【基調講演】 「国際交流の現状と日本海政令市」

第1部【基調講演】
「国際交流の現状と日本海政令市」
環日本海経済研究所
吉田
進
理事長
(司会)
それでは早速プログラムに沿って進めてまいります。
初めに、「国際交流の現状と日本海政令市」と題しまして、財団法人環日本海経済研究所理事長吉田
進様よりご講演をいただきます。吉田様、どうぞ壇上にお願いいたします。
それでは皆様のお手元のプログラムにもご案内してございますが、吉田進様のご経歴をご紹介させて
いただきます。
吉田様は昭和 10 年のお生まれでいらっしゃいます。遼寧大学外国語学部ロシア語科をご卒業後、日
本国際貿易促進協会に入社、その後昭和 63 年に日商岩井株式会社常務取締役、平成3年に専務取締役
を歴任し、平成 11 年、財団法人環日本海経済研究所所長に就任、平成5年から平成 13 年まで社団法人
経済同友会幹事をお務めになり、平成 15 年、財団法人環日本海経済研究所理事長に就任され、現在に
至っていらっしゃいます。
著書には『胎動するコメコン』のほか、共著『スラブの世界』など、そのほかにも多数の論文も発表
されておられる国際経済の専門家でいらっしゃいます。
それでは吉田様どうぞよろしくお願いいたします。
(講師吉田理事長)
今ご紹介をいただいた吉田でございます。国際交流ということと政令指定都市、この関連について少
しお話しをとのことですので、そのあたりに集中して話をしたいと思います。
新潟から環日本海交流の動きが起きてから、早くも 15 年経ちます。多くの人から、15 年経ったけれ
ど何があったんだ、一生懸命やったけれどもそのわりに報いられていない、そういう声を聞きます。
しかしこの 10 年間をみますと、日本経済も高度成長から低調期に入り、ここ数年間は経済改革を行
うということで、どちらかというと国内のほうに視野が向いていたのではないかと思います。外国がど
のような変化を遂げているかについて、あまり注目しなかったのではないかという感じを私自身も持っ
ています。
まず、隣の中国を見てみたいと思います。2005 年の中国の国民総生産は第4位になりました。アメリ
カ、日本、ドイツに次いで中国です。2004 年は6位でしたが、去年はフランスとイギリスを追い越し、
成長率は 10.1%です。
去年の 11 月に第 11 次5カ年計画が採択されました。そこで目指しているのは、調和のとれた社会建
設です。内容的にいうと、貧富の差、地域の格差、都市と農村の格差などを解消していくことが中心に
なっています。この5年間で4兆ドルを超す市場を提供すると、曽培炎副首相が最近ダボスで発言して
います。2020 年には国民総生産を 2000 年の4倍にする。最近のニュースを見ますと、2010 年には1人
あたりの収入のGDPを2倍にするという目標も掲げています。
3
貿易をみますと、2004 年に日本を追い越して世界第3位となり、現在は米国、ドイツ、中国、日本と
いう順位になっています。日中貿易では、2005 年7月の統計で 13 兆 4,800 億円、日米が 12 兆 2,000 億
円ですので、引き続き日米間よりも日中間の取引の方が大きくなります。ちょうど昨日の新聞にアメリ
カの貿易赤字が 7,457 億ドルと出ていました。中国の外貨保有高が 8,189 億ドルですので、これで相殺
になるくらいの違いが出ています。
いきなりこういうことに直面しますと、「中国脅威論」という話が出てくるのですが、そうではなく
て、隣の国がそこまで発展していることを我々が直視して考えていく必要があるのではないかと思いま
す。日米の取引が戦後から 2004 年まで1位を占めてきて、日本の経済はアメリカに従属すると言われ
てきました。2004 年を期して日中貿易が1番になったことは、太平洋岸側から日本海沿岸に重点が移っ
てくるという 1 つの象徴だと思います。そういう観点からこれを見る必要があり、隣の国が豊かになっ
たので脅威であるという単純で乱暴な結論は下すべきでないと思います。
今、中国の東北地方では、大きな変革が起きています。中国は 1978 年に経済改革開放政策をとり、
