光陰矢の如し(当法人記念誌 平成14年5月発行)

゛
宇
和 島 市 民 共 済 会 創 立 75周 年
社会福祉法人宇和 島市民共済会設 立 50周 年
▼
平 成 14年 5月
社会福祉法人 宇和島市民共済会
攻
目
瀬 直
石
宇和島市長
発刊 に寄せて
愛媛県議会議員
橋
寛
2
3
伸
発刊 に寄せて
久 久
三
宇和島市民共済会 理事長
田 中
4
法人の沿革
5
施設 の概要
6
齢
7
図
施設 の紹介
第 I種 社会福祉事業
1軽 費老人 ホーム
ケアハ ウス い こい
第 正種社会福祉事業
1 老 人 介 護 支 援 セ ン タ ー V ヽこい
9
2老 人デイサ ー ビスセンター い こい
10
公益事業
1居 宅介護支援事業所 い こい
歴代役員
1理 事 ・監事
12
2評 議員
14
初代理事長 を偲 んで
16
設立時の定款
20
(写真集)歴 史の証明
26
(特別座談会)歴 史 を振 り返 って
38
(参考資料)市 民共済含 の授産事業
44
(役員抱負)真 の福祉 を目指 して
副理事長 岡 原
宏
彰
… …… 48
役職員在職者名簿
49
編集後記
50
社会福祉法人 宇和島市民共済会
理事長 三
瀬
直
久
宇和島市民共済会 は昭和 2年 12月 (1927年)に 創設 され、本年 で75周 年 を迎 え、
昭和 27年 5月 (1952年)認 可 を受けた社会福祉法人 として50周 年 を迎 える ことにな
りました。 この節 目に当た り記念行事 の一環 として記念誌 を発刊す る ことにし、 ご助
力 をお願 いいた しましたところ快 くお聞 き届けいただき、皆様か らひとかたならぬご
協力 を戴 きました。厚 く御礼 申 し上 げます。
振 り返 ります と、救助事業 ・失業保護事業並 びに罹災救護事業 を目的 として設立 さ
れ、以来、常 に時代時代 の福祉問題 について積極的 に取 り組 んで参 りました。時流 と
ともに、昭和 9年 には財 団法人に改組 し、戦後 の混乱期 に社会福祉事業法 の施行 と共
にいち早 く社会福祉法人に改組 し、宇和島市民 の生活 の安定 ・福祉 の向上のために努
力 をいた してきた次第であ ります。
現在、市民共済会が設置運営 してい ます事業 は、軽費老人ホームケアハ ウス ・老人
デイサ ー ビスセンター ・在宅介護支援 センター ・居宅介護支援事業 の 4事 業 でござい
ます。平成 8年 4月 に愛媛県並 びに宇和島市 のご指導 を賜 り開設 の運 びとな り、 7年
目を迎 える ことが出来 ました ことは、関係各位 の暖かいご理解 のたまもの と″
ふよ り厚
くおネし申 し上げます。
と りわけ皆様方 もご承知 のように、我が国は、まさに超高齢社会 を迎えようとして
お り、高齢者 の福祉問題 は、国家的の重要課題であ り、我 々は福祉 に携 わるもの とし
て行政機関のご指導 の もと医療関係者 ・他 の福祉関係者 の方 々 と連携 をと りなが ら検
討 ・協議 を重ねそれに取 り組 んで参 りましたが、今後 も社会福祉法人 としての責務 を
充分 に認識 し、更なる飛躍 を遂げたい と、役職員一 同日々研鑽 を積 み前むきに努力 し
てお ります。
終 わ りにな りましたが、今 まで宇和島市民共済会 に賜 りました温かいご教導 ご援助
に厚 く御ネし申 し上げます と共に、役職員一 同歴史ある伝統 を継承す ることによ り、宇
和島市民福祉向上 のため、 「
粉骨砕身」努力 いたす所存で ござい ますので、皆様方 の
旧に倍 しての ご指導 ・ご鞭撻 を賜 ります ようお願 い 申 し上 げご挨拶 とさせていただ き
ます。
-2-
発 刊 に 寄 せ て
宇和 島市
市 長 石
橋
寛
久
宇和島市民共済会創立75周年、社会福祉法人設立50周年、誠 におめで とうこぎい ま
す。
宇和島市民共済会 におかれましては、倉J立以来75年にわた り、総合的な福祉事業 を
v′展開され、市民 に対 し、 きめ細やかなサー ビスの提供 を行 ってお られます ことは、歴
代理事長 をはじめ、関係各位 の並 々ならぬご努力 であると認識 してお り、哀心 よ り感
謝 と敬意 を表す る次第であ ります。
申 し上げるまで もな く、近年 の福祉 を取 り巻 く環境 は大 きく変化 し、そのエーズ も
複雑、多様化 してまい りました。 このような中、介護 に関す る国民 の不安 に対応す る
ため、高齢者 の福祉 ・医療 ・保健 に関す る制度 を一体化 し、平成12年に公 的介護保険
制度が はじま りました。
宇和島市民共済会 におかれましては、 この新制度 にも素早 く対応 され、当市 にはな
くてはならない福祉 の一翼 として地域 の信頼 を得 てお ります ことは大変心強 く、重ね
て感謝申 し上げる次第でござい ます。
現在、宇和島市 にお きましては、 ミカン、真珠 ・漁業養殖 など当市 の活力源 であ り
ます第一次産業 の低迷や中心市街地 の空洞化 によ り、大変厳 しい状況に直面 してお り
ます。財政規模 の拡大 と合併特例措置に よる財政基盤 の強イとを図 るため、 「
市町村合
vノ併」 は避けて通 ることがで きない重要な課題 となってお ります。市民 の皆様方 をはじ
め各町村 との意見交換 を積極的 に行 い、方向性 を慎重 に見極 めてい きたい と思 ってお
りますが、合併後 は、現在 の地域だけでな く広 い範囲 にサ ー ビス を提供 しなければな
らな くな り、福祉 を取 り巻 く環境 も、今後 ますます厳 しくなって くることが予測 され
ます。
行政 といた しまして も宇和島市民共済会 とともに、宇和島市福祉施策 の向上 にで き
る限 りの努力 を行 って参 りたい と考 えてお りますので、皆様方 のよ リー層 のご理解 と
ご協力 をお願 い 申 し上げます。
終 わ りにな りましたが、社会福祉法人宇和島市民共済会 の限 りないご発展、 ご活躍
を心か ら祈念 申 し上げまして、私のお祝 いの言葉 といた します。
-3-
発 刊 に 寄 せ て
愛媛県県議会議員
仲
田
中
一
この度 の宇和島市民共済会創立75周年並 びに、社会福祉法人設立50周年大変おめで
とう御座 い ます。
これ もひとえに、理事長 は じめ役員及 び職員 の方 々の平素 の努力 の結果 であ り、大
変 ご苦労 も多 かった事 とご推察申 し上 げます。
振 り返 ってみます と、昭和 の大恐慌 と云われた時代 に、救護事業 ・失業保険事業 を
通 して市民生活 の安定 を図 ることを目的 として設立 され、戦中の宇和島市民 の福祉 の
向上に常 に意を配 してきて頂 きました。
と りわけ、戦後 の焼土 と化 した宇和 島市 の市民 の生活福祉 の為 と中平常太郎市長 の
もとで、授産事業 と宿所 に困窮 の市民 の為 に、宿所提供施設 「
民生館」 を設置 されま
した事 は、戦後 の荒廃 した宇和島市民 にとって、大変意義 のある大 きな事業 であ りま
した。
今、 日本 は、高度成長 と共 に社会福祉 のあ り方 も大 きく変 わつてまい りました。 と
りわけ、少子高齢化 の波 は、避けて通ることはで きません。
この時 に、市 の医師会のご支援 を頂 きなが ら、社会福祉法人 「
宇和島市民共済会」
が、時代の要求 と共に大 きく衣番 えをし、今 まさに高齢者福祉 のため、又、多 くの市
民 のボランティアの方 々のご協力 を得 なが ら、宇和島市 の福祉向上 に寄与 しようとさ
れ、昭和 2年 に宇和島市民共済会 として設立 された時の精神が脈 々と生 き、引 き継が
れ、互 い に助 け合 う共助 の気持 ちが、今 なお、社会 に求 められてい るとい うことを私
共 も心新たにしてい る所 であ ります。
75周年 ・50周年 をステップに更 に大 きく飛躍 して頂 く事 をご祈念 申 し上げます と共
に、関係 されてきた各 々の役員 のご苦労 をお讃 えして、私 のお慶 びの言葉 と致 します。
-4-
Ψ
沿
υ
/
v/
昭和 2年 12月 宇 和島市民共済会 創 立
1 救 助事業 2 失
業保護事業 3 罹
災救護事業
……
宇和島市妙典寺前
昭和 3年 9月 授 産事業 (人形部)倉J設
昭和 5年 7月 授 産事業 (団扇部)倉J設
昭和 9年 12月 財 団法人 宇 和鳥市民共済会 改 組
昭和 13年4月 更 生家屋 「
昭和園」開設 ……宇和島市妙典寺前
昭和 13年4月 授 産場 (下駄製造)開 設 …宇和島市和霊町
昭和 16年4月 母 子寮 ・保育所 「
愛育園」開設……宇和島市大石町
宇和島市朝 日町
昭和 17年4月 雑 繊維梨縄 「
勤労作業所」 ……・
……
生
21年12月
宇和島市和霊町
昭和
宿 所提供施設 「民 館」設置
昭 和23年 4月 「 民生館J付 属、授産場開設
民生館」
昭和25年 3月 天 皇陛下巡幸 宿 所提供施設 「
昭和27年 5月 社 会福祉法人 宇 和島市民共済会 改 組 定 款承認
1第 一種社会福祉事業 授 産場 の設置経営
2第 二種社会福祉事業 宿 所提供施設の設置経営
3収
益
事
業 物 品販売業
昭和32年
宇
和島市和霊町授産場 を廃止 し賀古町 に統合
昭和48年 7月 定 款変更承認 ……主たる事務所 の住所変更等
昭和61年12月 定 款変更承認 ……定款準則、土地表示等
平成 2年 3月 第 一種社会福祉事業 の休止
平成 4年 10月 基 本財産処分 の承認 ……宇和島市賀古町
平成 4年 10月 第 一種社会福祉事業 の廃止
平成 5年 6月 定 款変更承認 ……法改正、事業廃止、基本財産処分
平成 7年 7月 定 款変更承認 ……法改正、事業 目的の変更
1第
一種社会福祉事業
軽費老人 ホ ー ム ( ケアハ ウス ) 「 い こい」 の設置経営
2第 二種社会福祉事業
(イ
)老 人デイサー ビスセンター 「いこい」 の設置経営及 び受託運営
(口
)老 人在宅介護支援 センター 「いこい」 の設置経営及 び受託運営
平成 8年 4月 新 事業の開設 ……宇和島市和霊元町 1丁 目 5番 27号
平成 8年 11月 定 款変更承認 ……基本財産処分、取得、新施設建設
平成 9年 7月 定 款変更承認 ……法改正、役員定数の変更
平成12年2月 定 款変更承認 ……介護保険指定通所介護事業所
平成12年4月 公 的介護保険導入 指 定通所介護事業所 (デイサ ー ビス)
・
平成13年3月 定 款変更承認 …:・
法改正、新事業開設
平成13年4月
公 益事業 の開設
いこいJの 設置経営
指定居宅介護支援事業 「
-5-
施 設 の 概 況
I用
地
愛媛県宇和島市和霊元町 1丁 目501番地所在
軽費老人ホーム (ケアハ ウス)「 いこい」敷地
