第49-60回 昭和の映画は

2014.7~2015.6
目
次
第 49 回 【ニューシネマ】 ………………………………………………
P
1
第 50 回 【ATG (アートシアターギルド)】 ……………………………
P
7
第 51 回 【スペクタクル (SPECTACLE)映画】…………………………
P 15
第 52 回 【パニック (PANIC)映画】……………………………………
P 21
第 53 回 【ヨーロッパ映画】マカロニ・ウェスタン編…………………
P 28
第 54 回 【ヨーロッパ映画】イタリア編 ………………………………
P 34
第 55 回 【ヨーロッパ映画】フランス編
P 41
第 56 回
………………………………
【ヨーロッパ映画】西独・ポーランド・ユーゴ・オーストリア・スェーデン・ソ連・
ギリシャ・スペイン・デンマーク・スイス編 ………………………………
第 57 回 【ヨーロッパ映画】合作編
P 48
………………………………
P 55
第 58 回
【未紹介国の映画 Ⅰ】 中東・アフリカ・南米編………………
P62
第 59 回
【未紹介国の映画 Ⅱ】アジア編(インド・タイ・ベトナム共和国・
北ベトナム・韓国・北朝鮮・フィリピン・モンゴル・台湾・中国・香港
…………………
P 69
第 60 回 【記録映画 (DOCUMENTARY)】
………………………………
P 76
Web 版→ http://kitaichou.sakura.ne.jp/eiyoueiga.html
シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 49 回)
【ニューシネマ】
私の二十代中頃から、何となく世の中が騒がしくなってきたのを感じ始めてい
た。労働闘争に安保闘争が連日新聞・テレビで報道されていた。
学生たちは、大学生が高・中学生を巻き込んで暴徒化して、「安保反対!!」と
叫んで火炎瓶を投げ列車を止めたりしていた。今ならテロリストですなあ。
大義は無く、警官に追いかけられると、市民の背中に逃げる卑劣な奴等だった。
そいつらが今や政治家や企業のトップで、ご存知の通り中国や韓国に足元を
すくわれる有様。ああ情けなや!情けなや!
日本が「安保反対!」って叫んでいた頃、米国では長引くベトナム戦争で国民の
間では厭世気分が充満していた。何時爆発してもおかしくない時、最初に爆発し
たのが映画人だった。
美男美女のハリウッド・スター達の「ハッピー・エンド」の映画では、世の中と
ギャップが有り過ぎて観客が白けて離れて行く常況であった。
そんな危機感から生まれたのが脱ハリウッドだった。脱とは、ハリウッド資金
をあてにせず撮影所も俳優もスタッフも配給網も全部自前で揃える事なのです。
そして活動場所がニューヨークやボストンだったりするので、ニューヨーク派
とかボストン派と呼ばれて生まれた映画を[ニューシネマ]と表現したのだと思い
ます。だと思いますと云ったのは、諸説紛々(しょせつふんぷん)だから、自分な
りに推測しました。
[ニューシネマ]で登場する主人公は正義の保安官や FBI ではなく、列車強盗犯
やギャングなのです。
今までのハリウッド映画のように、目出たし、目出たしの大団円で観客を気持
ちよく帰宅させてくれないのです。敗戦後、家無し職なし食物無しで、その日を
どう生きるか希望を持てない暮らしだったのですが、唯一映画が心を救う娯楽と
して、明日に夢を繋いでくれたのが、ハリウッド映画でありました。
今振り返っても、ハンフリー・ボガード初め、ジョン・ウェイン、ジェームス・
スチュアート、クラーク・ゲイブル、グレゴリー・ペック、ロバート・テイラー、
エロール・フリン等の男優に彩りを添えるように、スーサン・ヘイワード、
モーリン・オハラ、デボラ・カー、イングリッド・バーグマン、グレース・ケリー、
オードリ・ヘップバーン等の美女達にうっとりしたものです。
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そしてドラマは途中はらはらどきどきしても最後はハッピー・エンドでした。
だが歳月は残酷なもので、天の摂理には逆らえず精彩を欠いていった。
[ニューシネマ]はそんな時代に生まれるべくして登場したと思います。
そして次代を背負うニュースターが続々誕生してきました。
作品と共に紹介しましょう。
●1967 年(昭 42)起点となった映画 3 本
「俺達に明日はない」(米)
Bonnie and Clyde
1967 年製作 日本封切(昭 43)
監督 アーサー・ペン
1930 年代大恐慌の頃、クライド(ウォーレン・ビューティ)とボニー(フェイ・
ナウェイ)は、泥棒の恋人同士。
犯行は全て成功するし、若者モス(マイケル・J・ポラード)も仲間入りして三人
の息もピッタリ。
だがその後、クライドの兄夫婦(ジーン・ハックマン、エステル・パーソンズ)が参
加するようになってからは対立することが多くなり、ツキも落ち目になってくる。
連日マスコミに騒がれ、若者モスの父親が息子の助命を条件にボニーと
クライドの隠れ場所を密告。急襲する警官隊とド派手な銃撃戦。若い二人が
自動車で逃げようとする背中に胸に何百発もの銃弾がめり込むド派手なラスト・
シーン。
※(付記)この映画が[ニューシネマ]の原点だと伝えられている。
アカデミー助演女優賞(エステル・パーソンズ)・撮影賞
「卒 業」(米)
The Graduate 1967 年製作
監督 マイク・ニコルズ
作詞・作曲 ポール・サイモン
日本封切(昭 43)
歌 サイモンとガーファンクル
この作品は青春ラブ・ロマンスなんだけど、古い人間には何となく不快感が
する映画。ベンジャミン(ダスティ・ホフマン)は大学ではスポーツ万能、頭脳優
秀なれど、容姿にはいささか劣る青年。
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卒業式のパーティを両親が開いたが、来客ロビンソン夫人に誘惑されて密会
を重ねる。
だが娘(アン・バンクロフト)が大学から自宅に帰って来た事で話がおかしく
なる。彼が娘の清純さに心をひかれる。娘の母は女として娘に嫉妬し、彼との
関係を話す。ショックを受けた娘は傷心で学校に戻って行く。
そして娘は他の青年と結婚しようとするその日、教会に乗り込み、花嫁姿の
彼女の手をとって逃げ出すのである。
そのシーンにヒットした主題曲「ミセス・ロビンソン」が流れる。
※(付記)アカデミー監督賞
「夜の大捜査線」(米)
In The Heat of The Night
1967 年製作 日本封切(昭 42)
監督 ノーマン・ジェーソン 原作 ジョン・ポール「夜の熱気の中で」
音楽 クインシー・ジョーンズ 主題曲(タイトルと同じ)
歌 レイ・チャールズ
この映画はハリウッド作品なのですが、黒人が主役の刑事ドラマなので、当時
のハリウッド事情では無理であり、オール・ロケで撮影されたそうです。
主役のシドニ・ポヮチェは 1963(昭 38)に「野のユリ」で主役をしていますが、
黒人が主役するのは特異な作品のみでした。
刑事で主役と云えば白人の指定席だったものをボヮチェが主演したのは、
[ニューシネマ]の流れと思い選びました。
ストーリーは、都会から南部の黒人に偏見の強い田舎町に黒人刑事が現れる
ことによって、警察署長 (ロッド・スタイガー)との確執が生まれる。町民達も
不協力の中、見事犯人逮捕する。
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その間に署長との間に徐々に信頼感が生まれ、帰る時には車で駅まで送り、
黙したまま鞄を持ってやる。それが南部男の感謝の気持なのだ。
※(付記)アカデミー主演男優賞(ただしロッド・スタイガーの方)、
作品賞・脚本・編集・音響など五つの受賞
●俳優二人が共同制作した青春アウト・ロー作品
「イージー・ライダー」(米)
Easy Rider
1968 年製作 日本封切(昭 45)
監督・脚本・主演 デニス・ホッパー
製作・脚本・主演 ピーター・フォンダ
(父は名優ヘンリー・フォンダ、妹にジェーン・フォンダ)
若者二人が麻薬売買でまとまった金を手に入れ、オートバイで彼らの心の中
にあるフロンティアの地に向って出発。だが立ち寄る町々でトラブル。
それはアメリカの現実社会だった。
ヒッピー・マリファナ・ベトナム反戦など、自分達の幻想が見えてくる。
生きるのに残された時間はもう少ししかない。
[ニューシネマ]の中で若者に一番支持された映画だった。
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●[ニューシネマ]西部劇
「明日に向かって撃て!」(米) Butch Cassidy and The Sundance Kid
監督 ジョージ・ロイ・ヒル
1969 年製作 日本封切(昭 45)
音楽監督 バード・バカラック
ストーリーは何てことはない、二人の銀行強盗の末路までの物語ですが、
主人公キャシデイ(ポール・ニューマン)、キッド(ロバート・レッドフォード)が、
彼らの新天地ボリビアに夢を抱く姿を描いている。残り少ない命なのにー。
映像も俳優のセリフも挿入曲も斬新で、西部劇らしくない。
その良悪(よしあし)は別にして、当時の若者には受けたのです。
書き忘れましたが、キャシデイの恋人約(キャサリン・ロス)もこの映画で人気
スターになった。
※(付記)四つのアカデミー賞 オリジナル脚本・撮影・作曲・主題歌「雨に
ぬれても」賞
「雨にぬれても」は憶えておられますか。保安官に追われて、
心の休まる間もない時、 自転車にキャサリン・ロスを乗せた
ポール・ニューマンの一時(ひととき)の恋人との時間に楽しそう
な姿の描写。オーバーラップするようにこの曲が流れていました
ね。
5
●これぞ[ニューシネマ]と云われた映画
「真夜中のカーボーイ」(米)
Midnight Cowboy
1969 年製作
監督 ジョン・シュレンジャー
日本封切(昭 44)
原作 ジェームス・レオ・ハーリヒー
若者達は大都会ニューヨークに夢と希望を抱いてやってくる。
カーボーイ・スタイルの南部男ジョー・バック(ジョン・ボイド)もその内の
一人だった。
やがて、夢の大都会は冷たく、自分の気持ちと掛け離れた孤独を味わう。
そんな中、肺病で片脚のしょぼくれた小男ラッツオ(ダスティ・ホフマン)と
知り合うが、何故かラッツオと居る時が一番心を癒されるのだった。
都会に負けた小男にも夢がある。太陽がまぶしいフロリダに行く事だった。
やがて夢がかないフロリダ行のバスに喜んで乗り込む∼が、目的地に着く前
に静かに死んでいく。
大都会の底辺で暮らす人は様々な悲しみを背負って生きている。
街娼、ホモ、麻薬中毒、色々なペテン師等。主人公の二人も友情を育(はぐく)
みながら希望を捨てずにきたが、世の中の誰が幸せかを描いた作品。
※(付記)アカデミー賞は作品・監督・脚色賞。ダスティ・ホフマンは「卒
業」と「真夜中のカーボーイ」で大スターとなり、その後「ジ
ョンとメリー」(1969)、「小さな巨人」(1970)等多数の出演作
で 100 万ドルスター(当時の)になったと云われた。
大男揃いのアメリカで、163cm の小男が大スターになった。
[ニューシネマ]とくれば、次回は A・T・G をとりあげねばなりませんね。
映画はよろしいなあ!
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シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 50 回)
【ATG (アートシアターギルド)】
1961 年(昭 36)11 月に ATG が創立された。
正式名は株式会社アートシアターギルドと云う映画会社であります。
世界の映画産業はすでにピークが過ぎ斜陽化が進み始めており、米国や
ヨーロッパ各国も劇場数が急カーブで減少していると新聞で報道されていた。
一方、国内においても同様で 1960 年(昭 35)をピークに、劇場が年度ごとに
数百館ずつ減少し、メジャー映画会社6社(大映・松竹・東宝・東映・日活・新東宝)
の内、新東宝が ATG 設立の 5 ヶ月前の 6 月に不渡りを出して倒産する業界情勢
でありました。
ちなみに、この 11 月は大映が日本初の 70 ミリ映画「釈迦」を公開したとこ
ろ、日本映画界で久々に大ヒットを飛ばしました。
そんな中、メジャー5 社と差別化を計るように、「芸術映画」と称する難解で
意味不明なコンセプトでスタートしたのです。
メジャー5 社は、直営館、契約館、フリー館(館主単独で映画を選択)で成りた
っているが、ATG はこのフリー館をターゲットに契約して、商業ベースに乗らな
い邦洋画を配給したのです。
私が実際に鑑賞した劇場は、東京では新宿文化劇場(ATG の象徴的劇場)や渋谷
駅前の東急会館内の小劇場(名称失念)、日劇文化でした。
大阪では北野シネマや大毎地下劇場。神戸では阪急文化で京都は美松映劇だ
ったと記憶しております。これらの劇場で俺も見た。私も見たわって方々は、
ひょっとしたら席を同じくしていたかも知れませんね。---と此処迄は冷静に
お話し致しましたが、この先は私の感性で云わしてもらいまっせ!
