「戦争や原爆の事実知り、感じたこと伝えて」 広島別院で平和を語る集い

「戦争や原爆の事実知り、感じたこと伝えて」
広島別院で平和を語る集い
何も知らないま
ま亡くなったと
いう事実を知っ
てもらいたい」
と訴えた。
同教区は毎
年、世界に向け
た平和の発信と
して宗門校・龍
谷大学への留学
生を迎えた平和
プログラムに取
り組んでおり、
留学生たちは同
シンポジウムに
も参加。講演後
あり、信仰に助けられ に「私たちは何をすべ
た。自らの命を絶とう きか」と質問し、田邊
と し た こ と も あ っ た さんは「戦争や原爆の
が、それを止めてくれ 事実を知ること、そし
たのは、仏さまであり、 て、自分に置き換えて
祖先に対する思いがあ 考え、そこで感じたこ
ったから」と語った。 とを伝えてほしい」と
日にシンポジウ して亡くなったこと、 いとわからない戦争や れ、「みじめで悲惨な戦 がゆさぶられた。戦争
った場所に行ったため と思った」と映像化に ない世代に対して危う した。人々が悲惨な歴
映像作家の田邊雅章 被爆したことなどを語 取り組んだ経緯を語っ さ、不安を感じる。戦 史を繰り返さないよう
争を知らない人は、戦 に 次 世 代 へ 語 り 継 ぐ
さん( 、西向寺門徒) り 、「 歳 を 過 ぎ る ま た。
区)で開いた。
を広島別院(広島市中 投下の3日後に家のあ 悲しみを伝えなければ 今、戦争も原爆も知ら に深く消えない傷を残
ム「平和を語る集い」 2人を捜すために原爆 原爆への怒り、憎しみ、 争を体験した者として と原爆は人々の心と体
6月
ってきた安芸教区は、 投下2日前に一時帰宅 て、体験したものでな てきたことなどにも触 は「ヒロシマに来て心
「非戦・平和を願っ 東隣にあったことや、 原爆によって大切な家
さ ら に 、「 広 島 」 と 答えた(写真)。
て 年」をテーマにさ 家族で疎開していたが 族、暮らしのすべてを いうことで就職、結婚
中国からの留学生・
まざまな取り組みを行 母親と1歳の弟が原爆 失 っ た 者 の 一 人 と し 差別を目の当たりにし 生富文さん(3年生)
70
27
60
日に亡くな とができていない。原 精神と命の大切さを周
15
付かされた。原爆と向
(現在の原爆ドーム) 少ない体験者として、
田邊さんは、生家が き合う決意をし、原爆
広 島 県 産 業 奨 励 会 館 投下前と直後を知る数
した。
平和への思いを新たに を知らないからだと気
んの講演を聞き、非戦 の子たちが原爆の実態
態」を上映後、田邊さ ろうにと。しかし、そ
マ の 真 実 と 原 爆 の 実 私の母と弟がいるであ
画「知られざるヒロシ 受けた。その下には、
証言を紹介した記録映 を見かけ、ショックを 同然だが、安芸門徒で 市民が、予告もなく、 話した。
と、約100人の被爆 撮影をする修学旅行生 野に投げ出されたのも が寄せられていない。 に歩みたい」と感想を
ク ス で 再 現 し た 映 像 ースサインをして記念 た。当時8歳の私は荒 しがあったことに思い 界平和実現への道を共
ューター・グラフィッ 原爆ドームを背景にピ ロシマの街を生き抜い あり、人がいて、暮ら 返し起こらないよう世
営みや町並みをコンピ てきた。でも、ある時、 り、祖母と2人で、ヒ 爆が落ちる前には街が りの人々に伝え、繰り
に暮らしていた人々の 原爆に背を向けて生き が、8月
が制作した、原爆ドー で生家のことも被爆し
ま た 、「 被 爆 し た 父 争も原爆も過去の出来 『伝承者』が必要。ヒ
ムとその半径1㌔以内 ていることも黙って、 も救援活動をしていた 事としてしか捉えるこ ロシマで学んだ平和の
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