1,269.70平 方 メー トル
工 建
物
愛媛県宇和島市和霊元町 1丁 目501番地所在
鉄筋 コンクリー ト造陸屋根 3階 建 (ケアハ ウス)
1階
642.30平 方 メ ー トル
2 階
3 階
屋 階
合
称
方 メ ー トル
487。 25平 方 メ ー トル
40.63平 方 メ ー トル
1,738.99平 方 メ ー トル
568.81平
軽 費老人ホームケアハ ウス い
老 人介護 支援 セ ン ター い
老人デイサー ビスセンター い
居 宅介護支援事業所
IV所
在 地
V 設 置主体
VI 開
設
い
>﹂ ナ﹂ テ﹂ ナ﹂
IIE 名
計
Vヽ
こい」
「
Vヽ
Vヽ
Vヽ
Vヽ
〒798-0015 愛 媛県宇和島市和霊元町 1丁 目5番 27号
TEL番
号 0895-22-0203(代
FAX番
号 0895-22-0213
社会福祉法人 宇 和島市民共済会
理 事 長 三
瀬
直
平成 8 年 4 月 1 日
-6-
表)
久
V
▼
帥織
社 組
会福祉法人
島市民共済会
図
(平成 14年 4月 1日 付)
満洲男
本 本
宏 彰
会 長
美代子
副会長
法 人事 務 局
義 男
弘 志
事務局長
ケ
直 久
松 山
専務理事
渡 原 浦 本
副理事長
三 岡 松 楠
理 事 長
ア ハ
デ イ サ ー ビ ス
ス
ウ
支援 C・ 居 宅支援
照
相談員 松 浦 慣
一
相談員 家
介護職 河
野
雅
美
看護職 川 崎
美 智子
栄養士 今
西
直
子
介護職 畠 山
ツ ユ子
介護職 中 川
洋
子
介護職 安 並 紀
子
介護職 伊
美
管 理 佐
竹
管 理 平
野
武
隆
智
田
藤
運転手 菊 池
基
清
行
士心 美
弘
施設長 ・管理責任者 楠 本
本部 ・施設事務局員 刀 ヽ
永井
S w田
中 薫
看護職 寺 崎 裕
陽
美
健
[給食部門 ・側 日清医療食品委託事業]
栄養士 久 岡 美 恵子 ・調理師 玉 留 美 千代 ・調理員 横 田 昭 子
調理員 上 甲 嘉 代子 ・調理員 酒 井 里 笑 ・調理員 清 原 英 子
調理員 清 水 和 代 ・調理員 福 島 道 代
-7-
施
設
紹
介
I 第 一種社会福祉事業
軽費老人ホーム ケアハ ウス い
こ い
ケアハ ウスの利用者 は、原則 として60歳以上の方 ですが、60歳以上 の配偶者 ととも
に利用す る場合 はこの限 りではな く、自炊がで きない程度 の身体機能 の低下等が認 め
られ、又は高齢等 のため独立 して生活す るには不安 が認 められる方 であって、家族に
よる援助 を受けることが困難 な方が本U用す る施設 で全て個室になってお り、食事 ・入
浴サー ビス以夕ヽは自分 で生活設計 を立て ゝ生活す る場所 です。
利用料金 は年間所得 に応 じて18階層 に分類 されてい ますが、150万円以下 の人 の場
合 は月額 7万 円程度 の利用料 で、施設 との契約 による入居 となってい ます。従 って、
施設 に直接 お 申 し込 み頂 き所定 の手続が必要です。
居室 は、単身者用24室 と二人用 3室 の計27室の定員30名で、洋室 と和室が半 々で、
お部屋の構造 は約 6畳 の居間に一間程の押 し入れ ・トイレ ・洗面設備 ・ミニキッチ ン ・
緊急通報設備 ・冷暖房設備等が完備 され、各室 に冷蔵庫 とベ ラ ンダに洗濯機 ・洋室 に
はベ ッ ドを設置、二人室には浴室があ ります。
日常 の生活 は、食事時間 と入浴時間及び閉門時間以外 は利用者一人一人の生活 リズ
ムで生活 して頂 きますが、食事 は原則 として食堂 を利用 して頂 くことにになっています。
お元気 な方 はカルチャアー教室 に通 った り思 い思 いの生活 を楽 しんでお られ、施設が
管理す ることはな く、来客者 も届けて頂けば宿泊も可能で、生活に責任 を持 って精神的 ・
身体的 に自立 を求 められてい る施設 です。
施設 としての悩 みは、食事 ・入浴 ・相談業務以外 の介護 ・家事サ ー ビス等がで きな
いことです。職員の体制 は生活相談員 ・介護職員の二人なので、 とても手が回 りません。
自室 の掃除 ・通院 ・入浴等は自分 で しなければな りません。それが出来な くなった時
が問題です。家族の支援 を仰 いだ り民間のサー ビス を頼 んだ りとい うことにな りますが、
いずれにしても、寝 た きりになった り痴呆 の程度が高 くなった りす ると生活が出来な
い施設 です。
施設選択 のポイン トは、交通 の使 ・周辺 の環境 ・住 み心地 ・食事 の良否 ・職員の接
遇等が入居 の鍵 になるのではと思 い ます。他施設 との比較 も充分 にされ選ばれること
が大事 です ので、その辺 りを念頭 に置 いて運営 をしてい ます。
-8-
Ψ
正 第 二種社 会福 祉 事 業
老人在宅介護支援 センター い
こ い
支援 センターの運営事業 は、在宅の要援護老人の介護者 に対 し、在宅介護 に関す る
総合的な相談 に応 じるとともに、介護等 に関す るエーズ に対応 した各種 の保健 ・福祉
サ ー ビスが十分 に受け られるよう、市町村等関係行政機関 ・介護保険関連事業所 ・サ
ー ビス提供事業所等 と利用者 とその家族 の連絡調整等 の便宜 を供与 し、 もって、地域
の援護老人及 びその家族 の福祉 の向上を図 ることを目的 とし、宇和島市からの委託事
業 としての 「
高齢者 よろず相談所」 です。
従 って、老人ホームヘルプサ ー ビス事業 ・老人デイサ ー ビス事業 ・シ ョー トステイ
事業等 の在宅福祉 サ ー ビス、又、老人訪問看護事業 ・訪問 リハ ビリ事業 ・デイケア事
業等 の保健 ・医療サ ー ビス実施機関 と機能的 に連携 した運営 を確保 しなが ら、夜 間の
相談 にも対応すべ く基幹型 を中心 として宇和島市 の 5支 援 センターが相互に補完す る
連携運営方式 をと り、 センターの母体 である軽費老人ホームケアハ ウス に併設 されて
い ます。
利用対象者 は、概ね65歳以上 の要援護老人及 びこれらの方 を抱 えている家族等が対
象 で、地域 の要援護老人の心身の状況 ・家族 の状況等 の実態 を把握す るとともに、介
護 ニーズ等 の評価 を行 い、市町村 の公的福祉サ ー ビスの円滑な適用 に資す るため、要
援護老人及 びその家族 に関す る基礎的事項、支援 ・サ ー ビス計画の内容及 び実施状況、
処遇 目標達成状況及 び今後 の課題等 を記載 した台帳 の整備、各種 の保健福祉サ ー ビス
の存在、その利用方法等 に関す る情報 の提供及 びその積極的な利用 についての啓発、
電話相談 ・面接相談等各種 の相談 に対 し総合的に応ず るなど、地域 に積極的 に出向 き
利用者 の立場 にた って公的福祉サ ー ビスの適用 の調整 を行 ってい ます。
職員配置 は、居宅支援事業所 と密接な連携 を図 り、管理責任者 と福祉関係職種 か ら
ソーシャルワーカー、保健医療関係職種 か ら看護職 を配 して、利用者及 び本U用所帯 の
プライバ シーの尊重 に万全 を期 し、本事業 の果 たすべ き役割 の重要性 に鑑 み、研修会
及 び異職種 との交流会等あ らゆる機会 をとらえ、利用者 の個別処遇計画 の策定 を始 め
とし技術修得 に努 めてい ます。
支援 センターの環境 としては、他事業 との情報交換 を常 に図 りなが ら、相談室 ・教
育室 ・展示 コーナー等 を共用 し、相談 ・訪問 を主 として本人 ・家族 の要望 に対応すべ
く努力 を重ねてお り、利用料 は原側 として無料 であ ります ので、諸 々の事由の解決 に
呑U用して頂 きたい と願 ってい ます。
-9-
老人デイサー ビスセ ンター い
こ い
(介護保険指定通所介護事業所 。第 3870300161号
)
老人デイサ ー ビス とは、公的介護保険の 申請の結果、要支援 ・要介護 の認定 を受け
た在宅 の要援護老人に対 し、居宅介護支援事業所 のケアプランに則 り、通所介護事業
所 として指定 を受け、通所利用者 に各種 のサ ー ビス を提供す ることによ り、 これ らの
方 の 自立的生活 の助長 ・社会的孤立感 の解消 ,心 身機能の維持向上等 を図 るとともに、
その家族 の身体的 ・精神的な負担 の軽減 を図 り、高齢者 と家族 の向上 を目的 として事
業展開 をしてい ます。
主な事業内容 としては、送迎から始まり、健康チェ ック ・生活相談 ・入浴サービス ・
給食サ ービス ,日常動作訓練 ・レクリエーション活動 ・家族介護相談等 を基本事業 とし、
1日 の利用定員 は25名で、利用時間は原則 として 6時 間程 です。
1回 当た りの利用料金 は、介護保険による法定受領サ ー ビス料金の 1割 で、要介護
度 により設定 されてい ます。職員配置 としては、管理責任者 の外 に生活相談員 ・看護
職員 ・栄養士 ・介護職員 ,運 転手兼介護職員 を配 し、給食 に関 しては信頼性 のある委
託業者がその任 にあたってい ます。
日rtXとしては、8:30∼16:30の間 に、利用者送迎 ,湯 茶 の接待 ・挨拶 を兼 ねた生活
相談 ・健康 チ ェ ック ・特浴 ・リハ ビリ等 を午前中に実施 し、午後 か らは一般浴 ・レク
リエ ー ション ・趣味活動 を行 い、年間行事 としては季節 に応 じて、初詣 ,節 分会 ・ひ
な祭 り ・お花見 ・瑞午 の節句 ・七夕祭 り 。そ うめん流 し ,お 月見 ・コスモス祭 り ・紅
葉狩 り ・クリスマス会 ・お誕生会等 を日課 と組み合 わせ 、変化 をつ けなが ら計画 して
い ます。
必要に応 じ、職員 ・家族 ・ボランティア ,実習生 ともども研修科目として、医療全般 ・
ふ理特性 ・基本的接遇の知識 ・家政、調理知識及び実習 ・
介護知識及び基礎実技 ・老人の″
日常生活用具 の利用 ・生活動作訓練等 を研修 目標 とし共に学ぶ姿勢 で知識導入 を図 つ
てい ます。
事業実施環境 としては、ケアハ ウス ・在宅介護支援 センター ・居宅介護支援事業所
に併設 され、近代的なバ リアフリー建築のなか、 日照 ・採光 ・換気 ・冷暖房設備等環
境整備 に十分配慮 し、1階 の ワンフロアーに、事務室 ・相談室 ・一般浴室 ・特浴室 ・
厨房 ・食堂 ・訓練室 ・休養室 ・便所 ・介護者教育室 ・展示 コーナー等 を配置 し、利用
者 の安全確保 に十分配慮 しなが ら、短時間ではあ りますが、満足 して頂けるデイサ ー
ビス になるよう、担当職員一 同、 日々研鑽 を重ね努力 をしてい ます。
-10-
V
皿
公 益 事 業
居宅介護支援事業所 い こ い
(介護保険指定居宅介護支援事業所 。第3870300385号 )