映画をこよなく愛する私は ATG を怒っております。嘆いております。映画を
冒涜したと思っております。
全ての作品と云う訳ではありませんが、上映作品の中には、反吐(へど)が出
そうな映画や警察のご厄介になったエログロ映画や脳細胞が狂った監督の意味
不明の自慰的映画等を世に送り出すのは、背後に外国の政治的意図を感じます。
それは私だけでしょうか。この様な策略は現在も続いており、メーデーなど
で先頭でシュプレヒコールをする人達には、必ず別の意図があると雑誌の記事
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に書いてあった。
時代背景も丁度 60 年安保の後の 70 年安保運動の最中でもありましたし、
それから数年後には全学連の左向きの連中が高校生も巻き込んで JR 新宿駅で
火炎ビンを投げて電車を止めた時、私はリアルタイムで目撃しました。
奴らは警官が撃つ催涙弾に対して、我々の背中に逃げ、市民を盾がわりに
していたのを今でも忘れられません。
そして奴らのデモ参加の待合せの場所の一つとして、ATG 上映劇場に来ていた
のです。
管直人なども、その内の一人だと思いますが、卑劣な当時の連中が現在の政
治家であり、経済人で日本の中核を担っていると思うと嫌になっちゃいますね。
映画は敗戦後、唯一の娯楽として、心の友として頂ける様に心掛けて映画を
創ってきたのです。
観客に明日への希望を与えたり、感動で胸熱く家路に向かわせたり、勇気を
持たせたりする事が製作意図だったのです。
当時撮影所にいて別の側面があった事もお話し致さねばなりません。
我が大映撮影所も、東西撮影所共に製作本数が激減し、表方(俳優)、裏方
(スタッフ)共に仕事がなく、危機感が充満していた。
やがて、その気持ちは外に向かって行く。
俳優も監督、助監督、キャメラマン、照明、録音、編集、脚本家、その他の
技術や知識者も、経済的問題もさりながら、映画を創りたい一心が TV や ATG に
流れていった面もあるのです。
戦後から世の中も落ち着き、人々の娯楽も映画以外にゴルフやマージャン等
選択するものが増えたのです。
大映で勉強会の仲間だった助監督さんが、「相談に乗って欲しいんだけど...」
とセットの隅で話し始めた。
「ATG から映画一本撮らないかと云ってきたんだけど」「けどって?」と聞くと、
「製作費は一本一千万円の予算だが、俺と折半でお願いしたいと云うんだ。」
「何だか虫のいい話やなあ。5 百万円用意出来るの?」と聞くと「出来ないから、
何か知恵ないか相談したいんだ。」私はその間色んな事が頭をよぎったが、「止め
とき!メジャー他社がそう云ったんなら、職を賭けて勝負すればいいと思うけ
ど、ATG 作品で成功しても他の映画会社からは、カラーが違うと云って敬遠され
るで」と私は言いました。
私の発言が正しかったか否かは分かりませんが、その後彼は TV の世界に飛び
出して、脚本・監督として活躍する様になりました。
ATG は 1961 年 11 月に、他の映画会社とは一線を画し、非商業主義的な芸術
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作品を製作・配給を目差す。とのコンセプトで発足した。
それらの作品を年度ごとに紹介致します。私も正直なところ、今一度観賞
するか。と問われば、ノーサンキューと思います。
テーマが、牧師の堕落や近親相姦や性の解放と称するエログロ等、自らを
インテリと思っている
奴らの芸術作品とは性格破綻者が観賞する映画だったのです。全ての作品と
云う訳ではありません。断っておきますが、私の主観であります。
●1962(昭 37)上映作品
「尼僧ヨアンナ」(ポーランド) Matka Joanna or Aniolow 1960 年製作
原作者 ヤロスワフ・イワシキェウイッテ
監督
イエジー・カワレロウイッチ
「野いちご」(スェーデン)
監督
Smultronstallet 1957 年製作
イングマル・ベルイマン
1958 年ベルリン映画祭グランプリ受賞
「人 間」(日)
1962 年製作
近代映協
監督・脚本 新藤兼人
原作 野上弥生子「海神丸」より
出演 殿山泰司、乙羽信子、佐藤 慶
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●1963 年(昭 38)上映作品
「二十歳の恋」(仏・伊・日・西独・ポーランド)
各国の若者達の恋をオムニバスで各国で製作。日本編は脚本・監督 石原慎太郎
「ピアニストを撃て」(仏)
1960 年(昭 35)製作
Tirez Sur Le Pianiste
原作 デビット・グーデス
監督 フランソワ・トリュフォー
出演 シャルル・アズラヴ−ル、マリー・デュボワー
「僕の村は戦場だった」(ソ連)
1962 年(昭 37)製作
Ivanovo Detstvo
原作 ウラジミール・ボゴモフ
監督 アンドレイ・タルコフスキー
サンフランシスコ映画祭 監督賞受賞
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●1964 年(昭 39)上映作品
「女ともだち」(伊)
1955 年(昭 30)製作
Le Amiche
監督 ミケランジェロ・アントニオーニ
出演 エレノア・ロッシ・ドラゴ、ガブリエル・フェルゼッテイ
ベネチア映画祭 銀獅子、イタリア映画祭 銀リボン監督賞・撮影賞・
助演女優賞(ヴァレンティーナ・コルテーゼ)受賞
「私はそんな女」(米)
1958 年(昭 33)製作
That kind of Woman
監督 シドニー・ルメット
出演 ソフィア・ローレン、タブ・ハンター
●1965 年(昭 40)上映作品
「道化師の夜」(スェーデン)
1953 年(昭 28)製作
Gycklarnas Afton
監督 イングマル・ベルイマン
出演 オーケ・グレンベルイ、ハリエット・アンデルソン
「82/1」(伊)
1963 年(昭 38)製作
Otto e Mezzo
監督 フェデリコ・フェリーニ
出演 マルチェロ・マストロヤンニ、アヌーク・エーメ
●1966 年(昭 41)上映作品
「憂 国」(日)
1966 年(昭 41)製作
原作・製作・監督・主演 三島由紀夫
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上映時間 26 分の短編
「魂のジュリエッター」(伊)
1964 年(昭 39)製作
Giulietta Degli Spiriti
監督 フェデリコ・フェリーニ
出演 ジェリエッタ・マシーナ、シルバー・コシナ
「小間使いの日記」(仏)
1964 年(昭 39)製作
Le Journal D'une Femme de Chambre
原作 オクターブ・ミルボー
監督 ルイス・ブニエル
出演 ジャンヌ・モロー、ジョルジュ・ジェ
●1967 年(昭 42)上映作品
「二十四時間の情事」(仏・日)
Hiroshima Mon Amour
1959 年(昭 34)製作、1967 年(昭 42) 再映
原作 マルグリット・デュラス
監督 アラン・レネー
出演 エマニエール・リバー、岡田英次
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「ラブド・ワン」(米)
1965 年(昭 40)製作
The Loved One
原作 イブリン・ウォー
監督 トニー・リチャードスン
出演 ロバート・モース、ロッド・スタイガー
●1968 年(昭 43)上映作品 世界一長いタイトル
「マルキ・ド・サドの演出により、シャラントン精神病院の患者た
ちによって演じられたジャン・ポール・マラーの迫害と暗殺」
(英) 1967 年(昭 42)製作 原題省略
原作 ベーター・ヴィアスの同名戯曲の映画化
監督 ピーター・ブルック
出演 イアン・リチャードスン、英王立シェークスピア劇団員 41 名
●1969 年(昭 44)上映作品
「心中天網島」(日)
1969 年製作 表現社&ATG
監督 篠田正浩 出演 岩下志麻、中村吉右衛門
近松門左衛門の浄瑠璃の映画化
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●1970 年(昭 45)上映作品
「エロス+虐殺」(日)
1969 年製作 現代映画社&ATG
監督 吉田喜重
出演 岡田茉莉子、細川俊之
●1971 年(昭 46)上映作品
「書を捨てて町へ出よう」(日) 1971 年製作
人力飛行機プロ&ATG
製作・原作・脚本・監督 寺山修司
出演 当時無名の劇団員
イタリアサンレモ映画祭 グランプリ受賞
●1972 年(昭 47)上映作品
「沈 黙」(日)
1971 年製作 表現社&東宝 再映
原作 遠藤周作
監督 篠田正浩
出演 岩下志麻、三田佳子、デビット・ランプソン
まだまだ列記出来るのですが、ATG との契約劇場が音(ね)をあげて、
上映館探しをしなければならなくなりました。これ以後は又の機会に
致しましょう。
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シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 51 回)
【スペクタクル
(SPECTACLE)映画】
戦後復興期の日本は、金も無ければ物も無い、欠乏感が国民の間に漲 (みな
ぎ)っていました。
それは映画製作においても同じ事でした。あらゆる機器材が不足で、監督
以下スタッフ達もみみっちくなり、創造意欲までも欠乏する有様でした。
製作費も 1 本数千万円で製作していた時代に、戦争に勝ったアチャラの国
から 1 本数十億円の映画が入荷してくるのです。
ロードショー劇場の看板まで総製作費 30 億円の大スペクタクル映画なんて
宣伝されたら、邦画は太刀打ち出来まへんがな。
必然的に邦画は箱庭的小品が蔓延(まんえん)する事になります。要するに
じり貧ですわ。
日本の映画人達も歯ぎしりして見ていたら、その内高い製作費をつっこんで
も、客入りの悪い作品が出始めたのです。
その理由は色々あると思いますが、一つには TV(電気紙芝居)の普及ですが、
根本的にはドラマ性の欠如が大きな理由だろうと私は思います。
人間の魂に訴えかけるドラマ性や感動が加味されて、ドラマの骨子が出来る
のです。日本の映画人はそのことに気付き、アチャラの映画にあおられる事な
く良い映画を創ってきたのです。
これらはある監督さんと酒席で会話した時の要約ですが、最後に云われたの
は、「三木君、宝くじが当ったら、おもいっきり美味しい物食べたいと思うや
ろ。」「僕も一度、このぐらいの製作費を使って映画撮りたいわ。」 その気持ち
痛いほど分かります。
【スペクタクル映画】と云えば、豪華絢爛・大がかりな仕掛け・大群衆を動か
す壮大な光景など、お金が掛かるのが相場だったのですが、CG 技術が急速に進
歩した今。
大群衆も大がかりの仕掛けも、それらをぶっ壊すのも自由自在に CG(コンピュ
ーター・グラフィック)の中で、イメージ通りの映像が出来るのです。
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これからご紹介する映画は昭和の時代の大スペクタクル作品の一部です。
他のジャンルで紹介した作品は出来るだけ外して記載しております。
●巨大セットを壊す快感を味わう映画
「サムソンとデリラ」(米)
1950 年製作
日本封切(昭 27・36)
Samson and Delila
監督 セシル・B・デミル
原作 旧約聖書の一説より
怪力の若者サムソン(ビクター・アチュア)は心優しい娘(アンジェラ・
ランズベリー)と結婚を約束する。
しかしサムスンに横恋慕した娘の姉デリラ(ヘディ・ラマー)は二人の仲を邪
魔し、混乱のなか妹と父が死ぬ。サムスンは怒り狂うが、太守の女となった
デリラは太守をそそのかし、サムスンを捕えて目をくり抜く。
怪力のサムスンハ怒りの全てを怪力に託して暴れ、捕えられていた寺院を
崩壊させる。男と女の不条理の愛憎劇と申しておきましょう。
要塞の様な大きな寺院の崩壊シーンは、当時の映画としては最大級のスペク
タクルでしたよ。
※(付記)アカデミー美術監督賞 装置賞 衣装デザイン賞 受賞
「十 戒」(米)
1957 年製作
日本封切(昭 28・42)Tee Commandments
監督 セシル・B・デミル
原作 旧約聖書の「十戒」より
エジプトの暴君(ユル・ブリンナー)が、イスラエル人を虐(しいた)げるので、
モーゼ(チャールストン・ヘストン)は神の教え通りイスラエルの民を連れてエ
ジプトを脱出。
神の力により紅海が真二つに割れ、イスラエルの民が逃げる。後を追って
きたエジプト軍も渡ろうとするが、割れ目は閉じ波が兵を襲う合成技術が
スバラシイ。
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シナイ山でモーゼが神の力を借りて、岩に「十戒」が刻まれるシーンも迫力
満点。中学時代にこの映画を見た時、正直なところイスラエル人阿保かいなと
思いました。
だって、「汝、物を盗むなかれ」とか「姦淫(かんいん)するなかれ」など、人間と
して当たり前の事をわざわざ神様の力を借りて教わらないかんほど頭が悪いの
か、とその時は思ったのです。
しかし映画は大スペクタクルシーン満載の手に汗を握る迫力でした。
●ローマ帝国時代の物語
「クオ・ヴァディス」(米)
1952 年製作
日本封切(昭 28・40)
Quo・Vadis
監督 マービン・ルロイ
原作 ヘンリック・シェンキーヴィッチ(ポーランド人)
西暦 64 年ローマは暴君と呼ばれたネロ(ピーター・ユスティノフ)が皇帝で
あった。丁度その頃ローマでキリスト教が勢いを増していた。 ローマ兵士
マーカス(ロバート・テイラ)は、キリスト教信者の女リジア (デボラ・カー)と
恋に落ち、キリスト教に帰依(きえ)する。
暴君ネロはキリスト教をこのままにしては自分の地位も危ないと思い、教徒
を迫害する。
それは円形劇場でライオンに教徒を食べさせたり、ローマ市街を火の海に
したりと悪政を行う。
これを見たローマ兵士マーカスはネロに対し正義の刃を下す。
※(付記)この作品はローマで撮影されたのですが、昭和 28 年上映のパン
フレットを見ると総製作費 650 万ドル(@360 円で試算して 23 億
4 千万円)が戦後復興中のローマ市民を潤したと記されていた。
「アレキサンダー大王」(米)
1955 年製作
日本封切(昭 32)
Alexander The Great
監督 ロバート・ロッセン
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紀元前4世紀。マケドニア王フィリプ(フレデリック・マーチ)は大軍を率いて
ギリシャの都市を次々陥落させ、首都アテネ近くに迫っていた。
その頃、国で王妃オリンピア(ダニエル・ダリュー)が息子を生んだ。
息子はアレキサンダーと名付けられ、フィリップ王は学問の師として、
アリストテレス(バーリ・ジョンズ)を招いた。
やがてアレキサンダー(リチャード・バートン)は王位継承し世界統一の理想
を説く。
大王の恋人バシーヌ(クレア・ブルーム)が大王の心の師として、後に熱病で死
が迫った時、彼女は「貴方はその偉大さによって死になさい」と答える。
彼が 33 歳の時であった。
※(付記)当時の映画パンフレットには、のべ数十万人のエキストラを
使ったとある。1980 年にギリシャ・伊・西独共同制作で同名の
映画化有。日本でも昭 56 に封切られている。
「スパルタカス」(米)
1960 年製作
日本封切(昭 36・42)Spartacus
監督 スタンリー・キューブリック
原作 ハワード・ファスト
製作 カーク・ダグラス
紀元前 1 世紀頃のローマ政界では、大将軍クラサス(ローレンス・オリビエ)と
元老院のグラッカス(チャールズ・ロートン)が対立していた。
奴隷剣士スパルタカス(カーク・ダグラス)は、同じ奴隷の妻(ジーン・シモン
ズ)を深く愛していた。クラサスの奴隷達に対する強圧的な仕打ちに辛抱出来ず、
奴隷達による反乱軍を組織し幾多の戦いで勝利を収める。
だが最後にローマ正規軍との戦いに敗れ、スパルタカスは磔(はりつけ)の
刑で一生を終える。
妻との間に息子が居たが、未来の奴隷解放の指導者に成りうる----だろうか。
心に残る名場面は、ローマ正規軍に捕まった何千人もの奴隷軍にローマ軍
司令官が「スパルタカスは名乗れ!」というと、「俺がスパルタカスだ!」と
奴隷達全員が答える。
そして全員が刑場に向かって歩き始める。ぐっときまっせ。よろしいな。
※(付記)アカデミー助演男優賞(ピーター・ユスティノフ) 撮影・美術・衣裳
デザイン賞
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「ジンギス・カン」(米・英・西独・ユーゴ) 1965 年製作
日本封切(昭 40)
Gebghis Khan
監督 ヘンリー・レビン
70m/m 作品で大画面に大音響、人・馬の群。迫力満点文句なし!
テムジン(オマー・シャリフ)と宿敵ジャムカ(スティーブン・ポイド)は相容れ
ぬ関係だった。
テムジンは北方の蛮族と戦って勝利する。その時から「征服者の王」ジンギ
ス・カンの称号を与えられ、諸部族が彼の元に集まってきた。
モンゴルの力は強大になっていった。一方ジャムカはペルシア王(イーライ・
ウォラック)と手を組んでジンギス・カンに向かってきた。
ついに宿敵同士、壮絶な戦いが始まった。勝利するのはどっちだ!
