聖隷学園の歴史 Vol.08 愛子さんのレリーフ (聖隷クリストファー中・高等 学校にある『愛子さんの碑』 ) 純粋で、輝きを放った生と死 足立愛子さんは、1969(昭和 44)年の春、第 1 期生として聖隷学園高等学校衛生看護科 を卒業しました。同級生の半数が短大に進学、半数が病院に就職した中、ただ一人、 「どう しても就職は小羊学園に」との強い志をもって、聖隷グループの小羊学園(重度知的障害 児施設)に准看護婦として就職しました。明るく、屈託のない愛子さんは、子どもたちと ごく自然に、気負いもなく暮らしました。 そんな彼女を、大変な出来事が待っていました。小羊学園に集団赤痢が発生したのです。 ことばの通じない子どもたちに伝染を防ぐ方法はなく、施設がそのまま隔離病棟となりま した。職員は孤独と多忙の中、日夜奮闘。1ヶ月余りでようやく下火になり、小羊学園は 解放されました。しかし、極度の疲労状態が続いたためか、ある朝、愛子さんはくも膜下 出血で倒れ、意識のないまま病院に運び込まれました。働き始めてからわずか 50 日目のこ とでした。 愛子さんは意識のないまま、子どもたちの名前を呼んだり、お世話をする仕草をしたり しました。愛子さんにとって、わずか1ヶ月あまりの小羊学園での生活がどんなに充実し たものだったか。 その後、7 年間の療養生活の後、回復することなく天に召されました。 一緒に卒業した同級生たちは、愛子さんの子どもたちへの一途な愛に感動して、記念の レリーフを作りました。 『愛子さんの碑』と名付け、彼女の純粋な行いは「愛子伝説」とし て長く語り継がれていきました。 今も『愛子さんの碑』は教育のシンボルとして大切にされています。
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