居宅介護支援事業 とは、公的介護保険の申請の結果、要支援 ・要介護 の認定 を受け
た在宅の要介護老人若 しくは要介護認定 の申請 をした被保険者 か ら、又は要介護認走
の 申請が行 われていない方か ら、居宅介護支援 の依頼 を受けた場合 は申請 の手続がで
きる よう援助 しなが ら、本人や家族 と一緒 に居宅サ ー ビス計画 を作成 し実施す る事業
です。
居宅サ ー ビス計画 を作成す るとい うことは、個 々の要介護者等 の状態 を総合的 に評
価 し、療養 や介護等 を含 む生活全般での生活課題 を明 らかにして、それらの生活課題
を充足す るために適切なサービス を選定 し提供す る計画 を立てることです。具体的には、
1 要 介護者等 の生活課題 の内容やその程度 を明 らかにす る。
2 生 活課題 に対応す る要介護者等 の能力 を明 らかにする。
3 生 活課題 に対応す るイ ンフ ォーマルな支援 の力量 を明 らかにす る。
4 生 活課題 に対応す るフォーマルなサ ー ビスの必要性 と内容 を明 らかにす る。
4点 を掌握す ることが課題分析 の基本であ り、 よ り具体的 に共通す ることは、
1 日 常生活動作 2身
体的健康 3精
神的健康 4社
会関係
生活環境 7ケ
ア提供者 の状況
等が挙げ られ、個人の機能的 ・環境的領域から包括的 ・多次元的に把握す ることにより、
5経 済状況 6住
全人的に捉 えてケフプラ ンの作成 をします。
当事業所 は、施設 の母体 であ る軽費老人ホームケアハ ウス に併設 され、関わ りの深
い併設支援 センター ・デイサ ー ビスセンター ・地域 の支援 センター ・居宅介護支援事
業所 ・各種サ ー ビス提供事業所 ・介護保険施設並 びに市町村等 との連携 をと りなが ら
ケアプラ ンを作成 し、利用者 の選択 に基づ き適切な保健医療サ ー ビス及 び福祉サ ー ビ
スが、多様 な事業所 から総合的且 つ効率的 に提供 されるよう配慮 してい ます。
職員配置 は、管理責任者 と介護支援専門員並 びにソーシャルワー カー を配 して、利
用者及 び利用世帯 のプライバ シーの尊重 に万全 を期す とともに、提供 されるサ ー ビス
が公正中立に行 われるよう配慮 し、本事業の果 たすべ き重要性 に鑑み自己研鑽 に努 め、
運営規程 に則 り事業 を押 し進 めてい ます。
- 1 1 -
5月 日
︲
昭和 6 年
8
昭和 5
年
7月 9 日
5月 日
昭和 開 年
4 月 1 日
7
昭和 5
年
4 月 1 日
昭和 6
5年
4 月 1 日
5
昭和 5
年
4 月 1 日
鴻池 正 一
ヅ 明
山 崎 藤 吉 ・菊 地
西 河 正 義 ・末 光
克 吉 ・三輪 田 元 亮
忠夫
上 景輛
元
﹁ ︶一
脇 一中
宮出 恭徳 ・谷 田 恒盛
谷 田 恒 盛 ・福 田 吉 男
黒 田朝 二郎
山 崎 藤 吉 ・菊 地
西 河 正義 ・末 光
三輪 田 元 亮 ・宮 出 恭 徳
宮出 利男
細井 静 一郎 ・清 家 静 澄
河 野賀 右 蔵
清 家 静 澄 ・福 森 金 三郎
吉 岡 源 造
清 家 静 澄 ・宮 出 利 男
清 家 静 澄 ・宮 出 利 男
三輪 日 元 正
清家 静 澄 。宮出 利男
三輪 田元正
三輪 田 元 正 ・山 口 盛 衛
水 田 薫
山 崎 藤 吉 ・西 河 正義
羽 田 野無 涯
羽 田 野無 涯 ・菊 地 克 吉
西 河 正義
羽 田 野無 涯 ・菊 地 克 吉
西 河 正義
菊 地 克 吉 ・末 光 忠 夫
三輪 田 元 亮
鴻 池 正 一 。西 河 正義 ・末 光 忠 夫
山 崎 藤 吉 ・菊 地 克 吉
正義
福 森 金 三郎 ・鴻 池 正 一 ・清 家
清 家 静 澄 ・山 崎 藤 吉
正 一 ・清 家 明 ・西 河
藤 吉 ・羽 田 野無 涯
佐 川 武 彦
福 森 金 三郎
清家 静 澄
佐 川 武 彦
清家 明
鴻池 正 一
清家 明
第六代・
理事長︶
︵
第五代・
理事長︶
︵
佐 川 武 彦
鬼 生 回幸 顕
佐 川 武 彦
佐 川 武 彦 ・宮 出 利 男 ・鴻 池 正 一
清 家 静 澄 ・山 口 盛 衛
鬼 生 回幸 顕
鬼 生 回幸 顕
亘輪 田直 一 ・加 藤
久 保 盛 丸 ・押 方
房恵 ・向井金太郎
敬一
房恵 ・向井金太郎 ・河野賀右 蔵
敬 一 ・細井静 一郎
押方 敬 一 ・河野賀右蔵
向井金太郎 ・佐 川 武彦
押 方 敬 一 ・河 野 賀 右 蔵 ・鬼 生 田幸 顕
向 井 金 太 郎 ・佐 川 武 彦
松本 良 之 助 ・
向井金太郎 ・
松 本 良 之 助 ・佐 川 武 彦
向井金太郎
盛 衛 ・山 崎 藤 吉
正一
福森 金 三郎
鬼 生 回幸 顕
明
福 森 金 三郎
福 森 金 三郎
福森 金 亘郎
鬼 生 回幸 顕
理事長︶
第三代・
︵
松本良 之助
松本 良 之 助
松本良 之助
福 森 金 三郎
理事長︶
第二代・
︵
中平常太郎
鴻 山
池 口
清 佐
家 川
昭和 3
5年
7
昭和 4 年
1月 日
5 月 1 日
6
昭和 4
年
8 月 日
9
昭和 3 年
2 月 7 日
松本良之助
-12-
督
昌
中平常太郎
初代理事長︶
︵
事
7
昭和 3
年
0 日
5月 2
7
昭和 2 年
副 理事 長
監
静武
澄彦
事
口
召
奪鬼
理 事 長
理
Il
11オ
47
月
5年
日
山鴻
崎 池
押 加
方藤
(理事 ・監事)
員
役
歴 代
2
︲月 1 日
三瀬 直 久
岡 原 宏 彰
岡原 宏 彰
専務理事
松浦 満 洲 男
松浦満洲男
椙 山 大 蔵 ・菊 池 功
万 ・杉 本 善 信
三浦 一
松谷 常道
三浦 一
万 ・杉本 善信
松谷 常道 ・楠本 弘志
菊池 功
渡辺 ムメ子 ・菅原 厚
安 達 巌
渡 辺 ムメ子 ・菅原 厚
安達 巌
第 九代 ・
理事 長 ︶
︵
三 瀬 直 久
副理事 長
理 事 長
菊 地 克吉
忠 夫 ・椙 山 大 蔵 ・松 浦 満 洲 男
吉 男 ・三 服 直 久
武 雄 ・岡 原 宏 彰
忠 夫 ・棺 山 大 蔵 ・松 浦 満 洲 男
吉 男 ・三 瀬 直 久
武 雄 ・岡 原 宏 彰
・三 服 直 久
・岡 原 宏 彰
堀 田 義 雄 ・宮 田 敏 夫
渡 辺 ム メ子
堀 田 義 雄 。中 山 滝 夫
渡 辺 ム メ子
吉男
恒 盛 ・家 藤 栄 吾
吉男
栄 吾 ・渡 辺 ム メ子
義雄
栄吾 ・渡辺 ムメ子
義雄
堀 田 義 雄
渡 辺 ム メ子
堀 田 義雄 ,宮 田 微夫
渡 辺 ムメ子
・三瀬 直久
・岡原 宏彰
明 ・三輪 田元亮 ,福 田
克 吉 ・黒 田朝 二郎 ・家 藤
末 光 忠 夫 ・中 川 武 雄
福 田 吉 男 口棺 山 大 蔵
末光 忠夫 ・中川 武雄
福 田 吉男 ・相山 大蔵
末光 忠 夫
明 ・三輪 田元亮 ・福 田
克 吉 ・黒 田朝 二郎 ・家 藤
堀 田 義雄 。宮 田 敏夫
渡 辺 ムメ子
堀 田 義 雄 。中 山 滝 夫
渡 辺 ム メ子
万
渡 辺 ム メ子 ・三浦 一
中山 滝 夫
事
3年
平成 1
2
平 成 1年
6日
5月 2
6日
5月 2
1年
平成 0
平 成 9年
菊 地 克吉
菊 地 克 吉
菊 地 克吉
理事長︶
︵
第八代・
4日
7月 1
6日
5月 2
監
菊 地 克 吉 ・中 川 武 雄 ・三 服 直 久
福 田 吉 男 ・椙 山 大 蔵 ・岡 原 宏 彰
末光 忠夫
末光 忠夫
事
日 田 ・
ヽ
斎
即
里
︼
一
日
師牛
塩
劫 一
市
笠
一
兜
菊地 克吉 ・黒 田朝 二郎 ・福 田
三輪田元亮 ・谷 田 恒盛
明 ・三輪 田元亮
克吉 ・黒 田朝 二郎
・谷 田
・福 田
清家 明
末光 忠夫
末光 忠夫
射 明
理事 長︶
第 七代 ・
︵
末光 忠夫
菊清
地家
平 成 8年
6日
5月 2
平 成 4年
9月 3
1日
理
菊清
地家
-13-
中福 末 中福 末
川 田光 川 田光
菊清
地家
菊鴻
地池
平 成 3年
6日
5月 2
3年
昭和 6
福 谷 堀 家 堀 家
田 日 田藤 田藤
栄吉
吾男
吉恒 栄吉
男盛 吾 男
平
3成
月 9
4年
日
平
平
5成
5成
月 5
月 6
2 5 左手 2 6 4 1
日
日
平
5成
月 2
26年
日
3
昭和 6
年
梅 田 タ キ ヱ ・酒 井 タ キ子
山 本 美 代 子 ・下内 保
倉 田 ヒト ミ ・宮 田 敏 夫
久 保 凸 凹 丸 ・二宮
佐 東 春 子 ・黒 田
松 下 カ メ ・芝
豊 一 ・渡 辺 ム メ子
久 松 ・柿 島 長 俊
節 子 ・牧 野 常 一郎
浜木
中川
家藤
浜木
中川
家藤
泰 誘 ・森 田 桃 江
孝 子 。今 城 武 夫
清子
梅 田 タ キ ヱ ・酒 井 タ キ 子
山 本 美 代 子 ・下 内 保
倉 田 ヒト ミ
宮 崎 和 世 ・倉 田 ヒト ミ
梅 田 タ キ ヱ ・酒 井 タ キ 子
山本 美 代 子
・芝 節 子 ・谷 田 恒 盛 ・浜 木 暢 道
・渡 辺 ム メ子 ・栗 林 寅次 郎 ・黒 田朝 二郎
・柿 島 長 俊 ・牧 野常 一郎 ・中 川 武 雄
カ メ ・芝 節 子 ・谷 田 恒 盛
豊 一 ・渡 辺 ム メ子 ・栗 林 寅 次 郎
久 松 ・柿 島 長 俊 ・宮 出 恭 徳
牧 野 常 一郎 ,中 川 武 雄
浜木 暢道
黒 田朝 二郎
久 保 凸 凹丸 ・松 下
末 広 哲 禅 ・二宮
佐 束 春 子 ・黒 田
春 子 ・菊 地 克 青 ・渡 辺 ム メ子 ・谷 田 恒 盛
カ メ ,黒 日 久 松 ・三輪 田 元祐 ・
豊 一 ・芝 節 子 ・柿 島 長 俊
松 下 カ メ
二宮 堂量
黒 田 久 松
豊 一 ・渡 辺 ム メ子
久 松 ・柿 島 長 俊
節 子 ・牧 野 常 一郎
武田
陸本
上村
土谷
武田
陸本
久保 愛九 田中伊三郎
荒井 大龍 演田 ヨシ コ
岩木幸治郎
山本 純信
・菊 地 克 吉
森 太郎吉
鬼生田幸顕
佐川 武彦
本田 泰
水 田 薫 ・佐 東 奉 子
池 田福 治 郎 ・松 下 カ メ
末 広 哲 禅 ・佐 土 原 勝
武田 武 ・池 田 ︺
具助
黒田 健 一・徳永 退治
威谷登美子 ・陸本 虎 一
木原 政 一・成松孫右工門
陸 本 虎 一 ・久 保 愛 丸
上 村 貴 孝 ・岩 木 幸 治 郎
住 田 満 男 ・羽 田 野無 涯
山 口 盛衛
鎌江 奉 一
三輪 田元正
宮出 利男
佐 土 原 勝
木 原 文 子
山 崎 藤 吉
貝孝 ・佐 東
上村 二
久 保 凸 凹 丸 ・松 下
末 広 哲 禅 ・二宮
武 田 武 ・久 保 凸 凹 丸
陸 本 虎 一 ・末 広 哲 禅
貝孝 ・佐 東 春 子
上村 土
久 保 凸 凹 丸 ・二宮
佐 東 春 子 ・黒 田
松 下 カ メ ・芝
黒 田 久 松 ・中 川 武 雄
凸 一ム
玖
劫齢
刺隊
課劉
巌
6 日
5月 2
.
