1月15 日(木) - 田原ロータリークラブ

田原ロータリークラブ
事務局:崋山会館 3F
TEL0531-22-0831 FAX0531-23-1216
E‐mail [email protected]
U R L http://www.tahararc.com/
会
長/鈴 木
進
幹
事/鈴 木 正 敏
クラブ奉 仕 委 員 長 /冨 田 雅 則
広 報 委 員 長/伊 藤 祐 人
No.26 通算 2620 回
平成 27 年 1 月 15 日(木)
点鐘 12:30
ゲスト
ガバナー補佐 中島忠幸氏(新城RC)
ビジター
いらっしゃいません
来訪者紹介並びに会長報告 鈴木 進会長
蒲郡信用金庫田原支店
歌:我等の生業
委員会報告「ロータリーの友1月号」読みどころ紹介
■広報委員会 長谷 智会員
本日のゲストをご紹介します。元自衛隊のヘリコプターパイ
ロット、中島忠幸さんです。ガバナー補佐であり新城RCの会員
であり、(株)オーエヌ技研の代表取締役様でございます。
先に新入会員の配属と援助会員の発表をします。荒木和幸
会員は出席親睦委員会で藤井國弘委員長に、飯尾厚会員は広
報委員会で山田年清会員にご指導いただきます。
本日の例会を私は楽しみにしておりました。私なりに自衛隊
の勉強をしてきました。昨年7月には、富士総合火力演習に幹
事他と行ってまいりました。いずれも高性能の装備ばかりであ
り、技術と迫力に驚きました。秒殺の世界であり、戦争はしては
いけないとの感を強くしました。
幹事報告 鈴木正敏幹事
◆東三河分区IMの案内が来
ています。30名ほどになりま
すが、出席義務者の方々はよ
ろしくお願いします。
◆RAC例会「Dance!」は本
日、蔵王幼稚園で行われます。
出席義務者は広報委員会担
当者と、青少年奉仕委員会の石黒利昌会員ですので、よろしく
お願いします。
◆近隣各クラブの例会変更は記載のとおりです。
ニコボックス 会場委員会 柏野浩太郎会員
□鈴木 進会長
本日61歳の誕生日です。新たな気持ちで中島ガバナー補佐
のお話を聞かせていただきます。よろしくお願いします。
□鈴木正敏幹事
ガバナー補佐、中島忠幸様、雨の中をご苦労様です。
お話を楽しみにしています。よろしくお願いします。
□冨田雅則会員
長男が、田原青年会議所理事長に就任いたしました。
1年間よろしくお願いします。
□冨田雅則会員
冨田組のリサイクルループの記事が、東日新聞に掲載され
ました。
□高崎雄三会員
3分間スピーチをさせていただきます。
□宮崎三佳会員
中島ガバナー補佐、田原クラブにようこそ。本日はゲストスピ
ーチ快諾頂きありがとうございます。楽しみにしています。
□河合利則会員
早退します。
本日
出席報告(出席親睦委員会 金田宜寿会員)
会員数 義務者
欠席
出席率
補正後
43 名
41 名
9名
78.0%
%
3 分間スピーチ 高崎雄三会員
私の趣味ということですが、これといってありません。聞かれ
るのが嫌いです。人生の節目ごとに、「趣味を言いなさい」や
「書きなさい」という場面がありましたが、本当に好きでも漫画
やTV鑑賞、昼寝などとはなかなか書けません。そのため、ドラ
イブやスキーといった誰でも書けるような趣味を書いていまし
たが、20代の頃には四国を除く43都道府県を、車とバイクで
走りましたし、スキーは北海道手稲から滋賀県伊吹山まで滑っ
たことがあります。今ではバイクやスキーも少しはしますが、仕
事以外にも趣味が一つありました。犬を3匹飼っていますが、
外で飼っている柴犬とホワイトシェパードは、1時間ぐらい散歩
に連れて行きます。帰ってから室内の犬が吠えますので外に
出して、排泄の間は暇なのでスクワットなどしています。犬を飼
うことも趣味と言ってもいいのかなと思います。
ゲストスピーチ 「実体験の中で日本の防衛に思う事」
■担当 国際奉仕委員会 宮崎三佳委員長
先ほど会長から
ご紹介がありまし
たが、本日のゲス
トスピーチをお願
いします。
本日はガバナー補佐としてではなく、自衛隊OBとしてお話し
します。先ほど富士火力演習の話が出ましたが、私もヘリのパ
イロットとして参加したことがあります。各国の駐在武官も来て
おりますので、演習でも失敗は許されません。本日のテーマを
全て語るためには90分以上要しますが、できるだけお話ししよ
うと思います。
前回の訪問時には、私の防大時代のお話をしましたが、本
日は卒業以降の話をします。私は防大に入学した時から、航空
機のパイロットになりたかったのですが、2年生の時に教官か
ら「お前は陸に行け」と言われ、結果ヘリのパイロットになりまし
たが、今となっては良かったと思っています。卒業してからは
福岡に行って、半年間身体を鍛えました。当時は東西冷戦の真
っ只中でもあり、陸自の主力3分の1は北海道にありました。自
分は希望して昭和47年に、北海道に三等陸尉(昔の少尉)とし
て赴任しました。当初は固定翼の機体もありましたが、戦略上
の利点からヘリの配備が進んでおり、ヘリに乗ることになりまし
た。兵員輸送や偵察という任務の中で、政府の要人を乗せるフ
ライトミッションもありましたが、これらの方々とも色々なエピソ
ードがありました。
その後沖縄への勤務を希望して異動しました。大小60ある
離島はほとんど無医村であり、急患空輸が主任務ということで
した。自衛隊にいるならばやりがいのある仕事を、と言う動機
で志望しました。米軍との共同訓練もあり、特に普天間のヘリ
部隊とは交流が盛んでした。英語も多少は上達しましたし、当
時海兵隊にいた友人との交流は、今でも続いています。個人的
意見では、現在の情勢において、沖縄は戦略面からも運用面
からも重要な拠点だと考えています。
その後、大阪の八尾に異動しました。ここは中部地方を管轄
する中部方面隊のヘリ部隊であり、ここでは災害派遣が主任務
でした。
まとめますと、私が入った頃は、自衛隊は社会からあまり認
知されていませんでした。その後、私は事あるごとに講演など
で「自衛官は一生懸命やっていますよ」ということを申し上げて
きました。近年では国防に関する社会の認知度も上がってきて
いて、喜ばしいことだと思っています。国防予算が充実して自
衛隊の装備が高度化すれば、他国からの侵略に対する抑止力
につながり、国家の繁栄に役立つと考えています。
■ガバナー補佐 中島忠行氏
◆点鐘
[長谷 智 記]