大社中の校区を旅する (Ⅰ) 谷崎と遠藤

大社中の校区を旅する (Ⅰ)
谷崎と遠藤
(以下 平成26年度学校通信より)
校長 白井弘一
私は平成25年4月に着任しましたので25年度の1年間は学校通信を通じて「大社中生に身につけてほしい
こと」を書いてきました。新入生やその保護者の皆様にも読んでいただけると嬉しいかぎりです。学校通信
はこの大社中ホームページからアクセスできます。
翌26年度は1年かけてシリーズ「大社中の校区を旅する」にチャレンジしました。大社中学校の校区は名所・
歴史・文学案内がシリーズでできるすごい校区なのです。著名な作家・小説・アニメ・各界人材・名所など多彩
なアイテムが登場しますのでお楽しみに。校区のあれこれを知ることは学校を大事にすることにつながり
ます。また保護者の皆様にも大社中校区をぜひ味わっていただければと思います。まずは1回目「谷崎潤一
郎」と「遠藤周作」です。回により文体が違いますがご容赦願います。
(1)あの有名な谷崎潤一郎作「細雪」(ささめゆき)に出てくる大社中校区の描写です。「自分はあのお方
は大阪の方に住んでいらっしゃるのだとばかり思ってゐたところ、西宮の一本松の傍に家があると云われた
のが意外だったので、或る日、あのマンボウを通り抜けて、一本松の所まで行って見たら、成る程ほんたうに
お宅があった・・・」さて、どこかわかりますか。安井小出身の人はわかるかな。常盤町の一本松です。マンボウ
とは平松町のJR線を潜るれんが造りのトンネル通路のことです。ちなみにこのマンボウと呼ばれるミニトン
ネルは校区内にはもう一ヶ所、夙川小校区の大谷町と郷免町間にもあります。地元の人は知ってますよね。
どちらも由緒あるトンネルです。
(2)戦後日本を代表する作家の一人、遠藤周作さんは子どもの頃神戸・西宮にお住まいでしたが、その時
にキリスト教の洗礼を受けました。それが霞町の夙川カトリック教会です。夙川カトリック教会は大きいので夙
川のランドマークになっています。どの季節でもまことに絵になる堂々たるたたずまいです。こんな重厚な
教会が本校校区にはあるのです。まだ行かれたことがない方は一度中に入って来られてはいかがですか。
信者さんでなくともその神々しさには打たれると思います。云うまでもなく日本においてはあのフランシス
コ=ザビエルからスタートしたローマ=カトリック教会に属する教会です。
(「西宮文学風土記」・「西宮の歴史」等参照いたしました。次回からも同じです。)
大社中校区を旅する (Ⅱ) 城跡と教会
(3)大社小学校の辺りが越水城の跡です。さて、越水は小清水とも書き、名の通りよい湧き水があり戦国
時代にはいい城構えの時期もあったようです。信長に京を追われた足利将軍が一度来たとも云われていま
すし、ルイス=フロイスが時の越水城主を通じて京都でのキリスト教布教を願い出たとも云われているなど、
けっこうメジャー級の歴史に接しています。今、NHKで軍師官兵衛が人気です。ちょうど今、黒田官兵衛が荒
木村重(伊丹・有岡城)に幽閉されたところですが、実はこの時の村重追悼戦で信長が勝利した折の一国一
城策により越水城は廃城となったのです。桜谷町9番(大社小沿い)に越水城址の石碑があります。また小学
校北から東に少し歩くといかにも物見櫓でもありそうな小高い地点に出ます。歴史に翻弄された越水城、昔
を偲んでの散策はいかがですか。
(4)今年も大社中中庭にきれいなバラが咲きました。これは甲陽園西山町のアンネのバラ教会からいた
だいた由緒正しき「アンネのバラ」です。アンネ=フランクについては今年生誕85周年だということ以外はこ
こでは説明しませんが、アンネゆかりの教会が校区内にあると云うことは知ってほしいと思います。最近、新
聞各紙阪神版に今年もバラが咲いたという記事が載っていましたね。教会を訪ねるとアンネの遺品や父オ
ットー=フランク氏からの書簡、「アンネの日記」初版本、正義の人・杉原千畝やシンドラーの資料などと出会