昭和 6 年
5月 日
0年
昭和 6
5 月 日
昭和 8
5年
7 月 日
7
昭和 5
年
6 月 日
5
昭和 5 年
和康 義
世 史雄
陸本 虎 一 ・羽 田 野無 涯 ・末 広 哲 禅
上 村 貴 孝 ・水 田 薫 ・佐 東 春 子
久 保 凸 凹丸 ・池 田福 治 郎 ・松 下 カ メ
毛山 陽之 助
土谷 要 範
山 口 盛 衛
田
部
健
肋
国松 一
房子
毛山陽之助
土谷 要範
正正豊
一義 一
︲
1月 3
日
昭和 6
4年
5月 日
宮福 堀 宮宮堀
本 田 田 崎本 田
大 r率
多 岳_ 於
鴻西 二
池河宮
由豊 満 貴
松 三男 孝
9
昭和 3
年
康 吉 義 和 康 義
史男雄 世 史雄
田廣 住 上
中瀬 日村
-14-
栄 武 暢 栄武 暢
吾 雄 道 吾雄 道
宮 宮堀
崎本 田
議
盛 要 虎 要
貴虎
武衛範 一武範 孝一武
唐澤 胸 一
増回 僚 一
村山 イ ヱ
松浦偉四郎
評
8 月 日
7
昭和 2
年
0 日
5月 2
員
退政
治 一武
武 山 土
田 口谷
徳木武
永原 田
(評議員)
員
役
歴 代
3年
平成 1
6月 1 日
1年
平成 2
6 日
5月 2
1年
平成 0
6 日
5月 2
松本 義 男
松本 義 男
山本美代子
山本美代子
副 会 長
宮 崎 和 世 ・吉 見 良 子 兵頭 一
ネ 上二瀬
二宮 孝 子 ・久 保 タ ミ コ 金 田八重 子 ・水 野
水 野 ヨネ 子 ・佐 々木 朝 美 今市 万寿美 ・曽根
森
平井
二宮
曽根
森
山本
金 田八重子 。今市万寿美
杉本 善信 ・三瀬 健
菅 原 厚
由
貝
和 世 ・水 野 ヨネ 子 佐 々木朝 美 。今 市 万寿美
泰 誘 ・吉 見 良 子 兵頭 一
ネ 上二瀬 健
孝 子 ・久 保 タ ミ コ 金 田八重 子 ・水 野 利夫
久保 タミ コ ・三好
松本 義 男 白兵頭
佐 々木朝美 ・松谷
・
良子 佐 々木 朝 美
見
吉
・
タミ コ
久
亘
良
保
好
枝
・松本 義 男 兵 頭 一
永
︽ム 長
・吉見 良 子 ・平井
威
・久保 タミ コ ・三浦 一
万
・松本 義 男 ・佐 々木朝美
常道
孝子
孝子
政幸
久保 タミ コ ・平井 威 ・三好
松本 義 男 ・三浦 一
万 ・兵頭
大気 通秋 ・佐 々木朝美
今城 武夫 ・水野 ヨネ子
一ゼ 正幸
森田 桃江・
二宮 孝 子 ・三好 芽
良子
滝夫
森 田 桃江 ・黒 田 正幸 ・中山 滝夫
今城 武夫 ・水 野 ヨネ 子 ・久保 タミ コ
三好 罪 ・吉見 良子
水野 ヨ
吉見
中山
時
弘 三時
憲彦 隆 幸 治彦
常 道 ・菊 池 功 ・菅 原 厚
政 幸 ・金 田 八重 子 。今 市 万寿 美
巌 ・杉 本 善 信
宮崎 和 世 ・二宮 孝子
山本美代 子 ・水 野 ヨネ子
藤原 泰誘 ・吉見 良子
・二宮 孝子
・森 田 桃江
・水 野 ヨネ 子
,森 田 桃江
・今 城 武夫
・水 野 ヨネ 子
宮崎 和 世
山本美代 子
藤原 泰誘
宮崎 和 世 ・倉 田 ヒトミ
梅 田タキ ヱ ・藤 原 泰誘
山本美代 子 ・二宮 孝子
義 男 ・佐 々木 朝 美
威 ・三好 良 枝
元 ,兵 頭 一
ネ
安森松 菊安森
達 谷
池達
三平松
浦井本
一
森 早
││
ナ
良
京枝
平成 8 年
・倉 田 ヒト ミ
・下内 保
・藤 原 泰 誘
・倉 田 ヒト ミ
・酒 井 タキ 子
・下内 保
・吉見 良 子
,中山 滝 夫
・久保 タミ コ
政
功 巌幸
・森 田 桃江
。今 城 武夫
・水 野 ヨネ 子
議
宮崎 和 世 ・倉 田 ヒト ミ
梅 回タキ ヱ ・藤原 泰誘
山本美代 子 ・二宮 孝子
宮 崎 和 世
梅 田 タキ ヱ
山本 美 代 子
宮 崎 和 世
梅 田 タキ ヱ
山本 美代 子
久 保 凸 凹 丸 ・宮 本 康 史
滝良 ネ
夫子 子
山 本 美 代 子 ・下内
倉 回 ヒト ミ ・宮 日
酒 井 タ キ 子 ・藤 原
孝泰敏
泰敏
誘夫保 子誘夫
清 二平 五 駄清
家宮 井 島場 家
静
順叢 元
三治
弘幸
静元
-15-
男
「
け
隆夫健
常 良
道 京枝
評
常 良
道京枝
二藤宮
宮原 田
6 日
5月 2
平成 6 年
6 日
5月 2
平成 4 年
6 日
5月 2
平成 2 年
夕
呼
醐
十
導
麻
潮
鮨一
随
6 日
5月 2
武桃 孝
夫江子
松 兵 三
谷 頭好
二藤宮
宮原 崎
今森 二
城 田宮
康武 暢
史雄道
早松
川谷
中吉
山見
宮 中浜
本 川木
平
指盤
年
富
平
揖昏
年
台
初代 理 事 長 を偲 んで
V
初代理事長 中 平
常 太郎 氏
本籍地 愛 媛県宇和 島市本 町五十七番地
-16-
略
歴
明治一二年 三 月二〇 日 出 生
明治二七年 月
宇 和島高等小学校卒業其 の後夜学其 の他 自習
日
明治四四年 九 月三〇日 北 宇和郡会議員当選
大正 四 年 一 月 八 日 宇 和町会議員当選
大正 五 年一一月 五 日 日 本織布株式会社常務取締役当選
v′
大正 六 年一一月 六 日
大正 七 年 一 月一 〇 日
大正 七 年 六 月 一 日
大正一二年 月
日
一
大 正 四年 月
日
株 式会社 広文社取締役当選
宇 和島町会議員当選
愛 媛織物同業組合宇和島支部長当選
愛 媛県方面委員嘱託就任 自来現在 に至る
南 予文化協会理事
一
一
一
大正 五年 二月 六 日 宇 和島市会議員当選
宇 和島市会副議長当選
大正一五年一二 月 日
昭和 二 年 八 月 一 日 宇 和島市衛生組合聯合会長当選
昭和 二 年 八 月 五 日 愛 媛県土地賃貸価額調査委員当選
宇 和島市民共済会創立せ られ其 の会長に当選
昭和 二 年一二月 日
一一
一
昭和 三 年
月 〇 日 御 即位御大薩 に当 り地方賜僕 の御召 を受け松山市 に至 り
光栄 ある御饗餞 を拝受す
昭和 五 年 四 月 日
愛 媛県家屋税 (第一次 。第二次)調 査委員当選
昭和 五 年一〇月一 〇 日 宇 和島市会議員当選同市参事会員当選
昭和 九 年 八 月 七 日 宇 和島瓦斯株式会社社長当選
昭和 九 年一〇月一〇 日 全 日本方面委員聯盟 よ り表彰 され功 労章 を受 く
昭和 九 年一二月一三 日 財 団法人宇和島市民共済会改組 初 代理事長
昭和一一年 二 月 一 日 宇 和島商工会議所副会頭 に当選
十 年 五 月二=日 高 松宮殿下授産場御台臨遊 なさる際沿革言上場内御先導
_/ 昭 和
の光栄 に浴 し種 々御下間 に奉答す
一一
一
昭和
年 二月二五 日 皇 太后陛下 よ り方面事業功労者 としての思召 を以て蒔絵
硯箱 を下賜 さる
一
一
昭和 四年 一 月 四日 愛 媛県司法保護常務委員嘱託せ らる
昭和一五年 四 月 二 日 軍 事参議官朝香太将宮殿下御台臨 に際 し単独拝謁 の光栄
を受け和霊分場 にて言上の光栄 をも受 く
一
一一
昭和 五年
月 一 日 紀 元二千六百年祝典参列賜餞 の光栄 を受け特 に思召 を以
て藍綬褒章下賜拝受す
一
昭和 七年 六 月二〇 日 愛 育園に侍従御差遣遊 ばされ三井安弥氏単独伺候 の上概
況言上御先導案内 をなす
一
昭和 八年 五 月二七 日 市 常設厚生委員
-17-
Ψ
朝香大将高殿下御台臨 (昭和15年4月2日)
昭和一人年 八 月 一 日 全 日本民生委員聯盟評議員
昭和一人年一二月三〇日 宇 和島運論株式会社監査役
昭和一九年一二月一三 日 日 本調停協会松山支部幹事
昭和二一年 二 月二七 日 愛 媛県労働委員会会長当選
昭和二一年 四 月 一 日 恩 賜財団 同胞援護会参与
昭和二一年 九 月二七 日 拝 謁 の御召 を受け社会事業 に就 き御進講 の光栄 を受 く
昭和二二年 四 月二〇 日 愛 媛県地区参議院議員当選
昭和二六年 五 月 六 日 宇 和島市長当選
昭和二六年 七 月 日
愛 媛県社会福祉協議会初代会長就任
二七
二〇
昭和
日 社 会福祉法人宇和島市民共済会改組
年 五 月
初代理事長就任 73歳 ∼ 昭和 三九年七 月
昭和 三九年 七 月一九 日 御 逝去 享 年85歳
「
愛媛県社協50年の軌跡」 (社協創立50周年記念誌)を 送付頂 き、当法人の理事長
が初代会長 に就任 されていたことを知 ったのを契機 に、法人資料 の昭和27年 3月 10日
提出、「
社会福祉法人えの組織変更認可 申請書」 の中か ら、初代理事長 中 平常太郎
氏 の履歴 を拾 ってみ ました。昭和 2年 10月、宇和島市民共済会創立初代会長 として、
救助事業 ・失業保護事業 ・罹災救護事業 を中心 に福祉事業 を展開 し、昭和 9年 12月、
財団法人に改組、昭和27年 5月 、時流 に添 った社会福祉法人へ の改組認可受理 と、常
に社会福祉事業 の先駆け的存在が充分 に伺 えます。
-18-
高 畠 氏 と ( 左)
敬 老
含
鋼
躙
卿郷
ン
最高齢者
山口久米助翁
百十歳
-19-
立
設
第 一 章
目
時
総
絵款
社会福祉法人 宇 和島市民共
定
則
的
篠
第 一
こ の社会福祉 法人 は、援護 ・育成又 は更 生 の措置 を要す る者等 に対 し、
その独立心 をそ こなうことな く、正常な社会人 として生活す ることがで
きるように援助することを目的 として、左 の社会福祉事業 を行 う
第一種 社 会福祉事業
授産場 の設置経管
第二種 社 会福祉事業
宿所提供施設 の設置経管
第 二 篠
名
こ の社会福祉法人の資産 の総額 は、五,六九三,一一六園とする
称
第 亘 篠
こ の社会福祉法人 は社会福祉法人宇和島市民共済会 とい う
事務所 の所在地
第 四 篠
こ の社会福祉法人の事務所 を愛媛縣宇和島市大石町拾八番地に置 く
第
二
章
役
員 及 職 員
役員 の定数
第 五 篠 こ の法人 には左の役員 を置 く
一、理事 七 名
二、監事 三 名
理事 の うち一人は理事 の互選 によ り理事長 とな り、理事長 は本会 を代表す る
理事 の うち一人 は理事 の互選 によ り副理事長 となる
理 事
会
第 六 篠
こ の法人の業務 の決定 は理平 を以て組織す る理事会に よって行 う、但
し日常 の軽易 な業務 は理事長が専決 しこれを理事会 に報告す る
理事会は理事長が招集する
-20-
理事会 に議長 を置 き理事長をもって充 てる
理事長 は理事 の三分 の一以上か ら会議 に附議すべ き事項 を示 して理事会
の招集 を請求された場合 にはその請求 のあ った 日か ら一週間以内にこれ
を招集 しなければならない
理事会 は理事 の過半数の出席がなければその議事 を開 き議決 をなす こと
がで きない
