放射光軟X線分光法による窒素含有カーボンナノホーンの局所構造解 析

放射光軟X線分光法による窒素含有カーボンナノホーンの局所構造解
析と炭素中微量窒素の定量・状態分析技術開発
物質計測学研究グループ TM08B003 天野泰至
1.はじめに: 新しい炭素材料として期待されるカーボンナノホーン (CNH)は,液体
窒素中のアーク放電により効率的に合成される[1]。しかし,このCNHには窒素が微
量に取り込まれることが電子エネルギー損失分光法 (EELS)で確認され[2],窒素の
局所構造の解明が待たれている。一方,我々は放射光軟X線分光法による軽元素機
能材料の精密分析技術の確立を目指して,本法による状態分析と定量分析の高度
化をはかっている。そこで,本研究では,(1)放射光軟X線分光法による窒素含有
CNHの局所構造解明と,この関連技術となる(2)炭素中微量窒素の定量•状態分析技
術の開発を目的とする。具体的には,高輝度放射光を用いて,(1)窒素含有CNHの
高分解能軟X線発光•吸収スペクトルを測定し,discrete variational (DV) -Xα分子軌
道法によるスペクトル解析から窒素の吸着状態を決定する。さらに,(2) 窒素を含む
様々な芳香族化合物の放射光軟X線吸収測定から,窒素含有炭素の組成比定量に
必要な検量線の作成方法を確立し,併せて状態分析に必要なX線吸収端構造
(XANES)スペクトルをデータベース化する。
2. 実験: 窒素含有CNHの局所構造解析における測定試料は,液体窒素中アーク
放電で合成したCNHと副生成物のカーボンナノチューブ (CNT),および市販の高
配向性熱分解黒鉛 (HOPG)である。炭素中微量窒素の定量・状態分析技術開発に
おける測定試料は,-NH2,=N-,-NO2などの窒素官能基を持つ 25 種の芳香族化合
物である。放射光軟X線分光測定は米国の放射光施設Advanced Light Source
(ALS)で行った。CK領域とNK領域のX線発光スペクトル (XES)およびX線吸収ス
ペクトル (XAS)を,ビームラインBL-8.0.1 とBL-6.3.2 でそれぞれ測定した。
3. 結果と考察: (1) 窒素含有CNHの局所構造解析: CK領域とNK領域のXESをFig.
1 に示す。CK-XESでは,CNHのスペクトル形状がCNTとHOPGの形状と類似したこと
から,CNHの基本構造は炭素六角網面からなることが確認できた。一方,NK-XESで
はCNHにのみピークが観測され,EELSの結果[2]と同様にCNHに窒素が取り込まれ
ることが確認できた。このNK-XESは
394 eVと 396 eVにピークをもつ特
徴的なダブルピーク形状を示した。
そ こ で , こ の NK-XES に 着 目 し ,
DV-Xα分子軌道法によるスペクトル
解析からCNHにおける窒素の吸着
状態を推察した。具体的には,物理
吸着と化学吸着の観点から様々な
窒素吸着クラスターモデルを構築し,
DV-Xα 計 算 で こ の 電 子 状 態 密 度
(DOS)を算出した。このうち,CNH
の NK-XES 形 状 を ほ ぼ 再 現 す る
N2p-DOSを与えたクラスターモデル
Fig. 1 Soft X-ray emission spectra in the CK (left
panel)
and NK (right) regions of the CNH, CNT,
と,そのDOSをFig. 2 に示す。クラス
and HOPG.
ターモデルは,水素終端した炭素六角網面
クラスターC96H24[3]の端に窒素が化学吸着
したモデルであり, N2 がzigzag配置の炭素
原子と結合して五員環をつくる場合
(edgeIIp)とarmchair配置の炭素原子と六員
環をつくる場合 (edgeIIh )のものである。両
モデルのN2p-DOSはダブルピーク形状の
主ピークと低エネルギー側にピーク成分 を
Fig. 2 Left panel shows the probable
示し,これらはCNHのNK-XES形状をほぼ
chemisorbed structures (edgeIIp and
edgeIIh) of nitrogen atoms at the edge of
再現した。炭素六角網面端にN2 が化学吸
the basal graphitic cluster model C96H24.