えます。かつて大社中の生徒が学んだとき(2006 年)の感想集ファイルもおいてくださっています。本校のア
ンネのバラはこの時に株分けしてもらいました。大事にします。教会には甲陽園駅から坂をゆっくり7~8分登
ると着きます。坂本牧師さんに電話(74-5911)して行けば丁寧に案内していただけますよ。
大社中の校区を旅する Ⅲ 火垂るの墓
(5)私がこの本を初めて手にしたのは学生の時である。もちろん今のように作品がメジャーになるずっと
前である。新潮文庫の短編集で240円と言う安さにも惹かれて買って帰った。直木賞受賞作の2編から始ま
り6編が収録。何故か2編目から読み始め、読み出したらもう止まらなかった。野坂昭如著「火垂るの墓」は30
ページにも満たない短編である。冒頭が終戦時の三宮駅だし、そのころ私の住んでいた神戸市灘区からア
ルバイト先のあった西宮市夙川にかけてが舞台である。三宮駅の場面から野坂独特の饒舌な文体へ引きず
り込まれた。小説の3分の1のところで清太と節子は満池谷(まんちだに)へやってくる。後は終わりまでほぼ
満池谷である。「火垂るの墓」はほぼ大社中の校区内で展開される物語といっても言い過ぎではない。海へ
行く途中で寄る喫茶店「パボニー」は本当にあった店だ。今も千歳町に空き地が残っている。(小さめのコン
テナが置いてある空き地です)清太は野坂本人の投影であり、妹がいたこと、親戚を頼って来たこと、妹が
栄養失調で死んだことなどは作者には事実である。どのレベルまでがフィクションかは私にも全てはわから
ないが、あの丹念な景色・景観の描写は体験者ならではのものである。小説中の清太は15歳。大社中の生徒
にはぜひ中高生の間にアニメだけでなく小説を読んでほしい。
(6)先日、全校集会で手を挙げてもらったらほぼ全員といっていい位の手が挙がった。アニメ版「火垂る
の墓」を観たことがある人である。アニメの方は85分だが20分ほどで満池谷へ来る。2人は阪急電車を降り
るがそれは夙川駅であり、今大社中生徒がボランティアで毎年掃除をしている夙川こおろぎ橋の横を通る。
急な石段の上から満池谷を眺めるシーンが10秒ほどあるがその石段はそのまま今もある。二テコ池南の堤
防西端から数十m下ったところだ。どこの石段か探してみてほしい。海へ行く場面、夙川沿いで国道2号線を
渡るが、ここが本校校区の最南端である。当時は阪神国道電車が走っている。夙川河口や御前浜・回生病院
の描写も忠実である。御前浜の美しさが印象的だが、埋立てで大阪湾の向こうが見えなくなったのは私が
西宮で教師になってからのこと。親戚宅に居候の日々が約30分あり、その後二テコ池の防空壕に移り住む
場面となる。今はホタルもいなくなり周りに瀟洒なマンションなども建ったが池周辺の風情は変わっていな
い。夕焼けの描写からして清太たちの過ごした壕は池の東側だと推定できる。小説の方と合わせて類推す
ると節子を荼毘にふす丘は団地や住宅がまだない頃の本校あたりかもしれない。戦争とは個人の運命を翻
弄し、またむごたらしいものである。平和を希求する人であってほしい。
大社中校区を旅する Ⅳ 甲山
(7)これぞまさしく自然のランドマーク!今回はご存知甲山です。1200万年前には噴火していたとのこと。
まあるい甲山の東側が上ヶ原中、西側が本校校区です。標高309m、六甲山が930mほどの山ですから、その
3分の1の高さがあるということです。本当にどこからでも見えます。こんな歌があります。(鉄道唱歌のメロ
ディでどうぞ)「ゆくて急がぬ旅人は登りて見よや甲山、ひと目に集まる摂河泉(せっかせん)山川さながら
画(え)のごとし」なんと阪神電車唱歌の一節であります。100年以上前の明治時代の歌詞です。ちょっと駅
から遠いけど行ってみませんか、と旅人にその眺望の素晴らしさをわざわざ紹介しています。摂河泉とは摂
津・河内・和泉の国のことで、すべてここから見渡せるということです。ただし今は樹木のため山頂からの眺