理事会 の議事 は法令 に特別 の定 めがある場合及 びこの定款 に別段 の定 め
がある場合 を除 く外理事 の過半数 で決 し可否同数 の ときは議長 の決す る
ところによる
第 七 篠
ジ
理 事長 に事故があるときは副理事長之 を代理す る
事長、副理事長共 に事故あ るときは理事長があらか じめ指名す る他 の
理
理事が順次 に理事長 の職務 を代理す る
理事 の選任
第 八
篠
理 事 は理事 の三分 の二以上の同意 を得 て理事長が委嘱する
監事 の選任
第 九 篠
監 事 は理事会において選任す る
監事は理事、評議員又は社会福祉法人の職員 を兼ねてはならない
役員 の任期
第 十 篠
役 員 の任期 は二年 とす る、但 し再任 を妨げない
理事長 の任期 は理事 として在住す る期 間 とす る
職
員
第 十 一 篠 こ の法人に職員若干名 を置 く
職
員 は理事長が任免する
第
三
章
資
産 及 会 計
資産の種類
第 十 二 僚 こ の法人の資産は左により構成される
一、別紙財産目録記載の財産
二、共同募金の配分金及びその他の寄附金
三、社会福祉事業に伴 う収入
四、資産から生ずる果費
-21-
五、収益 を月的 とす る事業 よ り生ず る収入
六、その他の収入
資産 の区分
第 十 三 保 こ の法人の資産 は、 これを分けて基本財産 と運用財産 の二種 とす る
1、 基本財産は別紙財産目録中基本財産の部 に記載す る次 の財産及 び将来基本財産
に編入 される財産をもって構成す る
一 、不動産 は
末尾 に記載 の通 り
2、 運用財産は別紙財産 目録中運用財産 の部 に記載す る財産及 び将来運用財産に編
入 される財産その他基本財産以外 の財産 とす る
3、 運用財産中別紙財産 目録 の収益事業用財産の部 に記載す る財産 は事業用財産 と
する
4、 寄附金品 については、寄附者の指定があ る場合 には、その指定 に従 って基本財
産又 は運用財産に編入する
基本財産の処分 の制限
第 十 四 篠 基 本財産 はこれを消費 し、又は担保 に供 してはならない
但 しこの法人の事業 の遂行上やむを得 ない事由があるときは理事 の三分
の二以上の同意 を得、評議員会の諮問 を経、厚生大臣の承認 を得 てその
一部 に限 り担保 に供す ることがで きる
資産 の保管
第 十 五 篠 こ の法人の資産 は理事会の議 を経 て理事長が保管する、資産の うち現
金は理事会 の議 を経 て確賃 な有慣証券 を購入す るか、確責な銀行又は郵
便官署 に預け入 れ又 は確賃 な信託会社 に信託す る
特別会計
第 十 六 篠 こ の法人 は収益事業 を特別会計 とす る
豫
算
第 十 七 篠 こ の法人の豫算 は毎会計年度開始前 に理事長 において編成 し理事 の三
分 の二以上の同意 を得、評議員会 の諮問 を要す る
決
算
第 十 八 係 こ の法人の事業報告書 ・財産 目録 口貸借対照表及 び収支計算書 は毎会
計年度終了後二月以内に理事長 に於 いて作成 し理事会 の認定 を得 て監事
の監杢 を経、評議員会の諮問を要す る
-22-
会計年度
第 十 九 篠 こ の法人 の会計年度は毎年四月一 日に始 まり翌年三月三十一 日を以て
終る
臨機 の措置
第 二 十 條 豫 算 をもって定 めるもののほか新 たに義務 の負担 をし又 は権利 の放棄
をしようとす るときは理事 の過半数 の同意がなけれ ばならない
第 四 章
評 議員会及 び評議員
評議員会
第 二 十 一篠 評 議員会 は諮 問機 関 と し理 事 の定数 の二倍 を こ える三十四名 の評議 員
を もって組織す る
評議員会 は理 事長 が招 集す る、評議員会 に議長 を置 く
議長 はその都度評議員 の互 選 で定 める
理事長 は評議員総数 の三 分 の 一 以上 の評議員 か ら会 議 に附議 すべ き事項
を示 して評議員会 の招集 を請求 された場合 には、その請求 の あ った 日か
ら二 週 間以内 に これ を招集 しなければな らない
評議員会 は評議員 の過半数 の 出席が なければ、その議 事 を開 き諮 問す る
ことがで きない
評議 員会 の議事 は出席議員 の過半数 で 決 し、可 否 同数 の ときは議長 の決
す る ところによる
前項 の場合 にお い て議長 は評議員 と して議決 に加 わ ることはで きない
評議員会 の権限
第二 十 二篠 左 に掲 げ る事項 につい ては理 事長 にお い て、あ らか じめ評議員会 の意
見 を聞 か なければな らない
一 、豫算 、基本財 産 の処分及 び事業計画
二 、豫算外 の新 たな義務 の負担又 は権利 の放棄
三、 定款 の変更
四、合併
五、 目的 た る事業 の成功 の不能 に関す る解散
六、解散 (合併 又 は破 産 の場合 を除 く)時 にお け る残余財 産帰属者 の選定
七、寄附 金 品 の募集 に関す る事項
-23-
八、 剰余金 の処分 に関す る事項
九、定款 の施行細則 に関す る事項
十、その他 この法人の常務 に関す る重要事項 で理事長において必要と認めた事項
評議員 の資格
第二十三條 評 議員 は社会福祉事業 に関心 を持ち又 は掌織経験 のある者で、 この法
人 の趣 旨に賛成 して協力す る者 の中か ら理事会 の議決 を経 て理事長が之
を委嘱す る
評議員 の任期
第二十四條 評 議員の任期 は二年 とす る。但 し再任 を妨げない
評議員 の改選 は同一期間 とす る
補欠評議員 の任期 は前任者 の残任期間 とす る
第 五 章
収 益 を目的 とす る事業
ll
房
種
第 二 十五係 こ の法人 は社会福祉事業法第 二 十五篠 の規定 によ り左 の事業 を行 う
物 品販売業
収益 の使用
第 二 十六篠 前 篠 の規定 に よって行 う事業 か ら生 じた収益 は、すべ て これ を基 本財
産又 は運用財産 に繰 り入れね ばな らない
第 六 章
解
散 及 び 合 併
解
散
第二十七篠 こ の法人 は社会福祉事業法第四十四條第一項第一抜及第三抜 か ら第六
琥 までの解散事由によ り解散す る
第二十八保 解 散 (合併又 は破産 に因 る解散 を除 く)し た場合 にお ける残余財産 は、
社会福祉法人その他社会福祉事業 を行 う者 の うちか ら、理事 の三分 の二
以上の同意によつて選定 された ものに帰属す る
合
併
第二十九僚 合 併 しようとす るときは理事 の三分 の二以上の同意 を得、評議員会 の
諮問 を経 て厚生大臣の認可 を受けなければならない
-24T
定款の変更
第 三 十 篠 こ の定款 を変更 しようとす るときは理事の三分の二以上の同意 を得、
評議員会の諮問 を経 て厚生大臣の認可 を受けなければならない
第 七
公告 の方法
第三十一條
章
告 の方法 そ の他
公
この法人の公告は社会福祉法人宇和島市民共済会の掲示場に掲示する
とともに愛媛新聞に掲載 して行う
施行細則
第亘十二僚 こ の定款 の施行 についての細則 は理事会 に於 いて定 める
■H︼
貝
附
この法人の設立当初の役員 は左 の通 りとする
│
但 しこの法人の成立後遅滞なくこの定款 にもとづ き役員の選任 を行 うものとする
υ
理 事
中 平
常 太郎
理 事
松 本
良 之助
理 事
三輪 田 直
理 事
久
保
盛
丸
理
事
加
藤
房
理 事
押
方
敬
恵
一
理 事
向 井
監 事
細 井
金 太郎
静 一郎
監 事
河 野
賀 右戚
監 事
清
基本財産 不 動産
一、土 地 宇 和島市大石町十八番地
宇和島市賀古町八番地
家
静
一
澄
四 百拾坪九合九勺
武
百四拾七坪四勺
宇和島市和霊町九〇二番地 百 参拾五坪
計
百九拾参坪参勺
七
-25-
写 真 阜
歴史の証明」
「
団扇部製品
授産場 (処分前)賀 古町
-26-
現 老 健施設 パ ール荘
9月
人形部」「
昭和3年
授産事業「
団扇部」
妙典寺前に創設
■│‐
│││││││■■│■
■││││■■■│■│■
■│■
―
‐
‐
‐・‐!│■
創設時外観
人 形制作 風 景
( 昭和3 年当時)
団扇 骨制作 風 景
(昭和3年 当時)
第 二 作 業場 団 扇 骨制作 風 景
(昭和3年 当時)
-27-
第 五 作 業場 団 扇編 付 風 景
(昭和3年 当時)
団 扇 張 り風 景
(昭和 3年 当時)
団扇縁 張 り風 景
(昭和3年当時)
屋外
第五作業場 団 扇仕上げ風景 (昭和3年 当時)
-28-
団扇 渋 か け乾燥 風 景
( 昭和3 年当時)
第五作業場 団扇荷造 り風景
(昭和3年 当時)
第 五作業場 団 扇発送風景 ( 昭和3 年当時)
4月
昭和13年
更正家屋「
昭和園」
妙典寺前に開設
昭和 13年 開設 当時全景 (宇和津小学校 プール前)
-29-
昭和13年4月授産所下駄製造部和霊町に開設
和 雲 下駄作 業場 全 景
(昭和13年当時)
和 霊作 業場 下 駄 形成 風 景
( 昭和 1 3 年当時)
和霊作 業場 下 駄 穴 あ け風 景
( 昭和4 3 年当時)
和霊作業場
和霊作業場 下 駄倉庫風景 (日
召和13年当時)
-30-
下駄研 磨 風 景
( 昭和 1 3 年当時)
霊分場」設置
昭和13年4月授産所 所田
ざ観轟
財団法人宇和島市民共済会 和霊分場
下村駅舎跡
和
( 昭 1 3 年当時)
朝香大将富殿下御台臨記念撮影
(昭和 15年 当時)
(昭和 21年 当時)
分場 編 場 風 景 (昭和21年当時)
-31-
攀
■
十
分場 貼場 風 景 (昭和21年当時)
分場 仕上げ風景 (昭和21年当時)
朝 日町授産場
昭和 1 8 年当時
-32-
4月母子寮・
大石町に開設
昭和16年
保育所「
愛育因」
落成記念撮影 (昭和16年当時)
愛育園地鎮祭風景 (昭和16年当時)
愛育園地鎮祭風景 (昭和16年当時)
-33-
愛育園前 にて記念撮 影 (昭和16年当時)
愛 育 園保健 婦 の 家庭訪 問
(昭和 16年当時)
愛育 園集 会 室 で の集 団検 診
( 昭和 1 6 年当時)
愛育 園展 覧会 で の理 事 長 説 明
(昭和 16年当時)
愛 育 園長屋 裏 庭風 景
(昭和 16年当時)
-34-
愛育園全景 (昭和16年当時)
愛育園本館正面 (昭和16年当時)
母子寮長屋 (昭和16年当時)
-35-
昭和21年宿所提供施設「
民生館」和霊町に開設
‐
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1lffl縁