着する構造は,Xuら[4]の熱力学計算に よ
Right panel shows the occupied N2p- and
N2s-DOS of the cluster models, compared
る予測と整合することから,この局所構造は
to the measured NK-XES of CNH.
妥 当 で あ る と 考 え ら れ る 。 な お , CNH の
NK-XASも,この窒素吸着構造から予測 さ
れるスペクトル形状と整合した。したがって,
液体窒素中アーク放電で合成された窒素
含有CNHにおける窒素の局所構造は炭素
六角網面の端にN2 が化学吸着した構造で
あると考えられる[5]。
(2) 炭素中窒素の定 量・状態分析技術開
発: XASを組成比定量分析に適用す る
Fig. 3 Atomic ratio (N/C) dependence of
には,注目する複数元素の吸収強度比 を
the peak intensity ratio (NK/CK) in the
定量指標にすることが必要である[6, 7]。窒
X-ray absorption spectra of various
aromatic compounds having nitrogen
素含有芳香族化合物のCK∼NK-XASにお
functional groups. The inset shows the
typical X-ray absorption spectrum.
いて,両吸収端のピーク高から求めた
Nσ*/Cσ*吸収強度比と,各試料のN/C原子
比との相関をFig. 3 に示す。この正の相関は原点付近を通る直線で近似でき,これは
0.94 の高い相関係数と 0.069 の低い標準偏差を示した。さらに,この相関はDV–Xα
分子軌道法で算出した窒素含有芳香族化合物のNとCのσ*-DOS比でほぼ再現でき,
理論面からもその妥当性が確認できた。したがって,この回帰直線は黒鉛系炭素材
料に含まれる窒素を定量する検量線になり得ると考えられる。さらに,窒素含有芳香
族化合物のNK端XANESは,芳香族骨格に依らず窒素官能基の種類でほぼ決まる
特徴的な微細構造を示した。したがって,このXANESデータをもとにした指紋分析か
ら,黒鉛系炭素材料に取り込まれる窒素の状態分析が可能である。
4. まとめ: 放射光軟X線分光法により,液体窒素中アーク放電で合成されたCNHに
取り込まれる窒素は,CNHの基本構造である炭素六角網面の端にN2 の形で化学吸
着することを明らかにした。さらに,窒素官能基を持つ様々な芳香族化合物のCK∼
NK-XASから,炭素材料に取り込まれる窒素の組成比定量と状態分析を行う方法を
提案した。
参考文献: [1] N. Sano et al., Carbon, 42, 667-691 (2004). [2] H. Wang et al., Nanotechnology, 15,
546-550 (2004). [3] T. Amano et al., Intl. J. Quantum Chem., 109, 2728-2733 (2009). [4] Y. J. Xu et al.,
Chem. Phys. Lett., 406, 249-253 (2005). [5] T. Amano et al., J. Electron Spectrosc. Relat. Phenom. (to
be published). [6] 上田聡 et al., X線分析の進歩, 38, 273-280 (2007). [7] Y. Muramatsu et al., Tanso,
236, 9-14 (2009).
