地域に愛される学級をめざして ~地域との連携による「羽田節」の継承の記録~ 大田区立羽田中学校 1 特別支援学級 教諭 古川 範之 他 はじめに 本学級は大田区立羽田中学校の特別支援学級固定級(知的障害)で通常級の生徒や保護 者、地域の方々からは「5組」と呼ばれて親しまれている。学級目標の一つに「自立」が あげられる。将来、自立した生活を送るためには就労先で「長期間、働き続け、安定した 収入を得る事ができる」力を身につける必要がある。このことは障害を抱える子どもをも つ保護者が切に願う事である。また、我々が果たすべき使命の一つであると考えている。 本学級ではそのためには次の力(下図)を育むことが必要であると考える。 信 頼 される力 明 るく前 向 きに取 り組 む力 ・体力をつけ、規則正しい生活を行う。 ・仕事を休まない。遅刻しない。 ・アドバイスを素直に受け止めて 自分を変えようとする。 コミュニケーションの力 ・失敗してもめげない、恥じない。 ・次 は う ま く や ろ う と す る 。諦 め な い 。 ・自分に自信をもつ。 目指す 4つの力 ・「 は い 」、 「 い い え 」、 「 わ か り ま せ ん 」、 「できました」等を伝えられる。 ・意見を伝えるために自分から行動 ができる。 ・ニ ュ ー ス な ど を 話 題 に 雑 談 が で き る 。 可 愛 がられる力 ・礼儀正しい受け答えができる。 ・気を利かせた行動ができる。 ・身だしなみをきちんとする。 これらの 4 つの力を伸ばすには、他者との関わりの中で①「物事に粘り強く取り組 ませる」②「できる喜びを味わわせる」③「周りから褒められることでさらに自己肯 定感を高める」④「より高い目標を立てさせ取り組ませる」のステップを繰り返して いくことが有効であると考え、実践を積み重ねてきた。 2 学級の特色づくり 本 学 級 で は 、日 常 生 活 や 授 業 な ど あ ら ゆ る 場 面 で 上 記 の 4 つ の 力 を 身 に つ け る こ と を 意 識して指導を行っている。このような力は一回の説明や経験では身に付く力ではない。生 徒たちは毎日の授業のほかにも日常生活の中で洗濯物を自分たちで干したり白衣をたたん だり、朝清掃(校舎 1 階全部)を行ったりしているが、このような活動を何十回、何百回 と繰り返し、その中で教員からの助言や指導を受けて力を身につけている。 ま た 、4 つ の 力 を さ ら に 伸 ば す た め に「 特 色 あ る 教 育 活 動 」と し て「 音 楽 」「 総 合 的 な 学 習 の 時 間 」「 部 活 動 」 の 時 間 に 和 楽 器 の 演 奏 に 取 り 組 ん で い る 。 和楽器の指導を始めたのは7年前、音楽科講師の発案による。始めは文化祭での発表が 目標であった。現在は箏の先生を招いて指導をお願いし、学級用に楽譜をおこしていただ いたり、アレンジしていただいたりし、演目も多くなり発表の場も増えてきている。 和楽器の授業では「礼儀作法」はもちろん、チームワークなども学ぶ。また、演奏の準 備 か ら も 学 ぶ 事 は た く さ ん あ る 。「 毛 氈 を 引 く 」「 箏 を 運 ぶ 」「 ま く ら を 置 く 」「 太 鼓 等 を 用 意 す る 」「 爪 を つ け る 」「 ラ ジ カ セ の 準 備 を す る 」 が 一 連 の 流 れ で あ る 。 長 年 の 活 動 の 積 み 重ねによってこれらの準備は上級生が指示をしたり、各自が気を利かせたりし、生徒自身 の 力 で で き る よ う に な っ た 。日 々 の 授 業 や 日 常 生 活 で 育 ま れ た「 自 分 を 成 長 さ せ た い 」 「人 から感謝されたい」という気持ちがそこにはある。下級生の中には気持ちはあっても行動 に移せず、準備に戸惑う生徒もいるが上級生の姿を見て学んでいってくれることと思う。 また、楽器の指導も以前は先生が生徒に教える形が主体であったが、最近では上級生が 下級生に教える形で練習ができるようになってきている。