東洋英和女学院 学院報 TOYO EIWA JOGAKUIN Public Relations Report 2015.09.15 No.78 特 集 大学院 スペシャリストへの さらなる歩みを ふうえん NEWS 中高部/小学部/東洋英和幼稚園/大学付属 かえで幼稚園/後援会/学院 ● 5 史料室レター ● 11 英和の日々 ● 12 この人に聞く 岩倉 暢子 ● 13 聖書の言葉/訃報/学院NEWS ● 14 英和星空探訪/同窓会より/お知らせ ● 15 高大連携ミャンマー研修(2015年8月9日~17日) 高等部からは生徒 6 名と北崎勝彦教頭、大学からは学生 9 名と滝澤三郎教授、そして東京大学等の学生 7 名が参加し、 国際支援や国際協力のあり方について学びました〔写真:インレー湖近くの僧院付属の学校にて〕 http://www.toyoeiwa.ac.jp 「求めなさい。そうすれば、与えられる。 探しなさい。そうすれば、見つかる。 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」 マタイによる福音書 七章七節 六本木校地にある大学院は、社会人・大学新卒者を対象とした 男女共学の夜間大学院です。 今号の特集では、一〇名の院生・修了生から寄せられた 「英和の大学院」で学ぶことを選んだ経緯、在学中の学び、 修了後のさらなる歩みを通して、大学院の魅力をお伝えします。 新しい時代に大学院で目指すもの 明史 しています。高等教育機関としての大学も、そ 歴化など、過去に経験のない新しい事態に直面 少子化による人口構成の変化、社会全体の高学 現在の日本社会は、周知のように、高齢化・ 大学院では、ある現場で経験を積んだ学生がそ もう一つ、お伝えしたいことがあります。本 入れています。また留学生も歓迎しています。 あるような方でも、条件次第では積極的に受け にも開かれており、過去のキャリアが短大卒で 大学学長 池田 の変化に敏感に対応することが必須になってい とと「学ぶ」ことが両面的な行為であることの、 の現場で培った特定の知見やノーハウは、 「教 最も刺激的な場面でもあります。ゼミでも講義 える」側にいる教員の知識範囲を超えることも 特色の第一は、さまざまな年齢層、キャリア でも、 「教える」ことと「学ぶ」こ とが一瞬逆 ます。私たちは、大学院の在り方に次のような 層に「開かれた」大学院であることです。一般 転 す る 瞬 間 で も あ る か ら で す。 教 員 は「 教 え 特色を与えることで、新しい時代に対応してい に大学院は学部卒業者が修めた学問のさらなる る」ことが「学ぶ」ことでもある、というスリ あり得る、という点です。それは「教える」こ 追究の場としているのに対し(最近はそういう リングな体験をしますし、学生の方でも同じで きたいと考えてきました。 志 望 者 も 徐 々 に 増 え、 ま た 受 け 入 れ て も い ま こうして、さまざまなキャリアを持ち、それ す)私たちの大学院は、基本的には社会人、つ ぞれに異なる経験を重ねた多様な属性をもつ す。それは、こうした大学院ならではのことで、 とする方、子育てで暫く仕事を中断していた方 人々が、私たちの大学院で、時間と空間を共有 まりすでに職業的なキャリア上にある方々に向 が、職場復帰を図る際の基礎力のアップデート することができる、というのは、これからの日 決して否定されるべき事態ではないと私は信じ にも利用していただけるよう、平日の講義やゼ かって開かれています。職業上必要とされる資 ミは原則として夜間に設定し、土曜日は昼間の 本、大きく見れば世界にとって、とても大切な ています。 カリキュラムとなっています。さらに、本学が ことである、と信じます。 格の取得はもちろん、新しい分野に挑戦しよう 女子大学であるにも関わらず、大学院では男性 1 2015.09.15 楓園 No.78 スペシャリストへのさ らな る 歩 み を 特集・大学院 国際協力研究科修士 二〇一四年度九月修了 研究科在学中は都内大学病院で臨床検査技 阿部 仁美 さん 国際協力研究科修士二〇一三年度三月修了 国際協力のために学ぶ マルケス・ルイス さん 師として勤務しながら、以前参加した青年海 大学院の学びも英和で 勤務先の高等専門学校では、語学教育に加 人間科学研究科修士一年 吉田 久仁子 さん え、国際交流コーディネータとして、全世界 南にある、いわき市にて いに至らせたのは東日本大震災でした。原発 人間科学研究科修士二 年 岩田 侑子 さん もう一度「英和で勉強したい 」という思 ら小中高大そして大学院 す べ て が 英 和 の 生 粋 から南に四三・五 多いです。院受験の面接時に篠原先生にも「他 っと英和で良かったの? と 尋 ね ら れ る こ と も だねと笑われるのですが 、 同 時 に そ こ ま で ず えない放射線不安は、今も続きます。経験と 庭で外あそびを楽しみます。しかし、目に見 の生活を取り戻し、子どもたちは制限なく園 園長をしております。目に見える分には以前 教育システムについての研究を進め、その成 学院修士課程に入学しました。発展途上国の いて学びたいとの思いが募り、東洋英和の大 つつ、より良い交流プログラムの提案 実 ・施 に努めてきました。その中で、国際支援につ に参加し、ベトナム国を訪問しました。そこ 局が主催する 「第五回国際保健医療協力研修」 (独) 国立国際医療研究センター国際医療協力 協力の機会を覗っていましたが、昨秋には、 り方を研究しました。昨年三月に修了後も、 協力の現場を視察し、現地の医療従事者とも これまでの職場に勤務しながら、次なる国際 は受けないのか」と尋ね ら れ ま し た が 、 私 の 勘に頼るだけの保育では通用しない現実に直 仕事に追われながらも、週末は学生として 諸先生方の適切かつ厳しいご指導の賜物と心 意見交換を行う機会を得ました。また、グロ 面したのです。 薦で進ませていただきま し た が 、 大 学 院 進 学 英和で学ばせていただいております。そこに から感謝しています。また、在学中は多くの 果をさまざまな場で発表・活用できたことは、 で、日本や国連機関が実施する国際保健医療 に関しては他の学校を受 験 す る こ と も 考 え ま は、学びから得られる知識だけではなく、同 検査技師の教育に携わる教員が研修に訪れる した。ですが英和の大学 院 は 臨 床 に お い て 重 など、国際交流が始まりました。アジアの新 ーバル化の波は我が職場にも到来し、今年に くようになりました。そのため、早稲田大学 国際関係学専門家との出会いに恵まれ、意見 大学院博士課程に進学し「アジアにおける平 興国で働く同業者は、いずれも新しい知識や じ思いを持った仲間との出会いがありました。 和教育」をテーマに研究を深化させることと 技術の習得に貪欲で、志の高さに感銘を受け 要な実習が充実している こ と 、 人 生 経 験 が 豊 六本木に来ると、短大時代の芝先生、ジュ しました。将来は東ティモールに学校を設立 ました。私にとって英和での学びは、国際協 入って、ミャンマーのヤンゴン大学から臨床 ティーン先生、飯島先生をはじめとする諸先 したいと考えています。その夢を実現するた 力・交流を行う意義や目的を学術的側面から 交換を通して平和教育について強い興味を抱 先生方の下で学んでいき た い と 思 っ た こ と が 生と非常勤の松居直先生から教えていただい めにも、英和の大学院で学んだことを生かし 再認識し、修了後 それは、私にとってこの上ない喜びです。 一番の決定打となり、英 和 一 本 で 受 験 を し ま た当時の記憶がよみがえります。三〇年とい ながら、さらな 学部の頃からお世話にな っ て い る 個 性 豊 か な した。 う時を経ても、その時代の香りは受け継がれ る努力を積み重 育相談機関で実習をさせ て い た だ い て お り ま 勤務先の学生たちと 無事に一発合格させて い た だ い た 現 在 、 教 日々の学びの中で新 りました。 る貴重な機会とな 喜びを与えてくれ 研修班のメンバーと(中央が本人) す が、 学 ぶ こ と は多いと痛感す 清風幼稚園の園児たちと ていると確信いたしました。 しい力が与えられ、そ ねていきたいと る日々です。 姿と重なってきており ます。今は、夢が現実 となって学ぶことの喜 の活動にも自信と れは、子どもたちの未 思います。 