放射光軟 X 線分光法による工業ゴムの精密状態分析と分子間相
互作用の解析
物質計測学研究グループ TM08B015 久保田雄基
1. は じ め に : ゴムにカーボンブラック(CB)を混練すると,ゴムの耐久性と耐磨耗
性は格段に向上する。この CB によるゴムの補強効果は工業ゴムの開発において極
めて重要であるが,ゴム分子と CB 間に働く化学的相互作用の観点からはほとんど
解明されていない。一方,我々は放射光軟 X 線分光法による軽元素機能材料の精
密分析技術開発を目的として,軽元素に着目した状態分析技術の高度化をはかっ
ている。最近では,本法により CB 結晶子の局所構造を明らかにし[1],さらに電気伝
導性の低い天然ゴム(NR)に対して,比較的容易に全電子収量軟X線吸収測定が
できることを明らかにした[2]。これから,本法を用いれば,ゴム分子と CB 間の化学的
相互作用を解析できる可能性がみえてきた。そこで,本研究では工業ゴムの開発に
資するため,放射光軟 X 線分光法を用いてゴム分子と CB 間の化学的相互作用を
解明することを目的とする。具体的には,まず(1)ゴムの表面状態を理解するため,
表面状態の経時変化を追跡し,(2)ゴムと CB および CB 配合ゴムの軟X線吸収スペ
クトルを測定・解析して 3 者間の相関から化学的相互作用について考察する。
2. 実 験 : 測定試料は,代表的なゴムである NR とイソプレンゴム(IR)の塊を 1mm
程度の厚さにスライスした薄片と,東海カーボン(株)で調製された CB および CB 配
合ゴムの薄片である。IR については,表面状態の経時変化を追跡するため,スライ
スから放射光測定までの大気曝露時間(1 20 日)を変化させた。CB 配合ゴムは IR
と CB および硫黄を混練して加熱したゴムである。
この際,CB を 50 phr (IR の重量を 100 とした時の
重量)の比率でゴムと混練した。さらに,CB 配合
IR をベンゼン溶液に浸して溶け残った成分の CB
ゲルも調製した。これはゴム分子と CB との化学
的相互作用がはたらく部位であり,ゴムの補強成
分であると推測されている。放射光軟 X 線測定は
米国の第三世代放射光施設(ALS)で行った。軟
X 線発光スペクトル(XES)と全電子収量軟X線吸
収スペクトル(TEY-XAS)はビームライン BL-8.0.1
と BL-6.3.2 でそれぞれ測定した。
3. 結 果 と 考 察 : (1)大 気 曝 露 下 に お け る ゴ ム
表 面 状 態 の 経 時 変 化 : NR,IR および参照試
料(HOPG, イソプレン,ジカルボン酸)の CK 端
TEY-XAS を Fig.1 に 示 す 。 ポ リ イ ソ プ レ ン
[-H3C(H3C)C=CHCH2-]n の IR に比べて NR の
π*ピークは弱く,これは NR の不飽和結合が合
Fig. 1 CK-XAS of the NR, IR,
and reference compounds. Surface
成ゴムの IR に比べて飽和化していることを示す。
of the IR samples were exposed to
また,NR と IR の両者においてπ*-σ*間に少な
the air for 1 – 20 days.
くとも 2 ピーク(a: 287.4 eV, b: 288.6 eV)からなる構造が共通して現れた。このピーク
構造はジカルボン酸のピーク構造とほぼ一致し,ピーク強度のアルキル鎖長依存性
から,ピーク a と b はそれぞれアルキル鎖とカルボキシル基に起因すると推察できる。
したがって,ピーク a,b はゴムの酸化とアルキル鎖生成の指標になると考えられる。
一方,ゴムは大気下で酸化劣化することが知られている。そこで,ピーク a,b と酸
化との相関を明らかにするため,IR におけるピーク a,b の大気曝露時間依存性を
求めたところ,曝露時間に対してピーク b(カルボキシル基成分)が増大し,逆にピー
ク a(アルキル鎖成分)は減少した。なお,OK 端 XAS においても,曝露時間に比例し
た OK 吸収ピークの増大が確認された。したがって,大気に曝された IR 表面は数日
単位で酸化され,この表面酸化状態の指標とし
てピーク a,b が有効であると考えられる。また,ゴ
ムの状態分析には,大気曝露時間を制御・把握
することが必要であることがわかった。
(2) ゴム,CB,CB 配 合 IR の CK-XAS: CB 配
合 IR における CB,IR,および CB ゲルの模式図
と,それらの CK 端 XAS を Fig. 2 に示す。もし,
CB 配合 IR が IR と CB との単なる混合物ならば,
CB 配合 IR の XAS は IR と CB の XAS の和にな
ると予測される。しかし,混練によって化学的相互
作用が働く部位が生じ,それが CB ゲルであるな
らば,CB 配合 IR の XAS に CB ゲルが重畳され
るはずである。そこで,CB 配合 IR の XAS と,各
成分の XAS を任意の割合で合成したスペクトル
とを比較した。Fig. 2 下部に示すように,CB と IR
の合成スペクトルは両者を 3:17 の比率で合成し
たものが比較的 CB 配合 IR の XAS に類似した。
しかし,これに CB ゲルを加えた合成スペクトルは, Fig. 2 Upper illustration shows
the
components
in
the
CB 配合 IR の XAS 形状にさらに近づいた。この
CB-compounded rubber. Lower
spectra show the CK-XAS of the
結果は CB ゲルが混練により生じた成分であるこ
CB, IR, CB gel, CB compounded
とを示唆し,ゴムと CB との化学結合でできた化学
rubber, and the synthesized
spectra with CB, IR and CB gel.