※(付記)ジンギス・カンを主人公にした作品は多いが、私が憶えているの
は「成吉思汗」1951 年(昭 27) 主演 デビット・ファーラ、
アン・ブライス と「征服者」1956 年(昭 18) モンゴルロケ
主演 戸上城太郎 橘公子です。
「誇りと情熱」(米)
1957 年製作
日本封切(昭 33)
The Pride and The Passion
製作・監督 スタンリー・クレイマ
原作 G・S・フォレスター「大砲」
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この映画の主人公は大砲であり、狂言回しの役割なのである。
ナポレオンの占領下にあるスペインで、開放の為の戦いをしている、ある
ゲリラ部隊の活躍のお話です。
ゲリラによって敗退するスペイン軍が放棄した大砲を奪うのと同時に
スペインの海軍大佐(ケーリー・グランド)を捕虜にする。
ゲリラ部隊には隊長(フランク・シナトラ)と紅一点ジュアナ(ソフィア・
ローレン)がいた。
大砲と共に道中、山あり谷あり、転倒などのトラブルがありながらも目的地
に到着。それ程までに苦労した大砲だが、やがて戦場で敵、味方関係なく砲弾
は炸裂するであろう。虚しいでんなあ。
※(付記)映画パンフレットには、この大砲を作ったが、砲身 9m、車輪直径
2mで重くって移動が大変なので、5 つ作ってロケ地ごとに置いた
そうな。
●女性監督による戦争スペクタクル映画
「戦 場」(ソ連)
1960 年製作
日本封切(昭 36)
Story of The Flaming Years(英訳タイトル)
脚本 アレクサンドル・ドバジェンコ(ソ連映画監督)の実体験
監督 ユーリア・ソーンツエバ(ドバジェンコの妻)
ソ連初の 70m/m 大作で、ソ連陸・海・空全軍の協力によって、武器、人員、火
薬の使用制限なしで、第二次大戦の 1941 年からの独ソ戦を忠実に再現した戦闘
シーンはすごい迫力でした。
冷戦時代のソ連映画ですが、日本では劇場が連日満員だったそうです。
※(付記)カンヌ国際映画祭 監督賞受賞 女性監督でこんなスペクタル映像
を撮れるなんて信じられない!「戦場」のタイトルの映画は戦後で
も他に 3 本あります。1949 年(米)、1978 年(米)、1989 年(米)です。
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シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 52 回)
【パニック
(PANIC)映画】
日常私達は、社会の人々とそれなりの接点を持って生きておりますが、ある
日突然、降って湧いた様な出来事に出くわしたと致しましょう。
その時。貴方の心は。貴方の行動は。--- どうなっているでしょうか。
パニック映画のテーマはここにあるのです。脚本家や監督など製作サイドの
楽しみもここにあるのです。
人の表の姿と、突然現れる裏の姿。そのギャップが創り手の腕の振るいどこ
ろだからです。
皆様も人の心の行動は、思いがけない形で現れるのを経験したことあるでし
ょう。
つい最近では、韓国フェリーの船長や船員の行動は、人としての常識では
計り知れないことを起こすのです。
聖職者と云われる学校の先生、医者、政治家、警察官等が、この突然に遭遇
したらどんな行動や表情が見えてくるのでしょうか。
又、私や貴方が遭遇したら、どう行動するでしょうか?興味深い事ですね。
映画の場合は、唯これだけではなく、その原因になるパニックの種類や
内容も、観客を映像に引きずり込む重大な要素なのです。
辞書でパニックを検索すると、「災害などに直面した時、”群象”が引き
起こす混乱状態」と説明されております。
但し、映画はこの混乱状態の必然性の人物像を幾人かピックアップして
描かねばなりません。
不安定なストレス状態の観客を、希望ある解決に向かってのストーリー展開
が必要になってくるのです。
パニック映画には、個人をターゲットにした作品が多々あります。
「裏窓」(1945)「ダイヤル M を廻せ」(1954)「暗くなるまで待って!」(1967)
など佳作もありますが、今回は”群象”を描いた作品を紹介致します。
昭和の時代の最大のパニックは日本に原爆を投下された事でしょうか。
皆んな忘れないでね。
平成の時代も、想像力豊かな作家でも及ばない事が現実に起こっております。
2000 年 9 月 11 日 ニューヨークで貿易センターツインビルに二機の旅客機が
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突っ込んだテロ行為や東北大震災で、東京電力の原子力発電所がメルトダウン
(原子炉の炉心溶融)寸前だったこと等想像外でありましたな。
東日本大震災での関係者の醜い姿は、東電吉田所長の公開で明るみに出まし
たが、いつの日か映像作家によって、映画になるでしょう。
●船で起こるパニック 2 本紹介
「SOS タイタニック・忘れえぬ夜」
(英) 1958 年製作 日本封切(昭 33)
監督 ロイ・ベイカー
A Night To Remember
1912 年 4 月 15 日 午前 2 時 30 分 英国豪華客船「タイタニック号」が氷山に
激突し沈没したのは、歴史的事実として皆なも知っていると思うが、乗務員と
乗客合わせて 1502 名が、その瞬間から、色んなドラマが生まれていたので
ある。
2等航海士(ケネス・モア)を中心に助けられる側、救助する側の有様を描い
た作品。
歴史的事実として 1502 人中、助かったのは 705 人だった。
「ポセイドン・アドベンチャー」
(米) 1972 年製作
監督 ロナルド・ニーム
日本封切(昭 48)The Poseidon Adventure
豪華客船「ポセイドン号」が大津波に出くわし転覆。船内は上下が逆転し、
全ての風景が、天井が足元であり、階段はぶら下がる様に登らなければなら
ない有様。
海水が下から湧き上ってくるので、出口なき船底に向かって乗客や船員が
脱出を開始。
ドラマの中心の一群も、先導する牧師(ジーン・ハックマン)と一群
(アーネスト・ボーグナイン、キャロル・リンレイ、 シェリー・ウインタース、
レッド・バトンズ)等は、危機による恐怖や疑念や共助で生まれる絆(きずな)が
ドラマを盛り上げる。
当時この映画を見て「良くこんな事考えつくなぁ。参った!」と思いました。
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※(付記)アカデミー特撮賞・主題歌賞 受賞
撮影の裏話
① 撮影で使用された水量は約 3000 ガロン。水道会社は、市に
水飢饉になると訴えた。
② 男女合わせて 130 名のスタントマン動員。
●航空機で起こるパニック
「エアポート'75」(米)
1974 年製作
日本封切(昭 49)Airport 1975
監督 ジャック・スマイト
ボーイング 747 ジャンボ機コロンビア航空 409 便は、定刻通りロスに向けて
飛び立った。
機内は人生の縮図だ。女優グロリア・スワンソン(本人)や病弱の少女(リンダ・
ブレア)、尼僧(マーサー・スコット)等だ。機長(エフレム・ジョンバリスト・ジュ
ニア)、チーフ・スチュアデス(カレン・ブラック)等はてきぱきと仕事を進めてい
た。快適飛行中の同時刻 409 便のすぐ近くを飛んでいた小型機の操縦士(ダナ・
アンドリュース)が心臓発作で死亡。だが握ったままの操縦桿が 409 便の操縦席
に激突した。副操縦士や機関士は即死、機長は重傷で操縦不能。
さあ大変!会社で色々検討した結果、ジャンボ機のスピードを下げてヘリコ
プターの速度に合わせ、主人公(チャールス・ヘストン)を操縦席にもぐり込ませ
た。ここで客席から安堵(あんど)の声と拍手が起こった。
いやはや肩が凝りました。これぞ見せる映画ですなぁ。
※(付記)以後エアポートはシリーズ化された。エアポート 77・80・'94・'98・
'99・2000・2001・2002 等 8 本が製作された。
●列車で起こるパニック映画
「戦慄の夜行列車」
(米) 1953 年製作
監督 テッド・テズラップ
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日本封切(昭 32)Terror on a Train
第二次大戦下、秘密裏に爆雷を満載した貨車に時限爆弾がしかけられたとの
情報が入り、これが爆発すれば沿線の住民も巻き込んで大惨事になる。
爆発処理兵(グレン・フォード)が悪戦苦闘の末、時限爆弾を探し出す。
※(付記)この作品とは関係ないが、1985 年(昭 60)に黒澤明原案の「暴走機
関車」がジョン・ボイド主演で映画化された。大変面白かったです。
●ビル火災で起こるパニック映画
「タワーリング・インフェルノ」
(米) 1974 年製作 日本封切(昭 50)The Towering Inferno
監督 ジョン・ギラーミン
原作 リチャード・マーチン・スターン「ザ・タワー」
トーマス・スコーティア フランク・ロビンソン共著「ガラスの地獄」
脚本 スターリング・シリファント
音楽 ジョン・ウィリアムズ
主題曲 ”We May Never Love Like This Again"
138 階の超高層ビルの落成式の日に、地下の発電機の故障で火を発し、落成式
に参加した数百人の命をのみこむ大火災が発生。
ドラマはその人々の人間模様を中心に、消火に当る消防隊員の活躍を描いて
おりますが、登場人物が多く、スター達のオンパレードが見物(みもの)の一つ
でした。ビルのオーナー(ウィリアム・ホールデン)、設計者(ポール・ニューマン)、
消化隊長(スティブ・マックィーン) 他に ロバート・ヴォーン、
リチャード・チェンバレン、フレッド・アステア、フェイ・ダナウェイ、ロバート・
ワグナー、ジェニファ・ジョーンズ、O・J・シンプソン
※(付記)アカデミー撮影賞・編集賞・主題歌賞 受賞
この映画の特徴はワーナーと 20 世紀フォックスがそれぞれの
原作の権利を持っていたが、ストーリーが似ているので合わせ
て共同制作する事になった。その事が当時は大ニュースだった。
(原作の項 参照)
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●地震によるパニック
「大 地 震」(米)
1974 年製作
日本封切(昭 50)Earthquake
監督 マーク・ロブスン
地震と云えば、大体ストーリーの想像が付くと思います。
大都会が襲われたらどうなるかは、阪神淡路大地震や東北大地震を体験した
私達はリアルに蘇(よみがえ)りますね。
だが、この映画はそれ以外に、センサラウンド方式の音響効果が採用されて
おり、見せ場の落下するエレベーターや裂ける大地、ダム洪水、それに地震に
よる地鳴りと揺れも感じる様になっており、観客のパニックも相当なものでし
た。しかも正月作品だったと記憶しております。
出演者は建築会社副社長(チャールス・ヘストン)以下、エヴァ・ガードナー、
ジョージ・ケネディ、ロイド・ノーラン、バリー・サリバン
※(付記)アカデミーサウンド特別賞(音響効果)
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●細菌兵器によるパニック
「ザ・クレイジーズ(細菌兵器の恐怖)」
(米) 1973 年製作
監督 ジョージ・A・ロメロ
日本封切(昭 49)The Crazies
細菌を積んだ軍用機が、アメリカ国内のある町に墜落し細菌に汚染される。
軍は町を包囲占拠するが、時すでに遅く、町の人は発狂し狂気が町中に蔓延(ま
んえん)する。
※(付記)1995 年「アウトブレイク」はアフリカで密猟された猿に伝染力
の強い細菌がいて、持ち込まれた町が大パニックになる映画が
大ヒット。これはペットによる感染がリアリティが有るので
ヒットしたそうです。
●原子力発電所の事故によるパニック
「チャイナ・シンドローム」(米)
1979 年製作
日本封切(昭 55)
The China Syndorome
監督 ジェームズ・ブリジス
TV レポーター(ジェン・フォンダ)とキャメラマン(マイケル・ダグラス)が原子
力発電所を取材中に事故に遭遇。事故を隠そうとする会社。
だが事態はどんどん悪くなって行く。だが、室長(ジャック・レモン)だけは
事故に真正面から向き合って解決への糸口を探していた。
この主人公の正義ある行動は何だか東日本地震の東電の吉田所長の行動によ
く似ていますね。
●海水浴場の鮫出現によるパニック
「ジョーズ」(米)
1975 年製作
日本封切(昭 50) Jaws
監督 スティーブン・スピルバーグ
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原作・脚本 ピーター・ベンチリ
小さな町の海水浴場。6 月のある夜、三人の若者が焚火を囲んでビールを飲ん
でいた。その内の一人の女の子がすっ裸で海に入って泳ぎ始めた。だが彼女は
そのまま消えた。最初の犠牲者だった。ここからこのドラマの幕があく。
調査に来た警察署長(ロイ・シェイダー)は海水浴場をはっきりする迄封鎖し
ようとする。しかし市長(マレー・ハミルトン)は、これからシーズンで海水浴
客が多く来るので、海水浴場は封鎖出来ないと云う。
そうこうする内、第二の犠牲者が出た。
署長は漁師(ロバート・ショー、リチャード・ドレイファマス)らの協力を得て
18 時間の死闘の末に退治したと思われる?--- で ザ・エンド。
全長 8M 体重約 3tのホオジロザメだった。鮫が現れる前兆の音楽が流れる
だけで、場内はギャァ。ヒー。と大騒ぎだった。
※(付記)「ゴッドファーザ」が 1972 年に大ヒットで 3 年間で稼いだ興行
収入を2ヶ月半で追い越した。全米 954 館が上映したそうだ。
パニック映画は、まだまだありますが、今回はここ迄。 映画は面白い!
私があの世に行った時は、映画上映葬にして頂こうと思う。
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シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 53 回)
【ヨーロッパ映画】マカロニ・ウェスタン編
後期高齢者となった今でも本場アメリカ製西部劇が大好きで、気分がすぐれ
ない時や虚しい思いの時には手持ちのDVDの西部劇を鑑賞します。
何故なのか?自分でも分かりませんが、心が癒されるのです。
焼跡世代の我々は、政治家であれ、経済人であれ、学者や作家であっても
同好の者が多いのは何故でしょうか。
あの焼野原の中で希望を持って生き抜けたのは、戦後すぐに入ってきた西部
劇のお蔭だと思っております。西部劇のテーマである開拓精神(フロンティア・
スピリット)が日本人の心に共感を呼んだからだと思っております。
そこで本題のマカロニ・ウェスタン(米国ではスパゲッティ・ウェスタン)と
蔑視しております所以(ゆえん)は、開拓者の子孫達の魂を揺さぶる因子(いん
し)がありません。
唯々、物真似のうえエログロ暴力が売物の偽物ウェスタン風アクション映画
であります。
例えば、日本の時代劇を外国人だけで製作したとしましょう。外人が侍を
演じて、武士(もののふ)の生き様など表現できる訳がありません。
だから私はマカロニ・ウェスタンが嫌いなのです。だからと云って、私が観賞
していない訳ではありません。
何せ、私のホームグランドは3本立て劇場でありますから選り好みが出来な
かったのです。
日本で上映された多くのマカロニ作品の内には、傑作・佳作と呼ばれた映画や、
テーマ曲がヒットした映画も有りましたが、私は認めませ∼ん。
それでは何故日本でマカロニ・ウェスタン・ブーム(1964∼1968)になったので
しょう。
① 西部劇のスターが老いて来た事や軍人・先住民の人権が強くなり、黒人と
先住民(インディアン)をばったばったと倒す事が出来なくなった事で敵役
の設定がむつかしくなったのです。先住民が白人に取って替わって善人に、
黒人を主人公にしたストーリー構成の作品が上映されるようになった。
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それはある意味現在も続いていて、刑事ものに受け継がれていますが、
一本見れば充分です。
② 動物愛護団体の発言力が強くなり、牛を暴走させたり、牛や馬を倒したり
するシーンがあると抗議を受けるので、そういうシーンを避けるように
なって面白くなくなった。
③ ブームになった切掛けは「荒野の用心棒」(1964)が、黒澤明監督の
「用心棒」(1961)の盗作だと世界中で騒がれ、話題性が宣伝になった事と
主題曲がヒットした事です。
④ 本場の西部劇で育った我々焼跡世代でなく、戦後生まれの世代が育って
いて、彼らが社会を闊歩(かっぽ)する時代になり、嗜好が変わったので
しょう。
以上、私の偏見はともかく、マカロニ・ウェスタンのヒットによりヨーロッパ
の映画産業が活気に満ちたそうです。ご同慶の至りと申して置きましょう。
● TVシリーズの「ローハイド」の脇役だったクリント・イーストウッドの
出世作で、マカロニ・ウェスタンの総称的作品
「荒野の用心棒」(伊・西独・スペイン)
1964 年製作
日本封切(昭 40)
Per Un Pugno Di Dollari
監督 セルジオ・レオーネ 音楽 エンニオ・モリコーネ
原案 黒澤 明・菊島隆三 主題曲「さすらいの口笛」
脚本 デュチオ・テッサリ 他3人
当時ヨーロッパで黒澤明「用心棒」(昭 36)の盗作だとマスコミに騒がれ日本
側が抗議、その結果、日本側が賠償金と配給権として日本・台湾・韓国の金銭配
分を受取る事で解決したそうだ。
その話題性と演出の巧みさや主題曲の素晴らしさで大ヒット。
ストーリーについては「用心棒」と寸分同じで今さら云う事はありません。
※(付記)総製作費 20 万ドル(@360 円換算で 7,200 万円)で、その数十倍の
興業収入を得たそうです。この時のクリント・イーストウッドの
ギャラは 15,000 ドル(540 万円)だったそうですが、安いですね。
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● ジュリアーノ・ジェンマ:イタリアが生んだマカロニ・ウェスタンのアイドル
スター(第二のアランドロンと期待された。)
「荒野の 1 ドル銀貨」(伊・仏)
1965 年製作
日本封切(昭 41)
Un Dollao Buccato
監督 カルビン・J・バジェット
南北戦争直後、胸ポケットに入れてあった 1 ドル銀貨のお蔭で命拾いした元
南軍兵士ゲイリー(ジュリアーノ・ジェンマ)が、弟の仇を取る為敵地に乗込み、
無法者を次々倒していくが、その殺しのスタイルが体操競技の様に、横になり、
背中向きや逆立ちありのアクロバット射撃でございました。
※(付記)この作品での芸名はモンゴメリー・ウッドとして出演、以後人気が
出てきたのでジュリアーノ・ジェンマのタイトルで出演。同じ年に
「続・荒野の 1 ドル銀貨」が製作されて、日本では昭和 42 年に上映
された。
● 日本人が出演した作品2本紹介
「野獣暁に死す」(伊)
1968 年製作
日本封切(昭 43)
Oggi A Me Domania Te!
