視覚的探索課題における記憶負荷量が脳機能水準および 選択反応時間

千葉大学人間生活工学研究室修論概要(2001)
視覚的探索課題における記憶負荷量が脳機能水準および
選択反応時間に与える影響
キーワード:「記憶負荷」「反応時間」「ERP」「P300」「脳血流動態」
人間生活工学分野:小林真二
■研究の背景
呈示される刺激の種類はアルファベット,ランダムドットの 2 種類
精神的作業負荷の 1 つの要因に作業者に課される記憶負荷が
であった(図1参照)。さらに記憶セットを構成する刺激数が各々の
挙げられる。昨年の1 月に発生した日航機ニアミス事故では、管制
刺激の種類に対して 4 段階設定された(
アルファベット条件では 1、
官に課される高い記憶負荷の存在がクローズアップされた。このよ
3、5、7 文字、ランダムドット条件では 1、2、3、4 個)。刺激の種類と
うにヒューマンエラーと記憶負荷との関連も示唆されており、現在そ
記憶セット数を組み合わせた 8 条件を実施した。
の負荷の定量化が急務であるといえる。
これまで認知心理学の分野では、記憶負荷が反応時間や事象
関連電位(ERP:Event Related Potential)に与える影響を調査する
ことで、人の情報処理モデルの構築が熱心におこなわれてきた。
一方神経生理学の分野では、記憶負荷が脳波や脳血液動態など
に与える影響などが調査され 、次第に人の記憶時の脳活性部位が
図 1 アルファベット刺激(左)およびランダムドット刺激(
右)
◇手続き
特定され始めている。ただ両者の研究は記憶を異なる視点から調
被験者は単純反応タスクを 50 試行実施後、視覚的探索タスクを
査したものであり、それぞれ独自の分野での発展にとどまっている
各条件 200 試行連続で実施した。タスク終了後、6 項目からなる主
のが現状である。また作業者の精神的な疲労と上記の指標の結果
観評価(NASA-TLX)を行った。8 条件の実施順序は被験者ごとに
との関連を見た研究も少ない。記憶負荷を定量化するためには、
ランダムとした。
多くの評価手法を併用して記憶負荷を多面的に評価するような横
◇測定項目
断的な研究が求められているといえる。
a) 主観的疲労感
■研究の目的
求度、タイムプレッシャー、作業成績、努力の度合い、フラストレー
タスク終了後にNASA-TLX の6 項目(
知覚的要求度、身体的要
本研究は、精神作業中に作業者に課される記憶負荷が、1)刺
ション)に対する評価を行った。また指標間の一対比較の結果から
激判断機能に与える影響、2)脳機能活性度に与える影響、3)精
各条件における作業負荷の総合評価得点(ワークロード総合点)
を
神的疲労感に与える影響を同一実験下で評価し、さらに各々の指
算出した。
標間にどのような関連が見られるかを評価した。実験を通して、記
b) 反応時間
憶負荷が人に与える影響や弊害を定量的に明らかにするとともに、
CRT-SRT 値(選択反応時間と単純反応時間の差)を実験条件
人の記憶特性を考慮したインタフェースデザインアプローチのため
ごとに算出した。
の基礎的データを得ることを目的とした。
c) 事象関連電位の P300 成分
タスク遂行中にFz、Cz、Pz から導出された脳波をサンプリング周
■方法
波数 400Hz で AD 変換した。そしてテスト刺激呈示前200ms から
◇被験者
呈示後1000ms までの区間を刺激呈示前200ms をベースラインとし
正常な視力をもつ右利きの成人男性 9 名
て実験条件、測定部位ごとに加算平均し、得られた事象関連電位
◇タスク概要
波形の P300 成分の潜時と振幅を算出した。
a) 単純反応タスク
d) 脳血液動態
パソコンのモニタ上に呈示される刺激(
X)を視認したらできるだ
近赤外分光法により、左右の前額部から総ヘモグロビン(
酸素化
け早く右 Shift キーを押した。刺激呈示からキーを押すまでの時間
ヘモグロビンと脱酸素化ヘモグロビンの合計)量を測定した。その
を単純反応時間(SRT:Simple Reaction Time)としてms 単位で測
際、15 秒間の閉眼安静時に得られたデータの平均値をベースライ
定した。連続 50 試行を行い、その平均単純反応時間を算出した。
ンとし、そこからの変化量を条件ごとに算出した。
b) 視覚的探索タスク
e)背景脳波
被験者は 15 秒間の閉眼安静後、モニタ上に呈示された1 つ以
タスク遂行中に F3、F4 から導出された脳波をサンプリング周波
上の刺激からなる記憶セットを見ながら時間任意でこれらを記銘し
数200ms でAD 変換した。そしてα1(8∼10Hz)、α2(10∼13Hz)、
た。記銘が完了した時点で、モニタ上にテスト刺激が1つ呈示され
β1(13∼20Hz)、β2(20∼30Hz)それぞれの周波数帯域のパワー
た。テスト刺激が記憶セット内の刺激と等しい場合(標的刺激)
は右
値を算出した。各帯域パワー値が4つの周波数帯域パワー合計値
Shift キーを即座に押した(この試行を正再認と定義)。一方テスト
に占める割合(パワー密度)を算出した。
刺激と異なる場合(非標的刺激)は左 Shift キーを押した(この試行
◇解析方法
を正棄却と定義)。刺激呈示からキーを押すまでの時間を選択反
それぞれの値に対して、記憶セットサイズ、測定部位、反応の種