望はありません。お寺(神呪寺・かんのうじ)の展望台からの大阪遠望が絶景です。大社中校区に住んでいて
まだ行ったことのない人は本当に行かないと損です。町から車でほんの5分程度でこんなすごい景色が見
えるところはそうありません。(ただしここからは大社中は見えない。)
(8)甲山まで来たので、校区全体を少し見渡してみましょう。お寺からの登山道を10分ほど行くと途中眺
望が開け、眼下に夙川の美しい松の緑が見える場所が一か所だけあります。大社中学校の北校舎もよくわ
かります。夙川の大井手橋あたり(ここも校区)を散歩していると松並木の向こうに甲山のかわいいシルエッ
トが見えますが、その逆の地点です。さて、さすがに甲山が校区北端?と思ったら大間違い、北山貯水池の
その向こうアガペ病院や甲山墓園までが校区なのです。ふう広い。その昔、昭和の頃「大社中耐寒強歩大会」
というとてつもない行事がありました。班ごとに助け合いこの甲山山頂を含めた宝塚市境まで全12kmのコ
ースを駆け抜けるというもので、みんな根性つきました。私も若手教師だったので最初の通過チェック地点・
甲山山頂係を仰せつかっておりました。一番手が来るまでに山頂へ駆けあがる必要があったのでもうたい
へん、懐かしい思い出です。ところで校区最南端は国道2号線ですが、それにほぼ近いJRで芦屋から西宮
(芦屋を出て1分ほどで西宮、その辺りが校区南西端・JR西宮駅北側が校区南東端)まで乗ってその山側、甲
山を頂点にして見える範囲がだいたい本校校区ということになります。一度そんな目線で六甲山系をバッ
クにした美しい大社中校区をご覧あれ。ホントにきれいです。
大社中校区を旅する Ⅴ 平安時代と大正時代へ
(9)前号で甲山まで上がってきてこのお寺を訪ねないわけにはいきません。真言宗御室派別格本山・神呪
寺(かんのうじ)です。甲山大師として広く西宮市民に親しまれているお寺です。真言宗といえば中学の歴史
の時間に出てくるので皆さんご存じのとおり空海(弘法大師)のお寺です。西暦831年(平安時代になって37
年目)に58歳の空海がこの地に来て本堂の落慶法要が行われたとのこと。ここの大師堂の仏像がその時の
空海さんのお姿といわれます。それにしても神呪寺とはすごい名前だなあと思う方も少なくないでしょう。
お尋ねしてまいりましたら「神呪」とは般若心経にある「神呪(じんしゅ)」のことで真言宗の真言(ほんとうの
言葉、仏の言葉)のことだそうです。まもなく紅葉に染まるお寺は見事ですよ。このように由緒正しき教会も
お寺もあるのが本校校区です。
(10)空海さんのお寺もびっくりですが、これもそうとうびっくりです。実はかつて甲陽園一帯は映画撮影
所だったのです。今の甲陽園小学校の運動場にその建物が建っていたとのこと。映画といっても日本映画
の黎明期、無声映画の時代です。大正7年(1918年)この地に高級住宅地・歌舞劇場・宿泊施設・動物園・遊園
地・温泉・撮影所などの大歓楽街が一気に作られ甲陽線や甲陽園駅もこの頃できました。関東大震災(1923
年)後に東京方面の映画製作が停滞したのも手伝って、一時は京都の撮影所(今の太秦映画村付近)ととも
に甲陽園の撮影所もおおいに活気づきました。かつての喜劇王エノケンこと榎本健一も最初の映画をここ
で撮影しています。(エノケンの自伝による)しかし昭和2年に京都に撮影所は一本化され甲陽園撮影所は閉
鎖。ほんの10年間の夢の時代となったようです。
大社中校区を旅する Ⅵ
平成の大社中学校へ
(11)年末を飾り今回は大社中学校自体が訪問先です。大社中校区といえば「涼宮ハルヒ」シリーズも無縁で
はありません。これは平成の爆発的大ヒット小説&アニメとなった作品群(2003 年~)ですが、舞台になる高
校が西宮北高校、主要メンバーたる涼宮ハルヒの出身中学校の想定がズバリ大社中学校なのです。作品内
では「東中学校」となっています。アニメでの校舎のモデルは上ヶ原中ですが、場所設定は明らかに大社中