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監督・脚本 トリーノ・チェルビ
主人公ビル(モンゴメリー・フォード)は、目前で友人ヒューゴ(仲代達矢)に
恋人を殺され、しかも犯人として逮捕される。
5年の歳月の後出所して、助っ人を集め、今や強盗団のボスとなっている
ヒューゴ一味をやっつけ復讐を果たす。
※(付記)俳優仲代さんの演技の特徴は眼技にあるのですが、監督はあまり
演出的に活用しないので、ひとり「オセロ」の様な芝居で恐ろし
さが出ていない。それでも主人公のガンさばきの様に、身に付け
た蛮刀を手際よく鞘におさめていたし、刀の構え方等も工夫して
いたが、何だか違和感があって一人浮いている様だった。
何故なら日本人としての役どころではない原住民の役だから、
少し演技計算が狂ったのでしょう。
● 我らが三船敏郎さん登場
「レッド・サン」(仏・伊・スペイン)
監督 テレンス・ヤング
1971 年製作
日本封切(昭 46)
Soleil Rouge (Red Sun)
音楽 モーリス・ジャール
1870 年、日米修好の任務をおびた日本大使一行を乗せた特別列車が、強盗団
に襲撃され大統領に献上する宝刀を奪われた。
強盗団ボス(チャールズ・ブロンソン)とボスの座を狙うゴッチ(アラン・
ドロン)だった。ある日一触即発だったゴッチはボスを撃ち立ち去った。
一方日本大使は部下の黒田重兵衛(三船敏郎)に「7日間の期限付きで宝刀を
とりもどせ。」と命じられ、その道中に負傷したボスを助け、共通の敵ゴッチ
を射抜く。
勿論重兵衛は助かり、無事宝刀は大統領に届くお話でした。
※(付記)初顔合せの三人。三船敏郎、アラン・ドロン(仏)、チャールズ・
ブロンソン(米)で大ヒット。日本人が出演すると、仲代さんも
三船さんも刀を振り回す事になるのですね。
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● 悪役で人気者になったクラウス・キンスキー(ポーランド人)
「殺しが静かにやって来る」
(伊・仏) 1968 年製作
日本封切(昭 44)Grande Silenzio (The Great Silence)
監督
セルジオ・コルブッチ
音楽 エンニオ・モリコーネ
古今東西、アクション映画は悪役の存在感次第できまりますな。
見るからに悪(わる)が悪を演じる。すると、うさん臭いストーリーでも
佳作になってくるんだね。
子供の頃両親が殺され、子供も喉を切られる。その子供が大人になり復讐
を果たすのだが、主人公(ジャン・ルイ・トランティアニ)の声が出にくい設定が
タイトルになっている。
※(付記)各国の主役さん達は敵役キンスキーを指名したそうだ。実の娘
さんが、あの美人のナスターシャ・キンスキー(「まわり道」(1974)、
「めぐり逢い」(1985)だが、父親とは似ても似つかぬ美人でした。
● もう一人忘れてはならぬ悪名スター、後には主役を張る様になった
リー・バン・クリーフ(米)
「西部悪人伝」(伊)
1969 年製作
日本封切(昭 45) Sabata
監督 ジャンフランコ・パロリーニ
サバタシリーズ第一作。日本では昭和 46 年の正月作品として昭和 45 年
12 月 20 日封切されたが、俺らが見たものはその一年以上のちの3本立て劇場
でした。
本場の西部劇では、「真昼の決闘」(1956)の小悪党役で無くてはならない
俳優が、クリント・イーストウッドやジュリアーノ・ジェンマなどの仇役の為、
マカロニ・ウェスタンの世界に飛び込んで来て主役を食って行く内になった
主演作の一つです。
でもね、ワシ鼻の悪人顔(ずら)が善人役をしても、対手の悪役がそれを越え
られないから失敗作になってしまいます。
ストーリーは省略しまっせ。悪役の善人役なんて面白ないわ。
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● マカロニ・ウェスタンブームを創った監督と音楽監督エンニオ・モリコーネ
コンビが、本場の 米資本と組んで製作した西部劇
「ウェスタン」(伊・米)
1968 年製作
日本封切(昭 44)
C'era una volta il West (Once Upon a Time in the West)
監督・脚本 セルジオ・レオーネ 音楽 エンニオ・モリコーネ
西部劇は幌馬車で西へ西への開拓時代とその後、鉄道建設で牧場と農民の
軋轢(あつれき)が、ストーリー展開の基本ですが、この映画も鉄道が人々の
葛藤がドラマを生む。
兄を殺され復讐に燃えるガンマン(チャールズ・ブロンソン)、殺した冷酷な
ガンマンに主人公(ヘンリー・フォンダ)、移民の妻(クラウデア・カルデナーデ)。
最後は無事、兄の復讐を遂げて大団円。
※(付記)米での興業は不評に終わり、勇み乗り込んで来たレオーネ監督は
「きびしい∼!」と云ったか分からないが、世界的に思った程の
興業収入は得られなかったらしい。
マカロニ・ウェスタンは、日本に劇場封切以外にTV登場やビデオを含
めて 350 本ぐらい入荷されたそうですので、もっと紹介したいのですが、
マカロニの嫌いな私の偏見で、この辺で終わりたいと思います。
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シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 54 回)
【ヨーロッパ映画】イタリア編
アメリカ映画大好き人間ですが、何時もハンバーガーでは飽きます。今回は
イタ飯にしたいと思います。
本当はジャンル別でご紹介致したいのですが、何時も通り私の独断と偏見で、
少ない頁を埋めたいと思います。
断って置きますが、私っしは何々評論家と称する怪しい者ではございません。
唯々、子供の頃から映画好きだった少年が、今やシニアと呼ばれ、消えゆく
世代の人間として過去の出来事を語りたいのです。
戦争に負ける事はいかに悲惨で屈辱的な事かを、映画を紹介しながら愚痴を
こぼしたいのです。今は敗戦を体験している人は数少なくなり、戦争を知らな
い人達に「日本人の誇りを失わず生きる」かを考えて欲しいのです。
お頼み申しますぞ!!
ヨーロッパも戦争が終わり、勝った国と負けた国が隣接して存在しているの
ですから、戦後の生き方や考え方も異なり、映画のテーマの視点も違います。
我が国同様敗戦国のイタリアは、屈辱の中から映画を通じて雄叫(おたけ)び
を上げたのです。
それが「ネオ・レアリスモ(新リアリズム)」と云って、よりリアリズムにを
モットーとした現実直視の作風の事なのです。
子供の頃からハリウッド映画で育った私には、学校推薦で鑑賞しましたが、
イタリア映画を観たいとは思いませんでした。米画に比べて、地味で暗くて
意味不明な映画が多いと思っておりました。
それが後年映画界に身を置く様になって、監督・助監督・脚本家や同僚達と
ディスカッションするうちに、このネオ・レアリスモ方法論も、面白いなあと
感じるようになりました。
その時の人達は「米画のユダヤ資本による、ユダヤ思想が米画を駄目にして
いる」と語っておりましたね。
それはアメリカ人も感じていたのか、ニュー・シネマ、ニューヨーク派の作品
が、ノーユダヤ・マネーで製作され、佳作が数多く生まれました。
私はヨーロッパ作品ではイタリア映画が一番好きです。
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それは共に敗戦国で、艱難辛苦(かんなんしんく)も同じように味わった仲間
としての親しみがありました。
それに、---チョット不純かも知れませんが、当時のイタリアの女優さん達に
は大変お世話になりました。
「苦い米」1949(日本封切昭 27)のシルバーナ・マンガーノさんの太腿に生唾を
飲み「激しい季節」1959(日本封切昭 35)の人妻
エレオノラ・ロッシ・ドラゴさんのネグリジェ姿に唇が渇き、刺激たっぷりで、
思春期の下半身の悶えを助けてくれたからです。
男性なら意味が分かりますよね。エヘヘヘヘ--- フフフフ、下品な笑いは
思いだし笑いです。
申し訳ありません。ビバ、イタリアーノ!!
● ネオ・レアリスモ(新リアリズム)の代表作
リアルさの中で、よりリアルに表現する現実重視の演出手法の事で、
1940∼48 頃迄の作品群に多かった。
「無防備都市」1945 年製作
日本封切(昭 25) Roma Citta Aperta
監督 ロベルト・ロッセリーニ
独軍占領下のローマで、レジスタンスの若者の救いようのない逃亡劇。
主演 アンナ・マニャーニ マルチェロ・ベリエーロ
※(付記)カンヌ映画祭 審査賞受賞 大阪道頓堀角座で叔父と観賞
するも、なんでこんな暗い映画を観に行ったのかと思う。
「戦火のかなた」1946 年製作
日本封切(昭 24) Paisa
監督 ロベルト・ロッセリーニ
連合軍の伊国上陸から翌年全土開放に至る迄に起きた、連合兵士と伊国
市民のエピソードを6話綴った作品。
主演 マリア・ミチ ガル・ムーア
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※(付記)昭和 44∼45 年頃、肥後橋の大毎地下劇場で観た記憶があるが、
ネオ・リアリスモの傑作と騒がれた映画らしいが、戦後から
25 年も過ぎていると色あせて感動なし。
● 監督ビットリオ・デ・シーカのネオ・レアリスモ作品2本
「靴みがき」1946 年製作
日本封切(昭 25) Sciusucia
監督 ビットリオ・デ・シーカ
戦後の混乱期、靴みがきで生きる2人の少年(フランコ・バスクアーレ
リナルド・スモルドーニ)は大の仲よし。ローマで靴みがきをしながら2人
共通の夢があった。
だが彼らの回りの大人達がそうはさせてくれなかった。2人は事件に巻き
込まれ少年拘置所へ。
友情の誓いの2人は取調室で何もしゃべらなかったが、ちょっとした思い
違いで2人の友情が壊れ一方が他方を殺してしまう。
※(付記)アカデミー特別賞。丁度日本も同時代。靴みがきの少年が多く
いたので、あまりにもリアリズムが有り過ぎでした。
「自転車泥棒」1948 年製作
日本封切(昭 25) Ladri di Biciciette
監督 ビットリオ・デ・シーカ
戦後ながい失業中のアントニオ(ランベルト・マジヨラーニ)が、ようやく
映画ポスター貼りの仕事を見つけたが、仕事に必要な自転車を質屋から出す
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為に ベッドシーツを質草に受け出した。
6歳の息子を後に乗せ、ポスター貼りをして回ったが、ちょっとした隙に
自転車を盗まれてしまう。
自転車が無いと失業だ。無駄だと思いつつも警察に行ったが、相手にして
くれない。親子で自転車探しが始まった。
何処をさがしても見つからず、そこにあった自転車を盗んでしまうが、た
ちまち捕まってしまう。子供の涙の訴えに許される。
子供の前で恥ずかしさに泣く父親の手を取って、夕暮れの街に姿を消す。
ここでエンドマークは虚しいが、子供がしっかりした目で親を見ているの
が救いです。
※(付記)アカデミー外国映画賞受賞
● イタリア青春映画2本紹介
「高校三年」1954 年製作
日本封切(昭 30) Terga Lice
監督 ルチアノ・エンメル
作曲 ワルディル・アゼブアード
主題曲 「Delicade」
ローマの或る高校。三年C組の卒業前の数ヶ月の生徒達の恋愛や親子問題
や人生の進路などで悩みながらも、やがて、それぞれの思いの中、校門を
去って行く。
※(付記)1955 年(昭 30)4 月 13 日神戸神映劇場で観たのですが、私は丁度
高校2年生で、後に大映映画「高校三年生」1963(昭 38)撮影時
は大映に所属していたのです。
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「課外授業」1975 年製作
日本封切(昭 51) Lezioni Private
監督 ビットリオ・デ・システィ
性に目覚めた高校生の初体験や悪のりなど一度は通る青春学園映画。
主人公の高校生(ロッサリーノ・チェラマーレ)と別嬪のピアノ教師
(キャロル・ベイカー)との男女関係など良ろしいなあ。
● イタリアの史劇3本紹介
「カルタゴ」1959 年製作
日本封切(昭 35) Cartagine in Fiamme
監督 カルミネ・ガローネ
第3次ポエニ戦争(前 149∼146)に負けたカルタゴ都市国家の勇者
(ホセ・スアレス)とその政敵(ダニエル・ジェラン)の対立が骨子のスペクタ
クル史劇。
「コンスタンチン大帝」1960 年製作
日本封切(昭 36)
Constantin The Great
監督 リオネロ・デ・フェリーチェ
ローマ帝国コンスタンチン大帝(コーネル・ワイルド)は、キリスト教を初めて
ローマの国教と定めた。その彼の幾多の争いと恋を描いた大スペクタクル映画。
恋のお相手はクリスチーネ・カウフマン
「ザビーヌの掠奪」1960 年製作
日本封切(昭 38) Ratto Delle Sabine
監督 リチャード・ポッテイヤー
ローマ建国時、若い戦士はいっぱい居るのに若い女がおりまへん。そこで
若い戦士達(ロジャー・ムーア ジャン・マレー)は女を略奪に赴く。
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連れ帰った女(ミレーヌ・ドモンジョ ルイザ・マッティオリ)と別の活劇?
をする。色物大好き!
