401 自著「ノスタルジア鈴鹿の山」

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奥美濃の吸血鬼
山のコラム第1集 67 編の蝿帽子嶺で少し触れているが、夏に奥美濃の山や沢に出かけると
き、ものすごいアブの襲撃を覚悟する必要がある。脳郷白山の温見峠から東の稜線の先にある
蝿帽子峠、その先には蝿帽子嶺がある。かって西谷村を水害で襲った笹生川枝谷には蝿帽子谷
がある。これらの蝿とはアブを指す。いずれも想像を絶する大群のアブが棲息する。
土地の人は「オロ」または「オロコ」と呼んでいる。伝承では大昔、越前から奥美濃の根尾
村にやってきた僧侶が、蝿帽子峠を越えたところアブに襲われ死亡したそうだ。毛のない坊さ
んの頭には真っ黒にアブがたかっており、帽子を被っているように見えたという。
渓流釣りで有名な山本素石の著書「遥かなる山釣り」に出て
くる情景は凄い。
「気がついた時には、私の周囲にもかすかな翅音がうなり出し、
目の前が薄暗くなるほどアブの群れが舞いはじめていた。
……矢継ぎ早やにタバコに火とつけて、ニコチンの
煙を
吐き散らしながら逃げ回った。どこからどうして襲ってく
るのか、アブの群れは 見る見るふくれあがって、やがて向こうの杉林もかすんでしまう
ほどになった。雨合羽を着込んでフードを被ればかなり防げるのだが、あいにくその用意
がなかった。身の毛がよだつばかりで、もう釣りどころでない。私たちは車の中へ逃げ込
んで、むれるような暑さを我慢してドアを締め切ったが、いっせいについて入ったアブは
無慮数百匹。ときどき叩き潰しながら走ったが、それでも京都へ着いてからまで、生き残
りの数匹が身体について入って、翌日も家の中を飛び回っていた。」
私は五蛇池山をめぐる赤谷での経験を思い出すと寒気がする。
この赤谷はアブの巣窟そのものである。私たち4人もアブがいると聞いていたので、養蜂家が
被る網を頭からすっぽり被った。それで顔への被害はなかったが、網を被らない他のパーテイ
は片手でアブを払い、もう片手で岩を掴んでへつるという具合。養蜂家の網は黒い色、ハチは
これで避けられるらしいが、アブは黒が好きらしく容赦なく襲ってくる。
網の周りをブンブン飛び回りまことに煩かった。さて赤谷遡行を終わって着替えようと、網
を外し着替えにかかると、どこからともなく“ブーン、ブーン”。
とても着替えをするどこ
ろではない。大急ぎで車に避難したのだった。
広辞苑には“アブ、双翅目中の一群の昆虫の総称。
その種類も多い。ハエより大きく眼も大きい。メス
は人畜を襲って血を吸う。諸種の病原体を伝搬する。
オスは花に集まり花粉、花蜜をなめる。多くは肉食
性でウシアブ、ミズアブ、ヒラタアブなど21種も
いる。
夏に奥美濃の山や沢に入るときには、アブの大群
に襲われることを覚悟し、網を被るとか煙で追うな
どの万全の対策が必要である。
〔奥美濃 赤谷〕