富 な 社 会 人 院 生 が 多 い こ と、 そ し て 何 よ り、 大学は心理が英和にも あ る こ と か ら 院 内 推 答えは「英和を落ちたら 考 え る 」 で し た 。 外協力隊での経験から国際保健医療協力のあ 母と祖母が英和出身、 そ し て 私 も 幼 稚 園 か の英和っ子です。友人た ち に は 履 歴 書 が 圧 巻 に広がる姉妹校 提 ・ 携校との交流活動に従事 しています。日々変化する国際情勢を考慮し !! びでいっぱいです。 2015.09.15 楓園 No.78 2 km 来に寄り添う保育者の 六本木校地 本部・大学院棟の前で 特集・大学院 時を経て学ぶ 夢に向かって学ぶ 人間科学研究科修士二年 清原 舞子 さん 国際協力研究科修士二〇一一年度三月修了 松本 栄子 さん 私は幼少の頃から日本舞踊を習い、身体を 人間科学研究科修士二年 瀬川 博子 さん 二 二 年 間、 金 融 機 関 に て 外 為 業 務 に 従 事 真)にも参加しています。 3 2015.09.15 楓園 No.78 人間科学研究科二〇一 四 年 度 三 月 修 了 関口 陽子 さん 私は社会人になってちょうど三〇年経った 使って表現することに魅力を感じてきました。 私 の 所 属 し て い る 修 道 会 は、 一 六 〇 年 前、 日本画家であった姉の影響もあり美術大学に ちとともに行ってきました。そこではテキス し ま し た。 こ れ ま で の 実 務 経 験 を 学 術 研 究 場で生まれてくる思いに耳を傾けること、そ トなどは使わず、そのひと自身の物語やその と し て 形 に 残 す た め に、 二 〇 一 〇 年 四 月 ~ して表現をすることで他者とつながり、また 節目の年に退職しました。定年まで残り八年 朝鮮に対する経済制裁のケーススタディー」 居場所を作っていくような作品作りをしてき 近くありましたが、その時間をどうしても新 実は新しい挑戦のために会社をやめたのは として、米国による経済制裁の問題点と非米 ました。そうした活動のなかで 「こころの表現」 異国ポーランドの荒廃し た 状 勢 下 、 孤 児 や 売 二度目になります。最初は大学卒業後に就職 国系金融機関への影響について考察しました。 がうまくできないことから生き辛さを感じて 春に携わっていた女性の た め に 創 立 さ れ ま し にいる少女・女性たち( 少 年 ・ 男 性 含 ) が お した製薬企業の研究所から出版社への転職で 現在、管理職として外為業務を通じた提案 いる人たちに出会いました。その心理を専門 進学し、 在 学 時は 「からだの表現とこころの表 られます。性的搾取の一 例 を 挙 げ る と 、 彼 女 した。大学では生物学を専攻し、研究所では 管理職として求められる判断力、分析力、ス 病理学も学びました。充実した毎日でしたが、 活 動、 人 材 育 成、 拠 点 運 営 を 担 っ て い ま す。 ウサギやラットを使った動物実験に携わり、 ピードは、論文執筆に向けた情報収集、分析、 的に学び、支援ができるようになりたいとい 二〇一二年三月迄、国際協力研究科に在学し、 らは虚言・甘言によって ス カ ウ ト さ れ 、 最 終 段々もっと広く社会とかかわる仕事をしたい 文書化するプロセスの中で鍛えられました。 う思いから臨床心理学を学びはじめました。 しい挑戦のために使いたいという気持ちが強 的に自由を奪われた結果 、 ビ デ オ 出 演 の 被 害 と思うようになり、医療・医学分野の編集職 また、組織を運営する者として多様性を尊 た。現在、時代と国は変 わ れ ど も 、 周 囲 に は 者になってしまいます。 こ の 人 権 侵 害 の 内 容 に就きました。そこで二〇年以上、雑誌や書 重する必要がありますが、中岡望教授始め知 現」 ということをテーマにしたワークショップ は「製作物」の撮影・製作・市場取引・販売・ 籍づくりを担当してきました。転職後、最初 大学院では臨床心理学における実践的な学 研究テーマ「米ドル決済システム構造に見る インターネット公開・二 次 、 三 次 利 用 等 を 指 に任されたストレス関連の特集記事では、当 見を与えてくださった先生方、さまざまなキ びと研究をするかたわら、西洋子教授が主宰 くなったのです。 し、拒否すると違約金が 発 生 す る と い う も の 時、都立駒込病院に勤務されていた河野友信 ャリアを持つ大学院生との議論を通じて、そ 「 人 身 取 引 」 に よ っ て、 同 種 の 苦 し み の 渦 中 私は、修道会入会後、 主 に 子 ど も を 対 象 に 先生にも取材させていただきました。私は両 の素晴らしさを痛感しました。 を子どもたちや大人たち、障がいを持つ方た 神さまの話をしていまし た 。 今 現 在 は 、 教 会 親の死をきっかけに死生学を志すことにしま さらに、学術との対話を通じて、金融機関 米国の北 活動をしつつ、NPO法 人 人 身 取 引 被 害 者 サ したが、偶然にも、河野先生も英和の大学院 の立場から世界を見渡 貴重な経験でした。 今 後 は、 学 会 発 表 を 通じた研究活動を継続 し、 博 士 課 程 へ の 進 学 を目指したいと思いま す。 車椅子の人もそうでない人も、1 歳児 からおばあちゃん世代まで、みんな が手と手を合わせて踊るインクルー シブな表現の場。石巻や松島など被 災地でもワークショップを行ってい ます | 経済制裁の有効性に関する考察 談支援を行っ ポ ー ト セ ン タ ー ラ イ ト ハ ウ ス と 関 わ り、 相 です。 て い ま す。 大 で死生学を教えられて れ までのさま ざまな 経 験 を 糧に、 社 会に役 立 つテ ーマに 取 り 組 んで いきたいと思っています。 日本安全保障貿易学会会場にて されている「みんなのダンスフィールド」 (写 学院で学んだ 日経メディカルにて新米記者時代 ことになりましたが、こ 再 び研 究に従 事する す知見を得られた事は ます。 お会いしてい 相談者の方と 生かしながら、 ことを大いに いたことを知りました。 カトリック聖ミカエル教会の前で(右が本人) 行政に生かす学び 様性、自己決定の尊重、 個 人 情 報 保 護 な ど に 生活上の課題は、個人主 義 に よ る ニ ー ズ の 多 現代社会における行政 機 関 に 任 さ れ た 日 常 の社会での役割を果 践を連関させ、自ら ら、今後も研究と実 さらに発展させなが より得られた財産を や、同窓生である異業種の方々との出会いに はじめ、先生方による研究等に関するご指導 このように、大学院で学んだ知識の習得を と院生からの学びにより、学ぶことの楽しさ の有難さを痛感しました。また、他の先生方 は叩き壊されましたが、探究の厳しさと指導 ました。そこでは、私が積み上げてきたもの ることを知り、喜び勇んで大学院の門を叩き レスチナ問題を解くためにご指導をいただけ 東洋英和で池田明史教授からイスラエル・パ とが分かり、独りで悶々としていたところ、 だけでは紛争の問題を解く鍵を得られないこ 人間科学研究科 より複雑化、多様化し、 も は や 行 政 機 関 で は たしていきたいと思 を実感しています。 石濱 照子 さん 二〇一三年度三月博士 号 取 得 担いきれず、産学公連携 が 強 調 さ れ て い ま す 。 います。 務員の管理職(東京都中 野 区 健 康 福 祉 部 副 参 学習に生かしま 大学院で学んだことは直ちに板橋区の平和 こうした状況の中で、 私 は 保 健 師 で 地 方 公 事)という職責を果たす べ く 自 己 研 さ ん の た 映 像 を 見 た お 子 さ ん が「 お 母 さ ん 怖 い よ! うちにもミサイルが飛んで来るの?」と怯え です。 助になれば幸い 紛争の解決の一 ル・パレスチナ して、イスラエ と思います。そ 究に応用したい 会教育の地域研 研究の成果を社 す。修了後には、 国際協力研究科修士一年 私は板橋区教育委員会で社会教育主事と 齋藤 真哉 さん めに大学院に入学しまし た 。 人 間 科 学 研 究 科 で死生学を専攻し、学際 的 に 学 び 、 地 域 住 民 が「自らの生き方や死に 方 」 に つ い て 熟 考 で きるような環境を整備し 、 住 民 が 住 み 慣 れ た 地域で生き生きと暮らす た め の 施 策 策 定 に 生 育 計 画 の 策 定、 社 会 教 育 会 館 の 運 営、 区 民 し て 勤 務 し て い ま す。 