学校です。(北門はアニメに出てきます。)小説ではハルヒの出身中学校のことをこう書いています。「光陽
園(甲陽園駅のこと)からそこにある線路沿いに南に下ると学校があります。」線路沿いだったら夙川学院も
そうですが夙川学院は「私立光陽園学院」高校として別途登場します。とにかくアニメの中のこの地域の描
写はホンモノそっくりで驚かされます。今はなきサイゼリヤでのお茶の場面など向こうに見える踏切や電車
まで実物そのままです。光陽園(こうようえん)駅・祝川(しゅくがわ)など見たことのあるような?地名も登
場します。そもそも何故ここまで?作者の谷川流さんが実は北高の出身だからです。
(12)さて続いて大社中にある驚くべき地球遺産と歴史遺産の紹介です。その一つが兵庫県指定天然記念物
「満池谷層の植物遺体包含層」(「ラリックス層」とも言われる)で校内では通称「ちそう(地層)」と呼んでい
る場所です。三木茂博士により発見されたのは昭和16年、天然記念物に指定されたのは昭和40年のことで
した。およそ50万年前の氷河期ここが寒冷地であったことを示す植物遺体を含む地層が本校にはあるので
す。もしかしたらナウマン象が悠々と歩いていた?今も時折研究者の方が訪れます。学校に入らずとも東門
沿いの道路を北に上がると案内板が立っています。ぜひ一度ご覧ください。
もう一つは「古墳」です。学校の中に古墳?ほんとうです。上段グラウンドの北端、高鉄棒の向こうにひっ
そりたたずんでいます。小さな円墳ですが石室が2つ並んでいるという珍しいものです。ただ元々ここにあ
ったものではなく昭和40年、西宮市から芦屋市にかけて発掘調査された八十塚(やそづか)古墳群8基の中
の一つが移築されました。発掘時には棺を留めていた鉄釘や装身具の金環なども確認できました。見てみ
たいものです。
大社中校区を旅する(特別号) 今回はタイムトラベル
(13)これは大社中校区に程近いところでの出来事である。今から20年前の1月17日午前5時46分。白井は
その1分ほど前に目が覚めた。カタカタっとへんに揺れたからだ。やけに最近多いな・・・と思った。その次の瞬
間だった。地下からのせり上がる音、聞いたことのない爆音が迫ってきた。「来るぞっ」と叫んだ私の声に妻
跳び起きる。突き上げられるように体が浮いたかと思うと、表現しかねる横揺れに我が身がぶるぶる翻弄さ
れる。「これは何っ?」と妻、「たぶん・・地震だ」経験したことがないのだからそういうしかない。家の外で轟
音がした。あとでわかったが裏の住宅が崩壊した轟音だった。何なんだ?何が起こってるんだ?何もできな
い。立ち上がること自体が出来ない。恐ろしいと思う暇もない不気味な数十秒が続いた。緊張が解けた。収
まった。子ども部屋の2人の無事を確認できた私は外へ飛び出した。まだ真っ暗だ。目が慣れてきた。異様な
光景が目に飛び込んできた。裏の長屋は総崩れだ。ひとり暮らしのおばあちゃんが埋まっている。かすかに
声がする「足が痛い。早う出して・・」消防も自衛隊もそんなに都合よく来るわけがない。駆けつけた男たち5
人軍団で緊急救助隊だ。それからの時間、私も今振り返れば、人生の中で最も知力・気力・体力を集中して投
入した5時間だったと断言できる。一人のばあちゃんを救い出すためにたまたまそこに来た者同士でも人は
連帯できる。こんな時じゃないとできない体験だろうがすごい体験をした。午前11時14分、ばあちゃんは瓦
礫の中から生還した。集まって来た親戚や近所の人たちの願いかない歓声と拍手の中病院に運ぶ車に乗せ
た。ほっとする間もなく近隣の別の倒壊現場に向かった。ここでは3人が犠牲となりご遺体を私たちが運び
出しお寺の本堂に安置した。この日は戦場だった。夜NHKの中継車が到着、私たちの避難した体育館の様子
が午後11時のニュースで全国に伝えられた。その映像を見て「まちがいない」、埼玉の知人は電話しても通じ
