TCH を見つける 1 問診 起座位にしてゆったりと患者を座らせ,正面を向いて軽く口唇閉鎖を指示する.その 状態で「上下の歯はどこが噛んでいますか? それとも,どこも触っていませんか?」 と聞く. 「右の奥歯が噛んでいます」とか「前歯が触っています」のように,どこか噛 . んでいると回答すれば,TCH がある可能性が高い(図 2-1) 次いで「舌の先端はどこに触れていますか?」と質問する.舌の安静位である上顎切 歯乳頭後方部に軽く接触させているのが正常な状態だが, 「下の前歯に触っています」 . と回答した場合,舌筋を緊張させて下顎前歯に押しつけている可能性がある(図 2-2) 「上に触っています」という回答の場合も,正常な「口蓋皺壁に軽く接触している」状 態ではなく,口蓋にしっかりと舌背を押しつけていることがある. 2 視診 口腔内診査で,舌の先端あるいは周縁部への歯の圧痕や頬粘膜咬合線形成の有無を診 .これが見られた場合,下顔面を緊張させている時間が長いこ 査する(図 2-3,2-4) とが推測される. 図 2-1 起 座位での患者へ の TCH 問 診. 背 もた れ から姿勢を起こし,正面 を向いて閉眼させる.こ のとき口唇が開いていれ ば閉鎖を指示する.その 状 態で「 上下の歯はどこ が 噛んでいますか? そ れとも,どこも触っていま せんか?」と聞く (本 書に掲載の顔 写 真は すべてスタッフを使用) 16 図 2-2 60 歳,女性.舌先端についた下顎前歯部 の圧痕 現時点では,歯の接触に伴う咀嚼筋の緊張と舌筋の緊張とが,必ず同時に発現すると TCH がない場合もある. しかし,これらの兆候が見られたなら,何らかの緊張持続が影響している可能性は否 ら,これらの兆候が見られたなら,対処の必要な患者と判断すべきであろう. 3 行動診査法 TCH のある患者は,口唇と歯列とを別々に動かすことが困難であるので,この行動 パターンを利用して診査する. ①口唇を閉鎖して咬合させる.この状態から歯列離開を指示する.口唇も離開した場合, あるいは口唇は離開しないが違和感が強まる場合は,TCH の可能性がある(図 . 2-5) ②口唇と下顎の力を抜くように指示して,口唇も歯列も離開している状態を確認する. 離開しない場合は意識的に離開させる.この状態から歯列接触を指示する.口唇も一 . 緒に閉鎖するなら,TCH の可能性がある(図 2-6) 図 2-3,2-4 43 歳,男性.舌縁への歯の圧痕と頬粘膜咬合線 図 2-5 行動学的 TCH 検査.口唇を閉鎖して咬合させ, 歯列離開を指示する.歯列を離すと口唇も離開する場 合は TCH の可能性がある 図 2-6 口唇も歯列も離開している状態から歯列接触を 指示する.口唇も一緒に閉鎖するなら,TCH の可能 性がある 17 を知る・見つける・コントロールする TCH 定しきれない.下顔面の緊張緩和という行動修正は,顎関節症治療に有効であることか Chapter 1 いう科学的根拠はない.したがって, 診査で舌圧痕や頬粘膜咬合線が見られた患者でも, TCH は最重要かつ コントロール可能な寄与因子 ここまで繰り返し述べてきたように,顎関節症の寄与因子は多数あり,個々の患者に よって保有する寄与因子は異なる.永続的な根本治療を行おうとするなら,患者のもつ 寄与因子をすべて特定し,その一つひとつを無害化しなければならないが,さすがにそ れは不可能である. それならば次善の策として,特定可能で無害化可能な寄与因子を見つけ出すことが必 要であろう.それでも顎関節症の症状を改善することができるのである. その説明を患者に行う際に,われわれは「積み木モデル」 (図 2-1)を用いている. 患者のもつ寄与因子の一つひとつを積み木に例え,多くの積み木がタイミングよく積み 重なり,全体の高さがその患者のもつ耐久力を超えると症状が発現する,と考える. そして治療においては,特定しえた寄与因子の積み木を下ろしていく.どの積み木で あろうと,何個の積み木であろうと,重なった積み木を下ろしていけば,いつかは患者 のもつ耐久力の限界内に収まるであろう.そうなれば,症状が改善するはずである. 下ろす積み木は何でもいいとは言ったが,現実的には改善不可能な寄与因子もある. たとえば解剖学的構造も寄与因子だが,下顎頭が小さく耐久力が小さいと思われる患者 の下顎頭を大きく頑丈にすることはできない. 総合的耐久力 不良な咬合状態 夜間ブラキシズム 間接構造の脆弱性 関節構造の脆弱性 TCH 図 2-1 積み木モデル 一部の積み木を下ろして,全体の積み木の高さが総合的耐久力のなかに収まれば,症状が改善する 24 保存療法であること 可逆的療法であること 科学的根拠に基づいた治療方法であること(対症療法であってもよい) Chapter 2 ホームケアによる自己管理もよい 図 2-2 アメリカ歯科医学会による顎関節症初期治療の原則および好ましい属性 11) 子を管理することは困難であろう. 咬合という寄与因子も,取り扱いが難しい.顎関節症患者の咬合状態を調べて早期接 触を見つけたとする.以前なら,咬合調整の対象となる不良咬合を見つけたとして,す ぐさま削合処置を行っていたであろう.しかし,ちょっと待ってほしい.その患者が顎 関節症を発症する前の咬合を知らずに,すぐさま削るというのは危険である.