的相互作用成分であることを支持する。
4. ま と め : 放射光軟X線分光法を用いて,CB
配合ゴムにおけるゴム分子と CB との化学的相互作用を明らかにすることを目的とし
て,様々なゴム試料の XES・XAS を測定した。その結果,ゴムの CK-XAS のπ*-σ*
間に現れる微細構造はアルキル鎖成分とカルボキシル成分に起因し,この微細構
造はゴムの表面状態分析に有効であることを明らかにした。また,IR の表面は数日
単位で酸化することを確認し,ゴムの保存時間が表面状態制御に重要であることを
示した。さらに,CB 配合 IR の CK-XAS と各成分の合成スペクトルとの比較から,
CB ゲルがゴム分子と CB 間の化学的相互作用成分であることを示唆した。
[1] Y. Muramatsu et al., TANSO, 236, 2-8 (2009). [2] 久保田ら, X 線分析の進歩 (投稿中).
第一原理分子軌道計算による岩塩型金属炭化物 (TiC,VC)の電子
構造解析
物質計測学研究グループ TM08B020 下村健太
1. はじめに: 炭素鋼や高窒素ステンレス鋼に代表される金属-軽元素複合材料
は,建築材料など幅広い分野において利用されている。このような金属-軽元素複
合材料の機能や品質の向上には精密な分析・評価が不可欠であるが,従来の分析
手法では金属元素の分析が主流であり,軽元素に着目した精密状態分析は少ない
のが現状である。これは,金属原子に比べて軽元素原子の電子数が圧倒的に少な
く,従来の実験室系分光分析手法では,軽元素の化学状態情報を十分に引き出す
ことが困難であるためである。一方,我々は放射光軟X線分光法を用いた軽元素機
能材料の精密分析技術の確立を目指して,軽元素に着目した精密状態分析技術
の高度化をはかっている。そこで,本研究では本法を金属-軽元素複合材料の軽元
素分析に適用することを目的とする。具体的には,金属-炭素間の電子構造解析の
基盤となる金属炭化物に着目し,このうち最も基本的な岩塩型結晶構造をもつ炭化
チタン (TiC) [1]と炭化バナジウム (VC)の放射光軟X線発光・吸収スペクトルを
測定する。そして,この軟X線スペクトルを第一原理分子軌道計算である DV-Xα法
を用いて解析する際の妥当性と技術要素を明らかにする。
2. 実験・計算: 測定試料は市販の金属炭化物粉末(TiC, VC, Cr3C2, Fe3C,
Al4C3,SiC,Mo2C, TaC, WTiC2, WC)と,参照試料の高配向性熱分解黒鉛(HOPG),
anthracene,p-terphenyl である。高輝度放射光を用いた軟 X 線分光測定は,米国
Lawrence Berkeley National Laboratory (LBNL)の第三世代放射光施設 Advanced
Light Source (ALS)で行った。CK 領域のX線発光スペクトル(XES)とX線吸収スペク
トル(XAS)はビームライン BL-8.0.1 と BL-6.3.2 でそれぞれ測定した。DV-Xα分子軌
道計算は市販の DV-Xαソフトウェアを用いて行った。計算にあたり,様々な大きさの
MxCy クラスターモデルを構築し,所定の炭素原子と金属原子における占有•非占有
軌道の電子状態密度(DOS)を算出した。
3. 結果と考察: TiC と VC の CK-XES は,有機系参照試料の XES 形状とは異なり,
主ピーク(a で記述)と低エネルギーテール(b)と高エネルギーショルダー(c)からなる
特徴的な微細構造を示した。このスペクトルを解析するため,DV-Xα計算に用いた
MxCy クラスターモデ
ル (M=Ti, V) と,中
心炭素原子の C2s-,
2p-DOS を Fig.1 に示
す。TiC と VC の両ク
ラスターモデルにお
いて,占有 C2p-DOS
と CK-XES を比較す
ると,最もサイズが大
きい M62C63 の DOS
で XES 形状をほぼ
Fig. 1 Left panel shows the cluster models of MxCy (M=Ti,V).