ない我が一家の無事を知った。こんなことがある日突然に起こったのだ。こんなことは急にしか来ないのだ。
私の学校はカルタ会の日だった。うちのクラスは優勝を目指していた。学校は臨時休校に入った。
大社中の校区も大半が震度7または6のエリアだった。白井の調べでも校区内の犠牲者は120人以上に及
ぶ。大社中生徒3名も亡くなった。20年という歳月が流れた。生きておれば皆さん意気揚々と30代の人生を
謳歌しておられたことだろう。改めて冥福を祈ります。そして我々は誓おう。災害で死なないように努力や
準備を積み重ねていくことを。
平成27年、震災から20年となる年を迎えたことを重く受け止めています。若い今の中学生たちが将来に
渡り自然災害で命を失うことがないように祈ります。またその努力をいたしましょう。
大社中校区を旅する Ⅶ (最終回)
夙川はすごい
(14)夙川は太古の昔より流れていたが「夙川公園」は昔からあったわけではない。はたしていつ公園に?そ
れは今から82年前の1937年、昭和で言うと12年。記念式典が5月12日に今の苦楽園口駅のすぐ東の広場で
開かれたそうな。その夙川公園は戦後4年目に1000本ほどの桜が植えられたが、今はその数1700本と言わ
れる。電車通勤・通学の先生や生徒は4月、苦楽園口駅から桜の満開に迎えられ大社中までを歩く。私もかつ
て社会人1日目をそうして迎えた。この間だけでも100本の桜のトンネル、日本でも有数の贅沢な通学路と言
っていいだろう。夙川公園は「日本さくら名所100選」に選ばれている。日本は47都道府県だから一つの県
で2~3ずつで精一杯だ。兵庫ではあと姫路城と明石公園。もちろん関西全域に目をやると嵐山や吉野山、
大阪城など名だたる名所が連なる。夙川公園もなんとその一つなのである。この川は甲子園球場やえべっ
さんと並び西宮自慢の一つだ。その川に沿って毎日こんなに多くの通学者が歩くのは地元の学校でも本校
だけである。また夙川の桜の育ての親であり守り神とも言える笹部新太郎博士を知っておいてほしい。水上
勉作「櫻守」(1969年)のモデルとなった人でかつて毎日新聞に連載された。校区には様々な先人たちの情
熱や智恵が息づいている。
(15)その夙川は全長7kmほどの短い2級河川。うち3kmが上流部で、銀水橋から河口まで4kmが整備された
夙川公園となる。その銀水橋から南約2.5km国道2号線までの夙川左岸(阪急線からは両岸とも)が本校校
区だ。美しい夙川には通学時の大社っ子の制服姿がよく似合う。毎年12月に夙川駅北側一帯の大掃除に出
かけているのも大社中。まさに夙川は私たちの街の私たちの川なのである。そんな夙川が育んだものをも
う一つ忘れてはいけない。ご存じ「酒造り」だ。夙川の銀水橋から下は扇状地である。この地より伏流となっ
た水が地下で少々微妙なブレンドをしたあと湧き出たものがご存じ宮水だ。環境省選定「日本名水百選」に
入っている。日本広しと言えども大都市部で湧き出た水が選ばれているのはここだけである。この水は酒
造りにうってつけだった。江戸時代に西宮も含むいわゆる「灘の酒」が一世を風靡したことは中学の教科書
にも載り日本中の生徒が学んでいる。もうひとつ、実は急流だった夙川の獅子ヶ口から大井手にかけてずら
り並んだ水車の数々、もちろん今はないのだがこの水車群こそ有名な酒米「山田錦」の精米動力であった。
(それを偲んで公園に水車が復元されているのだ。)実は夙川なくして有名な「灘の酒」はないのである。皆
さんこれからも地元の川を慈しみましょう。
このシリーズに登場したところ一覧
①遠藤周作と夙川カトリック教会
③越水城跡
⑥甲山
④アンネのバラ教会
⑦甲山から見える校区
②谷崎潤一郎とマンボウ
⑤「火垂るの墓」と二テコ池
⑧神呪寺
⑨甲陽園の映画撮影所
⑩涼宮ハルヒと大社中
⑪大社中の「地層」と「古墳」
⑫タイムトラベル「阪神淡路大震災」の頃
⑬夙川公園「日本さくら名所100選」
⑭夙川と宮水「日本名水百選」