応時間(CRT:Choice Reaction Time)としてms 単位で測定した。1
類(正再認、正棄却)
などを要因とした反復測定分散分析を行った。
つの条件につき、上記の試行を200 試行連続して行った。全テスト
主効果が有意水準5%で有意であった場合は対比検定を行った。
刺激に対する標的刺激の割合は 25%であり、標的刺激と非標的
また各指標間で相関分析を行った。
刺激が現れる順はランダムとした。
千葉大学人間生活工学研究室修論概要(2001)
■結果
◇脳波パワー値
◇主観的疲労感
タスク遂行中のFz、Cz、Pz における脳波の帯域別パワー密度は記
記憶セットサイズの増加に伴って評価値が増加した評価項目は,ア
憶セットサイズの違い、測定部位の違いによる有意な差は見られなか
ルファベット条件では「知覚的要求度」「身体的要求度」「努力」、ラン
った。つまり、タスク中の被験者の覚醒度はほぼ一定に保たれていた
ダムドット条件では「知覚的要求度」「作業成績」「
努力」であった。
ワー
ことがわかる。
クロード総合点は、ランダムドット条件で記憶セットサイズの増加に伴
◇指標間の相関分析
い有意に増加した(図 2 参照)。
それぞれの指標の結果を相関分析によって解析した結果、テスト刺
激弁別時のP300 潜時、CRT-SRT 値、ワークロード総合点の3 つの結
90
果には互いに有意な正の相関があることが示された(図 5 参照)。
600
500
CRT-SRT(
ms)
40
30
20
10
0
1個
2個
3個
4個
ワークロード総合点
ワークロード総合点
80
70
60
50
400
300
200
記憶セットサイズ
図 2 記憶セットサイズ別の総合評価点(ランダムドット条件)
100
300 350 400 450 500 550 600
CRT-SRT 値はアルファベット、ランダムドット条件ともに記憶セット
サ
90
80
CRT-SRT 値が高かった(図 3 参照)。
800
400
700
正棄却
300
CRT-SRT(ms)
CRT-SRT(ms)
正再認
250
200
150
100
500
400
70
60
50
40
30
20
10
0
100
300
100
0
1個
7文字
2個
3個
4個
記憶セットサイズ
記憶セットサイズ
200
300
400
500
600
CRT-SRT(
ms)
200
0
5文字
正棄却
600
50
3文字
正再認
ワークロード総合点
べると、アルファベット、ランダムドット条件ともに正再認時の方が
P300潜時(ms)
100
イズの増加に伴って有意に増加した。また正再認時と正棄却時を比
1文字
300 350 400 450 500 550 600
P300潜時(ms)
◇反応時間(CRT-SRT)
350
100
90
80
70
60
50
40
30
20
10
0
図 3 記憶セットサイズ別の CRT-SRT 値
(左:アルファベット条件/右:ランダムドット条件)
◇事象関連電位の P300 成分
図 5 2つの指標ごとの散布図
(左上)CRT-SRT とP300 潜時
(右上)ワークロード総合点とP300 潜時
(左下)ワークロード総合点とCRT-SRT
■考察
本研究では、記憶セットサイズの増加にともなって主観的疲労感が
テスト刺激弁別時の P300 成分潜時は、ランダムドット
条件で記憶セ
増加することが示された。これは精神作業中の記憶負荷が増大すると
ットサイズの増加に伴なって有意に延長した。またアルファベット、ラン
作業者が感じる疲労が高まることを示している。またCRT-SRT の延長
ダムドット条件ともに、正再認時は正棄却時よりも P300 潜時が有意に
は作業記憶内情報との照合回数の増加を示すもとのいえる。一方
長かった。一方、P300 成分振幅については、記憶セットサイズの有意
P300 成分潜時の延長は、神経レベルでの刺激の処理判断時間の延
な効果は見られなかった。
長を示すものといえ、これは宮谷ら(1994)の結果と一致する。また総
◇脳血液動態
ヘモグロビン変化量の増加は、記憶負荷の増加に伴なって、脳内の
タスク遂行中の前額部における総ヘモグロビン量は、ランダムドット
代謝活動が活性化したことを示す。このように、精神作業時に課され
条件で記憶セットサイズの増加に伴なって有意に増加した。閉眼安静
る記憶負荷は、作業者の心理、生理機能に様々な影響や弊害を与え
時と比較すると、低記憶負荷条件では閉眼安静時よりもヘモグロビン
ることがわかる。インタフェースデザインにおいては、作業者の記憶へ
量は減少し、高記憶負荷条件では増加した(図 4 参照)。
の負荷を軽減させることが作業者の疲労の軽減や作業効率の低下を
防ぐという意味でも重要であるといえるだろう。
総ヘモグロビン変化量(μmol/L)
0.4
相関分析の結果、反応時間、P300 潜時、主観的疲労感には互い
0.2
に正の相関があることが示され た。これは記憶負荷を測定する指標と
0
-0.2
しての反応時間や P300 潜時の有用性を示すものといえる。今後はイ
-0.4
ンタフェースデザインの評価において、これらの指標の積極的な活用
が望まれるだろう。
-0.6
右前額部
左前額部
-0.8
-1
1個
2個
3個
4個
記憶セットサイズ
図 4 記憶セットサイズ別の総ヘモグロビン変化量
(ランダムドット条件)