私 の 仕 事 は、 区 の 教 修士課程では、高齢者 に お け る 喪 失 体 験 が の教え合 い・学び合う活動の支援などです。 かそうと考えました。 抑うつ傾向にもたらす影 響 に つ い て 実 証 的 研 しました。博士課程では 、 自 殺 や う つ 病 の 広 たという話をきっかけにして、板橋区で平和 一九九一年に湾岸戦争が起きた時に、戦場の まりを含め、地域社会で 顕 在 化 し た 児 童 虐 待 を実現するための学習を区民と共同で続けて 究を行い、必要な「 Social supports 」が欠如 している実態を明らかに し 、 施 策 展 開 に 反 映 や引きこもり、ホームレ ス の 増 加 な ど を 「 現 きました。その後、中東やアフリカなどの紛 」の視点から研究を進め、 争地を訪れて現地の人々の声を届けたり、ア Social model 代の社会病理現象」と捉 え 、 そ の 抑 制 策 に つ い て「 フガニスタンの方を板橋区に招聘して交流を 図り、それを『平和の絵本』にまとめました。 しかし、暴力の被害を受けた人々への共感 大学院からのご案内 ● 大学院の授業を見学できます 大学院の授業を理解していただくために、 実際の大学院の授業に参加できる機会を設け ました。期間中、何科目でも見学が可能です。 見学いただける授業は、ホームページにてお 知らせいたします。 授 業 見 学 期 間: 一 〇 月 十 二 日( 月・ 祝 ) ~ 一〇月一七日(土) 、十一月二三日(月・祝) ~十一月二八日(土) ● 一科目から学べる制度があります 正規に入学しなくても一科目から学べる科 目等履修生制度があります。両研究科の科目 を履修することができます。 出願期間:二月十二日 (金) ~二月一八日(木) 、 面接日:二月二七日(土) ● 入試 の 筆 記 試 験 科 目 を 一 科 目 に 変 更 し ま した(人間科学領域・幼児教育コース) 人間科学領域と幼児教育コースの入試の筆 記試験科目のうち、従来実施していた専門分 野試験を廃止し、二〇一六年度前期入試 (一月 三〇日(土)実施)より、小論文(各分野・ コースの基礎的理解度を問う問題を出題)の みに変更しました。 当日、面接試験も行います。 ● 大学院入試説明・相談会にご参加ください 大学院の教育研究内容や入試制度について 詳しくご説明いたします。当日は、研究 分野 ごとに分かれて、担当教員や院生との個別相 談も行っております。同時に授業見学やこころ の相談室・図書室見学ツアーも実施しています。 入 試 説 明・ 相 談 会: 一 〇 月 一 七 日( 土 ) 、 十一月二八日(土)いずれも一三時から開始 です。 2015.09.15 楓園 No.78 4 「 Social capital 」を意識した地域社会での新 たな緩やかなネットワー ク の 構 築 に 着 手 し ま した。 パレスチナのクリスマス(左から 2 人目が本人) 中高部 中 高 部 [生徒たちのレポートより] 根を作ったりとても危険で、屋根から落ち てしまったり、やけどをしたり大変でした がとても充実したものでした。その家に住 リカ・オーストラリアの協定校で学ぶ機会を得ました。現地の高校生や世界各国からの留学 用して、選抜された一〇名の高校生が二〇一五年一月~三月の二、三か月間、カナダ・アメ 英語圏の高校に一学期間留学する「短期留学制度」が高等部にできました。この制度を利 た。またアメリカ文学の授業では、アメリ 私にとってもとてもよい経験になりまし チームがアイオワ州で一番になりました。 に 選 ば れ 州 大 会 に 出 た と こ ろ、 私 た ち の しくなりました。模擬裁判では選抜チーム た科目を選択したので、たくさんの人と親 ました。学校では色々な学年の人が混ざっ というアメ Pella Christian High School リカ・アイオワ州の高校に三か月間留学し この留学はこのミッショントリップのためだ と っ て、 と て も 大 き な 大 切 な も の と な り、 がんばることができました。この旅は私に 族のためだと思い、最後まであきらめずに かったです。そのため大変な作業もこの家 ラーに住んでいて本当に見ていて心が苦し の で す が、 私 の 部 屋 よ り も 小 さ い ト レ イ 語で会話をしました。家族は一〇人家族な した。英語が全く通じないため、スペイン む予定の家族とも親しくなる機会がありま 生たちと生活をともにし、英語力を磨き、視野を広めることができたことと思います。そし カの独立時代の本を読んでクラスでエッセ 報告会のプレゼンテーション 5 2015.09.15 楓園 No.78 高等部一年 H・Yさん て、五月二八日(木)中学3年生~高校二年生のロングホームルームで報告会が行われまし といっても過言ではないと思いました。 自分たちの家の完成を 楽しみに待つ子どもたち イを書いたり、テストがありました。二月 建築中の現場にて からは合計四〇ページ以上にも テイクアウトのピザをホストファミリーと た。流ちょうな英語で自信たっぷりにプレゼンテーションする姿に、その成果を実感いたし なるキャリアについてのレポー トを書きました。私は国際公務 員について調べました。大学の 教授や国連の方など四人の方に インタビューをしたり、リサー チをしたり本当に大変でしたが、 四〇ページも自分で調べて書い たエッセイを見ると、とても嬉 しく自信がつきました。 春休みにはボランティアで貧 しい人のために家をつくるミッ ションに参加し、メキシコ国境 近くのテキサスの町へ行きまし た。現地では家づくりを土を掘 るところから始めました。家を 建てるとき、電動のこぎりや釘 を打つピストルのようなものな どを使ったり、屋根に上って屋 模擬裁判当日に選抜チームのみんなと ました。 中高部 国際交流担当 中田 典子 新短期留学制度を活用した生徒たち NEWS NEWS 中高部 参 加 し て も 皆 一 生 懸 命 で、 そ ん な 姿 を 見 ンドベル部での知識が役立つことが多々あ ても似ていました 。 日 本 の 高 校 で は 履 修 で ということもあり 、 東 洋 英 和 と 雰 囲 気 が と 高 校 に 留 学 し ま し た。 Loreto College は 一四〇年の伝統を 持 つ キ リ ス ト 教 の 女 子 高 で は、 Senior Band (上級生のためのバン ド)に参加したり、全校生徒の前でスピー も以前より上がった気がします。学校生活 され、自分の勉強に対するモチベーション いものなんだ」ということに改めて気づか で非常に興味深かったです。音楽の授業で 大戦については詳しく習っていなかったの の歴史を学びました。日本では第一次世界 ち、第一次世界大戦、世界恐慌などカナダ の授業では、カナダの先住民や国の成り立 Niagara Christian Community of Schools というカナダの学校で勉強しました。歴史 たまにすらすらと話すことができるように 大抵、考えながら英語を話していましたが、 ミュニケーションをとることができました。 の留学生とは寮生活をともにして良いコ 留学生が圧倒的に多く、中国、香港出身 奏できるようになりました。 したが、クラスメイトに教えてもらい、演 りました。トロンボーンは全くの初心者で きない科目もたく さ ん 取 っ た の で 、 毎 日 の チをしたりと、他にも多くのことにチャレ は音楽理論を習ったり、合奏のためにトロ なり、それは成長した点ではないかと思い 高等部一年 K・Sさん 授 業 が 本 当 に 新 鮮 で 楽 し か っ た で す。 ま ンジしました。友達も毎日一人は絶対作ろ ンボーンの練習をしたりしました。音楽理 て「新しいことを学ぶってこんなにも楽し た、オーストラリ ア で は 学 校 で す べ て の 勉 う! と 努 力 し た の で、 最 終 的 に 二 か 月 で 高等部二年 M・ M さ ん というオーストラリアの Loreto College 強を学ぶという精 神 が 生 徒 た ち に 当 た り 前 ます。