再現できた。なお,
Right panel shows the occupied C2s,2p-DOS of center C atom in the
MxCy models, compared to the CK-XES of TiC and VC.
CK-XAS もこのクラスターの非占有 C2p-DOS でほぼ再現できた。したがって,岩塩
型金属炭化物の軟X線発光・吸収スペクトルは,対称性を考慮した 125 個程度のク
ラスターモデルを用いた DV-Xα計算で十分に解析できることがわかった。
TiC と VC の CK-XES を理解するた
め,M62C63 モデル(M=Ti,V)におけ
る中心炭素原子と隣接金属原子の
DOS を Fig. 2 に示す。これから,
CK-XES の主ピーク a と高エネルギ
ーショルダーc は主として C2p と M3d
の混成軌道に起因し,低エネルギー
テール b は C2p と M4s の混成軌道
に起因することがわかった。
Ti62C63 モデルにおける炭素原子の
位置と DOS との関係を Fig.3 に示す。
Fig. 2 Occupied DOS in the C2p and C2s orbitals of
注目する炭素原子の位置がクラスタ the center C atom, and in the M3d, M4s, and M4p
ー端から中心に向かうにつれて DOS orbitals of the 1st-neighbor M atom in the M62C63
ピークが分裂し,微細構造が現れる。 model (M=Ti, V), compared to the CK-XES of TiC and
VC.
ここでは,最高被占有軌道(HOMO)
の占有 DOS は低エネルギー側にシ
フトし,最低非占有軌道(LUMO)の
非占有 DOS は高エネルギー側にシ
フトしてバンドギャップが広がる方向
に向かう。さらに,第2隣接の炭素か
ら中心炭素にかけて主ピークの分裂
が顕著になった。これは V62C63 モデ
ルにおいても同様である。このことは,
岩塩型金属炭化物の CK-XES・XAS
を DV-Xα分子軌道法で解析する際
に,注目する中心原子から第 5 隣接
原子程度まで拡大したクラスターモ
デルを用いないとバルクの電子状態
に近い DOS が得られないことを意味 Fig. 3 Positional dependence of C 2s- and 2p-DOS
of the C atoms in Ti62C63 model.
し,前述した 125(=5x5x5)個程度か
らなるクラスターモデルでスペクトル解析できることの根拠となる。
4. まとめ: 放射光軟X線分光法を金属-軽元素複合材料の軽元素分析に適用す
ることを目的として,まず基本的な岩塩型結晶構造をもつ TiC と VC の CK-XES・
XAS を測定し,DV-Xα法でスペクトル解析した。その結果,結晶構造の対称性を考
慮した 125 個程度の原子からなるクラスターモデル(M62C63)を構築し,クラスター端
から少なくとも 5 隣接以上離れた中心原子の DOS でスペクトルを解析できることを明
らかにした。以上より,放射光軟X線分光法による高分解能スペクトル測定と DV-Xα
法による理論解析が,金属-軽元素複合材料の精密状態分析技術になり得る見通
しが得られた。
[1] K. Shimomura et al., Intl. J. Quantum Chem., 109, 2722-2727 (2009).