一つの活動を長年やり続ける事 で学級の活動自体に「教え合いの輪」が広がるなど、信頼される力やコミュニケーション の力が付いてきていることを感じている。 演奏は毎年4月に行われる青少対主催の「子どもガーデンパーティ」や地域の老人ホー ムで行われる夏祭りで披露している。最近では地域の行事でも演奏を頼まれることも多く な り 、地 域 の 方 に 感 謝 さ れ る こ と に よ り 、自 信 を つ け 前 向 き に 取 り 組 む 力 を 伸 ば し て い る 。 3 羽田節との出会い 羽 田 節 に 挑 戦 す る き っ か け は 地 域 行 事 へ の 参 加 で あ る 。今 年 3 月 に 地 域 で 開 催 さ れ た「 ス ポーツごみ拾い大会」で演奏をした際に、地域の教育委員の方から「羽田節を演奏できな いか」いうお話をいただいた。それからインターネット等で「羽田節」についての情報を 集めたり、音源を探したりし、地域文化の継承に向けての取組が始まった。 「羽田節」は、江戸の昔から、羽田の漁師の祝い唄として親しまれてきた曲であり、浜 の大漁や、家の上棟式、新しい舟の進水式、婚礼の席で手拍子によって歌い継がれてきた 曲である。しかし、次第に唄える人も少なくなり、昭和46年頃、三味線、尺八、太鼓に のせて唄いやすいように編曲され、継承を目的に48年に羽田節保存会が結成された。 苦 労 し た の は 楽 譜 の 入 手 で あ る 。羽 田 特 別 出 張 所 に お 願 い し 、 「 羽 田 節 」に 詳 し い 方 を 紹 介していただいた。伊東奨学会、羽田節保存会、数年前に洋楽器で演奏したことがあると いう民間企業の音楽隊など、多くの方を尋ね、連絡をとり、ようやく手に入れることがで きた。最後は本校に来ていただいている箏の先生に楽器ごとの楽譜を作っていただいた。 4 練習から発表まで 生徒の練習は5月より開始した。私たち教職員にとっては初めての曲であるが、生徒に とってはなじみのある曲であった。地域の一部の小学校では、運動会で「羽田節」を流し て踊っているという。そのおかげもあり、非常に難しいと言われたこの曲を生徒は2ヶ月 足らずで一通り演奏できる形に仕上げることができた。廊下を通る通常級の生徒が「羽田 節だ」と興味を示す声をあげ、それが支援学級の生徒の意欲にも繋がったようである。 8月初めには羽田節保存会の方に来ていただき、アドバイスをいただいた。踊りやすく するためにもう少しゆっくり演奏することなどを指導していただいた。 8 月 9 日「 羽 田 ク ロ ノ ゲ ー ト ま つ り 」で の 初 め て の 演 奏 に は 、多 く の 方 に 来 て い た だ き 、 曲に併せて踊っていただくなどし、生徒にお褒めの言葉をたくさんいただいた。 その後も保存会の方との交流を続け、10月下旬の「羽田文化センターまつり」では三 味線や尺八、唄のできる方が来てくださり、本学級の生徒とコラボレーションで演奏する ことが決まっている。 5 終わりに 現在、 「 羽 田 節 」は 踊 れ る 人 は い る が 、演 奏 で き る 人 や 唄 え る 人 が ほ と ん ど い な い と い う 。 本学級の生徒は、この曲への取組を通して多くの方と交流することができた。また、曲を 聴いてくださる地域の方(多くは高齢の方である)が感動し、声をかけて下さることによ り、自己有用感を高めることができた。この曲を上級生から下級生へしっかりと継承して いくことが、お世話になった地域の方々への恩返しであると考え取組を継続し、今後も地 域に愛される学級づくりに励んでいきたい。 羽田節保存会の方による授業参観 和楽器の授業風景 クロノゲートまつりで初めての「羽田節」の演奏 資料1 資料2 羽田節保存会との競演(地域の方も踊りにも参加した) 羽田節保存会との競演(近隣施設「ヤマトフォーラム」にて) 羽田節保存会との競演(文化祭にて) 羽田節保存会との合同練習
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