全面的に市場経済へ移行しました。それから 10 年経った 1988 年には沿岸地域の発展戦略を打ち出しま
した。その結果、上海を中心とする人口3億人の1人あたりGDPが6千ドルになっています。さらに
10 年経った 1999 年には、西部大開発政策を打ち出して、西部の地域格差をなくそうと動いています。
2003 年 10 月には、遅れている東北地方を改革しようという動きがありました。日本でいうなら新日
鉄や三菱重工のような大企業が東北地方に集まっていますが、戦後すぐに建てられた企業で、設備が老
朽化しています。また経営陣も親方日の丸で、昔の国鉄と同じような状況です。これを直さなければな
らないというのが、東北振興政策の第一の柱であり、国営企業の改革です。第二は、企業改革を行うと
失業者が出てきます。その失業者を吸収するために新しい産業分野を発展させること。そこで各省の重
点的な発展方向が決められたのです。添付の東北3省の今後の発展方向という資料を見ていただきます
と、遼寧省、吉林省、黒龍江省がどのような方向に発展していくかがわかります。
黒龍江省は6大基地を作るという方向を打ち出しています。6大基地というのは装置産業、石油化学、
エネルギー、農産品の新加工、医薬品、林業の建設です。遼寧省の装置産業ですと、東芝が大きなエレ
ベーター工場を作っています。自動車工場は瀋陽にトヨタ、いすゞが進出しています。ハイテク産業で
は、大連に 3,000 社の日本企業が進出し、ハイテクから家庭電器まで網羅しています。吉林省は自動車
産業で、元々ドイツのフォルクスワーゲンの牙城であったのですが、トヨタが進出することになってい
ます。農産品加工ではトウモロコシが一番多く、日本の飼料、あるいは食品産業への大きな供給源とな
っています。黒龍江省の装置産業を見ますと、タービン工場があって日立が共同設計をしています。石
油化学産業では大慶に油田があり、1973 年から 2003 年まで、石油が日本へ入っていました。その石油
を東北電力がコンスタントに買っていましたので、中国の大慶からの石油を東北電力が焚いて、その灯
りが新潟に来ていたわけです。食品関係では森永が粉ミルクを生産しています。双日は小粒の大豆を広
め、納豆用として輸入しています。このような地域再開発の動きがあります。
次にロシアを見ていきたいと思います。ロシアは 1991 年のソ連邦崩壊後の 10 年間は苦しい時代でし
た。殆どマイナス成長でしたが、2000 年にプラス成長に変わって、その後、平均5%の成長を遂げ、昨
年は 6.4%でした。貿易も順調に進み、2004 年では 871 億ドルの黒字がありました。国際収支の面で金
の保有高がすでに 1,800 億ドルとなり、
これは以前のロシアでは考えられないことです。
日ロ貿易は 2004
年が 88 億ドルでしたが、去年はおそらく 100 億ドルを突破しただろうと思います。
最近の状況をみますと、貧富の差が大きくなってきて、プーチン大統領がそのことを懸念し、大統領
4
府の長官に命じて特別委員会を作り、医療保険、教育、住宅、農業の問題を検討することにしました。
さらに特別委員会と内閣とを調整をするために、第一副首相にメドベジエフ長官を任命して、大統領の
考え方が徹底するようにしています。
新潟と関係の深い出来事として、一昨年の 12 月に太平洋パイプラインを作るという決定がなされま
した。添付資料2にパイプラインの地図があります。この建設計画によりますと、2008 年にティンダか
らスコボロジノまで運ばれる年間 3,000 万トンの石油のうち、1,000 万トンが鉄道でペレヴォズナヤ港
に運ばれる予定です。ERINAでは3月 22 日にロシアのエネルギーに関するシンポジウムを開きま
すので、このパイプラインの現状などを報告したいと思っています。
また、経済同友会の中山代表幹事を中心に沿海州研究会を立ち上げ、パイプラインの動向をチェック
しています。このパイプラインで石油が運ばれて来ると、精製工場ができ、そこで生産された石油製品