ナイジェリア人のルームメイトとは 初めのころはよく話しか けていたのですが、あま 生活習慣もだいぶ違って、 り 会 話 が 続 か な い う え、 ン ト ) 、 Athletic Day (陸上競技イベント) 、 ありました。しかし友達 学 校 行 事 も Swimming (水泳イベ Carnival 論では中2の時の音楽で習ったことや、ハ 一緒に留学した Y さんと 一〇〇人 の友達を作ることができました。 日本語クラスの先生とクラスメイト に身についている か ら こ そ 、 ど ん な 授 業 に Athletic Day のひとこま 短期留学協定校 ことができました。 にはまたよい関係になる ほとんど話さない時期が (キャンプ)と Retreat 二か月間で三つも参加 ました。受験前の春休 みだったので、今回の 短期留学に行くことを 迷った時期もありまし たが、さまざまな経験 ・Pella Christian High School(アメリカ・アイオワ州) ・Niagara Christian Community of Schools (カナダ・オンタリオ州) ・Great Lakes Christian High School (カナダ・オンタリオ州) ・Toorak College(オーストラリア・メルボルン近郊) ・Loreto College(オーストラリア・メルボルン近郊) ・ (2015 年度より)Lourdes Hill College (オーストラリア・ブリスベン) に 充 実 し た Loreto ラ イフを送ることができ の助けもあって、帰国前 冬のナイアガラの滝 お昼休みのイベントで日本の紹介 することができ、本当 寮の部屋 一緒に留学した K さんと先生方から 修了証をいただきました を通して自分を見つめ なおすことができ、将 来の夢も変わり、良い 意味で自分の人生観も 変 わ り ま し た。 Loreto という素晴ら College しい学校に通えて本当 に良かったです。 中 高 部 2015.09.15 楓園 No.78 6 春休みのキャンプで 小学部 小 学 部 の写真をプロジェクターで映すための準備 設営や作品のキャプション付け、授業風景 十二日に開催されます。ぜひご高覧いただ 今年度の美術展は二〇一六年二月十一日・ し、発展させていければと思っております。 の思いが、色や形 と な っ て 表 現 さ れ 会 場 全 していただきまし た 。 子 ど も た ち そ れ ぞ れ 一日は一般公開さ れ 、 た く さ ん の 方 に 鑑 賞 立体作品がほぼ半 々 ) を 展 示 し ま し た 。 十 科で制作した作品約一〇〇〇点(平面作品・ 体育館を会場に、 全 校 の 子 ど も た ち が 図 工 を会期に小学部の 美 術 展 が あ り 、 小 学 部 の 動 は 大 変 で す が、 ど の 子 も 頑 張 っ て 運 び、 下二階にありますので、作品を持っての移 に持って体育館に搬入します。体育館は地 室からクラスごとに、子どもたち自らが手 します。主役となる子どもの作品は、図工 いの紺色の布をかけ、見た目の統一感を出 的です。立体作品用の展示台には全てお揃 やり直すこともありますが、みなさん協力 ョンを並べてみるも、しっくりこない時は、 ちが、造形活動を楽しみ自らの表現を模索 図工科では、多感な時期にある子どもた 子どもが、図工室には毎年必ずいます。 に合わず、会期初日の朝、必死に制作する ら最後の仕上げに勤しみます。それでも間 が、そうはいかず、休み時間などにひたす には搬入だけをするようにさせたいのです 品が未完成の子どもがいるのです。搬入日 と思う子どもが多く、搬入日に展示する作 り、納得がいくまで丁寧に、より良いもの とわたしは、はずかしそうに言いまし るわ。 」 と言われたので、「ありがとう。 」 ○ちゃんの自画像も、上手に描けてい も上手にとれたわ。それにしても、○ ま し た。 ま た、 お 母 さ ま が、「 と っ て 真 を と り ま し ょ う。 」と言われてとり 「 ○ ○ ち ゃ ん の 作 品 は ど れ、 一 緒 に 写 そうしたら、ちょうどお母さまがいて、 からです。三時間目に見にいきました。 た。なぜかというと、今日は美術展だ 今日、図工の授業はありませんでし ~児童の日記より~(三年生) しくお願いいたします。 き、ご指導をいただければ幸いです。よろ などを併せてします。 体を包みました。 決められた場所に展示します。平面作品は、 す る こ と で、 「 想 像 力 」 を 育 み、 「創造力」 た。美術展見学の楽しい時間はあっと いう間に過ぎました。 7 2015.09.15 楓園 No.78 ここまで準備できれば、あとは会期初日 を む か え る だ け で す が、 実 情 は 違 い ま す。 会期前、二日間 の 主 に 放 課 後 を 使 い 、 小 展示用のケースに入れてから、壁面に教職 が形成されればと思って取り組んでおりま 図工科 関 隆弘 学 部 の 教 職 員 総 出 で 準 備 を し ま す。 ま ず、 員が展示します。数があるので大変ですが、 す。美術展もその一端を担っている大切な 欠席や、時間配分の甘さなどで遅れていた 会場となる体育館 に 展 示 用 の 物 品 を 搬 入 し 、 小さな子どもにも鑑賞しやすい高さになる 二〇一五年二月 一 〇 日 ・ 十 一 日 の 二 日 間 図工科で考えたレ イ ア ウ ト に 従 っ て 、 会 場 行事のひとつです。これまで以上に大切に 6年生共同作品「ひかり・ひかり」 よう心がけます。作品展示以外に、受付の 1・2年生共同作品「かえでのはっぱ」 の設営をします。 い ざ 展 示 台 や パ ー テ ー シ 会場風景 二〇一四年度 美術展 NEWS お 店 ごっこ 子どもたちは日々、遊びの中で多くの喜 テープを丸めて貼ります。もくもくと、 せっ 紙を切り、水性ペンで絵を描き、その裏に 「おいしい野菜に育つかな」 びを得、知恵を得、人との関わりを重ねて せせっせと作り、作ったものを箱の上にき 時間をかけて準備し、人を招く楽しさ どころでしたが無事買い物が終わりました。 います。その遊びの一つが人を招いて楽し れいに並べていきます。三〇分ほどが経つ ― 植えるものを考え た 時 、 子 ど も た ち が 野 菜 「楽しかったー」「また買い物行こうよ」と ませるごっこです。お菓子屋、レストラン、 り道は鳥居坂を上がっていくのは踏ん張り を育てることで野 菜 を 好 き に な っ て ほ し い 満足な様子でした。買ってきた苗を見比べ と、果物のバッチ、車のバッチ、花のバッ 園庭のチューリ ッ プ の 季 節 が 終 わ り 次 に という思いが保育 者 の 中 に あ り ま し た 。 畑 紙芝居屋、おばけ屋敷…いつもどこかで開 ともっと」「こんなバッチはどう?」「かわ 「きゅうりの葉はちくちくしているよ」 「ト いいね」と声を弾ませる子どもたち。…そ を耕し土をふるっ て 準 備 を 始 め ま し た 。 事 に時間をかけこつこつと準備します。ある チ、動物のバッチ等さまざまな種類のバッ 日のバッチ屋(胸にぺたんと貼りつける紙 かれています。年長組にもなると、子ども 次の日畝に苗を植えました。グループに マトはもう緑の実がなってるね」とじっく 分けたことで自分が買った野菜を植えるの れからしばらくたった頃、嬉しそうにバッ 前に買ってきたナ ス の 苗 を 見 せ 、 子 ど も た 番の花屋まで野菜 の 苗 を 買 い に 行 く こ と に 製のステッカーのようなものを売る店。こ チを数えたAちゃんが「三八個もできた! チ が 作 ら れ て い ま し た。 「 ま だ ま だ、 も っ しました。きゅうり、オクラ、トマト、ゴー に や る 気 い っ ぱ い で す。 「ぼくが土を入れ の 名 称 の 店 ご っ こ は、 二 〇 年 以 上 前 か ら そろそろお客さんを呼びに行こうか」と言 たちはやりたいことをオープンさせるまで ヤのグループに分 か れ て 出 か け ま し た 。 麻 る よ 」「 私 は 苗 を 植 え る ね 」 き ゅ う り、 オ 続いています。 )では、なかまを誘い合い、 り観察をしていました。 布 十 番 商 店 街 に は い ろ い ろ な お 店 が あ り、 クラ、トマトには支柱も立てました。 