● 社会派の作品
「シシリーの黒い霧」1962 年製作
日本封切(昭 38)
Salvatore Giliano
監督 フランチェスコ・ロージ
ネオ・リアリズムを忘れかけた頃、この作品が目に触れたので紹介しましょ
う。伊国の暗部(マフィア組織)の迷宮入り事件。
シシリー島でマフィアのジュリアーノの射殺死体が発見された。彼が憲兵や
警察と関係があったこと等判明するが、誰が何故殺したかはつかめない。
そして証人が2人も殺される。
憲兵、警察、政財界、マフィアの結びつきを解明出来ぬまま、迷宮入りする
様を描いている。
完結の無い映画はスカッとしないが、そこがこの映画の不気味な怖さが伝わ
るようだ。
※(付記)この映画の撮影中、何度かの脅かしが有ったそうです。
ベルリン映画祭監督賞 音楽賞 白黒撮影賞受賞
● フェデリコ・フェリーニ監督の代表作
「道」1954 年製作
監督
作曲
日本封切(昭 32・40) La Strada
フェデリコ・フェリーニ
ニーノ・ロータ
主題曲 「ジェルソミーナ」
イタリア映画に趣味なくとも、この映画とこの音楽を知らない人はいない
でしょう。私がこの映画を鑑賞した時はまだ未成年の若僧でしたが、主人公の
純真無垢で天使のような白痴の女(ジュリエッタ・マシーナ)をハグしたい気持
ちになった事を憶えております。
大道芸人ザンパノ(アンソニー・クイン)は粗野な男で、昼は芸の手伝い、夜
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は情婦としてしか扱わない。
或る日、彼女の前に楽しい調べを聞かせてくれる陽気な男(リチャード・
ベイスハート)が現れる。彼女も心を開いた。それを感じたザンパノは彼を
殺してしまう。
彼女はショックで白痴になってしまう。ザンパノは彼女を棄ててしまった。
幾年かの時が過ぎ、年老いた彼が何処からともなく流れてくる歌声を聴いた
そうだ!彼女がよく口ずさんでいた曲だ。聞くところによると、ここの工場で
のたれ死にした乞食女が近所の子供たちに教えたのだそうだ。
彼はその夜初めて知った。
天使の様に美しい魂を持ったジェルソミーナの愛の深さを---。
彼は夜の浜辺で声を上げて泣き続けた。
これがラスト・シーンだが、観客は 救われた気持ちで席を立っていった。
※(付記)アカデミー外国映画賞 ベネチア映画祭サンマルコ銀獅子賞
受賞。先日、友人とこの映画の話をしていると、友人は上映
途中に劇場に入ったのだが、その回が終わったので席を取ろう
としたが、誰も立つ人が無くその後も立って観賞した事を思い
出したと言っていた。
映画はよろしいな。ほんまによろしいな!
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シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 55 回)
【ヨーロッパ映画】フランス編
終戦後、マッカーサー連合国司令官と共に民主国家のあらゆる文化が流入し
てきた。
人間を爆弾にするような野蛮なジャップに早くアメリカ式民主主義を教えね
ばならないと教育に力を注いだ。
その一環としてハリウッド映画を通しての価値観を植え始めた。
終戦時国民学校 1 年生の私は、小学校 1 年生と改められ、何が何だか分から
ない内に、パンを食し、西部劇やミュージカル映画を親しむ洗脳型人間になっ
ていた。
そんな頃ヨーロッパ各国も復興と共に、自国文化である映画製作に力を入れ
始めた。復興する日本にも映画の売込みが始まったが、GHQ(連合国総司令部)
マッカーサー最高司令官は、ヨーロッパ映画は当時許可致さずとの方針で、
年間数本程度しか上映されなかった。
そんな中、1946 年にフランス映画「うたかたの恋」(1936)が上映されたそう
ですが、子供の私には記憶が有りません。
その後、フランス映画はハリウッド映画に劣らず人気を二分していったので
すが、いつの間にかブームが去っていったのです。
理由は色々の評論家が難しく書いておりますので、気になる方はそちらを
読まれたら良いと思います。
唯、私の偏見で申せば、ヨーロッパ各国の言葉のイントネーションは日本に
馴染みづらく、特にフランス語とヨーロッパではないが韓国語は拒絶反応すら
有るように思っております。
それが原因ではないかと思うのは私だけでしょうか。
そうは云いながら私は沢山フランス映画を見ました。何たって3本立ての
君と呼ばれておりましたからね。選んだのは、話題作とか有名監督だとかの
基準ではなく、私の偏見が選んだのです。
おフランス映画ファンの方は、何でこんな映画と叱られるかも知れませんが、
お許し下され。
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● 我が思春期に下半身の悶えを助けてくれた映画
「青い麦」1953 年製作
日本封切(昭 29) Le Ble en Herbe
監督 クロード・オータン・ララ
16 歳の少年(ピエール・ミシェル・ペック)の家族と 15 歳の少女(ニコル・
ベルジュ)の家族は毎年この避暑地にバカンスで来ている。
少年は或る夜、少女の母親の寝室に引き入れられて、初めての経験をする。
有頂天になった少年は夫人に付きまとうが、あの夜の一度限りで夫人は
拒絶する。
やがて夏が終わり、2人の家族も引き上げることになった。
少年は最後の海を見つめて感傷的な気持ちを処理できぬまま、都会の我が
家に帰って行くのだった。
※(付記)15 歳だった私は、この映画の様な経験をしたいと思ったが、
ついに実現できませんでした。
映画とはいえ羨(うらや)ましいねえ。
● イブ・モンタン(シャンソン歌手)作品2本紹介
「恐怖の報酬」1952 年製作
監督 ジョルジュ・クルーゾ
日本封切(昭 29) Le Salaire de La Peur
原作 ジョルジュ・アルノー
ラス・ピエドラスの町から数百キロ離れた山上の油田で火災が発生。
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石油会社は消火するにはニトログリセリンで爆破して消すしかないと決定。
それには2台のトラックに4名の運転手が必要と判断。
1人2千ドルで募集と触れを出す。高額報酬に町の荒くれ者が集まるが、
面接の結果4名(イブ・モンタン、シャルル・ベネル、ビェラ・クルーゾ、
フォルコ・ルリ)が選ばれた。いずれも希望の無い喰いつめた者達だ。
道中崖崩れ等色々なアクシデントに出合って、1台は大爆発を起こすも、
残るⅠ台主人公の乗る車は無事到着。火事は首尾よく消し止められた。
そして高額報酬を受取り、恋人との新生活を夢見て、爆発の心配のない車で
帰路につくが---運命は皮肉なもんだ。
気の緩みから運転を誤って崖から落下する。
※(付記)カンヌ映画祭グランプリ、男優演技賞、イブ・モンタン 役者と
して初登場
「悪の決算」1955 年製作
監督 イブ・シャンピ
日本封切(昭 30) Les Heros Sont Fatigues
原作 クリスチャン・ガルニエ(女性)
西アフリカのリベリアへ逃避してきた白人の落ちこぼれ達。
一攫千金を夢見る仏人飛行士(イブ・モンタン)と彼の邪魔をするドイツ人
飛行士(クルト・ユルゲンス)が、ふとしたことから2人はかつて空で闘った
勇士であったことから意気投合し、今迄の恨みを忘れ、最果ての地で堅い
友情に結ばれる。
※(付記)
ベネチア映画祭 男優賞(クルト・ユルゲンス)受賞
● 子供が主役の喜劇作品
「わんぱく戦争」1961 年製作
監督 イブ・ロベール
日本封切(昭 38)La Guerre Des Bontons)
原作 ルイ・ベルゴ
原作 「ボタン戦争」
自然の森に囲まれた村の、2組の少年グループ同士の喧嘩のルールは、
敵に捕らえられると、服・ズボン等ボタン全部をもぎ取るルールである。
主人公の少年は一方のボスだが、迂闊(うかつ)にも自分が捕まり、全部
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ボタンをもぎ取られる屈辱感を味わって、尚かつ、親にも叱られ割に合わな
いと思った。
そうだ!服を着なければ負けないと気付き、真っ裸で敵陣に乗り込み大勝利。
それを見て相手も真っ裸。両軍そして合言葉が「ぽこちん」なので、あち
こっちで「ぽこちん」でっせ。大笑いですわ。
オチンチン出して映倫通るのは、この映画ぐらいでっしゃろな。
※(付記)・出演者の子供達は全て素人
・フランス全土で、1 年間のロングラン上映
・原作者は東西冷戦を風刺(ふうし)して、原題は「ボタン
戦争」は核ボタン一つで始まると訴えているのです。
● ミュージカル
「シェルブールの雨傘」1964 年製作
監督・脚本 ジャック・ドゥミ
日本封切(昭 39)
Les Parapluies de Cherbourg
音楽 ミシュエル・ルグラン
港町シェルブールの傘屋の娘(カトリーヌ・ドヌーブ)とガレージで働く若者
(ニーノ・カステルヌォーヴァ)の行き違いの悲恋物語。
※(付記)カンヌ映画祭グランプリ受賞 カトリーヌ・ドヌーブは全世界
女優の美人ナンバーワンと日本のマスコミは宣伝していた。
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● 当時のフランス若手人気スター2人(アラン・ドロン、
シャン・ポール・ベルモント)の作品を紹介します。
「危険がいっぱい」1964 年製作
日本封切(昭 39)
Le Crime et Ses Plaisiea
監督 ルネ・クレマン
いかさま賭博師(アラン・ドロン)は女好きがもとで、アメリカギャングの
親分の妻(かあちゃん)に手を出しちまって、さあ大変、逃げ隠れする内、
若い別嬪さん(ジェーン・フォンダ)とねんごろになりながら---意外な結末へ。
「個人生活」1974 年製作
日本封切(昭 49) La Race Des "Seigneurs"
監督 ピエール・グラニエ・ドフェール
原作 フェリシアン・マルソー「クリージー」より
左翼自由主義を旗印に野党第一党の若手の政治家ジュリアン(アラン・
ドロン)は党首である。
彼は、マスコミに若手のホープともてはやされ、自分でも新内閣の閣僚を
目指していた。そんな彼にも女には少し隙があった。
飛行機内で知り合ったトップモデルのクリージー(シドニー・ローム)と
徐々に距離を縮めて、のっぴきならぬ関係になる。彼には妻子があり、妻は
長く入院生活である。
影の実力者として党を操る総裁の未亡人ルネ(ジャンヌ・モロー)は「今一番
大切な時だから女とは手を切りなさい」と諭される。
だが、その間もクリージーと逢瀬を重ねていて、日ごと愛がつのってくる
ばかり。その頃、とうとう彼は新内閣の重要ポストに選任された。
恋人クリージーにその事を報告すると彼女は「今 23 時 10 分よ。0時に
なっても来て下さらなかったら、もう私は居ないわ」泣く彼女にすぐ行くと
伝えた頃、大統領より召集がかかっていた。
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● ジャン・ポール・ベルモント(アラン・ドロンと人気を二分する若手スター)
「リオの男」1963 年製作
日本封切(昭 39) L'Homme de Rio
監督 フィリップ・ド・ブロカ
航空兵のアドリアン(ジャン・ポール・ベルモント)は、一週間の休暇を婚約
者と過ごすことを楽しみにパリにやってきた。
だが、彼女(フランソワーズ・ドルレアック)は何者かに誘拐され、窓から
犯人を目撃した彼は車で逃げる犯人を追ってバイクで追いかける。
それからは飛行機であったり、船であったりの大活躍で、見事彼女を取り
もどすのだった。良かった!
彼女と休暇を楽しめると思った頃、休暇は終了。ついてねえなあ∼。
この様な陽性のキャラクターが持ち味だった。
※(付記)ベルモントの恋人役フランソワーズ・ドルレアックは世界一の
美女カトリーヌ・ドヌーブの実姉です。
● テーマ曲がめちゃめちゃヒットした作品
「別れの朝」1970 年製作
日本封切(昭 46) Le Petit Matin
監督 ジャン・ガブリエル・アルビヨッコ
原作 クリスティーヌ・ド・リボワール(女性)「夜明け}
音楽 フランシス・レイ 「別れのテーマ」
時は第二次大戦。独軍占領下のフランスのある村。
貴族のひとり娘ニナ(カトリーヌ・ジュールダン)はナチス独軍士官カール
(マチュー・カリエール)に淡い恋心を持った頃から、運命の歯車が狂い始め
る。占領した敵兵との恋愛は許されるはずもなく、瞬間に咲いた愛の行方は
過酷(かこく)な結末が待っておりました。
この映画ショッキングなテーマなれど、風景の美しさとテーマ曲だけで
充分満足しまっせ!
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● フランス映画界の大御所 ジャン・ギャバン、リノ・バンチュラ共演作
「シシリアン」1969 年製作
日本封切(昭 45) Le Clan des Siciliens
監督 アンリ・ベルヌイユ 原作 オーギスト・ル・ブルドン「シシリア一家」
音楽 エンニオ・モリコーネ
宝石強奪を企むどでかいストーリーですが、これを話しちまってはお話し
になりまへん。宝石強奪を指揮する親分(ジャン・ギャバン)、その部下の殺し
屋 (アラン・ドロン)、その彼らを追う刑事(デカ)がリノ・バンチュラ。
パリからニューヨークに飛行機に何億ドルの宝石が輸送されるのを盗もう
って話ですが---これ以上しゃべれまへん∼。
※(付記)・監督とギャバンとドロンは 1963(昭 39)「地下室のメロディー」
で共演
・1987 年アメリカ作品に同名の映画があるが、リメイク作では
ない別物なり
まだまだ紹介したい作品があるが、今回はここまで−。
映画はおもろいでんな−。やめられまへん!
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シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 56 回)
【ヨーロッパ映画】西独・ポーランド・ユーゴ・オーストリア・スェーデン・
ソ連・ギリシャ・スペイン・デンマーク・スイス編
前回フランス映画をご紹介致しましたが、フランス映画にとって歴史的に
無視しては通れない部分が抜けておりました。
それは 1950 年代後半頃から、若き世代の監督達が自己資金で、自分達の感性
の映画を創り始めた。これを称して「ヌーベル・バーグ(新しい波)」とメディア
が呼んだそうだ。
例えば「大人は判ってくれない」(1959)監督フランソワ・トリュフォーや
「勝手にしゃがれ」(1959)監督ジャン・リュック・ゴダールや「死刑台のエレベ
ーター」(1957)監督ルイ・マル等 20 代の青年監督達が創り出した波のことなの
である。
凡人の私には 3 本立劇場で観る作品の一本ぐらいにしか思ってなくて、否応
なく見た感じだったのです。だが数年後、自分も映画界に身を投じて知った
のですが、これが大変なインパクトで日本の映画界、特に映像作家達に影響を
与えている事を知りました。
松竹の大島渚・吉田喜重・篠田正浩監督達が大きく脳内刺激を受けたのです。
それは日本だけではなく、映画の大御所米国映画界にも飛び火して、ハリウッ
ド資本でなく、若き監督達が資金を調達し、ニューヨークやボストンで製作に
乗り出した。それが「ヌーベル・バーグ」から 10 年遅れで生まれた「ニュー・
シネマ」なのである。「俺たちに明日はない」(1967)監督アーサー・ベンや
「イージー・ライダー」(1969)監督デニス・ホッパーや「真夜中のカーボーイ」
(1969)監督ジョン・シュレンジャ等でありました。
そして、それが日本にも波及して、大映の井上昭・池広一夫監督や東映の
深作欣二・中島貞夫監督等が当時「ニュー・シネマ」派と呼ばれておりました。
日本の映画界はスター中心主義だったのが、作品主義に変化させていったの
です。本題に戻って、伊仏以外のヨーロッパ各国も、やはり大戦後の復興期に
それなりの刺激を受け、出現してきた監督達の作品が日本で評価を得るように
なってきました。
しかし残念な事に日本ではマニアックなファンや評論家の先生方が評価して
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いるに過ぎず、興業的にはヒットせず、映画雑誌がベスト・テン入作と評価して
いた程度だった。
私も嫌いな割にはけっこう鑑賞しておりますが、それは三番落ちの劇場で
その内一本として観たに過ぎないのです。
同じ三本立てなら西部劇とミュージカルと戦争活劇であってくれればなあと
思っていましたが、どっこいそうは参りませんでしたね。
英国はヨーロッパを代表する国ではありますが、米国と同じ公用語なので、
米国メジャーの配給会社で上映されているので、ヨーロッパ映画としては紹介
致しません。
● 西独作品
2本紹介
「朝な夕なに」1957 年製作
日本封切(昭 33)
Immer Wenn Der Tag Beginnt
監督 ウォルフガング・リーベンアイーナ
高校の学園青春映画です。美人の女教師(ルート・ロイヴェリック)の教育観は
優しく人間的に生徒に接する事だが、校長は知識を教え込めば良いとする方針
で対立する。そこで接する男子生徒の一人(クリスチャン・ヴォルフ)は女教師に
恋心を 抱いている。その生徒を傷つける事なく解らせるにはと、自分の教育
観と葛藤(かっとう)するのだった。
※(付記)主題曲「ミッド・ナイト・ブルース」トランペットでラスト・シーン
が印象的。ベルト・ケンプフェルト楽団のレコードが大ヒット!