水中の微量鉛分析を目的としたケイ酸塩水和物タイプ吸着剤の合成と評価
物質計測学研究グループ TM08B005 井澤 良太
【緒言】 近年,ケイ酸カルシウム化合物トバモライト(Ca5Si6 O18H2・4H2O)は Ca のイオ
ン交換作用に基づく重金属イオン吸着剤として注目されている。我々はこのトバモラ
イトを環境汚染重金属の吸着剤として利用する新しい環境分析技術の開発を目指し,
重金属の検出に有力な蛍光X線分析法(XRF)の試料前処理に適す高機能トバモラ
イトの合成を試行している。これまでに,Pb の効率的吸着剤の開発を目的として,Pb
とイオンサイズが近い Sr をトバモライトの Ca と置換したタイプのケイ酸ストロンチウム水
和物(SSH)を合成した。さらに,SSH の重金属吸着実験を行った結果,Pb を効率よく
吸着することが分かった。しかしながら,SSH における Pb 吸着時の化学状態は解明
できていない。そこで,合成した SSH の評価と吸着された Pb の化学状態を解析する
ことは新たな重金属吸着剤開発の指針となると考え,本研究では,①DTA による熱
的挙動の解析および IR 測定による結合解析,②XANES による化学状態分析,③
SSH による Pb の回収を行い,XRF による定量分析の可能性について評価した。
【実験】 DTA により熱的挙動の解析を行い,さらに試料を KBr で 125 倍に希釈した
粉末を FT-IR で測定した。吸着時の Pb の化学状態分析では,10ppm の Pb 溶液と
SSH を反応させ,吸着後の固体試料を SPring-8 ビームライン BL37XU で PbLIII 吸
収端 -XANES スペクトルを測定した。なお,測定領域は 13.01~13.07 keV(ビームサ
イズ 1.8×2.8 m2 )で行った。また,Pb の定量分析実験では,純水または人工海水
(無機成分が海水と同組成の水溶液)を用いて 0~50 g/L の Pb 溶液を調製し,この溶
液 1L に SSH を 0.1g 添加した。この SSH 混合溶液を撹拌しながら 1h 放置した後,ろ
過して SSH と溶液を分離した。乾燥後,SSH に捕集された Pb の L 線を波長分散型
蛍光X線装置で測定した。同様にトバモライトによる吸着実験も行った。
【結果と考察】 SSH の評価 IR 測定
結果より,SSH にはトバモライトに見ら
れる特徴的なピーク(Q1-Q3)がみられた。
Q1 は シ リ カ 鎖 の 頂 点 ( 810cm-1 付
近 ) ,Q2 の シ リ カ 鎖 の 中 間 領 域
(900~1050cm-1),Q3 はシリカ 2 重鎖の
Si-O の伸縮振動のピーク(1200cm-1 付
近) と言わ れている[1] 。この結果より
SSH はトバモライトと類似したシリカ骨
格を持っていると言える。
TG-DTA トバモライトは加熱により,
Fig.1 IR spectra of SSH and
800℃付近で CaSiO3 に転移し,DTA
tobermorite
曲線において発熱ピークを示す[2]。
一方,SSH の DTA 曲線でも 840℃付近で同様のピークが見られた。そこで,SSH を
900℃で加熱処理して X 線回折測定を行った結果,SrSiO3 に転移し,SSH がトバモラ
イトに類似した熱挙動をとることが判明した。
吸着された Pb の化学状態分析 PbLIII 吸収端 -XANES スペクトルの測定結果を
Fig.2 に示した。トバモライトの XANES スペクトルは反応時間の経過とともに PbCO3
のスペクトルに類似した形状となった。一方,SSH では時間の経過とともに PbCO3 型
から PbSiO3 型へとスペクトルプロファイルが変化した。以上の結果から,トバモライトと
SSH では反応初期と平衡状態における Pb の吸着化学種が異なることが推察された。
人工海水中の Pb 吸着実験 蒸留水または人工海水に一定量の Pb を段階的に添
加し,トバモライトおよび SSH による回収実験を行った。水溶液中の Pb 濃度と SSH お
