすでにその名
が見え、それ以前に製紙業が始まったのは明らか
た“ドロ”を填料として使っており、現在でもそ
用し、雁皮の漉き草に地元産の堆積土から精製し
くさ
です。一説には、桃山時代の建物を飾る障壁画を
の技術は孤高を保っています。これは「和紙の代
す
描いた紙として使用された、との説もありますが、
坐して静かに簀桁をゆする「溜め漉き技法」を採
ざ
当初より雁皮のみ、漉き方は男性が漉舟の前で趺
がん ぴ
が、名塩紙はさらに次の特徴を持ちます。原料は
は、 ひ と つ の 可 能 性 と し て 興 味 深 い と こ ろ で す
と 質 を 誇 っ て い ま す。 そ の 地 か ら の 技 術 の 導 入
衛門でしたが、当初の目的を果たすべく彼の地か
すき や
いうことができます。この地で独自の発達を遂げ
と 並 ぶ 和 紙 の 一 大 生 産 地 で、 現 在 も そ の 生 産 量
な じおがみ
た「名塩紙」は、兵庫県を代表する伝統産業であ
年には兵庫県指定無形文化財、
年には国指定無形文化財となりました。
ると同時に、昭和
平成
58
紙漉き技術の伝来
14
20
産業情報館
てきたからです。
系が、ここ名塩の地に途絶えることなく伝えられ
手法で漉く」という通常の和紙とは異なる技術体
表的な原料として定着した楮を、流し漉きという
名塩の中央部、国道176号端に「西宮市立郷
土資料館分館名塩和紙学習館」が開館しています。
紙漉き体験 和紙学習館
なっています。
年盛んな文化財の修理修復に欠かせない紙とも
ていくための基本技術に必須なものでもあり、近
発揮されています。これらの紙は文化財を保存し
も雁皮の繊維とそこに含まれる泥の機能がフルに
ミがない、虫が食わないことが求められ、いずれ
愛護啓発活動が行なわれています。
親 し む こ と を 目 的 に、 地 域 の 伝 統 産 業 で も あ り、
く風景も定着しています。このように、和紙学習
漉き、その紙で整えられた証書を手に卒業してい
地元小学校では、各自の卒業証書の用紙を自分で
漉きに挑戦できる講座も開催されています。また、
き教室」に加えて、初心者でも泥入り雁皮紙の手
市民の学習の場となっています。定期的な「紙漉
ず
「箔下紙」
、江戸時代の「藩札紙」
、金銀箔を叩く
和紙学習館では名塩紙の歴史を地元で学ぶことが
なが
際の「箔打ち紙」
、屏風や襖用の「間似合紙」な
できる展示室に加えて、実習体験により和紙を漉
こうぞ
どの独自の用途があり、
「箔打ち紙」と「間似合
くことが可能です。本来の名塩紙そのままは無理
こ
「純雁皮泥入り」という名塩紙は、歴史上いろ
いろな用途を担ってきました。最高級の和紙であ
とり
し
ま
に あい し
る「鳥の子紙」に加えて、金・銀箔を貼るときの
はくした
はく う
また重要文化財でもある名塩紙への理解を深める
学習館:月曜日及び年末年始は休館
実 習:有料
紙漉き教室
電 話:0797(61)0880
小学生による紙漉き実習
特殊な用途を担う和紙
紙」の製造が今も二軒の漉屋に受け継がれていま
ながら、特別に調合された原料を用いて和紙の手
館では、わが国の代表的な伝統産業である和紙に
す。前者は数十万回のハンマーによる叩打に耐え
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漉き体験ができ、市内小学生や和紙に興味を持つ
名塩紙紙漉き風景(郷土資料館本館展示室)
ること、後者は日光で退色しないことに加えてシ
郷土資料館分館名塩和紙学習館