「暗殺計画 7・20」1955 年製作
日本封切(昭 32) Der 20 Juli
監督 ファルク・ハルナック
実際に起きた”ヒトラ暗殺計画”。
1944 年 7 月 20 日 ベック元帥及び退役将校らによる反ヒトラ一派による暗殺
計画は遂行されたが、爆弾が不発に終わり失敗する迄を描いている。
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● ポーランド
2本紹介
「灰とダイヤモンド」1957 年製作
日本封切(昭 34)
Popiol I Diament
監督 アンジェイ・ワイダー
テロリストの若者の死に様で、救われぬ暗い時代を表現した映画。
主人公がゴミ捨て場で果てる姿がラスト・シーンとはやるせないね。
※(付記)ベネチア映画祭国際批評家連盟賞受賞
「鉄十字軍」1960 年製作
日本封切(昭 36) Krzyjac
監督 アレクサンドル・フェルド
東ヨーロッパにおけるポーランドの領土は、常に侵略者との闘いに巻き込ま
れる要素がある。15 世紀、ゲルマン十字軍と闘ったポーランド騎士団の物語
● ユーゴスラビア
「最後の鉄橋」1969 年製作
日本封切(昭 45) Most
監督 ハイルディン・クルババッア
ストーリーは単純明快。第二次大戦時、ユーゴ山岳地帯にかかっている一本
の橋をめぐって、独軍とユーゴ軍が闘ってユーゴが勝利した戦争アクション劇。
● オーストリア 2本紹介
「幼な心」1958 年製作
日本封切(昭 34) Kleines Herz in Grosser Not
監督 アルフレッド・レーナー
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作家の父と女優の母を持つ 13 歳の少女(クリスティーネ・カウフマン)は
愛情に飢えていた。
そんな少女を救ってくれたのは、心温かい音楽家族のエンゲル・ファミリー
だった。
※(付記)後にハリウッドに招かれ人気女優になったカウフマンの少女
時代の姿が見物。
「青い潮」1955 年製作
日本封切(昭 32) Herr Uber Leben Und Tod
監督 ヴィクトル・ヴィカス 原作
カール・ソックマイヤー
医師(ヴィルヘルム・ボルヘルト)と妻(マリア・シェル)の間に不治の病を
持った子供が生まれた事から夫婦仲が冷えた頃、若い医師(イバン・デニ)と
恋に落ちる。
揺れ動く女心に若き医師は悩み、やがて入水自殺する。
恋人の死で再び夫のもとに帰っていく。女ってええかげんなもんでんなあ。
● スェーデン
「第七の封印」1957 年製作
日本封切(昭 38) Det Sjunde Inseglet
原作・監督 イングマール・ベルイマン
騎士アントニウス(マックス・フォン・シド)は十字軍に参加して 10 年が過ぎ、
疲れ果てて帰国の途中に死神(ベント・エーケロ)に出合い、善悪や生死につい
て哲学論をテーマにチェスを死神に挑む。さあ!答えはでるのか。
※(付記)カンヌ映画祭審査員特別賞受賞
「愛する」1964 年製作
日本封切(昭 40)
監督 ヨルン・ドンナー
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To Love
夫の死で日々むなしく感じている女(ハリエット・アンデルソン)は知り合っ
た男の自由な生き方に共感し自分もそうして生きて行こうと決心する。
だがその男は逆に求婚する。彼女はそれに応じず自由な生き方を選ぶ。
● ソ 連
「人間の運命」1959 年製作
日本封切(昭 35) Sudba Cheloveka
監督・主演 セルゲイ・ボンダルチュク(処女作)
原作 ミハイル・ショーロホフ
ソコロフは3人の子供に恵まれ幸福だった。戦争が始まり彼も出征して行く。
ドイツの捕虜になったり、脱走したりの末、友軍に辿り着く。
その功績により一か月の休暇を与えられ、故郷の町へ。そこで見たものは
一面の焼け野原で妻と二人の娘は死んでいた。
ただ一つの望みは戦場にいる息子だった。
戦勝した日、司令部に呼び出された。彼が対面したのは、花束に埋もれた
息子の姿だった。
生きる希望も失いつつも、トラック運転手として働いていた時、道側で戦争
孤児に思わず「お父さんだよ」と声をかけた。
彼に再び笑顔がバックミラーに写っていた。
※(付記)モスクワ映画祭グランプリ受賞
この映画チャンス有れば是非鑑賞して下さい。
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「小犬を連れた貴婦人」1960 年製作
日本封切(昭 40) ATG 作品
Dama S.Sobachko
監督
原作
イオシフ・ヘイフィッツ
アントン・チェーホフ
恋愛ドラマと云うものの、肉体とモラルが別行動すれば、結果は目に見え
てますわな。そんな貴婦人っておりまへんでえ。
※(付記)カンヌ映画祭優秀参加賞受賞
● ギリシャ
「エレクトラ」1961 年製作
監督
日本封切(昭 38) Electra
マイケル・カコヤヌス
ギリシャ悲劇の一本。トロイ戦争で勝利したアガメムノン王は、遠征中に
浮気していた妻(アレッカ・カツエリ)と恋人に暗殺される。
娘(イレーネ・パパス)と息子(ヤニス・フェルチス)は、亡王の復讐を誓い、
やがて実行する。
民衆は二人を母殺しの罪人として糾弾する。そして姉と弟の間も相互に
憎しみ合い、絶望の旅に別れ別れで出て行く。
※(付記)カンヌ映画祭最優秀映画技術賞受賞
● スペイン
「バルセロナ物語」1961 年製作
監督
日本封切(昭 39) Los Tarantos
ロヴィラ・ベレタ
「ロミオとジュリエット」をスペイン流にアレンジすると、バルセロナの
ジプシーのソロンゴ家とタラント家に置き換えて物語は進むが、紆余曲折の
結果、両家が和解するには両家の子供二人の死が必要だったのだ。
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※(付記)世界的に有名なフラメンコダンサー、カメルン・アマヤ
(タラント家の母親役)はこの映画撮影後亡くなった。
フラメンコ好きの人には応えられない映画である。
チャンスあれば観て下さい。迫力あるよ。
● デンマーク
「十七歳」1965 年製作
監督
日本封切(昭 44) Sytten
アンネリーゼ・マイネッケ(女性)
思春期のヤコブ君、身体は順調なれど、気が弱く女性にはからっしき駄目
なのだ。
だが、夏休みに従妹とふとした事から男になった。それからが大変。
自信を持った為に女たらしに大変身。筆おろしが済むと男は何か身体的に
も精神的にも一皮むけるのは確かです。世の男は大抵そうでっしゃろ。
アハハハ
● スイス
「ジープの四人」1951 年製作
監督
日本封切(昭 27) Four in a Jeep
レオポルド・リントベル
第二次大戦後ウィーンは、米英仏ソに分割占領されていて、四ヶ国の接点
だけは共同管理である。四ヶ国の MP が同乗したジープが、ソ連軍に訊問され
ている女性を保護した。
夫を探す為とはいっても、違反者の処理をめぐり、それぞれの国の立場が
交錯する。だが逃げている夫の怪我で、ジープの四人は心の垣根が無くなり
一つになった。
ヨーロッパにはまだまだ国が有りますが、ここ迄と致します。
又来月お会いしましょう。
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シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 57 回)
【ヨーロッパ映画】合
作 編
第二次大戦後、日本と同じ様に国土の復興と、戦争によって荒んだ人民の
心に希望や夢を与えようと、ヨーロッパ各国は文化面で映画製作を奨励し資金
援助もしていた。
しかし、一国一国は領土も人口も少なく、映画マーケットとしては製作者
(プロデューサー)には魅力が薄かった。そんな頃、これでもか!これでもか!
と大金を注ぎこんだ米国の映画に圧倒されていた。
それで発奮したのかはわからないが、単独製作よりも二国以上が組んで製作
する事が多くなった。
合作方法も対等出資もあれば、一方が資金で、もう一方がステージや人材や
機材を提供する合作もあった。
出資者にとっては、合作はリスクが半減するメリットもあるが、反面利益や
配給テリトリーの配分でもめるデメリットもあるのです。
例えば、出資国の国内利益はその国の利益で、その他の国の配給収入はどう
するのかで、利害が対立するからです。
各国のイデオロギー(観念形態)の異なりが、ドラマの内容や出演俳優によっ
て、集客のある国と、まるっきり集客がなく、出資金の回収が難しい国が有っ
たりするからです。
その国の文化として、一国で製作するのが基本ですが、二国以上になると
感情的なトラブルも多かったそうです。
私個人としては、終戦後からハリウッド製西部劇やミュージカル、戦争活劇
に心酔していた者にとっては、ヨーロッパ映画に馴染めませんでした。
でも三番館三本立映画常連の私には、否応なく観なければならなかったので
す。人生の最終章を歩む今なら、心に留める作品も多々有ったと思います。
ほんまに映画はよろしいなあ。心からそう思いますわ。映画は最高!!
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● 伊・仏(又は 仏・伊 この二国が一番多い。この二国の作品を3本紹介)
「崖」1955 年製作
日本封切(昭 33) LL Bidone
監督 フェデリコ・フェリーニ
音楽 ニノ・ロータ
フェリーニ監督は 1954 年「道」で、米国アカデミー外国映画賞受賞。
そして直ぐに製作したのがこの映画です。
「道」ではサーカスの芸人達、「崖」ではコソ泥やペテン師などの小悪党
が主役。コソ泥達3人(プロデリック・クロフォード、フランコ・ファブリツイ、
リチャード・ベイスハート)を通して人間の愚かさを人情味たっぷりに描く。
女優は「道」の時と同じジュリエッタ・マシーナ。
お薦め作品です。
「黙って抱いて」1958 年製作
日本封切(昭 38)Sois Belle et Tais-Toi
監督 マルク・アレグレ
仏の大スター(アラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモンド)二人が、新人の
頃出演。珍しいので紹介。一言で云えば探偵喜劇。
チンピラ姉ちゃん(ミレーヌ・ドモンジョ)が、ひょんな事から刑事と結婚。
夫を手助けして、元チンピラ仲間と協力して、ギャングの親分を捕まえる
痛快活劇。
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「家族の肖像」1974 年製作
日本封切(昭 52)
Conversation Piece(英語圏)Gruppo di Famiglia in un Interno(ユーロ圏)
監督 ルキノ・ビスコンティ
音楽 フランコ・マンニーノ
ローマの豪邸で孤独に暮らす老教授(バート・ランカスター)の邸宅に、突然、
知人の伯爵夫人 (シルバーナ・マンガーノ)と愛人(ヘルムート・バーガー)が
娘や友達等を連れて乗り込んできた。
その彼等の振舞によって起る様々な出来事が、老教授の感受性を傷つけ、
悲劇的な死をとげる。ビスコンティ監督は主人公の老いの惑いや悲しみを、
己の鎮魂歌(レクレイム)としたと記されている。
※(付記)日本で昭和 53 年度 文化庁芸術祭大賞受賞 キネマ旬報
ベストテン第一位
● 伊・西独・仏
「ルードウィヒ(神々の黄昏)」1972 年製作
日本封切(昭 50)
Ludwig
監督 ルキノ・ビスコンティ
歴史上の人物。ルードウィヒは 1864 年、18歳の時にバイエルンの国王と
なった。若く美形の貴公子だが、繊細な心を持った国王が誕生し国民は喜ん
だ。
だが、やがて”発狂”を理由に王座を追われ、40歳で謎の死を遂げる。
ある日、ルードウィヒ王(ヘルムート・バーガー)はグッデン教授と庭園の
散歩に出かけた。その夜に二人の水死体が湖から引き揚げられた。
1886 年 6 月 13 日だった。自殺との事だが、男二人で自殺は無いだろう。
真相未だ不明。
その他の出演者、ロミー・シュナイダー、トレバー・ハワード、
シルバーナ・マンガーノ
※(付記)日本で昭和 55 年度 文化庁芸術祭受賞
日本ペンクラブ推薦作品
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優秀映画鑑賞会・
● スペイン・伊・仏
「サマータイム・キラー」1973 年製作
The Summertime Killer(英語圏)Ricatto Alla Malla/
Un Verano Para matar (ヨーロッパ圏)
監督 アントニオ・イサシ
ニューヨークのハイウェイやローマの豪邸の夜会などで人が殺された。
犠牲者はいずれも社会的地位のある人物だ。
マフィア組織に父を殺された青年(クリス・ミッチャム)が、殺し屋となり、
組織の人物を次々と消してゆく復讐劇。エピソードとして、ボスの娘(オリ
ビア・ハッシー)との恋もある。
その他出演者 カール・マルデン、ラフ・バローネ、クローディヌ・オージェ
● フィンランド・スェーデン
「禁じられた愛」1967 年製作
日本封切(昭 45) Black on White
監督 ヨルン・ドンナー
三流男の実に情けないお話。電気メーカーの営業部長(ヨルン・ドンナー)が
地位を得た安堵感から、社内のお姉ちゃんに手を出っしまった。
その結果、妻が去って行くわ、女に捨てられるわ、馬鹿な男の見本をこの
映画で教えてくれました。
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● ソ連・伊
「赤いテント」1970 年製作
日本封切(昭 45) The Red Tent
監督 ミハイル・カラトーゾフ
1928 年、北極探検に向かった巨大飛行船「イタリア号」の遭難の悲劇が
題材。イタリア号 ノビレ(ピーター・フィンチ)隊長以下15名が極点で遭難。
ノビレ隊長以下数名が、赤いテントを張って救助を待っていた。
アムンゼン(ショーン・コネリ)他多数の救助活動が展開される。
だがそこには、イタリアファシスト政権の思惑と、ソ連共産党政権の思惑
が交差しスムーズに活動しない心配が...
この映画のテーマは、人間が極限状態におかれた時のどうしようもない
弱さを...
最終的にはどんな勇気が生まれるかを...