が新潟の貯蓄基地に運ばれます。そこから需要各地へ再配分するという計画が立案されています。
昨年 11 月にプーチン大統領が 200 人の企業家を引率して日本を訪問しました。その中には世界最大
のガス会社といわれるガスプロムのミーゲル会長も含まれていました。経団連会館で日本とロシアの業
界人の対話が行われ、プーチン大統領は1時間ほど参加されました。簡単なスピーチの後に日本側から
いろいろな質問が出たのですが、その質問を彼は克明にノートしていて、退場する前に日本側から出た
質問に対しててきぱきと回答しました。税制の問題からロシアの改革の進行状況、日本に対して何を希
望するかという内容を話しました。私の隣に座っていたある大企業の経営者の方が、「吉田さん、プー
チン大統領はすごいですね。日本にもああいう政治家が何人かいたらいいんですが」と言いました。私
もそれを痛感いたしました。
次に、図們江開発プロジェクトについて触れたいと思います。北東アジア経済会議では3年間に渡り
各国の専門家に参加していただいて輸送回廊の研究を行いました。それが資料3です。日本から大陸に
上陸してヨーロッパに行くにはどれだけのルートがあるかを解明しました。それは9本あります。この
中の4番目のルートに我々は注目しています。このルートでは、ロシアのザルビノ港に上陸します。そ
こから中国の国境まで90km を渡り、琿春、長春に行き、さらにモンゴルと中国の国境であるイルシに
行き、それでモンゴルのチョイバルサンに入ります。我々は、このロシア、中国、モンゴル、ロシアを
通る国際的な輸送ルートの研究をしてきました。さらにこれを進めるために、北東アジア輸送回廊ネッ
トワークというNPOを立ち上げました。それが資料4にあります。第4回図們江輸送回廊国際会議を
2月 20 日に琿春で開きました。
我々を取り巻く国際環境について説明いたしましたが、次に国内、特に新潟の状況について私なりに
解説したいと思います。
先ほど申し上げましたように、環日本海交流が 15 年前に起き、その第一段階では行政の人事交流が
行われました。県庁を中心に毎年中国やロシアの人たちを日本に呼んで研修を行い、また新潟からも相
手国へ行き、勉強してきました。その中で人的関係の構築と、行政の経験交流が行なわれてきました。
また港湾同士の交流もかなりあります。それがここ数年間で経済交流という形に変化したのではないか
と思います。中国では取引拡大、百数十社の中国への進出、中国での生産拠点拡大が行われています。
最近はロシア市場も見直され、去年ハバロフスクで開かれた見本市では出品物が全て売り切れる状態で
した。新潟のチューリップがロシアで売れ、それが定期的に取引の対象になるという見通しも立ちまし
た。ハバロフスクでの新潟見本市の際には、地元の放送局が新潟の特別番組を組み、篠田市長のインタ
ビューを流しました。こういう形で経済交流が進んでいます。
5
また、観光も重要だと思います。10 月 28 日に中国の王毅大使が新潟で講演をされましたが、そのと
きに新潟に対する要望が4つ出されました。1つは地方自治体間の交流。2 つ目に観光の促進。3 つ目
は、中小企業や農業などの地域産業の交流。4つ目が、北東アジア経済圏の樹立です。
このうち3番目と4番目は進んでおり、今後の課題としては適切なご指摘だと思います。「観光の促
進について紹介すると、昨年 2,885 万の中国人が海外に出たが、そのうち日本を訪問した人は 62 万人
に過ぎない。南の広州に住む人たちは雪を見たことがないし、温泉も知らない。雪は黒龍江省でも見ら
れるが、温泉もある新潟の方がよい。中国で新潟の宣伝をして観光客をもっと呼び込んでほしい。
」
今、政令指定都市と並んで新潟で一番問題となっているのは、2014 年問題に対する対策です。全国の
統計を見ると、2005 年の新潟県の人口は 2000 年と比較して 1.8%、44,000 人減少し、人数としては東
北7県中最大です。北陸新幹線の開通によって上越新幹線の利用活性化が大きな課題になっています。
一言でいうと、新潟にどのように人を集めるかということです。もちろん国内でも人を集めるというこ