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天皇陛下巡幸記念写真 ( 昭 和2 5 年当時)
居室 ・廊下
民生館」(休止前平成元年当時)
宿所提供施設 「
いこい」( 平成 8 年完成)
ケアハ ウス 「
-37-
寺別 座 談 会
歴 史 を 振 り返 っ て
出
席
"頂
者 (50音
)
岡
原
彰
社会福祉法人宇和島市民共済会
副
理
事
長
菊
地 克 吉
社会福祉法人宇和島市民共済会
前
理
事
長
松 浦 満 抄H男
社会福祉法人宇和島市民共済会
専 務 理 事 。施 設 長
松
本
三 瀬
宏
義 男
直 久
社会福祉法人宇和島市民共済会
評 議
員
会
会
長
社会福祉法人宇和島市民共済会
事
理
山 本
司
美 代子
会 ・記
録
V
長
社会福祉法人宇和島市民共済会
評 議 員 会 副 会 長
社会福祉法人宇和島市民共済会
法 人
事
務
局
V
時 所
日 場
平成14年3月 10日
宇和島市和霊元町1丁日5番27号
軽費老人 ホーム ケ アハ ウス い
-38-
こ い
司 会
本 日はお忙 しい ところお集 ま り頂 きまして有難 うござい ます。
ご案内の ように、宇和島市民共済会倉U立75年、社会福祉法人 として設立以来50
年 を迎 え、記念行事 の一環 として記念誌 を作成す ることによ り、過去 を振 り返
り現在 をみつめ直 し、将来へ の飛躍 の一助 にしたい と考 えてい ます。
座談会 を始 める前 に、記念誌編集委員長で もあ ります三瀬理事長 の方 か ら、
一言 ご挨拶 を御願 い します。
三 瀬
お 忙 しい ところお集 まり下 さい まして有難 うどざい ます。
創立75年 。(福)設 立50年の節 目 といた しまして、記念行事 の一つ に記念誌 の
発干Uをもくろみましたが、いかんせん古 い資料 が少な く、時間的制約 もあ りま
ヤ
すので、出席者の方 のお話 を掲載 させて頂 きたい と思 ってい ます。歴史 を振 り
返
って頂 き現実 を認識す ることによ り、 これか らの市民共済会 の道標 を摸索 し
たい と考 えてい ますので、忌憚 のないお話 しをお聞かせ頂けたら幸甚 です。宜
しく御願 い 申 し上 げ ます。
司 会
そ れでは早速始 めたい と思い ます。
最初 に宇和島市民共済会が創立 に至った経緯、社会福祉事業 の活動状況 を中心
にお話 し頂 き、休憩 を挟 みまして、後半 は新施設完成へ の道程 と、今後 のある
べ き姿 までお話 しを進めて頂 いたらと思 っています。
菊 地 生 証人 もいない状況なので推察 の域 を脱 し得 ませんが、昭和 2年 、有志 で も
ある当時の篤志家が集 まり、救助事業 ・失業保護事業 ・罹災救護事業 を事業 目
的 として発足 した ことは記録 にもあ ります。
岡 原 福 祉事業 は篤志家 の集 まりか ら始 まったのは全国的な流れのようで、役員 の
数か らして も伺われますね。事務局 で調査 をしてい るのでは。
/ 事
ヽ
―
務局 創 立当時の経緯 はよ く分 か りませんが、役員構成 は会長以下20名全員方面委
員 で発足 してい るようです。
松 本 事 業所 も妙典寺前 ,大 石町 ・和霊町 とかあったようですね。事業 の内容 も授
産事業 として、人形部 ・団扇部 ・下駄製造、更生家屋 としては、昭和園 ・愛育
園 ・民生館、当時 としては画期的な事業展開です。
菊 地
こ との発端 は、昭和 2年 の市内経済界が不況時代 に失職者 を救済す る目的で、
主唱者は時の市長山村豊次郎氏 であ ったが、市長が旗振 りをす るには多忙 なの
で、
され
中
て
平常太郎氏 を先頭 に方面委員全員が役員 として事業 の運営 に当たった と
い ます。
-39-
三 瀬
昭 和 9年 には財 団法人 とな り、約25年、戦前 ・戦中 ・戦後 と波乱激動 の時代
に社会的貢献 をしたあと、当時 としては先駆的な社会福祉法人 に改組 し本格的
に取 り組 んでい ます。
松 浦 社 会福祉法人に改組 したお りの組織変更認可書 は しっか りと保存 されてい ま
す。設立時の定款 も現定款 と基本的部分 はあまり変 わ りがないの に驚 きました。
役員構成 にして も、理事 7名 ・監事 3名 ・評議員34名の構成 になってお り、評
議員 の数が多いのが特徴 ですが、10年程続 いて20名程度 になったようです。現
在 も20名です。
事務局 昭 和27年 5月 20日に認可 されたのですが、その時の事業 は、
第一種社会福祉事業 授 産場 の設置経営
第二種社会福祉事業 宿 所提供施設 の設置経営
収 益
事
物 品販売業
業
が標傍 されてい ます。初代理事長中平常太郎氏が、時を同 じくして愛媛県社会
福祉協議会の会長 にも就任 されてい ます。
岡 原
そ の間の市民共済会 の活躍 は平成10年度 の会報 に掲載 されていた、 「
市民共
一
済含 の授産事業」か らも推測す ることが出来 ますが、その つ として、天皇陛
下のご巡幸 の際、宇和島市 で唯一和霊町の民生館 に来訪 される栄誉 に浴す るな
ど、事業内容 に関 しては全 国的 にも反響が大 きか ったようです。
古 い写真 が少 し残 っているようですね。
歴史の証明」 と称 し一部掲載 しますが、戦前 ・戦後 の様子 も
事務局 記 念誌 にも 「
山 本
充分 に伺 われます。
三 服
残 念なが ら詳細 については定かではあ りませんが、宇和島市民 に対す る福祉
事業 の展開、歴史あ る市民共済会 の認識 は充分 に出来ました。
司 会
そ れで は前半 を終 わ らせ て
頂 き、暫 く休憩 に入 らせ て頂
きます。
。
・
・
休
憩
・
・
・
-40-
司 会
そ れでは後半 に入 らせて頂 きます。
貢献度 の高かった社会福祉事業 も、時代 の流れ とともに表退 の道 を辿 ったよう
で、平成 の年 を迎 えるとともに、縮小 ・閉鎖 を余儀な くされ、次なる事業 の摸
索が始 まったようですが。
事務局 役 員会 の議事録が頼 りですが、平成 3年 5月 頃からしか資料 がないので、そ
れ以前 は難 しいのですが、当初 は老人保健施設 ・母子寮 ・知的障害者施設 と議
論百出 したようですが、共済会 としては宇和島市 の高齢者人口の占める比率 か
らしても、貢献度 の高 い高齢者施設 の建設 に拘 ったようです。
三 瀬 平 成 2年 7月 、宇和島市高齢者対策問題検討委員会が設置 され、私 も医師会
からの役員 として参画 し、協議 を重ねた結果 の結論 として、
1 老 人保健施設 ……宇和島社会保険病院 に併設 授 産場跡地
2 特 別養護老人ホーム……社会福祉法人宇和島市民共済会が設置
・
1正光会宇和島病院が整備
3 老 人性痴呆疾患患者治療病棟 …・
とい うことで進め られてきました。
菊 地
昭 和63年か ら理事長 に就任 された、元 :末 光
忠 夫
理 事長 も大変 な苦
労 をされましたが、当時の整備計画の概要 は、検討委員会の意に添 うべ く、授
産場跡地 を老人保健施設用地 として国 に売却 し、得 た資金 を以て宇和島刑務所
跡地の払 い下げを受け、痴呆性老人専用特別養護老人ホームの設置 で した。
事務局 平 成 4年 10月には、基本財産 (授産場)処 分承認 を受理 し、着 々と新施設建
設 に向け準備 をしてい ます。
松 浦 個 人的な話 しにな りますが、正光会 を退職 した直後 に特養が出来 るので管理
のでそれなら2∼ 3年 の間で も頑張 って と……。
して くれ と、管理 は経験 がある、
設計図 も見せて頂 いて 自分な りに不具合 を手直 しした りして……笑 い……。
岡 原 平 成 5年 1月 に、刑務所跡地が国 ・県で他 の用途にて使用す るとい うことで、
払 い下げが出来ないこ とになったと聞いてい るのですが。
松 浦
そ うなんです。何 か狐 に包まれた感 じで。慌 てて白紙 の状態から建設用地 の
候補地深 しが始 まって……。 とんで もない話 しです よ。
菊 地 何 とか地元 の有力者 のお陰で候補地が見 つかった分けですが、地理 的条件 と
か環境整備 とか一抹 の不安 はあ った。
事務局 平 成 5年 6月 提出の整備計画協議書は見送 りとな りましたが、再提出 した平
成 6年 は所轄庁 も前向 きで検討 をして頂 きました。
-41-
三 瀬 私 達 3人 (椙山 ・三瀬 ・岡原)が 理事 になった直後、理事長以下、理事全員
と施設長 さんが当時の柴田市長 さんに呼ばれて環境整備 に金が掛 かるか ら、宇
和島市 としては資金援助が出来ないので 1年 先送 りして くれ と、色 々とや りと
りがあったが、それなら民生館跡地 に出来 る施設 をとい う結論 になった訳 です
よね。
岡 原
1年 待 って も保障がない とい うことで、急返、理事会 を開催 し、事業 を持 た
ない と法人の存続 にも関わることなので、次善 の策 として考 えていた案 で実現
をとい う結論 になった。特養がな くなることで運営面での採算が″
ふ配だったが。
松 浦 設 計図の変更 を含 め協議書 の作 り直 しと事務局 は大変な作業 で したが、何 と
か提出の運 びとなったが冷汗 もので した。
松 本
隣 接用地の買収 を図面片手 に熱心 に動 かれましたね。私 も新 しい施設 が出来
ぜ
るとい うことで楽 しみで した。民生館 は老朽化 していたので不安 で した。
事務局 福 本 さん浅野 さんの御理解 で駐車場 の確保 がで き便利 にな りました。
山 本
建 設が始 まったのは平成 7年 のお盆明けか らで したよね。家が近 くなのでよ
く遠回 りをしては見 に行 きました。
松 浦 事 務所 を近 くに借 りて、私 も、朝 ・昼 ・夕 と、1日 に何度 とな く覗 きました。
当時の末光理事長 さんも楽 しみにされ よ く来 て頂 くようにな り、落成式 を迎え
た時 は感無量 で した。
岡 原
ケ アハ ウスの建設 は地域周辺 では初 めてとい うことで、当初心配 されていた
入居希望者 の状況 はどうだったのですか。
松 浦 広 報 に2回 掲載 して頂 き反応 を見 ていたのですが、12月に入 つてか ら問い合
た。然 し、 申込者 は100人あまりあ つたのですが、結果 は定員 の30名が残 った
とい う形 です。
事務局 紆 余曲折 はあ りましたが、平成 8年 4月 1日 か ら新事業 として、
第一種社会福祉事業 軽 費老人 ホーム ケ アハ ウス い こ い