もし顎関 節症を発症した結果として,左右の咀嚼筋の緊張度に差が生じ,それによって下顎が偏 位して出現した早期接触であるなら,それは顎関節症の結果の早期接触であり,原因と しての寄与因子ではないからである. このように,咬合という病因的寄与因子を見つけたと思っても,それが病因ではない 場合がしばしばある.もちろん,ある患者においては不良咬合が顎関節症の寄与因子に なっており,咬合状態の改善が症状改善に貢献する場合もあるかもしれない.しかし, 咬合に手をつけることは試行錯誤的な処置になりかねず,しかも天然歯を削ったあげく に症状の改善が得られなかった場合,元に戻すこともできない.そのため, 「不可逆的 な咬合調整の実施は避けるべきである」という警告がアメリカ歯科医学会から 2010 年 に出されており(図 2-2)11),さらに日本顎関節学会が編集した『顎関節症患者のため の初期治療診療ガイドライン』においても「顎関節症の初期治療に咬合調整を行うべき ではない」という推奨文が公表されている 12). では,顎関節症にはどうアプローチすべきだろうか.まず考えるべきことは,可逆的 な治療を優先するということである.効果がなかったときに,患者に何らの害も残して はならない.次に,多くの患者がもっている寄与因子で容易に発見でき,改善できるも のに注目すべきである.さらに可能なら,患者自身で行えるセルフケアあるいはセルフ マネジメント可能な治療が望ましく,それには特別な装置を必要とせず安価で行えるに 越したことはない. 寄与因子としての TCH は,上記の条件すべてに合致する. TCH は有痛性顎関節症 患者の 70%が保有しており,容易に発見でき,改善方法も容易で可逆的であり,患者 みずから安価に実施できる.したがって,TCH 是正が今後の顎関節症治療の柱になる と考えられる. 25 のコントロールを取り入れた顎関節症治療 TCH また,不可能ではないが管理の難しい寄与因子もある.偶発的な外傷といった寄与因 Chapter 3 臨床例 顎関節症治療の目標は QOL の向上 東京医科歯科大学歯学部附属病院顎関節治療部外来医長 西山 暁 近年,医療の目的は 延命 から 生命の質の向上 へと変化し,生活の質,すなわ ち Quality of life(QOL)の重要性が認識されている. 顎関節症患者の多くは,顎関節や咀嚼筋の痛み,あるいは開口障害などの機能制限を 訴えており,それらの症状に伴って食事や会話が十分にできなくなったり,何が起こっ ているかがわからず心配になったり,不安感が高まったりしている.そのような状況下 では,当然のことながら QOL は低下してしまう.この低下した QOL を向上させてい . くことが,顎関節症治療の目標である(図 1-1) 顎関節症は,その場で痛みを消失させたり,機能制限を改善させたりすることが困難 な疾患である.そこで重要となってくるのは,患者への適切な説明である.まずは現在 起きている状況についての説明(病態説明)と,なぜそのような状況が起きたのか,ま たは続いているのかについての説明(病因説明)を十分に行うことが重要である(図 . 1-2) 治療のポイントは,痛みと機能制限のコントロール(病態コントロール) ,および病 態を生じている要因のコントロール(病因コントロール)である.この両者は同時に行 . うことが大切である(図 1-3) 生活の質 治療 図 1-1 治療と生活の質 顎関節症の治療においては,痛みの軽減,開口障害の改善を図りながら, 患者の「生活の質」を向上させていくことが大きな目標である 54 2010 年 3 月,AADR(American Association for Dental Research)より,顎関節症に 対する次のような見解が示された. It is strongly recommended that, unless there are specific and justifiable indications to the contrar y, treatment of TMD patients initially should be based on the use of conservative, reversible and evidence-based therapeutic modalities. (明確かつ正当化 できる適応がないかぎり,TMD 患者への初期治療は,保存的・可逆的かつエビデンス に基づいた治療を行うことが強く推奨される) . 顎関節症においてエビデンスが確立されている治療法は,残念ながら,現在のところ はあまりないが,病態コントロールと病因コントロールは, 保存的・可逆的治療 と 以下に,実際の症例を提示する(顎関節症の病態診断については,2013 年に改定さ れた日本顎関節学会の分類に従っている) . Chapter 3 いう考え方に従って行っていくことが大切である. 臨床例 診査 診断 説明 治療 図 1-2 顎関節症の治療の前に,まずは十分な説明が必要である.これにより患者 の心配や不安が軽減し,生活の質も向上してくる 病態 ール コントロ 顎関節症 病因 ール コントロ 図 1-3 顎関節症の治療概念 「病態コントロール」と「病因コントロール」の両方への対応が重要 55
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