とは必要ですが、私は新潟市を国際化して、国際都市として外国の人にどんどん来てもらうことが重要
だろうと思います。
ハード面でいうと、ロシアへのフェリーが必要です。先ほど述べた第4のルートの活用です。新潟か
らフェリーを出し、ザルビノ港に着け、そこから吉林、黒龍江、内モンゴルまでお客さんを運ぶことが
できます。この地域にはかつて渤海王国があり、在日韓国人、在日朝鮮人の方にとっては神聖なる山−
白頭山(長白山)がある大きな観光ルートでもあります。
また、遺棄化学兵器の処理を敦化で行っていますが、これもそのルート上にあります。昨日、北関東
と新潟の4県連携軸の中心メンバーが集まって会議を開きましたが、この4県の連携軸を新潟の港から
相手国に伸ばしていくことが新潟の課題です。
空港について、私は常々知り合いに、「ハバロフスクとウラジオストクへ行くには、新潟経由だよ」
と言ってきましたが、今では韓国から行くルートもできましたし、東京からの便ができるのも時間の問
題だと思っています。従って、いつまでも既得権利に頼っていると大変なことになります。篠田市長が
努力されている北京ルート、それができない場合、天津ルートの開拓、あるいは近いところでは、延吉
と新潟をつなぐルートができても良いと思っています。また、私の東京の友人たちは新潟からロシアへ
向かうこと多いのですが、彼らは新幹線から空港への連結が不便だと言います。
ソフト面では、イベントが重要だと思っています。過去、新潟県、新潟市が中心になって北東アジア
経済会議を 15 回開いてきました。毎回この会議には国内では東京並びに地方、海外からは中国、ロシ
ア、韓国、モンゴル、アメリカから合わせて 400 人、多い時では 800 人が参加しました。2004 年は見本
市に外国人だけで 200 人、2005 年には 60 人の参加がありました。このような催しを継続することが重
要だと思います。2006 年9月 17∼20 日まで、篠田市長が会長として第3回北東アジア国際観光フォー
ラム(IFNAT)を開きます。詳細は資料5をご覧ください。
また、新潟へ外国企業を誘致することも重要です。ERINAでは 2003 年に外務省から、2005 年に
は新潟市から委託を受け、企業誘致に関する共同調査と研究を行いました。ハルビンの誘致説明会では、
30 社が新潟市への進出に興味を示しています。その中で可能性が高いのは、東北餃子王で、これは餃子
の店で、30 種類ぐらいの餃子を出します。また養毛剤の会社の101章光が、新潟への進出を狙ってい
ます。誘致作業には東北3省の社会科学院がいろいろと協力をしてくれています。
さらに重要なことは、大学の留学生を増やすことだと思います。ハルビンから新潟へ来た留学生と、
新潟県庁、市役所に来た研修生が、この十数年間で 200 人を超えています。この 200 人の同窓会ができ
6
れば、新潟との交流を図る大きな援軍になるだろうと思います。 大学では中国人の教授を増やすこと。
中国の学生が来るのは、大学の知名度、自分の経済力に合わせて見たときの可能性、自分を引っ張って
くれる中国人の教授がいることです。これはアメリカの例で実証されています。
昨年、留学生の就職相談会「国際人材フェアにいがた」を県、市と ERINAが共同で行いまし
た。そこで行われた企業と留学生のマッチングは今後も続けていくべきだと思います。合弁企業が日本、
あるいは中国に進出し、技術者の研修の名において中国から多くの研修生を呼ぶことが大切です。
国際化に必要なものは何か。これにはいろいろな側面がありますが、1つ目は、新しい発想で取り組
むことだと思います。差別化、つまり他のところでやってない、ここしかないというものを作り上げる
必要があります。一例として、最近、北海道庁は天然ガス特別区を作ろうとしています。これは、サハ
リンのガスを自由に輸入できるようにするためです。
近年、国際的に環境保護が重要なテーマになっています。北東アジア経済会議でも議論されています
が、黒龍江省では 10 項目の内容を新潟県に提示し協力を求めています。また、国際協力銀行の調査で