ちと育てたい野菜 を 考 え 、 五 歳 児 が 麻 布 十 八百屋の前では「 ゴ ー ヤ が 売 っ て る よ 」 金 とつ一〇〇円です」と言いながら出かけて い、年中組や年少組の保育室へ「バッチひ いきました。この後、このバッチ屋にやっ 店の場所を決め、まずはバッチを作ります。 く水まきをする子どもたち。これから野菜 て来たたくさんのお客さんが胸にバッチを 畑は野菜の苗でいっぱいになり、さっそ が少しずつ育っていくことを心待ちにして つけて帰りました。このお店屋は翌日にも そのまた翌日にも続きました。 この日、同じようなお店屋が他に何軒も できていました。お客さんも嬉しいのです が、お店屋をしている本人たちが満足して います。ひとつのことに夢中になり、そこ で 人 と ふ れ あ い、 「また明日もやろうね」 と希望をもてる子どもたちの幸せを守って いきたいと思います。 かえで幼稚園 大学付属 バッチを作る子どもたち 物屋の前では「い つ も 大 工 で 使 っ て る も の があるね」など… 。 野菜の育て方を聞いている子どもたち いるようです。 野菜に水やりをする子どもたち たくさんのお店 を 過 ぎ る と 花 屋 が 見 え て きました。お店の 人 に 育 て 方 を 聞 く 姿 は 真 剣です。お金を支 払 い 野 菜 の 苗 を 持 ち 、 帰 東洋英和幼稚園 2015.09.15 楓園 No.78 8 東洋英和幼稚園/大学付属 かえで幼稚園 NEWS 後援会 にわたり後援会活 この度、一四年 意義ある組織とするべく誠心誠意努めてま 方のご指導を賜りつつ、後援会を継続して 熟であることに不安は尽きませんが、皆様 と理解してまいりました。在校生と同窓生 なり続けるよう、定められた目標でもある らずに、本学院が「誇りに思える場所」と また、それぞれが〝卒業〟してからも変わ 後 援 小 学 会 部 動をお支えくださ っ た 金 子 会 長 の 後 任 と し いる所存でございます。皆様方には後援会 の交流、教職員の皆様とご父兄、並びにご て、学院からのご 推 薦 並 び に 役 員 会 で の 承 に対するこれまでのご理解とご協力への感 父兄同士のつながりを大切にするこの後援 誇りに思える場所 認を賜り、後援会 会 長 の 大 役 を 仰 せ つ か り 謝と共に、変わらぬご支援をお願い申し上 会の活動が、神に愛され友と師と充実した 後 援 会 会 長 小泉 光人 ました小泉と申し ま す 。 げる次第です。 学 院 後 援 会 は、 敬 神 奉 仕 の 精 神 の も と、 毎日を過ごす東洋英和での時間が娘たちだ 精一杯向き合い た い と 思 い な が ら も 、 振 り返るとあっとい う 間 に 感 じ る 子 育 て の さ けでなく、本学院に携わる全ての人にかけ がえのない安心を紡いでいく一助となりま 教 育 上 の 諸 施 設、 教 職 員 皆 様 の 福 利 厚 生、 「東洋英 和楓の会」の発展、その他必要と すことを願い、就任の挨拶とさせていただ なか、娘が東洋英 和 と い う 場 所 で し か 享 受 なる諸事項に対して教育後援をすることを きます。 できない豊かな時 間 を 過 ご し て い る こ と に いつも心から感謝 を 覚 え ま す 。 学 院 の 伝 統 、 目的としています。私は、そうした目的は 情熱に溢れた方です。必ずや学院を支え益々 た会員の皆様、 ご一緒に後援会諸行事を進め 後 援 会 役 員 会・総 会 七月三日(金) 9 2015.09.15 楓園 No.78 二〇一五年度後援会役員会・総会が ANAインターコンチネンタルホテル 東京にて開催され、出席者数は学院側 も含め約四四〇名でした。 役員会では、①役員改選案の承認と 新役員紹介 ②常任役員退任と新常任 役 員 就 任 ③ 二 〇 一 四 年 度 収 支 決 算 ④二〇一五年度収支予算案 ⑤後援会 員が子女卒業後、東洋英和楓の会へ継 続加入することを容易にするための方 策実施を要望する件 について審議が 行われ、全て承認されました。 総会では役員会審議事項の報告、退 任常任役員への感謝状・記念品の贈呈 などが行われ、その後学院各部代表者 より現状報告がありました。懇親会で は、和やかな歓談の時を持ちました。 【後 援会常任役員】 また後援会先輩諸 兄 の ご 活 躍 か ら も 甚 だ 未 ある」という認識のもと、両者の信頼と協 魅力のある後援会を築き導いていただける 栄一 平成八年の長女 力をさらに深める絆作りと、 「東洋英和に縁 前 後 援 会 会 長 金子 に始まり三人の娘 を持つ全ての仲間の結束」を標榜する楓の The best is yet to be. が幼稚園から学院とのご縁をいただき、二〇 と信じております。 「The best is yet to be !」 最上の物を求め、敬神奉仕の種を蒔き続け め発展される事を願う次第です。最後に長 会への支援を後援会活動の両輪に置き事業 年に亘りご指導をいただきました学院の諸 年という歳月が積み重ねられました。この 課題も多く汗顔の至りですが、学院は堅実 先生方、法人事務局の皆様、そしてさまざま て進む学院と後援会が益々強固な連携を深 な歩みの中、 一貫教育を英和の聖地「六本木」 を進めさせていただきました。手 付かずの たちにとっては掛替えのない友と恩師との絆 でと言う悲願に向けて来たるべき六本木再 間、親と子 が共に成 長させていただき、娘 懸命に子育てをした母校がこの東洋英和と を得た母 校、私共にとっては手 探りながら 院を取り巻く環境は決して楽観できる状況 ていただきました常任役員の皆様に心から な後援会活動を支えご協力をいただきまし 役を賜り、特に会長在任中は発足からの目 ばかりではないとは思いますが、バトンをお 感謝申し上げます。ごきげんようさようなら。 開発にも取り組む事を決められました。学 的であります楓 基金への助 成に加え、「 学 院 渡しする新会長小泉氏は豊富な経験に加え なりました。一 四 年に渡り後援会役員のお と家庭は娘たちを共に育てるパートナーで 牧 健 太 郎(新任) 櫟 本 健 夫(退任) 会計監事 人(新任) 一(退任) 宏(継続) 弘(継続) 雄(新任) 浩(新任) 功(新任) 人(退任) 造(退任) 光 栄 明 康 秀 昌 泉 子 林 木 松 藤 本 森 井 小 金 小 鈴 村 後 坂 小 坪 会長 副会長 後援会会長 就任・退任にあたって NEWS 憶の片隅に残っ て い ま し た 。 クレイグという 宣 教 師 の 方 々 の お 名 前 だ け は 記 ミス・カートメル、ミス・ブラックモア、ミス・ だけで精一杯だ っ た よ う に 思 い ま す 。 そ れ で も りませんでした 。 自 分 自 身 の 今 と 将 来 を 考 え る 在学中の私は 母 校 の 歴 史 に つ い て ほ と ん ど 知 りません。花子は東洋英和の寄宿舎で一〇年間、 に編まれた年史にもどれだけ助けられたかわか ました。五〇年、一〇〇年、一一〇年という節目 程、寄宿舎生活の様子を詳しく知ることができ アリティを持って浮かび上がり、当時の教育課 真や資料から、聞き覚えのある先生方の姿がリ でしたが、私にとってはまさに宝庫でした。写 院の長い歴史を思うと意外なほどに小さな部屋 に 行 い ま し た。 お 孫 様 の 村 岡 美 ーを、 二〇一五年四月一四日(火) した。そのオープニングセレモニ 岡花子文庫展示コーナー」としま い、名称も新たに「学院資料・村 装し、花子晩年の書斎の再現を行 棟の一階の展示コーナーを全面改 べく、六本木校地の本部・大学院 岡花子の業績に触れていただく 寄贈されました。皆様にも広く村 の資料が昨年度末に村岡家から 家、 児 童 文 学 者 で あ る 村 岡 花 子 東洋英和の卒業生であり、翻訳 是非ご見学ください。 く一助となればと願っております。 き伝統を未来に向けて継承してい 史の重みをしっかり受け止め、良 肌で感じ取り、積み重ねてきた歴 まで培ってきた精神や教育理念を の資料をとおして、東洋英和が今 だきました。学院資料、村岡花子 れ、村岡恵理様よりご挨拶をいた 院長から村岡家に感謝状が贈呈さ その後の感謝の集いでは深町正信 皆様に見学をしていただきました。 