第二種社会福祉事業 老 人 介 護 支 援 セ ン タ ー い こ い
老人 デイサ ー ビス セ ン タ ー い
こ い
平成13年4月 1日 に追加事業 として、
公
益
事
業 居 宅 介 護 支 援 事 業
い
こ い
の 4事 業開設 の運 びにな りました。
三 瀬
そ れにして も、 4月 末 に定員30名の入居 を見 たことは評価 に値す ると思 い ま
-42-
一︶
わせが多 くなったので、 この分 なら大丈夫なのではと確信す るようにな りまし
す。初年度予算執行 の折 りに15名程度 の予算取 りをしたらと言 った記憶 があ り
ますが、事務局 から感触があるので定員 で予算案 を、15名では予算が組 めない
とい っことで。
山 本
順 調 に滑 り出 しとい うことですね。ケアハ ウス としては地 の利 も良か った分
菊 松 松
けで しょう。
地 ケ アハ ウスの条件 としては、居室 の広 さ以外 は良い と思 い ます。
本 平 成12年4月 か ら始 まった公的介護保険へ の移行 は うまくいったのですか。
浦 制 度変更 のため居宅支援事業 との絡みでない と財源的に運営が厳 しい支援 セ
ンターが、 1年 遅れの開設 のため非常 に苦戦 をしました。や っと2名 の資格者
〓一 菊
を確保す ることが出来ましたが、 どうしても調査 と絡 めないと収入が、職員 の
努力 が必要です。デイサ ー ビス は現在 の ところ順調 です。
瀬 現 在、ケアハ ウスがメイ ンですが、矢張 り特養 は不可欠です よね。
地 ケ アハ ウス利用者 の生活不安 は、何 といって も体調 を崩 した とき、寝た きり
になった ときのようですか ら、皆 さん将来のことは充分 に考 えてい らっ しゃい
ます し、 「
終 の棲家」 のことは共済会で と、 ことあるごとに熱望 されてい ます。
岡 原
法 人のスタンス としては、高齢者福祉 の為 にとい うことで進 めて きたのです
から、是非、実現 を目指 して通進 して欲 しい と願 い ます。現場 を守 る方達 には、
組織 の中の一員 として利用者 か ら信頼 されることは もとより、地域社会 にも認
知 され、自己研鑽 に努 め、地域福祉 の核 になる職場作 りを目指 して欲 しい。
三 瀬
昨 年 の漢字 は世相 を反映 して、 「
戦」 「
狂」 「
乱」 「
恐」が上位 で、共済会
としても巻 き込 まれた感 もあ り、基盤再構築に時間 と金が掛 か りましたが、14
人心一新」、人の 「和」 を以て躍進 して頂 きたい と思 い ます。
年度 は 「
司 会
ど うも有難 うござい ました。短時間で長い歴 史 を語 り尽 くす ことは難 しく、
まとまりのない進行 にな りましたが、 これか らの進 む道 も語 られたように思 い
ます。今後、 このような機会 を作 ることがで きましたら、又、楽 しく語 って頂
きたいと思 い ます。
三 瀬 本 日の座談会は大い に勉強 にな りました。内外 ともに厳 しい時代 を乗 り切 る
には、 「
人の和」以外 に考 えられませんる法人発展 のためには、個人のスタン
ドプ レーでな く、チームワークが大切 だと思 い ます。次 の世代 の人達 の手 によ
りまして、又、 このような企画がで きることを願 いなが ら、本 日の座談会 を終
わ りたい と思 い ます。
長時間、有難 うござい ました。
-43-
( 参考 資料 )
市民 共済含 の授 産事 業
宇和島市民共済含 は今や全国的 に有名 となった財国法人でその行 ふ ところの社含事
業 は全 国的の反響 を呼 んでいる。本年三月畏 くも天皇陛下が第二 回目のご巡幸 を此の
地に賜 った時 も市民奉迎場の外 には唯一の御視察所 として縣 から推薦せ られ御立寄 を
願 ったのは此の含 の経営す る和霊町の民生館 だけであ った。最近、 といっても昭和 二
十三年後 の同含事業報告書 を見 ると、授産、厚生、保護、愛育 の四事業 をやってい る
が財国法人 にした含 の 目的及本質か ら観 て授産事業 を中核 とす るもの ゝ如 くこれを妙
典寺前 と和霊町 と民生館 との三箇所 に別ち妙典寺前 は国扇製作童百拾高本、慣額四百
七拾高園、和霊町は下駄並 に鼻緒製作拾式高足、慣額二百九拾五高園、民生館授産場
は年産四拾高本 とあるのは国扇 らしきも債額 は不明である。現在 の授産事業 は以上三
種 に限 られ倉J業宙時 に苦心 して責出 した宇和島人形 (他縣 の市場 では特に思 いで人形
と呼 ば しめた)は 目下休止中であ るらしい。
元末 この共済会なるものは後述す る如 く昭和 二年 の市内経済界不況時代 に失職者 を
救済す る目的で企劃 されたもので、その主唱者 は時 の市長山村豊次郎氏 であったのだ
が、多忙 なる山村市長 は 自ら此の含 の音頭 を取 るは暇がなか ったので一切 を中牢常大
郎氏外敷氏 の熱心 な方面委員 に協議 して成立の方途 を講 じ念 々宇和島市民生委員 (営
時 は方面委員 といった)の 事業 として委員 の全員が これに乗出 し一大社含事業 たらし
むべ く後足 して努力 したのが今 日のFLA盛
を見 るに至 った根本 であ った。だから此 の含
は宇和島市 に於 ける窮民救助、失業保護、其他一般市民 の福利増進 を計 る為 に営時の
方面委員会 の後援機関 として生 まれた ものであ って、創立営時の役員 は含長中牢常大
郎、副含長今井員澄、理事菊池正宏、松本良之肋、星野太龍、大内英尾、樋 口虎若、
宮崎秀国、久保喜田吉、菊池春子、今井勲雄、長瀧英一郎、山口慶一、法野千大郎、
久保盛丸、河路宗接、肩 日午六、武田儀久、酒井計 一、末廣銭藤 の諸氏であ ったが、
現在 の役員 は理事長中牢常太郎、副理事長松本良之助、理事久保盛丸、三輪田直一、
唐沢胸 一、加藤房恵、押方敬 一、監事熊本盛吉、向井金太郎 の以上九氏 を大幹部 とし
外 に三十八名 の評議員が幹部 を補佐 してい る。
而 して創立校案者 だった山村豊次郎氏 は含 で一度 も役員 に列 した ことはないが創 立
の営初 から最後 の永眠まで終始一貫 の顧間であ り、含 に創立営時の役員含 には毎回出
席 して親 しく経営 の謀議 に興 か り、又人形製作 の小資本時代か ら国扇製作 の大資本 に
韓進す る際の如 きは市 の名儀 で借入れた金 を固定資金 に弾貸 し一時的の金融をはかる
等 の便 を興へ て極力機含毎 に含 の発展 と事業 の援張 を後援 して一生を終 わるまで縫績
-44T
V
した関係 で中牢理事長 の本事業に対す る感謝 の中には山村氏 の偉大な徳 を讃へ授産事
業援護 のことは特 に山村氏 の停記 か ら逸 しない ようにとの注意 と希望があったのであ
る。山村氏 もし今 日在世にして三ヶ所 の授産場 の現況及 び更生事業 としての昭和園、
保護事業 としての民生館及 び愛育園の盛況 を見 たならば如何 に満足 と欧喜 を表す るで
あろ うかを思ふ時、 これはひと り山村顧間には限らない。故人 となった創立営時の副
含長今井員澄氏 を始 め人形研究 に終生 を捧げて返 に長逝 した菊池正宏、大内英尾氏 の
霊 も轍 か し満足 されることであろう。
同含校行 「
方面委員 の経営す る授産事業」なる小冊子 に曰 く
昭和二年十二 月二十五 日宇和島市民共済含が倉J立せ られ、 これによって従来 に見 られ
なか った地方社含事業が強力 に促進せ らる ゝことになった。設立営時の役員 は既記 の
通 りであるか ら滋に略すが何 れ も方面委員 を兼ねて営時の貧民救済 に轟力せ られた諸
氏 であ り、之第方面委員 の手 に依 りて昭和 三年九月一個 の授産場が創設せ られたので
あ る。 この時偶 々高知市 に四囲中囲副業品共進会が開催せ られたので授 産事業 の資 と
なさんが為、大内、今井、菊池 の三理事が 同含 に出席 し (中牢委員 は巌父急病 の為欲
席)調 査盆衡 の結果高知人形六個並 に副業参考書六冊購入掃着 しこれを参照 し乍 ら人
形製作 を開始す ることになった。 この間身 は元海軍豫備 中佐 にしてか ヽる製作技術 に
開 しては全 くの素人であった菊池理事 が文字通 り寝食 を忘れて熱心 に研究 を進 め月餘
に亘る氏 の努力 は十一月五 日の委員含 で確認せ られ正式 に菊地正宏、中干常太郎、大
内英尾、酒井計一、今井員澄、星野太龍、の六名 を基げて小委員 とし各 自研究準備金
五拾国の醸出 を可決 した。か くして可決せ られた人形製作 は主 としてカー ド級 よ り遠
出された窮貧者 を充 てること、及 この間菊池委員 を討助 して結髪 に功あ りし篤志家西
蔭ツタ、馬島シゲの両氏 を本含副幹事 として嘱託 し中牢委員 の統案 によって名補 を宇
寿E島人形、お もいで人形 とし話作貢行 き共に頗る好調 で、従来菊池委員宅 を伎設工場
として居 ったのを市内御殿町井上集馬氏宅 を借 り受けて工場損張 を固 りこ ゝに始 めて
宇和島市民共済管授産場 の懸札 を掲げた、是 れ賃 に昭和四年五月二十二 日である。
然 し乍 らわづか十五名 の従業員 による人形製作 は企業 として も又社含事業 としても
餘 りにも微小 に過 ぎる。従 って事業援大 に苦慮 が沸 はれていたのであるが、その根本
に横 たわる障害 は資金問題であった。方面委員 は多大 の犠牲 も顧 みず個人名儀 にて三
千国 に近い借入れをなし之 を無條件 で提供 して最初 に授産場新設に着手 した。之れ即
ち現今 の妙典寺前授産場 で買入家屋 を九 島か ら引取 りて建築 したものである。工場援
大 に伴 ひ運韓資金 も増加 を辿 るばか りで懸社含事業協含 よ り資金の借入 れを計 ること
にしたが懸営局 との交渉の結果 は法人形態 でない ところの共済含 に資金 を融通す るこ
-45-
とは出来ない とのこと。 こ ゝでこれ迄一切 を中牢氏 に托 していた山村豊次郎氏 は再三
懸営局 に懇請 して、先ず宇和島市が借入れ、それを市長 の責任 で同含 に韓貸す るなら
よかろ うとの朗報 を得 たので山村氏 は直 ちに中牢委員その他 と協議 して金五千園の借
入れを可能 とした。営時菊池氏の急逝 に逢 ひか ゝる難問題 に一人究 した中牢氏 は過去
を述懐 して謂 は く、 「
若 しあの時山村氏な くばそれ以後彩 だ しい、窮民 を救 った授産
場 の姿 はない。山村氏 の財政的機智 と社含正義 に封す る愛情 とはこの資金轄貸 となっ
て末長 く弱 き民衆 を救 っている」 と、 こ ゝに山村氏 の動 か し難い偉大 さがある。 この