よびトバモライトに吸着された Pb のX線強度との相関を Fig.3 に示す。両吸着剤ともに
正の相関を示し,その近似直線は 0.99 の高い相関係数を示し,これらは検量線とし
て利用できることが判明した。また,直線の傾きと空試験値の標準偏差から定量下限
を求めた結果,μg/L レベルの定量が可能であった。なお,反応後の固体試料中の元
素を定性分析した結果,SSH は人工海水中に存在する Cl−や K+イオンの影響をトバ
モライトほどには受けず Pb の吸着が可能であるということが分かった。以上より,Pb の
吸着に関しては SSH がトバモライトよりも優れていることを明らかにした。
【結論】 SSH は多様な無機共存イオンを含む人工海水からでも微量の鉛を吸着回
収できることが分かった。また,その構造はトバモライトに類似した骨格を持つことが判
明した。SSH は環境水中の ppb レベルの Pb を XRF で定量分析する際に有効な吸着
剤として十分使用できる。
Fig.2 XANES spectra of Pb
adsorbed on SSH or Tobermorite
and some standard Pb
compounds.
Fig.3 Correlation between added
Pb concentration in solutions and
PbL X-ray intensity in SSH or
tobermorite.
* D.W: distilled water , A.S: artificial
[1] N.Y. Mostafa et al., Journal of Alloys and Compounds, 473(1-2), 538-542 (2009). [2]
S.Tsunematsu et al., Cement and Concrete Research, 34, 717-720 (2004).
無機系廃棄物を用いたカドミウムイオン吸着剤の合成とその評価
物質計測学研究グループ
1. はじめに
TM08B011 荻野芳菜
Cd は毒性が強く多くの生物に吸収・蓄積されやすい元素であるため、
RoHS 指令やコーデックス委員会の対象とされている。土壌中における Cd の移動性は低
いとされているが、土壌の酸化還元電位の増加や土壌水でのイオン強度の増加により水
中への溶解度や作物への吸収性が増すことも知られている。排水や環境水から Cd を除
去する吸着剤は種々開発されているが、処理水が大量の場合には、特に安価な原料で簡
便に合成できる吸着剤が必要となる。一方、資源の有効活用や環境負荷低減の観点から、
無機系廃棄物をアルカリ水熱合成により有価物とする研究が近年盛んに行われている。
本研究ではこの中で重金属吸着性の高い Al 置換型トバモライトといわれるトバモライ
ト[Ca5Si6 O16 (OH)2・4H2O]の Si を Al で 10%程度置換したものに着目し、原料に無機系廃
棄物の浄水発生土と廃ガラス、カキ殻をそれぞれ用いてアルカリ水熱合成し、その生成
物による Cd イオンの吸着特性を評価した。
2. 実験
水熱合成に先立ち、浄水発生土や廃ガラス、カキ殻はブレンダーで粉砕し、150
m 以下のものを使用した。カキ殻と浄水発生土は前処理(900℃で 2 時間焼成)後に使
用した。粉砕した各原料をテフロン製耐圧容器(Morey 型)に入れ、溶媒として 3.5M
の NaOH 水溶液を用いてアルカリ水熱合成を行った。原料は元素比 Ca/(Si+Al)=0.6 を基
準に Al 添加量を変化させ、150℃で 72 時間水熱合成した。同様に試薬を原料とした吸
着剤のアルカリ水熱合成も行った。生成物を蒸留水で洗浄・乾燥後、粉末X線回折(XRD)
測定、熱重量-示差熱測定(TG-DTA)、走査型電子顕微鏡(SEM)観察によって生成物
の同定を行った。また生成物と他の吸着剤においてカドミウムイオンの吸着実験を行っ
た。吸着後の溶液および吸着剤を 1M の酢酸で溶解した上澄み液中のカドミウムを原子