● 西独・仏・伊
「アンクル・トム」1965 年製作
日本封切(昭 40) Onkel Toms Hutte
監督 ゲッア・フォン・ラドヴァニ 音楽 ベーター・トーマス
原作 ハリエット・ビーチア・ストー夫人(米国)
米国の奴隷の話なので、米国では映画化がタブー視されていた米国文学の
古典を西独・仏・伊三ヵ国が、ミュージカルとして登場させた映画。
アメリカの大農場主のもとで働く奴隷トム(ジョン・キッツミラー)は信心
深く、農場では皆に慕われていたが、農場主が多額の負債から奴隷を売り渡
さねばならなくなり、奴隷トムの身の上に過酷な出来事が次から次へと襲っ
て来るが...トムの信念がそれらを乗り越え、やがて明るい未来が待っている。
※(付記)挿入曲「なつかしきミシシッピー」(歌 アーサー・キッド)、
「永遠のミシシッピー」、「ジョリコの闘い」「行けよモーゼ」
(歌 ジョージ・グッドマン)
「悲しみのうちに」 (ジュリエット・グレコのシャンソン)
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● 伊・西独・仏
「バスタード」1968 年製作
日本封切(昭 44) Bastard
監督 ドッチオ・テッサリ
マカロニ・ウェスタンのスター、ジュリアーノ・ジェンマ主演の現代劇。
現代アメリカの西部の町。宝石強奪のジェースン(ジュリアーノ・ジェンマ)
は、反りの合わない兄と共に莫大な宝石を奪ったが、兄に裏切られ、そして
恋人にも裏切られて、復讐に立ち上がるが、復讐後自分も死に至る。
共演はクラウス・キンスキー、クローディーヌ・オージェ、リタ・ヘイワース
● 仏・伊・日・西独・ポーランド
「二十歳の恋」1962 年製作
日本封切(昭 38) L'Amour a Vingt Ans
5ヶ国のオムニバス。仏編はフランソワ・トリュフォー監督、
伊編はレンツオ・ロッセリーニ監督、日本編は石原慎太郎
西独編はマルセル・オフュルス監督、
ポーランド編はアンジェイ・ワイダー監督。
それぞれのお国の若者が通り過ぎる苦いエピソードを綴ったものでした。
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● 仏・伊・スペイン
「黒いチューリップ」1963 年製作
日本封切(昭 39) La Tulipe Noire
監督 クリスチャン・ジャック
フランス革命の頃。市民の苦しみを感じない貴族や役人どもを襲って金銀
財宝を奪う、神出鬼没の怪盗がいた。
人呼んで「黒いチューリップ」。さて、その実体は、社交界きっての伊達
男キョーム(アラン・ドロン)だった。
ある時、彼は戦いで手傷を負ったが、彼と瓜二つの弟ジュリアン(ドロン
二役)が身代わりをつとめ、「黒いチューリップ」として、革命の為に闘うの
だった。ヒロインにビルナ・リージ出演。
※(付記)1974 年に「アラン・ドロンのゾロ」(日本封切昭 50)の製作者は
「黒いチューリップ」を意識したとの事でした。
● スイス・ポルトガル
「白い町で」1983 年製作
日本封切(昭 59) Dans La Ville Blanche
監督 アラン・タネール
大型貨物船がリスボン港に着いた。そこから8mm カメラを持って下りて
くるのは、この船の機関士の主人公だ。彼は職場を放棄し下船したのだ。
彼は愛用の8mm でリスボンの町をひたすら映すのだが、何だか観客には
自分の居場所を探している様に思える。
巨大船を職場に妻子とも会えず、行く先々での手紙のやり取りやリスボン
の町でふと立ち寄った酒場で知り合った女。
だがその女にも去られ虚しさがこみあげてくる。 ラスト・シーンで、船に
戻った彼が一言つぶやいた。「俺の国は、やっぱり海だった。」
戦後日本には世界中の国から映画が輸入されているが、今回は
ヨーロッパを紹介しました。映画は最高! 映画は思い出の宝庫!
61
シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 58 回)
【未紹介国の映画
Ⅰ】中東・アフリカ・南米編
映画好きを自認する私でありますが、今迄観た映画の殆んどは、邦画・米画・
ヨーロッパ映画でありました。
その他の国の映画については興味うすく、積極的に見に行った記憶はないの
ですが、三本立て作品の一本としては、これから紹介する作品の何本かは観て
おります。
私が今迄皆様にご紹介している映画は、「昭和の映画で笑話(しょうわ)」を
コンセプトに、昭和 20 年以後、昭和の終わりまでの上映作品に限定しておりま
す。
それは昭和の時代に青春を過ごした仲間達は、それなりの価値観を共有して
いるからであります。
今、青春を迎えている若者は平成生まれなんです。したがって、平成の代に
入ってからの映画は、またの機会に致したいと思います。
特に韓国・中国映画は、平成になってから数多く上映され、日本の映画ファン
を掴んだようですが、私の偏見で観ていないので考察の仕様がありませんが、
次回には鑑賞して紹介したいと思います。
どんな小国でも映画はその国の文化として認識されているから、数は少なく
とも製作されている。それらの映画がどんな成り行きで、日本で上映されたか
は知りません。
60ヶ国以上の国の映画が昭和の時代に上映されているのです。
話は変わりますが、今の若者は、便利な携帯電話やパソコンに支配されている
と思いませんか。
それなしには、仕事も人とのコミュニケーションもままならず、ゆっくり
心を落ち着けて、自分を見つめる事がないのですね。可哀相ですね。便利な
機械は人の心を寄せつけないから、心に余裕(ゆとり)がありませんがな。
メールの替りに手紙を、インターネットでケームではなく友達や家族と劇場
に行き、帰りに食事をしながら笑話をして欲しいですね。
それが心の豊かさを構築する手段だと思うのです---がねえ。
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● エジプト作品2本紹介
「放蕩息子の帰還」1976 年製作
日本封切(昭 53)
Awdat El-Lbn El-Dhai
監督 ユーセフ・シャヒーン
工場を経営するワンマンの父親に逆らって進学の道を断たれた息子が監獄
に入れられ、12 年後に出所してみれば、父親の兄に恋人を犯され、出所して
間がないにもかかわらず、父親の兄に恨みを晴らすべく立ち上がる。
エジプト版復讐劇でござりまする。
「カイロの泥棒たち」1981 年製作
日本封切(昭 56)Ahl El Kemma
監督 アリ・バドカーン
エジプトは 1975(昭 50)に開放経済政策を実施。そんな時代に生きる人々。
コソ泥から成り上がっていく者や不正蓄財の実業家や警察官として真面目
に職務に励む者達を社会風刺したコミカルなドラマ。
現在の我々にも通じますな。
● トルコ作品2本紹介
「希 望」1970 年製作
日本封切(昭 47)Umut
監督 ユルマズ・ギュネイ
貧しくとも妻と子供 5 人の一家7人。乗合馬車の御者をしていた夫が、
馬を失くして途方に暮れる。生活苦から強盗に走るが、逆にノックアウト
され絶望の淵に立たされる。
その時出合った聖職者の御告(おつげ)で宝探しを始めるが---。
さていかが相成りましょうや。
63
「エレジー」1971 年製作
日本封切(昭 46)Agit/Elegey
監督 ユルマズ・ギュネイ
山岳地域を根城に密輸するグループのボスが同業者の裏切に合う。
だが運良く相手を倒す。ほっとしたその時、憲兵隊が襲って来る。
自分の運命が終わりに近づく事を悟る。
主演のボス役は監督自ら演じている。
● モロッコ・ギニア・セネガル合作1本紹介
「アモク!」1981 年製作
日本封切(昭 56)Amok!
監督 スウヘイル・バン・バルカ
1976(昭 51)南アフリカ共和国で起こった「ソウエト虐殺」事件をドキュメン
ト・タッチで描いたアパルトヘイト告発映画。
この映画、名画座系でロードショーだったのを憶えているぜ。
● ボリビア作品1本紹介
「ウカマウ」1966 年製作
日本封切(昭 41)Ukamau
監督 ホルヘ・サンヒネス
妻を殺されたインディオ農民の復讐劇。
※(付記)ボリビア初の長編劇映画
● ニカラグア・キューバ・メキシコ・コスタリカ合作1本紹介
「アルシノとコンドル」1982 年製作
日本封切(昭 57)
Alsino y El Condor
64
監督 ミゲール・リティン
ニカラグア。米国の軍事援助を受けるソモサ独裁政権と解放戦線の闘いを
バックにコンドルに憧れる一人の少年がゲリラ兵士に成長していく姿を描い
ている。
※(付記)モスクワ映画祭金賞受賞
● ブラジル作品2本紹介
「良心なき世代」1962 年製作
日本封切(昭 38)Os Cafajestes
監督 ルイス・ゲルラ
何処の国の若者にもある、ちょっと悪(わる)の若者達の青春映画。
「傷だらけの生涯」1977 年製作
日本封切(昭 53)
Lucio Flavio Passageiro Da Agonia
監督 ヘクトール・バベンコ
実在の銀行強盗ルーシオの半生をドキュメンタリータッチで描いた犯罪
映画。お決まりの仲間の裏切り。暗殺。追い詰められていく強盗犯と警察の
捜査がサスペンスたっぷりでした。
● ポルトガル作品2本紹介
「青い年」1964 年製作
日本封切(昭 40)Os Verdes Anos
監督 パウロ・ローシャ
何処の国でもある、似た話ですわ。
田舎から都会に出てきた靴職人の若者が、出合った女を一途に思いつめる。
65
結局女を刺して人生を棒に振る。都会の姉ちゃんは一見きれいに見えまっ
さかいな。
ご子息に気をつけなはれや。
「新しい人生」1966 年製作
日本封切(昭 42)Mudar De Vida
監督 パウロ・ローシャ
貧しい漁村のなにげない人々の暮らしをリアルに淡々と描いた抒情詩的
映画。喜びあり、哀しみありの木下恵介監督風映画。
● イスラエル作品1本紹介
「アンチ・ポポロ」1986 年製作
日本封切(昭 61)Avanti Popolo
監督 ラフィ・ブカイー
1967 年第三次中東戦争の終戦間近で敗走するエジプト兵の姿を、イスラエ
ルがエジプト側に立って描いた反戦映画---と云うものの勝者の驕(おご)り
が感じられて、
嫌な気分になる映画でした。
● ベネズエラ作品1本紹介
「あめりか てらいんごくにた」1988 年製作
日本封切(昭 63)
Amerika Terea Incognita
監督 ディエゴ・リスケス
16 世紀。スペインが支配するカリブ諸島で貴族達の為に連れ帰った現地人
をめぐって文化の違いからくる貴族の戸惑いが描かれている。
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● メキシコ作品4本紹介
「彼奴(きやつ)らを生かすな」1949 年製作
日本封切(昭 30)
Hipocrita
監督 ミゲル・モライタ
マフィアのボスに父を殺され、娘自身も顔を傷つけられ娼婦に落ちていく。
そして幾年か過ぎ、顔を元通り手術をして、歌手となってボスに近づき復讐を
遂げる。
「激 怒」1958 年製作
日本封切(昭 36) Rebellion of the Hanged
監督 アルフレード・B・クレベンス
1900 年代の初め頃。メキシコ南部の村に住む貧農の主人公は、妻が重病の
為、借金をしたが、それが返せず子供達と奥地の木材伐採キャンプに連れて
行かれた。そこでの環境は地獄だった。
残忍な経営者の仕打ちに、主人公はじめ労働者が怒りで反乱を起こす。
「幻影は市電に乗って旅をする」1953 年製作
日本封切(昭 34)
Illusion Viaja en Travia
監督 ルイス・ブニエル
首になった市電の運転者と修理工が自棄糞(やけくそ)で酒を飲んで、廃車
になった市電に乗って夜の街を走らせるが、そこで次々と起こす騒動に人間
の不条理が見え隠れする様が面白く描かれている。
※(付記)シュール(現実離れ・非日常的)ドラマは、映画作家は一度は撮っ
てみたいと思うそうですが、興業的には大冒険なので思い留ま
るそうです。
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「皆殺しの天使」1962 年製作
日本封切(昭 38) Angel Exterminador
監督 ルイス・ブニュエル
綺麗に着飾ったレディース&ジェントルマン達がノビレ家の夕食会に招か
れてやって来る。
招待主は執事一人を残して召使や料理人達が屋敷から出て行ってしまう。
翌朝、皆が帰ろうとすると、出入口が開かない。閉じ込められた紳士淑女
達は如何なる行動をしただろうか。
紳士淑女とは、どんな人の事であろうか。
※(付記)カンヌ国際映画祭にて、国際批評家連盟賞受賞
次回は昭和の時代のアジア映画を紹介したいと思います。
映画は面白い!映画はいいなあ!
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シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 59 回)
【未紹介国の映画 Ⅱ】アジア編
インド・タイ・ベトナム共和国・北ベトナム・韓国・北朝鮮・
フィリピン・モンゴル・台湾・中国・香港
参った!参った! 映画通を自認している俺らとしては、もう少しバランス
感覚が有ると思っていたが、アジア映画はほとんど観ていない事がわかりまし
た。
昭和の時代でも 100 本以上の映画が上映されているのに、自分の意識にある
のは、ブルース・リーやジャッキー・チェンの出演する香港映画以外は、フィリ
ピン映画1本、台湾映画1本、中国映画1本程度しか記憶に無いのです。
だけど、正直申しますと今なら観たいかと聞かれたら、ノーでござりまする。
それは言葉のイントネーションが、どうも馴染めないのです。
中国や韓国は、日本国や日本人を大悪人に仕立てて製作作する映画がヒット
するそうですが、それらは日本には輸入されません。
しかし記録を見ると、北朝鮮が製作した「安重根と伊藤博文」(1979)が、堂々
と日本で上映されたそうですが、日本の映倫がよく許可したものですね。
そう云えば、日本を初め世界でヒットした香港のカンフー(空手)映画も悪党
の役は日本人でした。
ジャッキー・チェンやブルース・リーが、日本人を足蹴(あしげ)りをしたり、
空手チョップで打ちのめすのですから、腹が立って仕方なかったのに、それを
平気で観ている日本人がいるのですから許せませんよね。
映画を観ていて「やい!いいかげんにしろ!!」と思うのですが、そのスクリ
ーンに写る俳優さん達は日本の俳優なのです。
我が大映の俳優さんも招かれて出演しているのですから何をか云わんやです。
後日、出演した仲間に問うてみると、「実はギャラに負けた。」と答えるのです。
香港映画は日本の何倍もの配給網を持っていて、出演料(ギャラ)は日本の
数倍高いとの事です。
負けたのはギャラだけではありません。
当時の日本は、ヤクザ映画か日本にしか通用しない文芸作品やホームドラマ
でお茶を濁しておりました。
それは現在も同じで、時代劇までホームドラマじゃございませんか。
69
日本のプロデューサーが、世界中のお金を吸上げようって気がないから、
攻撃的な製作態度で映画を世界中に送り出す中国・韓国映画の後塵(こうじん)
を拝することになるのです。
そう云えばこの間、路上でロック・ミュージシャンのお兄ちゃんが、「日本に
日本人が居ない。日本人は何処にいったのか知らないか?」って歌っていたな。
俺らの気持ちと一緒だから感動して聞いていたよ。
● インド作品 2本紹介
昭和の時代のインド映画は日本では馴染み薄いが、年間4∼5百本が製作さ
れていた。
「大地のうた」1955 年製作
日本封切(昭 40)Pather Panchali
監督 ショットジット・ライ(処女作)
音楽 ラヴィ・シャンカール
インド文豪のビフティ・プシャーン・バルナージの自伝的小説三部作の第一作。
1920 年代、ベンガル地方の或る貧村に住む父母と姉と幼年期の主人公の4人
家族。母の切り盛りで、その日暮らしをしている。
母の努力も空しく姉は結核で死亡。主人公の少年は、姉の死や父母の生きざ
まを見つめながら青年期へと成長していく。
※(付記)カンヌ映画祭(1956)特別賞、カナダ・サンフランシスコ・
マニラ映画祭で大賞
第2作「大樹のうた」1956 年製作 日本封切(昭 40)に A・T・G 系
で上映。ベネチア映画祭グランプリ
第3作「オブの世界」1959 年は日本未入荷。
70
「インドのシェクスピア」1965 年製作
日本封切(昭?)