様 にして資金の融通 に好調 を得 た授産事業 は更 に有望 なる国扇製造 に着手 した。而か
もこれが大成功 の進路 を辿 って今 日現在 の盛業 の因 をな したのであるが、その進行過
程 として昭和六年四月懸主催 にて本懸物産見本市 を重湾 に開催す るにあた り、中牢含
重北、嘉義、重南、高雄 の主要
長 は国扇、人形 の販路開拓 の為 め参加出張 して基rLA、
都市 に於 て盛 んに運動 し取引契約 を締結 して踊國 した。此 の時の注文 を参考迄 に記す
と国扇十五高本、人形六百個 であ った。 これを契機 として授産場 の産出す る国扇 は、
その後重湾 にて毎年五十高本以上の取引量 に上 り、人形又年 々四千個 を送 る様 になっ
た。
か く授産事業の後展 を見 るに至 るまで既 に多年の苦喪 を経 た方面委員含 は、最初 に
菊池氏 の急逝 に逢ひ、績 いて今井副含長、授産場主任大内氏 を失 ひ乍 らも中牢含長 の
好 リー ドによ り全国で も頴著 な模範授産場 とな り各懸、各市 よ り、其動機、含計、経
管方法等種 々なる問合せ に接 していると前提 して中牢理事長 は下 の如 く語 った。
もとよ り本含 は方面委員 の熱烈なる社含愛 の表現 であって其賃現 は他 よ りの命令推
進等 に依 った ものではない。従 って其 の行 ふ事 は表面的でない。それは責 に演 々と
して轟 きざる内面 の強烈なる意志の被露であるか ら日夜 の苦慮 がある。絶えざる努
は決 して考慮 に入れてはない。対象 は
力 がある。己まざる犠牲がある。名利や報印‖
只恵 まれざる市民 である。又一方現場 の経管状況 に於 いては含計、統制等松本副含
長 の 日勤 を得 てよ り其學積頓 に著 しく従業員 も国扇部、人形部、合計一 日百三十餘
人 に達 し今 日誠 に統制あ る授産場 となった。其 間懸営局 は共同講習 の形式 を以て
年 々多額 の講習費 を支出され直接問接 に懸社含課 の非常 なる援助 を受けて居 る市 も
亦毎年補助金 を惜 まず熱心なる補導 を受けたことは本場被展 に重大 なる役割 を成 し
て居 る。顧 れば昭和 二年 の創 立 よ り次第に被展 し今や営市 に於て社含施設 として恵
まれざる市民 の友 として今後 も永遠 に其使命 の為 めに存在すべ き意義ある国槌 とな
ったので全含 一致財国法人許可 の申請 をなし昭和九年十二月七 日を以て従来 の市民
共済含 を解散 し改 めて財国法人宇和島市民共済含 を設立 し従来 の市民共済含 の権利
-46-
義務 を一切縫承す ることに決定 し滋 に年末 の希望 であった財国法人 は成立 したので
ある。
か くして法律的 に財 国法人 として成長 した宇和島市民共済含 はあらゆる機含 に不遇
の人 々、恵 まれざる人 々へ救 ひの手 をさし伸べ乍 ら今 日まで市民 の為 に輝 か しい生命
を温存 している。われ ゝゝは貧者 にはなりた くない、だからわれ ゝゝは貧者 をそのま ゝ
放任すべ きで もない筈 である。幸 ひに富市 はか ゝる愛 の上 に恵 まれて こ ゝにさ ゝやか
乍 らも授産事業 の経管 を見 ることは悦 ば しい限 りであるけれ ども近時敗戦後 の下降経
済が不景気 を生みその前途決 して築叡 さるべ きものではない。 こんな世の中では行詰
ま りの呆 てに生ず る失業者、貧困者 の敷 は又授産場創設 の営時 とは比較 にならない敷
に達す るであろ う。 われ ゝゝはか ゝる前途 に封 して此上 にも社含愛、貧民愛 の温 い情
味 を準備すべ きであることを此 の稿 の終わ りに附言 して置 きたい。
(山村豊次郎俸 第 六節 市 民共済含 の授産事業 よ り抜粋)
[後 記 ]
山村豊次郎俸 の文中 に、昭和 2年 12月、宇和島市民共済会創立 の経緯 と当時の社会
事業 の先駆者 として、山村市長 を始 め とした法人役員 の活躍 された状況が描写 されて
い るので、原本 に、 よ り忠実 に配慮 し掲載 しました。
昭和 9年 12月、財団法人 に改組 し、昭和27年 5月 、社会福祉法人に改組、平成 8年
4月 、現在 の新事業 の開設迄 の経緯 は皆様方が御存 じの通 りですが、改 めて歴史ある
社会福祉法人 とい う認識 に立ち、先人の功績 を汚す ことのない よう、現代社会 に適応
した社会福祉事業 の推進 に努力すべ きと痛感 しました。
尚、参考 までに、宇和島市民共済会創立当初 の役員 を列記 します とともに、 ご逝去
か らお祈 り申し上 げます。
なされた方 々のご冥福 を,い
、ャ ノ
(営初 の役員)
含 長
中牢 常太郎
副含長
今井 員 澄
理 事
菊池 正 宏
宮崎 英 国
山口 慶 一
武田 儀 久
松本 良之助 ・星野
久保喜 田吉 ・菊池
太龍 。大 内
春子 。今井
英尾 ,樋 回 虎 若
勲雄 ・長瀧英一郎
法野千太郎 ・久保
酒井 計 一 ・末療
盛丸 ・河路
宗接 ・而 田 牛 六
-47-
銭耐
(役 員抱 負 )
真 の 福 祉 を 目指 し て
副理事長
岡
原
宏
彰
「
真 の福祉」 とい う場合、 2つ の視点があると思われます。
1つ は、行政 として国民 の福祉 をどうい うふ うに方向づ けるか とい うことであ り、
他 の 1つ は、福祉 を受益す るものが、いかなるサー ビス を要望 してい るか とい うこと
です。
▼
この 2つ の視点 は、本来一致すべ きもので、 これが一致す ることが 「
真 の福祉」 で
あ り、 「
福祉 の理想」 で もあると思い ます。
ところが、現実には、 この 2つ は必ず しも一致せず、場合 によっては相反す る結果
をみることもあ ります。
例 えば、平成12年4月 に導入 された介護保険制度 は、介護サ ー ビス を必要 とす るす
べ ての高齢者 に在宅介護 を基本 とし、福祉 ・保健 ・医療 を一元的 に提供す るシステム
として、介護 のあ り方 を国民 に示 した ものですが、高齢者側 は 「
在宅介護」 の不安 か
ら介護施設 を利用 したい とい う要望が多 く、 この意味で行政 と利用者間 に乖離現象が
でてい ます。
また、平成14年度 か ら認 められる 「
新型特別養護老人 ホーム」 に例 をとると、全室
個室、生活単位ユニ ッ ト化、 ホテル コス トの導入等、行政の 目的 はす こぶる高いので
すが、他方、施設整備資金 の肥大化 は避けられず、 このことは当然なが ら利用者 の負
担増 とい う問題 にぶつか ります。
このような場合 に、いずれを 「
真 の福祉」 とす るのか、あるいは、 このような制度
を導人す るのが真 の福祉 に合致す るのか、 これを判断す るのは難 しいのですが、 「
福
祉」 とい う言葉 が多 くの人の幸せ を意味す る以上、利用者 の 「
要望」 または利用者 の
「
適正な費用負担」 を中心 に考 えるべ きだと思い ます。
以上は、制度 としての 「
福祉」 について述べ たのですが、福祉 を現実化 し、 「
真の
福祉」 を実行す るのは、言 うまで もな く福祉事業 に携 わる私 たちの実践 であ ります。
宇和島市民共済会は創立75年、法人化50年とい う輝 か しい歴史 をもち、宇和島市民
にとつてはな じみ深 く頼 りにされてい る社会福祉法人であ ります。
私 たちは、 このような宇和島市民共済会 の一員 として、共 に宇和島地域 の皆様 の期
待 に応 えるべ く福祉事業 を推進 し、今後 とも 「
真 の福祉」 を目指す所存 であ ります。
-48-
役 職 員在 職者名 簿
平成 14年4月 1日 現在
ジ
せ
理 事 長
三
瀬
直
久
施 設
長
副理事長
岡
原
宏
彰
事 務
員
専務理事
松 浦
満 洲男
理
事
亘 浦
元
理
事
松
理
事
菊 池
理
事
杉
本
善
理
事
楠
本
弘
監
事
渡
辺
ムメ子
監
事
安
達
監
事
菅 原
谷
本
楠
本
弘
志
小 永井 照
( ケ ア ハ ウ ス)
美
生 活相談員
松
介護職員
河
野
雅
美
士
今
西
直
子
信
管理宿 日直
佐
志
管理宿 日直
平
巌
生 活相談員
家
田
厚
看護 職員
川
崎
美智子
男
介護職 員
畠
山
ツ ユ子
常
道
功
栄
養
浦
慣
一
竹
武
野 隆
ー
ビ ス)
( デイ サ
智
基
行
評 議 員
松
評 議 員
山 本
美 代子
介護職 員
中
ll洋
ナ
子
評 議 員
宮 崎
和
介護職 員
安
並
紀
子
評 議 員
二
介護職 員
伊
藤
清
美
評 議 員
水 野
運
菊
池
評 議 員
吉
評 議 員
宮
見
義
世
孝
子
ヨ ネ子
転
手
健
(支C・ 居宅支援 )
良
久 保
子
タ ミコ
S
評 議 員
佐 々木
朝 美
支援専 門員
評 議 員
兵 頭
評 議 員
金 田 八 重子
栄 養
士
久
岡
美 恵子
評 議 員
今 市
万 寿美
調 理
師
玉
留
美 千代
評 議 員
三 瀬
健
調 理
員
横
田
昭
評 議 員
水
利 夫
調 理
師
上
甲
嘉 代子
評 議 員
曽 根
隆
調 理
員
酒
井
里
評 議 員
森
評 議 員
平
井
三
評 議 員
二
宮
評 議 員
清
家
評 議 員
駄
場
評 議 員
五 島
野
W
京
田
寺
(給 食
部
中
薫
陽
崎
裕
美
門 )
子
笑
調
理
員
清
原
英
子
治
調
理
員
清
水
和
代
弘
幸
調
理
員
福
島
道
代
静
元
時
彦
(日清 医療食 品株式会社委託)
叢
順
-49-
集 後
記
宇和島市民共済会 創 立75周年 社 会福祉法人設立50周年 を迎 え、何か形 になるも
のをと摸索 して作成 しました。歴史 は長 いが書 き留めるための資料 が数少な く編集に
苦慮 しましたがt今 後 の道標 になれば と思 ってい ます。
役職員の皆様 はもとよ り、関係各位 の皆様方 におかれましても、今後益 々の御指
′
導 ,御 鞭撞方宜 しく御願い 申 し上げます。最後 にな りますが、原稿 を寄せて頂 いた
じ
″
方 々、 ご協力下 さい ました皆様 に対 し厚 くお礼 申 し上げます。
記
念
誌
発
行
︵︶
編集発行 社 会福祉 法人宇和 島市民共済会
〒7 9 8 - 0 0 1 5
愛 媛県宇和 島市和霊元町 1丁 目明影7号
住 所
電 F話 0895-22-0203
FAX 0895-22-0212
編集委員 三
印
刷
瀬
直
松 本
義
田 中
薫
久 ・岡 原 宏 彰 ・松 浦
男 ・山 本 美 代子 ・楠 本
陽 ・小水井 照 美 ・松 浦
印 刷 セ ン ター宇和 島
-50-・
溝 洲男
弘
志
慣
一