り展示コーナーがお披露目となり、 念礼拝ののちにテープカットによ などのご来賓をお迎えし、開設記 ごあいさつ 村岡花子の生涯を調べるために、史料室に通 山梨英和の教師時代を含めれば一五年間にわた 枝、恵理姉妹を始めとする村岡家 村岡 恵理 (高等部一九八六年卒) い始めたのは卒業から十数年が経った頃でした。 り英和に身を浸しています。そこで翻訳家とし の方々、柳原白蓮のお孫様の宮崎 左:村岡美枝氏 右:村岡恵理氏 本部・大学院棟の地下二階にある史料室は、学 ての素養のみならず、厳しい時代を生き抜く精 無料 ご夫妻、カナダ大使館関係の方々 入館料 神が養われました。 『赤毛のアン』の翻訳は、英 日曜・祝日・長期休暇中以外の 9:00 ~ 20:00(土曜日は~ 19:00) カナダ人婦人宣教師の願いの結実 六本木校地 本部・大学院棟 1 階 公開時間 ― 利用案内 和の教育 *お手洗いはご利用いただけません。 *団体でご見学の場合は予めお知らせください。 この度、今まで家族で守ってきた花子の蔵書 展示場所 だと思い至りました。 法人事務局 史料室 TEL:03-3583-3166 や資料を学院に寄贈させていただきました。紙 や本は年月と共に劣化が進み、個人の保管には 限界があります。私たちの思いを受け入れ、 素晴 らしい空間を準備してくださった学院に深謝申 し上げます。新しい展示コーナーが花子を通し て、英和の一三〇年の歩み、 宣教師の先生方の信 念、強く雄々しく生きた女性たちの姿を内外に 伝えるものとなりますよう心から願っています。 2015.09.15 楓園 No.78 10 「学院資料・村岡花子文庫展示コーナー」開設に寄せて 学院 NEWS ① 生涯学習センター特別講座 「中東の『いま』を知る」が開催されました 学習センター 主 催 の 特 別 講 座 「 中 東 の 池田明史大学 学 長 を 講 師 に 迎 え 、 生 涯 和主義政体など、具体的な共通点を挙 反政府的騒乱について、非産油国、共 がテーマ。アラブ諸国で次々に起きた 四月一七日、二四日と二週にわたり、 たか? ~中東大変動の背景と構造~」 『いま』を知る」を六本木校地にて開 げて、原因の解説がなされました。い まざまな要因 で I S が 台 頭 し て い く こ 油を巡る争い や 社 会 の 近 代 化 な ど 、 さ し、安価な大量の石油を前提に設計さ るように騒乱へと繋がったことに着眼 の発達が「風」となり、火が燃え上が ずれも社会に充満する政治的不満が とになった過 程 が 解 り 易 く 解 説 さ れ ま れた現代社会の行く末を先駆的に提示 第 一 回 目 の テ ー マ は「『 イ ス ラ ー ム した。ISに よ る 凄 惨 な 日 本 人 人 質 殺 しているのが「アラブの春」ではなか 「火種」となり、ICT(情報通信技術) 害 事 件 は 記 憶 に 新 し く、 参 加 さ れ た ろうか、と日本で生活する私たちに対 国』(IS)台頭の意味するもの」。石 方々は熱心に メ モ を 取 っ て 聴 講 さ れ て して、問題提起がなされました。 生からの質疑応答を受け、活発なやり どちらの講座も、終了直前まで受講 おり、この問 題 へ の 関 心 の 高 さ を 伺 う ことができま し た 。 第二回目は「『アラブの春』は春だっ 取りがなされました。 第一回、第二回と連 続で参加くださった 方も多数いらっしゃ いました。この場を お借りして、心より 感謝申し上げます。 村岡花子文庫資料 受 け入れのめざ す ところ 一〇頁 で も お 知 ら せ し て い ま す よ う に、村 岡 花 子 さ ん の 資 料 が 学 院 に移管されてきています。 第一回は三月二四日、書斎の家具の他、段ボール箱三十一箱が届き、 さ っ そ く 改 装 な っ た 学 院 資 料・村 岡 花 子 文 庫 展 示 コ ー ナ ー に て 紹 介 さ れ 始 め ま し た。箱 の 内 容 は、さ ま ざ ま な『赤 毛 の ア ン』シ リ ー ズ を 始 め、多くの翻訳作品、著作などの他、こよりでとじられた『赤毛のアン』 の 翻 訳 原 稿 な ど で し た。第 二 回 と 第 三 回 は 六 月 に、お も に 花 子 さ ん と 交流のあった女流文学者の著作群、そしてたくさんの洋書が届きました。 学 院 に 移 管 さ れ た 意 義 を 三 つ 挙 げ る と、そ の 第 一 は、貴 重 な 資 料 類 を で き る だ け 良 い 状 態 で 保 管 す る こ と、第 二 は 縁 の 深 い 母 校 に て、学 院 関 係 者 を 始 め と す る 多 く の 方 に 広 く 公 開 し、村 岡 花 子 さ ん を 身 近 に 感 じ て い た だ く こ と。そ し て 第 三 に 大 切 な の は き ち ん と 目 録 を 取 り、 資料の全体を把握して学院史料室が今後の村岡花子研究の拠点となる ことです。 目 録 づ く り は、今 ま で 村 岡 家 に あ っ て は「お ば あ ち ゃ ま の ご 本」と し て 長 年 本 棚 に 納 め ら れ て い た も の や「お ば あ ち ゃ ま の お 手 紙」と し て お 茶 箱 に し ま わ れ て い た も の が「資 料」と し て 活 用 さ れ る た め の 作 環境を整えています。 の 宝 と し て 大 事 に 扱 っ て い き た い と 願 い、 持ちを大切にしながら村岡花子資料を学院 学院への寄贈を決断された村岡家のお気 した大学生たちも手伝ってくださいました。 なって始められ、八月には、高等部を卒業 す。作業は経験豊かな史料室委員が中心と 仕事を調査し研究するための基礎になりま 業 で す。一 点 一 点 を デ ー タ に と れ ば、今 後 花 子 さ ん の 幅 広 い 活 躍 と お 整理を待つ収蔵庫の段ボール箱群 (6 月撮影) No. 17 史 料 室 レタ ー 催しました。 学院 NEWS ② 史料室連絡先 ● TEL:03-3583-3166 FAX:03-3583-3329 E-mail:[email protected] 11 2015.09.15 楓園 No.78 英和の日々 2015年4月~2015年7月 ■入園式 4月 日(金) 九 時 か ら 四 歳 児 三 一 名、 十一時か ら 三 歳 児 三 六 名 の 新入園児 を 迎 え ま し た 。 ■父母の会 5月9日(土) 学院オル ガ ニ ス ト 河 野 和 雄 先生によ る 演 奏 と 講 演 を 聞 きました 。 ■歯磨き指導 5月 日(木) 歯科衛生 士 の 岸 玲 子 先 生 を お招きし 、 親 子 で 歯 磨 き の 実習をし ま し た 。 ■母と子の 遠 足 、 母 と 子 の 集い 5月 日(金) 四、五 歳 児 は 四 季 の 森 公 園 日(金) に出かけ 、 三 歳 児 は 幼 稚 園 で遊びま し た 。 ■五歳児キ ャ ン プ 7月8日(水)~ 四四名全 員 が 参 加 し 、 追 分 日・ 日(月) 日(水) を終えました。 を歌いお祈りをし、一学期 にはホールに集い、讃美歌 を楽しみました。会の最後 親子でお店めぐりやダンス 7月 ■三歳児たのしみ会 ました。 や集いを見にいらっしゃい どもたちの遊んでいる様子 お母さま(お父さま)が子 6月 ■入園式 4月 日(金) ■四歳児親と子の集い かえで幼 稚 園 日(金) ■四歳児五歳児夕涼み会 7月 台風のため一日延期になり ましたが、この日はよい天 気に恵まれ、焼きとうもろ こし、ヨーヨーつり、ゲー ■入学式 4月9日(木) ■春の遠足 4月 日(金) 低学年は新宿御苑、中学年 小 学 部 は都立小金井公園、高学年 は府中郷土の森に行きまし た。友達との仲を深められ た一日となりました。 ■運動会 5月 日(土) どの学年もこの日のために 練習を積み重ね、持ってい る力の限りを出して頑張り ました。 日(水) ■ペンテコステ礼拝 5月 日本基督教団鳥居坂教会の 野村稔牧師をお迎えし、「舌 が来た」と題したお話を伺 いました。 ■土曜参観 6月 日(土) 二時間の授業の後、父の会 担当の方が企画されたゲー ■中学部入学式 4月7日(火) ■高二修学旅行 5月 日(月)~ 日(水) 多くの学びを得ました。 間にわたる事前学習の上に、 て理解を深めました。長期 長崎を中心に、平和につい 日(金) ィスカッションしました。 