吸光分析(AAS)により定量し、得られたカドミウム濃度から回収率を算出し、生成物
と他の吸着剤との吸着性を比較した。
3. 結果と考察
3.1. 合成
合成物の XRD 測定と SEM 観察さらに DTA の結果より、無機系廃棄物を原
料とした水熱合成で得られた合成物はアルミニウム置換型トバモライトとソーダライ
ト Na8(Al6Si6O24)Cl2 の混合物であった。ソーダライトは Al 添加量の増加に伴い生成量が
増加した。一方、比較のために試薬を原料とした水熱合成を行ったところ、その生成物
はトバモライトとケイ酸カルシウム水和物(CSH)の混合物であった。この場合には Al
添加量の増加に伴いアルミニウム置換型トバモライトが生成した。また生成物の熱的挙
動を調べた結果、無機系廃棄物を原料とした合成物は工業用トバモライトと同様の熱挙
動を呈したことから類似する物質であると推察できる。
3.2. 吸着特性の評価
標記無機系廃棄物原料の乾燥重量比を 1:1:1 として水熱合成した
吸着剤は、アルミニウム添加量を変化させた生成物の中で最も高い吸着率を示した。そ
こでこの無機系廃棄物を原料とした吸着剤(C)、試薬を原料とした吸着剤 2 種(A, B)、
炭酸カルシウム、ソーダライト、工業用トバモライト、ゼオライト(Y 型)について Cd
イオン吸着性を調べた。
T
表に示すように無機系廃
T
SiO2 C T
棄物を原料とした吸着剤
濃度においても十分に
Cd イ オ ン を 吸 着 し 、
KNO3 や NaCl が共存する
条件でも他の吸着剤より
高い吸着性を示した。ま
AT
X-ray intensity / arb. unite
C は高濃度においても低
AT
S
A
B
AT Al2O3
AT
C
T
Industrial tobermorite
T
T
T
S
S
S
Sodalite
た、10ppb(50 g/5L)の Cd
溶液に吸着剤 C を 0.5g
添加して撹拌したところ、
± 4.5%の 誤差範囲内で
100%の吸着率を示した。
4. まとめ
標記の無機系
Zeolite(Y-type)
00
10
10
20
30
30
40
40
50
50
60
60
2 theta / deg.
Fig. XRD patterns of adsorbents; A: tobermorite + CSH,
B: Al-substituted tobermorite + CSH, C:Al-substituted tobermorite + sodalite;
T: tobermorite, AT: Al-substituted tobermorite, C: CSH
廃棄物を用いて合成した吸着剤は Al 置換型トバモライトとソーダライトの混合物であ
った。また標記原料の乾燥重量比を 1:1:1 として水熱合成した吸着剤は Cd イオン吸着率
が高く、Cd イオン吸着剤としての利用が期待できる。
Table Percent recovery of cadmium ion using several inorganic adsorbents.
Cd 10mg/L
3
Cd 0.1mg/L
3
Adsorbent
1h
72h
KNO3 (10.1×10 mg/L)
NaCl (52.0×10 mg/L)
1h
72h
A
95.9
99.4
92.5
82.0
79.6
82.0
B
90.3
99.6
95.8
83.7
78.2
80.0
C
99.4
99.5
83.0
78.0
78.3
79.9
Tb TJ
99.3
99.5
21.4
78.0
80.7
82.1
CaCO3
98.8
99.6
44.9
83.5
77.0
77.2
Sodalite
96.1
96.1
68.6
43.8
96.1
95.9
Zeolite
95.7
95.5
0.9
1.3
95.2
95.3
A: tobermorite + CSH, B: Al-substituted tobermorite + CSH, C:Al-substituted tobermorite + sodalite