ハルビン市が新潟市に対して、汚水処理で協力してほしいと要望しています。ハードの面で新潟市とす
ぐに結びつかないのですが、行政的な経験として交流すべきものを持っていると思います。ただ、中国
の研修生を受け入れる場合には、こちら側の指導員や予算が必要です。一般的に、新潟市民に対するサ
ービスの方が重要で、研修員の受け入れは拒否ということになりがちです。そこをトップがきちんと判
断して、問題の解決に当たらなければならないと思います。
2 つ目は、民間企業が国外に出やすい条件を作ることです。今までも進めてきたことですが、重点を
絞るべきだと思います。ロシアの経済状況は変わりましたが、その割に新潟のロシア貿易は伸びていま
せん。その促進のために、去年のハバロフスク見本市は大成功でした。今後も続けていくべきだと思い
ます。
ERINAは仙台のセンコンという会社に、ハバロフスクで倉庫を作り、その倉庫を保税倉庫にして
日本の企業を誘致してはどうかと推薦しました。新潟の企業もそれを活用していただきたいと思います。
新潟県と新潟市を考えると、県には圧倒的に生産企業が多く、市の方は流通、港湾サービスが多いので
すが、両者をドッキングさせる必要があると思います。
空港へのハードの強化、新幹線の駅との交通システムの連結、これは長年にわたって討議されてきた
のですが、なかなか結論が出ません。私は、すぐにできなくても構わないので、数年先の計画を立てて、
その計画を公開し、今は不便でも数年先には良くなることを説明すべきだと思います。先日、富山へ講
演に行きましたが、富山県の新聞は、「新幹線ができるぞ、どこでどういう建設が進んでいるよ」とい
うことを毎日報道しています。北陸新幹線は 14 年に完成しますが、それを言うことによって、将来の
夢になり、みんなが希望を持ちます。ところが、新潟の空港と新幹線の連結は、長年討議がされ、いろ
いろな案が出ていますが、私が東京の方々に最終案と実現の時期を示すことができません。
広域連携の観点からいうと、新潟港の活用だけではなく、後背地との連携をうまく組織していく。こ
れは、単なるスローガンではなくて組織的に作っていかなければなりません。
また、釜山はハブ港になって、関西の大手メーカーのロシア向け貨物をすべて扱っています。関西の
港から韓国船に積んで釜山に持って行き、釜山で積み替えてウラジオストクから鉄道でヨーロッパへ運
ぶ。このようなことが日常行われています。なぜ新潟がハブ港になれないかという質問が当然出てくる
わけですが、関係者がイニシアティブをとり、港のハブ化と国内貨物の集約化、そして外国航路への船
舶会社との連携、例えば佐渡汽船が国外へ出ていくというようなことができると条件が整います。
7
最後に、日本のニーズを先取りすることが大切です。いつも言っていることですが、日本では介護士
が足りません。中国は介護士を日本に送りたい。具体的に大連から問い合わせがきています。中国の人
たちは漢字ができますから、文字を通じてある程度意思疎通ができるという有利な条件があります。と
ころが、日本ではフィリピンからでさえ年に 250 人しか入国させないので、中国から入れるのはずいぶ
ん先になるでしょう。
どうもありがとうございました。
司会
ありがとうございました。日本海政令市として役割を考える上での大変貴重な、そして具体的な提言
をいただきました。吉田様でございました。どうもありがとうございます。
それではここで 10 分間の休憩をいただきまして、2時 30 分に第2部のパネルディスカッションを開
始とさせていただきます。受付で資料と一緒にお配りしましたアンケート用紙と質問票ですが、質問票
はこの休憩時間にぜひお答えいただきたいと思います。質問票に質問事項をご記入の上、休憩時間内に
受付に提出いただきたいと思います。記名台、受付に用意してございましたので、必要な方はご利用く
ださい。アンケート用紙はお帰りまでに、アンケート用紙回収箱にお入れください。それではロビーで
はパネルの展示もございますので、休憩中にご覧いただきたいと思います。
8