かえる場所」をテーマにデ を お 迎 え し、 「原点~たち ヌエル高津キリスト教会) 講師に藤本満先生(インマ 5月 日(月)~ ■高三修養会 中 高 部 5月 日(火)~ 日(木) ■中1オリエンテーション 清里清泉寮にて、新入生た ちが一緒に過ごし、親睦を 深めながら「敬神奉仕」や 聖書について理解を深めま した。 【大学】 日 (金) ・ 日 (土) 4月 日(土) 駐日ホンデュラス大使 タルボット氏 6月 日(土) マルレー ネ・ビ ジェラ・デ・ 藤崎一郎氏 前駐米特命全権大使 ■大使連続講演会 【大学院】 しい時を過ごしました。 また先輩との交流を深め楽 天候に恵まれ、一年生同士、 5月 ■オリエンテーション合宿 ました。 雰囲気の中で入学を祝福し 学院の伝統を感じる厳かな ト・クレイグ記念講堂にて、 ■入学式 4月2日(木) 六本木校地の新マーガレッ 大 学・大 学 院 ■人間科学特別講演会 「現代型うつ病の理解と対応」 5月 日(土) 2015.09.15 楓園 No.78 12 ム等を楽しみ、夏の夕べを ム等をして楽しみました。 オリエンテーション合宿 10 29 過ごしました。 高二修学旅行 23 18 27 13 15 14 22 16 11 11 24 23 27 12 27 22 15 17 28 10 大学付属 10 29 寮で二泊 三 日 過 ご し ま し た 。 四季の森公園のジャンボ滑り台 東洋英和幼 稚 園 3 歳児たのしみ会 1 年生ダンス「イッツ・ア・スモールワールド(小さな世界)」 この人に聞く 28 いまにつながった小学部時代 岩倉 暢子 さん よう こ いわくら 卒業生たちの軌跡を追って NHK デザインセンター 映像デザイン部 1997 年高等部卒 小学部から高等部まで英和で学び、 「あまちゃん」や「まれ」などの人気 ドラマを含め、NHK で番組美術を担当されている岩倉さん。 「絵を描くこと」が好きになり、美術の仕事につながった小学部生時代の ことを振り返り、語ってくださいました。 「あまちゃん」で一瞬 出てきたキャラクター 「見つけておじいちゃ ん」と私 ▶ 決めたとき、根っこには小学部での 「美術」の仕事をすると一九歳で 淡く使って松のツンツンした葉をう ある松で、みんなはクレパスを細く の団子が連なる、インパクトだけは ていてもよいのだ」と山口先生は救 よかったのでしょう。 それでも 「違っ 写生大会では何をどう描いたって 違 え た ら、 や り な お せ ば い い 」 。別 描くのがけっこう早い」そして「間 新 た な 発 見 を し ま し た。 「私は絵を のアイデアを試せばいいのです。神 もマンガを描くと褒めてくれるのに、 ていました。そのズレもやんわりと 何かを人に伝える仕事を続けられて ゼントされたおかげで、絵を使って これらの気づきを小学生時代にプレ 指摘してくださったような気がしま いるのでしょう。山口先生も驚いて 自分の解釈を過剰に入れて松を描い 小学部から高等部まで受験がなかっ ど う し て。 「なんか変だよ」と容赦 す。でも先生のことばのおかげで私 2013 年「あまちゃん」 (伊藤熹朔賞 本賞、映像技術賞 美術、日経ウー 13 2015.09.15 楓園 No.78 美術の授業がありました。二五年前 いの手を差し伸べてくださった。い は逃れる道を備えてくださるのです ま く 表 現 し た 写 実 的 な も の で し た。 同じ松を観て描いているはずなのに、 ま 思 え ば、 「写生」なのだから見た ( 四 半 世 紀!) も の こ と が 今 に つ な がっているなんてオソロシイ。小学 どうして違うのか。さらに、私の絵 。 ま ま を 描 か な け れ ば な ら な い の に、 ( ち ょ っ と 解 釈 間 違 っ て い る け ど ) 生のときから好きなことを続け、仕 たおかげで好きな絵を続けることが あ り ま せ ん。 見 て い る も の と 絵 が 。いつ 事にし、歳をとったようなものです。 は み ん な に「 受 け な か っ た 」 できました。 のこども」 (放送文化基金賞 本賞) 、 いらっしゃるかもしれません。 番組美術を担当。2011 年「その街 は絵を描くことを嫌いにならなかっ 持っていることにも気づかせてくだ 典芸能から音楽、ドラマまで幅広く 私の仕事はテレビの美術監督です。 いったいどこでズレたのか。私の目 その私に「パンチがあるね!」と さ り、 そ れ が、 「自分が見ているも ンセンター映像デザイン部所属。古 か、 手か、 頭か。完全に混乱しました。 た。 そ も そ も「 受 け る 絵 を 描 き た い 」 かを考え、映像化するのが仕事です。 唯一ポジティブなコメントをくれた のと、他人が見ている(見たい)も という小学生にしては変な欲望を さ ら に セ ッ ト に 飾 る グ ラ フ ィ ッ ク、 のが、山口孝子先生でした。画家と のは違う」という当たり前の視点に 山口先生 番組のロゴ、CGなども設計し、準 しては美しく繊細な赤を使ってバリ 導いてくれました。この違いをどう ■いわくら ようこ/ NHK デザイ ドラマ番組では台本に登場する人物 が何を食べ、どんな住まいや職場で 備し、収録にも立ち会って計画通り のワヤン(影絵芝居)を画題にされ コントロールし、伝えるのかが、い 暮らしているのか、なにを着ている 撮影できているかチェックするなど ていました。 んなが作ったものと自分の描いたも また、ずっと後になりますが、み まの仕事に大きく結びついています。 しています。 写生大会で 小学部に入る前から絵を描くのが 高等部三年生の球技会でのクラス全員集合の大切な写 真。担任は石澤先生(現・中学部長)。前列左端のショート カットが私。ルーズソックスが懐かしい&恥ずかしい! 2016 年 1 月放送のドラマを準備中。 のをミックスして、新しいものにす るのも面白いと思えるようになりま した。自分発信のアイデアに固執し ないのです。これも、写生大会で私 の中に「他者の目」が入ってきたか らだと思います。というのも、二枚 目ではみんなが描いていた絵を真似 て同じ松をもう一度描いてみまし た。これも受けなかった。でもまた マン・オブ・ザ・イヤー準大賞 他)、 2015 年「 ま れ 」 を 担 当。 現 在 は 好きで、特技を生かして遠足や社会 科見学のしおりに表紙を描いたこと も あ る の で す が、 五・六 年 生 の と き に行われた新宿御苑での写生大会で 衝撃を受けました。自分が観て描い たものと、同級生たちが描いたもの がまるで「違う」のです。現物が残っ ていないのが残念ですが、私の絵は ぼってりクレパスを塗り重ねた緑色 小学部 3 年生の給食風景。左端は当時の小学部長・梅沢 先生、右から 3 番目のショートカットが私、一番右は、いま 小学部3年生のお母さんとなった高田梨花(旧姓・竹村) さん 訃 報 学事顧問・評議員の 村上陽一郎 前大学学長が瑞宝中綬章を受章 年 3 月まで大学学長を歴任。東京大学・ 主な著書は、 『あらためて学問のすす 学とは何か』 (新潮選書) 『安全と安心 [作曲者の了解を得て] 、調を変えるな 富岡正男が中高生の唄い易さを考慮し 筰の原譜と、一九五六年頃音楽科教諭 年卒)の御指摘(一九三四年の山田耕 せしました。これは卒業生(一九六〇 関して編集上の改訂を行う事をお知ら 「 楓 園 」 七 七 号 で 校 歌 の「 楽 譜 」 に の「 お と も だ ち 」 、大学付属かえで幼 の「 東 洋 英 和 の 歌 」 、東洋英和幼稚園 各歌唱をCDに収録し、併せて小学部 高 合 唱 部 に よ る 原 譜 と 現 在 の 楽 譜 の、 楽譜を併せ掲載します。また同時に中 現代仮名遣いに直す)と、現在使用の い、山田耕筰の原譜(歌詞は生徒用に す。新編集の楽譜では歴史的順序に従 稚園の「かえでの子ども」 、 「東洋英和 の科学』 (集英社新書)など多数。 どの変更を加えた現在使用の楽譜が存 め』 (河出書房新社) 『人間にとって科 女学院大学歌」も収録し、九月以降に 国際基督教大学名誉教授。 完成の予定です。 評議員に就任、2010 年 4 月より 2014 聖書の言葉 村上陽一郎前大学学長(現学院学事 顧問・評議員)が、平成二七年春の叙 勲において瑞宝中綬章を受章しました。 