学園祭通信 豊川高等学校 平成 27 年 9 月 1 日(火) 第3号 高校生・戦後 70 周年「未来」プロジェクト 高校生自転車ピースリレー8/26~29 東海道ルート 8/29(土)豊川高校から3名の生徒が参加しました。 3年6組 岡田奈都さん 3年8組 吉野有紀くん 2年6組 鈴木紀瑛くん <全国横断「平和の灯」ピースリレーの思い> 高校生が、戦後70年を迎えた今年、この2015年を、 「 『戦 後80年』は来るのか」──この問いに、「これからも平和な社 会であり続ける」と、次世代へ自信を持って答えられるような、 平和への思いを新たにする特別な年にしたいという思いがあり ます。 学校でも、日常の授業や、修学旅行などを通して平和を考える 取り組みが行われていますが、戦争体験を持つ語り部の方はご高 齢になられています。これからの未来を担うのは、戦争を経験したことのない世代です。 これからの取り組みは、自分も平和のために行動しているという事実でしか説得力を持ち ません。それゆえ、 「平和な未来のために、自分が動いた」という人々をひとりでも多く増 やしたいのです。年齢、国籍、性別、思想の立場を越え、 「平和への思い」を表明し、行動 したいと考えました。 広島県平和公園の「平和の灯」は、核兵器廃絶などの願いを込めて50年以上にわたっ て燃え続けています。 「被爆70年」を迎えた広島の「平和の灯」を、全国の高校生による 自転車リレーで全国へつなぎます。また、東日本大震災の被災地、宮城県石巻市で燃え続 ける「石巻の火」とともに火をつなぎ、未来への思いを共有します。この火は、全国各地 で分火し、各校で行われる平和への取り組みのシンボルにしていいきます。 思いに賛同した、全国各地の高校生たちが「平和の灯」と「思い」をつなぎ、行動してい ます。 <3人が走ったルート> 豊川高校からゴールの東別院 8/29(土)小雨が降る中、浜名湖を6: 30スタートしました。最初の休憩ポイ ントは、1989 年からともし続けている平 和の灯がある桜丘高校に到着しました。 この灯は星野村に保存されていたまさに 広島の原爆の残り火を桜丘文化祭のクラ ス企画から豊橋市、愛知県の各学校に広がって保存運動が起き、この地に恒久的にともさ れています。また戦後 50 年の際にはこの灯を持って名古屋までの徹夜ウォークをしてい ます。そのときの高校生達が教員になり今回のプロジェクトでも中心を担っています。今 回参加した生徒にも戦後 80 年のプロジ ェクトを担ってもらいたいです。雨の中 到着し、説明を受け、新たな気持ちで豊 川高校に向かって出発しました。 第2休憩ポイントの豊川高校では、 ダンス部・和太鼓部・生徒会・登山部・ 教師・有志の父母の皆さんの拍手のなか 入場し、飲み物など手厚い歓迎を受けま した。その後すぐ近くの、豊川海軍工廠 の供養塔を訪れ、早川長先生(豊川高校 教諭)より説明がありました。同じ位の 歳の子たちがたくさん亡くなった話を聞いて、黙祷を捧げました。 <3人の感想> 3年6組 岡田奈都さん(写真 左) 平和自転車部隊が、7/27 から花巻ルー ト・8/7 から広島ルートがスタートしまし た。多くの高校生が参加しているのをみ て、辛いし本当にやって意味があるのか と疑問に思いました。でも、実際に自転 車を漕いでいる子たちの目は輝いていま した。その瞬間「やりたい」 「平和ってな んだろう」と疑問を抱くようになりまし た。実際走っている中で、少しの理解か もしれませんが、平和について考え、行 動することの大切さに気付きました。これからもっと学んで平和ってなんなのか考えたい と思います。 3年8組 吉野有紀くん(写真 右) 最初は平和とか復興とかよくわからないまま顧問の早川先生に薦められ参加しました。 豊川高校を出発する前に、豊川海軍工廠の供養塔に寄り当時の様子を聞きました。今から 自分たちがやることはとても意味があることであり、曖昧な気持ちではいけないと再認識 しました。途中の道のりで、前の人が急ブレーキをかけて自分が一回転してしまったこと がありました。しかし、最初の決意を思い出して、また自転車を漕ぐことができました。 痛みもありましたが、無心になりペダルをこぎ続けました。ゴールの東別院では、400 名を越える父母の方・各学校の先生・生徒の皆さんが盛大な拍手や歓声で出迎えてくれ豊 川から名古屋までの区間、自分にとって貴重な体験になりました。 2年6組 鈴木紀瑛くん 戦後70周年の機会に貴重な体験ができて よかった。この平和への意志をもっと周囲の 人に伝えていきたいと思いました。これから 学園祭で多くの学びをしていきたいと思いま す。
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