Shakespeare Wallah
監督 ジェームス・アイヴォリー
シェイクスピア劇専門のインド旅芸人一座。一座内のエピソードや、行く
先々での騒動やヒロイン(ジェフリー・ケンドール)の恋模様が明るく楽しく描
かれている。
※(付記)ベルリン映画祭金熊賞・主演女優賞
● タイ作品 2本紹介
「孔雀王の家」1955 年製作(タイ・日本合作)
日本封切(昭 31)
Home Peacock
監督 チュート・ソンスイ
タイに伝わる森の精霊伝説、SF ファンタジー。アユタヤ王朝の時代。
悪い将軍が、呪術で時空を封印してしまう。
数百年後の現代に、閉じこまれていた孔雀王が突然現れ、現代のある青年
と恋に落ちるお話
「田舎の教師(せんせい)」1978 年製作
日本封切(昭?)
Khru Ban Nok
監督 スラスイ・バーダム
辺境地の小学校に赴任した正義感に燃える先生が、森林を不法伐採する
地元のボスを告発した事から、ボス一味に狙われる。
結果は村民が立ち上がり正義が勝つのだが、国際的危機になっている
森林破壊問題をストーリーの中に盛り込んだ映画。
71
● ベトナム共和国作品 1本紹介
「ベトナム最前線」1965 年製作
日本封切(昭 41)Rag Doll
監督 ホアン・ビン・ロク
ベトナム戦争の真っただ中、南北どちらが正義か?プロパガンダ(主義・
思想の宣伝)の映画。南ベトナム兵士が、ベトコン(北ベトナム軍)との
交戦で、誤射して殺してしまった少女が持っていた人形を、救出した少女
に渡して死んで行くお話です。
● 北ベトナム作品 1本紹介
「ベトナムの少女」1961 年製作
日本封切(昭 37)Con Chivanh Knuyen
監督 ニュウエン・ファン・ドン
1950 年代。ベトミンが仏軍と戦っていた頃、仏軍監視下にあった村で、
ベトミン会議が密かに行われていた。
その会議で集まっている事が仏軍に漏れたのを、少女が命を投げ出して
仲間に知らせ、自ら犠牲になる。
72
● 韓国作品 1本紹介
「空爆作戦命令-赤いマフラー」1964 年製作
日本封切(昭?)
紅巾特攻隊
監督 シン・サンオク
朝鮮半島が38度線で南北に分かれて戦っていた頃、韓国空軍が北軍の
物資供給の要橋を爆撃し結果を上げ、我が空軍はこんなに勇敢なんだぞ!
とおっしゃとります。
● 北朝鮮作品 1本紹介
「姉の問題」1982 年製作
日本封切(昭?)
監督 チョン・ゴンジョ
北朝鮮事情による、嫁と姑の葛藤いがみ合いを描いた作品。
● フィリピン作品 2本紹介
「ゲリラ隊未だ降伏せず」1953 年製作
日本封切(昭 29)
Nenita Unit
監督 エディ・インフィンティ
戦後初のフィリピン映画と大々的宣伝で、B 級ロードショー劇場の神戸
新開地「神映劇場」で、もう一本何かと二本立てで観ました。
パンフレットも持ってまっせ。ストーリーは忘れましたが、主人公では
ないゲリラの女隊長が、部下を叱りつけるわ、裏切者をいとも簡単に射殺
する、非情な女だった事は憶えています。米画に劣らない面白い戦争映画
でした。
73
「カカバカバ・カ・バ?」1980 年製作
日本封切(昭 55)
Kakabakaba Ka Ba?
監督 マイク・デ・レオン
日本のヤクザが麻薬を旅行中のフィリピン青年の荷物の中に隠したこと
から、さあ大変。ヤクザや中国マフィアに追われるドタバタ喜劇。
● モンゴル作品 1本紹介
「ガリデ・マガナイ(グレート・イーグル)」1984 年製作
日本封切(昭 60) Garid Magnai
監督 ジャミアン・ブンタール
昭和の初期、孤児の青年が努力して蒙古相撲のチャンピオンになる物語で
あるが現在の日本の相撲界に似ていますな。
白鳳と日馬富士関のサクセス・ストーリーが20年前に映画になって日本で
映された。
● 台湾作品 1本紹介
「海をみつめる日」1983 年製作
日本封切(昭 58)看海的日子
監督 ワン・トン
家庭が貧しく他家に引き取られたが、その家庭も貧しく、家族を支える
為に娼婦となったが、養母の家族達は冷ややかだった。
やがて客の子供を妊娠。憔悴(しょうすい)して実家に戻った彼女は、村人
達の暖かさに触れて、未婚の母になる事を決意する。
● 中国作品 2本紹介
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「林商店」1959 年製作
日本封切(昭 37)林家舗子
The Lyn Family Shop
監督 シェイ・ホア
満州事変後の上海で、日本製品を売っていた「林商店」が、日貨排斥
運動によって破産に追い込まれて行く姿を描いている。
「紅いコーリャン」1987 年製作
日本封切(昭 62)Red Sorghum
監督 チャン・イーモウ(処女作)
1920 年代の山東省。嫁入りの輿(こし)を担いだ男と、造り酒屋に嫁に来た
女が徒(ただ)ならぬ
仲になる物語。物語よりドキュメント映画のカメラマンだったこの監督は、
劇映画でも虚構を出来るだけ排除する演出が素晴らしい。
※(付記)2005 年高倉健主演「単騎、千里を走る」で健さんを極限まで
追い込んだそうだ。
「紅いコーリヤン」ベルリン映画祭グランプリ受賞
● 香港
香港映画と云えばアジアで世界に通じる映画を発信できる国でありま
す。
皆様ご存知のブルース・リーとジャッキー・チェンの二大俳優が世界市場
に送り出す映画のほとんどは日本で上映され、日本にも熱狂的ファンが
数多くいる。
映画製作能力は今も衰えず、肩苦しい文芸作品よりも、カンフー物や
キョンシー物などに CG 技術を加えて、娯楽に徹している商売上手。
あえて今さら、上映作品を紹介する必要もありますまい。
映画仲間が観るだけでは満足しない。
仲間を集めて映画を製作(つくろう)って云ってくる人が出てきたよ!
映画は楽しい! 皆様もそう思いませんか!
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シニア映画館
- 昭和の映画は、想い出の宝庫(第 49 回)
【記録映画
(DOCUMENTARY)】
戦後、日本映画の興行形態は、洋画(特に米画)は、ロードショーで一本立て
興業、邦画は各映画会社共に二本立て興業が昭和 40 年代中頃迄続いた。
そして、その頃から記録映画は上映されていたが、それは他の映画の "オマ
ケ”という認識でしかなかったと思います。
洋画も邦画も劇場に入って上映が始まれば、10 分程度のニュースに予告編、
本編と続くのです。
時にはその上、短編の記録映画が付いてる事もありました。
ディズニー作品が上映される劇場は、「自然の驚異」シリーズ(約 30 分)が、
本編にセットされておりました。
これから紹介する記録映画は、添え物ではなく、堂々と本編として、ロード
ショー劇場で上映された映画であります。
普通のドラマは、作家の想像力や実話をデフォルメ(素材の形態を意識的に
変える)して、ストーリーを完成させ、観客に感動を与えるのですが、ドキュメ
ンタリーは "事実は小説より面白い!" を謳い文句に製作されます。
私が長編記録映画を観たのは、中学校生全員が教育委員会推薦を受けた
「砂漠は生きている」(1954)ディズニー作品だった。
面白かったですね。何の変哲もない砂の大地をクローズアップして観ると、
昆虫や動物たちのドラマが見えてくるのですね。
この映画は世界中で大ヒット致しました。それに便乗するように、色んな国
(特にヨーロッパ)が「記録映画も銭になるぜ!」とばかりに製作ブームになり
ました。
中には遣(や)らせ的作品も混じる様になり、やがてブームは去って行きまし
た。一つにはテレビの影響もあり、それらはテレビのブラウン管の中で見られる
ようになって行きました。
● 海 3本紹介
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「沈黙の世界」(仏) 1956 年製作
日本封切(昭 31)Le Mondo du Silence
監督 ジャック・イブ・クーストー大佐(海洋博物館々長)
クーストー隊長の率いる海中探検隊は、この時の為に設計造船された
「カリプソ号」に乗って、地中海・紅海・インド洋・ペルシャ湾で、75 メートルの
深海(当時の最深撮影・現在は日本の「深海 6000」が、6,000 メートルまで撮影
可能)で撮影した。海の生物達を水族館で見ている様に見せてくれました。
※(付記)56 年度カンヌ映画祭でグランプリ受賞
「太陽がとどかぬ世界」(仏・伊)
1964 年製作
日本封切(昭 40)
Le Mondo Sans Soleil
監督 ジャック・イブ・クーストー
人間が水中で居住出来るか否かの実験の為に、海底にドーム型の実験室や
ドーム型潜水艇を駆使して海中から人間を観察したり、海中生物の生態を撮影
し、観客が水中で実際に鑑賞している様な錯覚に陥る仕掛けで、観客を魅了
させました。
※(付記)アカデミー最優秀記録映画賞、フランス・シネマ大賞受賞
「青い海と白い鯨」(米)
1971 年製作
日本封切(昭 46)
Blue Water, White Death
監督・製作・撮影 ピーター・ギンベル
この記録映画の意図は単なるドキュメンタルではなく、ハーマン・メルヴィル
原作の「白鯨」を下敷に、人喰い鮫と人間の闘いを造り物の鮫ではなく、本物
の鮫でドキュエンタリー プラス サスペンスをもって製作した記録映画でした。
皆さん、怖いですよ!恐ろしいですよ!
本物のホオジロ鮫が大きな口を開けてカメラに向かって襲ってくるのです。
それを船から吊るした鉄製の檻の中にキャメラマンが入って撮影しているの
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です。檻にかみつく鮫の歯がスクリーン前面に広がるのです。
キャメラマンもあんなに怖いことは今までなかったと云っとります。
● 陸上動物 3本紹介
「ゆかいな仲間(ビューティフル・ピープル)」(南アフリカ)
1974 年製作 日本封切(昭 50)Beautiful People
監督・編集・音楽・解説 ジャミー・ユイス
これ程楽しく、笑いころげて観れる動物の生態の記録映画は今迄なかったと
思います。
万物の霊長たる人間が観て、まるで人間がぬいぐるみを着て演じていると思
える程、人間臭い動物達の行動を、数々のクラシック音楽にのって面白く表現
する姿を見せてくれます。
ファーストシーンは、無機質な砂漠に吹く風の音と風が創る砂の造形。
そこからズームアップして行くと、ダチョウの卵を盗む猿の姿(ホオかむりす
るとねずみ小僧)や発酵(はっこう)する果実の実を食べた動物達の酔っぱらい
の姿は人間の酔っぱらいそのままでっせ。笑いますがな。大笑いですわ!
「巨像の大陸」(米) 1972 年製作
日本封切(昭 47)The African Elephant
監督・撮影 サイモン・トレバー
この記録映画御覧になった方、憶えておられるでしょうか。
感動で涙が溢れるシーンがあります。
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今、私達は後期高齢者ですが、身につまされる思いです。それは象の墓場と
云われている場所ですが、そこには象牙も無ければ骨もない。
それは死に行く象の家族が、骨一本すら残さず、何処かへかくしてしまうか
らです。
人は「死んでも迷惑をかけない」と云いながら、死ねば多くの人の手を煩わ
せるのですから、話になりませんや。
他の動物も出てきますが、アフリカ象に焦点を合わせた映画です。
「キタキツネ物語」(日)
監督・脚本 蔵原惟繕
1978 年製作
音楽 佐藤 勝
日本封切(昭 53)
ナレーター 岡田英次
北海道の雄大な自然の中、あるキタキツネ一家が、子を授かり、子育てに幸
福な日々を送っているが、次々と遭遇する危難や、外敵と闘いながら、やがて
"子別れ" の時がくる。
動物の世界で日々行われている儀式の生態を通じて、人間以上にヒューマン
な生き方に感動を味わう映画でした。
● 車 F1 レース
「デッドヒート」(米) 1971 年製作
日本封切(昭 46) Once Upon a Wheel
監督 デビット・ウインタース
ホスト役 ポール・ニューマン
レーサー達 マリオ・アンドレッテイ、ジャッキー・スチュワード
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アル・アンサー、デニス・フルム、ボビー・アンサー
F1 レースの内容を説明するのは難しいので、ホスト役ポール・ニューマンの
一言を記しておこうと思います。
ポール・ニューマンがゴール・ラインを指さして「男と云うのは、線を一本引
くと競争するものだ。」
この言葉で全てを語っております。
● 音楽 ジャズ・セッション
「真夏の夜のジャズ」(米)
1959 年製作
日本封切(昭 35)
Jazz on a Summer's Day
監督・製作・撮影 バート・スターン
第5回ニュポート・ジャズ・フェスティバルを記録した映画。
一部バンド名とアーチスト名を記して置く。
(バンド)ジミー・ジェフリー・スリー、イーライズ・チョーズン・シックス、
セロニアス・モンク・トリオ、ジョージ・シアリング・クインテッド etc.
(アーチスト)ジミー・ジェフリー、チコ・ハミルトン、チャック・ベイリー、
ルイ・アームストロング、 マヘリア・ジャックソン etc.
● 戦争
第二次大戦数え切れぬほど作品があるが、私の独断でこの一本を紹介
「硫黄島」(日・米)
1972 年製作
企画 緒方克行 構成 須藤出穂
撮影 米・海兵隊第三司令部
日本封切(昭 47)Iwo-Jima
資料 米国国防総省
1968 年(昭 43)硫黄島が日本に復帰したのを記念して、日米で製作された。
英国のウインストン・チャーチル首相が回顧録で、第二次大戦の最大激戦地と
して、レニングラード・エルアラメイン・硫黄島の3つを挙げている。
周囲6km のこの小島で、日本軍戦死者2万人、米軍戦死者2万2千人の尊い
戦死者を出したからである。
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当時、劇場では観客のあっち、こっちからお題目の声とすすり泣く声が劇場
外にも聞こえてきたと伝えられております。
● 人間の仕業
「世界残酷物語」(伊)
1961 年製作
監督 グァルティエロ・ヤコベッティ
日本封切(昭 37)Mondo Cane
ナレータ 小沢栄太郎
奇行・風習のたぐいを未開人、文明人を俎上(そじょう)に、楽しんで製作した
ヤコベッティ監督の世界的大ヒット作品。
この作品で味を占めたのか、続いて「世界女族物語」1962(昭 37)や「続・世界残
酷物語」1963(昭 38)等を世に送り出したが、その内世界中から、あれは "遣(や)
らせ”ではないかと、評判が落ちていったヤコベッティ監督でした。
● スポーツ
「東京オリンピック」(日)
総監督 市川 昆
1965 年製作
日本封切(昭 40)
メイン・キャメラ 宮川一夫
オリンピック委員会は最初、黒澤 明監督に依頼したが断られ、その後
今井正・今井正平・大島 渚にも断られ、市川 昆監督になった。
市川 昆監督は、スポーツ一つ一つの競技やそのルールには関心はなく、無名
の黒人選手にスポットを当て、その選手の葛藤を描くことをメインに芸術映画
に仕上げたのです。
これには国民も賛否両論で物議を醸(かも)しました。
しかし映画そのものは、国内外ともに高い評価でありました。
今回も書ききれぬ内に終わってしまいました。
映画ファンの皆様、又お会いしましょう。
今回で満 5 年が過ぎました。皆様の人生において、何か心に残った
回はあったでしょうか。もし「あった!」と云って頂ければ筆者冥利
(みょうり)と云うもんです。ありがとうございます。
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昭和の映画は想い出の宝庫
平成 27 年 6 月 20 日発行
著 者 三木 正八郎
編 集 米代 憲雄
(非売品)