を経て、2008 年より東洋英和女学院 在する)を参考に、深町院長が設置し 基督教大学教授、東京理科大学教授 た「校歌検討会」の結論によるもので 研究センター教授、センター長、国際 益々のご健勝とご活躍をお祈り申し上 上智大学理工学部助教授、東京大学教 「空の鳥をよく見なさい。 種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。 だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。 あなたがたは、鳥よりも価値のあるものではないか。 」 養学部助教授、教授、同先端科学技術 げます。 部、大学院で科学史・科学哲学を学ぶ。 1936 年東京生まれ。東京大学教養学 学院「校歌」楽譜の改訂・発刊と CD作成について 村上陽一郎氏略歴 マタイによる福音書 六章二六節 我が家の愛犬は動物保護団体から引き取りました。海岸をさ迷っていたところを保 健所に捕獲されたのです。汚れてやせ細って何の動物かわからないような状態だった ところを殺処分直前に動物保護団体によってレスキューされました。左目は失明し か脱走したのではないかと思われます。 そんな 彼 女、ともか く 人 が大 好 きで、散 歩の途 中でご近 所の方々やお店のスタッフ どんな人にでも喜んで走り寄ります。人間 にあいさつをしてまわります。呼ばれれば の勝手で過酷な状況を生きてきたはずです。 けれどもどこまでも人を信頼して、人が大 好きです。いつも楽しげに尻 尾を振って 一 瞬一瞬を生き抜いています。その真摯な姿 を 見 るたびにイエスさまの声 が響きます。 「これほど神さまに全てを 任せて安 心して 生きているかい?」と。 青山学院女子短期大学宗教主任 日本基督教団吉祥寺教会牧師 (一九七九年 高等部卒業) 吉岡 康子 張 替 譲 氏 元小学部教諭 二〇一四年一〇月 五 日 栗 原 正 己 氏 元中高部教諭等 二〇一五年 七 月 六 日 港区六本木 5-14-40 東洋英和女学院法人事務局総務企画部総務課 まで。E-mail:[email protected] でもお待ちしております。 今号は「おたよりコーナー TOYO Wa-Wa」はお休みさせていただきます。 ● お便りお待ちしています! 〒 106-8507 学院 NEWS ③ 学院 NEWS ④ ていて心臓に障がいがあります。恐らく「パピーミル」をさせられ、捨てられたの ―心より哀悼の意を表します― 2015.09.15 楓園 No.78 14 吉岡 淳(ジュン)&エマ [右:保護犬] 文・写真:北崎勝彦(高等部教頭) 題字・イラスト:北崎直子 表題の質 問 は 小 さ な 子 ど も さ ん か ら て黒い溶岩で覆われたと考えられてい 水はありません。大昔に火山が爆発し どうし て 月 に ウ サ ギ が い る の ? 聞かれたも の で す 。 今 ま で 聞 か れ た 中 て、比較的平らな部分です。 で も、こ れ だ け で は 子 ど も さ ん の 質 問の答えにはなっていません。その答 でも特に答 え る の に 困 っ た 質 問 で す 。 日本では古くから「月には兎がいる」 といわれて き ま し た 。 そ れ は 月 の 表 面 と 猿 と 狐 は「 自 分 た ち は 他 の 者 の 役 に えは…日本の昔話集 「今昔物語」 の中に た つ よ う に 生 き て い こ う 」と い つ も 話 の模様に由 来 し ま す 。 こ れ が 日 本 で は な る ほ ど と 思 わ せ る も の ば か り で す。 し合っていました。これを山の上から 昔、イ ン ド の 森 の 中 に 住 ん で い た 兎 この模様の黒い部分は「海」と呼ばれて 見 て い た 帝 釈 天 は、こ の 気 持 ち が 本 物 ありました。 います。昔 の 天 文 学 者 が 望 遠 鏡 で 月 を であるかどうか確かめてみようと思い 兎に見立て ら れ て き ま し た 。 外 国 で も 見 て「 あ の 黒 い 部 分 に は 海 が あ る に 違 ました。帝釈天はお爺さんに化けると、 さ ま ざ ま な 形 に 見 ら れ て い て、ど れ も いない」と考えて、「雨の海」「静かの海」 「 お 腹 が ぺ こ ぺ こ な の で、助 け て ほ し い 」と 三 匹 に 頼 み ま し た。 猿 と 狐 は 食 べ 物 を 見 つ け てきましたが、兎はどうしても 見 つ け ら れ ま せ ん。 そ こ で 兎 は、自分の体を食べてください と、自ら焚き火の中に身を投じ た の で す。 帝 釈 天 は こ の 優 し い兎の気持ちを世界中に知ら せるため、焼け死んでしまった 兎の体を月の中に移したのだ そ う で す。 兎 の 模 様 の 周 り が モヤモヤと、かすんで見えます が、これは兎が焼けてしまった 焚き火の煙のあとだそうです。 など名前を 付 け ま し た 。 で も 実 際 に は 日本では「兎の餅つき」と見られているが、 世界各地でさまざまな形に見られている。 中国では「カニ」、ヨーロッパでは「女の人の 横顔」。他にも調べてみると、いろいろなもの があり、それぞれに昔話が伝わっているものも ある。 Vol.11 同窓会より お知らせ 楓の会主催 秋の芸術公演(チャリティーコンサート)のご案内 ● 同窓会総会報告 日時:11月14日 (土) 14:00開演(12:30受付開始) 場所:中高部 新マーガレット・クレイグ記念講堂 出演:ジェラール・プーレ〈ヴァイオリン〉 、川島余里〈チェンバロ〉、 東京ハルモニア室内オーケストラ フランス・ヴァイオリン界の至宝 ジェラール・プーレ 東京ハルモニア室内オーケストラ ©Mamoru Matsui 曲目:A. ヴィヴァルディ 合奏協奏曲「四季」作品 8、1~4 他 ※曲目は変更する場合があります。 チケット:4000 円 主催:東洋英和楓の会 協賛:東洋英和 福島の子ども支援プロジェクト 【申 込 方 法】下記事項を明記の上、メールにてお申込みください。 ● 名前 ● 学院との関係 ● 電話番号 ● 人数(原則 4 名まで) [email protected] 電話・FAX でのお申し込みも受け付けます。 TEL 03-3583-3354 FAX 03-3584-5227 電話受付 9:00 ~ 17:00(土日・祝日を除く) 【申込受付期間】2015 年 10 月 5 日(月)~ 11 月 4 日(水) 6 月 6 日(土)は梅雨入り前の抜けるような青空に恵まれ、 各会同窓会に続いて学院同窓会総会が持たれました。網中彰 子牧師(高等部 1987 年卒)の「愛の業」と題しての説教で心新 たにされる礼拝を捧げた後に、議事へと進み感謝の内にすべ てが承認されました。特筆すべきこととして、今年の総会を 持って休会となるかえで会より記念品の「同窓会の旗」−楓の 校章の下に聖句、また 6 会の名前が綴られている-が贈呈さ れました。 議事の後はお楽しみ、姉妹校静岡英和・山梨英和をお招きし ての催事を行いました。始めに深町院長より三校のルーツを 語っていただき宣教師の尊い働きに想いを馳せ、続いてスラ イドショーによる学校紹介で創立者の写真や校訓などが映さ れました。上映後には、三校の卒業生が 2 名ずつ登壇しトー クショウへ。司会者の櫻井彩子さん(大学 2003 年卒)の素晴 らしい進行で各校の特色が引き出された「我が母校が一番!」 の話が続き、中でも盛り上がったのが制服自慢でした。最後 に三校の校歌を順に歌い讃美歌 312 番をもって閉会となり、 姉妹校の絆を再確認した恵まれたひと時を感謝しつつ、お茶 の会へと移りました。 当日受付でお名前と申込人数を確認させていただいたのち、代金と引き換え にチケットをお渡しします。 ※お申し込みは楓の会会員に限ります。定員になり次第、締め切らせていただきます。 東洋英和女学院 学院報 楓 園 第 78 号 発行日:2015 年 9 月 15 日 編 集:広報委員会 発 行:学校法人 東洋英和女学院 東京都港区六本木 5-14-40 Tel:03-3583-3325 メールアドレス:[email protected] ホ ー ム ペ ー ジ :http://www.toyoeiwa.ac.jp 三姉妹全員集合 楓園 No.78 2015.09.15 15
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